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渡辺克典「障害者運動の歴史と隘路」
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障害しょうがいしゃ運動うんどう歴史れきし隘路あいろ

渡辺わたなべ 克典かつのり 2010/05/31
藤木ふじき秀朗ひでお坪井つぼい秀人ひでとへん反乱はんらんする若者わかものたち――1960年代ねんだい以降いこう運動うんどう文化ぶんか日本にっぽんきん現代げんだい文化ぶんか研究けんきゅうセンター, 122p+vi. pp. 97-101

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last update: 20160218


0.はじめに

  障害しょうがいしゃ運動うんどうにはなが歴史れきしがあります。たとえば、戦前せんぜんには盲唖もうあ学校がっこう設立せつりつ運動うんどう代表だいひょうとする視覚しかく聴覚ちょうかく障害しょうがいしゃによる社会しゃかい運動うんどう戦後せんご直後ちょくごには、1946ねんからはじまるハンセン病はんせんびょう療養りょうようしょ患者かんじゃ自治じちかい活動かつどう、1947ねん以降いこう視覚しかく障害しょうがいしゃによる鍼灸しんきゅうじゅつ廃止はいし運動うんどうなどをげることができます(杉本すぎもと[2008]など)。障害しょうがいしゃ歴史れきしは、障害しょうがいしゃ運動うんどう歴史れきしはなして理解りかいすることはできません。
  ほん報告ほうこくでは、障害しょうがいしゃ運動うんどう歴史れきしにおいて、大学だいがく紛争ふんそう沈静ちんせい、すなわち「1968」としての障害しょうがいしゃ解放かいほう運動うんどう着目ちゃくもくをしていきたいとおもいます(ちゅう1)。まず、現代げんだい障害しょうがいしゃ運動うんどう焦点しょうてんについて確認かくにんおこない、障害しょうがいしゃ運動うんどうの〈隘路あいろ〉の提示ていじこころみます。つぎに、「1968」という地点ちてん歴史れきしてき背景はいけい確認かくにんし、代表だいひょうてき障害しょうがいしゃ運動うんどうとして「あおしばかい神奈川かながわけん連合れんごうかいりあげます。最後さいごに、あおしばかいによる活動かつどう位置付いちづけを、現代げんだい障害しょうがいしゃ運動うんどうおちいる〈隘路あいろ〉との関係かんけいから考察こうさつしていきたいとおもいます。

1.現代げんだいにおける障害しょうがいしゃ運動うんどう焦点しょうてん:DPIを中心ちゅうしん

1.1 DPIについて

  ダリアン・ドリージャーは、『国際こくさいてき障害しょうがいしゃ運動うんどう誕生たんじょう』において、DPI(Disabled People’s International)による活動かつどうを「最後さいご市民しみん運動うんどう」として位置いちづけています。

  障害しょうがいしゃおおくは、障害しょうがいしゃ権利けんり運動うんどう権利けんりのためのながたたかいの最後さいごのものとみなしている。つまり労働ろうどうしゃ黒人こくじん植民しょくみんされた民族みんぞくまずしい民衆みんしゅう女性じょせいそして今度こんど障害しょうがいのあるひとなのである。……1980年代ねんだいになってようやく世界中せかいじゅう障害しょうがいしゃ市民しみん同様どうよう参加さんか平等びょうどうもとめるたたかいを開始かいししたのである。(Driedger[1988=2000:23])

  ここで「最後さいごの(last)」という言葉ことばは、ふたつの意味いみをもっています。だい1に、障害しょうがいしゃ権利けんりをめぐる活動かつどうが、黒人こくじん難民なんみん女性じょせいどもといったひとびととくらべておくれて問題もんだいされた議論ぎろんであり、だい2に、障害しょうがいしゃ権利けんり条約じょうやくがまさに現代げんだいの=最新さいしん問題もんだいである、という意味いみです。
  現代げんだい障害しょうがいしゃ運動うんどう代表だいひょうてきいち側面そくめんをあらわしているDPIにおいて、その特徴とくちょうはようにまとめることができます。だい1に、DPIは「当事とうじしゃ」による活動かつどうであることを強調きょうちょうします。たとえば、定款ていかん目的もくてきには以下いかのようにしるされています。

