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中村 正『ドメスティック・バイオレンスと家族の病理』
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『ドメスティック・バイオレンスと
家族
かぞく
の
病理
びょうり
』
中村
なかむら
正
ただし
20010525
作品社
さくひんしゃ
last update:20101215
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けいゆ
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すると
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中村
なかむら
正
ただし
20010525 『ドメスティック・バイオレンスと
家族
かぞく
の
病理
びょうり
』,
作品社
さくひんしゃ
,258p. ISBN-10: 4878933828 2310
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b
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内容
ないよう
(←
注
ちゅう
3)
中村
なかむら
正
ただし
http://www.jca.apc.org/~tadashi/main.htm
■
目次
もくじ
第
だい
T
部
ぶ
家庭
かてい
内
ない
暴力
ぼうりょく
とは、どんな
問題
もんだい
なのか?−
親密
しんみつ
さの
中
なか
の
病理
びょうり
第
だい
1
章
しょう
<
家庭
かてい
内
ない
暴力
ぼうりょく
>とは、どんな
暴力
ぼうりょく
か?
第
だい
2
章
しょう
家庭
かてい
内
ない
暴力
ぼうりょく
は、なぜ
起
お
きるのか?
第
だい
U
部
ぶ
家庭
かてい
内
ない
暴力
ぼうりょく
における“
被害
ひがい
者
しゃ
”とは
誰
だれ
か?
第
だい
1
章
しょう
被害
ひがい
者
しゃ
は、なぜ
逃
に
げないのか?
第
だい
2
章
しょう
「バタード・ウーマン」からの
脱出
だっしゅつ
と
援助
えんじょ
策
さく
第
だい
V
部
ぶ
家庭
かてい
内
ない
暴力
ぼうりょく
の“
加害
かがい
者
しゃ
”とは
誰
だれ
か?−
加害
かがい
者
しゃ
研究
けんきゅう
と
対策
たいさく
第
だい
1
章
しょう
加害
かがい
者
しゃ
研究
けんきゅう
−「バタラー」とは、どんな
男
おとこ
なのか?
第
だい
2
章
しょう
加害
かがい
者
しゃ
対策
たいさく
−
米国
べいこく
での
実践
じっせん
第
だい
3
章
しょう
日本
にっぽん
での
加害
かがい
者
しゃ
対策
たいさく
の
実践
じっせん
第
だい
4
章
しょう
男性
だんせい
研究
けんきゅう
からの
家庭
かてい
内
ない
暴力
ぼうりょく
へのアプローチ
第
だい
5
章
しょう
メンズサポート
活動
かつどう
について
第
だい
W
部
ぶ
家族
かぞく
という
関係
かんけい
性
せい
−
愛
あい
と
暴力
ぼうりょく
第
だい
1
章
しょう
私的
してき
領域
りょういき
としての
家族
かぞく
第
だい
2
章
しょう
家族
かぞく
政策
せいさく
と
男性
だんせい
・
父親
ちちおや
問題
もんだい
■
引用
いんよう
第
だい
T
部
ぶ
家庭
かてい
内
ない
暴力
ぼうりょく
とは、どんな
問題
もんだい
なのか?−
親密
しんみつ
さの
中
なか
の
病理
びょうり
第
だい
1
章
しょう
<
家庭
かてい
内
ない
暴力
ぼうりょく
>とは、どんな
暴力
ぼうりょく
か?
★<
家庭
かてい
内
ない
暴力
ぼうりょく
>とは、どんな
暴力
ぼうりょく
か?
家庭
かてい
内
ない
暴力
ぼうりょく
にはいろいろな
種類
しゅるい
がある。(p14〜16)
・
子供
こども
に
対
たい
する
暴力
ぼうりょく
−チャイルド・アビューズ(
子
こ
ども
虐待
ぎゃくたい
)
・
老人
ろうじん
に
対
たい
する
暴力
ぼうりょく
−エルダーズ・アビューズ(
老人
ろうじん
虐待
ぎゃくたい
)
・
女性
じょせい
に
対
たい
しての
夫婦
ふうふ
間
あいだ
暴力
ぼうりょく
・
子供
こども
から
親
おや
への
暴力
ぼうりょく
−
思春期
ししゅんき
・
青春
せいしゅん
期
き
暴力
ぼうりょく
そのほか、
兄弟
きょうだい
・
姉妹
しまい
間
あいだ
での
暴力
ぼうりょく
や
虐待
ぎゃくたい
も
含
ふく
めると、
家庭
かてい
内
ない
のあらゆる
関係
かんけい
性
せい
の
中
なか
で、
家庭
かてい
内
ない
暴力
ぼうりょく
が
発生
はっせい
している。
これらに
共通
きょうつう
する
特性
とくせい
(p16)
・
家庭
かてい
内
ない
暴力
ぼうりょく
は、「ストリート・バイオレンス」(
路上
ろじょう
での
暴力
ぼうりょく
のこと)とは、その
特性
とくせい
が
異
こと
なる。
・
家庭
かてい
内
ない
の“
弱者
じゃくしゃ
”に
向
む
かっている。
・
家庭
かてい
内
ない
暴力
ぼうりょく
が
発生
はっせい
するのは「
親密
しんみつ
な
関係
かんけい
」の
中
なか
からである。
まとめると、
家庭
かてい
内
ない
暴力
ぼうりょく
とは「
親密
しんみつ
な
間柄
あいだがら
における
虐待
ぎゃくたい
と
暴力
ぼうりょく
」という
内容
ないよう
の
言葉
ことば
として
現在
げんざい
使
つか
われている。
同居
どうきょ
している
血縁
けつえん
関係
かんけい
者
しゃ
同士
どうし
だけに
起
お
こる
問題
もんだい
ではなく、
恋人
こいびと
同士
どうし
や
離婚
りこん
した
元
もと
夫婦
ふうふ
などその
対象
たいしょう
は
広
ひろ
い。
★
日本
にっぽん
の<
家庭
かてい
内
ない
暴力
ぼうりょく
>の
実態
じったい
家庭
かてい
内
ない
暴力
ぼうりょく
は、
突然
とつぜん
増
ふ
えたわけではない。
最近
さいきん
まで、
夫婦
ふうふ
間
あいだ
暴力
ぼうりょく
は、
単
たん
なる“
夫婦
ふうふ
ゲンカ”として、
子供
こども
虐待
ぎゃくたい
は“しつけ”や“
体罰
たいばつ
”として
放置
ほうち
されてきただけである。ここ
数
すう
年
ねん
の
間
あいだ
に
関心
かんしん
がもたれるようになり、
各種
かくしゅ
実態
じったい
調査
ちょうさ
が
行
おこ
なわれはじめた
結果
けっか
、
家庭
かてい
内
ない
暴力
ぼうりょく
が
発見
はっけん
された。この
背景
はいけい
には、
国際
こくさい
社会
しゃかい
での
人権
じんけん
意識
いしき
の
高
たか
まりがある。(p20)
自治体
じちたい
では、
女性
じょせい
に
対
たい
する
暴力
ぼうりょく
に
関
かん
する
調査
ちょうさ
など
実態
じったい
調査
ちょうさ
が
行
おこ
なわれている。
名古屋
なごや
市
し
の1999
年
ねん
の
調査
ちょうさ
では
暴力
ぼうりょく
を
受
う
けた
女性
じょせい
、
暴力
ぼうりょく
を
加
くわ
えた
男性
だんせい
が、ともに
約
やく
6
割
わり
という
結果
けっか
が
出
で
た。
京都
きょうと
市
し
の2000
年
ねん
の
調査
ちょうさ
では
夫婦
ふうふ
間
あいだ
暴力
ぼうりょく
を
受
う
けた
経験
けいけん
のある
女性
じょせい
は32.1%であった。この
調査
ちょうさ
では
身体
しんたい
の
暴力
ぼうりょく
に
加
くわ
えて、
性的
せいてき
暴力
ぼうりょく
、
言葉
ことば
や
感情
かんじょう
による
暴力
ぼうりょく
、
経済
けいざい
的
てき
な
暴力
ぼうりょく
、
妻
つま
を
外出
がいしゅつ
させず
行動
こうどう
を
制限
せいげん
する
社会
しゃかい
的
てき
暴力
ぼうりょく
などを
受
う
けた
経験
けいけん
のある
女性
じょせい
も
多
おお
いことがわかった。(p21〜24)
★
米国
べいこく
の<
家庭
かてい
内
ない
暴力
ぼうりょく
>の
実態
じったい
米国
べいこく
でも
数
すう
多
おお
くの
調査
ちょうさ
が
行
おこな
われている。
数字
すうじ
としては、1
年間
ねんかん
に2400
万
まん
人
にん
以上
いじょう
の
女性
じょせい
が
家庭
かてい
内
ない
暴力
ぼうりょく
により
被害
ひがい
を
受
う
けている、といった
結果
けっか
が
出
で
ている。さらに、
家庭
かてい
内
ない
暴力
ぼうりょく
による
社会
しゃかい
的
てき
影響
えいきょう
・
負担
ふたん
がかなりのものだと
指摘
してき
されている。たとえば、
医療
いりょう
・
警察
けいさつ
・
司法
しほう
制度
せいど
・
矯正
きょうせい
システムなどの
費用
ひよう
を
挙
あ
げている。(p26〜27)
★「
男性
だんせい
問題
もんだい
」としての「
加害
かがい
者
しゃ
問題
もんだい
」
家庭
かてい
内
ない
暴力
ぼうりょく
の
事例
じれい
のほとんどの
加害
かがい
者
しゃ
は
男性
だんせい
である。ここのケースにはそれぞれの
背景
はいけい
があるが、
大
おお
きな
背景
はいけい
として「
男性
だんせい
性
せい
役割
やくわり
」(“
男
おとこ
らしさ”という
意識
いしき
)がある。(p28)
これまでの
男性
だんせい
中心
ちゅうしん
型
がた
社会
しゃかい
そのものが
疲弊
ひへい
し、
男性
だんせい
は
病
や
んでいる。
社会
しゃかい
システム
全体
ぜんたい
における
男性
だんせい
役割
やくわり
の
変更
へんこう
が
必要
ひつよう
となっている。つまり、ドメスティック・バイオレンスに
象徴
しょうちょう
される
出来事
できごと
は、こうした
家族
かぞく
の
外側
そとがわ
の
変化
へんか
と
関連
かんれん
している。(p29)
★
被害
ひがい
者
しゃ
への
視点
してん
犯罪
はんざい
や
非行
ひこう
、
事件
じけん
や
事故
じこ
、
災害
さいがい
などの
被害
ひがい
者
しゃ
への
心
しん
のケアと
被害
ひがい
者
しゃ
救済
きゅうさい
制度
せいど
の
必要
ひつよう
性
せい
から、ドメスティック・バイオレンスについては、
被害
ひがい
者
しゃ
である
女性
じょせい
へのき
取
きと
り、
体験
たいけん
調査
ちょうさ
、カウンセリングなどを
通
とお
して、そのケアのあり
方
かた
、
加害
かがい
者
しゃ
対策
たいさく
、
被害
ひがい
者
しゃ
救済
きゅうさい
のあり
方
かた
などが
研究
けんきゅう
されている。(p30)
被害
ひがい
者
しゃ
の
多数
たすう
は
子供
こども
や
女性
じょせい
で、
彼女
かのじょ
らは
家族
かぞく
という
関係
かんけい
の
中
なか
で
監禁
かんきん
状態
じょうたい
に
置
お
かれている。
逃走
とうそう
を
防
ふせ
ぐ
障壁
しょうへき
は
目
め
に
見
み
えないもので、
子供
こども
たちの
場合
ばあい
は1
人
にん
では
生
い
きてゆけないために
監禁
かんきん
状態
じょうたい
に
置
お
かれる。
女性
じょせい
の
場合
ばあい
は、
経済
けいざい
的
てき
・
社会
しゃかい
的
てき
・
法的
ほうてき
従属
じゅうぞく
によって
監禁
かんきん
状態
じょうたい
に
置
お
かれる。(p31)
第
だい
2
章
しょう
家庭
かてい
内
ない
暴力
ぼうりょく
は、なぜ
起
お
きるのか?
