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太陽の家
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太陽たいよういえ
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last update: 20220907


理念りねん

・No Charity, But a Chance! (保護ほごより、機会きかいを!)
せい心身しんしん障害しょうがいしゃ)はあっても仕事しごと障害しょうがいはありない。
太陽たいよういえ社員しゃいんまもるしゃではなく労働ろうどうしゃであり後援こうえんしゃ投資とうししゃである。

 太陽たいよういえシンボルマーク「むぎ」・・・むぎにはきびしさがあります。むぎまれてもぐんぐん成長せいちょうします。太陽たいようかってのびつづけるむぎかたちには団結だんけつ意味いみします。


ひと

秋山あきやま ちえ
井深いぶか まさる
立石たていし 一真かずまさ
中村なかむら ひろし
畑田はただ 和男かずお
◆ヘンリー・ビスカーディ
丸山まるやま 一郎いちろう
水上みずかみ つとむ
◆ルードウィヒ・グットマン


■あゆみ(年表ねんぴょう

1965(昭和しょうわ40)ねん



1966(昭和しょうわ41)ねん



1967(昭和しょうわ42)ねん



1968(昭和しょうわ43)ねん



1969(昭和しょうわ44)ねん



1970(昭和しょうわ45)ねん



1971(昭和しょうわ46)ねん



1972(昭和しょうわ47)ねん



1973(昭和しょうわ48)ねん



1974(昭和しょうわ49)ねん



1975(昭和しょうわ50)ねん



■『太陽たいよういえ」の出来事できごと

太陽たいよういえ 1975 『太陽たいよういえ10ねん歴史れきし』, 太陽たいよういえ身体しんたい障害しょうがいしゃ職能しょくのう開発かいはつセンター開発かいはつ

創設そうせつ由来ゆらい根本こんぽん理念りねん(pp.1-4)
 昭和しょうわ40ねん10がつ5にちわずか15にん車椅子くるまいす身障者しんしょうしゃから発足ほっそくした「太陽たいよういえ」も今日きょう別府べっぷ最大さいだい工場こうじょうまで発展はってんし、総勢そうぜい400にんかかえるだい世帯せたいとなって、まる10ねん記念きねんむかえることになった。この10年間ねんかんあらゆる困難こんなん抵抗ていこうしきって。基礎きそかた経営けいえい安定あんていさせ、さらちょうスピードてき飛躍ひやくつづけて今日きょうの「太陽たいよういえ」はできがった。(中略ちゅうりゃく
 そのころ日本にっぽん国内こくない福祉ふくしかんがえは保護ほごないしは慈善じぜんいきだっしていなかった。たんなる同情どうじょう保護ほごだけでは身障者しんしょうしゃ本当ほんとう幸福こうふくはありない。家庭かてい社会しゃかい厄介やっかいしゃでなく残存ざんそんする機能きのう最大さいだい活用かつようして、みずかはたらみずかかせ自分じぶんちから生活せいかつし、いままでの税金ぜいきん消費しょうひしゃ立場たちばから納税のうぜいしゃ立場たちばかわり。堂々どうどうむねって、いち人前にんまえ社会しゃかいじんとしてのほこりをもてるようになってこそはじめてしん幸福こうふくおとずれるのである。これは本人ほんにんのためにも国家こっかのためにも素晴すばらしいことではないだろうか。このかんがえは保護ほご慈善じぜん主体しゅたいかんがえられていた当時とうじ社会しゃかい通念つうねんからは相当そうとう飛躍ひやくしたものであり、一部いちぶではゆめではないかとまで批判ひはんされることもあった。
 わずか10ねんまえのことであるが、身障者しんしょうしゃ福祉ふくし一般いっぱん理念りねん政策せいさく環境かんきょう国民こくみん意識いしきどもおどろくほどに幼稚ようち消極しょうきょくてきなものだった。ここに「太陽たいよういえ」が誕生たんじょうせねばならぬ必然ひつぜんせいがあったといえる。
 こういう空気くうきなか発想はっそうから発足ほっそくへの準備じゅんび着々ちゃくちゃくすすめられた。当時とうじ発想はっそうしゃ中村なかむらげん理事りじちょうふくめてだれもが今日きょうの「太陽たいよういえ」にまで成長せいちょうする成算せいさんをもてただろうか。おそらくは「かった」といえよう。資金しきんてきにもわずか10すうめい入所にゅうしょしゃかかえ、あるときにはその食事しょくじにすら事欠ことか当時とうじ中村なかむら常務じょうむ理事りじれやポケットマネーに依存いぞんせねばならぬ事態じたいがしばしばきた。ただあふれていたものは発想はっそうしゃとその周囲しゅういをとりまく補助ほじょしゃならびにこころある入所にゅうしょせい情熱じょうねつだけであった。それらの苦境くきょうのすべてを承知しょうちうえで、あえて発足ほっそくって、今日きょうの「太陽たいよういえ」をきずきあげる動機どうきつくった当事とうじしゃ決断けつだんたか評価ひょうかされるべきであろう。また「太陽たいよういえ」の発足ほっそく、ひいては飛躍ひやく原動力げんどうりょくとなったものはなにといっても中村なかむらげん理事りじちょうのアイディアと情熱じょうねつとこれにともな畑田はただげん常務じょうむ理事りじ業績ぎょうせき明記めいきしなければならない。
中略ちゅうりゃく昭和しょうわ40ねん5がつ作家さっか水上みずかみつとむなどの積極せっきょくてき支援しえん協力きょうりょくのもとに、「別府べっぷせいえん」の付帯ふたい事業じぎょうとして「別府べっぷ慈善じぜん工場こうじょう設立せつりつはこびになった。この構想こうそうはアメリカでかなりの業績ぎょうせきげているグッドウィルインダストリーズの方式ほうしきれ、当初とうしょ廃品はいひん回収かいしゅう更生こうせいによる工場こうじょうかんがえられた。実行じっこううつされるや青少年せいしょうねん赤十字せきじゅうじだんなどの社会しゃかいてき協力きょうりょくもあり、別府べっぷだけではなく東京とうきょう日赤にっせき本部ほんぶなどにも市民しみん提供ていきょう善意ぜんいやまきずかれた。
 ところが、あつまったのは廃品はいひんというよりもガラクタのやまであり、更生こうせいのつけられるものや加工かこうしても販売はんばいかちのないものばかりで当事とうじしゃ善意ぜんいやままえ絶句ぜっくする有様ありさまであった。アメリカの場合ばあいには廃品はいひんといってもいわゆる用品ようひんであって、そのままでも十分じゅうぶん使つかえるものや、更生こうせい価値かちのあるものがおおいが日本にっぽん場合ばあい本当ほんとうのガラクタであり、ここにも国情こくじょう相違そういがはっきりとえがされた。このこころみは完全かんぜん失敗しっぱいであったが、これにより「日本にっぽん国情こくじょうてきした事業じぎょうおこなわなければならない」という貴重きちょう教訓きょうくんわけで、これによって新規しんき製品せいひん主体しゅたいとした生産せいさん工場こうじょうへと方向ほうこう転換てんかんさせられることになった。(中略ちゅうりゃく
このような経緯けいい創設そうせつすることにみきられたもので、10ねん今日きょうでもなお一貫いっかんされている「太陽たいよういえ設立せつりつ根本こんぽん理念りねんをまとめてみると、つぎのようなものであろう。