  この法人ほうじんは、国内外こくないがい障害しょうがいしゃ団体だんたいつうじ、障害しょうがいしゃならびに障害しょうがいしゃ団体だんたいたいして、障害しょうがい当事とうじしゃ立場たちばから障害しょうがいしゃ団体だんたい育成いくせい障害しょうがいしゃかんする施策しさく研究けんきゅう普及ふきゅうならびに海外かいがい障害しょうがいしゃとの協力きょうりょく活動かつどうとうかんする事業じぎょうおこない、障害しょうがいしゃ権利けんり擁護ようごはかることで個人こじん独立どくりつ尊厳そんげんとう人権じんけんまもられる社会しゃかい実現じつげん寄与きよすることを目的もくてきとする。(定款ていかんだい3じょう)(ちゅう2)

  また、当事とうじしゃという言葉ことばは、会員かいいん種別しゅべつかんする規則きそくおいても確認かくにんすることができます。

  この法人ほうじん会員かいいんは、つぎの2しゅとし、正会員せいかいいんをもって特定とくてい営利えいり活動かつどう促進そくしんほう以下いかほう」という。)じょう社員しゃいんとする。
  1.正会員せいかいいん障害しょうがいしゃ執行しっこう機関きかん過半数かはんすうめる団体だんたいであって、この法人ほうじん目的もくてき賛同さんどうし、活動かつどう参加さんかする意志いしって入会にゅうかいした団体だんたい
  2.賛助さんじょ会員かいいん:この法人ほうじん目的もくてき賛同さんどうして、協力きょうりょくおこな個人こじんおよ団体だんたい定款ていかんだい6じょう

  だい2に、DPIは積極せっきょくてき政策せいさく提言ていげん目指めざ組織そしきとして位置付いちづけられています。これについては、上記じょうき定款ていかんだい3じょうの「障害しょうがいしゃたいする施策しさく研究けんきゅう普及ふきゅう」という一文いちぶんからも確認かくにんすることができます。具体ぐたいてきには、障害しょうがいしゃ地域ちいき生活せいかつ障害しょうがいしゃ差別さべつ禁止きんしほうへのみなどがあげられています(ちゅう3)。とくに日本にっぽんにおいては、「障害しょうがいしゃ権利けんりかんする条約じょうやく」の締結ていけつをめぐって積極せっきょくてき活動かつどうをおこなっています(ちゅう4)。
  以上いじょうのように、現在げんざい障害しょうがいしゃ運動うんどう特徴とくちょうとして、当事とうじしゃせいとそれにもとづく政策せいさく提言ていげんという特徴とくちょうげることができるかとおもいます。

1.2 障害しょうがいしゃ運動うんどう隘路あいろ

  ではつぎに、現代げんだいのDPIから垣間見かいまみえる障害しょうがいしゃ運動うんどう隘路あいろについてかんがえてみたいとおもいます。そのために、当事とうじしゃせい政策せいさく提言ていげんとの両立りょうりつについてげていきます。
  両者りょうしゃについて検討けんとうするためには、社会しゃかい運動うんどう社会しゃかい政策せいさく(または社会しゃかい計画けいかく)にかかわることがもつ意味いみかんがえなくてはなりません。たとえば、社会しゃかいがくでは社会しゃかい運動うんどう社会しゃかい政策せいさくは「社会しゃかい変動へんどう(Social Change)」の2側面そくめんとしてとらえられることがあります。社会しゃかい学者がくしゃ武川たけかわ正吾しょうごは、社会しゃかい運動うんどう社会しゃかい政策せいさくにかかわるときに(1)専門せんもん協力きょうりょく、(2)対抗たいこうエリートの形成けいせい、(3)社会しゃかい運動うんどうの(対抗たいこう権力けんりょく、(4)部分ぶぶんてき利益りえき志向しこうからの脱却だっきゃくといった特徴とくちょうがあらわれると整理せいりしました(武川たけかわ[2009:68-70])。この枠組わくぐみを利用りようして、当事とうじしゃせい政策せいさく提言ていげん両立りょうりつがもたらす〈隘路あいろ〉をつぎのように提示ていじしてみたいとおもいます。
  ひとつには、(1)から(3)までの関連かんれんとして、当事とうじしゃせい専門せんもんせいとの矛盾むじゅんがありえます。このことは、たとえば障害しょうがいしゃ運動うんどうといういとなみが権力けんりょく可能かのうせいをはらんでいることを意味いみします。つまり、障害しょうがいしゃ運動うんどうそれ自体じたい権力けんりょくすることや、障害しょうがいしゃなかでの権力けんりょく関係かんけいなどを想定そうていすることができます。ただし、こちらの問題もんだいはかなり複雑ふくざつ事態じたいとなるため、ここでは指摘してきだけにとどめておきたいとおもいます。もうひとつ、とくに(4)にかかわることとして、障害しょうがいしゃ権利けんりという部分ぶぶんてき利益りえきから、より公共こうきょうてき利益りえき志向しこうするようになっていく事態じたいがあります。
  このことを、DPIがんでいる「人権じんけん条約じょうやく」に関連付かんれんづけると、つぎのようにまとめることができるかとおもいます。すなわち、国際こくさいてきめとしての人権じんけん条約じょうやく担保たんぽとする政府せいふへの政策せいさく要求ようきゅうと、障害しょうがいをもつという当事とうじしゃせい立脚りっきゃくすることの問題もんだいがあります。前者ぜんしゃは「普遍ふへんせい」を志向しこうするのにたいして、後者こうしゃは「個別こべつせい」を志向しこうします。単純たんじゅんしていってしまえば、当事とうじしゃせい社会しゃかい計画けいかく普遍ふへんせい公共こうきょうせい志向しこう矛盾むじゅんする概念がいねんです。当事とうじしゃという部分ぶぶんせいと、政策せいさく提言ていげんという普遍ふへんせいとの両立りょうりつ不可能ふかのうせい、このことを隘路あいろのひとつとしてかんがえてみたいとおもいます。
  では、この隘路あいろ課題かだいとして定義ていぎするとき、「あおしばかい」の活動かつどうから見出みだせることとはなにでしょうか。「あおしばかい」についてまとめたのちに、考察こうさつしてみたいとおもいます。

