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Incentives, Motives, and Talents
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Incentives, Motives, and Talents



“Incentives, Motives, and Talents”
 Seana Valentine Shiffrin
 Philosophy & Public Affairs. vol. 38, No. 2 (2010) 111-142


内容ないよう紹介しょうかい堀田ほった義太郎よしたろう・「」ない引用いんよう

 この20ねんにわたり、ロールズ『正義せいぎろん』で展開てんかいされた実質じっしつてき原理げんりかんするおも議論ぎろんは、格差かくさ原理げんり人々ひとびと経済けいざい市場いちばにおける行動こうどう関係かんけいせい焦点しょうてんされている。つまり、格差かくさ原理げんりひとびと(citizens)に直接的ちょくせつてき適用てきようされるのか、それとも基本きほん構造こうぞうという社会しゃかい制度せいどだけに適用てきようされるのか、というてん争点そうてんになっている。コーエンは制度せいどおなじく、ひとびとにも格差かくさ原理げんりおよぶとろんじている。とすれば、ひとびとは雇用こようさいして、さい不遇ふぐうしゃ利益りえきになるように行動こうどうするだろう。(111)
 だが、格差かくさ原理げんり適用てきようされるのは直接的ちょくせつてきには基本きほん構造こうぞうだけだということをみとめたとしても、給与きゅうよインセンティブにかんする正義せいぎをめぐる問題もんだいは、格差かくさ原理げんりたいする正当せいとうひとびとが受容じゅようするとはどういうことか、というてんかんしてもしょうずる。(112)

T 共通きょうつう序論じょろんてき基盤きばん――実質じっしつてきとく理論りろん

 ここで「実質じっしつてきとく理論りろん(substantive virtue theory)」とぶものが問題もんだいにするのは、ひとびとが、正義まさよし原理げんり同時どうじにその主要しゅよう正当せいとうろんれているという状況じょうきょうである。実質じっしつてきとく理論りろん吟味ぎんみするのは、正義まさよし原理げんりとその受容じゅようから帰結きけつするような信念しんねん慣習かんしゅう性向せいこう動機どうき態度たいど行動こうどうである。(113)これはいわゆる「とく倫理りんり」とはことなる。実質じっしつてきとく理論りろんは、しばしばとく倫理りんりむすけられるようなかたいメタ倫理りんりてきコミットメントに同意どういする必要ひつようはない。(114)
 実質じっしつてきとく理論りろんつぎのようないをふくむ。

 (1) 原理げんりPをもっているならば、どんな行動こうどう性格せいかくてき特徴とくちょうたとえば信念しんねん慣習かんしゅう性向せいこう態度たいど、そして動機どうきが、Pが指示しじする状態じょうたい実現じつげんにとって必要ひつようになるのか? ひとびとはどんな行動こうどう性格せいかくしめし、発展はってんさせ、涵養かんようし、実践じっせんすべきか? 

 たとえば、暴力ぼうりょく行使こうし反対はんたいする道徳どうとく原理げんりがあるとすると、そのたしかな実現じつげん条件じょうけんには、行為こういしゃたん暴力ぼうりょく抑制よくせいする義務ぎむをもつだけでなく、いかりを自制じせいする性向せいこう等々とうとう涵養かんようすべきだということがふくまれるだろう。(114)

 (2) 原理げんりPをもっており、かつ広報こうほう条件じょうけんくわえるならば(つまり原理げんりとその正当せいとうが、ひとびとにられており、受容じゅようされており、またられ受容じゅようされるべきだということがられているという条件じょうけんがあるならば)、原理げんりPとその正当せいとうの「受容じゅようacceptance」は、行為こういしゃ(と制度せいど)が重要じゅうようすべきそれ以外いがい原理げんりたいして含意がんいをもつのだろうか? さらに、基礎きそとなる原理げんりとその結果けっか実行じっこうするために行為こういしゃ発展はってんさせるべき信念しんねん習慣しゅうかん成功せいこう態度たいど動機どうき行為こういなどは存在そんざいするのか? それらの原理げんり一貫いっかんしないような、したがって主張しゅちょう権利けんり義務ぎむ基礎きそになりえないような信念しんねん等々とうとう存在そんざいするのだろうか?

