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渡辺 公三『司法的同一性の誕生――市民社会における個体識別と登録』
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司法しほうてき同一どういつせい誕生たんじょう――市民しみん社会しゃかいにおける個体こたい識別しきべつ登録とうろく

渡辺わたなべ こうさん 20030226 言叢社げんそうしゃ,461+27p


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『司法的同一性の誕生――市民社会における個体識別と登録』
渡辺わたなべ こうさん 20030226 『司法しほうてき同一どういつせい誕生たんじょう――市民しみん社会しゃかいにおける個体こたい識別しきべつ登録とうろく』,言叢社げんそうしゃ,461+27p. ISBN-10: 4905913861 ISBN-13: 978-4905913863 \3990 [amazon][kinokuniya] ※

内容ないよう(「BOOK」データベースより)
指紋しもんやDNAなどによる「司法しほうてき同一どういつせい」の技術ぎじゅつ識別しきべつし、追跡ついせきし、告発こくはつし、拘束こうそくする「個人こじん」とは、「わたしさがしゲーム」におけるアイデンティティーや個人こじん主義しゅぎの「個人こじん」と、どのようにかさなりどのようにことなるのか。いま世界中せかいじゅう急速きゅうそくすすめられている個人こじん情報じょうほうのデジタルは、「司法しほうてき同一どういつせい」の究極きゅうきょく姿すがたではないか。個人こじんのアイデンティティー幻想げんそうが、近代きんだいシステムとしての市民しみん管理かんり技術ぎじゅつ表裏一体ひょうりいったい相補そうほせいをもつことをあきらかにした問題もんだい提起ていきほん

内容ないよう(「MARC」データベースより)
身体しんたい計測けいそく人類じんるいがく」にはじまる同定どうてい識別しきべつ登録とうろく技術ぎじゅつ思想しそうてき系譜けいふを「歴史れきし人類じんるいがく」の手法しゅほう精細せいさいあとづけ、「指紋しもんほう」の発見はっけんによる近代きんだい市民しみん管理かんり技術ぎじゅつ成立せいりつ歴史れきし現状げんじょう限界げんかいう。


著者ちょしゃ紹介しょうかい

→リンク渡辺わたなべ こうさん参照さんしょう

目次もくじ

まえがき
序章じょしょう 西欧せいおうにおける同一どういつせい系譜けいふ

だい 人類じんるいがく行刑ぎょうけいがくのあいだ
 だいしょう ベルティヨンと司法しほうてき同一どういつせい誕生たんじょう@――不肖ふしょう息子むすこ
 だいしょう ベルティヨンと司法しほうてき同一どういつせい誕生たんじょうA――公僕こうぼくつと
 だいしょう ベルティヨンと司法しほうてき同一どういつせい誕生たんじょうB――地下ちかしつからのなが
  断章だんしょう1 「自己じこ」という未知みち世界せかい――『免疫めんえき意味いみろん』かられること
  断章だんしょう2 ぬのりこまれた精神せいしん歴史れきし――『衣服いふく精神せいしん分析ぶんせき』、『悪魔あくまぬの』、『マドラス物語ものがたり』を
  断章だんしょう3 いつまでも他者たしゃれることあきらめないために――『かんがえる皮膚ひふ書評しょひょう
  断章だんしょう4 ド・クレランボー――ぬの熱情ねつじょう

だい 個体こたい――市民しみん社会しゃかい光学こうがく
 だいしょう 近代きんだいシステムへの〈インドからのみち〉――あるいは「指紋しもん」の発見はっけん
 だいしょう かおらすひかりかおかげ――写真しゃしん同一どういつせい
 だいしょう スフィンクスへのい――コンプレックス以前いぜんのエディプス、エディプス以前いぜんのフロイト
  しょう1 ポール・ブロカ『頭蓋とうがいがく手引てびき』――見失みうしなわせる実証じっしょう主義しゅぎの「死者ししゃしょ

だい 群集ぐんしゅう兵士へいし原住民げんじゅうみん――市民しみん社会しゃかい暗闇くらやみ斜面しゃめん
 だいしょう 帝国ていこく人種じんしゅ――植民しょくみん支配しはいのなかの人類じんるいがくてき
 だいしょう 人種じんしゅあるいは差異さいとしての身体しんたい
 だいしょう 19世紀せいきまつフランスにおける市民しみん兵士へいし同一どういつせい変容へんよう
  補償ほしょう2 人類じんるいがく徴兵ちょうへいせい
  断章だんしょう5 たびする狂気きょうき

