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浅野弘毅『精神医療論争史――わが国における「社会復帰」論争批判』
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精神せいしん医療いりょう論争ろんそう――わがくににおける「社会しゃかい復帰ふっき論争ろんそう批判ひはん

浅野あさの 弘毅こうき 20001010 批評社ひひょうしゃ,メンタルヘルス・ライブラリー3,211p.

last update: 20110725

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浅野あさの 弘毅こうき 20001010 『精神せいしん医療いりょう論争ろんそう――わがくににおける「社会しゃかい復帰ふっき論争ろんそう批判ひはん』,批評社ひひょうしゃ,メンタルヘルス・ライブラリー3,211p. ISBN:4-8265-0316-4 \2100 [amazon][kinokuniya] ※ m. m01h1956. m01h1958.

広告こうこく

精神せいしん障害しょうがいしゃの「社会しゃかい復帰ふっき論争ろんそう歴史れきしてきさい検討けんとうまえながら、地域ちいきにさまざまなネットワークを形成けいせいし、障害しょうがいしゃいちにん一人ひとりやまい回復かいふくうケアのありかた探究たんきゅう地域ちいきリハビリテーションの可能かのうせい提示ていじする。〈ソフトカバー〉[bk1]

著者ちょしゃ紹介しょうかい

1946ねん宮城みやぎけんまれ。東北大学とうほくだいがく医学部いがくぶ卒業そつぎょう仙台せんだい市立しりつ病院びょういん神経しんけい精神せいしん部長ぶちょうけん老人ろうじんせい痴呆ちほう疾患しっかんセンター室長しつちょう著書ちょしょに「精神せいしんデイケアの実践じっせんてき研究けんきゅう」、共著きょうちょに「精神せいしん保健ほけん」がある。[bk1]

目次もくじ

はしがき
だい1しょう 作業さぎょう療法りょうほう原型げんけい
だい2しょう 生活せいかつ療法りょうほう発見はっけん
だい3しょう 生活せいかつ療法りょうほう全盛ぜんせい
だい4しょう 生活せいかつ療法りょうほう批判ひはんはん批判ひはん
だい5しょう 生活せいかつ臨床りんしょう登場とうじょう
だい6しょう 地域ちいき精神せいしん学会がっかい興亡こうぼう
だい7しょう 小坂こさか理論りろん波紋はもん
だい8しょう 中間なかま施設しせつ論争ろんそう
だい9しょう 開放かいほう運動うんどう
だい10しょう 生活せいかつ臨床りんしょうその
だい11しょう 地域ちいきリハビリテーションの時代じだい
だい12しょう 谷中たになか輝雄てるおとやどかりのさと
だい13しょう 「精神せいしん障害しょうがいしゃ福祉ふくしほう論争ろんそう
だい14しょう 障害しょうがい構造こうぞうろん
だい15しょう 生活せいかつ技能ぎのう訓練くんれん(SST)の陥穽かんせい
終章しゅうしょう 分裂ぶんれつびょうの「回復かいふくろんと「治療ちりょうろん
引用いんよう文献ぶんけん
あとがき

引用いんよう

だいしょう 生活せいかつ療法りょうほう全盛ぜんせい

1 概念がいねん混乱こんらん

2 国立くにたち武蔵むさし療養りょうようしょ場合ばあい
 小林こばやし八郎はちろう生活せいかつ療法りょうほう(くらし療法りょうほう)」には「生活せいかつ指導しどう(しつけ療法りょうほう)」「レクリエーション療法りょうほう(あそび療法りょうほう)」「作業さぎょう療法りょうほう(はたらき療法りょうほう)」のみっつがあるのだが、ひとふたみっ基礎きそをなすとされる。
 「生活せいかつ指導しどうにはていつぎのものと高次こうじのものとがある。ていつぎのものは不潔ふけつ無為むい荒廃こうはいうち閉患しゃ対象たいしょうとし日常にちじょうてき身辺しんぺんてきらしを自律じりつてきにさせるようえざるはたらきかけをする。そしてうしなった人間にんげんてき慣習かんしゅうもどさせる。
 高次こうじのものは自発じはつせい労働ろうどう能力のうりょくはあっても人間にんげんてき規範きはんたか慣習かんしゅううしなった慢性まんせい欠陥けっかん患者かんじゃたいしておこなうものである。居住きょじゅう集団しゅうだん生活せいかつにおける作法さほう礼儀れいぎとうのしつけをおこな責任せきにんかん養成ようせいをする。」(小林こばやし[1956]、浅野あさの[2000:34]に引用いんよう