1. たんなる同情どうじょう保護ほごだけでは身障者しんしょうしゃしん福祉ふくしはありない。残存ざんそん機能きのう十分じゅうぶんかしてみずか社会しゃかい生活せいかつ意思いしりょく実力じつりょくそだてることがもっと大切たいせつなことで、「慈善じぜんではなく機会きかいあたえよ」(No charity but a chance)という言葉ことば一貫いっかんした「太陽たいよう精神せいしん」の筋金すじがねになっている。

2. いつまでもほうもとづく保護ほごしゃ立場たちばあまんずることなく、1にちはや自分じぶんちからがる意思いしりょく自信じしん養成ようせいする。いいかえれば税金ぜいきん消費しょうひしゃである厄介やっかいしゃ立場たちばから納税のうぜいしゃ立場たちばってゆく。これが「太陽たいよういえ設立せつりつ根本こんぽん趣旨しゅしである。
ちゅう)このことは昭和しょうわ47ねん4がつ福祉ふくし工場こうじょう設立せつりつによりゆめだとわれていた理想りそう実現じつげんされたことにより、やく60めいものくに保護ほご一切いっさい返上へんじょうし、自分じぶん自身じしんちから生活せいかつをし、またその収入しゅうにゅうおうじて納税のうぜい義務ぎむ賦課ふかされる納税のうぜいしゃ立場たちばわった。本人ほんにんのためにも国家こっか社会しゃかいのためにも素晴すばらしいことである。

3. これからの目的もくてき達成たっせいするためには導入どうにゅうする作業さぎょう種目しゅもくつとめて企業きぎょうてき運営うんえいして、「太陽たいよういえみずからのちから経営けいえいしてけるようになることを目標もくひょうとする。
太陽たいよういえ創立そうりつのイメージは「工場こうじょう」または「会社かいしゃ」である。いつまでもくに社会しゃかいたよることなく、結局けっきょくてきには施設しせつ自体じたい社会しゃかい貢献こうけんできるようになることが理想りそうである。
太陽たいよういえ組織そしき自体じたいも、また入所にゅうしょしている身障者しんしょうしゃつねにこの気構きがまえをもちつづけてきたことが「太陽たいよういえ」の今日きょうをもたらした原動力げんどうりょくである。
ちゅう企業きぎょうてきという言葉ことばたんなる収容しゅうよう授産じゅさん限度げんどとしている福祉ふくしほう範囲はんいめんだっしているという法的ほうてき解釈かいしゃく監督かんとく官庁かんちょうから終始しゅうしきらわれてきたが、しかしその気構きがまえはもちつづけてきた。ある理想りそう達成たっせいするためには、ほう精神せいしん抵触ていしょくせぬ範囲はんい法外ほうがいなにぶつかが必要ひつようなのではないだろうか。

4. これらの理想りそう達成たっせいするためには、たん医学いがくのみならず機械きかい工学こうがく建築けんちくがく経営けいえいがく心理しんりがくそののあらゆる科学かがくちから総合そうごうして、これをフルに活用かつようし、のこされた機能きのうじゅうふん発揮はっきさせる環境かんきょう機会きかいつくることが必要ひつようである。
ちゅう)このためには創設そうせつ直後ちょくごかられいない労働ろうどう研究所けんきゅうじょしつ設置せっち考案こうあんめぐらされていたが、やはり官公庁かんこうちょうほう解釈かいしゃく観点かんてんから正式せいしき設置せっちみとめられなかった。しかし必要ひつようがあるので、定員ていいんない職員しょくいん兼務けんむさせて研究けんきゅうつづけてきた。ようやく昭和しょうわ46?7ねんごろ必要ひつようせいみとめられ、47ねん現在げんざいの「機能きのう開発かいはつセンター」としてるようになり、「太陽たいよういえ」の花形はながたとしてフルに活用かつようされている。(後略こうりゃく


中村なかむらひろしでん刊行かんこう委員いいんかいへん 1988 『中村なかむらひろしでん』, 中村なかむらひろしでん刊行かんこう委員いいんかい

別府べっぷ慈善じぜん工場こうじょう 趣意しゅいしょ(pp.126-127)
目的もくてき
全国ぜんこく市民しみん廃棄はいきした衣類いるい家具かぐ器具きぐとうあつめてつくりかえ、特約とくやくてん販売はんばいするとともに、新規しんき製品せいひん製造せいぞうもおこなうことを目的もくてきとする。これは、利益りえきのために組織そしきされるものではない。収益しゅうえき役員やくいん会員かいいん個人こじんとういかなるもの個人こじんてき利益りえきのために役立やくだたせるものでなく、そのはた役割やくわりおおくのひとびとの善意ぜんいもととし、身障者しんしょうしゃ職業しょくぎょう訓練くんれんつうじて社会しゃかい復帰ふっきさせる社会しゃかい福祉ふくし事業じぎょうである。

職業しょくぎょうてき評価ひょうか
身障者しんしょうしゃがどんな能力のうりょくうしなったかが問題もんだいではなく、どんな能力のうりょくのこっているかが問題もんだいである。身障者しんしょうしゃあたらしい希望きぼうあたえるだいいちおおきな段階だんかいは、このひとたちにもっとてきした仕事しごとつけてやることである。適性てきせい心理しんりてき職業しょくぎょうてき各種かくしゅテストによって、興味きょうみ技術ぎじゅつ両方りょうほう加味かみし、職業しょくぎょう訓練くんれんして社会しゃかい復帰ふっきさせる。


