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渡辺 公三・木村 秀雄 編 『レヴィ=ストロース『神話論理』の森へ』
『レヴィ=ストロース『神話論理』の森へ』
渡辺 公三・木村 秀雄 編 200604 みすず書房,237p.
■渡辺 公三・木村 秀雄 編 200604 『レヴィ=ストロース『神話論理』の森へ』,みすず書房,237p. ASIN: 4622072084 2730 [amazon] b
■出版社/著者からの内容紹介
構造主義人類学の創始、「ブリコラージュ的思考」「野生の知」など新鮮なパラダイムの主導、炯眼の近代文明批評。しかしこれらの言辞を並べても、20世紀思想史に聳え立つクロード・レヴィ=ストロースの業績を、いまだ捉えきれてはいないのだ。
原書から40年をへて待望の日本語訳が刊行されるその浩瀚なライフワーク『神話論理』を読むために。何よりも、緑なす壮大な神話の森を楽しく彷徨するために。神話の森の入り口で、中沢新一、M. エナフ、渡辺公三、木村秀雄、内堀基光、鈴木一誌、港千尋、安冨歩、池澤夏樹の各氏によるコンパクトなガイドブックを手にしていただきたい。それぞれが専門を異にしながら、ナチュラリストとしてのみずからの経験をふまえて『神話論理』を読み込む。文化人類学から芸術、文学、思想、動物学、認知科学、アフォーダンス、複雑系まで、いや、ここには書かれていないさらなる多様な読みの可能性もが眼前に開けてくるだろう。
2005年秋、96歳のレヴィ=ストロースへのオリジナル・インタヴューも所収。
■内容(「BOOK」データベースより)
構造主義人類学の創始、「ブリコラージュ的思考」「野生の知」など新鮮なパラダイムの主導、炯眼の近代文明批評。しかしこれらの言辞を並べても、20世紀思想史に聳え立つクロード・レヴィ=ストロースの業績を、いまだ捉えきれてはいないのだ。原書から40年をへて待望の日本語訳が刊行されるその浩瀚なライフワーク『神話論理』を読むために。何よりも、緑なす壮大な神話の森を楽しく彷徨するために。神話の森の入り口で、中沢新一、M.エナフ、渡辺公三、木村秀雄、内堀基光、鈴木一誌、港千尋、安冨歩、池澤夏樹の各氏によるコンパクトなガイドブックを手にしていただきたい。それぞれが専門を異にしながら、ナチュラリストとしてのみずからの経験をふまえて『神話論理』を読み込む。文化人類学から芸術、文学、思想、動物学、認知科学、アフォーダンス、複雑系まで、いや、ここには書かれていないさらなる多様な読みの可能性もが眼前に開けてくるだろう。2005年秋、96歳のレヴィ=ストロースへのオリジナル・インタヴューも所収。
■目次
はじめに
1 レヴィ=ストロースの世界
『神話論理』前夜・・・中沢新一
『神話論理』−言語学と音楽の間で-・・・aマルセル・エナフ《泉克則訳》
世界はリズムに満ちている・・・渡辺公三
アマゾニアの動物たち・・・木村秀雄
人類を見やる距離・・・内堀基光
2 『神話論理』― テクストの生成
レヴィ=ストロース・インタビュー -2005年秋パリ き手・渡辺公三-
『神話論理』と原典テクスト・・・木村秀雄
3レヴィ=ストロースからの創造
重力の行方・・・鈴木一誌
超理性の翼・・・港千尋
記号の身体性-複雑系科学からみた『野生の思考』-・・・安富歩
『野生の思考』と物語の擁護・・・池澤夏樹
編者あとがき
執筆者紹介
レヴィ=ストロース主要著作目録
■ 引用
「神話研究におけるレヴィ=ストロースの関心は、もっぱら神話の宇宙(神話圏)全体をひとつの巨大な変換群として描き出すことに絞られている、というところが特徴である。神話の宇宙は閉じられていて、その内部で変換の規則に従いながら、ほとんど無数の神話が生み出されてくる、その過程の詳細を細大漏らさず分析し尽くすことによって、人間の無意識等対称性によって作動する思考の空間の豊かさを、私たちの眼前に浮上させようというのだ。」(中沢新一「『神話論理』前夜」p24)
「解釈はそれ自体も、ある形態から他の形態への変換の体制の中に属しているのである。ゆえに考察対象の意味を述べることができると主張するような解釈者の位置はそうして退けられる。解釈者の役割はせいぜい、さまざまの物語を関係付け、その相互作用やヴァリアントの産出を喚起すること、要するに、物語相互の「翻訳」を手助けすることに限られるのである。神話学者は一人の媒介者、仲介者、関係の触媒にほかならない。」(マルセル・エナフ「『神話論理』−言語学と音楽のあいだ-」p55