3 烏山からすやま病院びょういん場合ばあい
 もう一方いっぽう旗頭はたがしらであった烏山からすやま病院びょういんでは、1959 (昭和しょうわ34)ねんに、生活せいかつ療法りょうほう方針ほうしん西尾にしお友三郎ともさぶろう松島まつしまあきら竹村たけむら堅次けんじらによってされた。
 1960 (昭和しょうわ35)ねんには、「生活せいかつ療法りょうほうかんする服務ふくむ要領ようりょう」がさだめられ、その改訂かいていかさね、「生活せいかつ療法りょうほう服務ふくむ規定きてい」(l96lとし)「生活せいかつ療法りょうほう服務ふくむ基準きじゅん」(1965ねん)となっていく。
 医師いし看護かんごについても、それぞれ「医師いし服務ふくむ規定きてい」(1962しゃくねん)「看護かんご服務ふくむ基準きじゅん」(1962ねん制定せいてい、1965ねん改訂かいてい)がしめされている。
このように、病院びょういんないしょ活動かつどうをさまざまな規定きてい基準きじゅん規制きせいしようとしたのが烏山からすやま病院びょういんにおける生活せいかつ療法りょうほう特徴とくちょうである。
 もうひとつの特徴とくちょうは、病棟びょうとう機能きのうべつ配置はいちしたことで、1961(昭和しょうわ36ねん)に最初さいしょの4単位たんい病棟びょうとう構成こうせいがとられた。
 竹村たけむらは、烏山からすやま病院びょういんにおける生活せいかつ療法りょうほうについて、つぎのように説明せつめいしている。
 「とういんでは開放かいほう病棟びょうとう管理かんり重点じゅうてんをおき、し生活せいかつ指導しどう、2.レク療法りょうほう、3.作業さぎょう療法りょうほう、4.社会しゃかいてき療法りょうほう(または社会しゃかい治療ちりょう)に4大別たいべつしています。このため病棟びょうとう区分くぶんもさしあたり、1.治療ちりょう病棟びょうとう、2.生活せいかつ指導しどう病棟びょうとう、3.<0038<作業病棟、4.社会復帰病棟の機能別4単位(男女別計8単位)にするのが便利と考えました。このように病棟を区分すると、入院患者の流れは治療病棟からはじまり、身体的治療後の病状に応じて他の病棟へ、最後には社会復帰病棟へと移ることになります。治療の内容を模式化すれば、
     いち生活せいかつ指導しどういち集団しゅうだん療法りょうほう導入どうにゅう
開放かいほう管理かんりいちいち作業さぎょう・レクいち組織そしき
     いち社会しゃかい治療ちりょういち社会しゃかい復帰ふっき活動かつどう
となります。
 このような病棟びょうとう移動いどうは、あくまでも生活せいかつ療法りょうほう中心ちゅうしん主義しゅぎではじめて徹底てっていできるのですが、実際じっさいにやってみますと、かなりおおきな効果こうかがあるものです。」6)
 小林こばやしとのちがいは、社会しゃかい治療ちりょうしょうするものが追加ついかされていることと、治療ちりょう段階だんかいてきとらえて病棟びょうとう構成こうせいをそれに対応たいおうさせていることである。
竹村たけむらがここで提起ていきしている社会しゃかい治療ちりょう(ないし社会しゃかい療法りょうほう)という概念がいねんははなはだ奇妙きみょうである。べつのところで、竹村たけむらはつぎのようにべている。
 「社会しゃかい療法りょうほう社会しゃかい復帰ふっきざす集団しゅうだん療法りょうほう生活せいかつ療法りょうほうのなかにふくまれ、広義こうぎ生活せいかつ指導しどうのなかにも拡散かくさん浸透しんとうしていく」7)というのである。
 これでは、生活せいかつ指導しどうとのちがいが雲散霧消うんさんむしょうしてしまう。
 しかも社会しゃかい復帰ふっき病棟びょうとうおこなわれた社会しゃかい治療ちりょう実際じっさいは、たかだか院内いんない作業さぎょうおよひび院外いんがい作業さぎょうにすぎなかった。
 そのことにことさら拘泥こうでいするのは、病院びょういんのなかでおこなわれた生活せいかつ指導しどう作業さぎょう社会しゃかい治療ちりょうなる言葉ことばかんすることによって、問題もんだい所在しょざいをあいまいにし、しかも院内いんない治療ちりょう完結かんけつするがごとき幻想げんそうをばらまいたからである。
 さて、「生活せいかつ療法りょうほうかんする服務ふくむ規定きてい」のなかでは、生活せいかつ療法りょうほうとは、作業さぎょう療法りょうほう、レクリェーション療法りょうほう生活せいかつ指導しどう総称そうしょうしたもので、入院にゅういん患者かんじゃ生活せいかつ管理かんりだい部分ぶぶんめると定義ていぎされている。<0039<
 なかでも「病棟びょうとう管理かんり生活せいかつ療法りょうほう根幹こんかん」であるとされた。
 また、生活せいかつ指導しどうについては、「しつけをおこなうという、いわば生活せいかつのリズムをひとなみに回復かいふくさせるためのさい教育きょういくである。起床きしょうから就寝しゅうしんに、さら夜間やかんのトイレット・トレーニングにいたる24あいだ生活せいかつにあって、指導しどうすべき項目こうもくかぎりなくある。この生活せいかつ指導しどうは、レク・作業さぎょう基礎きそとなり、またこのしゃ組合くみあいわされて生活せいかつ療法りょうほうつ」8)とべ、その重要じゅうようせい強調きょうちょうしている。
 このようなかんがかた根底こんていにあって、病棟びょうとうごと日課にっかひょうしゅうとい予定よていひょうつくられていった。
 たとえば、生活せいかつ指導しどう病棟びょうとう日課にっかひょう以下いかのごとくである。
午前ごぜん6.00起床きしょう洗面せんめん喫煙きつえん服薬ふくやく
  7.20朝食ちょうしょく〜ホール掃除そうじ喫煙きつえん
  9.00ラジオ体操たいそう私物しぶつ整理せいり(ホ),ゆかみがき(
  9.20作業さぎょう室内しつない養鶏ようけい園芸えんげい
  9.30グループかい
  10.30ホール掃除そうじ喫煙きつえん牛乳ぎゅうにゅう
  11.20昼食ちゅうしょく服薬ふくやく〜ホール掃除そうじ喫煙きつえん
午後ごご0.30入浴にゅうよくきむ
  1.00レク・昼寝ひるねなつ
  2.00絵画かいが),"コーラスおよげ
  2.30点呼てんこ〜おやつ,喫煙きつえん
  4.20夕食ゆうしょく服薬ふくやく〜ホール掃除そうじ喫煙きつえん
  5.10シャワーよくなつ
  5.45喫煙きつえん
  6.00就床しゅうしょう準備じゅんびひげ
  8.00更衣ころもがえ服薬ふくやく
  9.00消灯しょうとう
 かくしてはんしたような生活せいかつがくるもくるつづくのである。また、この患者かんじゃ日課にっかひょう対応たいおうするかたちで、看護かんごしゃ日課にっかひょうぶんきぎみで作成さくせいされている。
 さらに、生活せいかつ指導しどう病棟びょうとう実施じっしされた作業さぎょうについてはっぎのようにかんがえられていた。
 「一般いっぱん慢性まんせい欠陥けっかん分裂ぶんれつびょうたいしてはひろ生活せいかつ指導しどうが、その基本きほんてき治療ちりょうであることはいうまでもない。無為むい不潔ふけつ怠惰たいだ閉のからじこもったぼうぜんとした生活せいかつ欠陥けっかんとホスピタリズム、これらをやぶるためには、基本きほんてき日常にちじょう生活せいかつ習慣しゅうかん回復かいふく人間にんげんてき生活せいかつ回復かいふくからはじめなければならない。
 患者かんじゃをめぐる日常にちじょう生活せいかつなかから、すぐ身近みぢかにあって、生活せいかつ指導しどうむすびっいた仕事しごとけ、治療ちりょうとして利用りようし、病棟びょうとうない日常にちじょう生活せいかつ治療ちりょうてき有効ゆうこうごさせるようにすべきである。」9)
 その結果けっか本来ほんらい病院びょういん職員しょくいん業務ぎょうむであるはずの各種かくしゅ作業さぎょうが、作業さぎょう療法りょうほうという名目めいもく患者かんじゃてられることとなった。
 配膳はいぜん当番とうばんはいしょく当番とうばん便所べんじょ掃除そうじ・ホール掃除そうじ風呂ふろ手伝てつだい・ゆかみがき・布団ふとん介助かいじょみがき当番とうばん残飯ざんぱんがかり手洗てあら誘導ゆうどう・チャイムがかり洗面せんめんしょ清掃せいそう・べット部屋へや掃除そうじ廊下ろうか掃除そうじ・ちりひろえ掃除そうじかく部屋へや掃除そうじ新聞しんぶん当番とうばんあしあら当番とうばん買物かいものはこび・おむつはこび・洗濯せんたくぶつはこび・つつみぬのはこびときりがない。
 こうした作業さぎょう治療ちりょう一環いっかん位置いちづけられることにより、使役しえき免罪めんざいされることとなった。
 ところで、烏山からすやま病院びょういんにおける生活せいかつ療法りょうほう体系たいけいしたひとびとが、精神分裂病せいしんぶんれつびょうをどのようにとらえていたかは興味きょうみあるところである。
 中心ちゅうしんてき役割やくわりたした竹村たけむらは、分裂ぶんれつびょう成因せいいんについて「遺伝いでんはらはじめ想定そうていなくして成因せいいんかんがえることはできない。分裂ぶんれつびょう異種いしゅせい周知しゅうち事実じじつとして、すくなくとも浸透しんとう表現ひょうげんせいことなる、かっ臨床りんしょうじょう特殊とくしゅせい発揮はっきする<0041<こともありうる単一(優性)遺伝子の常染色体上の存在を予告してよい。もちろん多因子性、劣性等の遺伝様式も、異種性を認める以上否定しえないが、やはり優性遺伝の根拠を否定することはできない。」10)皿と述べ、遺伝性の疾患であるという考えを強く持っていた。
宿命しゅくめいてきやまいである分裂ぶんれつびょう期待きたいできるのは、たかだか社会しゃかいてき適応てきおうである。したがって生活せいかつ指導しどう日常にちじょう生活せいかつのすみずみまで徹底てっていして、「しつけ」をすることが重要じゅうようであるとかんがえたのであろう。