●「太陽たいよういえ」を名付なづける (pp.133-134)
水上みずかみつとむ 「先生せんせいとのおも

 ねつっぽくかたられたゆめは、日本にっぽん最初さいしょ重度じゅうど障害しょうがいしゃ自立じりつ工場こうじょう建設けんせつにあった。なにとかリハビリ・・・・・という片仮名かたかな仮称かしょうだったとおもう。病院びょういんよこに空地くうちがあり、小野田おのだセメントの療養りょうようしょりにていた。なにとかしてあれをいとって、根拠地こんきょちにしたいが、おかねがいる、というはなしである。わたし当時とうじ婦人ふじん公論こうろんに「くるま椅子いすうた」を連載れんさいちゅうで、先生せんせいをモデルにしていた。その原稿げんこうりょうあつめて100まんだったか、とおもう。
 先生せんせい先生せんせいで、自宅じたく抵当ていとうれて工面くめんし、わせたかね300まんえん小野田おのだセメントへのきんだったと記憶きおくする。
 「太陽たいよういえ」というはどうですか、英語えいごでは一般いっぱんにわかりにくいでしょう、とったら、畑田はたださんもそれがいい、賛成さんせいされて、くさえていたセメント会社かいしゃ療養りょうようしょ入口いりくちぼうくいてられた。


●『週刊しゅうかん朝日あさひ昭和しょうわ40ねん10がつ22にちごう太陽たいよういえ入所にゅうしょ希望きぼうしゃこえ (pp.133-134)
中村なかむら先生せんせいわたしはいま神様かみさまなにもかもおまかせするつもりでペンをとりました。わたし背骨せぼねまがってあしがマヒしています。自分じぶん生活せいかつできるように頑張がんばりましたが、いまはきる希望きぼうゆめうしなうばかりです。父母ちちははは、おれたちがんだらおまえはどうなるだろうか、とわたしかおるたびにもうします。手先てさき仕事しごとならできます。どうかははたらかせてください・・・・・」


昭和しょうわ40ねん11月27にち朝日新聞あさひしんぶん 「太陽たいよういえ」の様子ようす(pp. 147-148)
 木工もっこう1人ひとり)、義肢ぎし(3にん)、洋裁ようさい2人ふたり)、車椅子くるまいす(3にん)、竹工ちっこう(5にん)に事務じむ1にん炊事すいじがかり2にんふくめて、現在げんざい17にんいる。
あさ6起床きしょう、8時半じはん仕事しごと開始かいし昼休ひるやすみ1あいだ午後ごご3から20ぶんやすみ。5時半じはん仕事しごとじまい。
 『太陽たいよういえ』の雇用こよう基準きじゅんは、@心身しんしん障害しょうがいしゃかぎるA日常にちじょう生活せいかつ動作どうさ自分じぶんでできるかたB自活じかつみちもとめる強力きょうりょく意思いしぬしなどとなっている。
 採用さいよう書類しょるい面接めんせつの2本立ほんだてとなっているが、身障者しんしょうしゃであるためわざわざかけることが困難こんなんひともいるため、書類しょるい選考せんこう重点じゅうてんいている。応募おうぼしゃすうはいまのところ300にんえている。
 義肢ぎし義足ぎそくやコルセットづくりがおもで、すでに各地かくち病院びょういんから注文ちゅうもんがどっさりきてキリキリ舞きりきりまいしている。
 洋裁ようさい女性じょせい2にんで、別府べっぷ市内しない洋裁ようさいてん個人こじんからの注文ちゅうもんがひっきりなしである。
 車椅子くるまいす和室わしつきの車椅子くるまいす試作しさく段階だんかいであるが、はやくも1,000だい注文ちゅうもんけている。
 竹工ちっこうは、別府べっぷ市内しない竹細工たけざいくてんから竹細工たけざいく材料ざいりょう加工かこう下請したうけしているが、まだ技術ぎじゅつ指導しどうけている段階だんかいである。
 木工もっこう本棚ほんだな仏壇ぶつだんづくりをしているが、やがては幅広はばひろ生産せいさん取組とりくむことにしている。
 給料きゅうりょう現在げんざい、1まん5、6,000えん。このうちから食費しょくひいて、手取てどり1まんえんくらい。いま全国ぜんこく身障者しんしょうしゃ平均へいきん賃金ちんぎんは7、8,000えん程度ていどであるから、食費しょくひをとられると手取てどりは1,000えんから2,000えんである。給料きゅうりょう30,000えんにするのがゆめで、身障者しんしょうしゃ賃金ちんぎんのバロメーターの役割やくわりたしたい。


●「太陽たいよういえ東京とうきょう事務所じむしょ開設かいせつ 募金ぼきん活動かつどう(p.153)
 水上すいじょうは(1966ねん)1がつなかばに東京とうきょう渋谷しぶやに、『太陽たいよういえ東京とうきょう事務所じむしょひらいた。入所にゅうしょしゃ仕事しごと獲得かくとくしたり、募金ぼきん活動かつどうおよび広報こうほうやその連絡れんらく便びんはかるためであった。
 中村なかむら寄付きふきんつのるための相談そうだんかい東京とうきょう事務所じむしょひらいた。あつまってくれたひとは、評論ひょうろん秋山あきやまちえばんあつし三郎さぶろう橋本はしもと祐子ゆうこ日赤にっせき青少年せいしょうねん課長かちょう)、日本にほんタッパーウェア社長しゃちょうのJ・W・ダートの各氏かくし、それに水上すいじょうである。ばんあつし三郎さぶろうは「あゆみのはこ」をすすめていて、マスコミの話題わだいあつめていた。
 中村なかむらは1えんでもおおくの建設けんせつ資金しきんあつめ、『太陽たいよういえ』の総合そうごう計画けいかくすすめねばならないことを強調きょうちょうして、いかにして募金ぼきん活動かつどうひろげるかという方法ほうほううた。
 日本にほんタッパーウェアから800まんえん寄付きふがあり、匿名とくめい老人ろうじんが100まんえん東洋工業とうようこうぎょうからはけい乗用車じょうようしゃ3だい寄付きふされた。3月のすえには『般若はんにゃえん』の経営けいえいしゃ畔上うねがみてるゐさん(有田ありた八郎はちろうぜん夫人ふじん)から300まんえん寄付きふがあり、これはすべての新聞しんぶん社会しゃかいめんげられて華々はなばなしくほうじられた。


昭和しょうわ41ねん2がつ27にち西日本にしにほん新聞しんぶん 匿名とくめい老人ろうじんから「太陽たいよういえ」に寄付きふ (pp.154-155)
最高さいこうにうれしいですね。アメリカで施設しせつ視察しさつちゅう中村なかむら先生せんせい電報でんぽうって、よろこばせてやりたい・・・・・」