 言論げんろん自由じゆうれいとすると、言論げんろん自由じゆう原理げんりとその正当せいとう受容じゅようは、国家こっか権威けんいもちいて批判ひはんふうめたりするべきだといった観念かんねんをもつことと一貫いっかんしない。ただそれは、ひとびとは他者たしゃ自分じぶん批判ひはんしないことを「のぞむ」べきではない、ということまでは含意がんいしない。(115) しかし、言論げんろん自由じゆう原理げんりとその正当せいとう受容じゅようは、ひとびとは批判ひはんされたくないといった希望きぼうやその私的してき欲望よくぼうを、「公的こうてき」に重視じゅうしされるべきだというための理由りゆうにしない、ということをふくむ。また、言論げんろん自由じゆう原理げんり正当せいとうろんは、ひと他人たにん批判ひはんされないことをのぞむとしても、とくのある市民しみんならば、そののぞみを、真摯しんし批判ひはんたいする社会しゃかいてきな――法的ほうてきではなくても――抑圧よくあつ支持しじする理由りゆうにはしないだろう、ということをふくむ。(116)
 このれいは、実質じっしつてきとく方法ほうほうろんがどのように作動さどうするかをしめすのに役立やくだつし、また、社会しゃかい制度せいど適用てきようされるひとつの原理げんりが、直截ちょくせつてきしょ個人こじん適用てきようされていないとしても、いかにしょ個人こじん行為こういたいして含意がんいをもつかをしめしている。このてんを、労働ろうどうインセンティブの文脈ぶんみゃくのなかでかんがえていこう。(117)

U 労働ろうどうインセンティブ問題もんだいのもうひとつの定式ていしき

 コーエンの議論ぎろんこしている問題もんだいとは、格差かくさ原理げんり基本きほん構造こうぞう社会しゃかい制度せいど一部いちぶとしてのみかんがえられた)にだけ排他はいたてき適用てきようされるのか、あるいはよりひろ直接的ちょくせつてき基本きほん構造こうぞう外部がいぶしょ個人こじんにも適用てきようされるのか、である。(119)

⇒「この論争ろんそうは、格差かくさ原理げんり基本きほん構造こうぞうだけ適用てきようされるてんには同意どういするが、基本きほん構造こうぞう制度せいどだけをふくんでいるのかどうか、あるいはそれは個人こじん経済けいざいてき選択せんたくやその結果けっかにまでおよぶのかについて同意どういしていない人々ひとびとのなかでは、べつ形式けいしきをとることもある。」(119)

わたし議論ぎろんは、格差かくさ原理げんりおもささえになっている議論ぎろん公的こうてき受容じゅようされているということにかかわる。その議論ぎろんとは、能力のうりょく道徳どうとくてき観点かんてんから恣意しいてきであるという主張しゅちょうである。」(121)

「ロールズりゅう秩序ちつじょだった社会しゃかいにおいて、ひとびとはふたつの原理げんり「と」それらにたいする正当せいとうれている。あまりろんじられてこなかったことだが、原理げんりたいする「正当せいとう」の受容じゅようは、公表こうひょう条件じょうけん重要じゅうよう構成こうせい要素ようそである。」(121)

能力のうりょく道徳どうとくてき観点かんてんから恣意しいてきであるというかんがかた…… たんに、またおもに、能力のうりょく所有しょゆううん偶然ぐうぜん問題もんだいだとっているのではない。能力のうりょく道徳どうとくてきにみて恣意しいてきなのは、それが収入しゅうにゅうとみかかわるてんについてである。(122)

 わたしゆうしている能力のうりょくは、職業しょくぎょう分配ぶんぱいかんしては恣意しいてきではない。とはいえ、わたし能力のうりょくわたし遂行すいこうすべき職業しょくぎょうと(そしてわたしおこなうことにたいして公正こうせい機会きかいをもつべき職業しょくぎょうと)密接みっせつ関係かんけいにあるのだが、それらは、わたし貢献こうけんする協同きょうどう社会しゃかい産物さんぶつたいするわたし主張しゅちょうという観点かんてんからすれば恣意しいてきである。(123)

・ 恣意しいせいという指摘してきには、ふたつの意味いみがある。どの才能さいのう価値かちをもつかは社会しゃかい組織そしきのありかた依存いぞんする。潜在せんざい能力のうりょく社会しゃかいてき利益りえきになるちからへと発展はってんさせるには教育きょういくとうちから依存いぞんする。