4 生活せいかつ療法りょうほう破綻はたん

 国立くにたち武蔵むさし療養りょうようしょ烏山からすやま病院びょういん生活せいかつ療法りょうほうは、1957 (昭和しょうわ32)ねん発足ほっそくした病院びょういん精神せいしん医学いがく懇話こんわかい舞台ぶたい華々はなばなしく喧伝けんでんされ、全国ぜんこくひろまった。
 薬物やくぶつ療法りょうほう出現しゅつげんともあいまって、精神せいしん病院びょういんない治療ちりょうてき再編さいへんしょうとかんがえていたひとびとに、ひとつの方向ほうこうせいしめしたのである。
 ある意味いみで、生活せいかつ療法りょうほう管理かんり形態けいたいは、病院びょういん運営うんえい一定いってい近代きんだいをもたらした。
 しかしながら、増殖ぞうしょくつづける精神せいしん病院びょういんのなかで、入院にゅういん患者かんじゃ在院ざいいん日数にっすう延長えんちょうするばかりでであった。
 しかも、生活せいかつ療法りょうほう積極せっきょくてきんだ病院びょういんほど、患者かんじゃ入院にゅういん長引ながびくという事態じたい進行しんこうしたのである。
 あたりまえの生活せいかつとはかけはなれた環境かんきょう生活せいかつうばわれた環境かんきょうのもとで、ことこまかに毎日まいにち行動こうどう監視かんしされるのが生活せいかつ療法りょうほうである。
 治療ちりょうしゃ意向いこうにそうような行動こうどうれなければ、退院たいいん許可きょかはおりないということになり、社会しゃかいはますますとおのくことになった。
 さらに、院内いんない使役しえき作業さぎょうもすべて生活せいかつ療法りょうほうとしての意味いみをもっとされたため、全国ぜんこく各地かくち病院びょういんで、患者かんじゃ使役しえき収奪しゅうだつ公然こうぜんおこなわれた。<0042<
 かくして、病院びょういんない生活せいかつ治療ちりょうてき再編さいへんしようとくわだてた生活せいかつ療法りょうほうは、精神せいしん病院びょういん収容しゅうようしょすことによってみずか破綻はたんしたのである。」(浅野あさの[2000:38-43])

6) 竹村たけむら堅次けんじ生活せいかつ療法りょうほうおもとする烏山からすやま病院びょういん5年間ねんかんのあゆみ.松沢まつざわ病院びょういん医局いきょくへん:これからの精神せいしん病院びょういんシリーズ.1966.
7) 竹村たけむら堅次けんじ社会しゃかい療法りょうほう小林こばやし八郎はちろうほかへん精神せいしん作業さぎょう療法りょうほう医学書院いがくしょいん,1970.
8) 烏山からすやま病院びょういん問題もんだい資料しりょう刊行かんこうかいへん:烏山からすやま問題もんだい資料しりょうとりそらさかなみずひと社会しゃかいに.精神せいしん医療いりょう委員いいんかい,1981.
9) 多賀たがたにゆずるほか:生活せいかつ指導しどう作業さぎょう.[文献ぶんけん8)所収しょしゅう]
10)竹村たけむら堅次けんじ:日本にっぽん収容しゅうようしょ列島れっとうの60ねん近代きんだい文藝ぶんげいしゃ.1988.

 「しつけをおこなうという、いわば生活せいかつのリズムをひとなみに回復かいふくさせるためのさい教育きょういくである。起床きしょうから就寝しゅうしんに、さら夜間やかんのトイレット・トレーニングにいたる24あいだ生活せいかつにあって、指導しどうすべき項目こうもくかぎりなくある。この生活せいかつ指導しどうは、レク・作業さぎょう基礎きそとなり、またこのしゃ組合くみあいわされて生活せいかつ療法りょうほうつ」(烏丸からすま病院びょういん問題もんだい資料しりょう刊行かんこうかいへん[1981]、浅野あさの[2000:40])
烏山からすやま病院びょういんあいだだい資料しりょう刊行かんこうかいへん 1981 『烏山からすやま問題もんだい資料しりょうT――とりそらさかなみずひと社会しゃかいに』,精神せいしん医療いりょう委員いいんかい

だい69かい日本にっぽん精神せいしん神経しんけい学会がっかい総会そうかい(1972ねん)は、シンポジウムのテーマとして「生活せいかつ療法りょうほう」をとりあげた。」(浅野あさの[2000:47])〜小澤おざわいさおによる批判ひはん

だいしょう 地域ちいき精神せいしん学会がっかい興亡こうぼう

 1967ねん設立せつりつ
 すっぽんかい
小池こいけ きよしれん 1989 「いちきゅうろく年代ねんだい精神せいしん医療いりょう運動うんどうをかえりみて」,『精神せいしん医療いりょう』18-1
藤澤ふじさわ敏雄としお 1983 「地域ちいき精神せいしん医療いりょうとはなにであったかT」,『精神せいしん医療いりょう』12-4:9

