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聴覚障害/ろう(聾)のアイデンティティ
○生存学HP内関連ファイル
■事項
◇聴覚障害・ろう(聾)
■全文掲載ファイル
○目次
■聴覚障害/ろう(聾)のアイデンティティについて ■文献
■聴覚障害/ろう(聾)のアイデンティティについて
◆概要
甲斐 更紗・鳥越 隆士 20080331「アイデンティティ形成と『ことば』」,村瀬 嘉代子・川崎 佳子 編,『聴覚障害者の心理臨床 2』,日本評論社,pp. 97-120.の一部より
近年,聞こえない,聞こえにくい子ども(以下,「聞こえない」とする)たちの教育が大きく変化している。従来の教育では,聞こえないことを改善,克服させるため,聴覚口話法による指導が中心であったが,近年は手話を導入するろう学校が増えつつある。そのような中で「アイデンティティ」ということばが注目されたり,「障害認識」など,心の成長の支援に取り組んだりするようになってきた。
一般的に,アイデンティティとは,「自分」ということについての意識やその内容をさしている。人間は生まれてから死ぬまでの間,さまざまな成長を成し遂げていくが,私たちは,生まれてから現在までの時間的流れを見渡し,そのような道を歩んだ自分がいることを肯定し,過去の歴史を受けいれ,大切にしながら,これから先の展望を考える。エリクソン(1950,1959)は,このように自分の内的な歴史の一貫性を,アイデンティティの重要な要素であると述べている。特に,思春期・青年期に解決すべき発達的課題を「アイデンティティ確立対アイデンティティ拡散」であるとし,とりわけ思春期・青年期におけるアイデンティティの獲得の重要性を指摘している。思春期・青年期以前では,周りの人たちや親を理想的な人物として同一化して,その人のように振る舞ったり,考えたりする。しかし,それらの理想的な人物にも,自分の気に入らないところが出たり,またその人たちと違う自分の存在に気づいたりするようになる。そして,このような理想化と失望のプロセスを通して,「本当の自分は何者なのか」「本当は、自分は何をやりたいのか」といった問いが浮かび上がってくる。まさに思春期青年期の時期に「アイデンティティ」に関わるテーマと向き合うことになる。このプロセスは他者の影響から少しずつ離れ,自分が自分の主人公になっていくことでもあると言えよう。
また,このようなテーマは,生まれてから今日まで,自分はどのような経験を重ねてきたか,そして,自分はどんな方向に向かって進んでいくのかに関する感覚と結びついている。それは,その時々の自分が,どんな集団に所属していたかの感覚とも関わっている。私たちは,家族,学校,友達など,さまざまな集団に身をおくことによって,言語やルール,文化を共有し,それらを自分の中に取り入れながら,自分を形成している。こうした体験は「ことば」によってまとまりが与えられる。言わば「語り」を通して,生きてきた社会や文化と結びつき,自分の内的な歴史を作っていくと言えよう。
そこから、考えると、聞こえない子どもたちも,成長の過程で,特に思春期・青年期において,「自分はいったい何者なのか?」というアイデンティティの模索を始める。これはまた,「聞こえない」ことをどのように捉えて,受けとめていくのかという「障害受容」や「障害認識」とも関わる課題となる。
パデンとハンフリーズ(1988)は,親がろう者である家庭に生まれた聞こえない子どもは,生まれたときから手話などと接触があり,手話やろう文化を獲得していく。そして,成長の途上で,聴者と出会い,聴者の文化と接触する。そして,アイデンティティの獲得のためには,自身の文化(ろう者の文化)と他者の文化(聴者の文化)をどう取り入れるかの問題を解決しなければならないと指摘している。また,べイカーとコークリー(1980)によると,聞こえない子どもの親の9割は聴者であり,聞こえない子どもは生まれた時は聴者の文化の中におり,聴者をモデルとした従来の障害観やそれに基づく療育指導の環境のもとで,聞こえない子どもは否定的な自分を肥大させていく。成長の途上,ろう学校などで新たにろう者の文化や手話と接触して,ろう者としてのアイデンティティを獲得していく。したがって,このような子どもたちは,生まれたときから周囲に存在した聴者の文化と成長の途中で新たに接触したろう者の文化を,心の中で「接触,葛藤,統合」という過程を通して受けとめ直すことが必要と考えられる。
そのような過程に関して,グリックマンとカーレイ(1993)は,文化的・民族的アイデンティティの発達モデルの枠組みから,ろう者のアイデンティティの発達過程を検討し,アイデンティティの発達には4つの段階があることを指摘した。まず,聴者の価値観を無条件に受け入れている段階(第1段階),そして,努力しても聴者のようになることが困難であることに気づき,自分が誰なのか分からず混乱している段階(第2段階),さらに手話とろう文化という新しい価値を発見し,それに傾倒する段階(第3段階),最後に,両者の文化的価値を共に肯定的に受容し,バランスよく自分のものにすることができる統合の段階(第4段階)である。
近年,わが国でも聞こえない子どもたちのアイデンティティの発達過程と支援に関する研究が蓄積されてきた(坂田,1990a,1990b;小畑,1994;杉田,2000;相良・斎藤・根本,2001など)。それらの研究から,聞こえない子どもたちのアイデンティティ発達を促進させる要因として,@手話の肯定(集団コミュニケーションが形成されている),Aデフファミリーの存在(親がろう者である),B周りにろうの友人がいる,成人ろう者との出会いがあることが挙げられ,また妨げる要因として,@手話の否定(集団コミュニケーションが形成されていない),A家族の中にろう者がいないこと,B周りにろうの友人がいない,成人ろう者との出会いがないことなどが明らかになってきた。
前述のように,聞こえない子どもの親の大多数は聞こえる人たちである。一般的には言語や文化が親子や家族を中心に伝播されるが,聞こえない子どもたちは,彼らが集まる場である「ろう学校」で,手話言語や文化などを獲得してきた(鳥越,1999)。したがって,「ろう学校」はアイデンティティを育む場でもあると言えよう。しかしながら,ろう学校では,長年にわたって手話言語の使用を禁止してきた歴史もある。一方,ろう学校でなく,地域の通常の小学校,中学校に通う(以下,インテグレーションとする)児童生徒のなかに,思春期段階で,ろう学校へと戻ってくるケースも多い。そのような場合,生徒たちは通常学校で手話言語やろう者社会と接触していないため,ろう学校でコミュニケーションの違いなどによるさまざまな問題を抱えているとの報告もある。ろう学校在籍児,インテグレーション児童生徒のいずれにおいても,アイデンティティの発達を妨げる要因が数多くある状況にあると言えよう(山口,2001;岩田,2002)。アイデンティティの発達を支援する取り組みが求められよう。
◇関連する事項
■文献
◇広津 侑実子 2011 「聴覚障害のある人の他者とのやりとりに関する質的検討--心理臨床的支援への足掛かりとして」,『聴覚言語障害』 40(1), 41-48.
