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Foucault, Michel『ミシェル・フーコー思考集成Ⅴ 1974-1975 権力/処罰』
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『ミシェル・フーコー思考しこう集成しゅうせいⅤ 1974-1975 権力けんりょく処罰しょばつ

Foucault, Michel 1994 Dits et Ecrits 1954-1988, Edition etablie sous la direction de Daniel Defert et Francois Ewald, Ed. Gallimard, Bibliotheque des sciences humaines, 4 volumes
=20000325 蓮實はすみ重彦しげひこ渡辺わたなべまもるあきら 監修かんしゅう小林こばやし康夫やすお石田いしだえいけい松浦まつうら寿ひさしてる へん『ミシェル・フーコー思考しこう集成しゅうせいⅤ 1974-1975 権力けんりょく処罰しょばつ』,筑摩書房ちくましょぼう,487p.


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Foucault, Michel 1994 Dits et Ecrits 1954-1988, Edition etablie sous la direction de Daniel Defert et Francois Ewald, Ed. Gallimard, Bibliotheque des sciences humaines, 4 volumes =20000325 蓮實はすみ重彦しげひこ渡辺わたなべまもるあきら 監修かんしゅう小林こばやし康夫やすお石田いしだえいけい松浦まつうら寿ひさしてる へん『ミシェル・フーコー思考しこう集成しゅうせいⅤ 1974-1975 権力けんりょく処罰しょばつ』,筑摩書房ちくましょぼう,487p. ISBN-10:448079025X ISBN-13:978-4480790255 \6195 [amazon][kinokuniya] ※

目次もくじ

1974
132 人間にんげんてき本性ほんしょうについていち正義せいぎたい権力けんりょく 石田いしだえいけい小野おの正嗣まさつぐやく
133 『中国ちゅうごくだい革命かくめい』について よしみいちしょうやく
134 『中国ちゅうごくだい革命かくめい』について よしみいちしょうやく
135 D・ビザンティオスについて よしみいちしょうやく
136 権力けんりょくのメカニズムにおける監獄かんごく収容しゅうようしょ よしみいちしょうやく
137 アッティカ刑務所けいむしょについて よしみいちしょうやく
138 セクシュアリテと政治せいじ よしみいちしょうやく
139 真理しんり裁判さいばん形態けいたい 西谷にしたにおさむやく
140 はん懐古かいこ趣味しゅみ 高桑たかくわ和巳かずみやく
141 狂気きょうき権力けんりょくいち問題もんだい 高桑たかくわ和巳かずみやく
142 精神せいしん鑑定かんていかんする座談ざだんかい 高桑たかくわ和巳かずみやく
143 精神せいしん医学いがく権力けんりょく 高桑たかくわ和巳かずみやく
1975
144 序文じょぶんいちB・ジャクスン『かれらの監獄かんごく アメリカの囚人しゅうじんたちによる自伝じでん』にせる 高桑たかくわ和己かずみやく
145 手紙てがみいちM・クラヴェルにてる 高桑たかくわ和己かずみやく
146 狂人きょうじんいえ 高桑たかくわ和巳かずみやく
147 消防しょうぼううらかす 高桑たかくわ和巳かずみやく
148 政治せいじとはべつ方法ほうほうによる戦争せんそう継続けいぞくである 高桑たかくわ和己かずみやく
149 哲学てつがくしゃたちはなに夢想むそうしているのか? 高桑たかくわ和己かずみやく
150 フォトジェニックな絵画かいが 小林こばやし康夫やすおやく
151 拷問ごうもんから官房かんぼうへ 中澤なかざわ信一しんいちやく
152 尋問じんもん椅子いすで 中澤なかざわ信一しんいちやく
153 あるフランスじん哲学てつがくしゃ監獄かんごく 中澤なかざわ信一しんいちやく
154 エクリチュールの祭典さいてん 中澤なかざわ信一しんいちやく
155 ちち 中澤なかざわ信一しんいちやく
156 監獄かんごくについての対談たいだん一本いっぽんとその方法ほうほう 中澤なかざわ信一しんいちやく
157 権力けんりょく身体しんたい 中澤なかざわ信一しんいちやく
158 マドリードき 中澤なかざわ信一しんいちやく
159 『マルグリット・デュラスについて』 中澤なかざわ信一しんいちやく
160 精神せいしん病院びょういんせい監獄かんごく 中澤なかざわ信一しんいちやく
161 ラジオスコピー 石田いしだ久仁子くにこやく
162 狂人きょうじんよそおう 中澤なかざわ信一しんいちやく
163 ミシェル・フーコーいち哲学てつがくしゃ回答かいとう 中澤なかざわ新一しんいちやく
164 サド、せい法務ほうむかん 中澤なかざわ信一しんいちやく
165 異常いじょうしゃいちコレージュ・ド・フランスいちきゅうななよん?いちきゅうなな年度ねんど講義こうぎ要旨ようし 中澤なかざわ信一しんいちやく
日本語にほんごばん編者へんしゃ解説かいせつ西谷にしたにおさむ

内容ないよう

1974

◆132 人間にんげんてき本性ほんしょうについていち正義せいぎたい権力けんりょく 石田いしだえいけい小野おの正嗣まさつぐやく
 (N・チョムスキー、F・エルダースとの討議とうぎ、アイントホーヘン、いちきゅうなないちねんきゅうがつ翻訳ほんやくA・ラビノヴィッチ)、F・エルダースへんがえすい-人類じんるい基本きほんてき関心かんしん』ロンドン、スーヴェニア・プレス、135-197ページ(オランダのテレビによる、フランス語ふらんすご英語えいごによる討議とうぎいちきゅうなないちねんきゅうがつにアイントホーヘン高等こうとう技術ぎじゅつ学校がっこうにて収録しゅうろく)。