だい10しょう 生活せいかつ臨床りんしょうその

1 方向ほうこう転換てんかん

 1984(昭和しょうわ59)ねんだいは「生活せいかつ療法りょうほう復権ふっけん」1)とだいする論文ろんぶん発表はっぴょうした。この論文ろんぶんあたえた衝撃しょうげきちいさくなかった。
 だい1は、1969(昭和しょうわ44)ねんから東京大学とうきょうだいがく精神せいしん展開てんかいされていた医局いきょく講座こうざせい解体かいたい自主じしゅ管理かんり闘争とうそう 2)のいっぽうの当事とうじしゃとして、また日本にっぽん精神せいしん神経しんけい学会がっかいでは「人体じんたい実験じっけん」3.4)の実施じっししゃとして、批判ひはん矢面やおもてたされたとうひとが、退官たいかん雌伏しふく10ねんにふたたびひつをとったことへの衝撃しょうげきであった。その不撓ふとう精神せいしんによって、だい復権ふっけんつよ印象いんしょうづけたのである。
 衝撃しょうげきだい2は、論文ろんぶん内容ないようかんすることがらである。だいは、論文ろんぶんなかで、生活せいかつ臨床りんしょう生活せいかつ療法りょうほう区別くべつをあいまいにし、すべてを生活せいかつ療法りょうほう溶融ようゆうさせてしまった。また、生活せいかつ臨床りんしょうたいする批判ひはんしゃ言説げんせつをつぎつぎみ、ちがいを不鮮明ふせんめいにして、だいがいうところの生活せいかつ療法りょうほう包摂ほうせつしようとしたのである。あきらかな方向ほうこう転換てんかんであった。

2 「生活せいかつ療法りょうほう復権ふっけん

 「生活せいかつ療法りょうほうは、その一部いちぶをなす作業さぎょう療法りょうほうふくめて、わがくに精神せいしん医療いりょう <0109<に古い伝統をもつ治療活動である。にもかかわらず、近年不当におとしめられた時期があった」との書き出しで臺の論文ははじまっている。

  「精神せいしん医療いりょう体系たいけい貧困ひんこんから、生活せいかつ療法りょうほう作業さぎょう療法りょうほうのもとに、おおくの医療いりょうてき行為こういおこなわれたから、治療ちりょう以前いぜん問題もんだいまでからんできた。そしてこの弊害へいがい批判ひはん出発しゅっぱつてんとしたわか人達ひとたちなかには、生活せいかつ療法りょうほう概念がいねん否定ひていこそただしいとおもんでしまったひとびとがある」「生活せいかつ療法りょうほう批判ひはんには、価値かち転換てんかんろんはん体制たいせい運動うんどう混同こんどうされ、技術ぎじゅつ主義しゅぎがおとしめられて精神せいしん主義しゅぎさけばれ、漸進ぜんしん急進きゅうしんという路線ろせんじょう相違そうい手直てなおろん世直よなおろんがからんでいた。そこでは原則げんそくろんprincipleと優先ゆうせんせいpriorityと実行じっこう可能かのうせいfeasibilityの区別くべつあきらかでないままに、政治せいじてき感情かんじょうてき利害りがい関係かんけい対立たいりつうず建設けんせつてき論議ろんぎはばんでいた」

 とべて、当時とうじ生活せいかつ療法りょうほう批判ひはんをあらためて非難ひなんした。
 そして「10ねんむなしくぎたといういたみがつよい」という歴史れきし認識にんしきしめして、ルサンチマンを吐露とろしている。
 だいは、生活せいかつ療法りょうほう批判ひはんけた烏山からすやま病院びょういん問題もんだいは、生活せいかつ療法りょうほう本質ほんしつ由来ゆらいしたものではなく、組織そしき個人こじん矛盾むじゅんにすぎなかったので、技術ぎじゅつてき処理しょり可能かのうだったとしている。しかし、この問題もんだいについては、本書ほんしょでさきにふれたように、けっして技術ぎじゅつてき問題もんだい還元かんげんできない本質ほんしつてき思想しそう相違そういふくまれていたのである。
 また「初期しょき生活せいかつ臨床りんしょうに、表現ひょうげんのうえで訓練くんれんめんつよあらわれていたこともいなみがたい」「作業さぎょう療法りょうほう生活せいかつ療法りょうほうは、はたらばたらけ、世渡よわたりをうまくこなせと気合きあいをかけすぎたきらいがある。そこに画一かくいつ主義しゅぎ生産せいさんだいいち主義しゅぎ治療ちりょうしゃ価値かちかんしつけなどという批判ひはんまれてきた理由りゆうひとつがある」と批判ひはん背景はいけい分析ぶんせきしながら、つづけて「だが生活せいかつ療法りょうほうにたずさわるものは、患者かんじゃしつけられてうごくものでなく、それには『きっかけ』が必要ひつようで、患者かんじゃ治療ちりょうしゃ自分じぶん実際じっさいにたずさわってみて、『こつ』をつかむものであることをはやくからっていた」とう。そのことと訓練くんれんつよすすめて<0110<合をかけることとの撞着については認識されていないかのようである。
 つぎにだいは、批判ひはんしゃたちの主張しゅちょうをとりあげている。たとえば小澤おざわ論文ろんぶん 5)をいにして「批判ひはんしゃたちも現実げんじつ路線ろせんもどれば、生活せいかつ療法りょうほう実践じっせんにとりくまざるをえなくなった」証左しょうさであるとべている。これは小澤おざわ論文ろんぶん誤読ごどくでなければ、意図いとてき歪曲わいきょくである。
 小澤おざわ論文ろんぶんのなかで「〈療法りょうほう〉として〈生活せいかつ〉があたえられるという構造こうぞうぎゃくたおせしめよ、患者かんじゃみずからの〈生活せいかつ〉を奪還だっかんするたたかいとわれわれがいかに共闘きょうとうるのかという視点してんこそ、われわれの立場たちばでなければならない」としるしたうえで、「現実げんじつ精神せいしん医療いりょう構造こうぞう、さらにはそれをした社会しゃかい構造こうぞう生活せいかつ構造こうぞう根底こんていてき変革へんかくされないかぎり、生活せいかつ療法りょうほう普遍ふへんてきのりこえは不可能ふかのうである」とべ、それにつづけて「これはようするに、いかに生活せいかつ療法りょうほう批判ひはんしつづけてきたわたしとて現実げんじつ場面ばめんでは〈生活せいかつ療法りょうほう〉として機能きのうせざるをない状況じょうきょうにいるということである」とっているのである。
 おそらく最後さいご文言もんごん逆手さかてにとって、だいうえのように引用いんようしたものとおもわれるが、小澤おざわ論文ろんぶんには病院びょういんにおけるかれはん生活せいかつ療法りょうほうてき実践じっせん具体ぐたいれい提示ていじされているのであって、趣旨しゅしがまったくちがっている。
 だいは、中井なかい 6.7)や神田かんだきょう 8)の論文ろんぶんについても「精神せいしん病理びょうり精神療法せいしんりょうほうほのかの発言はつげんは、一見いっけん生活せいかつ療法りょうほうとははんするようなかたちでそれとはわずに、障害しょうがい受容じゅようをとりあげるようになった」とたように牽強付会けんきょうふかいおこなっている。
 結論けつろんとして、だいは、作業さぎょう療法りょうほう生活せいかつ療法りょうほう一部いちぶであり、生活せいかつ臨床りんしょう社会しゃかいのなかでの生活せいかつ療法りょうほうであるとべるにいたり、作業さぎょう療法りょうほう生活せいかつ臨床りんしょう独自どくじせいをあいまいにしてしまった。
 そして「生活せいかつ療法りょうほう一方いっぽうきょくに、せま意味いみでの行動こうどう療法りょうほう神経症しんけいしょうてき性癖せいへき行動こうどう異常いじょうなどの変容へんようもちいられる技法ぎほうち、他方たほうきょくに、障害しょうがい克服こくふくのための啓発けいはつ自己じこ発見はっけんなどの精神療法せいしんりょうほうかさなり幅広はばひろいスペクトルをっている」とした。
 このようにありとあらゆるものを包含ほうがんしているのが、生活せいかつ療法りょうほうであり、<0111<わが国の精神科医達は自分たちが実践していることが生活療法であることに気づいていないだけのことであると主張するのである。
 だい主張しゅちょうする生活せいかつ療法りょうほうがそのようなものであれば、やはり「生活せいかつ療法りょうほう概念がいねん否定ひていこそただしいとおもんで」しまわないわけにはいかない。若者わかものたちが治療ちりょう以前いぜん問題もんだい生活せいかつ療法りょうほうとを混同こんどうしていると批判ひはんしたとうひとが、作業さぎょう療法りょうほう生活せいかつ臨床りんしょう生活せいかつ療法りょうほう混同こんどうしているのである。
 この論文ろんぶんで、だい復権ふっけんしたが、生活せいかつ療法りょうほう復権ふっけんしなかった。