◇島根 陽平 ・ 井上 清子 201003 「聴覚障害者における聾(ろう)と難聴のアイデンティティ : デフ・アイデンティティ形成の過程と要因」,『生活科学研究』 32, 27-35.
([外部リンク]機関リポジトリで全文閲覧可.PDFファイル)
◇伊藤 泰子 20081223 「聞こえない人のアイデンティティ」,『人間文化研究』 10, 201-215.
◇甲斐 更紗・鳥越 隆士 20080331 「アイデンティティ形成と『ことば』」,村瀬 嘉代子・川崎 佳子 編 ,『聴覚障害者の心理臨床 2』,日本評論社,pp. 97-120.
◇甲斐 更紗・鳥越 隆士 20070930 「ろう学校高等部生徒のアイデンティティ発達支援プログラム」,『特殊教育学研究』45巻3号,pp. 161-173.
([外部リンク]CiNiiで全文閲覧可.PDFファイル)
◇甲斐 更紗 ・鳥越 隆士 20061130 「ろう学校高等部生徒のアイデンティティに関する研究」,『特殊教育学研究』44巻4号,pp. 209-217.
([外部リンク]CiNiiで全文閲覧可.PDFファイル)
◇藤巴 正和 200303 「青年期の聴覚障害者におけるアイデンティティの問題と支援のあり方について」,『総合保健科学』 19,51-58.
◇生田目 美紀 ・ 皆川 洋喜 ・ 北川 博 2003 「学生募集ポスターの教育的・社会的利用と横断型教育支援への試み--障害に配慮したヴィジュアル・コミュニケーション活動の教育的展開」,『筑波技術短 期大学テクノレポート』10(2),45-49.
([外部リンク]筑波技術大学情報リポジトリで全文閲覧可.PDFファイル)
◇藤井 克美 200211 「聴覚障害の自己認識の実践的検討:京都府立聾学校の試みから(<特集>障害の受容と理解) 」,『障害者問題研究』30(3),204-213.
◇生田目 美紀 ・ 永井 由佳里 ・ 北川 博 2002 「障害に配慮したヴィジュアル・コミュニケーション活動の支援(1)学生募集ポスターの教育的展開と社会的有効利用」,『筑波技術短期大学テクノレポート 』 9(1), 93-98.
([外部リンク]筑波技術大学情報リポジトリで全文閲覧可.PDFファイル)
◇生田目 美紀 ・ 永井 由佳里 ・ 北川 博 2002 「障害に配慮したヴィジュアル・コミュニケーション活動の支援(2)学生募集ポスターアンケートのデータ解析」,『筑波技術短期大学テクノレポート』9(1),99-103.
([外部リンク]筑波技術大学情報リポジトリで全文閲覧可.PDFファイル)
◇臼井 正樹 20010831 「障害者文化論 : 障害者文化の概念整理とその若干の応用について」,『社会福祉学』42(1),87-100.
◇岩田 吉生 20010330 「聴覚障害青年のアイデンティティ形成に関する一考察」,『治療教育学研究』 21,43-48.
◇生田目 美紀 ・ 永井 由佳里 2001 「聴覚障害学生がコミュニケーションデザインを体感できる教育実践と展開」,『筑波技術短期大学テクノレポート』8(2),27-33.
([外部リンク]筑波技術大学情報リポジトリで全文閲覧可.PDFファイル)
◇滝沢 広忠 200009 「聴覚障害者の精神健康に関する日米比較」,『札幌学院大学人文学会紀要』68,33-44.
([外部リンク]CiNiiで全文閲覧可.PDFファイル)
◇山口 利勝 19981230 「聴覚障害学生の心理社会的発達に関する研究 : 健聴者の世界との葛藤とデフ・アイデンティティの影響」,『教育心理学研究』46(4),422-431.
([外部リンク]CiNiiで全文閲覧可.PDFファイル)
◇鳥越 隆士 199803 「聴覚障害児の心の成長とアイデンティティをめぐって」,『手話コミュニケーション研究』(27), 27-31.
◇山口 利勝 19970930 「聴覚障害学生における健聴者の世界との葛藤とデフ・アイデンティティに関する研究」,『教育心理学研究』45(3),284-294.
([外部リンク]CiNiiで全文閲覧可.PDFファイル)
◇山口 利勝 19970314 「聴覚障害学生における自己意識形成および現在の自己意識とアイデンティティ形成との関連についての研究」,『広島大学教育学部紀要. 第一部, 心理学』45,139-144.