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上農正剛『たったひとりのクレオール――聴覚障害児教育における言語論と障害認識』
『たったひとりのクレオール――聴覚障害児教育における言語論と障害認識』
上農 正剛 20031020 ポット出版,505p.
last update:20160805
■内容
決してきちんとは「聞こえない」にもかかわらず、「聞こえているはず」という視線の中で生きていかざるを得ない子どもたちの苦しみを、
私たちは本気で考えたことがあったのだろうか。(本書より)
約10年にわたる論考の数々によって、聴覚障害児教育に潜む諸問題を分析し、新たなる言語観、障害観を提起する試みの書。
著者自身による詳細な注が、読者をさらなる思考へと誘う。
■著者略歴
上農正剛(うえのう・せいごう)
1954年生まれ。早稲田大学卒業後、聞こえない子どもの個人指導(学習・言語指導)に17年間携わる。
この間に、聴覚障害児を持つ母親を対象に「難聴児学習問題研究会」を主宰。
トータルコミュニケーション研究会運営委員、「ろう教育を考える全国討論集会」共同研究者を務めるほか、近年は、障害認識論とリテラシー論についての講演多数。
1999年より九州保健福祉大学言語聴覚療法学科専任講師。
■目次
序章 たったひとりのクレオール――はじまりの問い
第1章 インテグレーション再考
1 インテグレーションの現状と課題
2 難聴児の自己形成方略――インテグレーションの「成功例」とは何だったのか
3 聾学校の在籍生徒数はなぜ減ったのか?
4 混迷と転換の季節の中で――変わることと変わらないこと
第2章 学習論
5 聞こえない子どもたちは何のために勉強するのか
6 聴覚障害児の学習とことば
7 難聴児の学力について――その前提認識
第3章 障害認識論
8 障害「受容」から障害「認識へ」
9 聴覚障害児教育における障害認識とアイデンティティ
10 ありのままの感情から深い理解へ――お母さんへのメッセージ
第4章 リテラシー論
11 彼らのいる場所――難聴児と読書
12 リテラシー問題を議論する際の前提条件
13 聴覚障害児教育における言語観と学力問題
終章 障害認識論とヒルバーグ的立場――どうして私たちはそんなことをしたのでしょう
あとがき
文献表
人名索引
事項索引
解説(橋爪 大三郎/灘本 昌久/酒井 邦嘉/立岩 真也/福嶋 聡)
■新刊案内
□Date: Sun, 19 Oct 2003 20:31:16 +0900
From: DEAF-NEWS-adm@y7.com (DEAF-NEWS administrator)
Subject: [DEAF-NEWS:02664] 【新刊案内】「たったひとりのクレオール」
【新刊案内】『たったひとりのクレオール――聴覚障害児教育における言語論と障害認識』
決してきちんとは「聞こえない」にもかかわらず、「聞こえているはず」という視線の中で生きていかざるを得ない子どもたちの苦しみを、
私たちは本気で考えたことがあったのだろうか。(本書より)
約10年にわたる論考の数々によって、聴覚障害児教育に潜む諸問題を分析し、新たなる言語観、障害観を提起する試みの書。
読者をさらなる思考へと誘う、著者自身による詳細な注が、本書の特徴です。
書籍タイトル:「たったひとりのクレオール」
著者:上農正剛
定価:2,700円(税抜き)
出版社:ポット出版
■書評・紹介
◆灘本 昌久 2003/11/04 「本の紹介:上農正剛(うえのう・せいごう) 『たったひとりのクレオール――聴覚障害児教育における言語論と障害認識』」
『京都部落問題研究資料センターメールマガジン』vol.038
http://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~nadamoto/work/20031104.htm
◆立岩 真也 2003/12/25 「『たったひとりのクレオール』」(医療と社会ブックガイド・33)
『看護教育』44-(医学書院)
◆立岩 真也 2003/12/** 「二〇〇三年の収穫」
『週刊読書人』
◆立岩 真也 2004/01/25 「争点としての生命」(医療と社会ブックガイド・34)
『看護教育』45-01(医学書院)
■引用
思考を論理的に組み立てて、自分の考えや気持ちを表す、
つまり他者に伝えるというこの基本姿勢は、家庭においても小さい時から日常的態度としてしっかり育んでもらいたい事柄です。
その際、重要なことはそれが音声言語で表されているのか、手話言語で表されているのかという言語の種類(モダリティ)なのではありません。
本質的問題はその表された思考が論理的に組み立てられているかどうかという「中身」の問題です。
そして、論理的に組み立てられているという意味において、他者との言語的コミュニケーションに向けて開かれたものになっているかどうかということです。
論理という骨組みがなければその思考を他者に伝えることは出来ません。
つまり、重要な点は言語コミュニケーションの「種類」ではなく、思考の「中身」(論理性=組み立てられ方)なのです。(p.223)
[……]言語力とは、具体的、実践的には、ことばの正確な運用に裏打ちされた「思考力」のことではないでしょうか。
思考力がなければ、自己の思考と感情を他者に伝えることが出来ません。また、他者の思考と感情を理解することも出来ません。
つまり、それなしには、他者と共に生きていくことは出来ないという、不可欠な能力のことです。(p.253)
■言及
◆立岩 真也 20140825 『自閉症連続体の時代』,みすず書房,352p. ISBN-10: 4622078457
ISBN-13: 978-4622078456 3700+ [amazon]
/[kinokuniya] ※
◆北村 健太郎 20101120
「突き返される問い――「研究」「研究者」「大学」を問う手前で考えるべきこと」
山本 崇記・高橋 慎一編
『「異なり」の力学――マイノリティをめぐる研究と方法の実践的課題』:349-374.(生存学研究センター報告14)
*増補:北村 健太郎