2.戦後せんごにおける障害しょうがいしゃ運動うんどう

2.1 福祉ふくし国家こっか体制たいせいへのみち

  はじめに、戦後せんごにおける障害しょうがいしゃ運動うんどうについて概観がいかんします。国家こっか障害しょうがいしゃ(または病者びょうしゃ)にかかわる過程かていには、つぎふたつの契機けいきがありました。まず、にち戦争せんそうからだい世界せかい大戦たいせんにかけての、「全体ぜんたい戦争せんそう」との関連かんれんがあります。この時期じきにおいては、徴兵ちょうへいせいという仕組しくみと、戦争せんそうによる傷病しょうびょうへい軍人ぐんじん遺家族いかぞく)をあげることができます。1917ねん軍事ぐんじ救護きゅうごほう代表だいひょうとするかかわりいは、まさに「全体ぜんたい戦争せんそう」という背景はいけいなかまれてきたものです。
  つぎに、連合れんごうこくにおける福祉ふくし国家こっか体制たいせいがあります。すなわち、ナチスの戦争せんそう国家こっか(Warfare State)への対抗たいこうとしての福祉ふくし国家こっか(Welfare State)体制たいせいです。これは、1942ねんのイギリスにおけるベヴァリッジ報告ほうこく端緒たんしょとするもので、この体制たいせい戦後せんごにおいて社会しゃかい主義しゅぎ国家こっかたいする修正しゅうせい資本しほん主義しゅぎ体制たいせいへとがれていくことになりました。
  このような福祉ふくし国家こっか体制たいせいは、日本にっぽんにおいては憲法けんぽうだい25じょうにおいて「すべて国民こくみんは、健康けんこう文化ぶんかてき最低さいてい限度げんど生活せいかついとな権利けんりゆうする」と明文化めいぶんかされました。戦後せんご国民こくみん健康けんこう保険ほけんほう(1958ねん)、国民こくみん年金ねんきんほう(1959ねん)、老齢ろうれい母子ぼし障害しょうがいしゃへの福祉ふくし年金ねんきん(1960ねん)、「厚生こうせい行政ぎょうせい長期ちょうき計画けいかく基本きほん構想こうそう」(1961ねん生活せいかつ保護ほご基準きじゅん値上ねあげ、年金ねんきん制度せいど改善かいぜん医療いりょう保険ほけん給付きゅうふ内容ないよう充実じゅうじつ)、児童じどう扶養ふよう手当てあてほう(1962ねん)といったものは、福祉ふくし国家こっかとしての「最低さいてい限度げんど生活せいかつ保障ほしょうへのみでした。
  こういった制度せいどてき編成へんせい背景はいけいとして、障害しょうがいしゃ運動うんどうは、保障ほしょうされていない状態じょうたい問題もんだいをその出発しゅっぱつてんとすることになります。いいかえれば、1960年代ねんだいはその障害しょうがいしゃ運動うんどう方向ほうこうせいめる政治せいじてき機会きかい形成けいせいしていたといえるます。