「フーコーいち(…)スピノザの言葉ことば使つかってあなたにおこたえしましょう。わたしがあなたにもうげたいのは、プロレタリアートは、自分じぶんたちのたたかいがただしいとかんがえているから支配しはい階級かいきゅうたたかっているわけではない、ということです。プロレタリアートが支配しはい階級かいきゅうたたかうのは、歴史れきしにおいてはじめて、かれらが権力けんりょく奪取だっしゅしたいとのぞんだからなのです。そして、支配しはい階級かいきゅう権力けんりょく転覆てんぷくさせたいがゆえに、このたたかいがただしいのだとかんがえるのです。
チョムスキーいち同意どういしかねますね。
フーコーいちにんつためにたたかうのであって、それが正当せいとうだからなのではありません。」(本文ほんぶんより)

◆133 『中国ちゅうごくだい革命かくめい』について よしみいちしょうやく
 (K.S・カロールと「リベラシオン」記者きしゃとのインタビュー)の前半ぜんはん。「リベラシオン」いちななごういちきゅうななよんねんいちがつさんじゅういちにち、10ページ(K.S・カロールちょ中国ちゅうごくだい革命かくめい』、パリ、ロベール・ラフォンしゃいちきゅうななさん年刊ねんかんについて)。

「ええ、しかし神聖しんせいされている部分ぶぶんもありますね。毛沢東もうたくとうかれうことです。あなたのほんによると、かれけっしてだれ糾弾きゅうだんしたことがない。かれはただたん右派うはであるもの左派さはであるものとを区別くべつするための基準きじゅんあたえたにぎない。その基準きじゅんがいして非常ひじょう曖昧あいまいでした。」(本文ほんぶんより)

◆134 『中国ちゅうごくだい革命かくめい』について よしみいちしょうやく
 (K.S・カロールと「リベラシオン」記者きしゃとのインタビュー)の後半こうはん。「リベラシオン」いちはちごういちきゅうななよんねんがついちにち、10ページ、上記じょうきいちさんさんごう参照さんしょう(K.S・カロールちょ中国ちゅうごくだい革命かくめい』、パリ、ロベール・ラフォンしゃいちきゅうななさん年刊ねんかんについて)。

「そこでふた質問しつもんしたいのですが、ひとつは矛盾むじゅん深化しんかがそれとはべつのもの、つまり分裂ぶんれつをもたらすとはどういうことなのか。もうひとつは、イデオロギーが統一とういつせいふたた確立かくりつすることができないとづいたのだとしたら、イデオロギーの重要じゅうようせい評価ひょうかなおさなければならないのか、ということです。」(本文ほんぶんより)

◆135 D・ビザンティオスについて よしみいちしょうやく
 ギャルリー・カール・フランケ、パリ、いちきゅうななよんねんがつじゅうにち(D・ビザンティオス《さんじゅうまいのデッサン》の展覧てんらんかいのプレゼンテーション)。

すべての要素ようそ肯定こうていてきなものになっているこれらの薄暗うすぐらいデッサン一色いっしょくのないこれらの絵画かいがいち逆説ぎゃくせつとは、明暗めいあんほうおもわせるものがなにもない、ということである。ここではくろよるではない。くろ戦闘せんとうはげしさである。」(本文ほんぶんより)

◆136 権力けんりょくのメカニズムにおける監獄かんごく収容しゅうようしょ よしみいちしょうやく
 M・デラモによるインタビュー。ふつやく、A・ギザルディ。「アヴァンチ」ななはちねん-さんごういちきゅうななよんねんさんがつさんにち

「プラトンとともにはっきりと確立かくりつされた形而上学けいじじょうがくてき結晶けっしょうというかたちをとるこのたね歴史れきしは、フランスではデリダによってふたたげられてもいますが、わたしにはなげかわしくおもわれる。なげかわしいというのは、ギリシア以降いこうに、おもしろい事象じしょう興味深きょうみぶか事象じしょう数多かずおおこってきたからで、それでわたし自身じしんのポレミックな目標もくひょうひとつとして近接きんせつした時代じだい考古学こうこがくつくげてみたいのです。」
結局けっきょく少々しょうしょう単純たんじゅんマルクス主義まるくすしゅぎわれがちなほど、政治せいじ権力けんりょくはただイデオロギーばかりに作用さようするものではない、ということにづきました。政治せいじ権力けんりょくは、イデオロギーや人々ひとびと意識いしき作用さようする以前いぜんに、人々ひとびと身体しんたいたいしてずっとはるかに物理ぶつりてき行使こうしされているのです。」(本文ほんぶんより)

◆137 アッティカ刑務所けいむしょについて よしみいちしょうやく
 (J.K・サイモンによるインタビュー。ふつやくF・デュラン=ボジャール)、「テロス」いちきゅうごういちきゅうななよんねん春季しゅんきごう、154-161ページ(掲載けいさいされたインタビューは翻訳ほんやく英語えいごから仏語ふつご〕されたものであり、またいちきゅうななねんよんがつにアッティカ刑務所けいむしょ訪問ほうもんしたのちでテープに録音ろくおんされた会話かいわもとづいて活字かつじされた)。

「そこで、問題もんだいは、資本しほん主義しゅぎ社会しゃかい刑罰けいばつシステムにどのような役割やくわりえんじさせているのか、どのような目的もくてき追求ついきゅうされているのか、こうしたあらゆる懲罰ちょうばつ排除はいじょ手続てつづきがどのような効果こうかんでいるのか、そうしたことをあきらかにすることになります。そうした手続てつづきは経済けいざいプロセスにおいて、どのような位置いちめているのか。それらは権力けんりょく行使こうし維持いじにおいて、そのような重要じゅうようせいっているのか。それらは階級かいきゅうあいだ紛争ふんそうにおいて、どのような役割やくわりえんじているのか。」
戦時せんじちゅう、ジュネはラ・サンテ監獄かんごく囚人しゅうじんでした。あるかれ判決はんけつけるために裁判所さいばんしょ移送いそうされなければなりませんでした。ところで、当時とうじ慣習かんしゅうでは、囚人しゅうじんにん手錠てじょうでつないで裁判所さいばんしょまでれてっていました。ジュネをべつ拘留こうりゅうしゃにつなごうとしたとき、その拘留こうりゅうしゃたずねたのです。「おれとつながれるこいつは何者なにものだ」、と。看守かんしゅは「泥棒どろぼうだ」とこたえた。すると、その拘留こうりゅうしゃ硬直こうちょくしてうには、「おことわりだ。おれ政治せいじはんなんだ。共産きょうさん主義しゅぎしゃなんだ。泥棒どろぼうとつながれるなんておことわりだ」、と。ジュネは、その以来いらい、フランスで組織そしきされたあらゆる形態けいたい運動うんどう政治せいじ行動こうどうを、たん警戒けいかいするばかりでなく、軽蔑けいべつすらしている……、とわたしけていました。」(本文ほんぶんより)