★
親密
しんみつ
さと
暴力
ぼうりょく
−
自立
じりつ
と
依存
いぞん
の
連鎖
れんさ
家族
かぞく
内
ない
での
人間
にんげん
関係
かんけい
は、お
互
たが
いにおぎ
合
あ
いながら
関係
かんけい
を
保
たも
っている。ケアするものとケアされるものが
相互
そうご
に
依存
いぞん
しあっている。
親
おや
と
子
こ
、
妻
つま
と
夫
おっと
、
兄弟
きょうだい
姉妹
しまい
の
相互
そうご
には、プラスであれマイナスであれ
相互
そうご
に
規定
きてい
し
合
あ
う「
相互
そうご
補強
ほきょう
」という
濃密
のうみつ
な
関
かか
わりが
存在
そんざい
している。
家庭
かてい
内
ない
暴力
ぼうりょく
は、
親密
しんみつ
さに
基
もと
づく
相互
そうご
補強
ほきょう
しあう
関係
かんけい
において
起
お
こるのである。
愛情
あいじょう
・
保護
ほご
・
養育
よういく
・
介護
かいご
などを
介
かい
した
関係
かんけい
であることが
多
おお
いということである。(p33〜34)
★パワー(
権力
けんりょく
)とコントロール(
支配
しはい
)の
関係
かんけい
家庭
かてい
内
ない
での
男女
だんじょ
間
あいだ
の
暴力
ぼうりょく
では、どちらも
同
おな
じように
被害
ひがい
者
しゃ
になる
可能
かのう
性
せい
がある。しかし
一般
いっぱん
的
てき
には、
体力
たいりょく
の
違
ちが
いもありダメージを
受
う
けやすいのは
女性
じょせい
である。
家庭
かてい
内
ない
暴力
ぼうりょく
は「パワー(
権力
けんりょく
)とコントロール(
支配
しはい
)」という
作用
さよう
を
中心
ちゅうしん
において、
夫婦
ふうふ
間
あいだ
のあらゆる
相互
そうご
のかかわりの
中
なか
に
暴力
ぼうりょく
が
忍
しの
び
込
こ
む。
殴
なぐ
る・
蹴
け
る・
叩
たた
く・
物
もの
を
投
な
げるなどの
行動
こうどう
の
背景
はいけい
には、パワーとコントロールの
関係
かんけい
が
存在
そんざい
している。(p34〜38)
★<
家庭
かてい
内
ない
暴力
ぼうりょく
>の
多様
たよう
性
せい
家庭
かてい
内
ない
暴力
ぼうりょく
というと、たいていの
人
ひと
は、
肉体
にくたい
的
てき
暴力
ぼうりょく
を
思
おも
い
浮
う
かべる。それに
加
くわ
え、
夫婦
ふうふ
間
あいだ
暴力
ぼうりょく
は“
性的
せいてき
暴力
ぼうりょく
”という
側面
そくめん
をもっていることも
無視
むし
できない。(p39)
暴力
ぼうりょく
にはいろいろなやり
方
かた
があるが、その
目的
もくてき
はすべて、
他人
たにん
の
考
かんが
えや
行動
こうどう
を
操
あやつ
ることにある。(p40)
被害
ひがい
者
しゃ
が
抜
ぬ
け
出
だ
せないということも
事態
じたい
を
複雑
ふくざつ
にしている。
悲劇
ひげき
的
てき
なことに、
家庭
かてい
内
ない
暴力
ぼうりょく
が
発覚
はっかく
するのは、
被害
ひがい
者
しゃ
が
死
し
ぬか、
重
じゅう
篤
あつし
な
状態
じょうたい
にいたった
時
とき
が
多
おお
い。
軽微
けいび
な
家庭
かてい
内
ない
暴力
ぼうりょく
事件
じけん
は
報道
ほうどう
に
値
あたい
しないだろう。ここに<
家庭
かてい
内
ない
暴力
ぼうりょく
>の
難
むずか
しさがある。(p40〜41)
★<
家庭
かてい
内
ない
暴力
ぼうりょく
>が
起
お
こる
要因
よういん
−
暴力
ぼうりょく
にいたる“リスク
要因
よういん
”
老人
ろうじん
虐待
ぎゃくたい
の
場合
ばあい
の
要因
よういん
・
社会
しゃかい
福祉
ふくし
や
医療
いりょう
への
家族
かぞく
の
無
む
関心
かんしん
や
無知
むち
もしくは
不信
ふしん
感
かん
・
堆積
たいせき
した
家庭
かてい
内
ない
ストレス
・
世間体
せけんてい
へのこだわり など
介護
かいご
それ
自体
じたい
がリスク
要因
よういん
として
存在
そんざい
している。
子
こ
ども
虐待
ぎゃくたい
の
場合
ばあい
・
虐待
ぎゃくたい
者
しゃ
の
個人
こじん
的
てき
要因
よういん
(
低
ひく
い
自尊心
じそんしん
、
怒
いか
りを
統制
とうせい
できないなど)
・
子
こ
どもの
特性
とくせい
(あつかいの
難
むずか
しい
子供
こども
、
何
なん
らかの
障害
しょうがい
など)
・
親
おや
としての
特性
とくせい
(
親
おや
であることの
自覚
じかく
の
欠如
けつじょ
、
子供
こども
への
非
ひ
現実
げんじつ
的
てき
な
期待
きたい
など)
・
家族
かぞく
環境
かんきょう
要因
よういん
(
慢性
まんせい
的
てき
な
家族
かぞく
葛藤
かっとう
、
夫婦
ふうふ
間
あいだ
の
暴力
ぼうりょく
の
存在
そんざい
など)
・
社会
しゃかい
的
てき
要因
よういん
(
低
てい
収入
しゅうにゅう
、
失業
しつぎょう
、
社会
しゃかい
的
てき
孤立
こりつ
など)
夫婦
ふうふ
間
あいだ
暴力
ぼうりょく
の
場合
ばあい
・
個別
こべつ
的
てき
な
要因
よういん
たとえば、
育
そだ
った
家族
かぞく
の
中
なか
で
暴力
ぼうりょく
を
受
う
けた、
両親
りょうしん
の
間
あいだ
に
暴力
ぼうりょく
があったことを
見
み
たりし た、
家族
かぞく
から
孤立
こりつ
した
存在
そんざい
である、などである。
・
社会
しゃかい
的
てき
・
文化
ぶんか
的
てき
な
要因
よういん
たとえば、
男性
だんせい
は
家族
かぞく
を
統制
とうせい
するものだという
考
かんが
えが
広
ひろ
がっていること、
貧困
ひんこん
、
銃
じゅう
や
刃物
はもの
などが
簡単
かんたん
に
手
て
に
入
はい
ること、などである
家庭
かてい
内
ない
暴力
ぼうりょく
は、こうした
複数
ふくすう
のリスク
要因
よういん
の
重
じゅう
なりを
背景
はいけい
にして
現
あら
われる。(p41〜44)
★
愛情
あいじょう
とコミュニケーションのギャップ
男女
だんじょ
の“
愛情
あいじょう
”と“コミュニケーション”をめぐる
問題
もんだい
がある。どうして
男性
だんせい
は、
愛
あい
した
女性
じょせい
に
暴力
ぼうりょく
を
振
ふ
るうのか?という
問題
もんだい
である。ストーキングやレイプなど、
歪
ゆが
められた「
恋愛
れんあい
感情
かんじょう
」の
背後
はいご
には
女性
じょせい
を
所有
しょゆう
したいという
願望
がんぼう
が
垣間見
かいまみ
える。こうした
親
した
しい
者
もの
同士
どうし
での
暴力
ぼうりょく
は
男性
だんせい
のセクシャリティとも
関連
かんれん
していて、
男性
だんせい
と
女性
じょせい
の“
感情
かんじょう
表現
ひょうげん
”や“
対人
たいじん
関係
かんけい
のとり
方
かた
”についての
差
さ
を
考
かんが
えなければならない。
言葉
ことば
・
身体
しんたい
動作
どうさ
・
感
かん
じ
方
かた
などのコミュニケーション
能力
のうりょく
を
身
み
につける
過程
かてい
で、
男
おとこ
らしさや
女
おんな
らしさというジェンダー
化
か
された
意識
いしき
と
態度
たいど
が
内面
ないめん
化
か
される。
離婚
りこん
や
家庭
かてい
内
ない
暴力
ぼうりょく
をとおして、この
差
さ
が
現
あらわ
れる。
男女
だんじょ
間
あいだ
にはかなりの
意識
いしき
の
差
さ
がある。(p45〜46)
★ジェンダー・ギャップとコミュニケーション
「ジェンダー」とは、
男
おとこ
はかくあるべし、
女
おんな
はこうだと
考
かんが
えられている
役割
やくわり
や
期待
きたい
やふるまい
方
かた
など、
社会
しゃかい
的
てき
に
作
つく
られた
意識
いしき
や
制度
せいど
のことである。コミュニケーションの
仕方
しかた
に
当
あ
てはめて
考
かんが
えれば、
女性
じょせい
らしい
言葉
ことば
や
会話
かいわ
スタイルは
協調
きょうちょう
的
てき
・
協同
きょうどう
的
てき
であるのに
比
くら
べて、
男性
だんせい
らしい
言葉
ことば
や
会話
かいわ
スタイルは
競争
きょうそう
的
てき
である、というものだ。(p48〜49)
★「ラブ・イズ・ブラインド」−
恋
こい
と
愛
あい
はすべてを
覆
おお
い
隠
かく
す
恋愛
れんあい
や
結婚
けっこん
は
好
す
きでやっている、
勝手
かって
な
行動
こうどう
であり、すべて「
自己
じこ
決定
けってい
」している
自由
じゆう
で
私的
してき
な
事柄
ことがら
だから、
結婚
けっこん
すると
当然
とうぜん
の
責務
せきむ
であるかのように、
家事
かじ
・
育児
いくじ
・
看護
かんご
・
介護
かいご
の
仕事
しごと
は
女性
じょせい
に、
家族
かぞく
を
養
やしな
い
一家
いっか
に
責任
せきにん
を
持
も
つ
役割
やくわり
は
男性
だんせい
が
持
も
つことになる。
”
愛
あい
”という
言葉
ことば
によって、
本来
ほんらい
社会
しゃかい
が
担
にな
うべき
福祉
ふくし
的
てき
機能
きのう
が
女性
じょせい
の
肩
かた
にのしかかる。”
愛
あい
”という
言葉
ことば
で、
暴力
ぼうりょく
が
肯定
こうてい
される。(p50〜51)
★
閉
と
ざされた
関係
かんけい
としての
家族
かぞく
・
恋人
こいびと
ドメスティック・バイオレンスや
家庭
かてい
内
ない
暴力
ぼうりょく
というのは、
親
した
しい
間柄
あいだがら
で
起
お
こる
暴力
ぼうりょく
を
意味
いみ
する
多様
たよう
な
言葉
ことば
遣
づか
いの
一
ひと
つである。
現実
げんじつ
には、
恋人
こいびと
関係
かんけい
・
元
もと
夫婦
ふうふ
関係
かんけい
など
広
ひろ
がりをもっている。(p53)
★
暴力
ぼうりょく
と
虐待
ぎゃくたい
の
類型
るいけい
論
ろん
を
超
こ
えて
家庭
かてい
内
ない
暴力
ぼうりょく
を
語
かた
る
際
さい
に、「
身体
しんたい
的
てき
暴力
ぼうりょく
」「
性的
せいてき
暴力
ぼうりょく
」「
情緒
じょうちょ
的
てき
・
心理
しんり
的
てき
暴力
ぼうりょく
」「ネグレクト(
介護
かいご
や
養育
よういく
の
必要
ひつよう
な
人
ひと
を
放置
ほうち
したり、
遺棄
いき
すること)」という4つのパターンを
析出
せきしゅつ
するという
暴力
ぼうりょく
類型
るいけい
論
ろん
が
現在
げんざい
主流
しゅりゅう
である。このレベルで
明確
めいかく
になりつつある
事柄
ことがら
に
関
かん
しては、
法的
ほうてき
対応
たいおう
が
急速
きゅうそく
に
整備
せいび
されなければならない。それに
加
くわ
え、
家族
かぞく
関係
かんけい
に
着目
ちゃくもく
すると、
被害
ひがい
者
しゃ
のケア、
福祉
ふくし
的
てき
援助
えんじょ
のあり
方
かた
、
加害
かがい
者
しゃ
への
対応
たいおう
など、
非
ひ
法
ほう
領域
りょういき
での
総合
そうごう
的
てき
対応
たいおう
を
検討
けんとう
する
必要
ひつよう
がある。(p53〜54)
加害
かがい
者
しゃ
は、「
家族
かぞく
は
他人
たにん
ではない」とよく
言
い
う。「
他人
たにん
ではない」と
思
おも
うその
時点
じてん
から、
人権
じんけん
という
言葉
ことば
が
遠
とお
のいていく。そこに
暴力
ぼうりょく
と
虐待
ぎゃくたい
が
起
お
こるのである。(p54〜55)
★
家族
かぞく
という
境界
きょうかい
家族
かぞく
はほかの
集団
しゅうだん
に
比
くら
べて、
独特
どくとく
の
構造
こうぞう
的
てき
な
特質
とくしつ
を
有
ゆう
している。
・
同
おな
じ
家屋
かおく
で
過
す
ごす
時間
じかん
の
長
なが
さである。これは「
時間
じかん
特性
とくせい
」である。
・
家族
かぞく
の
緊張
きんちょう
・
葛藤
かっとう
・
感情
かんじょう
作用
さよう
の
密度
みつど
の
濃
こ
さである。これは「
感情
かんじょう
特性
とくせい
」である。
・
家族
かぞく
構成
こうせい
員
いん
の
間
あいだ
にある
力
ちから
の
差異
さい
はもちろんのこと、
権勢
けんせい
上
じょう
の
差異
さい
も
無視
むし
できない。こ れは「
不
ふ
均衡
きんこう
特性
とくせい
」である。
・
家族
かぞく
のプライバシーという
壁
かべ
。
秘密
ひみつ
ができやすい。これは「
私事
しじ
化
か
特性
とくせい
」である。
・
非
ひ
自発
じはつ
的
てき
な
関係
かんけい
である。これは「
関係
かんけい
特性
とくせい
」である。
こうした
構造
こうぞう
的
てき
特質
とくしつ
を
踏
ふ
まえて
取
と
り
結
むす
ばれる
組織
そしき
体
たい
として
家族
かぞく
があり、それは
外部
がいぶ
社会
しゃかい
と
明確
めいかく
な
境界
きょうかい
線
せん
をもって
存在
そんざい
している。(p55)
★
暴力
ぼうりょく
を
手段
しゅだん
にする「
自己
じこ
顕示
けんじ
的
てき
暴力
ぼうりょく
」と「
道具
どうぐ
的
てき
暴力
ぼうりょく
」
家庭
かてい
内
ない
暴力
ぼうりょく
において「
自己
じこ
顕示
けんじ
的
てき
暴力
ぼうりょく
」と「
道具
どうぐ
的
てき
暴力
ぼうりょく
」の
違
ちが
いという
整理
せいり
は
有益
ゆうえき
である。「
自己
じこ
顕示
けんじ
的
てき
暴力
ぼうりょく
」は、
暴力
ぼうりょく
が
一種
いっしゅ
のカタルシス(
浄化
じょうか
)となっており、
自己
じこ
の
怒
いか
りを
鎮
しず
めるためにのみ
振
ふ
るわれることが
多
おお
い。それに
対
たい
し、「
道具
どうぐ
的
てき
暴力
ぼうりょく
」とは、
他人
たにん
に
攻撃
こうげき
を
加
くわ
える
行為
こうい
を
含
ふく
んでいるが、
相手
あいて
の
行為
こうい
を
修正
しゅうせい
させようとして
暴力
ぼうりょく
が
使用
しよう
される
場合
ばあい
である。
虐待
ぎゃくたい
的
てき
な
行為
こうい
はあくまで“
道具
どうぐ
”として
使
つか
われている。(p58〜59)
第
だい
U
部
ぶ
家庭
かてい
内
ない
暴力
ぼうりょく
における“
被害
ひがい
者
しゃ
”とは
誰
だれ
か?
第
だい
1
章
しょう
被害
ひがい
者
しゃ
は、なぜ
逃
に
げないのか?