2.2 「あおしばかい神奈川かながわけん連合れんごうかい活動かつどう

  福祉ふくし国家こっか体制たいせい形成けいせいする1960年代ねんだいのち、1970ねんに「あおしばかい」を有名ゆうめいにする出来事できごとこりました。それが1970ねん障害しょうがいころ事件じけんたいする厳正げんせい裁判さいばん要求ようきゅうです。これは、横浜よこはまきた障害しょうがい殺害さつがい事件じけんたいして、施設しせつ充実じゅうじつうったえるマスコミ、減刑げんけい要望ようぼう運動うんどうをおこなう一般いっぱん市民しみんたいしての抗議こうぎ活動かつどうでした。1965ねん結成けっせいされた脳性のうせいマヒしゃによる団体だんたいあおしばかい神奈川かながわけん連合れんごうかいちゅう5)は、マスコミや市民しみんたいして厳正げんせい裁判さいばん要求ようきゅうをおこないました。「あおしばかい」はこの要求ようきゅう以後いごも、ドキュメンタリー映画えいが『さようならCP』、優生ゆうせい保護ほごほう改正かいせいあんへの抗議こうぎ活動かつどうなどをおこない、当時とうじ障害しょうがいしゃ運動うんどう代表だいひょうする団体だんたいとなっていきました。そのことは、1976ねん結成けっせいされた全国ぜんこく障害しょうがいしゃ解放かいほう運動うんどう連絡れんらく会議かいぎぜんさわれん)の代表だいひょう幹事かんじに「あおしばかい」の横塚よこつか晃一こういち選出せんしゅつされたことからもわかります。

別表べっぴょうあおしばかい神奈川かながわけん連合れんごうかい 略歴りゃくれき
年代ねんだい おもな活動かつどうなど
1969ねん あおしばかい神奈川かながわ連合れんごうかい
1970ねん 横浜よこはま母親ははおやによる障害しょうがいころ事件じけん減刑げんけい運動うんどう反対はんたい厳正げんせい裁判さいばん要求ようきゅう
1972ねん 『さようならCP』上映じょうえい
1972ねん 優生ゆうせい保護ほごほう 改定かいていあんへの反対はんたい活動かつどう重度じゅうど障害しょうがい中絶ちゅうぜつ容認ようにんについて(女性じょせい団体だんたいとの対立たいりつ
※1974ねん5がつ廃案はいあん 厚生こうせいしょう障害しょうがいしゃ団体だんたい反対はんたいしているのでけずってもよい」(『あゆみ』1974ねん7がつ
1974ねん 弱者じゃくしゃ救済きゅうさい」をかかげる春闘しゅんとう参加さんか
1976ねん ぜんさわれん全国ぜんこく障害しょうがいしゃ解放かいほう運動うんどう連絡れんらく会議かいぎ結成けっせい代表だいひょう幹事かんじ横塚よこつか
1977ねん 車椅子くるまいすバス乗車じょうしゃ拒否きょひたいする行動こうどう

  では、おもに神奈川かながわけん連合れんごうかいによっておこなわれた「あおしばかい」の活動かつどう特徴とくちょうはどこにあったのでしょうか。ここには、さきほどの生活せいかつ保障ほしょうとの関連かんれんからつぎの2てんべることができます。だい1に、それは脳性のうせいマヒしゃ保障ほしょうをめぐる主張しゅちょうでした。これは、脳性のうせいマヒしゃという部分ぶぶん集団しゅうだんのためのあらそいであり、脳性のうせいマヒしゃ処遇しょぐう社会しゃかい環境かんきょう焦点しょうてんをあてたものです。すなわち、再発さいはつ防止ぼうしさくとしての施設しせつ拡充かくじゅうへの批判ひはんや、減刑げんけい嘆願たんがん運動うんどうささえる構造こうぞう差別さべつ)への着目ちゃくもくがあります。
  しかし、「あおしばかい」がのこした足跡あしあとはそれだけではありませんでした。そこには、生活せいかつ保障ほしょうえた主張しゅちょうとよべるような特徴とくちょうもありました。それは、ころがわころされるがわ分割ぶんかつする論理ろんりや、それにもとづいた「ころされるがわ」「あってはならない存在そんざい」としての自己じこ認識にんしきをあげることができます(田中たなか[2005]、倉本くらもと[2007]などを参照さんしょう)。横塚よこつか言葉ことば引用いんようしておきましょう。