 26にちゆう作家さっか水上みずかみつとむは、評論ひょうろん秋山あきやまちえさんのしたしょうはこにしてかおをほころばせた。なかみは匿名とくめい老人ろうじん寄付きふした100まんえん小切手こぎって――。(りゃく
熱心ねっしん募金ぼきんキャンペーンにもかかわらず、施設しせつ拡張かくちょう計画けいかくきょうかべでピンチに見舞みまわれている。
 25にちよるのことだった。秋山あきやまさんは受話器じゅわきをとったまま、おもわずいきをのんだ。「うちのおじいちゃんね、27にちで87さいになるんだけど、なにか会社かいしゃのこすために100まんえんカンパしたいっていうの。ってくださらない・・・・・」
 この20年間ねんかん秋山あきやまさんとしたしく交際こうさいしてきた―主婦しゅふ(45)=東京とうきょう=からの電話でんわである。
「もうわたしもそれほどながくなかろう」と、ことしになって財産ざいさん整理せいりをはじめていたおじいちゃんが「なにか社会しゃかいのために匿名とくめい寄付きふしたい」「すこしよくばりすぎるけれども、わたしかねがすぐきるような施設しせつに・・・・・」の2つの条件じょうけんつきで相続そうぞくじんむすめさんにたのんだのだという。「太陽たいよういえがいいわよ、とおもわずいっちゃったんですよ」と、相談そうだんけた秋山あきやまさんはいう。
 身障者しんしょうしゃせいうすたちのためにたちがった水上みずかみさんの意気いきかんじ、つねにマスコミをつうじておなじキャンペーンをつづけてきた秋山あきやまさんのこと、収容しゅうようすうをいまの3ばいの124にんにふやし、クリーニング、印刷いんさつ工場こうじょう盲人もうじん身障者しんしょうしゃようのプールなど施設しせつ拡張かくちょう計画けいかくをたて、5,000まんえん募金ぼきん運動うんどうはじめた水上みずかみさんや中村なかむらさんのかおをすぐにおもしたのだろう。
 「身体しんたい障害しょうがいしゃはたら機会きかいを、太陽たいようを!」といた太陽たいようのいえの募金ぼきんばこをつくって、いろんなみせなどにいてもらうこともやった。このはこくことでは、またおおくのひと協力きょうりょくした。


●「社会しゃかい福祉ふくし法人ほうじん認可にんかあらたな入所にゅうしょしゃ(p.155)
 (1966ねん)1がつ25にち社会しゃかい福祉ふくし事業じぎょう振興しんこうかいから2せんまんえんれがまり、ついで2がつ3にちに、くにから2,000まんえんけんから1,000まんえん補助ほじょ交付こうふまった。これで小野田おのだセメントに土地とち建物たてもの代金だいきん2,500まんえん支払しはらった。そして、2がつ14にち、『社会しゃかい福祉ふくし法人ほうじん』の認可にんかがおりた。これにより別府べっぷせいえんとははなれ、独立どくりつした施設しせつとして出発しゅっぱつすることになった。
 『太陽たいよういえ』の存在そんざいられていくにしたがい、各地かくちから入所にゅうしょ希望きぼう殺到さっとうした。やがては140にんにする構想こうそうしていたので、とりあえず、1がつ25にちに『太陽たいよういえ会議かいぎしつ面接めんせつ試験しけんおこなった。
 すでに書類しょるい審査しんさとおったものばかり15にんおとこ9にんおんな6にん)が大分おおいたけんをはじめ、大阪おおさか島根しまね福井ふくい福岡ふくおか佐賀さがなどからあつまった。このひとたちは、小児しょうにマヒ、リウマチ、交通こうつう事故じこによる脊髄せきずい損傷そんしょう炭坑たんこう事故じこによる片腕かたうで切断せつだんしゃなどである。
 中村なかむら畑田はただ和男かずお医師いし別府べっぷせいえんふく園長えんちょう)が診察しんさつ障害しょうがい機能きのう検査けんさをし、そのあと牟田むた事務じむちょう竹工ちっこう木工もっこうなどのかく部長ぶちょう面接めんせつおこなった。この面接めんせつおとずれた15めい全員ぜんいん合格ごうかくとし、2がつ1にちから入所にゅうしょすることにめた。
 これで以前いぜんからの入所にゅうしょせいわせて、34めいえることになった。『太陽たいよういえ開所かいしょ以来いらい、はじめての全国ぜんこくからの応募おうぼである。


中村なかむら アビリティーズしゃ 視察しさつ(p.156)
 (1966ねん)2がつまつから3がつにかけて、中村なかむらはアメリカのニューヨーク郊外こうがいのロングアイランドにあるアビリティーズしゃ視察しさつった。
 アビリティーズしゃは、ヘンリー・ビスカーディ身障者しんしょうしゃが4にんでつくった会社かいしゃで、4にん手足てあし全部ぜんぶあしが1ほんうでが5ほんだった。1952ねん昭和しょうわ27ねん)にこし、300まんえんじゃく借金しゃっきんで、いてるガレージをりてはじめた企業きぎょうで、2ねんにははやくも利益りえき身障者しんしょうしゃ投資とうしするための財団ざいだんをつくり、10ねん従業じゅうぎょういん480めい年商ねんしょう10おくえん以上いじょう企業きぎょうにしたのである。いうまでもなく、「太陽たいよういえ」の将来しょうらい設計せっけいするために、いろんなてんまなろうという意図いとからである。
 アビリティーズしゃ平屋ひらやけん工場こうじょうで、おも電気でんき器具きぐ製作せいさくおこなっている従業じゅうぎょういん神経しんけいけい疾患しっかん110にん四肢しし?みき変形へんけい126にん循環じゅんかんけい疾患しっかん53にん感染かんせんせい疾患しっかん20にん視聴覚しちょうかく言語げんご障害しょうがい40にんなどで、かなり重度じゅうど障害しょうがいしゃでも身体しんたい条件じょうけんにあうようにわされてはたらいている。給料きゅうりょう平均へいきん1あいだ2ドルで、能率のうりつきゅうである。


