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近藤 宏 「インターディシプリンな記述において「事実」を論じることについて」
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「インターディシプリンな記述きじゅつにおいて「事実じじつ」をろんじることについて」

近藤こんどう ひろし 20101227 「インターディシプリンな歴史れきし記述きじゅつ――石原いしはらしゅんまなぶ」 指定してい質問しつもん
   於:立命館大学りつめいかんだいがく衣笠きぬがさキャンパスそうおもえかん401
last update:20110105

 石原いしはらさんは、『近代きんだい日本にっぽん小笠原諸島おがさわらしょとう――移動いどうみん島々しまじま帝国ていこく』を歴史れきし社会しゃかいがく書物しょもつでもあり、民族みんぞくでもある、という位置いちづけをしています。とくに、インタビューなどをつうじて小笠原おがさわら人々ひとびとかたりといった、細部さいぶ事実じじつげ、議論ぎろんをするというてん民族みんぞく人類じんるいがくといった学問がくもん領域りょういきへの親近しんきんせいがあるような印象いんしょうけました。わたしは、人類じんるいがくもとづいて研究けんきゅうすすめているので、民族みんぞくでもあるという位置いちづけをがかりに質問しつもんします。
「はじめに」において、本書ほんしょにとって参照さんしょうてんになる「民族みんぞく」のありかたはレナート・ロサルドによる『文化ぶんか真実しんじつ』における民族みんぞく議論ぎろんであるとしています。そこで石原いしはらさんは、観察かんさつされるものにたいする観察かんさつするものの立場たちばせいについて議論ぎろんすすめています。そのあいだの非対称ひたいしょうせいげながら、そのあいだの「政治せいじてき」あるいは形式けいしきてきちから関係かんけいけているかとおもいます。  
文化ぶんか真実しんじつ』、とりわけ序章じょしょうにおいては、政治せいじてきあるいは非対称ひたいしょうせいという形式けいしきてきちから関係かんけいとはややことなる視点してんから観察かんさつされるものと観察かんさつするものの関係かんけいもまたしるされているようにもおもわれます。首狩くびがりにかんするイロンゴットのかたりを、レナート・ロサルドがどのように理解りかいするにいたったのが、非常ひじょう印象深いんしょうぶかかれています。よくられているようにロサルドはつまつうじた感情かんじょう経験けいけんとおして、イロンゴットかたりを理解りかいした、と記述きじゅつし、その感情かんじょう経験けいけんゆえにイロンゴットを首狩くびがりへととっうごかすものを説明せつめいするために、首狩くびがり「死者ししゃれい」といったちょう自然しぜんてき存在そんざいや「自分じぶん声明せいめいげる」といった社会しゃかいがくてき領域りょういきすことよりも、近親きんしんしゃがもたらす感情かんじょう経験けいけん関連付かんれんづける記述きじゅつのほうが、「説得せっとくりょくがある」としています[ロサルド1993:34]。
ことなるひとびとのかたりやさまざまな観察かんさつ可能かのう事実じじつを、どのように理解りかいし、記述きじゅつするのか、という問題もんだいはロサルドにかぎらず、民族みんぞくにとって根本こんぽんてきいでありつづけているのではないでしょうか。ただ、ロサルドの場合ばあいられるようなカッコつきの経験けいけん主義しゅぎもとづく他者たしゃ理解りかいだけが唯一ゆいいつ方法ほうほうではなかったとはおもいます。それとはおもむきことなる技法ぎほうについては、たとえば「フランス人類じんるいがくちち」ともばれるマルセル・モースがかたっていたこともまたよくられています。モースの場合ばあいでは、観察かんさつしゃ思考しこうのカテゴリーと、観察かんさつされるもの、あるいは、事実じじつきている人々ひとびと思考しこうあるいは経験けいけんのカテゴリーの関係かんけいとして、ことなるひとびとを理解りかい記述きじゅつする方法ほうほうについて講義こうぎかたっていたとされます。感情かんじょう経験けいけん思考しこうのカテゴリーというちがいはありますが、いずれにしても民族みんぞくにおいては、観察かんさつ可能かのうなさまざまな「事実じじつ」、アカデミズムの世界せかいにあらかじめ位置いちめているわけではない「事実じじつ」をどのように理解りかいし、記述きじゅつするのか(モースは「細心さいしん社会しゃかいがく理解りかいするのであって解釈かいしゃくするのではない」としるしていたことを、かれ弟子でしであるルイ・デュモンはべています。[デュモン 1993:275])、ということこそが、政治せいじてき関係かんけいとはべつのやりかたで、く−かれるというしゃのあいだでつね民族みんぞくについてまわる問題もんだいだとおもいます。
 観察かんさつしゃ観察かんさつしゃ関係かんけいについて、「事実じじつ理解りかいする」という観点かんてんからは、石原いしはらさんはどのようなおかんがえをおちですか。また、狭義きょうぎ意味いみでの民族みんぞくにはとどまらない本書ほんしょのような研究けんきゅう構成こうせいするにあたって、「事実じじつ」を議論ぎろんすることにどのような可能かのうせいていたのか、ご意見いけんをおねがいいたします。

 参考さんこう文献ぶんけん

 ロサルド、レナート 
1998 『文化ぶんか真実しんじつ』 椎名しいな美智みち やく日本にっぽんエディタースクール出版しゅっぱん
デュモン、ルイ
 1993 「マルセル・モース:生成せいせいしつつある科学かがく」、『個人こじん主義しゅぎ論考ろんこう――近代きんだいイデオロギーについての人類じんるいがくてき展望てんぼう』 渡辺わたなべこうさん浅野あさの房一ふさいち やく言叢社げんそうしゃ
渡辺わたなべ こうさん
 2009「マルセル・モースの人類じんるいがく――ふたた見出みいだされたちち」、『西欧せいおう言叢社げんそうしゃ


作成さくせい近藤こんどう ひろし
UP:20110105 REV:
全文ぜんぶん掲載けいさい  ◇歴史れきし社会しゃかいがく研究けんきゅうかい 
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