 @ どの能力のうりょく技能ぎのうそしてしつ社会しゃかいてききょうはたらけ企図きとやくちうるかは、だい部分ぶぶん我々われわれ社会しゃかい組織そしき状況じょうきょう組織そしき方法ほうほう産物さんぶつである。(124)
 A 生来せいらいのポテンシャルを社会しゃかいてき利益りえき獲得かくとくする能力のうりょくへと発展はってんさせるのは、通常つうじょう社会しゃかいてき投資とうし教育きょういく等々とうとう依存いぞんしている。(124)

 以上いじょうから能力のうりょく占有せんゆう恣意しいてきであるがゆえに、それは不平等ふびょうどう分配ぶんぱい理由りゆうやくだちえないとされる。とはいえ、これをれることは、この想定そうていから逸脱いつだつするようなべつ理由りゆうはありえない、ということを意味いみしない。(125)
 平等びょうどう想定そうていかんするこの基礎きそけが、そもそも関係かんけいてきなものではないことに注意ちゅういしよう。つまり、それは平等びょうどう分配ぶんぱい市民しみんたちをより関係かんけいせいかわせるから、あるいは狡猾こうかつ関係かんけいせい蔓延はびこるのをさまたげるから、といった理由りゆう分配ぶんぱいてき平等びょうどう擁護ようごしているのではない。またそれは、平等びょうどう分配ぶんぱいがそれ自体じたいとして本質ほんしつてき価値かちがあるという議論ぎろんでもない。そうではなく、恣意しいせいろん関係かんけいてきである。わたしは、我々われわれ社会しゃかいてき産物さんぶつたいして、あなたとまったく両立りょうりつする主張しゅちょうをすることができる。わたし主張しゅちょうはあなたの主張しゅちょうよりもつよくもよわくもないという理由りゆうで、我々われわれ主張しゅちょうおなじものになるのであり、収入しゅうにゅう分配ぶんぱいがいかにわれわれ相互そうご関係かんけいせい本質ほんしつ影響えいきょうあたえるかということについての考慮こうりょ基礎きそになっているのではない。
 ロールズはゆるやかな平等びょうどう主義しゅぎてき分配ぶんぱいのために関係かんけいてき議論ぎろんをしているが、これらの議論ぎろんは「甚大じんだいな」不平等ふびょうどう階級かいきゅう分化ぶんかが、よく機能きのうする共同きょうどうたい政治せいじ干渉かんしょうするような社会しゃかいてき分業ぶんぎょうすかもしれず、また不可避ふかひてき羨望せんぼうもとになってしまうのだといった方向ほうこうかう。(125)
 関係かんけいてき基礎きそけは、厳格げんかく関係かんけいせいてき議論ぎろんくらべて、平等びょうどう分配ぶんぱいからの逸脱いつだつみとめる議論ぎろんひらかれている。関係かんけいてき基礎きそづけろんは、平等びょうどう分配ぶんぱいそのものに内在ないざいてき価値かちをおいていないからである。(125)

・たとえばそれは、パレート改善かいぜんすような不平等ふびょうどうが、我々われわれ一部いちぶに、ぜんをより効果こうかてき追求ついきゅうすることを、そのために他者たしゃ能力のうりょく削減さくげんすることなく、可能かのうにするだろうという議論ぎろん両立りょうりつする。(125-6)
・とはいえ恣意しいせいろんが、分配ぶんぱいてき平等びょうどうまさるパレート改善かいぜんのための議論ぎろん両立りょうりつするとしても、恣意しいせいろんはパレート改善かいぜんろんによってかたちづくられる議論ぎろんとメカニズムに重要じゅうよう制約せいやくす。(126)
・もしわたしが、自分じぶん才能さいのう我々われわれ社会しゃかいてききょうはたらけ産物さんぶつであるという観点かんてんから道徳どうとくてき恣意しいてきであることをれるなら、この事実じじつだけで、雇用こよう文脈ぶんみゃくにおける昇給しょうきゅう交渉こうしょうのやりかた影響えいきょうあたえるだろう。(126)
 人種じんしゅかんする類似るいじ事例じれいかんがえよう。