◆138 セクシュアリテと政治せいじ よしみいちしょうやく
 「コンバ」きゅうななよんごういちきゅうななよんねんよんがつじゅうなな-じゅうはちにち、16ページ(「ルシェルシュ」いちごう同性愛どうせいあいだい百科ひゃっか事典じてん-さんおく倒錯とうさくしゃたち」、いちきゅうななさんねんさんがつ、の起訴きそについて)。
 いちきゅうななよんねんがつじゅうにち、アラン・デュピュイ裁判さいばんちょうによるパリけいざい裁判所さいばんしょだいいちなな法廷ほうていは、「ルシェルシュ」編集へんしゅうちょうで、精神せいしん分析ぶんせき学者がくしゃであるフェリックス・ガタリに、「『同性愛どうせいあいだい百科ひゃっか事典じてん-さんおく倒錯とうさくしゃたち』とだいされたいちきゅうななさんねんさんがつごう見出みいだされる良俗りょうぞく侮辱ぶじょく」について、有罪ゆうざい判決はんけつ宣告せんこくした。(…)

「この身体しんたいのための闘争とうそうがセクシュアリテを政治せいじてき問題もんだいとするのだ。いわゆる正常せいじょうな、つまり労働ろうどうりょくさい生産せいさんするセクシュアリテがいちそのことから予想よそうされる、のセクシュアリテの拒絶きょぜつや、女性じょせい隷属れいぞくなどすべてととものにいち規範きはんてきなものたらんとしていることは、こうした状況じょうきょうにおいては明白めいはくである。そして、身体しんたいもどそうとする政治せいじてき運動うんどうにおいては、女性じょせい解放かいほうのための運動うんどう同様どうよう男性だんせいあるいは女性じょせい同性愛どうせいあいのための運動うんどう見出みいだされるのはもっともなことなのである。」(本文ほんぶんより)

◆139 真理しんり裁判さいばん形態けいたい 西谷にしたにおさむやく
 J.W・プラドやく、「PUC通信つうしん」、いちろくごういちきゅうななよんねんろくがつ、5-133ページ(M.T・アマラル、R.O・クルツ、C・カッツ、L.G・リマ、R・マシャド、R・ムラロ、H・ペレグリーノ、M.J・ピント、A.R・ド・サンタナとの討論とうろん)(いちきゅうななさんねんがつじゅういち-じゅうにち、リオ・デ・ジャネイロ・カトリック司教しきょう大学だいがくでの講演こうえん)。

かい講演こうえんがあり(ⅠからⅤまで)、そして討論とうろんというながれになっている。
Ⅰ:問題もんだい設定せってい方法ほうほうろんおもにニーチェを参照さんしょう
Ⅱ:ギリシア文明ぶんめい司法しほう決済けっさい分析ぶんせき(『オイディプス』などを参照さんしょう
Ⅲ:中世ちゅうせいにおける刑事けいじ裁判さいばん国家こっか統合とうごうのメカニズムとその効果こうか
Ⅳ:規律きりつ社会しゃかい形成けいせい一望いちぼう監視かんし装置そうち定義ていぎ
Ⅴ:一望いちぼう監視かんし装置そうちから人間にんげん科学かがくとその対象たいしょうとしての人間にんげん出現しゅつげん

わたしのねらいは、社会しゃかいてき慣行かんこうがいかにしてしょ領域りょういきすにいたるのか、それも、あたらしい対象たいしょうあたらしい概念がいねんあたらしい技法ぎほう出現しゅつげんさせるばかりでなく、主体しゅたいのまったくあたらしい形態けいたい認識にんしき主体しゅたいとを誕生たんじょうさせるようなしょ領域りょういきすのか、ということをみなさんにしめすことです。認識にんしき主体しゅたいにはそれ自身じしん歴史れきしがあり、主体しゅたい客体かくたいとの関係かんけいにも、もっとはっきりうなら真理しんりにもまた歴史れきしがあるのです。」(本文ほんぶんより)

◆140 はん懐古かいこ趣味しゅみ 高桑たかくわ和巳かずみやく
 (パスカル・ボニツェール、セルジュ・トゥービアナとの対話たいわ)、「カイエ・デュ・シネマ」いち-ごういちきゅうななよんねんなな-はちがつ、6-15ページ。

映画えいがと「懐古かいこ趣味しゅみ流行りゅうこう」とわれている現象げんしょうについての対話たいわ

「ところが、この民衆みんしゅう記憶きおく運動うんどうせきめるべく、一連いちれん装置そうち配備はいびされました(「民衆みんしゅう文学ぶんがく」、安物やすもの文学ぶんがく、いや学校がっこう教育きょういくもです)。このくわだてのおさめた成功せいこうはかなりおおきかったとえます。労働ろうどうしゃ階級かいきゅう自分じぶんについてもっている歴史れきしてき縮小しゅくしょうしていくばかりです。(…)ただ、ちいさくはなっていくものの、せはしませんが。」(本文ほんぶんより)