秋山あきやま ちえ主婦しゅふとも昭和しょうわ41ねん4がつごう 太陽たいよういえ入所にゅうしょしゃ様子ようす(p.162)
 「みぎ手首てくび切断せつだん」の女性じょせい義手ぎしゅをつけてじょうずに注文ちゅうもんふくをぬっていた。うつくしい笑顔えがおだった。くるまいすにって義肢ぎしつくっていた男性だんせいは、「ここの製品せいひん日本一にっぽんいちです」とほこらかだった。竹工ちっこうをしていた青年せいねんは、仕事しごとちこむとケイレンがとまるとのことだった。くるまいすがかりは、これまでのものはサイズがおなじものだったが、「太陽たいよういえ」では、そのひとからだわせてつくり、たたみのうえ使つかえるものであることをはなした。やく40にんぶん食事しょくじは、「みぎ手指しゅし切断せつだん」と「小児しょうにマヒ」のわか女性じょせい2にん用意よういされていた。事務じむあつかっているのは、「パラリンピック」に出場しゅつじょうしたくるまいすの選手せんしゅと、ことし大学だいがく2人ふたり障害しょうがいをもつ女性じょせいであった。
 保護ほごされる生活せいかつから脱皮だっぴして、自分じぶん自分じぶん生活せいかつきずくのだということは、「太陽たいよういえ」にかれらの生活せいかつをするものかかわりが1人ひとりもいないことからもうかがいることができる。そのために、「太陽たいよういえ」のなかにはいろいろの配慮はいりょがされていた。
 休憩きゅうけい時間じかんは、みんなが太陽たいようひかりそそにわる。ピンポンをするひと、キャッチボールをするひと、ギターをひいてうたひと。とにかくしたきがちだったかおうえくようになる。1ったことのないピンポンのラケットを左手ひだりてって、しろたまをカーンとちこんだときのうれしさ!
 それにもして、かれらに勇気ゆうき自信じしんあたえたのは、はたらいた賃金ちんぎんるときである。自動車じどうしゃ事故じこくるまいすぞくになったひとはいった。「ここへるまでは、なかがまっくらでした。つまはたらいておかねをもらってきました。やさしくされればされるでなさけなくなるし、ちょっとした言葉ことばもバカにしているとハラがつし・・・・・、おとこはたらいていないとだめになります」


丸山まるやま 一郎いちろう 「太陽たいよういえ」にやってくるひとのこと (pp.162-163)
いまからくらべたら、そのころ障害しょうがいったひと状態じょうたい悲惨ひさんでしたね。はたらきたいというねがいで家出いえで同然どうぜんかたち全国ぜんこく各地かくちからやってました。正式せいしき手続てつづきなどらないで、一方いっぽうてきしかけてやってるわけです。脊髄せきずい損傷そんしょう排尿はいにょう便びんのコントロールが出来できないから、2日間にちかんまずわずで、本当ほんとういずりまわってやってるんです。全身ぜんしんどろだらけです。その意志いし苦労くろう並大抵なみたいていのものではないのですが・・・・・。玄関げんかんなにへんこえがしているのでたら、北海道ほっかいどうからひとでした。


木工もっこう 協力きょうりょく企業きぎょう早川はやかわ電機でんき 創業そうぎょう丸山まるやま 一郎いちろう シャープからの仕事しごと (p.182)
 (昭和しょうわ)42ねん1がつから具体ぐたいてきこまかい交渉こうしょうはじめられた。「太陽たいよういえ」が工場こうじょう機械きかい作業さぎょういんし、早川はやかわは1にち最低さいてい500えん賃金ちんぎん保証ほしょうし、電気でんきゴタツを製作せいさくするということになったが、「太陽たいよういえ」は機械きかい購入こうにゅうする資金しきんかった。代金だいきん後払あとばらいでも、機械きかいれて設備せつびととのえることができたのも、中村なかむら手腕しゅわんであり、建物たてものだけでも次々つぎつぎとできていく「太陽たいよういえ」のきゅう成長せいちょうが1つの信用しんようあたえることになった。この代金だいきんおよ設備せつび1,625まんえんは、43ねん7がつ日本にっぽん自転車じてんしゃ振興しんこうかいからの1,200まんえん補助ほじょきんはらっている。

丸山まるやま一郎いちろうは、かたる。
 だい企業きぎょうるためには、生産せいさん管理かんりができないと駄目だめです。シャープ(早川はやかわ)がたというのは、大分おおいたにある材木ざいもく大阪おおさかてるという事情じじょうがあったので、それなら大分おおいたてたほうがいいということと、生産せいさん管理かんりができるということからでした。ためしに、仕事しごと太陽たいよういえしてようということになり、機械きかい全部ぜんぶこっちちでした。シャープが仕事しごとしてくれたのが、おおきく発展はってんするよしになりました。あれがかったら、いまごろ「太陽たいよういえ」はいかもれません。シャープがたことでだい転換てんかんしました。


●『キャリアガイダンス』昭和しょうわ59ねん、2・3がつ合併がっぺいごう 中村なかむら ひろし 手仕事てしごとではえない(p.185)
 "仕事しごとをもちたい”という7にん患者かんじゃ一緒いっしょに、わたしいえ事務所じむしょにして別府べっぷみやげの竹細工たけざいくからはじめた。つまり、リハビリテーションというのは医者いしゃ治療ちりょうだけでストップしたのではなににもならない、ということで竹細工たけざいく下請したうけをやったんです。
 ところがいくらはたらいても、竹細工たけざいくのような手仕事てしごとじゃっていけない。そこでわたしかんがえた。もともとっから機械きかいきだったせいもあるが、身障者しんしょうしゃには手仕事てしごとよりも近代きんだいてき工場こうじょうのほうがむいている、とおもったんです。で、わたし企業きぎょう工場こうじょうまわって、ぜひ身障者しんしょうしゃ労働ろうどう機会きかいあたえてほしいといてまわったんですが、最初さいしょはまるで理解りかいしてもらえなかった。
 太陽たいよういえ本格ほんかくてきなモーターのおとひびいたのは、昭和しょうわ42ねんからですよ。早川はやかわ電機でんき下請したうけで電気でんきゴタツのヤグラづくり、それから病院びょういんようシーツ業者ぎょうしゃ下請したうけでクリーニング工場こうじょうができました。そのときはじめて、身障者しんしょうしゃが『労働ろうどうしゃ』になったんです。