・もしわたし基本きほん構造こうぞう支配しはいする原理げんりと、個々ここ市民しみん支配しはいする原理げんりとの区別くべつしんじているとすれば、わたし基本きほん構造こうぞう人種じんしゅ差別さべつ根絶こんぜつするように、また機会きかい平等びょうどう公正こうせい提供ていきょうするように設計せっけいされるべきだとかんがえるだろう。またこうした制度せいど支持しじし、かつそれにしたが義務ぎむがあるということを承認しょうにんするだろう。だが、わたし他方たほうで、もし可能かのうならばすべての場面ばめん実際じっさい人種じんしゅ差別さべつ根絶こんぜつするように努力どりょくし、公正こうせい平等びょうどう機会きかい促進そくしんすることをわたし個人こじんてき目的もくてきのなかにふくめる必要ひつようはない、という信念しんねん整合せいごうてきにもつことができるだろう。また、人種じんしゅ差別さべつ根絶こんぜつ必要ひつようせいは、わたしほかしょ目的もくてきたいして辞書じしょてき意味いみ優先ゆうせんせいをもたないだろう。
 ⇔ それにたいして、もしわたしがこれらのふたつの原理げんり背後はいごにある正当せいとうろんれているならば、わたし経済けいざいてきしょ関係かんけい有利ゆうり立場たちばつために人種じんしゅ利用りようすることはできない。(127)

・たとえばわたしがある職場しょくば仕事しごとようとしており、伝統でんとうてきにその職場しょくばではわたしおなじエスニシティないし人種じんしゅてき背景はいけいをもつ人々ひとびとやとわれてきたとする。わたしは、自分じぶん自身じしんを、基本きほん構造こうぞう支配しはいする人種じんしゅ差別さべつ反対はんたい要求ようきゅう公正こうせい機会きかい原理げんりに「直接的ちょくせつてきに」支配しはいされているとみなしていないとしても、わたし人種じんしゅ労働ろうどうしゃよりも、人種じんしゅ理由りゆうとしてたか給料きゅうりょう要求ようきゅうすることは整合せいごうてきではないだろう。このような要求ようきゅうは、人種じんしゅ収入しゅうにゅうとみなどの観点かんてんからみて道徳的どうとくてき恣意しいてき要素ようそである、という原理げんり受容じゅよう整合せいごうしないのである。(127)

・もしわたしたちが能力のうりょく占有せんゆうを、そのひときょうはたらけ社会しゃかい産物さんぶつへの要求ようきゅうという観点かんてんからみて恣意しいてき要素ようそだとみなすなら、わたしたちが人種じんしゅをそのようにみなしたのとおなじように、わたしわたしのぞまれている能力のうりょくをもっているという理由りゆう高額こうがく給料きゅうりょう要求ようきゅうすべきではないし、そこから利益りえきるべきでもない。おな労苦ろうく(labor burden)である場合ばあいわたしは、たんわたし特殊とくしゅ能力のうりょく生産せいさんせいによって有利ゆうり立場たちばにあるとっているというだけの理由りゆうで、平等びょうどう分配ぶんぱい原理げんりえる要求ようきゅうをすべきではない。また雇用こようしゃもそのような高額こうがく給与きゅうよ提示ていじすべきではない。(128)

・インセンティブ批判ひはんについての分析ぶんせきは、格差かくさ原理げんり直接的ちょくせつてき内面ないめん要求ようきゅうするコーエンの戦略せんりゃくから、ふたつの相互そうご関連かんれんしたみち分岐ぶんきする。だいいちに、理由りゆうづけの配置はいち形式けいしきにおいて(128)、だいに、その拡張かくちょうにおいて。(129) 能力のうりょく道徳どうとくてき恣意しいてきだということを受容じゅようすると、人々ひとびと行為こういするさい理由りゆう制約せいやくされる。この理由りゆうは、さい不遇ふぐうしゃ利益りえき最大さいだいという特定とくてい目標もくひょう積極せっきょくてき実現じつげんするという要求ようきゅうとはことなる。この制約せいやくは、秩序ちつじょだった社会しゃかい市民しみんは、さい不遇ふぐうしゃ利益りえきになるようにはたらくが、さい不遇ふぐう人々ひとびと地位ちいたいするむすびつきは直接的ちょくせつてきなものではない。このかんがかた受容じゅようすることは、それだけで独立どくりつして、さい不遇ふぐうしゃ地位ちい向上こうじょうのための個人こじんてき義務ぎむ提供ていきょうするものではない。(129)