3 生活せいかつ臨床りんしょう危機きき分岐ぶんき

 湯浅ゆあさは1987(昭和しょうわ62)ねん時点じてんで、生活せいかつ臨床りんしょう運動うんどうの「そとなる危機ききうちなる危機きき」についてとりあげている 9)。
 そとなる危機ききには3つの原因げんいんがあるという。
 だいlは、社会しゃかい変動へんどう由来ゆらいするものであり、生活せいかつ変貌へんぼうによって、生活せいかつ臨床りんしょう職業しょくぎょう指針ししん結婚けっこん指針ししん時代じだい即応そくおうしなくなっており、見直みなおしの必要ひつようせまられている。
 だい2は、生物せいぶつがくてき研究けんきゅう時代じだい主流しゅりゅうとなったために、長期ちょうき臨床りんしょう研究けんきゅう許容きょようされなくなった。
 だい3は、学会がっかい紛争ふんそう精神せいしん病院びょういん不祥事ふしょうじなどの精神せいしん医学いがくかい混乱こんらんによって、精神せいしん医療いりょう関係かんけいしゃ士気しき低下ていかしたというのである。
 うちなる危機ききは、1974(昭和しょうわ49)ねん江熊えぐま急逝きゅうせいであった。その結果けっか、まとまりのあった生活せいかつ臨床りんしょうグループは「ポスト江熊えぐま多極化たきょくか時代じだい」にはいり、精神療法せいしんりょうほう家族かぞく研究けんきゅう長期ちょうき経過けいか研究けんきゅうとうへと分岐ぶんきした。沈滞ちんたいから拡散かくさんへとかったのである。しかし「ひゃくいえそうてんじて百鬼夜行ひゃっきやこうがまかりとおり、分裂ぶんれつびょう研究けんきゅうしゃ分裂ぶんれつするのはいち生活せいかつ臨床りんしょう問題もんだいではなく、ほんびょう研究けんきゅうたずさわるもの自戒じかいすべき通弊つうへいおもわれる」ともいう。<0112<
 ところで、1985(昭和しょうわ60)ねん神田かんだきょう司会しかいしゃとしておこなわれた座談ざだんかい 10)でも、湯浅ゆあさはしきりに「生活せいかつ臨床りんしょうのアイデンティティ・クライシス」を強調きょうちょうしているが、出席しゅっせきした生活せいかつ臨床りんしょう同人どうじんたちのあいだでは、かならずしも危機きき意識いしき共有きょうゆうされなかったことは興味深きょうみぶかい。
 これよりまえおこなわれた「若手わかて医師いしによる報告ほうこく」11)はやや深刻しんこくである。それによると、群馬ぐんまにおける地域ちいき活動かつどうは、「放置ほうち患者かんじゃをへらし、通院つういん患者かんじゃをふやし、軽快けいかいしゃ大幅おおはばにふやした。しかしながら入院にゅういんすうらすことができなかった。その主因しゅいんは、活動かつどう開始かいしにすでに入院にゅういんちゅうであった長期ちょうき入院にゅういんしゃ退院たいいんさせることができなかったゆえである」という。
 そして「統計とうけいでみるかぎり、地域ちいき精神せいしん衛生えいせい活動かつどう無力むりょくであったといわざるをえない」「保健ほけん中心ちゅうしんとした精神せいしん衛生えいせい活動かつどうは、この10年余ねんよあいだおおきく発展はってんした。しかし、その活動かつどうびは、ここすうねんかんばしいものではない」「地域ちいき精神せいしん医学いがくは、群馬ぐんまにおいても、精神せいしん医療いりょう様相ようそうえるまでにはなっていないというのである。

 こうした現象げんしょう群馬ぐんまかぎったことではなく、生活せいかつ臨床りんしょうかぎったはなしでもない。日本にっぽん地域ちいき精神せいしん医療いりょう全体ぜんたいつうじることがらである。

 「『放置ほうち患者かんじゃ』を『医療いりょうにのせる』という対応たいおう家族かぞく住民じゅうみんのニードのみでおこなわれるとき、患者かんじゃ地域ちいきからの排除はいじょ結果けっかしたとおなじように、『さい悪化あっか防止ぼうし』の活動かつどうが『医療いりょう中断ちゅうだんへのはたらきかけ』として、病院びょういん医療いりょうしゃからの要請ようせいおこなわれるとき、それは病院びょういんない処遇しょぐう管理かんり地域ちいきへの延長えんちょうとなり患者かんじゃをより苛酷かこく状態じょうたいいやることになるのである」 「『気軽きがる往診おうしんしてくれたり、相談そうだんける』ことのない精神せいしん病院びょういんをそのままにしておこなわれる『地域ちいき精神せいしん医療いりょう』は、ただまぼろしのものであるだけでなく、現在げんざい拡大かくだいつづける精神せいしん病院びょういんへの大量たいりょう長期ちょうき収容しゅうよう病院びょういんそとからうながし、この『病院びょういん』ならざる『病院びょういん』の矛盾むじゅんからをそらすてんで、またこの『病院びょういん』の影響えいきょう積極せっきょくてき地域ちいき病院びょういんがいにまで延長えんちょうするというてんおおきなつみがあるといわねばならない」<0113<