だい 日本にっぽんへの刻印こくいん
 だい10しょう 戸籍こせき鑑札かんさつ旅券りょけん――明治めいじ初期しょき同一どういつせい制度せいど川路かわじ利良としよしの「内国ないこく旅券りょけん規則きそくあん
 だい11しょう 「個人こじん識別しきべつほうしん紀元きげん」――日本にっぽんにおける指紋しもんほう導入どうにゅう文脈ぶんみゃく
 だい12しょう 指紋しもん国家こっか――管理かんり差別さべつ交差こうさする場所ばしょ

終章しゅうしょう 西欧せいおうてき同一どういつせい解体かいたいするか――技術ぎじゅつとその限界げんかい
あとがき


引用いんよう

序章じょしょう 西欧せいおうにおける同一どういつせい系譜けいふ

「 「あさにはよんほんあしひるにはほんあし夕方ゆうがたにはさんほんあしあるくのはなにか」という、こたえが「ひと」にならないなぞひといかけ、こたえられないものを、たにとし、あるいはきしめて圧死あっしさせたというスフィンクスの神話しんわは、「それはおまえ自身じしんなのだ」という、西欧せいおうにおける同一どういつせい探求たんきゅうへの強迫きょうはく観念かんねん象徴しょうちょうしてはいないだろうか。スフィンクスのイマージュはなぜか、19世紀せいき西欧せいおう歴史れきしかくれた屈折くっせつてんのそこここにかくしてひとかまえ、「おまえ何者なにものか」「それはおまえ自身じしんなのだ」といういによってひとおどかしていたようにもおもえる。それはまた、オイディプスという近代きんだいなやめる主人公しゅじんこう古代こだいギリシアの流刑りゅうけいからもどしたアンチ・ヒーローのでもあった。したがって、この論文ろんぶんしゅうおおくの部分ぶぶんが19世紀せいき西欧せいおうというスフィンクスへの反問はんもんというかたちをとっている。これは、「同一どういつせい」「同一どういつ」というかぎ言葉ことばもちいて、西欧せいおうというのスフィンクスへの反問はんもんかえこころみである(だいしょう参照さんしょう)。」(p.4)

「 エリクソンの「自我じが同一どういつせい」という観念かんねんは、「集団しゅうだん同一どういつせい」というもうひとつのかぎとなる観念かんねんたいすものとされている。「自我じが」と「集団しゅうだん」をたいとしてかんがえるとい発想はっそうはある意味いみではありふれている。集団しゅうだんたい個人こじんという「二元論にげんろん」はさまざまに変奏へんそうされて近代きんだい社会しゃかいかんがえるための枠組わくぐみをあたえてきたといえるだろう。それらが「同一どういつせい」という観念かんねん媒介ばいかいされるところにエリクソンの思考しこう特徴とくちょうがある。この観念かんねんはいくつかの仕方しかた定義ていぎされているが、エリクソンは自我じが集団しゅうだん両極りょうきょくつなぐ「同一どういつせい観念かんねんが、あおぐフロイトにおいてもそれほど多用たようされたものではないことを示唆しさしつつ、1926ねん、ウィーンのユダヤじん友愛ゆうあい団体だんたい、ブナー・ブリースにてたフロイトの挨拶あいさつぶん(フロイト自身じしん欠席けっせき代読だいどくされた)をにわたって典拠てんきょとしてあげている。ほぼじゅうねんあいだをおいて刊行かんこうされたその文章ぶんしょうへのふたつのコメントには、微妙びみょうだが興味きょうみをひかずにはいないニュアンスのちがいが見出みいだされ、そこにエリクソンの「同一どういつせいろん特徴とくちょうることができる。」(p.5)

「 したがって、おなじテクストに依拠いきょしながら、エリクソンはかなり振幅しんぷくのある理解りかいしめしているといえる。「内的ないてき同一どういつせい」は集団しゅうだんの「本質ほんしつ」の共有きょうゆうということ、共有きょうゆうされた本質ほんしつ個人こじんにおける開花かいかということにほかならない。エリクソン自身じしん表現ひょうげんによれば「この同一どういつせいという言葉ことばは、自己じこ自身じしんなか永続えいぞくてき同一どういつ自己じこ同一どういつ原語げんごはself sameness)という意味いみと、あるしゅ本質ほんしつてき性格せいかく他者たしゃ永続えいぞくてき共有きょうゆうするという意味いみ双方そうほう暗示あんじするような相互そうご関係かんけいあらわしている」。「本質ほんしつてき性質せいしつ」あるいは本質ほんしつてき特徴とくちょうは、エリクソン自身じしんにとっては「人種じんしゅ」、宗教しゅうきょうから民族みんぞく歴史れきして「価値かちかん」あるいは1950ねん著作ちょさくもちいられている「文化ぶんかてき同一どういつせい」までの変異へんい許容きょようし、矛盾むじゅんなく包含ほうがんしうるのである。」(p.7)