◆141 狂気きょうき権力けんりょくいち問題もんだい 高桑たかくわ和巳かずみやく
 (S.H.V・ロドリゲスによるインタヴュー)、「ジョルナル・ド・ブラジル」いちきゅうななよんねんじゅういちがつじゅうにち、8ページ。

今日きょうでは個性こせい権力けんりょくによって完全かんぜん制御せいぎょされており、我々われわれはつまるところ権力けんりょくによって個性こせいづけられている、そうわたしおもいます。いいかえれば、個性こせい権力けんりょく対抗たいこうするものであるとはわたしはまったくおもわない、ということです。その反対はんたいに、我々われわれ個性こせい各自かくじ義務ぎむてき同一どういつせいは、権力けんりょく効果こうかであり道具どうぐなのです。権力けんりょくもっとおそれているのは、集団しゅうだんちから集団しゅうだん暴力ぼうりょくです。権力けんりょく集団しゅうだんちから個性こせいという技術ぎじゅつ中和ちゅうわしようとします。この技術ぎじゅつはすでにじゅうなな世紀せいき学校がっこうにおける階層かいそうつうじてもちいられています。」(本文ほんぶんより)

◆142 精神せいしん鑑定かんていかんする座談ざだんかい 高桑たかくわ和巳かずみやく
 [出席しゅっせきしゃ:A・ボンパール(精神せいしん精神せいしん分析ぶんせき)、L・コサール(「アクト」弁護士べんごし)、ディードリクス(精神せいしん鑑定かんてい)、F・ドムナック(心理しんり学者がくしゃ)、H・デュポン=モノー(「アクト」弁護士べんごし)、P・ゲイ(精神せいしん)、J・アスーン(「ガルド=フー」(「たたか精神せいしん患者かんじゃ雑誌ざっし」)主幹しゅかん)、J・ラフォン(サン=タンヌ病院びょういん医長いちょう精神せいしん鑑定かんてい)、M・ラヴァル(「アクト」どうごう論文ろんぶんくろ魔術まじゅつ白衣はくい」を寄稿きこう)、H・マス=デサン(弁護士べんごし)、P・ティルロック(医師いし精神せいしん)]、「アクト」-ろくごういちきゅうななよんねん十二月じゅうにがつ-いちきゅうななねんいちがつ、46-52ページ。

「つまるところ、危険きけんせい処罰しょばつける能力のうりょく治癒ちゆ可能かのうせいといった観念かんねんはどこからたものなのでしょうか?これらは、法学ほうがくにも医学いがくにもありません。これらは、法的ほうてき観念かんねんでも、精神せいしん医学いがくてき観念かんねんでも、医学いがくてき観念かんねんでもなく、規律きりつてき観念かんねんなのです。学校がっこう兵舎へいしゃけいつみはん刑務所けいむしょ工場こうじょうのあれら些細ささい規律きりつのすべてが、徐々じょじょふくがってきているのです。」(本文ほんぶんより)

◆143 精神せいしん医学いがく権力けんりょく 高桑たかくわ和巳かずみやく
 「コレージュ・ド・フランス年報ねんぽう ななよん年度ねんど思考しこうしょ体系たいけい歴史れきしいちきゅうななさん-いちきゅうななよんねんいちきゅうななよんねん、293-300ページ。

狂気きょうきだつ医学いがくは、はん精神せいしん医学いがく実践じっせんにおける権力けんりょく本源ほんげんてきいただしと相関そうかんてきなものである。ここにおいて、はん精神せいしん医学いがく実践じっせんが、精神せいしん薬学やくがくどう程度ていど精神せいしん分析ぶんせき特徴とくちょうづけているとおもわれる「だつ精神せいしん医学いがく」にたいしてしめ対立たいりつはかることができる。精神せいしん薬学やくがく精神せいしん分析ぶんせきはともに、むしろ狂気きょうき過度かど医学いがくぞくしている。したがってこの、認識にんしきという、としての権力けんりょく特異とくい形式けいしきたいする狂気きょうきのありうべきえの問題もんだいひらかれているのだ。」(本文ほんぶんより)

◆1975
◆144 序文じょぶんいちB・ジャクスン『かれらの監獄かんごく アメリカの囚人しゅうじんたちによる自伝じでん』にせる 高桑たかくわ和己かずみやく
 パリ、プロンしゃいちきゅうななねん、Ⅰ-Ⅵページ。

我々われわれは、自分じぶんおもっているよりテクサスじんなのかもしれない。クロード・モーリアックはっていた。あそこでは政治せいじ警察けいさつ暗黒あんこくがいはひとつだ、と。かれひかえめな皮肉ひにくのポイントがその「あそこ」というところにあるのはあきらかである。」(本文ほんぶんより)

◆145 手紙てがみいちM・クラヴェルにてる 高桑たかくわ和己かずみやく
 モーリス・クラヴェル『わたしおもうこと』、パリ、グラッセ、いちきゅうななねん、138-139ページ。
 いちきゅうろくななねんじゅういちがつ、モーリス・クラヴェルは『言葉ことばもの』を、『純粋じゅんすい理性りせい批判ひはん』に等価とうかなものとして称賛しょうさんする。しかしフーコーは本当ほんとうにカントのように、制限せいげんして信仰しんこうわたすことをのぞんだのか?最初さいしょさん〇ページの批判ひはんてき解体かいたいは、かた欲望よくぼうまえだいいちしょうまっているのではないというわけか?(…)クラヴェルは『わたしおもうこと』で、じつはこの断言だんげんはフーコーへの質問しつもんであったとべている。そこで、かれ自分じぶんほんにフーコーの回答かいとうせいている。

「いずれにせよ、これまでしばしばされてきたように「いったいあなたはどこからはなしているのですか?」とかれれば、いまならわたしはこういます。わたしこん自分じぶんだまりこんでいるこの地点ちてんから、つまり、クラヴェルがあれほど重要じゅうようなことをかたったに、ことのついでにわたしのためにかたってくれたあの地点ちてんからかたってきたのだ、と。」(本文ほんぶんより)