というしま批判ひはん 12)はいまきている。
 1984 (昭和しょうわ59)ねんみやら 13)は、分裂ぶんれつ病者びょうしゃ140めい対象たいしょうに、追跡ついせき期間きかんが16〜21ねんにおよぶ、長期ちょうき経過けいか研究けんきゅう発表はっぴょうした。 
 この長期ちょうき経過けいか研究けんきゅう前半ぜんはん10ねんは、組織そしきだった生活せいかつ臨床りんしょうてきはたらきかけが精力せいりょくてきおこなわれ、後半こうはん一般いっぱんてき精神せいしん臨床りんしょうのなかで治療ちりょうされた分裂ぶんれつ病者びょうしゃについての経過けいか転帰てんきである。
 それによると、社会しゃかい適応てきおうが「はん自立じりつ」と「家庭かていない」という中間ちゅうかんぐんは、時間じかん経過けいかとともに連続れんぞくてき減少げんしょうつづけ、最終さいしゅうてきには「自立じりつ」かしからずんば「入院にゅういん」または「死亡しぼう」というきびしい分極ぶんきょくこっていた。この現象げんしょうかれらは「やっとこじょう現象げんしょう」とづけた。そして、当初とうしょより良好りょうこう社会しゃかい適応てきおうしめした「自立じりつ」のぐん時間じかん経過けいかのなかでもっとも変動へんどうすくなかったのである。
「20ねん転帰てんきでは、ふたたしんさぶられるような成績せいせきをみることになった。くなったひとたちをのぞいて、半数はんすうひとたちが自立じりつしているのは心強こころづよいことだったが、他方たほうにはまたやく1/3のひとたちが入院にゅういんしていたのである。これではむかしわらないではないか」14)とだい嘆息たんそくさせる結果けっかとなったのである。

4 そとなる批判ひはんないなる批判ひはん

 湯浅ゆあさ鈴木すずき 15)は、生活せいかつ臨床りんしょう治療ちりょう共同きょうどうたいという2つの治療ちりょうほう比較ひかく共同きょうどう研究けんきゅうおこなった。
 それによれば、生活せいかつ臨床りんしょう治療ちりょう共同きょうどうたいちがいは、結局けっきょくのところ、個人こじん療法りょうほう集団しゅうだん療法りょうほう差異さいいてしまうという。「当時とうじ生活せいかつ療法りょうほう画一かくいつてきぼつ個性こせいてき弊害へいがいへのつよ反省はんせいから、生活せいかつ臨床りんしょう発足ほっそくした経緯けいいもあり、その反動はんどうとして、一時いちじ個人こじん療法りょうほうてき色彩しきさい濃厚のうこう時期じきがあった」と2人ふたりべている。 <0114<
 ところで「生活せいかつ」の概念がいねんをめぐっては、両者りょうしゃにつぎのような相違そういがあるという。生活せいかつ臨床りんしょうにおいては、「仕事しごととつきあい」を中心ちゅうしんにおき、睡眠すいみん食事しょくじなどの比較的ひかくてき生物せいぶつがくてき側面そくめんまでふくめており、はなはだしく包括ほうかつてきで、概念がいねん規定きてい境界きょうかいがあいまいである。一方いっぽう治療ちりょう共同きょうどうたいは、社会しゃかいてきな「人間にんげん関係かんけい」のある生活せいかつとしてとらえる。したがって、親子おやこ夫婦ふうふ関係かんけい友人ゆうじんとの関係かんけい病棟びょうとうない患者かんじゃあいだ人間にんげん模様もようなどのすべてが、生活せいかつとして把握はあくされる。そしてそれらのsocial interactionのhere and nowの持続じぞくてき検討けんとうがliving-learning(生活せいかつにおける学習がくしゅう)あるいはsocial learning(社会しゃかいてき学習がくしゅう)といわれる治療ちりょう中心ちゅうしんとなる。
 いいかえると患者かんじゃ治療ちりょうしゃ関係かんけいふくめた人間にんげん関係かんけいのありように着目ちゃくもくするかかがおおきな相違そういてんえよう。
 ところでだいは「生活せいかつ療法りょうほう復権ふっけん」1)のなかで、治療ちりょう共同きょうどうたい批判ひはんしてつぎのようにべている。「治療ちりょう共同きょうどうたい理念りねんは、組織そしきたい個人こじん矛盾むじゅん治療ちりょうてき活用かつようしようとする野心やしんてきなものであるが、治療ちりょうしゃ裁量さいりょう障害しょうがいしゃ自己じこ決定けっていをきわどく使つかいわけるので、じゅう欺瞞ぎまんてきである」と。
 神田かんだきょうら 16)は、閉療ほう生活せいかつ臨床りんしょう比較ひかく検討けんとうした。閉療ほう生活せいかつ臨床りんしょうには共通きょうつうてんもあるが「一見いっけんちいさな差異さいのようにえるもののなかに、じつ両者りょうしゃ重要じゅうよう差異さいがひそんでいる。そしてそのは、両者りょうしゃ出発しゅっぱつてん、いいかえると先入観せんにゅうかん起因きいんするようである」という。
 決定的けっていてき相違そうい治療ちりょうしゃ役割やくわりについての治療ちりょうしゃがわ認識にんしきにあるという。それは、閉療ほうでは治療ちりょうしゃ存在そんざい原則げんそくとして有害ゆうがいであるとかんがえるのにたいして、生活せいかつ臨床りんしょうではつねに有益ゆうえきかんがえているてんにある。閉療ほうでは、患者かんじゃ他者たしゃとの感情かんじょうてき接触せっしょくむすぶときに、危機きき状況じょうきょうまれるととらえる。「尽力じんりょくてき」な相手あいては、患者かんじゃのなかに近寄ちかよりたいという気持きもちをかきたてるゆえに、ひときわ有害ゆうがいである。したがって、治療ちりょうしゃ患者かんじゃ関係かんけいのなかにも危機きき状況じょうきょう有害ゆうがいなものが内包ないほうしているとかんがえるのである。一方いっぽう生活せいかつ臨床りんしょうでは、治療ちりょうしゃ患者かんじゃ関係かんけいを「信用しんよう関係かんけい」と規定きていする。 <0115<
 もうひとつの決定的けっていてき差異さいは、治療ちりょう目標もくひょう問題もんだいである。閉療ほうにおいて、第一義だいいちぎてき追求ついきゅうされているのは、あくまでも患者かんじゃ外界がいかい認識にんしきしゅとして対人たいじん関係かんけい)と自己じこ洞察どうさつ深化しんかであり、行動こうどう変化へんかてきなものとみなされている。ところが、「生活せいかつ臨床りんしょうにおいては、危機きき状況じょうきょう回避かいひ経験けいけんをとおして、患者かんじゃ生活せいかつ安定あんているための生活せいかつじょう知恵ちえあたらしい、より適応てきおうてき行動こうどう獲得かくとくし、生活せいかつ水準すいじゅん段階だんかいてき向上こうじょうすることを第一義だいいちぎてきざしている」という。
 だいは「生活せいかつ療法りょうほう復権ふっけん」1)に、この論文ろんぶん引用いんようして「このような所説しょせつは、従来じゅうらい生活せいかつ療法りょうほうきょいたかたち問題もんだい所在しょざいあきらかにした」とべながら、結局けっきょく「これは生活せいかつ障害しょうがい現状げんじょう認識にんしき障害しょうがい受容じゅようつうずることをしめしている」とんでしまうのである。我田引水がでんいんすいとはこのことである。
 宮内くないら 17.18)は、東大とうだい精神せいしんのデイ・ホスピタル(DH)で、生活せいかつ臨床りんしょう治療ちりょう共同きょうどうたい統合とうごうするこころみをおこなった。「DHが生活せいかつ臨床りんしょう適用てきよう可能かのうせいゆたかにとなるために、治療ちりょう共同きょうどうたい理念りねん採用さいようすることが有益ゆうえき」17)とかんがえ、「実行じっこう委員いいんかい方式ほうしき」を採用さいようして、「生活せいかつ臨床りんしょう分野ぶんやおくれていた治療ちりょうてき集団しゅうだんづくりを可能かのうとした」18)という。そして実際じっさいに「患者かんじゃはDHの主人公しゅじんこうとしてきとい、DHの集団しゅうだんつ『誘引ゆういん』も飛躍ひやくてきつよまった 17)と報告ほうこくしている。その実践じっせんのなかから、生活せいかつ臨床りんしょうはたらきかけの手法しゅほう、すなわち、(1)時機じきせず、(2)具体ぐたいてきに、(3)断定だんていてきに、(4)反復はんぷくして、 (5)余分よぶんなことはわない、の5原則げんそくはたらきかけても奏効そうこうせず、かえって混乱こんらんする分裂ぶんれつびょう一群いちぐんがあることを発見はっけんし、このぐんを「自己じこ啓発けいはつがた精神分裂病せいしんぶんれつびょう患者かんじゃぐん」(りゃくして「啓発けいはつがた」)とづけた。そして生活せいかつ臨床りんしょうてきはたらきかけが奏効そうこうするぐんを「他者たしゃ依存いぞんがた精神分裂病せいしんぶんれつびょう患者かんじゃぐん」(りゃくして「依存いぞんがた」)とんで区別くべつした 19)。
 そのうえで、この類型るいけい生活せいかつ臨床りんしょうにいう生活せいかつ類型るいけいとは次元じげんことなるということを強調きょうちょうしている。「いわゆる能動のうどうがた受動じゅどうがた生活せいかつわくたいする本人ほんにん態度たいどのとりかたで判別はんべつするのにたいし、『依存いぞんがた』『啓発けいはつがた』は『具体ぐたいてき <0116< で断定的な指示的働きかけに対する本人の反応の仕方』で判別し、生活の枠に対する態度は問わない。したがって、理論的には『依存型』『啓発型』のいずれにも能動型、受動型が存在しうる 20)と述べている。
 また、治療ちりょうてき接近せっきんほうとしては、「啓発けいはつがた」には「役割やくわり啓発けいはつてき接近せっきんほう」(自己じこ啓発けいはつ支持しじ促進そくしんする)がもとめられ、「依存いぞんがた」には「役割やくわり指示しじてき接近せっきんほう」(具体ぐたいてき断定だんていてきおしえる)が適切てきせつであるという 21)。
 宮内くないは、生活せいかつ特性とくせい類型るいけいし5原則げんそくもとづいてはたらきかける生活せいかつ臨床りんしょうを「著者ちょしゃ東大とうだいものは、『従来じゅうらい生活せいかつ臨床りんしょう』とぶ。ひろられている生活せいかつ臨床りんしょうが、生活せいかつ臨床りんしょうのすべてであるはずがないということを強調きょうちょうしたいがためである」20)といている。