水上みずかみ つとむ 「太陽たいよういえ」ヤグラゴタツ工場こうじょう (p.185)
 ぼくもそのころからヤグラゴタツ工場こうじょうったことがある。どくに、工員こういんさんらは、みなタオルでマスクをしながらやってた。とてもはいってゆけないぐらいノコギリくずってる。健常けんじょうしゃならともかく、くるま椅子いすひとでしょう。なんとかゴミがければとおもって先生せんせいにきくと、集塵機しゅうじんきをとりつけるかねがない、といわれる。当時とうじで、100まんえん以上いじょうしたかな。そのかねがなかった。それで、東京とうきょう事務所じむしょ献金けんきん運動うんどうをやったりしました。とにかく機械きかいといっても、初期しょきつら労働ろうどうだった。
 あのおもいだすと、先生せんせいがのちにソニーや立石たていしさんの、ホコリのない工作こうさくにきりかえられてゆくゆめがよくわかります。障害しょうがいしゃ工場こうじょうはやはり障害しょうがいしゃ労働ろうどうしてゆくのだから、仕事しごとによっては過酷かこくいちめんもあったとふりかえりおもいますね。しかし、それでもシャープのあの仕事しごとはうれしかったのですから・・・・


染川そめかわ とおる田島たじま製作所せいさくしょ別府べっぷ工場こうじょうちょうはたらきびしさ (pp.185-187)
・・・前略ぜんりゃく・・・(中村なかむら先生せんせいひとめないひとでしたから、どんなに頑張がんばっても、やっぱりおまえらは駄目だめだと、かならずそうわれるので、こん畜生ちくしょうおもってはたらかざるをなかったです。
 病院びょういんて、毎日まいにちベッドのうえごすのがいいか、なんでもいいから一生懸命いっしょうけんめいでやれるものがあたえられたがよいか。やはりおもいきりやれる場所ばしょあたえてもらったということで、みな感謝かんしゃ気持きもちいたのです。
 いままで仕事しごとしたことのない連中れんちゅうがいっぱいあつまっていましたから、自分勝手じぶんがって振舞ふるまうわけです。仕事しごとちゅうにパンをったり、コーラをんだり、ゆうんだり、いつのにかなくなってパチンコにものもいた。やくざみたいなのがて、喧嘩けんかはするしね。そんな連中れんちゅうばっかりだったので仕事しごとにならないのです。組織そしきがどうのとか、管理かんりがどうのといったって、なにわからない。そんな連中れんちゅうばかりあつめて、仕事しごとをはじめさせるというのは容易よういなことではなかったとおもいます。統轄とうかつしていくために、かたとか人生じんせいかんとか、外国がいこく障害しょうがいしゃはこうやってるんだから、きみたちも自覚じかくしてやらなかったら駄目だめだ、健常けんじょうしゃてにしていたらいけない、とえずわれました。
 いかめしかったけど、とてもやさしいめんもあったですね。病気びょうき入院にゅういんしたりしますと、いえんで「めしえ」とったり、工場こうじょうちょうかいなどをやると、みんな中村なかむら病院びょういんんで、おまえ寝巻ねまきのままでいいからすわっておれ、などとって、気遣きづかいをされました。
 病院びょういんからときは、おやからかねしてもらったりしたのちくるしかったですから、なんでもいいから仕事しごとをしたいです。しかし、「太陽たいよういえ」にとき給料きゅうりょうはとてもやすかったです。はたらいているうちにひとより5えんやすいとか、10えんやすいとかいうことがになりして、いかにしてかねれるようになるか、それを真剣しんけんかんがえるようになりました。・・・中略ちゅうりゃく・・・・残業ざんぎょうしても手当てあてなんかありません。祭日さいじつ出勤しゅっきんしても、休日きゅうじつなどはありません。滅茶苦茶めちゃくちゃでしたね。ルールなんてないし、労働ろうどうほうまりもなに関係かんけいないわけです。職員しょくいん給料きゅうりょうくにからますけど、障害しょうがいしゃはたらかないともらえません。みなはたらきにたというかんじで、がむしゃらでした。りょう掃除そうじも、トイレの掃除そうじも、はたらいてる障害しょうがいしゃがやりました。日曜日にちようびにわ草取くさとりをしたり、まわりをきれいにしたり、ぼん正月しょうがつにはガラスまどをふいたりしました。
 ボーナスを先生せんせいのポケットマネーでもらったことがあります。最初さいしょもらったのは500えんでした。食堂しょくどうで、先生せんせいのボーナスをってきてられた。5,000えんもらったひともいました。授産じゅさんしょでボーナスないんだけど、ナントカだとってもらったんです。
 しかし、賃金ちんぎんやすいし、仕事しごとばかりしてやすみはない。どうしても不満ふまんるわけです。別府べっぷは”地獄じごくめぐり”が有名ゆうめいでしょう。だから、「太陽たいよういえ」は”地獄じごくの1丁目ちょうめ”だというものもいました。


丸山まるやま 一郎いちろう 仕事しごとえは大変たいへんなこと 昭和しょうわ42ねんから45ねんごろ (pp.189-190)
 仕事しごとえは大変たいへんなことでした。そのたびひとるし、摩擦まさつ沢山たくさんありました。それでも(中村なかむら先生せんせいには、そういうことのできるつよさがありました。
 全体ぜんたいくしなければ、個人こじんくならない、というのが先生せんせいかんがえでした。「近代きんだいてき工場こうじょうをつくるべきだ」というてんでは、わたしたちもおなかんがえでした。先生せんせい論争ろんそうすることが大嫌だいきらいなんです。こちらは先生せんせいのやりかた感心かんしんしているわけなんですけど、とき議論ぎろんをぶっかけたりしますと、「きみ面白おもしろいね」なんてって、他人たにんうことは絶対ぜったいかないようなところがありました。
 信念しんねんってられましたね。そんなことでは、きているうちにできっこないと、しばしばくちにされました。あのエネルギーはすごいですよ。「太陽たいよういえ」と自分じぶん病院びょういん一緒いっしょにつくちゃったのですから。・・・中略ちゅうりゃく・・・
 つぎからつぎへと借金しゃっきんして建設けんせつしていきますね。その計画けいかくたびに、けん厚生省こうせいしょうが、「ちょっとて」とめるような状態じょうたいです。借金しゃっきん返済へんさいは、企業きぎょうから寄付きふけ、それをてたわけです。目的もくてきは「太陽たいよういえ全体ぜんたい建設けんせつですから、大義名分たいぎめいぶんはあったのです。
 先生せんせい堅実けんじつ経営けいえいで、そのてんはしっかりしたものでした。これだけの利益りえきがっているのだから、給料きゅうりょうとしてこれだけはらうべきだとっても、ガンとしてれないのです。・・・中略ちゅうりゃく・・・かんがえは不思議ふしぎくらいによくわりました。どこをているのか、ゴールはどこなのかわからないわけです。きゅうわりますから。一定いっていのゴールがえていたのなら、そうころころかわることはかったでしょうが、やはり模索もさくしておられたのでしょう。