「 「人種じんしゅ」と「価値かち」ないし「文化ぶんか」がともに許容きょようされることは、エリクソンの「同一どういつせい概念がいねんがいわば内容ないようてんではきわめてゆるいものであることをしめしている。しかしそのことはのち同一どういつせい系譜けいふらしてあらためて検討けんとうしたい。内容ないようにはいくつかの位相いそうことにする「特徴とくちょう」が代入だいにゅうしうることを確認かくにんしたうえで、「同一どういつせい」は、いわば形式けいしきのレベルでは、集団しゅうだん個人こじん両極りょうきょくの「相互そうご関係かんけい」から生成せいせいし、基本きほんてきには集団しゅうだん個人こじん先行せんこうするとなされているエリクソンによる同一どういつせい認識にんしき形式けいしき側面そくめんと、その方法ほうほうろん関係かんけいにまず注目ちゅうもくしたい。
 こうした「集団しゅうだんてき同一どういつせい」の認識にんしきは、人類じんるいがく導入どうにゅうしたエリクソンの方法ほうほうろん密接みっせつ関連かんれんしている。エリクソンは、『幼児ようじ社会しゃかい』にしめされたとおり、幼児ようじのしつけと成長せいちょう観察かんさつ記述きじゅつ分析ぶんせき同一どういつせい議論ぎろん実証じっしょうてき根拠こんきょとしている。[……]
 「集団しゅうだんてき同一どういつせい」とは集団しゅうだんが、まだ定形ていけいどもに刻印こくいんする経験けいけん組織そしきのありかたから生成せいせいするなにかである。エリクソン自身じしんはその組織そしき過程かていを、たとえばアルフレッド・クローバーなどの人類じんるい学者がくしゃからフィールドにおける参与さんよ観察かんさつほどきをけてみずからおこなった、アメリカ・インディアンのスーぞくとユーロクぞく調査ちょうさからまなんだという。人類じんるいがくてき調査ちょうさが「集団しゅうだん」を全体ぜんたいとしてとらえうる背景はいけいにはつぎのような理由りゆうがある。すなわち「そこ(いわ>0008>ゆる未開みかい社会しゃかい原語げんごはprimitive society)では、どものしつけが、境界きょうかいのはっきりした経済けいざいシステムと小規模しょうきぼ静的せいてき社会しゃかいてき標準ひょうじゅんがた原語げんごは、social prototype)の基準きじゅんにうまく統合とうごうされているからである」。
 おなしょうのさらにさきには、どものしつけという意味いみでの集団しゅうだんてき同一どういつせい形成けいせいされる背景はいけいが、「未開みかい」と「文明ぶんめい」の対比たいひから議論ぎろんされている。[……]
 以上いじょうひろげてきたエリクソンの文章ぶんしょうから「集団しゅうだん同一どういつせい」と「自我じが同一どういつせい」が相互そうご補完ほかんてきたいをなす構図こうず概略がいりゃく理解りかいされよう。おな集団しゅうだんぞくする個体こたい人間にんげんのありかたについての標準ひょうじゅんてきなモデルを共有きょうゆうし、とりわけ幼児ようじにこのモデルにのっとった身体しんたい組織そしきせられるというてんに、モデルが集団しゅうだん自我じが媒介ばいかいするはたらきがあらわれている。その組織そしき様相ようそうはとりわけ「未開みかい社会しゃかい」の観察かんさつによって実証じっしょうされ一般いっぱんされる。とはいえ「文明ぶんめい世界せかい」においては「標準ひょうじゅんがた」はかなりの程度ていど有効ゆうこうせいうしない、そこに人々ひとびと同一どういつせい拡散かくさんともいうべき困難こんなん状況じょうきょうおちいりやすいのである。」(pp.8-9)

「すでにふれたように、集団しゅうだんたい個人こじんという「二元論にげんろん」は近代きんだい社会しゃかいについて考察こうさつするときにはけることのできない問題もんだいけいといえるだろう。とりわけ後継こうけいしゃマルセル・モースによる独自どくじ展開てんかいによって現代げんだい人類じんるいがく源泉げんせんのひとつとなったデュルケームの社会しゃかいがくもまた「二元論にげんろん」によってつらぬかれていた。」(p.11)