★「バタード・ウーマン・シンドローム」−
被
ひ
虐待
ぎゃくたい
者
しゃ
の
心理
しんり
的
てき
特性
とくせい
被害
ひがい
者
しゃ
の
特性
とくせい
として、「バタード・ウーマン」(
殴
なぐ
られつづけている
女性
じょせい
)の
共通
きょうつう
の
心
しん
的
てき
傾向
けいこう
が
指摘
してき
されてきた。その
代表
だいひょう
的
てき
なものが、「バタード・ウーマン・シンドローム」(
被
ひ
虐待
ぎゃくたい
女性
じょせい
症候群
しょうこうぐん
)という
捉
とら
え
方
かた
である。
バタード・ウーマンに
共通
きょうつう
する
性格
せいかく
・
殴
なぐ
られている
女性
じょせい
は
自己
じこ
評価
ひょうか
が
低
ひく
い。
・
伝統
でんとう
的
てき
な
家庭
かてい
主義
しゅぎ
者
しゃ
で、
家族
かぞく
の
絆
きずな
を
重要
じゅうよう
視
し
し、
女性
じょせい
の
性的
せいてき
役割
やくわり
について
固定
こてい
観念
かんねん
を
持
じ
っている。
・
加害
かがい
者
しゃ
の
行為
こうい
について
責任
せきにん
をとり、
自分
じぶん
に
非
ひ
があると
考
かんが
える。
・
罪悪
ざいあく
感
かん
に
悩
なや
んでいるが、
彼女
かのじょ
自身
じしん
が
恐怖
きょうふ
と
怒
いか
りを
感
かん
じていることを
否定
ひてい
する。
・
社会
しゃかい
に
対
たい
しては
受身
うけみ
であるが、それ
以上
いじょう
の
暴力
ぼうりょく
を
受
う
けたり
殺
ころ
されたりしないように
環
たまき
境
さかい
を
操作
そうさ
する
強
つよ
さを
持
も
っている。
・
重度
じゅうど
の
精神
せいしん
的
てき
重圧
じゅうあつ
感
かん
があり、
心理
しんり
生理学
せいりがく
的
てき
な
苦情
くじょう
を
訴
うった
える。
・
加害
かがい
者
しゃ
とセックスに
基
もと
づいた
親密
しんみつ
な
関係
かんけい
をつくりあげる。
・
自分
じぶん
以外
いがい
に
自分
じぶん
の
苦境
くきょう
を
解決
かいけつ
できるものはいないと
信
しん
じている。
彼女
かのじょ
らは
自分
じぶん
が
我慢
がまん
をし、
家族
かぞく
全員
ぜんいん
が
安全
あんぜん
に
暮
く
らせる
環境
かんきょう
を
作
つく
ることを
自分
じぶん
の
義務
ぎむ
と
考
かんが
えているが、
実際
じっさい
には
家庭
かてい
内
ない
暴力
ぼうりょく
が
発生
はっせい
している
環境
かんきょう
を
自分
じぶん
では
変革
へんかく
することができないので、「
自発
じはつ
的
てき
コントロールの
喪失
そうしつ
」という
事態
じたい
が
起
お
こり、「
学習
がくしゅう
性
せい
無力
むりょく
感
かん
」が
彼女
かのじょ
たちを
支配
しはい
してしまう。(p62〜65)
★
暴力
ぼうりょく
のサイクル
家庭
かてい
内
ない
暴力
ぼうりょく
が
発生
はっせい
している
家族
かぞく
であっても、
絶
た
えず
暴力
ぼうりょく
が
振
ふ
るわれているのではなく、
被害
ひがい
者
しゃ
たちは
一定
いってい
の「
虐待
ぎゃくたい
サイクル」を
経験
けいけん
しているということである。(p65)
虐待
ぎゃくたい
サイクルは3つの
相
そう
からなる。
緊張
きんちょう
が
高
たか
まる
第
だい
1
相
そう
(
緊張
きんちょう
形成
けいせい
期
き
)、
爆発
ばくはつ
と
虐待
ぎゃくたい
が
起
お
こる
第
だい
2
相
そう
、
穏
おだ
やかな
愛情
あいじょう
のある
態度
たいど
になる
第
だい
3
相
そう
(
開放
かいほう
期
き
)である。このように
暴力
ぼうりょく
と
愛情
あいじょう
が
循環
じゅんかん
しつつ、そうした
事実
じじつ
を
公表
こうひょう
するのは
家族
かぞく
の
恥
はじ
だという
意識
いしき
も
生
う
まれ、
問題
もんだい
の
表面
ひょうめん
化
か
が
遅
おく
れる。(p65〜67)
★
犠牲
ぎせい
者
しゃ
への
非難
ひなん
家庭
かてい
内
ない
暴力
ぼうりょく
を
考
かんが
えるときに「
犠牲
ぎせい
者
しゃ
への
非難
ひなん
」の
問題
もんだい
も
無視
むし
できない。
被害
ひがい
者
しゃ
を
責
せ
めることは、せいにまつわる
犯罪
はんざい
被害
ひがい
にはよくみられる
傾向
けいこう
である。
特
とく
に、
米国
べいこく
のような
自己
じこ
責任
せきにん
と
個人
こじん
主義
しゅぎ
が
強調
きょうちょう
される
社会
しゃかい
においてよく
見受
みう
けられる
傾向
けいこう
である。
被害
ひがい
は、
自
みずか
らが
招
まね
き
寄
よ
せたものなので
本人
ほんにん
の
責任
せきにん
で
何
なに
とかすべきだ、という
社会
しゃかい
の
意識
いしき
をさしている。(p66〜68)
★
被害
ひがい
者
しゃ
への
責任
せきにん
の
分散
ぶんさん
ー「
共
きょう
依存
いぞん
」「アディクション」
「
共
きょう
依存
いぞん
」とは”
必要
ひつよう
とされることを
必要
ひつよう
とする”という
入
い
り
組
く
んだ
関係
かんけい
性
せい
のことを
意味
いみ
する。
家庭
かてい
内
ない
暴力
ぼうりょく
という
現象
げんしょう
を
捉
とら
えるために「
共
きょう
依存
いぞん
」という
言葉
ことば
が
使
つか
われると、
双方
そうほう
に
暴力
ぼうりょく
の
原因
げんいん
があるということになりかねない。
二
に
者
しゃ
関係
かんけい
にある
暴力
ぼうりょく
を「
共
きょう
依存
いぞん
」として
捉
とら
えるのは「
責任
せきにん
の
分散
ぶんさん
」という
考
かんが
え
方
かた
になってしまう。
「
共
きょう
依存
いぞん
」の
背景
はいけい
には、やはり
人間
にんげん
関係
かんけい
・
行動
こうどう
の
病理
びょうり
としての「アディクション」がある。これはやめることが
困難
こんなん
な
悪循環
あくじゅんかん
を
引
ひ
き
起
お
こす
習慣
しゅうかん
的
てき
行動
こうどう
のことである。
人間
にんげん
は
自己
じこ
実現
じつげん
できる
何
なに
かを
見出
みいだ
し、そこに
没入
ぼつにゅう
し、
生
い
きることの
充実
じゅうじつ
感
かん
を
得
え
る。それが
病理
びょうり
現象
げんしょう
となるまで
極端
きょくたん
化
か
してしまったのが「アディクション」である。
しかし、
家庭
かてい
内
ない
暴力
ぼうりょく
を「
共
きょう
依存
いぞん
」、「アディクション」として
捉
とら
えていくのことは、
暴力
ぼうりょく
の
責任
せきにん
を
分散
ぶんさん
化
か
したり
曖昧
あいまい
にすることにつながりかねない。(p69〜71)
★「ストックホルム・シンドローム」
ある
特殊
とくしゅ
な
条件
じょうけん
のもとで
成立
せいりつ
する、
歪
ゆが
みをともなった
親密
しんみつ
な
関係
かんけい
を
捉
とら
えるのに、「ストックホルム・シンドローム」という
考
かんが
え
方
かた
がある。1973
年
ねん
にストックホルム
市
し
にある
銀行
ぎんこう
で
立
た
てこもり
事件
じけん
が
発生
はっせい
した。この
事件
じけん
では、
人質
ひとじち
は
犯人
はんにん
とある
特殊
とくしゅ
な
条件
じょうけん
のもとで
生成
せいせい
する
関係
かんけい
のなかで、
精神
せいしん
的
てき
な
絆
きずな
をつくってしまったのである。この
逆説
ぎゃくせつ
的
てき
な
関係
かんけい
性
せい
は、
家族
かぞく
も
含
ふく
めて
社会
しゃかい
生活
せいかつ
場面
ばめん
に
適用
てきよう
可能
かのう
である。たとえば、
子
こ
ども
虐待
ぎゃくたい
、
家族
かぞく
のなかで
殴打
おうだ
される
妻
つま
などである。(p72〜74)
★どんな
関係
かんけい
が「ストックホルム・シンドローム」となるか?
「ストックホルム・シンドローム」が
成立
せいりつ
する
際
さい
の4つの
条件
じょうけん
。
・
犠牲
ぎせい
者
しゃ
の
生存
せいぞん
を
脅
おびや
かすことを
意図
いと
して
関係
かんけい
が
構築
こうちく
されている
点
てん
・
恐怖
きょうふ
が
支配
しはい
する
中
なか
で、
加害
かがい
者
しゃ
の
小
ちい
さな
親切
しんせつ
が
目
め
に
見
み
える
形
かたち
で
示
しめ
される
点
てん
・
加害
かがい
者
しゃ
以外
いがい
の
眼差
まなざ
しから、
犠牲
ぎせい
者
しゃ
が
孤立
こりつ
している
点
てん
・
逃
に
げることが
不可能
ふかのう
な
点
てん
「ストックホルム・シンドローム」に
陥
おちい
った
被害
ひがい
者
しゃ
は、
自分
じぶん
の
愛情
あいじょう
をもっと
加害
かがい
者
しゃ
へ
注
つ
ぎ
込
こ
むことが
暴力
ぼうりょく
の
解決
かいけつ
策
さく
だと
思
おも
ってしまう。
虐待
ぎゃくたい
者
しゃ
への
愛
あい
と
世話
せわ
をすることが
自分
じぶん
を
生
い
かす
道
みち
だと
思
おも
い
込
こ
み、
虐待
ぎゃくたい
者
しゃ
が
自分
じぶん
を
殺
ころ
さずにいることに
感謝
かんしゃ
するのである。(p75〜78)
★「ストックホルム・シンドローム」であるかどうかの
指標
しひょう
その
関係
かんけい
が「ストックホルム・シンドローム」であるかどうかの
潜在
せんざい
的
てき
可能
かのう
性
せい
をみるための
指標
しひょう
の
一部
いちぶ
をここに
示
しめ
す。
・
被
ひ
虐待
ぎゃくたい
者
しゃ
は、
加害
かがい
者
しゃ
による
苦痛
くつう
を
感
かん
じないようにしようとして、
身体
しんたい
から
自己
じこ
を
解離
かいり
させる。
・
被
ひ
虐待
ぎゃくたい
者
しゃ
は、
加害
かがい
者
しゃ
の
小
ちい
さな
親切
しんせつ
に
強
つよ
く
感謝
かんしゃ
するようになる。
・
被
ひ
虐待
ぎゃくたい
者
しゃ
は、
加害
かがい
者
しゃ
の
肯定
こうてい
的
てき
な
側面
そくめん
に
絆
きずな
を
感
かん
じる。
この
他
ほか
にも
指標
しひょう
は
多々
たた
ある。
家族
かぞく
をめぐる
社会
しゃかい
制度
せいど
が
大
おお
きな
変化
へんか
を
遂
と
げないとすると、
家庭
かてい
内
ない
暴力
ぼうりょく
の
被害
ひがい
者
しゃ
は、
家庭
かてい
内
ない
暴力
ぼうりょく
が
発生
はっせい
する
日常
にちじょう
環境
かんきょう
を
生
い
き
延
の
びるために、
自
みずか
らが
置
お
かれた
虐待
ぎゃくたい
的
てき
環境
かんきょう
に
適応
てきおう
する
戦略
せんりゃく
をとる。(p78〜80)
★
虐待
ぎゃくたい
的
てき
環境
かんきょう
への
反応
はんのう
「ストックホルム・シンドローム」のような
関係
かんけい
が
成
な
り
立
た
つ
要素
ようそ
を、
家庭
かてい
内
ない
暴力
ぼうりょく
のある
環境
かんきょう
はもっている。(p80)
第
だい
2
章
しょう
「バタード・ウーマン」からの
脱出
だっしゅつ
と
援助
えんじょ
策
さく
★「
犠牲
ぎせい
者
しゃ
」から「
生
い
き
抜
ぬ
く
者
もの
」への
過程
かてい
を
支援
しえん
する
周囲
しゅうい
からの
援助
えんじょ
があれば、もちろん「
暴力
ぼうりょく
のサイクル」から
脱出
だっしゅつ
できる。
被害
ひがい
者
しゃ
への
救助
きゅうじょ
策
さく
にも、
発展
はってん
の
過程
かてい
がある。(p82)
第
だい
1
段階
だんかい
家庭
かてい
内
ない
暴力
ぼうりょく
への
関心
かんしん
と
啓発
けいはつ
。
何
なに
よりも
実態
じったい
調査
ちょうさ
が
大事
だいじ
である。
第
だい
2
段階
だんかい
家庭
かてい
内
ない
暴力
ぼうりょく
で
被害
ひがい
を
受
う
けている
事態
じたい
への、
既存
きそん
の
制度
せいど
を
活用
かつよう
した
対策
たいさく
。
第
だい
3
段階
だんかい
独特
どくとく
な
心
しん
的
てき
特性
とくせい
を
形成
けいせい
する
被害
ひがい
者
しゃ
へのケアを
含
ふく
めた、
立
た
ち
直
なお
り
支援
しえん
である。
第
だい
4
段階
だんかい
加害
かがい
者
しゃ
対策
たいさく
を
含
ふく
めた
総合
そうごう
的
てき
な
家庭
かてい
内
ない
暴力
ぼうりょく
対策
たいさく
の
法
ほう
制度
せいど
の
確立
かくりつ
である。
★「シェルター」の
機能
きのう
「シェルター」とは”
避難
ひなん
所
しょ
””
駈
か
込
こ
み
寺
てら
”という
意味
いみ
である。
直面
ちょくめん
する
危機
きき
から
逃
のが
れるために
必要
ひつよう
な
施設
しせつ
で、「
犠牲
ぎせい
者
しゃ
(ビクティム)」から「
生
い
き
抜
ぬ
くもの(サバイバー)」への
地位
ちい
変容
へんよう
を
支援
しえん
する
役割
やくわり
を
担
にな
う。(p83)
★「バタード・ウーマン」という
把握
はあく
のもつ
意義
いぎ
と
限界
げんかい
バタード・ウーマンという
捉
とら
え
方
かた
は、
虐待
ぎゃくたい
のある
環境
かんきょう
に
対
たい
して
適応
てきおう
していく
側面
そくめん
を
捉
とら
えたものなので、ここから
抜
ぬ
け
出
で
る
側面
そくめん
を
表
あらわ
す
言葉
ことば
も
同時
どうじ
に
必要
ひつよう
だと
考
かんが
える。
必要
ひつよう
な
社会
しゃかい
資源
しげん
と
効果
こうか
的
てき
な
支援
しえん
の
機会
きかい
があれば、
虐待
ぎゃくたい
的
てき
環境
かんきょう
から
逃
のが
れられるという
視点
してん
を
持
も
つべきだろう。(p85)
★「サバイバー」という
見方
みかた
の
必要
ひつよう
性
せい
「サバイバー」の
理論
りろん
と
仮説
かせつ
による
特徴
とくちょう
づけ
・
激
はげ
しい
暴力
ぼうりょく
は、バタード・ウーマンが
事態
じたい
に
対処
たいしょ
しようとする
戦略
せんりゃく
を
立
た
てることを促 す。
・サバイバーは、
虐待
ぎゃくたい
社
しゃ
のもとを
離
はな
れる
際
さい
に、
不安
ふあん
を
経験
けいけん
する。
選択肢
せんたくし
の
欠如
けつじょ
、ノウハ ウ・お
金
かね
の
欠如
けつじょ
などが、
虐待
ぎゃくたい
者
しゃ
から
逃
のが
れようとすることについての
恐怖
きょうふ
をもたらす。
・サバイバーは、
積極
せっきょく
的
てき
に
支援
しえん
を
求
もと
めている
存在
そんざい
である。
公式
こうしき
・
非公式
ひこうしき
の
支援
しえん
を
求
もと
めて いる。
不適切
ふてきせつ
で
断片
だんぺん
的
てき
な
支援
しえん
のサービスは、
犠牲
ぎせい
者
しゃ
を
虐待
ぎゃくたい
者
しゃ
のもとへ
戻
もど
してしまうこと になってしまう。
・サバイバーへ、
包括
ほうかつ
的
てき
でより
規定
きてい
的
てき
な
支援
しえん
へのアクセスがうまくいっていないと、
虐
しいたげ
待
まち
が
続
つづ
き、エスカレートする。
不適切
ふてきせつ
な
支援
しえん
は「
学習
がくしゅう
性
せい
無力
むりょく
感
かん
」を
高
たか
めることになってし まう。
・バタード・ウーマンはサバイバーとして
存在
そんざい
すべきだ。
地域
ちいき
でのサービスがあれば、
虐待
ぎゃくたい
から
逃
のが
れることを
支援
しえん
できるのである。(p86〜87)
★ある「バタード・ウーマン」からの
手紙
てがみ
「
犠牲
ぎせい
者
しゃ
」から「サバイバー」へと
地位
ちい
変容
へんよう
を
遂
と
げた
女性
じょせい
が
書
か
いた
手紙
てがみ
である。この
女性
じょせい
は
家庭
かてい
内
ない
暴力
ぼうりょく
を
受
う
け、
恐怖
きょうふ
、
不安
ふあん
を
感
かん
じながらも、
自分
じぶん
のために、
子
こ
どものために、そして
夫
おっと
のためにも、
離婚
りこん
を
決意
けつい
した。
★
被害
ひがい
者
しゃ
サポート
政策
せいさく
として
「DVに
反対
はんたい
する
全米
ぜんべい
連合
れんごう
」は、
被害
ひがい
者
しゃ
が
虐待
ぎゃくたい
的
てき
環境
かんきょう
から
脱出
だっしゅつ
する
際
さい
に、
次
つぎ
のような
具体
ぐたい
的
てき
提案
ていあん
をしている。
・
情報
じょうほう
を
入手
にゅうしゅ
すること。
自
みずか
らの
状況
じょうきょう
を
拠
よ
りよく
知
し
るためにあらゆる
情報
じょうほう
を
得
え
ること。
・
法律
ほうりつ
相談
そうだん
で
話
はな
すこと。
・
理解
りかい
できる
年齢
ねんれい
の
子
こ
どもに、よく
話
はなし
をすること。 など
生
い
き
抜
ぬ
くためには、
被害
ひがい
者
しゃ
自身
じしん
の
意識
いしき
の
変革
へんかく
も
必要
ひつよう
である。
・あなたは、
敬意
けいい
ある
人間
にんげん
関係
かんけい
をつくる
権利
けんり
があります。
・
親
した
しい
人
ひと
の
問題
もんだい
ある
行動
こうどう
について、あなたに
責任
せきにん
はありません。
・あなたは「
怒
おこ
る
権利
けんり
」をもっています。
・あなたは
交渉
こうしょう
する
権利
けんり
があります。 など(p90〜93)
第
だい
V
部
ぶ
家庭
かてい
内
ない
暴力
ぼうりょく
の“
加害
かがい
者
しゃ
”とは
誰
だれ
か?−
加害
かがい
者
しゃ
研究
けんきゅう
と
対策
たいさく
第
だい
1
章
しょう
加害
かがい
者
しゃ
研究
けんきゅう
−「バタラー」とは、どんな
男
おとこ
なのか?