・もしわたしひとつのポジションを、べつのものをこのむという理由りゆうことわるとして、わたし前者ぜんしゃ実行じっこうしていればさい不遇ふぐうしゃ立場たちば最大さいだいしたとして、それでもわたし職業しょくぎょう選択せんたくは、わたし内面ないめんしている恣意しいせいろん衝突しょうとつする必要ひつようはない。(129)

 ★整理せいり ある職業しょくぎょうAのほうがBよりもさい不遇ふぐうしゃ利益りえきになるとして、わたし両方りょうほう選択せんたくできる能力のうりょくをもつとする。わたしはAよりもBのほうがきだとする。わたしはBを選択せんたくしたとしても、それは恣意しいせいろんしめ原理げんり背反はいはんしない。

・コーエンとのちがい …… コーエンの説明せつめいでは、さい不遇ふぐうしゃ利益りえきになる仕事しごと拒否きょひすることは、ともあれまずは問題もんだいであるとされる。なぜならそれは格差かくさ原理げんり内面ないめん整合せいごうしないからである。(129−130) わたし見方みかたでは、そのような問題もんだい存在そんざいしない。拒否きょひそれ自体じたいは、ひと能力のうりょくをあたかもそれが収入しゅうにゅうみだす個人こじんてであるかのようにあつかったことをふくまない。(130)コーエンの見解けんかい個人こじんてき特権とっけん発動はつどう(invocation)によって緩和かんわされる。わたし見解けんかいはそうではない。コーエンの見解けんかいでは、この特権とっけんはあるしょく拒否きょひすることを正当せいとうするし、そのしょくくためにたか給料きゅうりょうることも正当せいとうする。わたし見解けんかいでは、仕事しごとめることは正義せいぎへのコミットを侵害しんがいしないが、よりたか給料きゅうりょうることはそれを侵害しんがいする。(130)

わたし見方みかたでは、能力のうりょくインセンティブによってされる不平等ふびょうどうは、秩序ちつじょだった社会しゃかいではこるべきではない。だが、わたしたちとさい不遇ふぐうしゃ利益りえきあたえうるような仕事しごと実際じっさいになわれないかもしれない。たとえば庭師にわしほう医師いしよりもあきらかにおおくなってしまうかもしれない、そして給料きゅうりょうによるインセンティブは、この問題もんだいあつか実行じっこう可能かのう選択肢せんたくしではないだろう。コーエンはこの問題もんだいたいして、エートスをとおして職業しょくぎょう選択せんたく影響えいきょうけるしょ個人こじんたいして、格差かくさ原理げんり適用てきようすることで処理しょりしている。わたしはこのやりかたでわれわれの相互そうごむすばれるだろうという見解けんかいれるが、そのような結果けっかべつ考慮こうりょによって緩和かんわされる。正義せいぎという動機どうき唯一ゆいいつ理由りゆうではない。べつ道徳どうとくてき原理げんり動機どうき慈善じぜん人々ひとびと重要じゅうよう社会しゃかいてきニーズにやく仕事しごと遂行すいこうする動機どうきになりうる。(130)

・これはコーエンが指摘してきするように、臓器ぞうき提供ていきょうたいする現在げんざいのアプローチとている。生体せいたいあいだ臓器ぞうき提供ていきょう自発じはつてきであるべきだというのとおなじである(ちゅう36)。また、もし臓器ぞうき売買ばいばいによってよりおおくの臓器ぞうき供給きょうきゅうのぞめるとしても、わたしたちはそれに反対はんたいするだろう。(131) さらに、わたしたちは臓器ぞうき移植いしょくもうたりかねたりすることを不適切ふてきせつであるというのはわたしたち自身じしんのエートスの一部いちぶだとかんがえている。(131)