◆146 狂人きょうじんいえ 高桑たかくわ和巳かずみやく
 フランコ・バザリア、フランカ・バザリア=オンガロ『平和へいわ犯罪はんざい』、トリノ、エイナウディ、いちきゅうななねん、151-169ページ(このテクストは、コレージュ・ド・フランスでのいちきゅうななよんねん講義こうぎ梗概こうがいにいくつかの発展はってん付加ふかしてさいろくしたものである。n°143をよ)。

試練しれんとしての真理しんりから認証にんしょうとしての真理しんりへの移行いこうはおそらく、真理しんり歴史れきしにおけるさい重要じゅうよう過程かていひとつだろう。さらにえば、「移行いこう」というのも適切てきせつかたりではない。というのも、ここで問題もんだいになっているのは、たがいに対立たいりつする、一方いっぽう他方たほうかす、たがいに異質いしつふたつの形式けいしきではないからだ。」(本文ほんぶんより)

◆147 消防しょうぼううらかす 高桑たかくわ和巳かずみやく
 「ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール」さんいちごういちきゅうななねんいちがつじゅうさん-じゅうきゅうにち、56-57ページ(ジャン=ジャック・リュブリナ『消防しょうぼう地獄じごく』パリ、シロス、いちきゅうななよんねん、の書評しょひょう)。

ひと消防しょうぼうなにをしてくれと「たのむ」のではない。ただびつけるのだ。消防しょうぼう言説げんせつなしに介入かいにゅうする。かれ死者ししゃを「現場げんばで」とらえる。かれ物事ものごとを、えてえば、あついうちにつかむのだ。消防しょうぼうというしょく素晴すばらしい監視かんししょである。まちについて、地区ちく住民じゅうみん慣習かんしゅう規則きそく混乱こんらんについて、消防しょうぼう驚異きょういてき蓄積ちくせきしている。」(本文ほんぶんより)

◆148 政治せいじとはべつ方法ほうほうによる戦争せんそう継続けいぞくである 高桑たかくわ和己かずみやく
 (ベルナール=アンリ・レヴィとの対話たいわ)、「ランプレヴュ」いちごういちきゅうななねんいちがつじゅうななにち、16ページ。

いち危機きき、というのはかんがえさせられるかたりですか?
いちそのかたりは、知識ちしきじんたちが自分じぶんたちの現在げんざいつかんだりそこにのぼったりすることができずにいる、その無能力むのうりょくしめ言葉ことばでしかありません。それだけのことです。
いちこれはあなたを不安ふあんにするかたりではありませんか?
いち全然ぜんぜん依然いぜんとしてこのかたり使つかっているひとたちがいるということにはわらわされます。(…)」(本文ほんぶんより)

◆149 哲学てつがくしゃたちはなに夢想むそうしているのか? 高桑たかくわ和己かずみやく
 (E・ロソウスキとの対話たいわ)、「ランプレヴュ」ごういちきゅうななねんいちがつじゅうはちにち、13ページ。

「「ル・モンド」の記事きじは、情報じょうほうつねにきちんとしていますが、箇月かげつさきかれてもよんねんかれてもよさそうな記事きじです。」(本文ほんぶんより)

◆150 フォトジェニックな絵画かいが 小林こばやし康夫やすおやく
 『欲望よくぼうはそこらじゅうにあるいちフロマンジェ』、パリ、ギャルリー・ジャンヌ・ビュシェ、いちきゅうななねんがつ、1-11ページ。

「アングルの言葉ことばだが、「要約ようやくしてしまえば、写真しゃしんは、いちつづきの操作そうさになることを考慮こうりょすると……」。ならば、もしこのいちつづきの操作そうさを、またそれとあわせて絵画かいが要約ようやくされるようないちつづきの操作そうさというものをかんがえてみるとしたらどうだろう?つまりふたつの操作そうさ系列けいれつわせてみたら?それらを交互こうごもちい、またかさわせ、一方いっぽうによって他方たほうしたり、強調きょうちょうしたりしたらどうだろう?」(本文ほんぶんより)

◆151 拷問ごうもんから官房かんぼうへ 中澤なかざわ信一しんいちやく
 (R=P・ドロワとの対談たいだん)「ル・モンド」きゅうさんろくさんごういちきゅうななねんがつじゅういちにち、16ページ(「監獄かんごく処罰しょばつ」の発刊はっかんによせて)。

いち(…)極言きょくげんすれば、ほうとはあるしゅ行為こうい阻止そしするためではなく、ほうそのもののあみをかいくぐる方法ほうほう区分くぶんするためにつくられている、ともえます。
いちたとえば?
いち麻薬まやくまりほうがそうです。アメリカ・トルコあいだ軍事ぐんじ基地きち協定きょうてい(これはあるてん阿片あへん栽培さいばい許可きょか関係かんけいしています)から、サン・タンドレ・デ・ザールどおりでの警察けいさつ警戒けいかいもういたるまで、麻薬まやく密売みつばいはチェスばんのようなきので、つまりまりのある升目ますめ升目ますめ禁止きんし升目ますめ黙認もくにん升目ますめあるものには許可きょかされあるものにはきんじられた升目ますめがあるようなおこなわれています。危険きけん升目ますめにいつもかれるのはしたっぱのだけ。巨利きょり大手おおてってまかりとおるわけです。」(本文ほんぶんより)

◆152 尋問じんもん椅子いすで 中澤なかざわ信一しんいちやく
 (J=L・エジーヌとの対談たいだん)、「レ・ヌーヴェル・リテレール」よんななななごういちきゅうななねんさんがつじゅうなな-じゅうさんにち、3ページ。