  われわれはみずからがCP (=脳性のうせいマヒ)しゃであることを自覚じかくする。/われらは、現代げんだい社会しゃかいにあって「本来ほんらいあってはならない存在そんざい」とされつつあるみずからの位置いち認識にんしきし、そこに一切いっさい運動うんどう原点げんてんをおかなければならないとしんじ、行動こうどうする。(横塚よこつか[1974=2007:110])

  横塚よこつかによる主張しゅちょうをさきほどの〈隘路あいろ〉との関連かんれんでまとめるならば、この主張しゅちょうは(1)普遍ふへんせいではなく、分割ぶんかつ(=個別こべつ)に立脚りっきゃくし、(2)両者りょうしゃ比較ひかくしたうえで「よりおとった存在そんざい」として自己じこ定義ていぎをする、とかんがえることができます。では、最後さいごに、このような側面そくめんをもつ「1968」障害しょうがいしゃ運動うんどうについてかんがえていきたいとおもいます。

3.「あおしばかい再考さいこう隘路あいろえて

  1968ねん世界せかいきたのは、1973ねんのオイルショックでした。オイルショックは福祉ふくし国家こっかたいする見方みかたえました。これまで経済けいざい発展はってん福祉ふくし国家こっか体制たいせいにいきつくという収斂しゅうれん理論りろん(Wilensky[1973=2004])から、各国かっこく状況じょうきょうによってことなる福祉ふくし体制たいせいいとなまれる「収斂しゅうれん終焉しゅうえん」(ゴールドソープ)をむかえることになります。
  おりしも、同年どうねんの1973ねんは、日本にっぽんにとっては「福祉ふくし元年がんねん」とよばれるとしとなります。それは、1971ねん参議院さんぎいん選挙せんきょ、1972ねん衆議院しゅうぎいん選挙せんきょりょう選挙せんきょにおける55ねん体制たいせいらぎであり、1974ねん移行いこう経済けいざいのマイナス成長せいちょうでした(武川たけかわ[2009:179-180])。日本にっぽんにおいても、1970年代ねんだいから福祉ふくし体制たいせい見直みなおしがすすめられていきました。
  こういった1970年代ねんだいにおいて、障害しょうがいしゃ運動うんどう労組ろうそきょうはたらけすることになります(ちゅう6)。このきょうはたらけ最終さいしゅうてきには障害しょうがいしゃ運動うんどうがわにとっては「失意しつい」の経験けいけんとしておわるのですが、重要じゅうようなことは、ここで「きょうはたらけ」が可能かのうであったというてんにあります。すなわち、障害しょうがいしゃ運動うんどう部分ぶぶんてき利益りえき追求ついきゅうしながら、1970年代ねんだい以降いこう福祉ふくし政策せいさくすすめる背景はいけいとなった高度こうど経済けいざい成長せいちょうの「被害ひがいしゃ」たちとの共通きょうつうせいをもつことがありえました。これは現代げんだいにおいて「人権じんけん」として提示ていじされるような普遍ふへんせいとはべつ回路かいろによる連帯れんたいでした。ここにこそ、現在げんざい政策せいさく志向しこう障害しょうがいしゃ運動うんどうとはことなる側面そくめんをもつ(もっていた)「あおしばかい」の位置いちづけを再考さいこうするひとつのカギがあるのではないかとおもいます。
  ノリーナ・ハーツは、2001ねんにジェノバでおこなわれたG8会議かいぎたかったひとびとの特徴とくちょうとして、「たがいに利害りがいことなり、対立たいりつてんおおいというのに、参加さんかしゃあいだにコミュニティ意識いしきかんじられたこと」をあげています(Hertz[2001=2003:8])。たがいに共通きょうつうする目標もくひょう設定せっていしなくても形成けいせいされる連帯れんたいは、現代げんだい社会しゃかいにおいてこそ考察こうさつされるべき課題かだいなのかもしれません。「あおしばかい」は、その主張しゅちょう強烈きょうれつさや「車椅子くるまいすバス乗車じょうしゃ拒否きょひたいする闘争とうそう」(1977ねん)によって有名ゆうめいになりました。しかし、そういった過激かげき活動かつどうのみにけるのではなく、1970年代ねんだいへといたる歴史れきしてき背景はいけいと、部分ぶぶんてき利益りえきもとめながら社会しゃかい運動うんどう団体だんたいとも連帯れんたい形成けいせいした活動かつどう系譜けいふとして、いまなお再考さいこうすべきものだといえるのではないでしょうか。