臓器ぞうき売買ばいばい反対はんたいする理由りゆう一部いちぶは、支払しはらいみとめると、まりが困難こんなん強制きょうせい圧力あつりょくみちびくだろうというものだが、それだけではない。臓器ぞうき商品しょうひん不適切ふてきせつであるとおもわれるような、わたしたちの身体しんたい尊厳そんげん(bodily dignity)にふかむすびついているからだ。(132)
・また売買ばいばいみとめられると、贈与ぞうよ保有ほゆう(retention)の社会しゃかいてき意味いみわってしまう。労働ろうどうインセンティブのケースでは、能力のうりょく配置はいちにインセンティブをあたえることは、平等びょうどう基礎きそたいする公的こうてきコミットメントを象徴しょうちょうてきよわめてしまうし、とりわけ、市場いちば価値かちをもつようなしょ個人こじん属性ぞくせい所有しょゆうぶつproperties)と性質せいしつにおける差異さい政治せいじてき社会しゃかいてき平等びょうどうしゃとしての個人こじん地位ちいにとって重要じゅうよう意味いみをもつことを否定ひていする公的こうてきコミットメントをよわめてしまう。(132)

・このような労働ろうどうインセンティブへの反対はんたいろん収入しゅうにゅう不平等ふびょうどう帰結きけつするすべてのパレート改善かいぜん非難ひなんするわけではない。

V 上記じょうき説明せつめい直面ちょくめんするべつ反論はんろん

 インセンティブろんについてかんがえるさいしょうずる「〔過剰かじょうな〕要求ようきゅう(demandingness)」についての問題もんだいがある。コーエンのインセンティブろんたいする立場たちば背後はいごには、ふたつのディマンディングネス問題もんだいがあるとかんがえられる。ひとつは帰結きけつ主義しゅぎ共有きょうゆうされている問題もんだいであり、もうひとつはしばしば不正ふせい要因よういんについてのかくされた操作そうさによってしょうずる。(136)

だいいちに、コーエンの立場たちば帰結きけつ主義しゅぎおな反論はんろん困難こんなん直面ちょくめんする。つまりそれはあまりに命令めいれいてきぎる。しょ個人こじん職業しょくぎょう選択せんたく時点じてん自分じぶん目的もくてきよりもつねにさい不遇ふぐうしゃ利益りえきかんがえて職業しょくぎょう選択せんたくすべきだということになる。服従ふくじゅうしている市民しみんかれ自身じしん独立どくりつした目的もくてき追求ついきゅうするような環境かんきょうつくすことへの利害りがい関心かんしんは、一方いっぽう基本きほん構造こうぞうもとづく反論はんろんみちびき、他方たほうで、個々人ここじん特権とっけんについてコーエンのようなべつ理解りかい戦略せんりゃくみちびく。(136)

・それにたいして、わたし説明せつめい基本きほん構造こうぞうもとづく反論はんろんこさない。それは格差かくさ原理げんりそれ自体じたい直接ちょくせつ個々人ここじん適用てきようされるという主張しゅちょう依拠いきょしていないからであり、同時どうじに、コーエンの根本こんぽんてき洞察どうさつに、とくに格差かくさ原理げんり是認ぜにん個々ここ市民しみん行動こうどうたいする含意がんいゆうしているというてんには一致いっちする。(137)【だが、それは、格差かくさ原理げんり個々人ここじん直接ちょくせつ適用てきようされるからではなく、格差かくさ原理げんりたいする正当せいとうろん受容じゅようが、個々人ここじん行為こうい駆動くどうする動機どうき制約せいやくするからである】。(137)恣意しいせいもとづく正当せいとうろんはそれ自体じたいでは完全かんぜん命令めいれい形態けいたいをとることはない。格差かくさ原理げんり正当せいとうろんは、道徳どうとくてきさい不遇ふぐうしゃ可能かのうかぎ改善かいぜんされるべきだということではなく、能力のうりょく道徳どうとくてき観点かんてんから恣意しいてきだということである。したがって、平等びょうどうからの逸脱いつだつは、価値かちある能力のうりょく所有しょゆうおよびその使用しようたいする直接的ちょくせつてきないし間接かんせつてきなアピールによっては正当せいとうされない。このタイプの「過剰かじょう要求ようきゅう問題もんだい分散ぶんさんする。個人こじんてき特権とっけん必要ひつようはない。人々ひとびとは、恣意しいせいろん両立りょうりつ可能かのう様々さまざま動機どうき行為こういすることができる。完全かんぜん命令めいれいてき原理げんりから自由じゆうになることは、「過剰かじょう要求ようきゅう問題もんだいたいして道徳どうとくてき要請ようせいから自由じゆう休日きゅうじつみとめることなく、また部分ぶぶんてきに「監獄かんごくから自由じゆうになる」カードと道徳どうとくてき等価とうかなものをみとめることなく、解答かいとうあたえる。