「「集団しゅうだん」と「個人こじん」を媒介ばいかいし、社会しゃかいにダイナミックな運動うんどうあたえるものとして晩年ばんねんのデュルケームは宗教しゅうきょう表象ひょうしょう体系たいけい研究けんきゅう主題しゅだいとした。
 後継こうけいしゃモースは、宗教しゅうきょう表象ひょうしょう体系たいけい重要じゅうようであるという視点してん引継ひきつぎながら、社会しゃかいてき凝集ぎょうしゅうせい体系たいけい統合とうごう機能きのう本質ほんしつ性急せいきゅう解明かいめいしようとするデュルケームの傾向けいこうから脱却だっきゃくし、世界せかい各地かくちの「未開みかい民族みんぞく」がしめ多様たよう宗教しゅうきょう体系たいけいそのものの細部さいぶゆたかさを精緻せいちにあとづけあじわいながら、さまざまな宗教しゅうきょう現象げんしょう位相いそう見出みいだされる統合とうごう機能きのう>0011>のあらわれかた自体じたい多様たようせい複雑ふくざつさをみきわめようとした。そして、そのことをつうじて、単純たんじゅん硬直こうちょくしたどう時代じだい西欧せいおう中心ちゅうしんとした世界せかいにおける社会しゃかい関係かんけいとはべつ可能かのうせい探求たんきゅうしようとしたともおもえるのである。」(pp.11-12)

「 人類じんるいがくてきいちぐん主題しゅだいのなかで、デュルケームとの共同きょうどう署名しょめいで1903ねんに『社会しゃかいがく年報ねんぽう』に公刊こうかんした論文ろんぶん分類ぶんるい未開みかい形態けいたい」は、個人こじん表象ひょうしょう集合しゅうごう表象ひょうしょうとの関係かんけいあきらかにするための有効ゆうこう主題しゅだいとして分類ぶんるいてき思考しこうげている。分類ぶんるいすなわちけて秩序ちつじょづけるという思考しこう操作そうさがどのようにして人間にんげん獲得かくとくされたかという主題しゅだいは、20世紀せいき初頭しょとう西欧せいおうでは、文明ぶんめい未開みかい二分にぶんほうという枠組わくぐみのなかで議論ぎろんされていた。「しんの」つまり「科学かがくてきな」分類ぶんるい思考しこう近代きんだい西欧せいおうにおいてはじめて達成たっせいされたのであり、それ以前いぜんには、人間にんげん思考しこうは「にせの」つまり「呪術じゅじゅつてきな」分類ぶんるい思考しこうけるよりも混同こんどうし、秩序ちつじょづけるよりも根拠こんきょのない連想れんそうをゆだねる思考しこう支配しはいされていたという、当時とうじ、レヴィ=ブリュルやフレイザーに代表だいひょうされる論調ろんちょうによって議論ぎろんされていた。
 [……]
 「分類ぶんるい未開みかい形態けいたい」は、こうした議論ぎろんいちせきとうじ、集合しゅうごう表象ひょうしょう重要じゅうよう一環いっかん構成こうせいする分類ぶんるい体系たいけいがいかにして人間にんげん集団しゅうだん骨組ほねぐみを形成けいせいし、親族しんぞく関係かんけいという社会しゃかい基本きほんとなる関係かんけいのネットワークに個人こじんみ、さらに、しゅう>0012>だん自然しぜん今風いまふうにいえば集団しゅうだんきる生態せいたい環境かんきょう)を媒介ばいかいするかという問題もんだい焦点しょうてんをあてている。そのためにオーストラリアのトーテムと結合けつごうした親族しんぞく体系たいけい、アメリカのインディアンにおける方位ほういかんむすびついた分類ぶんるい体系たいけい中国ちゅうごく森羅万象しんらばんしょうをとりこむ宇宙うちゅうろんてき分類ぶんるい体系たいけいげ、よりシンプルなオーストラリアの体系たいけいから自律じりつてき宇宙うちゅうろん様相ようそうびた中国ちゅうごく体系たいけいへと一定いってい複雑ふくざつ過程かていとして配列はいれつしている。とはいえこれらの分類ぶんるい体系たいけいはすべてトーテムと結合けつごうした親族しんぞく体系たいけいからの発展はってんとして理解りかいできる。そうした分析ぶんせきてモースは「フレイザーみとめているとおもわれるように、事物じぶつ論理ろんりてき関係かんけい人間にんげん社会しゃかいてき関係かんけい基礎きそとなったのではなく、その反対はんたい人間にんげんあいだ社会しゃかいてき関係かんけい事物じぶつ論理ろんりてき関係かんけい原型げんけいとなった」のであり、「人間にんげん自分じぶんたちが氏族しぞくにわかれていたがゆえに、事物じぶつ分類ぶんるいした」のであるという結論けつろんしている。
 そしてこうした問題もんだい意識いしきは「」の問題もんだいやモース晩年ばんねんの1938ねんの「人格じんかくろん」の主題しゅだい結合けつごうされ展開てんかいされてゆくことになる。というのも、トーテミズムの体系たいけいられるとおりおおきなまとまりとしての「るい」レベルのしたにはよりちいさな「たね」としてのトーテムが位置付いちづけられ、さらにその下位かいには「個体こたい」としてのひと下位かいトーテムによってづけられるというように、親族しんぞく関係かんけい結合けつごうしたトーテム体系たいけいは、カテゴリーあいだ秩序ちつじょづけという意味いみでの「分類ぶんるい」とともに、「個体こたい」の体系たいけいとしての意味いみももっていることをモースは指摘してきしているからである。そして「」の問題もんだいは、1904ねんの「エスキモー社会しゃかいろん以後いご、しばしば主題しゅだいされ「人格じんかく」とむすけてろんじられることになる。
 こうした「分類ぶんるい」と「個体こたい」の主題しゅだいは、同一どういつせい同一どういつ主題しゅだい直接ちょくせつかかわっていたこともたしかめられる。」(pp.12-13)