●パイプ椅子いす生産せいさん 停止ていし (p.160; p.188)
 (昭和しょうわ)41ねんに、大分おおいたかん製作所せいさくしょからパイプ椅子いす製作せいさく仕事しごとをもらい、一方いっぽう、エレファックス印刷いんさつ購入こうにゅうして杉本すぎもと印刷所いんさつしょ委託いたくし、印刷いんさつをスタートさせた。パイプ椅子いす生産せいさんとともに洋裁ようさい縫製ほうせいとし、パイプ椅子いすもたれとシート部分ぶぶんるビニール・レザーを機械きかいてきうようになり、この縫製ほうせいがパイプの溶接ようせつともおこなわれるようになる。(p.160)

 42ねんはる、パイプ椅子いす販売はんばい失敗しっぱいから廃止はいしまった。せっかく身障者しんしょうしゃたちが汗水あせみずながしてつくった椅子いす大量たいりょうのこり、これまでの労力ろうりょくみずあわになった。これにたずさわっていたものたちは経営けいえい批判ひはんこえげた。関係かんけいした職員しょくいん1人ひとり責任せきにんって退しりぞいた。このあと大阪おおさかからたHも、内部ないぶ意見いけん衝突しょうとつをきたしてった。
 計画けいかくせいさすぎる、はっきりした経営けいえい方針ほうしんっていない、身障者しんしょうしゃ実験じっけんだいにしている、もともと医者いしゃには無理むりだからぎたことをすべきではない、ひとし批判ひはんこえた。(p.188)


金工きんこう 関西かんさいエバーブラック 創業そうぎょう (pp.191-192)
 パイプ椅子いす生産せいさんをやめたあと、ミノルタカメラの部品ぶひんつくっていた関西かんさいエバーブラックを誘致ゆうちした。はいったのは(昭和しょうわ)42ねん11がつである。関西かんさいエバーが必要ひつよう工具こうぐ材料ざいりょう備品びひん機械きかいなどを無償むしょうし、作業さぎょうしゃ仕事しごとじょう指示しじおこなってくれることになった。
 カメラのレンズキャップとあつばん製作せいさくで10めい(1きゅう4めい、2きゅう4めい、3きゅう2めい)がこの仕事しごとたずさわった。
 はじめの3ヶ月かげつ日給にっきゅう平均へいきん400えん、そのの3ヶ月かげつは500えんげ、さらにそのの2ヶ月かげつで600えんにするという約束やくそく出発しゅっぱつした。またとし平均へいきん5%以上いじょう昇給しょうきゅうとし2かいのボーナスの支給しきゅう契約けいやくなかはいっていた。
 その作業さぎょう必要ひつよう電気でんき水道すいどうなどの経費けいひ太陽たいよういえ毎月まいつき寄付きふするとか、工具こうぐ現金げんきんなども寄付きふするよう努力どりょくするなどのことがわされた。翌年よくねんの44ねん生産せいさんりょうはかなりび、10めいでレンズキャップの日産にっさんが1,500あつばんが1,900まいたっした。


木元きもと忠晴ただはるもと太陽たいよう家職かしょくいん) 中村なかむら先生せんせいとのおも (pp.200-201)
 不安ふあんとか、さきゆきのことをかんがえているより、とにかくぶつかってやろうじゃないか、という雰囲気ふんいきでした。中村なかむら先生せんせい一種いっしゅ信頼しんらいかんあたえました。このひと一緒いっしょにやったら、やり甲斐かいあるな、というものをあたえたです。・・・中略ちゅうりゃく・・・仕事しごとさがしに出張しゅっちょうし、かく会社かいしゃたずねます。担当たんとうひとってはくれますね。こちらが説明せつめいすると、「それはいいことですね。なに生産せいさんせいしめすデータはないですか」とたずねられる。「いや、これからですから、ありません」とうと、「じゃ、それが出来できてから、またきたられますか」とされる。これのかえしでした。
 そのころ給料きゅうりょうは26,000えんで、一般いっぱんの3ぶんの1よりもっとすくなかったでしょう。わったところで、女房にょうぼう当直とうちょくするのにかねるんですか、とったものです。よるね、障害しょうがいしゃ職員しょくいん一緒いっしょにラーメンをつくって、けてべたりしました。・・・後略こうりゃく・・・」


●「キャリアガイダンス」昭和しょうわ59ねん 中村なかむら ひろし これからの障害しょうがいしゃはたらかたえたい (pp.203-204)
 これまで身障者しんしょうしゃ仕事しごとというと、竹細工たけざいく洋裁ようさい編物あみものといった手仕事てしごと中心ちゅうしんだった。しかも中小ちゅうしょう企業きぎょう下請したうけがほとんどでした。だから雇用こよう不安定ふあんていで、生産せいさんせいひくかった。わたしおもうに、障害しょうがいしゃ場合ばあい本当ほんとうはマスプロせい たとえば、下半身かはんしん麻痺まひひと筋肉きんにく持久じきゅうりょくがオリンピック選手せんしゅ以上いじょうつよい。盲人もうじん音響おんきょうたいするカンがするどい。みみのきこえないもの雑音ざつおんつよく、集中しゅうちゅうりょくがある。そうしたかれらの特性とくせいかしながら、それをうまく使つかってなが作業さぎょうてれば、健常けんじょうしゃなみの生産せいさんせいをあげることができます。そして、どうしてもできないところを現代げんだい科学かがくのメカニズムでおぎなっていく。実際じっさい、コンピューターやロボットを導入どうにゅうして、手足てあし麻痺まひしたひとのためには呼吸こきゅううごかす自動じどう工作こうさくなど、障害しょうがいにあわせて機械きかい改良かいりょうしました。その意味いみで、機能きのう分化ぶんかがはっきりしているだい企業きぎょう生産せいさんラインではたらくほうが、身障者しんしょうしゃにはいているのです。だからわたしは、どんな能力のうりょくうしなったかをなげくよりも、どんな能力のうりょくのこっているかをかんがえよ、といつもいう。
 まあ、そんなことばかりいうもんだから、厚生省こうせいしょうからは異端いたんあつかいされ、授産じゅさん施設しせつのワクをえるといって、しょっちゅうケンカばかりしていました。
 わたしにいわせると、くに授産じゅさん科目かもくというのがなかから10ねん以上いじょうおくれている。時計とけい修理しゅうりだ、縫製ほうせいだというけど、時計とけいなんかいま使つかての時代じだいでしょう。なかいま、ロボットの時代じだいですからね。そうなったら、こっちのほうロボット時代じだいにあわせて、生活せいかつ環境かんきょう作業さぎょう環境かんきょうえていかねばならないんです。