たしかに政治せいじてきグループはむかしからこの体制たいせいがわによるまるみと悪夢あくむにとりかれてきた。ったことはすべて、それがまさに告発こくはつしようとしている寄稿きこううちまれてしまうんじゃないか?でも、わたしぎゃく是非ぜひともそうあるべきだとおもっているんです。言説げんせつまるまれるというのは、それが本質ほんしつてき無効むこうだということじゃなくて、ある闘争とうそうのプロセスにまれるということですよ。」(本文ほんぶんより)

◆153 あるフランスじん哲学てつがくしゃ監獄かんごく 中澤なかざわ信一しんいちやく
 (F・シアンナとの対談たいだんふつやくA・ギッザルディ)、「エウロペオ」いちいちごういちきゅうななねんよんがつさんにち、63-65ページ。

権力けんりょくがわあらたな理想りそうとなったのは、刑罰けいばつ制度せいどとどいた都市としとしての「ペストにおかされた都市とし」でした。ペストのあるところには検疫けんえき体制たいせいかれる。一人ひとりのこらず統制とうせいされ、マークされ、められ、規制きせいしたがわせられる。共同きょうどうたい生活せいかつ安全あんぜんまもるため、許可きょかなく出歩であるものだれかれをわずころしてかまわない。(…)技術ぎじゅつてきめんでそういった要請ようせいにこたえる建築けんちく構造こうぞう提供ていきょうしたのが、いちななきゅういちねん出版しゅっぱんされたベンサムの「パノプティコン」でした。」(本文ほんぶんより)

◆154 エクリチュールの祭典さいてん 中澤なかざわ信一しんいちやく
 (J・アルミラ、J・ル・マルシャンとの対談たいだん)、「ル・コティディヤン・ドゥ・パリ」さんはちごういちきゅうななねんよんがつじゅうにち、13ページ(アルミラちょ、『ノークラチスへのたび』、パリ、ガリマール出版しゅっぱんいちきゅうななねん、をめぐっての座談ざだんかい)。

「この小説しょうせつったのは、作家さっかふう美文びぶんえてつらねるときでさえ、作者さくしゃがエクリチュールのなか淡々たんたんきているてんです、フローベールとその「ボヴァリー夫人ふじん」をいにしている箇所かしょも、おそらくこうした意味合いみあいをつんでしょう。これぞまさしく文学ぶんがく祭典さいてん、いや、文豪ぶんごうたちのカーニバルですよ。」(本文ほんぶんより)

◆155 ちち 中澤なかざわ信一しんいちやく
 (P・デー、P・ギャヴィ、J・ランシエール、I・ヤナカキスとの対談たいだん)、「リベラシオン」よんいちごういちきゅうななねんよんがつさんじゅうにち、10-11ページ。

しょ制度せいど綿密めんみつ分析ぶんせきをふまえた歴史れきしがくとしての「共産きょうさん主義しゅぎがく」とでもべる学問がくもんがあってしかるべきなんだ。ってみればマルクス理論りろんもそういうところから科学かがくとして、教義きょうぎとして発展はってんしたわけだが、いまのところまだこの「共産きょうさん主義しゅぎがく」は未知みちなる領域りょういきでしかない。」(本文ほんぶんより)

◆156 監獄かんごくについての対談たいだん一本いっぽんとその方法ほうほう 中澤なかざわ信一しんいちやく
 (J=J・ブロシエとの対談たいだん)、「マガジーヌ・リテレール」いちいちごういちきゅうななねんろくがつ、27-33ページ。

「ところが資本しほんすすみ、原料げんりょう機器きき工作こうさく機械きかいといったかたち投資とうししたとみ庶民しょみん階級かいきゅうゆだねた時点じてんから、このとみ絶対ぜったい保護ほごする必要ひつようしょうじてきた、つまり工業こうぎょう社会しゃかいでは、とみはその所有しょゆうしゃ手元てもとにあるわけではなく、実際じっさいにそれを活用かつようして利潤りじゅんしてくれるもの直接ちょくせつゆだねられていることが必要ひつよう不可欠ふかけつだからです。このとみをどうやってまもるかといえば、もちろん厳格げんかく道徳どうとくによってでしょう。(…)人民じんみんをどうしても品行ひんこう方正ほうせいやから仕立したててあげなければならない。それにはかれらを犯罪はんざいしゃ区別くべつする、ぎゃくえば犯罪はんざいしゃグループを明確めいかく分離ぶんりして、それが金持かねもちだけでなく貧乏人びんぼうにんにとっても非常ひじょう危険きけんであり、あくというあくまったわざわいいの元凶げんきょうだということをしめ必要ひつようがあったわけです。」(本文ほんぶんより)

◆157 権力けんりょく身体しんたい 中澤なかざわ信一しんいちやく
 「ケル・コール?」だいごういちきゅうななねんきゅう-じゅうがつ、2-5ページ、(いちきゅうななねんろくがつ対談たいだん)。

おおいなる幻想げんそうは、おもうに、意志いし普遍ふへんせいによって社会しゃかいたいっているというかんがえでしょうね。ところが実際じっさい社会しゃかいたい出現しゅつげんさせるのはコンセンサスではなく、かく個人こじんのまさに身体しんたいそのものにおよぼされる権力けんりょく有形ゆうけいせいなんです。」
いち身体しんたい政治せいじたずさわるひとたちの活動かつどう統括とうかつしているのは何者なにものなんでしょう?
いちそれはきわめて複雑ふくざつ総合そうごうたいなんですよ。その全体ぜんたいだれかが構想こうそうしたなんて代物しろものじゃありません。それよりむしろ、その役割やくわり配分はいぶん機構きこう相互そうご統制とうせい調整ちょうせいなどがどうしてこれほど巧緻こうちなものになっているかをかんがえてみることが必要ひつようです。(…)だから、これら一切いっさいをつかさどった計画けいかくなんぞをさぐってみてもしょうがないんで、重要じゅうようなのは、戦略せんりゃくという観点かんてんからそれらひとひとつの木片もくへんがどのように配置はいちされたかを見極みきわめることでしょうね。」(本文ほんぶんより)