「 ここでいう「司法しほうてき同一どういつせい」とは、犯罪はんざいしゃ確定かくていされた身元みもとという意味いみでのアイデンティティーである。犯罪はんざいしゃ同一どういつせいは、犯罪はんざいしゃだれであるかを、のがれようのないかたちあきらかにする。こうした身元みもと確定かくてい技術ぎじゅつ必要ひつようせい痛切つうせつかんじたのは、19世紀せいき後半こうはん、パリのような大都市だいとし大量たいりょう軽犯罪けいはんざいしゃ発生はっせいし、かれらの身元みもと確認かくにんできず窮地きゅうちおちいった警察けいさつであった。」(p.19)


だいしょう 近代きんだいシステムへの〈インドからのみち

「 個人こじん同定どうてい(アイデンティフィケーション)の決定的けっていてき手段しゅだんとしての指紋しもんがまだ発見はっけんされていなかった時代じだいから、右手みぎて拇指ぼしひとつの指紋しもんへ、そして1906ねん両手りょうて十指じっし指紋しもんいたるまでのあいだには、みなみアフリカ在住ざいじゅう外国がいこくじん登録とうろく管理かんり技術ぎじゅつにおける飛躍ひやくてき強化きょうかがある。一本いっぽんあるいはじゅうほんゆびさきという、この一見いっけんとるにならない細部さいぶ宿しゅくされた歴史れきしふかさをはかるためには、わたしたちは19世紀せいきにおける「近代きんだい」の形成けいせい過程かていの、いわば暗闇くらやみかくされた斜面しゃめん手探てさぐりでりてみなければならない。そして下降かこうした地点ちてんからふたたび現在げんざいにまでもどりながら、あらたな遠近えんきんほうなかで、わたしたちの「いま」が、帝国ていこく人間にんげん管理かんりシステムをんだ「近代きんだい」にどれほど拘束こうそくされているかをかんがえてみなければならない。」(p.116)

「…指紋しもんは、…近代きんだいてき個人こじん情報じょうほう記録きろく保存ほぞん検索けんさく照合しょうごう、すなわち総体そうたいてき個人こじん登録とうろくシステムそのものに脱皮だっぴすることになったのである。しかもこの登録とうろくは、うそをつく言葉ことば、にせの表情ひょうじょう年齢ねんれいによる変容へんようという人間にんげん現実げんじつゆたかなかげあたえる要素ようそをいっさいとし、あつみも奥行おくゆきもいた、凝固ぎょうこした同一どういつせい表示ひょうじする表面ひょうめん、すなわち指紋しもんによって保証ほしょうされるのである。たんなる指先ゆびさき螺旋らせん紋様もんようは、指紋しもんばれる表象ひょうしょう制度せいど変容へんようした。指紋しもんつうじて、ひと国家こっかによっていつでも召喚しょうかんしうる「主体しゅたい」に変容へんようしたのである。」(p.140)