★
加害
かがい
者
しゃ
研究
けんきゅう
とは?
米国
べいこく
では「ドメスティック・バイオレンス」
対策
たいさく
がある
程度
ていど
進
すす
んでいるため、
加害
かがい
者
しゃ
研究
けんきゅう
もかなり
行
おこ
なわれている。(p96)
ダットンの<
家庭
かてい
内
ない
暴力
ぼうりょく
>の
加害
かがい
についての3つの
説明
せつめい
(p96〜100)
・
医学
いがく
的
てき
説明
せつめい
「
脳
のう
がダメージを
受
う
けている」という
考
かんが
え
方
かた
である。しかし、
傷
きず
ついた
神経
しんけい
組織
そしき
を
持
も
つ
人
ひと
が、なぜ
妻
つま
だけを、しかもプライベートな
場所
ばしょ
のみで
攻撃
こうげき
するのかはうまく
説明
せつめい
でき ない。
・フェミニスト
的
てき
説明
せつめい
男性
だんせい
の
一般
いっぱん
的
てき
な
横暴
おうぼう
さを
強調
きょうちょう
する
見方
みかた
である。
暴力
ぼうりょく
は、
力
ちから
のヒエラルキーの
中
なか
で、
男性
だんせい
がその
頂点
ちょうてん
にいるという
状態
じょうたい
を
維持
いじ
させる。
男性
だんせい
が
妻
つま
を
虐待
ぎゃくたい
する
理由
りゆう
は、
個人
こじん
にではな く
社会
しゃかい
にあるという
見方
みかた
である。これに
対
たい
し、ダットンは、フェミニスト
的
てき
説明
せつめい
は
家庭
かてい
内
うち
暴力
ぼうりょく
の
社会
しゃかい
的
てき
背景
はいけい
に
対
たい
する
指摘
してき
としてはきわめて
重要
じゅうよう
であるが、
殴
なぐ
る
男性
だんせい
と
殴
なぐ
らない
男性
だんせい
がいることを
説明
せつめい
できないと
言
い
っている。
・
社会
しゃかい
的
てき
学習
がくしゅう
社会
しゃかい
的
てき
学習
がくしゅう
論
ろん
の
基
もと
では、
男性
だんせい
は
自分
じぶん
が
得意
とくい
な
暴力
ぼうりょく
を
通
とお
して
女性
じょせい
に
勝
か
つ。
男性
だんせい
達
たち
は
1
ひと
つの
優位
ゆうい
性
せい
、すなわち
肉体
にくたい
的
てき
優位
ゆうい
性
せい
に
頼
たよ
る。
社会
しゃかい
的
てき
学習
がくしゅう
論
ろん
は、
妻
つま
の
虐待
ぎゃくたい
に
関
かん
するほかの
解釈
かいしゃく
よりも
分
わ
かりやすい。
行動
こうどう
におけるそれぞれの
多様
たよう
性
せい
を
説明
せつめい
しているからである。
★「バタラー」の
共通
きょうつう
の
特性
とくせい
「バタラー」とは
殴
なぐ
る
男
おとこ
の
事
こと
である。その
特性
とくせい
は
次
つぎ
の
通
とお
りである。(p100〜101)
・バタラーは
家庭
かてい
のトラブルの
責任
せきにん
を、
殴
なぐ
る
対象
たいしょう
となる
相手
あいて
に
向
む
かって
転嫁
てんか
する。
・バタラーは、
相手
あいて
の
自律
じりつ
性
せい
を
否定
ひてい
する
傾向
けいこう
がある。
・バタラーは
妻
つま
を
1人
ひとり
の
人間
にんげん
としてみるのではなく、シンボルとして
見
み
る
傾向
けいこう
がある。
・バタラーは、
結婚
けっこん
して
生活
せいかつ
し、
夫婦
ふうふ
でいることへの
期待
きたい
に
固執
こしつ
している。
・バタラーは
妻
つま
が
自分
じぶん
に
対
たい
して
魅力
みりょく
を
感
かん
じ、
必要
ひつよう
としていると
信
しん
じている。
・バタラーは
夫婦
ふうふ
関係
かんけい
において、
親密
しんみつ
な
関係
かんけい
を
築
きず
けないか、または
歪
いが
んだ
親密
しんみつ
性
せい
しか
築
きずけ
けない。
★「
虐待
ぎゃくたい
者
しゃ
シンドローム」
バタラーは、
虐待
ぎゃくたい
と
暴力
ぼうりょく
によって、
何
なん
らかの
感情
かんじょう
的
てき
で
感覚
かんかく
的
てき
な
自己
じこ
の
統一
とういつ
性
せい
を
満
み
たしているとする「
虐待
ぎゃくたい
者
しゃ
シンドローム」がある。(p102)
・
暴力
ぼうりょく
や
虐待
ぎゃくたい
を
通
とお
して、
自律
じりつ
性
せい
の
感情
かんじょう
を
満
み
たしている。
・
防衛
ぼうえい
するという
感覚
かんかく
を
満
み
たしている。
・
確認
かくにん
と
賞賛
しょうさん
という
感情
かんじょう
を
満
み
たしている。
・
他社
たしゃ
を
自己
じこ
の
内部
ないぶ
に
取
と
り
込
こ
んでしまう
勝手
かって
な
感覚
かんかく
をもっている。
★「
中和
ちゅうわ
化
か
」の
技術
ぎじゅつ
バタラーは、<
家庭
かてい
内
ない
暴力
ぼうりょく
>を
正当
せいとう
化
か
する
社会
しゃかい
意識
いしき
によりかかって、
暴力
ぼうりょく
の
責任
せきにん
を
無視
むし
する。これを「
中和
ちゅうわ
化
か
の
技術
ぎじゅつ
」と
呼
よ
んでいる。これを
用
もち
いる
際
さい
に
男
おとこ
らしさイメージが
活用
かつよう
され、
男性
だんせい
性
せい
役割
やくわり
が
家庭
かてい
内
ない
暴力
ぼうりょく
を
肯定
こうてい
する
関係
かんけい
が、
言
い
いわけを
見
み
ると
分
わ
かる。(p103〜104)
★
日本
にっぽん
の
離婚
りこん
裁判
さいばん
における「バタラー」のタイプ
日本
にっぽん
のドメスティック・バイオレンス
加害
かがい
者
しゃ
の
特性
とくせい
(p104〜105)
・
妻
つま
への
依存
いぞん
欲求
よっきゅう
が
非常
ひじょう
に
強
つよ
いタイプ。
・
家族
かぞく
以外
いがい
の
対人
たいじん
関係
かんけい
が
苦手
にがて
で、
言葉
ことば
によるコミュニケーションが
下手
へた
なために
暴力
ぼうりょく
を
振
ふ
るうタイプ。
・
育
そだ
った
環境
かんきょう
において
暴力
ぼうりょく
を
身近
みぢか
に
経験
けいけん
してきたために、
暴力
ぼうりょく
を
振
ふ
るうことへの
抵抗
ていこう
感
かん
がもともと
乏
とぼ
しいタイプ
・アルコールや
薬物
やくぶつ
への
依存
いぞん
とも
関
かか
わって、
病的
びょうてき
な
人格
じんかく
の
現
あら
われとして
暴力
ぼうりょく
を
振
ふ
るうタ イプ
★ジキルとハイド
的
てき
二
に
面
めん
性
せい
カリフォルニア
州
しゅう
にある、おもにバタード・ウーマンを
支援
しえん
する
市民
しみん
団体
だんたい
の
調査
ちょうさ
した
加害
かがい
者
しゃ
の
実態
じったい
は
以下
いか
のようなものである。(p105)
・
自己
じこ
評価
ひょうか
が
低
ひく
い
・
病的
びょうてき
に
嫉妬
しっと
心
しん
が
強
つよ
い。
・
自分
じぶん
の
行動
こうどう
を
他人
たにん
のせいにする。
・ジキル
博士
はかせ
とハイド
氏
し
的
てき
人格
じんかく
など
また、
暴力
ぼうりょく
は
病
や
んだ
個人
こじん
の
問題
もんだい
であり、
精神
せいしん
に
異常
いじょう
のある
男性
だんせい
の
問題
もんだい
だという
認識
にんしき
を
強調
きょうちょう
する
立場
たちば
と、
暴力
ぼうりょく
は
背景
はいけい
にある
男女
だんじょ
関係
かんけい
や
上下
じょうげ
関係
かんけい
を
考慮
こうりょ
に
入
い
れるべきだという
認識
にんしき
の
2
ふた
つがある。(p106)
★「
世代
せだい
間
あいだ
連鎖
れんさ
」
バタラーの
特性
とくせい
に
関
かん
して、
暴力
ぼうりょく
の「
世代
せだい
間
あいだ
連鎖
れんさ
」があると
言
い
われている。バタラーの
多
おお
くは、
育
そだ
った
家族
かぞく
で
暴力
ぼうりょく
や
虐待
ぎゃくたい
を
受
う
けたことのある
人
ひと
である。しかし、
殴
なぐ
られた
子供
こども
が
必
かなら
ず
殴
なぐ
る
大人
おとな
になるわけではなく、
男女
だんじょ
間
あいだ
・
夫婦
ふうふ
間
あいだ
で、
暴力
ぼうりょく
・
虐待
ぎゃくたい
が
成立
せいりつ
し、
許容
きょよう
されていく
過程
かてい
で、その
意味
いみ
づけが
子
こ
どもに
内面
ないめん
化
か
されていく。(p107〜109)
★
加害
かがい
者
しゃ
のタイプ
分
わ
け
ホルッワース=ムンローとスチュアートは
加害
かがい
者
しゃ
を3つのタイプに
分
わ
けている。(p109〜111)
・
家族
かぞく
の
中
なか
でだけ
暴力
ぼうりょく
を
振
ふ
るう
男性
だんせい
妻
つま
とのコミュニケーション・スキルの
貧
まず
しさ、
妻
つま
への
依存
いぞん
の
高
たか
さや
妻
つま
を
占有
せんゆう
していたいという
感情
かんじょう
、
衝動
しょうどう
を
押
お
さえる
事
こと
が
困難
こんなん
、さらには、
拒否
きょひ
されたり、
見捨
みす
てられる
事
こと
を
恐
おそ
れる
感情
かんじょう
などを
持
も
っている。
・
家族
かぞく
の
外
そと
でも、つまり
一般
いっぱん
的
てき
に
暴力
ぼうりょく
を
振
ふ
るう
男性
だんせい
常
つね
に
攻撃
こうげき
的
てき
で、
衝動
しょうどう
的
てき
で、
反
はん
社会
しゃかい
的
てき
な
行動
こうどう
をともない、
育
そだ
った
家庭
かてい
において
暴力
ぼうりょく
を
体験
たいけん
している。また
性別
せいべつ
役割
やくわり
分業
ぶんぎょう
の
意識
いしき
を
強
つよ
く
持
も
つ
保守
ほしゅ
的
てき
なタイプである。
・
人格
じんかく
障害
しょうがい
的
てき
であり、
精神
せいしん
病理
びょうり
的
てき
な
背景
はいけい
があり
暴力
ぼうりょく
を
振
ふ
るう
男性
だんせい
両親
りょうしん
からのネグレクトや
暴力
ぼうりょく
的
てき
な
虐待
ぎゃくたい
を
経験
けいけん
している。また、
適切
てきせつ
な
愛着
あいちゃく
を
親
おや
との
間
あいだ
に
形成
けいせい
しておらず、
女性
じょせい
に
対
たい
しても
敵対
てきたい
的
てき
な
意識
いしき
や
態度
たいど
を
示
しめ
す。
第
だい
2
章
しょう
加害
かがい
者
しゃ
対策
たいさく
−
米国
べいこく
での
実践
じっせん
★
米国
べいこく
での
心理
しんり
教育
きょういく
プログラムの
研究
けんきゅう
米国
べいこく
では、
家庭
かてい
内
ない
暴力
ぼうりょく
の
加害
かがい
者
しゃ
対策
たいさく
が
作
つく
られており、
家庭
かてい
内
ない
暴力
ぼうりょく
を
犯罪
はんざい
として
捉
とら
える
体制
たいせい
があるので、その
結果
けっか
、バタラーが
加害
かがい
者
しゃ
化
か
される。その
制度
せいど
のひとつが、
加害
かがい
者
しゃ
向
む
けの「
心理
しんり
教育
きょういく
プログラム」である。(p116〜117)
★「ダイヴァージョン・プログラム」(
刑罰
けいばつ
代替
だいたい
策
さく
)としての
加害
かがい
者
しゃ
心理
しんり
教育
きょういく
プログラム
ダイヴァージョン・プログラムは、
一定
いってい
の
条件
じょうけん
つきで、「
保護
ほご
観察
かんさつ
処分
しょぶん
」となった
加害
かがい
者
しゃ
が
暴力
ぼうりょく
を
克服
こくふく
するためにうける
教育
きょういく
プログラムである。ダイヴァージョン・プログラムは
加害
かがい
者
しゃ
の
社会
しゃかい
への
再
さい
統合
とうごう
を
目的
もくてき
としている。うまく
機能
きのう
するためには、
社会
しゃかい
内
ない
処遇
しょぐう
(コミュニティ・トリートメント)の
条件
じょうけん
が
整備
せいび
されなければならない。もし、
社会
しゃかい
的
てき
処遇
しょぐう
がなければ、
統制
とうせい
の
対象
たいしょう
となっていなかった
領域
りょういき
までをも
社会
しゃかい
統制
とうせい
のネットワークに
取
と
り
込
こ
む
機能
きのう
を
果
は
たしてしまう。
国家
こっか
をとおして
家族
かぞく
への
介入
かいにゅう
が
行
おこな
われることになる。だから
明確
めいかく
なルール
化
か
が
大切
たいせつ
である。(p118〜120)
★DV
加害
かがい
者
しゃ
プログラムの
基準
きじゅん
<ドメスティック・バイオレンス>に
関
かん
して、「カリフォルニア
州
しゅう
刑法
けいほう
」はDV
加害
かがい
者
しゃ
プログラムを
定
さだ
めている。
法律
ほうりつ
に
基
もと
づき、
判決
はんけつ
が
下
くだ
され、
最終
さいしゅう
的
てき
には、
罰金
ばっきん
、
懲役
ちょうえき
、DV
加害
かがい
者
しゃ
プログラムでのカウンセリング
参加
さんか
、
地域
ちいき
奉仕
ほうし
活動
かつどう
などの
判決
はんけつ
がい
渡
いわた
される。プログラム
期間
きかん
中
ちゅう
、
加害
かがい
者
しゃ
は、いじめ・
嫌
いや
がらせをする、
攻撃
こうげき
する、
殴
なぐ
る、
罵
ののし
る、
付
つ
きまとう、
性的
せいてき
暴力
ぼうりょく
を
振
ふ
るうなど、
被害
ひがい
者
しゃ
の
平穏
へいおん
を
妨
さまた
げるいっさいの
行動
こうどう
を
禁
きん
じられる。
期間
きかん
中
ちゅう
に、こうした
何
なん
らかの
行為