だい問題もんだいは、わたしとコーエンの両者りょうしゃてはまる。それは、個々人ここじん収入しゅうにゅうとみたいする道徳どうとくてき恣意しいてき要素ようそ影響えいきょう規制きせいすることにたいする、個人こじん責任せきにん範囲はんいかかわる。わたしはすでに、ひと収入しゅうにゅうという理由りゆう能力のうりょく占有せんゆうすることを積極せっきょくてきれたり主張しゅちょうしたりしないだろうとろんじた。だがそうするとひと実質じっしつてき選択肢せんたくしをもたない、ということになってしまうのではないか。(137)

・この状況じょうきょうは、コーエンが最初さいしょ焦点しょうてんした個人こじんてき交渉こうしょうよりもより一般いっぱんてきにみられる。インセンティブ賃金ちんぎんは、しばしば対面たいめんてき交渉こうしょうじょうきょうでの直接的ちょくせつてき要求ようきゅう産物さんぶつではない。それは往々おうおうにして、構造こうぞうてきメカニズムのなかでしょうずる。このことは、恣意しいせいろん内面ないめんすべてのオファーと利益りえき因果いんがてき経路けいろ統制とうせいすること、そしてうたがわしいオファーと利益りえき拒否きょひすることを要求ようきゅうするのかどうかという問題もんだいしょうじさせる。(138)

人種じんしゅ差別さべつおもこしてみよう。人種じんしゅ差別さべつしゃ動機どうきしたがって行動こうどうしないように要求ようきゅうすること等々とうとうは、とく負担ふたんでもないしにかなわないような負担ふたんでもない。それはさらなる負担ふたん個人こじん要求ようきゅうする。おな負担ふたんが、人々ひとびと給与きゅうよ水準すいじゅん能力のうりょくたいする不合理ふごうり補償ほしょう反映はんえいしていないかどうかを評価ひょうかするように要求ようきゅうする場合ばあいには存在そんざいする。(138)
 この問題もんだいへのひとつの応答おうとうは、基本きほん構造こうぞうがこの問題もんだいあつかうべきだという見解けんかい採用さいようすることである。基本きほん構造こうぞうは、市場いちばたいする能力のうりょく意図いとてき因果いんがてき効果こうかをコントロールすべきであり、しょ個人こじんはこれらの問題もんだいと、おおきなそして不公平ふこうへい負担ふたんになうような場合ばあい腑分ふわけするべきである。しかしこの応答おうとうは、こうした状況じょうきょうおおくなるならば、満足まんぞくできないだろう。恣意しいせいろん受容じゅようする個々ここ市民しみんは、かれらが恣意しいてき特徴とくちょうによって利益りえきるようなところに意図いとてきにであれ意図いとてきにであれ参加さんかしないようにすべきだ、という過度かど要求ようきゅう直面ちょくめんするだろう。とすれば、わたし応答おうとう過剰かじょう要求ようきゅう反論はんろんふたた直面ちょくめんする。(139)

・とはいえじつはこれは、あらたな問題もんだいでもなければ特殊とくしゅ問題もんだいでもない。我々われわれはこうした状況じょうきょうつね直面ちょくめんしているからである。(139)

・これはたようなこう対立たいりつてき選択せんたくであるとはおもえない。つまり、@我々われわれ個人こじんとして我々われわれ提示ていじされるもの、あるいは我々われわれ消費しょうひするものすべての起源きげん探究たんきゅうすべしという過剰かじょう要求ようきゅうしたはたらかなければならず、満足まんぞくするものがないときには独力どくりょくあらたなしょく生産せいさんぶつ発明はつめいしなければならないのか、あるいは、Aそうした要求ようきゅうからの我々われわれ自由じゆうは、さもなければ正当せいとう道徳どうとくてき要求ようきゅうであるはずのものを無視むしする特権とっけんのなかにあるというのか。このふたつしか選択肢せんたくしがないわけではない。(140)

