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レジュメ「『近代日本と小笠原諸島――移動民の島々と帝国』第8章」
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レジュメ「『近代きんだい日本にっぽん小笠原諸島おがさわらしょとう――移動いどうみん島々しまじま帝国ていこくだいしょう

岩田いわた 京子きょうこ 20100828 だい15かい歴史れきし社会しゃかいがく研究けんきゅうかい

last update:20101221

文献ぶんけん情報じょうほう石原いしはらしゅん, 2007, 『近代きんだい日本にっぽん小笠原諸島おがさわらしょとう――移動いどうみん島々しまじま帝国ていこく平凡社へいぼんしゃ.

だいはちしょう 自由じゆう帝国ていこく臨界りんかい――小笠原諸島おがさわらしょとうと「南洋なんよう」の系譜けいふがく(1853−1910)

目的もくてき:「〔19世紀せいきまつの〕ジャパン・グラウンドが日本にっぽん帝国ていこくの「南洋なんよう」にまれていく過程かてい展開てんかいした言説げんせつぐんしょ実践じっせんを、小笠原諸島おがさわらしょとうをめぐる社会しゃかいてき経済けいざいてき状況じょうきょう、とりわけ「帰化きかじん」とばれたひとびととの関係かんけいから検討けんとう
→「日本にっぽん帝国ていこくがその形成けいせい拡大かくだい局面きょくめんではらんでいた性向せいこういちめんらしす」(312)
資料しりょう航海こうかい日誌にっしかたり・著作ちょさく記録きろくるい日本にっぽん政府せいふ公文書こうぶんしょ

日本にっぽん帝国ていこく形成けいせいと「南洋なんよう
・19世紀せいきまつ、「南進なんしんろんしゃから「南洋なんよう開発かいはつ拠点きょてん・モデルとして注目ちゅうもくされる小笠原諸島おがさわらしょとう
(ex.志賀しが重昂しげたか服部はっとりとおる菅沼すがぬま貞風ていふう鈴木すずきけいくん田口たぐち卯吉うきち稲垣いながきみつる次郎じろう竹越たけこし與三郎よさぶろう矢野やのとおる〕)
世紀せいき転換期てんかんきの「南洋なんよう」はジャパン・グラウンドの海域かいいきとほぼかさなりっていた(小笠原諸島おがさわらしょとう以南いなん領域りょういきのぞく)
→「南進なんしんろん」「南洋なんよう進出しんしゅつ」のなかでの「小笠原諸島おがさわらしょとう開発かいはつ社会しゃかいてき経済けいざいてき状況じょうきょう」の意味いみとは

■「南洋なんよう」、「自由じゆう貿易ぼうえき」、小笠原諸島おがさわらしょとう :日本にっぽん帝国ていこく南進なんしんろんのなかでの小笠原諸島おがさわらしょとう位置いちづけ
服部はっとりとおる――「南洋なんよう」の拠点きょてんとしての小笠原諸島おがさわらしょとう
もと土佐とさ藩士はんし。1887ねん東京とうきょう府知事ふちじひきいる明治めいじまる小笠原諸島おがさわらしょとう巡航じゅんこうし、『日本にっぽん南洋なんようあらわす→「東洋とうよう」とも「西洋せいよう」ともちが領域りょういき概念がいねんとして「南洋なんよう」を措定そてい(314)
母親ははおやとともに父島ちちじま移住いじゅう、『南洋なんようさくあらわす→通商つうしょう交易こうえき拓殖たくしょく移民いみん=ミクロネシアからジャパン・グラウンドにかけて展開てんかいしていた社会しゃかいてき経済けいざいてき交通こうつうることをとおして発展はってんさせる(316)
・ドイツ帝国ていこくのミクロネシア領有りょうゆうへの警戒けいかいかん国防こくぼう重要じゅうよう拠点きょてん
 ↑
田口たぐち卯吉うきち――「自由じゆう貿易ぼうえき」の拠点きょてんとしての小笠原諸島おがさわらしょとう
政治せいじ経済けいざい学者がくしゃ
交易こうえきたいする障壁しょうへき除去じょきょ主張しゅちょう保護ほご関税かんぜい撤廃てっぱい交易こうえき拡大かくだいなど)、「南洋なんよう諸島しょとうたいする欧米おうべいしょ定刻ていこく統治とうち経営けいえい実効じっこうせいとぼしい」→「自由じゆう貿易ぼうえき」の格好かっこう実験じっけんじょうとしての小笠原諸島おがさわらしょとう(328)
⇒「「わが香港ほんこん」となるべき島々しまじま」としての小笠原諸島おがさわらしょとうかたる(318)
東京とうきょう士族しぞく助産じょさんきん委託いたくされ、南島なんとう商会しょうかい組織そしき天佑てんゆうまる購入こうにゅう輸出入ゆしゅつにゅう実践じっせん