こうい
があれば
裁判
さいばん
のシステムへと
戻
もど
されることになる。(p120〜121)
★カリフォルニア
州
しゅう
の
刑法
けいほう
における「ダイヴァージョン・プログラム」の
規定
きてい
カリフォルニア
州
しゅう
刑法
けいほう
第
だい
1203・097
条
じょう
では、こうしたドメスティック・バイオレンスの
加害
かがい
者
しゃ
への
保護
ほご
観察
かんさつ
処分
しょぶん
としての「ダイヴァージョン・プログラム」の
内容
ないよう
を
詳細
しょうさい
に
定
さだ
めている。
・
最低
さいてい
36
ヶ月
かげつ
の
保護
ほご
観察
かんさつ
・
更
さら
なる
暴力
ぼうりょく
、
脅迫
きょうはく
、ストーキング、
性的
せいてき
暴力
ぼうりょく
、ハラスメント、
排除
はいじょ
をしないという
条件
じょうけん
で、
一定
いってい
の
要件
ようけん
を
満
み
たす
場合
ばあい
に、ダイヴァージョンとする。
「ダイヴァージョン・プログラム」は、
講義
こうぎ
、グループ
討論
とうろん
、カウンセリングなどを
含
ふく
めたDV
加害
かがい
者
しゃ
プログラムとすることとされている。プログラムの
目標
もくひょう
は、
家庭
かてい
内
ない
暴力
ぼうりょく
を
止
と
めることである。(p122〜123)
★DV
加害
かがい
者
しゃ
プログラムの
具体
ぐたい
例
れい
カウンセラーのダニエル・ソンキン
氏
し
はプログラムには「
怒
いか
りのマネジメントやコミュニケーション・スキルの
獲得
かくとく
」が
必要
ひつよう
だという。そして、
単
たん
に
男
おとこ
らしさ
役割
やくわり
に
直結
ちょっけつ
させて
男性
だんせい
の
暴力
ぼうりょく
を
捉
とら
えることは
短絡
たんらく
的
てき
だという。
広
ひろ
く
男性
だんせい
をして
暴力
ぼうりょく
という
行動
こうどう
をとらせしめる「
家族
かぞく
という
関係
かんけい
」の
心理
しんり
学
がく
的
てき
な
把握
はあく
に
基
もと
づくプログラムの
構築
こうちく
の
必要
ひつよう
性
せい
を
彼
かれ
は
主張
しゅちょう
している。
男性
だんせい
性
せい
、
家族
かぞく
役割
やくわり
、
怒
いか
りマネジメントという3つの、それぞれについての
変容
へんよう
を
促
うなが
すために
効果
こうか
的
てき
なカウンセリングの
手法
しゅほう
とグループワークを
組
く
み
合
あ
わせてプログラムが
開発
かいはつ
されていく。
具体
ぐたい
的
てき
には、
交流
こうりゅう
分析
ぶんせき
によるコミュニケーション・パターンの
歪
ゆが
みや
特性
とくせい
の
理解
りかい
、エゴグラム(
自己
じこ
の
性格
せいかく
特性
とくせい
を
把握
はあく
するための
心理
しんり
テスト)による
自己
じこ
洞察
どうさつ
、ロールプレイング(
役割
やくわり
を
演技
えんぎ
して
多用
たよう
な
表現
ひょうげん
手段
しゅだん
を
身
み
に
付
つ
ける
体験
たいけん
学習
がくしゅう
の
手法
しゅほう
)によるコミュニケーション・スキルの
学習
がくしゅう
をとおした
行動
こうどう
変容
へんよう
などである。(p125〜126)
★「マンアライブ」(カリフォルニア
州
しゅう
)のプログラム
「マンアライブ」はサンフランシスコ
市
し
周辺
しゅうへん
で
活動
かつどう
する
非
ひ
営利
えいり
団体
だんたい
である。「ドメスティック・バイオレンス・ダイヴァージョン・プログラム」を
提供
ていきょう
している。(p127)
マンアライブがDV
加害
かがい
者
しゃ
プログラムに
必要
ひつよう
だと
考
かんが
えることは、
第
だい
1に
男
おとこ
らしさの
問題
もんだい
行動
こうどう
という
正
ただ
しいメッセージを
加害
かがい
者
しゃ
に
送
おく
ること、
第
だい
2に
本当
ほんとう
のリハビリテーションの
機会
きかい
を
与
あた
えることである。(p129)
プログラムの
具体
ぐたい
的
てき
内容
ないよう
(p130)
・パート1 「
一人
ひとり
ひとりの
暴力
ぼうりょく
克服
こくふく
」
第
だい
1
段階
だんかい
「
私
わたし
は
暴力
ぼうりょく
を
止
と
める」
第
だい
2
段階
だんかい
「アサーション・トレーニング」(
相手
あいて
を
批判
ひはん
したり
自分
じぶん
を
偽
いつわ
ったりしないコミュニケーションの
仕方
しかた
を
学
まな
ぶトレーニング)
第
だい
3
段階
だんかい
「
責任
せきにん
ある
親密
しんみつ
さの
回復
かいふく
」
・パート2 「コミュニティへの
働
はたら
きかけ」
第
だい
4
段階
だんかい
「ホットライン。トレーニング」(
電話
でんわ
相談
そうだん
の
受
う
け
手
て
として
活動
かつどう
する)
第
だい
5
段階
だんかい
「DV
加害
かがい
者
しゃ
教室
きょうしつ
での
活動
かつどう
」(
教室
きょうしつ
のプログラム
進行
しんこう
をサポートする
活動
かつどう
)
第
だい
6
段階
だんかい
「コミュニティへの
働
はたら
きかけとコミュニティでの
教育
きょういく
活動
かつどう
」(
高校
こうこう
や
刑務所
けいむしょ
に
出
で
かけて
体験
たいけん
を
語
かた
ることや、ドメスティック・バイオレンス
関連
かんれん
の
集
あつ
まりで
話
はな
す
活動
かつどう
)
パート1は
義務
ぎむ
であり、パート2は
任意
にんい
参加
さんか
である。(p131)
マンアライブの
取
と
り
組
く
みは、
年々
ねんねん
、
教室
きょうしつ
数
すう
が
増
ふ
え、
刑務所
けいむしょ
や
少年院
しょうねんいん
での
常習
じょうしゅう
者
しゃ
向
む
けプログラムや
青少年
せいしょうねん
向
む
け
予防
よぼう
プログラムとして
拡大
かくだい
されている。(p132)
★「メンズリソース・センター」(マサチュセッツ
州
しゅう
)のプログラム
「メンズリソース・センター」は「MOVEプログラム(
暴力
ぼうりょく
を
克服
こくふく
する
男性
だんせい
のためのプログラム)」を
実施
じっし
している。
プログラム
参加
さんか
者
しゃ
は、
毎日
まいにち
「
怒
いか
り
日誌
にっし
」と「1
週間
しゅうかん
の
感情
かんじょう
コントロール
記録
きろく
」を
記
しる
すことが
義務
ぎむ
である。メンズ・リソースセンターは「チェックリストを
通
とお
して
考
かんが
える
自
みずか
らの
行動
こうどう
」を
重視
じゅうし
する。(p133〜134)
「MOVEプログラム」
参加
さんか
者
しゃ
は2
種類
しゅるい
いる。(p135)
・
自発
じはつ
的
てき
参加
さんか
者
しゃ
(
自分
じぶん
の
暴力
ぼうりょく
に
悩
なや
む
男性
だんせい
は、
家族
かぞく
の
勧
すす
めや
自発
じはつ
的
てき
な
意志
いし
により
任意
にんい
に
参加
さんか
できる) 20
週間
しゅうかん
のプログラム
・
裁判所
さいばんしょ
の
命令
めいれい
による
参加
さんか
者
しゃ
40
週間
しゅうかん
のプログラム
最終
さいしゅう
的
てき
な
目標
もくひょう
(p136)
・ドメスティック・バイオレンスとはなにか? についての
基本
きほん
的
てき
教育
きょういく
を
行
おこな
うこと
・
暴力
ぼうりょく
的
てき
な
行動
こうどう
を
止
と
めるための
戦略
せんりゃく
を
提供
ていきょう
すること
・
男
おとこ
らしさの
態度
たいど
や
思
おも
い
込
こ
みを
変化
へんか
させること
・
親密
しんみつ
な
関係
かんけい
の
中
なか
での
平等
びょうどう
とはなにか? について
考
かんが
えさせること
★「エマージュ」(マサチュセッツ
州
しゅう
)のプログラム
「
初心者
しょしんしゃ
クラス」は2
時
じ
間
あいだ
で、「セカンドステージ」は11か
月
げつ
から24か
月
げつ
間
あいだ
にわたる。
プログラムは、
男性
だんせい
特有
とくゆう
の
暴力
ぼうりょく
の
態度
たいど
と
意識
いしき
を
克服
こくふく
することを
目的
もくてき
にしている。その
態度
たいど
と
意識
いしき
とは、
第
だい
1に
否認
ひにん
、
第
だい
2に
過小
かしょう
評価
ひょうか
、
第
だい
3にはぐらかしである。(p136〜137)
プログラムは、パートナーへの
暴力
ぼうりょく
の
影響
えいきょう
、
短期
たんき
と
長期
ちょうき
の
中
なか
で
何
なに
をすればいいのかを
考
かんが
えることや、コミュニケーションの
仕方
しかた
を
学
まな
ぶ。(p138〜139)
★DV
加害
かがい
者
しゃ
プログラムの
特徴
とくちょう
上
うえ
の3つのプログラムに
共通
きょうつう
する
特徴
とくちょう
(p140〜141)
・プログラムがマンツーマンの
一般
いっぱん
的
てき
なカウンセリングではないこと。
明確
めいかく
に「
男
おとこ
らしさと
暴力
ぼうりょく
」に
焦点
しょうてん
を
合
あ
わせている。
・DV
加害
かがい
者
しゃ
プログラムの
定義
ていぎ
が
広
ひろ
いこと。
物理
ぶつり
的
てき
暴力
ぼうりょく
、
言葉
ことば
による
暴力
ぼうりょく
、
感情
かんじょう
面
めん
での
暴力
ぼうりょく
、
性的
せいてき
暴力
ぼうりょく
、ネグレクト
行為
こうい
などがある。
・
教育
きょういく
プログラムとして
組
く
み
立
た
てられているということ。
・
単
たん
に
家族
かぞく
関係
かんけい
の
調整
ちょうせい
でもなく、
当該
とうがい
の
男性
だんせい
個人
こじん
の
精神
せいしん
保健
ほけん
上
じょう
の
問題
もんだい
でもないという
性格
せいかく
付
づ
けを
正確
せいかく
にしていること。
★
男
おとこ
らしさのハビットの
変革
へんかく
ー4つのポイント
DV
加害
かがい
者
しゃ
プログラムは、
男
おとこ
らしさのハビットの
組
くみ
換
か
えを
目標
もくひょう
としている。
男
おとこ
らしさの
行動
こうどう
様式
ようしき
は
変
か
えられる、
後天的
こうてんてき
に
獲得
かくとく
したものだという
考
かんが
え
方
かた
を
前提
ぜんてい
にしている。(p144)
暴力
ぼうりょく
的
てき
な
行動
こうどう
を
組
く
み
変
か
える
際
さい
の4つのポイント(p145)
・
何
なに
が
暴力
ぼうりょく
なのか、
被害
ひがい
者
しゃ
が
暴力
ぼうりょく
を
誘発
ゆうはつ
したのではないという
点
てん
での「
認知
にんち
の
歪
ゆが
みを
克服
こくふく
すること」
・
怒
いか
りの
感情
かんじょう
だけが
肥大
ひだい
化
か
していることを
自覚
じかく
し、
感情
かんじょう
面
めん
でのバランスの
回復
かいふく
を
目指
めざ
した「
感情
かんじょう
の
豊
ゆた
かさを
取
と
り
戻
もど
すこと」
・それを
表現
ひょうげん
することの
大切
たいせつ
さ
・
怒
いか
りの
感情
かんじょう
を”
殴
なぐ
る”という
行動
こうどう
に
結
むす
びつけないことの
学習
がくしゅう
という
点
てん
での「
行動
こうどう
変容
へんよう
を
促
うなが
すこと」
効果
こうか
的
てき
なDV
加害
かがい
者
しゃ
プログラムには、この4つのポイントが
不可欠
ふかけつ
である。
第
だい
3
章
しょう
日本
にっぽん
での
加害
かがい
者
しゃ
対策
たいさく
の
実践
じっせん
★
日本
にっぽん
社会
しゃかい
の
問題
もんだい
へ−
加害
かがい
者
しゃ
向
む
けの
取
と
り
組
く
みへ
米国
べいこく
での
取
と
り
組
く
みとその
効果
こうか
を
踏
ふ
まえ、
日本
にっぽん
社会
しゃかい
において
加害
かがい
者
しゃ
対策
たいさく
を
考
かんが
える
上
うえ
で
重要
じゅうよう
なことは、ドメスティック・バイオレンス
加害
かがい
者
しゃ
のための
法
ほう
制度
せいど
の
整備
せいび
や
現行
げんこう
法
ほう
や
制度
せいど
を
活用
かつよう
した
対策
たいさく
、ダイヴァージョン
的
てき
なプログラムの
実施
じっし
などの
側面
そくめん
とあわせて、
事後
じご
的
てき
な
措置
そち
だけではなく、
予防
よぼう
的
てき
なプログラムの
実施
じっし
である。
当面
とうめん
は、「
家庭
かてい
内
ない
暴力
ぼうりょく
の
犯罪
はんざい
化
か
」という
視点
してん
での
取
と
り
組
く
みが
必要
ひつよう
である。さらにその
上
うえ
で、「
家庭
かてい
内
ない
暴力
ぼうりょく
の
予防
よぼう
と
防止
ぼうし
」、そして「
家庭
かてい
内
ない
暴力
ぼうりょく
を
克服
こくふく
するための
教育
きょういく
プログラムの
参加
さんか
」ということをまとめた
総合
そうごう
的
てき
な
加害
かがい
者
しゃ
対策
たいさく
が
打
う
ち
立
た
てられるべきである。(p147〜148)
★
男
おとこ
のための
非
ひ
暴力
ぼうりょく
グループワーク
1999
年
ねん
5
月
がつ
から6
月
がつ
にかけて「
男
おとこ
の
非
ひ
暴力
ぼうりょく
グループワーク」と
称
しょう
して、
米国
べいこく
のDV
加害
かがい
者
しゃ
プログラムをもとにしたプログラムで、グループワークを
行
おこ
なった。このグループワークでは、