5 自己じこ批判ひはん

 だいは1990(平成へいせい2)ねんに、みたび生活せいかつ臨床りんしょう言及げんきゅうした。「生活せいかつ臨床りんしょうのその 22)とだいされた論文ろんぶんには「自己じこ批判ひはん立場たちばから」という一章いっしょうがもうけられている。
 そのなかで、だい1に生活せいかつ概念がいねんのあいまいさをとりあげている。生活せいかつ慨念があいまいなために、集団しゅうだん生活せいかつ対人たいじん関係かんけいのダイナミックスを治療ちりょう体系たいけいにくみこめなかったし、院内いんない生活せいかつ臨床りんしょう弱体じゃくたいであったという。
 だい2に、生活せいかつ臨床りんしょうには、開放かいほう看護かんご短期たんき入院にゅういんをもって十分じゅうぶんとする見切みきりのはやさがあって、長期ちょうき入院にゅういんにはあまり関心かんしんしめさなかった。
 だい3は、能動のうどうがた受動じゅどうがたという生活せいかつ類型るいけい概念がいねん厳密げんみつ分析ぶんせきすることも、操作そうさてき規定きていすることもしなかった。「いろきむ名誉めいよ身体しんたい」という生活せいかつ特徴とくちょうについても吟味ぎんみがされていない。それぞれの特徴とくちょうについての特異とくいせい本当ほんとうにあるのかといえば、あまりなさそうだともっている。生活せいかつ特徴とくちょう生活せいかつとの関係かんけい重要じゅうよう問題もんだいであるとべている。<0117<
 いずれも、生活せいかつ臨床りんしょう批判ひはんのなかで、くりかえし指摘してきされてきたことがらである。だい自己じこ批判ひはんは、全面ぜんめんてきである。
 そして、生活せいかつ臨床りんしょうひとつの治療ちりょうほうではなく、生活せいかつ療法りょうほう精神療法せいしんりょうほう薬物やくぶつ療法りょうほうの3つを総合そうごうしたものであり、その総合そうごう仕方しかた生活せいかつ臨床りんしょうであるとだいべるとき生活せいかつ臨床りんしょう独自どくじせいはどこに存在そんざいしうるのであろうか。生活せいかつ臨床りんしょうは、30ねん時間じかん経過けいかのなかで、そとなる批判ひはんうちなる批判ひはんにさらされて解体かいたいした。
 しかしかんがえてみれば、わがくににおいて、1つのうん動体どうたいが30ねんながきにわたって命脈めいみゃくたもつづけたことのほうが希有けうなこととわねばならない。 <0118<」(浅野[2000:109-1118])