玉置たまきはんみぎ衛門えもん――小笠原諸島おがさわらしょとうから「南洋なんよう」へ
八丈島はちじょうじままれ。1860年代ねんだい幕府ばくふによる殖民しょくみんに、大工だいくとして参加さんか明治めいじまる便乗びんじょう
・「南洋なんよう開発かいはつろん実践じっせん(319)=1870年代ねんだい後半こうはん小笠原諸島おがさわらしょとう開発かいはつ初期しょき公共こうきょう事業じぎょう多数たすう請負うけお
万次郎まんじろう最大さいだい後継こうけいしゃ(328)

■ジャパン・グラウンドから「南洋なんよう」へ :日本にっぽん帝国ていこくにおける「南洋なんよう開発かいはつ言説げんせつ実践じっせん系譜けいふ
ペリーとボナム――アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく領有りょうゆう宣言せんげん殖民しょくみん計画けいかくをめぐって
ペリー(べい艦隊かんたいひきい、1850年代ねんだい、「自由じゆう貿易ぼうえき」の旗印はたじるしした小笠原諸島おがさわらしょとう拠点きょてんとする交易こうえき殖民しょくみん企図きと(323)←ボナム(えい)、英国えいこく領有りょうゆう主張しゅちょう

ハリスとオールコック――徳川とくがわ幕府ばくふの「取締とりしまり」と「開拓かいたく」をめぐって
・1860年代ねんだい、オールコック(えい)やハリス(べい)、「自由じゆう貿易ぼうえき路線ろせん前提ぜんていしま領有りょうゆう主張しゅちょうせず(325)
幕府ばくふ小笠原諸島おがさわらしょとうにおける排他はいたてき主権しゅけんてきほう導入どうにゅうにこだわる一方いっぽうで、外国がいこくせん入港にゅうこう自由じゆう保障ほしょう関税かんぜい賦課ふかせず=例外れいがいてき措置そちかさねる

万次郎まんじろうからはんみぎ衛門えもんへ――日本にっぽんの「自由じゆう貿易ぼうえき」の前線ぜんせんにて
万次郎まんじろう自身じしん移入いにゅうした言説げんせつもとづいて、日本にっぽん帝国ていこくにとっての「自由じゆう貿易ぼうえき実験じっけんじょう小笠原諸島おがさわらしょとう−ジャパン・グラウンドに見出みいだし、このうみ島々しまじま開発かいはつ実行じっこううつしていった(327)

発見はっけんされる「帰化きかじん」 :世紀せいき転換期てんかんきに「自由じゆう貿易ぼうえき路線ろせん影響えいきょうにある「南洋なんよう開発かいはつろん
服部はっとりのまなざし――ゆたかな交通こうつう発見はっけん
日本にっぽん帝国ていこく小笠原諸島おがさわらしょとうたいする公式こうしき帝国ていこくとしての立場たちば維持いじできればよかった(330)

田口たぐちのまなざし――「自由じゆう貿易ぼうえき」の先行せんこう条件じょうけん
小笠原諸島おがさわらしょとう社会しゃかいてき経済けいざいてき実態じったい黙認もくにんし、越境えっきょうてき漁労ぎょろう法文ほうぶんじょう次元じげんでも追認ついにん(332)

焦点しょうてんとしての遠洋えんよう漁業ぎょぎょう――「帰化きかじん労働ろうどうりょく動員どういん計画けいかく
主権しゅけんてき介入かいにゅう対象たいしょうになる労働ろうどう、「帰化きかじん」がそれのどう対応たいおうしたか
られることへのいかり――生起せいきする「帰化きかじん感情かんじょう
自由じゆう貿易ぼうえき路線ろせん影響えいきょう構想こうそうされた小笠原諸島おがさわらしょとう拠点きょてんとする「南洋なんよう開発かいはつろんは、「帰化きかじん」の経済けいざい活動かつどう理想りそうてき先行せんこう条件じょうけんとして「発見はっけん」しつつ(中略ちゅうりゃく主権しゅけんてき介入かいにゅうによってかれらのせいをコントロールしようとする傾向けいこうつよめていった」(337)

自由じゆう帝国ていこく臨界りんかい 
模倣もほうされる帝国ていこく――〈自由じゆう貿易ぼうえき帝国ていこく主義しゅぎ〉をめぐって
・「自由じゆう帝国ていこく主義しゅぎ」(ジョン・ギャラハー、ロナルド・ロビンソン+高橋たかはし
日本にっぽん帝国ていこくの「南洋なんよう開発かいはつ系譜けいふは、「世界せかいてき範疇はんちゅう」としての帝国ていこく主義しゅぎ渦中かちゅうにこそ見出みいだされる」(340)
帝国ていこく膨張ぼうちょうには連続れんぞくせいがある/そもそも帝国ていこく主義しゅぎとは関係かんけい概念がいねんであり「複数ふくすう帝国ていこくあいだの〈あいだ〉から不断ふだんに(さい構成こうせいされつづける過程かていてき全体ぜんたいせいあらわ理論りろんなのである」(339)
  ←レーニン:1880年代ねんだいを「自由じゆう貿易ぼうえき」から「帝国ていこく主義しゅぎ」への転換てんかんてんとみなす段階だんかいてき帝国ていこく主義しゅぎかん



作成さくせい岩田いわた 京子きょうこ
UP: 20101221 REV:
全文ぜんぶん掲載けいさい  ◇石原いしはら しゅん 
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