男性
だんせい
のコミュニケーションの
仕方
しかた
を
改善
かいぜん
する
効果
こうか
を
期待
きたい
している。(p148〜149)
これは、ドメスティック・バイオレンスの
加害
かがい
者
しゃ
の
特性
とくせい
に
依拠
いきょ
したグループワークである。
自発
じはつ
的
てき
に
暴力
ぼうりょく
に
気
き
づいて
集
あつ
まる
男性
だんせい
たちが、
少
すく
なからず
存在
そんざい
している。もちろん、
深刻
しんこく
な
暴力
ぼうりょく
については
刑罰
けいばつ
で
対応
たいおう
すべきだろう。しかし、
刑罰
けいばつ
の
論理
ろんり
よりも
教育
きょういく
の
論理
ろんり
が
有効
ゆうこう
な
層
そう
もある。この
取
と
り
組
く
みは、こうした
層
そう
を
対象
たいしょう
としている。(p152)
★
非
ひ
暴力
ぼうりょく
グループワークの
内容
ないよう
男
おとこ
のための
非
ひ
暴力
ぼうりょく
グループワークは、
週
しゅう
に1
回
かい
、6
週間
しゅうかん
のプログラムである。
各回
かくかい
のテーマ(p152)
第
だい
1
回
かい
出会
であ
いのグループワーク−お
互
たが
いを
知
し
る、
自分
じぶん
を
知
し
る
第
だい
2
回
かい
感情
かんじょう
を
伝
つた
える(その1)−
自分
じぶん
の
感情
かんじょう
を
知
し
る
第
だい
3
回
かい
感情
かんじょう
を
伝
つた
える(その2)−
感情
かんじょう
を
言葉
ことば
で
表
あらわ
す
第
だい
4
回
かい
感情
かんじょう
を
伝
つた
える(その3)−
見方
みかた
を
変
か
える
第
だい
5
回
かい
行動
こうどう
を
変
か
える−
暴力
ぼうりょく
を
振
ふ
るわずに
暮
く
らす
第
だい
6
回
かい
新
あたら
しい
自分
じぶん
へー
豊
ゆた
かなコミュニケーション
能力
のうりょく
を
養
やしな
う
まず、
初
はじ
めての
男性
だんせい
同士
どうし
が、
話
はな
し
合
あ
いながらグループを
形成
けいせい
していく。
毎回
まいかい
、
同
おな
じように
感情
かんじょう
を
表
あらわ
す
言葉
ことば
を
聞
き
き
合
あ
い、1
週間
しゅうかん
に
暴力
ぼうりょく
があったのかどうかの
反省
はんせい
を
行
おこな
い、
怒
いか
りの
感情
かんじょう
に
焦点
しょうてん
をあわせて
自己
じこ
を
語
かた
る。そのきっかけとなる
多様
たよう
なワークを
取
と
り
入
い
れながら
進行
しんこう
する。(p153〜156)
そして、「エゴグラム」(
自分
じぶん
の
性格
せいかく
特性
とくせい
を
知
し
るための
質問
しつもん
に
答
こた
えていく
検査
けんさ
の
道具
どうぐ
)を
使
つか
い、
自己
じこ
分析
ぶんせき
を
行
おこ
なう。また、
夫婦
ふうふ
の
会話
かいわ
を
想定
そうてい
して、
暴力
ぼうりょく
にいたるようなコミュニケーションとそれを
回避
かいひ
するような
練習
れんしゅう
を
行
おこ
なう。「アサーション・トレーニング」である。とにかく
気持
きも
ちを
語
かた
り
合
あ
う「やりとり」のコミュニケーションを
取得
しゅとく
してもらう。(p160)
それぞれのワークは
単純
たんじゅん
な
行動
こうどう
であるが、
男
おとこ
の
非
ひ
暴力
ぼうりょく
ということに
焦点
しょうてん
を
合
あ
わせて
相互
そうご
に
関連
かんれん
がつけられているので、
参加
さんか
者
しゃ
は
日常
にちじょう
生活
せいかつ
の
中
なか
に
自己
じこ
を
見出
みいだ
し、
暴力
ぼうりょく
の
体験
たいけん
を
客観
きゃっかん
的
てき
に
見
み
つめなおす。(p160〜161)
★
非
ひ
暴力
ぼうりょく
グループワーク
参加
さんか
者
しゃ
の
感想
かんそう
このグループワークに
集
あつ
まった
人
ひと
に
共通
きょうつう
しているのは、
男性
だんせい
であり、
暴力
ぼうりょく
の
悩
なや
みを
抱
かか
えているということだけである。
感想
かんそう
の
一
いち
例
れい
(p161〜164)
・
安定
あんてい
が
得
え
られたような
気
き
がする。
・
言葉
ことば
で
表現
ひょうげん
して、
暴力
ぼうりょく
なしでケンカができるように、ちょっとづつ
変
か
わってきた。
参加
さんか
してよかった。
・
自分
じぶん
の
中
なか
にあるものが
原因
げんいん
と
気
き
づいた。
下
した
の
自分
じぶん
に
戻
もど
りたい。
★
非
ひ
暴力
ぼうりょく
グループワークの
仮説
かせつ
男
おとこ
のための
非
ひ
暴力
ぼうりょく
グループワークで
導入
どうにゅう
されている
仮説
かせつ
は4つある。(p164〜165)
@
認知
にんち
に
関
かん
して。ドメスティック・バイオレンスについて、
夫婦
ふうふ
ゲンカではなくて<
家庭
かてい
内
ない
暴力
ぼうりょく
>であるという
認識
にんしき
を
獲得
かくとく
する。
A
感情
かんじょう
に
関
かん
して。
喜怒哀楽
きどあいらく
などの
自分
じぶん
の
感情
かんじょう
を
知
し
る。
特
とく
に
怒
いか
りの
感情
かんじょう
のパターン。
B
表現
ひょうげん
に
関
かん
して。それを、
言葉
ことば
・
文字
もじ
・
絵
え
など、
何
なに
かで
表現
ひょうげん
してみる。
C
行動
こうどう
に
関
かん
して。
具体
ぐたい
的
てき
な
行動
こうどう
の
変化
へんか
に
結
むす
びつける。タイムアウト
法
ほう
・
電話
でんわ
・
外出
がいしゅつ
・
話
はな
し
合
あ
いなどの
脱
だつ
暴力
ぼうりょく
のスキルと
思想
しそう
と
行動
こうどう
を
身
み
につける。
この4つの
課題
かだい
に
即
そく
して、
男性
だんせい
たちの
暴力
ぼうりょく
にいたるコミュニケーションの
仕方
しかた
に
気
き
づき、
変容
へんよう
を
促
うなが
し、
相互
そうご
に
語
かた
り
合
あ
い、
自分
じぶん
や
暴力
ぼうりょく
と
向
む
き
合
あ
う
時間
じかん
と
空間
くうかん
を
共有
きょうゆう
する。
★
加害
かがい
と
向
む
き
合
あ
う
グループワークには
常
つね
に
語
かた
り
合
あ
いがある。おそらくは、
他人
たにん
の
前
まえ
ではじめて
語
かた
る
暴力
ぼうりょく
の
現実
げんじつ
である。それぞれの
語
かた
りの
背景
はいけい
にある
夫婦
ふうふ
間
あいだ
・
家族
かぞく
間
あいだ
の
葛藤
かっとう
や
暴力
ぼうりょく
の
現実
げんじつ
に
圧倒
あっとう
されながらも、
参加
さんか
者
しゃ
たちは
自分
じぶん
の
姿
すがた
に
重
かさ
ねながら2
度
ど
と
暴力
ぼうりょく
をふるわないことを
誓
ちか
い
合
あ
う。
今
いま
までとは
異
こと
なる
時間
じかん
が
流
なが
れ、
暴力
ぼうりょく
を
止
と
めることができたという
男性
だんせい
がほとんどであった。(p167)
★
男性
だんせい
性
せい
役割
やくわり
の
変化
へんか
男
おとこ
のための
非
ひ
暴力
ぼうりょく
グループワークで、
男性
だんせい
は
感情
かんじょう
を
吐露
とろ
し、
事実
じじつ
を
正確
せいかく
に
見極
みきわ
め、
他人
たにん
に
語
かた
り
合
あ
い、
傾聴
けいちょう
しあい、
暴力
ぼうりょく
の
原因
げんいん
を
他人
たにん
に
転嫁
てんか
しないというコミュニケーション
環境
かんきょう
に
身
み
をおくことにより、
参加
さんか
者
しゃ
たちの
男性
だんせい
性
せい
役割
やくわり
が
変化
へんか
する。(p168)
男性
だんせい
も、
社会
しゃかい
的
てき
に
構築
こうちく
された
男性
だんせい
役割
やくわり
でがんじがらめにされている。
人生
じんせい
の
上
のぼ
り
調子
ちょうし
のときは、
男性
だんせい
役割
やくわり
も
上昇
じょうしょう
志向
しこう
に
相乗
そうじょう
効果
こうか
を
発揮
はっき
するが、
挫折
ざせつ
体験
たいけん
の
際
さい
に、
男性
だんせい
役割
やくわり
はマイナス
効果
こうか
となる。
傷
きず
ついた
男
おとこ
らしさをクールダウンさせる
方法
ほうほう
がなかった。そして、
暴力
ぼうりょく
、
虐待
ぎゃくたい
などにはしっていた。もちろん、きちんと
挫折
ざせつ
に
向
む
き
合
あ
い、
何
なに
とか
自分
じぶん
と
折
お
り
合
あ
いをつけながら、
自分
じぶん
らしく
生
い
きていく
男性
だんせい
も
多
おお
い。そんな
男
おとこ
たちを
支援
しえん
する
取
と
り
組
く
みが
非
ひ
暴力
ぼうりょく
グループワークである。(p173〜174)
第
だい
4
章
しょう
男性
だんせい
研究
けんきゅう
からの
家庭
かてい
内
ない
暴力
ぼうりょく
へのアプローチ
★ジェンダーと
言葉
ことば
男性
だんせい
たちは
暴力
ぼうりょく
的
てき
な
行動
こうどう
を、より
平和
へいわ
的
てき
へと
変容
へんよう
させることを
求
もと
められる。グループワークでは、
新
あたら
しい
言葉
ことば
と
感情
かんじょう
表現
ひょうげん
の
仕方
しかた
を
身
み
につけることが
目標
もくひょう
として
設定
せってい
されている。そうした
自発
じはつ
的
てき
な
意識
いしき
変容
へんよう
の
核
かく
にあるのは、“ジェンダー”
意識
いしき
そのものである。
男性
だんせい
たちは
性別
せいべつ
役割
やくわり
分業
ぶんぎょう
に
則
そく
した
意識
いしき
や
家族
かぞく
観
かん
、
男女
だんじょ
観
かん
の
変容
へんよう
を
迫
せま
られる。(p175)
★
男
おとこ
たちのコミュニケーション
問題
もんだい
男性
だんせい
は、
性別
せいべつ
役割
やくわり
分業
ぶんぎょう
意識
いしき
をもち、
大黒柱
だいこくばしら
的
てき
役割
やくわり
を
担
にな
い、
密室
みっしつ
化
か
した
家庭
かてい
内
ない
での
関係
かんけい
が
閉
と
じており、
男
おとこ
らしさの
自尊心
じそんしん
の
砦
とりで
として
家庭
かてい
がある。
悩
なや
みを
見
み
せたり、
人前
ひとまえ
で
泣
な
いたりして、
自分
じぶん
の
感情
かんじょう
をきちんと
表現
ひょうげん
することができない。
若
わか
い
男性
だんせい
たちの「むかつく、いらいらする」などの
感情
かんじょう
のあり
方
かた
は
危険
きけん
な
行動
こうどう
に
結
むす
びつきやすい。
男性
だんせい
たちは、あたりまえのように
男
おとこ
らしさのアイテムが
提供
ていきょう
すると
規制
きせい
に
則
そく
して
振
ふ
る
舞
ま
い、
話
はな
し、
感
かん
じる。その
背景
はいけい
には
生物
せいぶつ
学
がく
的
てき
な“オス”を“
男性
だんせい
”に
仕立
した
てていく
社会
しゃかい
制度
せいど
があるし、それが
求
もと
める
行動
こうどう
様式
ようしき
やパターンがあり、なかには
暴力
ぼうりょく
と
親和
しんわ
的
てき
な
場合
ばあい
もある。(p178)
★
男
おとこ
らしさと
男性
だんせい
役割
やくわり
の
研究
けんきゅう
の
必要
ひつよう
性
せい
男性
だんせい
性
せい
にかかわる
社会
しゃかい
病理
びょうり
という
視点
してん
もジェンダー
研究
けんきゅう
の
際
さい
には
必要
ひつよう
である。
支配
しはい
する
性
せい
である
矛盾
むじゅん
と
困難
こんなん
と
病理
びょうり
と
責任
せきにん
を
語
かた
ることをとおして、
肯定
こうてい
的
てき
な
男性
だんせい
性
せい
のあり
方
かた
を
示
しめ
さなければならない。(p179)
DV
加害
かがい
者
しゃ
プログラムの
多
おお
くは、ジェンダー
構造
こうぞう
を
内面
ないめん
化
か
した
男性
だんせい
性
せい
役割
やくわり
と
暴力
ぼうりょく
的
てき
行動
こうどう
との
親和
しんわ
性
せい
を
問
と
いなおすことに
力点
りきてん
を
置
お
いている。
★「“
男
おとこ
らしさ”を
憎
にく
んで“
男
おとこ
”を
憎
にく
まず」
生物
せいぶつ
学
がく
的
てき
な
男性
だんせい
と、ジェンダー
的
てき
な
男性
だんせい
性
せい
もしくは
男性
だんせい
役割
やくわり
とは
区別
くべつ
して
把握
はあく
しておくことが
必要
ひつよう
である。(p180)
男性
だんせい
や
男
おとこ
らしさが
問題
もんだい
になる
背景
はいけい
は2つある。(p180)
・
女性
じょせい
学
がく
のインパクト
女性
じょせい
という
差別
さべつ
された
性
せい
からの
告発
こくはつ
を
受
う
け、
男性
だんせい
という
差別
さべつ
する
性
せい
は
反省
はんせい
を
迫
せま
られる。「
加害
かがい
者
しゃ
としての
男性
だんせい
」という
発想
はっそう
である。
・
男
おとこ
らしさそれ
自身
じしん
をあつかい、
性
せい
としては、
男性
だんせい
も
抑圧
よくあつ
されたせいであるという
点
てん
を
強調
きょうちょう
する
考
かんが
え
方
かた
である。「
被害
ひがい
者
しゃ
としての
男性
だんせい
」という
発想
はっそう
である。
★メンツとは?