引用いんよう文献ぶんけん

だい10しょう 生活せいかつ臨床りんしょうその

1)だいひろし:生活せいかつ療法りょうほう復権ふっけん.精神せいしん医学いがく,26;803,1984.
2)富田とみた三樹みきせい:東大とうだい病院びょういん精神せいしんの30ねん.あおゆみしゃ,2000.
3)日本にっぽん精神せいしん神経しんけい学会がっかい石川いしかわきよしよりのだい批判ひはん問題もんだいJ委員いいんかい(仮称かしょう)(委員いいんちょう小池こいけきよしれん)報告ほうこくしょ人体じんたい実験じっけん原則げんそくよりみたたい実験じっけん総括そうかつ人体じんたい実験じっけん原則げんそく提案ていあん−.精神せいしんけい,75;850,1973.
4)小澤おざわいさお:「たいひろしによる人体じんたい実験じっけん批判ひはん.精神せいしん医療いりょう, 3 (1);47,1973.
5)小澤おざわいさお:精神せいしん病院びょういんにおける生活せいかつ療法りょうほう.臨床りんしょう精神せいしん医学いがく, 3;25,1974.
6)中井なかい久夫ひさお:患者かんじゃ.川久保かわくぼ芳彦よしひこへん:分裂ぶんれつびょう精神せいしん病理びょうり9,東京大学とうきょうだいがく出版しゅっぱんかい,1980.<0199<
7)中井なかい久夫ひさお:はたら患者かんじゃ−リハビリテーション問題もんだい周辺しゅうへん−.吉松よしまつ和哉かずやへん:分裂ぶんれつびょう精神せいしん病理びょうり11.東京とうきょう大学だいがく出版しゅっぱんかい,1982.
8)神田かんだきょうじょう荒木あらき富士夫ふじお:閉の利用りよう精神分裂病せいしんぶんれつびょうしゃへの助力じょりょくこころみ−.精神せいしんけい.78;43,1976.
9)湯浅ゆあさ修一しゅういち:解説かいせつ.たいひろ湯浅ゆあさおさむいちへん:ぞく分裂ぶんれつびょう生活せいかつ臨床りんしょう.創造そうぞう出版しゅっぱん,1987.
10)神田かんだきょうじょうだいひろし, 湯浅ゆあさ修一しゅういちみや真人まさと伊勢田いせだ堯,中沢なかざわ正夫まさお菱山ひしやまたまおっと宮内みやうちまさる:「ぞく生活せいかつ臨床りんしょうあゆみ」座談ざだんかい.たいひろ, 湯浅ゆあさおさむいちへん:ぞく分裂ぶんれつびょう生活せいかつ臨床りんしょう.創造そうぞう出版しゅっぱん. 1987.
11)みや真人まさと山岡やまおか正規まさき伊勢田いせだ堯,井上いのうえ新平しんぺい長谷川はせがわ憲一けんいち:群馬ぐんま地域ちいき精神せいしん衛生えいせい活動かつどう 10ねん分析ぶんせき若手わかて医師いしによる報告ほうこく−.社会しゃかい精神せいしん医学いがく,2;471,1979.
12)しま成郎しげお:地域ちいき精神せいしん医療いりょう批判ひはんじょ.精神せいしん医療いりょう.5(1);2,1976.
13)みや真人まさと渡会わたらい昭夫あきお小川おがわ一夫かずお中沢なかざわ正夫まさお:精神分裂病せいしんぶんれつびょうしゃ長期ちょうき社会しゃかい適応てきおう経過けいか(精神分裂病せいしんぶんれつびょう長期ちょうき経過けいか研究けんきゅうだいlほう).精神せいしんけい,86;736,1984.
14)だいひろし:解説かいせつ.たいひろへん:分裂ぶんれつびょう生活せいかつ臨床りんしょう., 創造そうぞう出版しゅっぱん,1978.
15)湯浅ゆあさ修一しゅういち鈴木すずき純一じゅんいち:生活せいかつ臨床りんしょう治療ちりょう共同きょうどうたい.安永やすながひろしへん:分裂ぶんれつびょう精神せいしん病理びょうり6.東京とうきょう大学だいがく出版しゅっぱんかい,1977.
16)神田かんだきょうじょう荒木あらき富士夫ふじお福田ふくだ秀次しゅうじ:閉療ほう生活せいかつ臨床りんしょう対比たいひ.九州きゅうしゅう精神せいしん,24;79,1978. [神田かんだきょうじょう著作ちょさくしゅう:発想はっそう航跡こうせき.岩崎いわさき学術がくじゅつ出版しゅっぱんしゃ, 1988.所収しょしゅう]
17)太田おおた敏男としお亀山かめやま知道ともみち平松ひらまつ謙一けんいち安西あんざい信雄のぶお宮内みやうちまさる:デイ・ホスピタルにおける治療ちりょうシステムと治療ちりょう過程かてい生活せいかつ臨床りんしょう治療ちりょう共同きょうどうたい統合とうごうこころみ−.季刊きかん精神療法せいしんりょうほう,6;354,1980.
18)宮内みやうちまさる:生活せいかつ臨床りんしょう治療ちりょう共同きょうどうたい統合とうごうこころみ−デイケアの運営うんえいシステムおよびデイケアの治療ちりょうじょう位置いちづけ−.集団しゅうだん精神療法せいしんりょうほう,2;121,1986.
19)宮内みやうちまさる安西あんざい信雄のぶお太田おおた敏男としおほか:治療ちりょうてきはたらきかけへの反応はんのう仕方しかたにもとづく精神分裂病せいしんぶんれつびょうけん患者かんじゃ臨床りんしょうてき類型るいけいこころみ−「自己じこ啓発けいはつがた精神分裂病せいしんぶんれつびょう患者かんじゃぐん」と「役割やくわり啓発けいはつてき接近せっきんほう」の提唱ていしょう−(だい1ほう).精神せいしん医学いがく,29;1297,1987.
20)宮内みやうちまさる:分裂ぶんれつびょう個人こじん面接めんせつ生活せいかつ臨床りんしょうあたらしい展開てんかい−.金剛こんごう出版しゅっぱん, 1996.
21)宮内みやうちまさる安西あんざい信雄のぶお太田おおた敏男としおほか:精神分裂病せいしんぶんれつびょうけん患者かんじゃたいする役割やくわり啓発けいはつてき接近せっきんほう−「自己じこ啓発けいはつがた精神分裂病せいしんぶんれつびょう患者かんじゃぐん」と「役割やくわり啓発けいはつてき接近せっきんほう」の提唱ていしょう(だい2ほう)−.精神せいしん医学いがく,30;149,1988.
22)だいひろし:生活せいかつ臨床りんしょうのその.精神せいしん治療ちりょうがく,5;1307,1990.」(浅野あさの[2000:109-120])

書評しょひょう紹介しょうかい

今日きょうかんがえたこと:「『SST批判ひはん』について《精神せいしん医療いりょう論争ろんそう : わがくににおける「社会しゃかい復帰ふっき論争ろんそう批判ひはん 》から」(2011ねん7がつ20日はつか
http://tu-ta.at.webry.info/201107/article_9.html
今日きょうかんがえたこと:「《精神せいしん医療いりょう論争ろんそう》メモ、その2 」(2011ねん7がつ24にち
http://tu-ta.at.webry.info/201107/article_13.html

言及げんきゅう

立岩たていわ しん也 2013/12/10 造反ぞうはん有理ゆうり――精神せいしん医療いりょう現代げんだいへ』青土おうづちしゃ,433p. ISBN-10: 4791767446 ISBN-13: 978-4791767441 2800+ [amazon][kinokuniya] ※ m.


UP:20041118 REV;20110709, 0713, 0725, 30, 20130402, 1229
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