・たとえば、わたしはほんのすこしの人種じんしゅ差別さべつ主義しゅぎにも、あるいは人種じんしゅ差別さべつしゃ意識いしきてききょうはたらかしているようなことにも、参加さんかできない。同様どうように、わたし直接的ちょくせつてきわたし能力のうりょく自分じぶん占有せんゆうしていることから利益りえきることはできない。なぜなら、それは本来ほんらい理由りゆうにならないことを理由りゆうとして提示ていじしていることになるからである。しかし、理由りゆうにならないモノを理由りゆうとしてあつかわない、という拘束こうそく侵害しんがいするような不当ふとうしょ要素ようそ影響えいきょうふくまれた因果いんがてき経路けいろから利益りえきているのかかが不明ふめい場合ばあいがある。そのような場合ばあいわたし本来ほんらいそうすべきでない要素ようそから利益りえきることを「選択せんたくしている」とまではえない。(140)

問題もんだい構造こうぞうは、より集合しゅうごうてききょうはたらけてき応答おうとう必要ひつようとしているとおもわれる。たとえば、組織そしきてきボイコットはあるかくされたしょ要素ようそ白日はくじつしたさらすだろうし、より統一とういつてき応答おうとうとより統一とういつてき負担ふたん人々ひとびとあたえる圧力あつりょく行使こうしするだろう。(140)

労働ろうどう市場いちばでは労働ろうどう組合くみあいが、給与きゅうよたいする能力のうりょく不正ふせい影響えいきょう制約せいやくするような実践じっせん確立かくりつする役割やくわりたすだろう。(141)

■ 結論けつろん本文ほんぶんにはふしけはなし〕

・ロールズてき秩序ちつじょだった社会しゃかいでは、こう(あるいはよりひく収入しゅうにゅう理由りゆうあたえているかのように能力のうりょくあつかうことをける完全かんぜん義務ぎむ存在そんざいする。それが曖昧あいまいである場合ばあい、そして回避かいひ非常ひじょう困難こんなんである場合ばあい追加ついかてき義務ぎむについてどのようにかんがえるべきかという観点かんてんからは、問題もんだいはより複雑ふくざつになる。もし、恣意しいてき要素ようそ反映はんえいしたしょ実践じっせんから利益りえきないという義務ぎむを、能力のうりょく利益りえき理由りゆうになるようにあつかうべきでないという義務ぎむおなじく、完全かんぜん義務ぎむであるとかんがえるならば、過剰かじょう要求ようきゅう問題もんだい最大さいだいのバージョンに直面ちょくめんすることになるだろう。そして、それと同時どうじに、個人こじん特権とっけん本当ほんとうにこの完全かんぜん義務ぎむ要求ようきゅうやわらげることができるのかどうか、そしてどのようにそれをおこなうのか、といった困難こんなん問題もんだいたるだろう。(141)

・しかし、以上いじょう考察こうさつは、それは完全かんぜん義務ぎむではなく不完全ふかんぜん義務ぎむであるとかんがえる理由りゆう提供ていきょうしている。

我々われわれは、つねにこの不完全ふかんぜん義務ぎむほうずる価値かち促進そくしんする理由りゆうゆうしているが、それをあらゆる状況じょうきょうでつねに促進そくしんする必要ひつようはないし、またそれはできない。(141-2) しかし、我々われわれ個人こじんとして、それを完全かんぜん無視むしすることもできない。慈善じぜんおなじく、我々われわれ不完全ふかんぜん義務ぎむは、問題もんだい価値かちとく明確めいかく顕著けんちょであるような個別こべつ状況じょうきょうについて起動きどうされるだろう。そして慈善じぜんおなじく、この価値かち個人こじん個人こじん適切てきせつ促進そくしんできるようにするための社会しゃかいてき集団しゅうだんてき構造こうぞう促進そくしんすることをこころみる理由りゆうあたえるだろう。そして、その社会しゃかいてき集団しゅうだんてき構造こうぞうは、政府せいふてきなものと政府せいふてきなものとをふく多様たよう形態けいたいをとるだろう。(142)


作成さくせい堀田ほった 義太郎よしたろう
*このファイルは生存せいぞんがく創成そうせい拠点きょてん活動かつどう一環いっかんとして作成さくせいされています(→計画けいかく:T)。
UP: 20110202 REV:
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