「19世紀せいきまつから今世紀こんせいき初頭しょとうにかけての指紋しもんという表象ひょうしょう制度せいど生成せいせいによって、人間にんげんのありかたはえぬ、しかしなに決定的けっていてき変容へんようこうむったのではないだろうか。そして、わたしたちはいまも、ガンジーの運動うんどうによってすらゆるぐこともなかった、「帝国ていこく」の遺産いさんとしての近代きんだいのなかにきているのではないだろうか。」(p.143)


だいしょう スフィンクスへの

「 他者たしゃ同一どういつせいについてつづける人類じんるい学者がくしゃというのスフィンクスと、フロイトのエディプスはどこで、どのように交差こうさするのか。そのことをたしかめるために、スフィンクスとフロイトの関係かんけい複数ふくすう側面そくめん照明しょうめいてるこころみ>173>としてこのしょうろんかれている。」(pp.173-174)

「 ルボンにとって、群集ぐんしゅう無意識むいしき基体きたいとしての「種族しゅぞく精神せいしん」の顕現けんげんするであり、さらに種族しゅぞく精神せいしんは「遺伝いでん」によって生物せいぶつがくてき基礎きそあたえられる。のちにふれるように、こうした思考しこうは、ある基本きほんてき部分ぶぶんで、19世紀せいきの「人種じんしゅろんてき人類じんるいがく博物学はくぶつがくてき生物せいぶつがくみなもとをたどるとおもわれる「類型るいけい」の概念がいねんという論理ろんりてき枠組わくぐみによって保証ほしょうされていたとかんがえられる。
 いっぽうフロイトにとって群衆ぐんしゅうは、群集ぐんしゅうのなかのひとりの個人こじん指導しどうしゃたい関係かんけいにいわばあますところなく分解ぶんかいされるべきものであり、このたい関係かんけいそのものは、同一どういつという心的しんてきせいによって構造こうぞうされ保持ほじされ、またそこからおな指導しどうしゃあお同位どうい個人こじんあいだたい関係かんけいとしての同一どういつ生起せいきする。」(p.177)

極度きょくど単純たんじゅんしていえば、群集ぐんしゅうからはじまるフロイトの行程こうていは、「種族しゅぞくてきなもの」あるいは遺伝いでんによる集団しゅうだんへの帰属きぞく否定ひてい起点きてんとして、徹底てっていしたたい関係かんけいへの還元かんげんうつり、さらに個体こたい意識いしき局所きょくしょろん帰着きちゃくするといえるだろう。同一どういつによる現実げんじつたい関係かんけい>177>は、個体こたい意識いしきにおけるちょう自我じがというしんきゅう転化てんかされる。これを、現実げんじつたい他者たしゃ関係かんけいから個体こたい意識いしきない関係かんけい現実げんじつせいへと移行いこうべば誤解ごかいになるだろうか。ただこうした行程こうていは、すでにどこかでたというかすかなすんで印象いんしょうあたえるようにおもわれる。
 筆者ひっしゃにとっては、『集団しゅうだん心理しんりがく自我じが分析ぶんせき』から「自我じがとエス」へとたどられるこのフロイトの思考しこう身振みぶりは、エディプスの発見はっけんいた分析ぶんせきフロイトの誕生たんじょう行程こうてい再現さいげんともえるのである。種族しゅぞくてき同一どういつせい現実げんじつてきなものであることを否定ひていしたフロイトは、この位相いそうたい関係かんけいとエスという両極りょうきょく分解ぶんかいし、個体こたい意識いしき局所きょくしょろん図式ずしきむいっぽう、同一どういつせいという静的せいてき状態じょうたい概念がいねんから実体じったいせいきさって、同一どういつという動的どうてきしんせい転化てんかしたともいえるのかもしれない。こうした同一どういつせい解体かいたい変容へんよう並行へいこうする、現実げんじつたい関係かんけいから個体こたい意識いしきへの移行いこうという作業さぎょうは、1890年代ねんだいなかばのフロイトによってすでにいち完遂かんすいされていたと筆者ひっしゃにはおもえる。その作業さぎょう重要じゅうよう帰結きけつのひとつが、神経症しんけいしょう研究けんきゅうからエディプスの発見はっけんへの移行いこうなのだ。」(pp.177-178)