「『神話論理』のモチーフはまさに「起源における人間的コミュニケーションの世界を恐らく隅々まで浸していたあの情緒的豊かさ、あの熱気、あの神秘」を再構築することに会ったと考えることはできないだろうか。そしてその試みにおいても、この末尾の一説が示すように女性の存在は、自らの声部で語る言葉、すなわち謎であり続けている。『親族の基本構造』から『神話論理』までの探求の円環が完成した時、それは、徹底して分かることしか分からない男であることに踏みとどまった精神が、女性という謎に捧げたオマージュとしての人類学の軌跡だった、すなわち、女性という謎については交点をもちえない漸近線としての人類学だった、ということができないだろうか」(渡辺公三「世界はリズムに満ちている」p73)
「アメリカ大陸の神話を読むことを通して、動物たちとも親しくなっていただければ、これほど嬉しいことはない。」(木村秀雄「アマゾニアの動物たち」p93)
「大仰ない方になるが、真に人類学的な思考というのはあるのか、あるとすればどのようなものでありうるか。そのようなことを考えるとき、レヴィ=ストロースはその思考がこの問いに答えを与えうる最大の―ことによると最後の―文化人類学者=民族学者だったといえるかもしれない。思考の主軸はあくまでも社会と文化の中にとどまりながらその外側に自然を考えるということは、たとえそれが姿勢にとどまるとしても、本来の人類学に特有の認識のベクトルである。」(内堀基光「人類を見やる距離」p100)
「神話が根づいている土地も人間も、遅い早いの違いはあっても、消滅に向かっている。ならば根をきってもなお生きようとする神話の生命をみるべきではないのか。読書空間をさらさらと流れていく書きぶりは、何かをうずめている平らさだと思える。指輪のようだ。「器用しごと」としての輝石の背面に「自分が十分に見ていない」との断念がリングとなって取り巻き、そのリングの空洞を埋めるのは沈黙した現象である。作者としてのレヴィ=ストロースがその輪のループ上にいるのだとすれば、書かれた文章=輝石は、つねにループとしての距離をもつことになり、レヴィ=ストロースの文章は《遠さ》として表れることになる。世阿弥の《離見の見》からとられた書名だという『はるかなる視線』や『遠近の回想』といった書名からも垣間見えるのだが、レヴィ=ストロースは《遠さ》を必要とする書き手なのだろう。イメージ的には遠い「悲しい」と「熱帯」の二語を書名として連結させた『悲しき熱帯』について、こう語っている。
「私の信念、私の夢の総まとめ、でした」」(鈴木一誌「重力の行方」p164)
「ところで、他の動物と連続性をもち、身体と不可分であるところの理性という考え方は、神話の世界では当たり前である。人間と動物はしばしば交換可能であり、人間は動物が考えるように考える。動物だけでなく、あらゆる自然現象が動物と人間の理性と連続性を保っている。それを可能にするのは言うまでもなくメタファーの働きである。このような理性を受け入れるならば、思考や意識についても同様の変化を認めなければならなくなる。」(港千尋「超理性の翼」p190
「 「人類学はレヴィ=ストロースを消化できないで終わるでしょうね」
『野生の思考』について議論していたときに、ある優秀な人類学者にこのように言われてひどく驚いたことがある。現代人類学の始祖とも言うべきレヴィ=ストロースがまさにその人類学に消化されずに終わるとはどういうことか。そのときはこれを人類学者の「謙遜」のようなものかと受けとめた。しかしその後。歴史学者、人類学者、思想史家のほか、数名の複雑系科学者とともに『野生の思考』の読書会を開いた私は、この言葉を(人類学者には失礼かもしれないが)「額面通り」受け取っても良いのではないかと思うようになった。現時点で私はレヴィ=ストロースを、メルロ・ポンティ、マイケル・ポラニー、ベイトソン、リデル・ハートらと並ぶ複雑系科学の重要な先駆者と考えている。」(安富歩「記号の身体性」p200)
「レヴィ=ストロースはチューリンガの聖性を強調するのではなく、古文書になぞらえてその機能を説明する。――「それはとくに、取得者の手から手へとつぎつぎに渡される不動産登記証書に良く似たものである。違うのは、ここでは所有者が不動産を保有するのではなくて、用益権者が精神的生理的人格を保有する点だけである。」
このような論法にはどこか解放感がある。聖遺物ではあるけれど、チューリンガとは結局、権利書みたいなものではないか。人は最初から人であったし、その資質は時とところを隔てていてもあまり違いはない、というレヴィ=ストロースの基本的な姿勢がぼくは好きだ。」(池澤夏樹「『野生の思考』と物語の擁護」p232)
*更新者:近藤 宏(引用部分)