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渡辺克典「書評 社会の歴史(ポール・ピアソン著,粕谷祐子監訳『ポリティクス・イン・タイム』勁草書房2010)」
歴史社会学は社会学の一大トピックでありつづけている。社会を理解するうえで歴史をどのように位置づけるかという問題は、ヴェーバー社会学の問いでもあった(小路田他[2009],折原[2010])。また、『社会学評論』と『ソシオロジ』の掲載論文における方法論の比率を年次比較した太郎丸博らの研究によれば、歴史社会学は1960年代から70年代に一度盛り下がったものの、計量分析と入れ替わるかたちで1980年代以降に「再度」用いられるようになってきた方法である(太郎丸他[2009])。歴史社会学はいまだフロンティアでありつづけている(cf.筒井編[1994:1])。
さて、このような状況の中で、ピアソン『ポリティクス・イン・タイム』が翻訳された。この本は「ポリティカル・サイエンス・クラシック」という政治学のシリーズの1冊であり、本来は政治学における方法論をめぐる議論の中でとらえる必要がある。だが、本稿ではそれらの議論を横目に入れながら、社会学への視座について考えてみたい。
まずは、対象書の概要についてまとめよう。ピアソンは日本語版への序文で「ほとんどの社会科学者は歴史を無視しているか、あるいは、どのようにすれば歴史を効果的に研究に組み込めるかということに明確で説得力のある考えをもってない」(iii頁)と記す。歴史社会学隆盛の時代に生きる私たちから見ると、このような立場には疑問が生じるかもしれない。この疑問に応えるためには、ピアソンが「脱文脈化革命」(222頁)とよぶ事態との対峙が執筆動機となっていることを踏まえるべきだろう。本書は、政治学におけるゲーム理論や機能主義への批判が出発点となっている。本書はこの出発点を念頭において読みすすめていく必要がある。
さて、本書は序章のあとに5章立ての論考が続き、終章によって閉じられる。第1章では、これまで曖昧な概念としても用いられてきた「経路依存」を制度発展における自己強化(ポジティヴ・フィードバック)過程として位置づけている。つづく第2章では、歴史研究におけるタイミングと結合のシーケンス(時間的順序、「配列」と訳されている)について検討している。前章との関係でいえば、シーケンスは次第に閉鎖的で強制的になる制度の自己強化と関連している。第3章では、経済学・政治学における短期的な原因・結果の図式を批判し、累積的で閾値効果をもつような長期持続的な過程への着目の必要性を主張する。第4章では、制度設計において合理的で戦略的なアクターを想定する機能主義への批判にもとづき、学習と競争のメカニズムを導入することが提案されている。最後に、第5章では長期的な制度変化について、アクターの調整、制度の修正拒否、経路における費用便益との関係から整理され、制度発展研究の課題が提示されている。
本書の特徴は次の2点にある。第1に、ピアソンはゲーム理論や機能主義の限界を捕捉しつつ、それを補うかたちで歴史(時間)の問題を論じていく。このため、本書を読むことで両者の相違と相補関係を理解できる、いわば「一粒で二度おいしい」構成となっている(もちろん、ゲーム理論や機能主義は批判の対象として取り上げられているため、その評価については注意が必要である)。第2に、本書は政治学における歴史(時間)をめぐる議論を中心としているが、その射程は広く、他の社会科学との関係についても論じられている。たとえば、第1章では、経済学における市場と比較し、政治学が分析対象とするアクターの柔軟性・流動性について指摘している。そして、当然のことながら、歴史社会学との関係にも頁を割いている(cf.107頁、144頁)。こういった「社会」をめぐる諸科学のなかに方法論を位置づけるという試みは、歴史社会学に閉じこもりがちな研究姿勢に対する自省をうながしてくれる。
また、政治学から学ぶだけではなく、社会学との接合についても考えなくてはならない。この点については、評者の現在の研究関心から次の2つについて指摘しておきたい。第1に、ハッキングが述べるループ効果と経路依存の問題がある。従来、「社会的構築主義」とよばれる立場から歴史を取り上げる際には、歴史的な現象の客観性への批判と、それに対する構築過程という側面から取り上げられることが多かった(cf.上野[1999:12])。それに対してハッキングは、社会的構築を知識や概念とそれに対する人びとに対する相互作用であるループ効果として位置づけた(ハッキング[1999=2006])。ハッキングのこのアイディアは、社会を<記述>する課題に取り組む「概念分析」として結実しつつある(酒井他[2009])。このようなループ効果と制度における経路依存の関係は、歴史の中で変化しつづけるという特徴をもつ「社会の記述」に対して、社会問題をまなざしつつ、それへの対策として制度化される社会政策への経路についてもひとつの視座を与えると思われる。
第2に、第2章における限定された社会的アクターが形成する「政治空間」と資源の「社会的容量」という視点(92頁)や、第4章を中心に論じられる制度の可塑性にもとづく競争と学習をめぐる議論は、ブルデューが資本とハビトゥスによって形式化した「界(champ)」概念との接続が可能であるかもしれない。ブルデューへの回路については、クロスリーによる社会運動研究が導きの糸となるだろう(クロスリー[2002=2009])。ここでは、社会運動は社会問題の告発と社会政策への参画への媒介項(制度変化の担い手)として位置づけられることになる(cf.武川[2009:68-70])。
歴史社会学を志す者は、資料と向き合い/記述し/分析することにこそ意義を見いだす。だが、その研究の中で、現代の<社会>を考える上でどのような位置づけにあるのか、という逡巡が浮かんでしまうこともあるだろう。このようなときに、本書は研究の位置を確認するための地図のひとつとなってくれる。本書の翻訳を喜びたい。
◆対象文献
Pierson, Paul, 2004, Politics in Time: History, Institutions, and Social Analysis, Princeton University Press.(=2010,粕谷祐子監訳,今井真士訳,『ポリティクス・イン・タイム――歴史・制度・社会分析』勁草書房.)
◆関連文献
Crossley, Nick, 2002, Making Sense of Social Movements, Open University Press.(=2009,西原和久・郭基煥・阿部純一郎訳,『社会運動とは何か――理論の源流から反グローバリズム運動まで』新泉社.)
Hacking, Ian, 1999, The Social Construction of What?, Harvard University Press.(=2006,出口康夫・久米暁訳『何が社会的に構成されるのか』(抄訳),岩波書店.)
小路田泰直(著者代表)・折原浩・水林彪・雀部幸隆・松井克浩・小関素明,2009,『比較歴史社会学へのいざない――マックス・ヴェーバーを知の交流点として』勁草書房.
酒井泰斗・浦野茂・前田泰樹・中村和生編,2009,『概念分析の社会学――社会的経験と人間の科学』ナカニシヤ出版.
折原浩,2010,『マックス・ヴェーバーとアジア――比較歴史社会学序説』平凡社.
武川正吾,2009,『社会政策の社会学――ネオリベラリズムの彼方へ』東信堂.
太郎丸博・阪口祐介・宮田尚子,2009,「ソシオロジと社会学評論に見る社会学の方法のトレンド1952-2008」第82回日本社会学会大会.(http://tarohmaru.web.fc2.com/documents/journal.pdf)
筒井清忠編,1994,『歴史社会学のフロンティア』人文書院.
上野千鶴子,1998,『ナショナリズムとジェンダー』青土社.