哲学てつがくてき思想しそう生物せいぶつがくとりわけダーウィン主義しゅぎてきあるいはラマルク主義しゅぎてき進化しんかろん遺伝いでんがくとその展開てんかいとしての優生ゆうせいがく医学いがくとりわけ精神せいしん医学いがく政治せいじ思想しそうとりわけ民族みんぞく主義しゅぎ思想しそうてき基礎きそづけ、犯罪はんざいがくとう、19世紀せいきまつ西欧せいおうかたちづくる思考しこうのそれぞれが、なんらかのしかたで自己じこおよび他者たしゃ同一どういつせいい、そのいに、生物せいぶつがくてきあるいは生理せいりてき存在そんざいとしての同一どういつせいという視点してんからそれぞれの回答かいとうあたえていた。文化ぶんかてき社会しゃかいてき同一どういつせい正面しょうめんからわれるのは、20世紀せいきはいって現代げんだい社会しゃかいがく文化ぶんか人類じんるいがく形成けいせい以後いごである。
 こうした錯綜さくそうした思考しこう体系たいけいのゴルディアスのむすをどうくかというあまりにおおきな課題かだいべつ機会きかいゆずるしかないが、ここで注目ちゅうもくしておきたいことは、19世紀せいきまつ西欧せいおうにおいては、いま形成けいせい途上とじょうにあった人類じんるいがくが、ある固有こゆう方法ほうほう視角しかくをもった自律じりつしたがく領域りょういきという以上いじょうに、むしろ、いまふれたような自己じこおよび他者たしゃ同一どういつせいへのいを、かく分野ぶんやからられたそれぞれの方法ほうほう視角しかくわせて検討けんとうする、いわば多様たようこえ交差こうさするひらかれたフォーラムのようなものとして存在そんざいしていたとおもわれることである。さまざまな色彩しきさい傾向けいこう技法ぎほうのパッチワークとしての人類じんるいがくによってはっせられる同一どういつせいへのい。スフィンクスが、多種たしゅ動物どうぶつからなるキマイラであったとかた伝説でんせつもあったことをかんがえると、それがさまざまなをもってあらわれて、人々ひとびとさそいまたおどかしてもいたということも意外いがいではなくなるだろう。」(p.189)


だい12しょう 指紋しもん国家こっか

「 「まんしゅうこく」においてはその「成立せいりつ」のはじめから指紋しもんへのつよ関心かんしんがあったことは、すでにふれた百科ひゃっか事典じてん項目こうもくや『まんしゅう日報にっぽう』の記事きじからもられるとおりである。それは指紋しもんが「個人こじん直接ちょくせつ掌握しょうあくし、それを画一かくいつてき組織そしきしようと」するときのもっとも有効ゆうこう手段しゅだんかんがえられたからであったとされる[古屋こや、1995参照さんしょう]。」(p.375)

「 ただここでいう「国民こくみん」が、国籍こくせきほう整備せいびされず外延がいえん明確めいかくなまま、「出稼でかせぎ」のために滞在たいざいするなか国籍こくせき居住きょじゅうしゃふくまれうる一方いっぽう(「年々ねんねん入国にゅうこくするじゅうろくまん労働ろうどうしゃ」も対象たいしょうなされている)、日本にっぽん国籍こくせき離脱りだつするわけではない「日本人にっぽんじん」が対象たいしょうとなるのかは判然はんぜんとしない曖昧あいまい概念がいねんであることに注意ちゅういすべきであろう。さらにいえば、ここには「国民こくみん」の概念がいねんのある転倒てんとうきざされているともいえるかもしれない。つまり指紋しもん登録とうろくによる「実体じったいてき」な管理かんり対象たいしょうしゃがすなわち「国民こくみん」なのであって、それはいわゆる「国籍こくせき」の差異さいわない。「外国がいこくじん」が指紋しもんによる管理かんり対象たいしょうであるかぎりで「国民こくみん」となるという奇妙きみょう論理ろんりがそこにはたらいている。あるいは指紋しもん登録とうろく制度せいどそのものが対象たいしょうとしての「国民こくみん」をつくりだしその外延がいえんめる。ただそこでは全員ぜんいん検査けんさ管理かんり対象たいしょうとなるゴルトンのユートピアとはことなり、「日本にっぽん国籍こくせき」の保有ほゆうしゃ指紋しもん登録とうろく免除めんじょされていたともおもわれる。」(p.376)