◆158 マドリードき 中澤なかざわ信一しんいちやく
 (P・ブノワが収録しゅうろくした談話だんわ内容ないよう)、「リベラシオン」さんはちごういちきゅうななねんきゅうがつじゅうよんにち、7ページ。
 いちきゅうななねんきゅうがつにち、コスタ=ガヴラス、レジス・ドゥブレ、ミシェル・フーコー、ジャン・ラクテュール、神父しんぷロードゥーズ、クロード・モーリヤック、イヴ・モンタンの各氏かくしは、フランコ政権せいけん特別とくべつ法廷ほうてい最近さいきんくだしたにんにんふくけいじゅういちめい政治せいじ活動かつどうたいするてつ首枷くびかせによる絞首刑こうしゅけい判決はんけつ抗議こうぎするむね記者きしゃ会見かいけんえた直後ちょくご、マドリードからの強制きょうせい退去たいきょめいじられた。(…)下記かき談話だんわは、いちぎょう帰国きこくにロワシー空港くうこうおこなわれた記者きしゃ会見かいけんおり収録しゅうろくされたものである。

我々われわれこうでたものは、ひとがよく勝手かって意味いみで「そりゃファシズムだ」などとっているのとは桁違けたちがいのものでした。我々われわれ実際じっさいにしたのは、きわめて洗練せんれんされかつきわめて暴力ぼうりょくてき卓越たくえつしたファシズムの姿すがたでした。」(本文ほんぶんより)

◆159 『マルグリット・デュラスについて』 中澤なかざわ信一しんいちやく
 (H・シクススとの対談たいだん)、「カイエ・ルノー=バロー」、はちきゅうごういちきゅうななねんじゅうがつ、8-22ページ。

「デュラスのことをはなすのかとおもうと、今朝けさからずっとかない気分きぶんだったんだよね。これまでんだほん映画えいがからけた印象いんしょうは、むかしいまわらずにすごく強烈きょうれつしんのこってるんだ。作品さくひんんだのはもう随分ずいぶんまえのことなのに、ありありとしんきついている。ところがいざこうしてはなしをするだんになると、そういったものがすべてどこかにってしまうようながするんだ。」(本文ほんぶんより)

◆160 精神せいしん病院びょういんせい監獄かんごく 中澤なかざわ信一しんいちやく
 (M・アルメイダ、R・クナイデルマン、M・フェルマン、R・モレノ、M・タファレル=フェルマンとの対談たいだん。サン・パウロでの対談たいだん内容ないようをC・ボジュンガが収録しゅうろくしたもので、仏語ふつごやくは、P.W・プラドJr)、「レヴィスタ・ヴェルスス」だいいちごういちきゅうななねんじゅうがつ、30-33ページ(当時とうじ、フーコーはサン・パウロ大学だいがくで「精神せいしん医学いがくてき解釈かいしゃくはん精神せいしん医学いがく」とだいする一連いちれん講義こうぎおこなっていた)。

いち個別こべつてきたたかいと全般ぜんぱんてきたたかいというふたつのたたかいを、どう両立りょうりつさせていくことができるとおかんがえですか?
いちそこがむずかしいところです。もし個別こべつてきたたかいがカモフラージュされてしまうと、そこに出現しゅつげんするのは社会しゃかい主義しゅぎ社会しゃかい特有とくゆう権力けんりょくシステムいち官僚かんりょう主義しゅぎ階級かいきゅうせい独裁どくさい主義しゅぎ伝統でんとうてき家族かぞく構造こうぞうなどいちへの転換てんかんでしょう。スターリニズムがまさにそれでした。」
いち知識ちしきじん役割やくわりかぎられてしまったということは、まさに全体ぜんたいてき哲学てつがくてき展望てんぼう危機ききむすいているとはえないでしょうか?じつ付随ふずいてき状況じょうきょうだ、と。
いちわたし総論そうろん欠如けつじょはなにも欠陥けっかんだとったんではなく、ひとつのたたかいの成果せいかとしてかたったつもりです。ようするに、我々われわれ総括そうかつとか全体ぜんたいせいといったものからも解放かいほうされるべきだということです。」(本文ほんぶんより)

◆161 ラジオスコピー 石田いしだ久仁子くにこやく
 (ラジオ番組ばんぐみ、ジャック・シャンセルとの対談たいだんいちきゅうななねんさんがつじゅうにち放送ほうそう

いちフーコーさんは教職きょうしょくいておられる。
いち教師きょうしですが、最低限さいていげん教師きょうしです、ごぞんじのように、わたしおしえていますが、講義こうぎしていますが、その場所ばしょが……
いちきわめて特殊とくしゅ場所ばしょ
いちええ、きわめて特殊とくしゅな、まさに教育きょういくすることを目的もくてきとはしていない機関きかんですから。
いちコレージュ・ド・フランスですね。
いちはい。ここがわたしによっていいのは、おしえているという印象いんしょう、つまり受講じゅこうしゃたいちから関係かんけい行使こうししているという印象いんしょうたないことです。」
いちさんがおありだったとして、もしむすめさんか息子むすこさんがきずつけられたり、ころされたとしたら、フーコーさんはそれにたいしどんな反応はんのうしめされるでしょうか?このほんをおきになりながら、そういうことをおかんがえになりましたか?きわめて重要じゅうようなことだとおもいますが。
いちええ、そのことをかんがえたとはえませんが……」(本文ほんぶんより)

◆162 狂人きょうじんよそおう 中澤なかざわ信一しんいちやく
 「ル・モンド」きゅうきゅうごういちきゅうななねんじゅうがつじゅうろくにち、17ページ(ルネ・フェレ監督かんとくいちきゅうななねん制作せいさく映画えいが「ポールの物語ものがたり」について)。