男
おとこ
らしさ
意識
いしき
が
問
と
われる
場
じょう
として、
家族
かぞく
がある。
男性
だんせい
は
育児
いくじ
や
家事
かじ
という
他人
たにん
をケアする
行動
こうどう
を
通
とお
して、
自分
じぶん
の
中
なか
の
女性
じょせい
的
てき
役割
やくわり
とされる
側面
そくめん
を
意識
いしき
する。
子供
こども
中心
ちゅうしん
の
生活
せいかつ
や
対応
たいおう
の
仕方
しかた
、つまり
受
う
け
身
み
の
立場
たちば
となる。かつて
自分
じぶん
の
母親
ははおや
が
自分
じぶん
に
対
たい
してしていたのと
同
おな
じような
行動
こうどう
をすることに、
男性
だんせい
が
育児
いくじ
と
家事
かじ
をすることを
嫌
いや
がる
根本
こんぽん
がある。
女
おんな
らしくないことが
男
おとこ
らしさだとすれば、それに
逆
さか
らわなければならない。これが“メンツ”の
問題
もんだい
である。(p184)
第
だい
5
章
しょう
メンズサポート
活動
かつどう
について
★「メンズサポートルーム」へ
非
ひ
暴力
ぼうりょく
グループワークをとおして、サポートすることは「
加害
かがい
者
しゃ
化
か
」(DVの
加害
かがい
者
しゃ
であることを
自覚
じかく
すること)を
支援
しえん
することがもっとも
大事
だいじ
なことだと
考
かんが
えている。
怒
いか
りを
鎮
しず
め、
暴力
ぼうりょく
を
止
と
めさせ、
必要
ひつよう
な
責任
せきにん
を
引
ひ
き
受
う
け、
離婚
りこん
や
養育
よういく
料
りょう
や
慰謝
いしゃ
料
りょう
請求
せいきゅう
に
応
おう
じ、
失業
しつぎょう
の
恐
おそ
れと
長時間
ちょうじかん
労働
ろうどう
による
疲労
ひろう
にも
目配
めくば
りしながら、
男性
だんせい
役割
やくわり
と
暴力
ぼうりょく
と
攻撃
こうげき
性
せい
の
連鎖
れんさ
を
断
た
ち
切
き
るという、やっかいなサポートである。(p186)
もう
少
すこ
し
広
ひろ
く
男性
だんせい
役割
やくわり
を
考
かんが
えていくと、
何
なに
をサポートすればいいのかが
見
み
えてくる。(p187)
・
男性
だんせい
役割
やくわり
のストレス。
特
とく
に
仕事
しごと
面
めん
でのストレスが
大
おお
きい。
・
変化
へんか
する
家族
かぞく
生活
せいかつ
や
親密
しんみつ
な
関係
かんけい
における
問題
もんだい
。
離婚
りこん
で
直面
ちょくめん
する
感情
かんじょう
的
てき
問題
もんだい
、
父親
ちちおや
役割
やくわり
のあり
方
かた
などである。
・
男性
だんせい
問題
もんだい
という
意味
いみ
づけ。
特
とく
に、
思春期
ししゅんき
から
老年
ろうねん
期
き
のライフサイクルに
対応
たいおう
した
男性
だんせい
問題
もんだい
への
支援
しえん
体制
たいせい
を
作
つく
ること。
・
具体
ぐたい
的
てき
な
対人
たいじん
関係
かんけい
スキルやコミュニケーション
能力
のうりょく
の
形成
けいせい
に
関
かん
する
場
ば
が
必要
ひつよう
だということ。
★「
臨床
りんしょう
社会
しゃかい
学
がく
」という
見方
みかた
<ドメスティック・バイオレンス>や<
子
こ
ども
虐待
ぎゃくたい
>は、
社会
しゃかい
的
てき
な
側面
そくめん
が
前面
ぜんめん
に
出
で
てきて、
個人
こじん
対
たい
個人
こじん
のカウンセリングや
臨床
りんしょう
心理
しんり
実践
じっせん
ではフォローできないものがたくさんある。(p188)
自分
じぶん
が
学習
がくしゅう
してきた
暴力
ぼうりょく
を
繰
く
り
返
かえ
すことなく、
暴力
ぼうりょく
を
克服
こくふく
するための
再
さい
学習
がくしゅう
の
場
ば
を
提供
ていきょう
する。
社会
しゃかい
全体
ぜんたい
には
男性
だんせい
問題
もんだい
を
主張
しゅちょう
する。そして、
個別
こべつ
のグループワークや
相談
そうだん
を
通
とお
して、
一人
ひとり
ひとりの
内側
うちがわ
にも
自己
じこ
を
見
み
つめる
物語
ものがたり
を
作
つく
り
出
だ
す。こうして
男
おとこ
らしさからの
自由
じゆう
という
洞察
どうさつ
が
可能
かのう
になる
援助
えんじょ
モデルを
規程
きてい
して
取
と
り
組
く
みをすすめている。(p190)
★
男
おとこ
のための
対人
たいじん
援助
えんじょ
講座
こうざ
2000
年
ねん
3
月
がつ
、
対人
たいじん
関係
かんけい
で
悩
なや
む
男
おとこ
たちに「
男
おとこ
のための
対人
たいじん
援助
えんじょ
講座
こうざ
」という6
週間
しゅうかん
のプログラムを
実施
じっし
した(
暴力
ぼうりょく
を
焦点
しょうてん
にしたものではない)。
自分
じぶん
の“ライフイベント(
挫折
ざせつ
体験
たいけん
)”を
振
ふ
り
返
かえ
りながら、
自分
じぶん
の
感情
かんじょう
に
気
き
づいていくワークを
実施
じっし
した。
対人
たいじん
関係
かんけい
で
悩
なや
むというのは
自分
じぶん
のことで
悩
なや
んでいるわけである。
人
ひと
との
関係
かんけい
がうまくいかないのは、
自分
じぶん
の
中
なか
に
折
お
り
合
あ
いをつけていないものがたくさんあることだと
理解
りかい
がすすむ。(p191)
男
おとこ
たちが“
男
おとこ
らしさ”という
意識
いしき
に
呪縛
じゅばく
されることなく、そして
何
なに
よりも
暴力
ぼうりょく
なしで
暮
く
らす
方法
ほうほう
を
身
み
に
付
つ
けるためのサポートが、メンズサポートの
内容
ないよう
だと
考
かんが
えている。(p192)
★
資料
しりょう
「DV
防止
ぼうし
への
法
ほう
政策
せいさく
提言
ていげん
」
神戸
こうべ
の
長谷川
はせがわ
京子
きょうこ
弁護士
べんごし
が
中心
ちゅうしん
になって
活動
かつどう
している「DV
防止
ぼうし
法
ほう
研究
けんきゅう
会
かい
」が
体系
たいけい
的
てき
な
政策
せいさく
提言
ていげん
を
行
おこ
なっている。
提言
ていげん
の
全体
ぜんたい
構想
こうそう
は、
以下
いか
のとおりである。(p193〜199)
はじめに
第
だい
1
章
しょう
DVの
構造
こうぞう
と
対応
たいおう
の
基本
きほん
方針
ほうしん
第
だい
2
章
しょう
DV
犯罪
はんざい
についての
処罰
しょばつ
規定
きてい
第
だい
3
章
しょう
保護
ほご
命令
めいれい
手続
てつづき
第
だい
4
章
しょう
警察
けいさつ
の
役割
やくわり
と
刑事
けいじ
司法
しほう
第
だい
5
章
しょう
婚姻
こんいん
・
離婚
りこん
法
ほう
の
改正
かいせい
第
だい
6
章
しょう
被害
ひがい
者
しゃ
と
子供
こども
の
避難
ひなん
の
援助
えんじょ
第
だい
7
章
しょう
被害
ひがい
者
しゃ
と
子供
こども
の
健康
けんこう
回復
かいふく
・
生活
せいかつ
再建
さいけん
への
援助
えんじょ
第
だい
8
章
しょう
加害
かがい
者
しゃ
の
再
さい
教育
きょういく
プログラムについて
第
だい
9
章
しょう
DV
防止
ぼうし
推進
すいしん
のための
体制
たいせい
第
だい
W
部
ぶ
家族
かぞく
という
関係
かんけい
性
せい
−
愛
あい
と
暴力
ぼうりょく
第
だい
1
章
しょう
私的
してき
領域
りょういき
としての
家族
かぞく
★
家族
かぞく
をめぐる
緊迫
きんぱく
したドラマ
「
家族
かぞく
が
危
あぶ
ない」という
安易
あんい
な
一般
いっぱん
化
か
は、いたずらに
不安
ふあん
を
増幅
ぞうふく
させるだけである。しかし、
家族
かぞく
関係
かんけい
が
変化
へんか
の
時期
じき
にあるということ、あるいは、
家族
かぞく
をめぐる
社会
しゃかい
の
制度
せいど
や
意識
いしき
が
変化
へんか
をしているという
実感
じっかん
は
否
いな
めない。
現
げん
に、
個々
ここ
の
問題
もんだい
に
対応
たいおう
して、
社会
しゃかい
制度
せいど
が
改変
かいへん
されている。「
成年
せいねん
後見
こうけん
法
ほう
」「
児童
じどう
虐待
ぎゃくたい
防止
ぼうし
法
ほう
」「ストーカー
規制
きせい
法
ほう
」が
施行
しこう
され、DVについては「
配偶
はいぐう
者
しゃ
からの
暴力
ぼうりょく
の
防止
ぼうし
および
被害
ひがい
者
しゃ
の
保護
ほご
に
関
かん
する
法律
ほうりつ
」が2001
年
ねん
4
月
がつ
に
国会
こっかい
で
可決
かけつ
された。これらはライフスタイルの
変化
へんか
に
対応
たいおう
した
社会
しゃかい
制度
せいど
のデザインの
仕
つかまつ
直
なお
しであり、ここには
明
あき
らかに
家族
かぞく
や
親密
しんみつ
な
私的
してき
関係
かんけい
をめぐる
位相
いそう
転換
てんかん
が
見
み
られる。(p203)
家族
かぞく
という
私的
してき
領域
りょういき
は、
現在
げんざい
“
現代
げんだい
社会
しゃかい
の
病理
びょうり
現象
げんしょう
の
争点
そうてん
”として
注目
ちゅうもく
されていると
言
い
える。こうした
問題
もんだい
構造
こうぞう
をもつ
主題
しゅだい
は、さらに
拡大
かくだい
しつづけるだろう。
筆者
ひっしゃ
はこれを、「
家族
かぞく
をめぐる
緊迫
きんぱく
のドラマ」と
呼
よ
んでいる。(p204)
★
家族
かぞく
という
関係
かんけい
性
せい
の
特徴
とくちょう
−「
感情
かんじょう
共同
きょうどう
体
たい
」としての
近代
きんだい
家族
かぞく
近代
きんだい
家族
かぞく
は、
家族
かぞく
の
機能
きのう
や
類型
るいけい
から
説明
せつめい
するべきではなく、
情緒
じょうちょ
的
てき
結合
けつごう
・
親密
しんみつ
さ・プライバシーなどをもとにした
特殊
とくしゅ
な「
感情
かんじょう
共同
きょうどう
体
たい
」として
捉
とら
えるべきである。(p207)
家族
かぞく
の
感情
かんじょう
は3つの
側面
そくめん
から
成
な
り
立
た
つ。
男女
だんじょ
関係
かんけい
・
母子
ぼし
関係
かんけい
・
家族
かぞく
愛
あい
の
創造
そうぞう
である。しかし、この
家族
かぞく
の
内側
うちがわ
には、
感情
かんじょう
だけで
絆
きずな
を
結
むす
ばなければならないという
不安定
ふあんてい
さがある。この
不安定
ふあんてい
さが
揺
ゆ
らぐと、
個別
こべつ
の
出来事
できごと
がストレス
源
げん
になり、
家族
かぞく
の
危機
きき
へといたる
契機
けいき
になりやすい。(p208〜210)
★
舞台裏
ぶたいうら
としての
家族
かぞく
−
感情
かんじょう
の
解放
かいほう
区
く
社会
しゃかい
生活
せいかつ
を
営
いとな
むために
必要
ひつよう
な
能力
のうりょく
の
一
ひと
つは、
公
おおやけ
の
場
ば
で
自
みずか
らの
感情
かんじょう
をコントロールできる
事
こと
である。
感情
かんじょう
をコントロールするということは、
感情
かんじょう
を
抑制
よくせい
することを
基本
きほん
としている。しかし、
感情
かんじょう
は
抑制
よくせい
されるだけではストレスとして
溜
た
まっていくばかりである。
感情
かんじょう
をうまく
処理
しょり
する
仕組
しく
みが
必要
ひつよう
となる。そのための
場
ば
として
家族
かぞく
がある。
私的
してき
な
空間
くうかん
としての
家族
かぞく
は、
感情
かんじょう
を
直接
ちょくせつ
吐
は
き
出
だ
すことのできる「
感情
かんじょう
の
解放
かいほう
区
く
」である。(p210〜211)
★
家族
かぞく
空間
くうかん
の
情動
じょうどう
的
てき
強度
きょうど
化
か
・
親密
しんみつ
化
か
フランスの
思想家
しそうか
、ミシェル・フーコーは、「
社会
しゃかい
の
中
なか
の
私的
してき
領域
りょういき
としての
家族
かぞく
が
形成
けいせい
され、その
家族
かぞく
は、
性
せい
の
欲望
よくぼう
の
対象
たいしょう
を
特定
とくてい
化
か
する
制度
せいど
としてある。
家族
かぞく
が
情動
じょうどう
と
感情
かんじょう
と