ちゅう

(1)1968ねん直後ちょくご障害しょうがいしゃ運動うんどうは、大学だいがく紛争ふんそうの「ざら」のひとつであったともいわれています。
(2)定款ていかんはウェブサイトで確認かくにんすることができます。http://www.dpi-japan.org/dpi/teikan.html
(3)http://www.dpi-japan.org/problem/
(4)長瀬ながせひがし川島かわじまへん[2008]など参照さんしょう
(5)「あおしばかい」の設立せつりつは1957ねんです。「あおしばかい」の歴史れきしについては、荒川あらかわ鈴木すずき[1997]、立岩たていわ[1995]、廣野ひろの[2007]などを参照さんしょう
(6)詳細しょうさいは、荒川あらかわ鈴木すずき[1997]を参照さんしょう

関連かんれん文献ぶんけん

荒川あらかわ章二しょうじ鈴木すずき雅子まさこ,1997,「1970年代ねんだい告発こくはつがた障害しょうがいしゃ運動うんどう展開てんかい」『静岡大学しずおかだいがく教育きょういく学部がくぶ研究けんきゅう報告ほうこく人文じんぶん社会しゃかい科学かがくへん)』だい47ごう
Driedger, Diane, 1988, The Last Civil Rights Movement: Disabled Peoples' International, C Hurst & Co.(=2000,長瀬ながせおさむへんやく国際こくさいてき障害しょうがいしゃ運動うんどう誕生たんじょう――障害しょうがいしゃインターナショナル・DPI』エンパワメント研究所けんきゅうじょ.)
Hertz, Noreena, 2001, The Silent Takeover, Arrow.(=2003,巨大きょだい企業きぎょう民主みんしゅ主義しゅぎほろぼす』早川書房はやかわしょぼう.)
廣野ひろの俊輔しゅんすけ,2007,「「あおしばかい」の発足ほっそく初期しょき活動かつどうかんする検討けんとう」『同志社どうししゃ社会しゃかい福祉ふくしがくだい21ごう
倉本くらもと智明ともあき,2007,「未完みかんの<障害しょうがいしゃ文化ぶんか>」『社会しゃかい問題もんだい研究けんきゅうだい47かん1ごう
長瀬ながせおさむあずま俊裕としひろ川島かわしまさとしへん,2008,障害しょうがいしゃ権利けんり条約じょうやく日本にっぽん――概要がいよう展望てんぼう生活せいかつ書院しょいん
杉本すぎもとあきら,2008,障害しょうがいしゃはどうきてきたか――戦前せんぜん戦後せんご障害しょうがいしゃ運動うんどう現代書館げんだいしょかん
武川たけかわ正吾しょうご,2009,社会しゃかい政策せいさく社会しゃかいがく――ネオリベラリズムの彼方かなたへ』東京大学とうきょうだいがく出版しゅっぱんかい
田中たなか耕一郎こういちろう,2005,障害しょうがいしゃ運動うんどう価値かち形成けいせい――にちえい比較ひかくから』現代書館げんだいしょかん
立岩たていわしん也,1995,「はやく・ゆっくり」安積あさか純子じゅんこ岡原おかはら正幸まさゆき尾中おちゅうぶん哉・立岩たていわしんなま技法ぎほう――いえ施設しせつらす障害しょうがいしゃ社会しゃかいがく藤原ふじわら書店しょてん
Wilensky, Harold L., 1973, The Welfare State and Equality: Structural and Ideological Roots of Public Expenditures, University of California Press.(=2004,下平しもだいら好博よしひろやく福祉ふくし国家こっか平等びょうどう――公共こうきょう支出ししゅつ構造こうぞうてき・イデオロギーてき起源きげん木鐸ぼくたくしゃ.)
横塚よこつか晃一こういち,1974=2007,ははよ!ころすな』生活せいかつ書院しょいん

謝辞しゃじ

ほん研究けんきゅう科学かがく研究けんきゅう補助ほじょきん研究けんきゅう課題かだい番号ばんごう:21730410)の助成じょせいけたものである。


UP:20110412 REV: 20160218
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