謝肉祭しゃにくさい狂人きょうじんたちは仮装かそうをし、仮面かめんこうむって街頭がいとうにくりだす。戸惑とまどいと多少たしょうおびえのじった野次馬やじうまたちの好奇こうき狂人きょうじんたちに外出がいしゅつゆるされる唯一ゆいいつ、それはふざけて、狂人きょうじんさながらかれさわぐための機会きかいでもあった。そのまつりをルネ・フェレはこの実験じっけんてき作品さくひんなかでみごとに裏返うらがえした。狂人きょうじんでない人間にんげん狂気きょうきおりれ、なるがままにまかせろ、こときと幽閉ゆうへい必然ひつぜんながれにおもいっきりゆだねて狂人きょうじんよそおえ、とめいじた。するとそこから、硬直こうちょくしたようなあの反復はんぷくてき儀礼ぎれいてき狂気きょうき姿すがたがまさに現実げんじつとなってまれたのだ。このもっと厳格げんかく規律きりつ支配しはいされるあの狂気きょうき姿すがたが。」(本文ほんぶんより)

◆163 ミシェル・フーコーいち哲学てつがくしゃ回答かいとう 中澤なかざわ新一しんいちやく
 (C・ボジュンガ、R・ロボとの対談たいだん、P.W・プラドJr仏語ふつごやく)、「ジョルナル・ダ・タルデ」いちきゅうななねんじゅういちがついちにち、12-13ページ。

いちだいさん世界せかい国々くにぐにがこうした緊急きんきゅう課題かだいいち国家こっか独立どくりつだつてい開発かいはつけてのたたかいち優先ゆうせんさせること自体じたい、「ちいさな権力けんりょく」(学校がっこう精神せいしん病院びょういん監獄かんごく)やばくたる支配しはい形態けいたい白人はくじんたい黒人こくじん男性だんせいたい女性じょせい)にたいするたたかいのんでしまうことにはならないのでしょうか?それともそれらふたつのたたかいは並行へいこうしてすすめられるものなんでしょうか?
いち我々われわれあたまなやましているのもその問題もんだいなんです。それら様々さまざまのタイプの問題もんだい重要じゅうようせいというてんから格付かくづけできるものかどうか?後先あとさきじゅんをつけられるものかどうか?まあ結局けっきょく堂々巡どうどうめぐりになってしまいます。かり従来じゅうらいだい闘争とうそういち国家こっか独立どくりつ圧制あっせい反対はんたいなどいち犠牲ぎせいにするかたちで、社会しゃかいたい末端まったん組織そしき次元じげんでのたたかいを優先ゆうせんさせた場合ばあい、ともすればそれは「牽制けんせい工作こうさくになってしまいかねない。ぎゃくに、そういう問題もんだい棚上たなあげにした場合ばあいもっと急進きゅうしんてきなグループ内部ないぶにおいてさえ、旧態きゅうたい依然いぜんとした階級かいきゅう権威けんい従属じゅうぞく支配しはい関係かんけいがそのまま踏襲とうしゅうされるはめになりかねない。これは我々われわれ世代せだいされただい問題もんだいですよ。」(本文ほんぶんより)

◆164 サド、せい法務ほうむかん 中澤なかざわ信一しんいちやく
 (G・デュポンとの対談たいだん)、「シネマトグラフ」いちろくごういちきゅうななねん十二月じゅうにがつ-いちきゅうななろくねんいちがつ、3-5ページ。

「そんなもの、つまりサドのエロチシズムなんかからはもう卒業そつぎょうすべきだといたいんです。身体しんたいやその構成こうせい要素ようそ、その表面ひょうめん体積たいせきあつみから、規律きりつとは無縁むえんのエロチシズムを創造そうぞうすることが必要ひつようなんです。偶然ぐうぜん出会であいとか下心したごころなしの快楽かいらくともなった、いまにも蒸散じょうさんしてえかねないような身体しんたいのエロチシズムをね。」(本文ほんぶんより)

◆165 異常いじょうしゃいちコレージュ・ド・フランスいちきゅうななよん-いちきゅうなな年度ねんど講義こうぎ要旨ようし 中澤なかざわ信一しんいちやく
 「コレージュ・ド・フランス年鑑ねんかん」、なな年度ねんどばん、「思考しこうシステムの歴史れきし講座こうざいちきゅうななよん-いちきゅうなな年度ねんどいちきゅうななねん、335-339ページ。

「しかし、これらの学問がくもん発生はっせいがく精神せいしん生理学せいりがくせい理論りろん)がいくらさんしゃさんようであるからといって、その特殊とくしゅせいなか帳消ちょうけしにしてしまうようなみっつの重要じゅうよう事項じこう存在そんざいしたことをわすれてはなるまい。ひとつは「変質へんしつ」の一般いっぱんろん成立せいりつであり、モレルの論文ろんぶんいちはちななねん)によってされたこの理論りろんが、そのいち世紀せいきはんにもわたり、異常いじょうしゃ判定はんてい分類ぶんるい処置しょちなど一切いっさい方法ほうほうたいする理論りろんてき基盤きばんとなったばかりか、その社会しゃかいてきおよび倫理りんりてき正当せいとうせい根拠こんきょでもありつづけたこと。だいは、あらたに配備はいびされた複雑ふくざつ制度せいどもうであり、医学いがく司法しほうとの境目さかいめ位置いちするそれが、一方いっぽうでは異常いじょうしゃの「れ」機構きこうとしての役割やくわりたしながらも、他方たほう社会しゃかいの「防衛ぼうえい」のための道具どうぐともなってきたこと。だいさんは、もっとおくれて歴史れきし登場とうじょうした異常いじょうのタイプ(子供こどもせい問題もんだい)がふたつを徐々じょじょ包含ほうがんしていったうごきであり、じゅう世紀せいきにおいてはそれがあらゆる異常いじょう説明せつめいするためのもっと強力きょうりょく原理げんりとなるにいたったことである。」(本文ほんぶんより)

引用いんよう

書評しょひょう紹介しょうかい

言及げんきゅう



作成さくせい橋口はしぐち 昌治しょうじ 
UP:20031114 REV:20100407
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