「 「まんしゅうこく」における指紋しもん登録とうろくは、すでにふれた国籍こくせきと「国民こくみん」の奇妙きみょうねじれをしょうじることをたしかめた。労働ろうどう搾取さくしゅされる「外国がいこくじん」こそ指紋しもん登録とうろく本来ほんらい対象たいしょうされることで「国民こくみん」にせられ、もともと「まんしゅうこく」の領域りょういきない居住きょじゅうしていた人々ひとびと治安ちあん対象たいしょうとして指紋しもんによる個体こたいレベルでのきびしい管理かんり対象たいしょうとされる。こうして潜在せんざいてきには「国民こくみん全員ぜんいん」が指紋しもん登録とうろく対象たいしょうなされる。「まんしゅうこく統治とうち当事とうじしゃには「全員ぜんいん登録とうろくこそ最大さいだい有効ゆうこうせいをあげる目標もくひょうという観念かんねん根強ねづよけられたとかんがえてもおそらくまったくの的外まとはずれではあるまい。
 ところがその「全員ぜんいん」にとう支配しはいしゃたる「日本人にっぽんじん」がふくまれているかどうかはきわめて曖昧あいまいだ(…)。そこには登録とうろく管理かんり対象たいしょうとしての「外国がいこくじん」と、本来ほんらい対象たいしょうとはみなされない「日本人にっぽんじん居住きょじゅうしゃという区別くべつ暗黙あんもくのうちにいむ>385>しかとしてあったのではないだろうか。もしこうした予測よそくたっているとすれば、この指紋しもん登録とうろくのありかたは「日本にっぽんこく」の戦後せんごにおける「外国がいこくじん登録とうろくほう」のありかたにそのままがれていることになろう。」(pp.385-386)


終章しゅうしょう 西欧せいおうてき同一どういつせい解体かいたいするか

「 わたしたちは、識別しきべつされどういちされる個体こたいが、「哲学てつがくてき構築こうちくされる超越ちょうえつてき主体しゅたいでも、市民しみん社会しゃかい形而下けいじかささえる経済けいざい主体しゅたいとしての所有しょゆうてき個人こじんでも、せい経験けいけんになきられた『わたし』あるいは、あらゆる思考しこう権利けんりじょうともないうる『」でも、また道徳どうとくてき責任せきにん主体しゅたい仮定かていされる『人格じんかく』でも、また全体ぜんたい社会しゃかいぞう対置たいちされるイデオロギー装置そうちとしての個人こじん主義しゅぎかくをなす『個人こじん』でもない」ものとして、しかし「ひとの存在そんざいいちめん表象ひょうしょうするこれらいちぐん観念かんねんすこしずつずれながらそのすべてと連接れんせつし、ひとをきわめて特殊とくしゅ共同きょうどうせいいち形態けいたいとしての国家こっかつなぎとめ、必要ひつようであると判断はんだんされるときにはほうのゲームにひきこみ、国家こっかによって召喚しょうかん管理かんりしうる身体しんたい主体しゅたい客体かくたいとして形成けいせい」される、という視点してん出発しゅっぱつてんとして検討けんとうこころみてきた。
 かえっておおづかみにえば、「識別しきべつされる個体こたい」は法的ほうてき個体こたいぶことができるだろう。というのもそれは、まずなによりも犯罪はんざいしゃ存在そんざいかてとしてそだてられ身体しんたいあたえられていった刑法けいほう体系たいけい内部ないぶ住人じゅうにんだからである。また、それは財産ざいさん所有しょゆう凝縮ぎょうしゅくされるしょ権利けんり源泉げんせん保証ほしょうすべき戸籍こせきに「登録とうろくされる主体しゅたい」、すなわち民法みんぽう体系たいけい内部ないぶ住人じゅうにんとも微妙びみょう表裏一体ひょうりいったいをなしている。「身体しんたいあたえられる」という表現ひょうげんたんなる修辞しゅうじではなく、文字もじどおり、ベル>395>ティヨンによってさまざまな身体しんたい細部さいぶ特徴とくちょう確定かくていされ、ゴルトンによって指先ゆびさき渦状かじょう紋様もんようえがかれ、最近さいきんではDNAの特性とくせいまでも検証けんしょうされ付与ふよされた、識別しきべつ計測けいそく技術ぎじゅつしたあるしゅ人造じんぞう人間にんげんなのである。ここで「西欧せいおうてき同一どういつせい」とぶのは、技術ぎじゅつ体系たいけいによって成形せいけいされるこうした同一どういつせいのありかたならない。」(p.395-396)



作成さくせい石田いしだ 智恵ちえ
UP:20070125 REV:20080715,0927
犯罪はんざい刑罰けいばつ文献ぶんけん 歴史れきし  ◇警察けいさつ  ◇身体しんたい×世界せかい関連かんれん書籍しょせき  ◇BOOK
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