愛情
あいじょう
の
唯一
ゆいいつ
可能
かのう
な
場
ば
になった」、「
家族
かぞく
空間
くうかん
の
情動
じょうどう
的
てき
強度
きょうど
化
か
=
親密
しんみつ
化
か
」と
考
かんが
えている。つまり、フーコーのいう
家族
かぞく
は
性的
せいてき
関係
かんけい
を
起点
きてん
として、
愛情
あいじょう
・
情動
じょうどう
・
感情
かんじょう
というものを
同心円
どうしんえん
状
じょう
に
配置
はいち
した
私的
してき
空間
くうかん
という
意味
いみ
である。(p212〜213)
★「
家族
かぞく
の
自然
しぜん
さ」の
崩壊
ほうかい
現代
げんだい
においては、
家族
かぞく
であることの
結
むす
びつきは
情緒
じょうちょ
的
てき
・
感情
かんじょう
的
てき
な
絆
きずな
の
中
なか
で
実感
じっかん
されている。
息
いき
のつまるほど
密着
みっちゃく
する。
家族
かぞく
だからといって
許容
きょよう
されてきた、ウェットで、
距離
きょり
感
かん
のない、「
自然
しぜん
な
共同
きょうどう
体
たい
」という
家族
かぞく
像
ぞう
ではうまくいかなくなってきた。それぞれの
生
い
きがいの
追求
ついきゅう
が、「
家族
かぞく
の
自然
しぜん
さ」の
限界
げんかい
あるいは
臨界
りんかい
を
見出
みいだ
したとも
言
い
える。(p213〜214)
★「
家族
かぞく
関係
かんけい
の
危機
きき
」という
関心
かんしん
現在
げんざい
ほど、
家族
かぞく
に
関心
かんしん
が
集
あつ
まる
時代
じだい
はない。
家族
かぞく
という
私的
してき
領域
りょういき
が
独自
どくじ
なものとして
存在
そんざい
し、
他者
たしゃ
を
寄
よ
せつけないほどである
時代
じだい
だからこそ、
家族
かぞく
にまつわる
病理
びょうり
が
増
ふ
えてくる。
家族
かぞく
に
関心
かんしん
が
集
あつ
まっている
現在
げんざい
という
時代
じだい
は、
家族
かぞく
関係
かんけい
が
希薄
きはく
になりつつある、というよりもむしろ、
密接
みっせつ
になりすぎて
適度
てきど
な
距離
きょり
感
かん
を
保
たも
てずにいる、と
見
み
たほうがいいだろうと
思
おも
われる。(p214〜215)
★
物語
ものがたり
家族
かぞく
と
心
しん
の
傷
きず
現代
げんだい
の
物語
ものがたり
は、
内面
ないめん
に
向
む
かっていて、
人々
ひとびと
は
癒
いや
しを
求
もと
める。
家族
かぞく
も
同
おな
じような
空間
くうかん
として
存在
そんざい
している。(p216)
★
家族
かぞく
のなかの
役割
やくわり
社会
しゃかい
の
中
なか
にも
家族
かぞく
の
中
なか
にも
性別
せいべつ
の
役割
やくわり
分担
ぶんたん
がある。
男性
だんせい
は
家族
かぞく
の
中
なか
で、
女性
じょせい
に
人間
にんげん
関係
かんけい
調整
ちょうせい
の
役割
やくわり
を
期待
きたい
する。(p217)
家庭
かてい
内
ない
暴力
ぼうりょく
の
加害
かがい
者
しゃ
と
被害
ひがい
者
しゃ
では、あまりにも
異
こと
なる
世界
せかい
ができあがっている。
加害
かがい
者
しゃ
の
行動
こうどう
に
敏感
びんかん
になる
脅
おび
えながら
生
い
きている
被害
ひがい
者
しゃ
。そして、
夫
おっと
が
妻
つま
を
殴
なぐ
って
何
なに
が
悪
わる
いと
非
ひ
を
認
みと
めない
加害
かがい
者
しゃ
。この
落差
らくさ
を
産
う
み
出
だ
す
意識
いしき
は、
性別
せいべつ
役割
やくわり
分担
ぶんたん
のなかにある。(p218)
★
男性
だんせい
役割
やくわり
を
問題
もんだい
にすることの
意味
いみ
集団
しゅうだん
としての
男性
だんせい
は
支配
しはい
的
てき
な
地位
ちい
にいるので、
男
おとこ
たちがこうした
制度
せいど
に
内在
ないざい
する
男
おとこ
らしさの
価値
かち
を
懐疑
かいぎ
しはじめたとき、システムは
大
おお
きく
変容
へんよう
する
可能
かのう
性
せい
を
持
も
つ。
男
おとこ
らしさを
問
と
い
直
なお
すことは、
個人
こじん
的
てき
な
体験
たいけん
のレベルにとどまらず、こうしたチャンネルをとおして
社会
しゃかい
全体
ぜんたい
の
価値
かち
の
見直
みなお
しにつながる。(p220)
★“
支配
しはい
的
てき
な
男
おとこ
らしさ”を
問
と
い
返
かえ
すことの
社会
しゃかい
的
てき
意味
いみ
性
せい
差別
さべつ
が
集団
しゅうだん
としての
男性
だんせい
に
有利
ゆうり
になるように
仕組
しく
まれている
男性
だんせい
中心
ちゅうしん
社会
しゃかい
での
男
おとこ
らしさ
像
ぞう
の
問
と
い
直
なお
しは、
男
おとこ
と
女
おんな
・
男
おとこ
と
男
おとこ
の
力
ちから
関係
かんけい
の
中心
ちゅうしん
部
ぶ
への
問
と
いかけとして
意味
いみ
がある。(p220〜221)
自分
じぶん
らしく
生
い
きたいと
願
ねが
う
男
おとこ
の
支
ささ
えあいが
必要
ひつよう
になる。
揺
ゆ
らぎのなかの
支
ささ
えあいという
社会
しゃかい
の
中
なか
の
大
おお
きなテーマを、
男
おとこ
の
問題
もんだい
を
通
とお
しても
垣間見
かいまみ
ることができる。(p221〜222)
第
だい
2
章
しょう
家族
かぞく
政策
せいさく
と
男性
だんせい
・
父親
ちちおや
問題
もんだい
★スウェーデンにおける
男性
だんせい
問題
もんだい
対策
たいさく
スウェーデンの
政府
せいふ
委員
いいん
会
かい
は、
男性
だんせい
問題
もんだい
に
敏感
びんかん
な
家族
かぞく
支援
しえん
やシステムの
改善
かいぜん
に
取
と
り
組
く
んできた。
委員
いいん
会
かい
は「
男性
だんせい
役割
やくわり
の
変化
へんか
のための
行動
こうどう
は、
経済
けいざい
・
労働
ろうどう
市場
いちば
・
政治
せいじ
・
家族
かぞく
という
領域
りょういき
において
引
ひ
き
起
お
こされなければならない。
男性
だんせい
役割
やくわり
の
変化
へんか
は
個人
こじん
的
てき
なレベルを
超
こ
えて
拡張
かくちょう
される、
層
そう
をなしたものとしてある。」と
言
い
っている。(p224)
★
日本
にっぽん
における
父親
ちちおや
政策
せいさく
の
必要
ひつよう
性
せい
分
わ
かりやすい
男性
だんせい
役割
やくわり
の
変容
へんよう
は、
父親
ちちおや
政策
せいさく
をとおしてもたらされる。
無数
むすう
の
政策
せいさく
が
考
かんが
えられ、
仕事
しごと
時間
じかん
も
減
へ
らし、
家族
かぞく
参加
さんか
の
時間
じかん
が
増
ふ
え、
自分
じぶん
を
見
み
つめることができる
機会
きかい
となるだろう。
父親
ちちおや
政策
せいさく
により、
新
あたら
しい
父子
ふし
関係
かんけい
が
形成
けいせい
され、このことによって
情緒
じょうちょ
的
てき
絆
きずな
が
形成
けいせい
される。(225〜226)
★さまよう
父親
ちちおや
−「
父性
ふせい
の
喪失
そうしつ
」という
見方
みかた
男性
だんせい
の
家族
かぞく
への
責任
せきにん
を
問
と
うやり
方
かた
にはいくつかのアプローチがある。
離婚
りこん
の
増加
ぞうか
、
非行
ひこう
の
増加
ぞうか
、しつけの
欠如
けつじょ
、
傍若無人
ぼうじゃくぶじん
な
若者
わかもの
たちの
現実
げんじつ
が「
父性
ふせい
の
欠落
けつらく
」に
由来
ゆらい
しており、
今
いま
こそ「
権威
けんい
ある
不正
ふせい
」の
回復
かいふく
が
必要
ひつよう
であると
言
い
う。(p226)
★
閉
と
じた
家族
かぞく
と
開
ひら
いた
家族
かぞく
現在
げんざい
は、
人間
にんげん
関係
かんけい
が
希薄
きはく
になり、
地域
ちいき
のなかに
家族
かぞく
は
開
ひら
かれていない。(p228)
妻
つま
や
母親
ははおや
と
機能
きのう
的
てき
に
等価
とうか
なあり
方
かた
を
夫
おっと
や
父親
ちちおや
にもとメルだけの
男女
だんじょ
共同
きょうどう
のあり
方
かた
は、
単
たん
なる
役割
やくわり
交代
こうたい
でしかない。
問
と
われているのは
家族
かぞく
のあり
方
かた
、つまり
開
ひら
いた
家族
かぞく
論
ろん
か、
閉
と
じた
家族
かぞく
論
ろん
と
言
い
うことだろう。
家族
かぞく
のまとまりを
強調
きょうちょう
するような、
閉
と
じた
家族
かぞく
論
ろん
につながる
男性
だんせい
の
家事
かじ
育児
いくじ
分担
ぶんたん
論
ろん
を
回避
かいひ
する
必要
ひつよう
がある。(p229)
★
男性
だんせい
役割
やくわり
−「
道具
どうぐ
的
てき
役割
やくわり
」と「
表出
ひょうしゅつ
的
てき
役割
やくわり
」
父親
ちちおや
の
役割
やくわり
は
他者
たしゃ
に
比較
ひかく
して、
力
ちから
と「
道具
どうぐ
性
せい
」の
両方
りょうほう
において
高
たか
く、「
表出
ひょうしゅつ
性
せい
」において
低
ひく
い。(p229)
道具
どうぐ
的
てき
な
役割
やくわり
を
持
も
つ
父親
ちちおや
役割
やくわり
が
変容
へんよう
するという
事
こと
は、
男性
だんせい
は
父親
ちちおや
となることをとおして
表出
ひょうしゅつ
的
てき
役割
やくわり
を
身
み
につける。こうした
回路
かいろ
をとおしてシステム
問題
もんだい
へと
行
い
きつく。(p230)
★「
男
おとこ
制
せい
」−
制度
せいど
が
作
つく
る
男性
だんせい
性
せい
日本
にっぽん
の
企業
きぎょう
・
学校
がっこう
のように
制度
せいど
化
か
された
組織
そしき
は、
男
おとこ
のライフスタイルに、
競争
きょうそう
・
所有
しょゆう
・
闘争
とうそう
という
意味
いみ
を
与
あた
える。
一人
ひとり
ひとりの
意識
いしき
を
超
こ
えた
制度
せいど
をとおして、オスは「
男
おとこ
」になっていく。こうした
家庭
かてい
を、
制度
せいど
が
作
つく
る
男
おとこ
らしさ、つまり
男性
だんせい
は「
男
おとこ
制
せい
」であると
筆者
ひっしゃ
は
造語
ぞうご
した。(p231)
★
家族
かぞく
政策
せいさく
のあり
方
かた
とかかわって
家族
かぞく
という
意識
いしき
や
観念
かんねん
は、
私
わたし
たちのライフデザインを
形
かたち
づくる
社会
しゃかい
制度
せいど
によって
形成
けいせい
されている。(p232)
★「パターナリズム」の
克服
こくふく
これまでの
家族
かぞく
病理
びょうり
に
介入
かいにゅう
する
政策
せいさく
的
てき
前提
ぜんてい
は「バターナリズム(
画一
かくいつ
主義
しゅぎ
)」と
特徴
とくちょう
づけられる。しかし、
既
すで
に
家族
かぞく
病理
びょうり
の
現実
げんじつ
は、バターナリズムでは
解決
かいけつ
できなくなっていた。
新
あたら
しい
家族
かぞく
政策
せいさく
は、
第
だい
1に、
性別
せいべつ
役割
やくわり
分業
ぶんぎょう
を
可能
かのう
な
限
かぎ
り
縮減
しゅくげん
させると
言
い
うことに
力点
りきてん
を
置
お
いたものでなければならない
点
てん
、
第
だい
2に、
多様
たよう
な
家族
かぞく
病理
びょうり
を
解決
かいけつ
できる
危機
きき
管理
かんり
型
がた
の
合意
ごうい
形成
けいせい
的
てき
な
政策
せいさく
でなければならない
点
てん
、が
核
かく
となる。(p236)
■
書評
しょひょう
・
紹介
しょうかい
■
言及
げんきゅう
*
作成
さくせい
:
鎌田
かまた
弘子
ひろこ
UP:20020731 REV: 20101215(
青木
あおき
千帆
ちほ
子
こ
)
◇
中村
なかむら
正
ただし
◇
暴力
ぼうりょく
/DV(domestic violence)
◇
フェミニズム
◇
身体
しんたい
×
世界
せかい
:
関連
かんれん
書籍
しょせき
◇
BOOK
◇
2002
年度
ねんど
講義
こうぎ
関連
かんれん
TOP
HOME (http://www.arsvi.com)
◇