●「大分おおいた合同ごうどう新聞しんぶん昭和しょうわ47ねん2がつ 中村なかむら ひろし プラスチック 24あいだ稼働かどうへの批判ひはんたいする回答かいとう (pp.204-205)
 一般いっぱんには身障者しんしょうしゃ残業ざんぎょう過酷かこくのようにえるが、当方とうほうでは社会しゃかい復帰ふっき目指めざすためには、ある程度ていど残業ざんぎょうにも体力たいりょく精神せいしんりょくをつける意味いみもあり、残業ざんぎょうしてはいない。
 その労働ろうどう条件じょうけんも、施設しせつないにある身障者しんしょうしゃ機能きのう開発かいはつセンターで科学かがくてき研究けんきゅうしたうえでめており、そう無理むり作業さぎょうはさせていない。現実げんじつには商業しょうぎょうベースにらねばならないし、入所にゅうしょしゃはたら意欲いよくてるためにも能率のうりつきゅうはやむをない。ただ、こうしたことでいたずらに身障者しんしょうしゃ同情どうじょうするより、前向まえむきに理解りかいしてしい。残業ざんぎょう問題もんだいはだれよりもわたし一番いちばん心配しんぱいしている。


福祉ふくし工場こうじょう見据みすえて施設しせつ拡充かくじゅうを! しかし、批判ひはんされる 昭和しょうわ44ねん (pp.206-207)
 すでに「太陽たいよういえ」は日本にっぽんのどの施設しせつよりもぐんいていた。にもかかわらず、このうえさらかさねてだい構想こうそうし、これをやろうと主張しゅちょうする中村なかむらに、殆んどのものあきかえってしまった。厚生省こうせいしょうなどは 6かいたてビルのなかはいしょ施設しせつただけで、「ぜいたくすぎて、はなしにならない。日本にっぽんほか施設しせつてみなさい」とって、おうとしなかった。
 中村なかむら身近みぢかにいるものも、「建物たてもの拡大かくだいにはもうこのくらいでいいのではないですか、それよりも内部ないぶ充実じゅうじつはかることです。先生せんせい次々つぎつぎあたらしいことにばかりかんがえがくようですけど、それはたん先生せんせいゆめであり、欲望よくぼうです。もうこれで、いちおうめるべきです。現状げんじょうでももう相当そうとうのところまでているのですから、先生せんせい満足まんぞくすべきです」とって、えさかる拡大かくだいへの意欲いよくみずをさし、おさえようとするものばかりであった。
 このとき、すでに建物たてものやく7,000平方へいほうメートルあり、入所にゅうしょしゃは143めいいた。借金しゃっきん社会しゃかい福祉ふくし事業じぎょう振興しんこうかいに4,000まんえん年金ねんきん事業じぎょうだんに2,830まんえんわせて6,830まんえんあった。しかし、日本にっぽん自転車じてんしゃ振興しんこうかい競輪けいりん益金えききん)などからの補助ほじょはなしがついていて、返済へんさい見通みとおしはできていた。賃金ちんぎんのことをまったかんがえずにつぎ構想こうそうせるはずはないし、中村なかむらなりにするものがあったからのことだろう。
 「福祉ふくし工場こうじょう」は、建設けんせつ設備せつびくに負担ふたんし、運営うんえい法人ほうじんの「太陽たいよういえ」がおこない、社会しゃかい復帰ふっきするまえ施設しせつない社会しゃかい復帰ふっきをするとするというかんがえである。
 理事りじかいにおいてもみんなが躊躇ちゅうちょし、中村なかむら構想こうそうきとめにかかった。現実げんじつあまりに理想りそうろんばかりまわしても厚生省こうせいしょうなどが納得なっとくしてくれなかったら、どうにも前進ぜんしんできない。6かいけん建設けんせつ予算よさんは、すうおくえんにのぼる。
 ゆくゆくは6かいけんにすることにして、とりあえずは4かいけんとして着手ちゃくしゅしたとしても、2おくえん予算よさんがいる。これまで「太陽たいよういえ」は施設しせつよりもはるかに多額たがく補助ほじょけてきた。
 やはり計画けいかくあん縮小しゅくしょうして、3かいけんとして申請しんせいすることになった。これは2かいけん工費こうひやく8,680まんえん)にさらにちぢめて許可きょかされ、補助ほじょきん5,900まんえん内定ないていした。2かいけんとして着工ちゃっこうしたのはよく45ねんなつであるが、基礎きそ工事こうじ将来しょうらい6かいけん増築ぞうちくすることを予定よていして、しっかりしたものがつくられた。


●45ねんなつ京屋きょうや工芸こうげい創業そうぎょう (p.219)
 45ねんなつ、「京屋きょうや工芸こうげい」がはいってだい2プラスチックとして、マネキン製作せいさくはじめた。マネキン1たい2まんえんのコストであったのを、「太陽たいよういえ」では1まん6,000えんでつくったので、順調じゅんちょうびていった。

田嶌たつた製作所せいさくしょ会長かいちょう 田島たじま宏一こういち回想かいそう 中村なかむらひろしいきおいに圧倒あっとう(p.221)
 シャープの早川はやかわ徳次とくじさんとは戦前せんぜんからのいでしたからね。早川はやかわさんは、”太陽たいよう”にヤグラゴダツをしてられたので、あるとき早川はやかわさんからはなしがありました。”太陽たいよう”に巻尺まきじゃくメーカーがはいっていたけど、なに理由りゆうがあってることになってこまってるらしい、ということなんです。早川はやかわさんからそういうしたばなしがあって、中村なかむら先生せんせい紹介しょうかいしようということになりました。
 その直後ちょくご中村なかむら先生せんせいから電話でんわもらいました。じつきゅう巻尺まきじゃく工場こうじょうくことになって、何人なんにんもの人間にんげんあそぶような状態じょうたいになりこまっているので、ぜひ工場こうじょうしてくれ、というはなしです。
 電話でんわなんですけど、先生せんせい気合きあいはつたわってまして、ぐんぐんしてきたられるようなかんじでした。身障者しんしょうしゃ問題もんだいかんしては関心かんしんがありましたから、じゃ、工場こうじょうしましょうと、電話でんわめたんです。するとね、2ヶ月かげつしかてないから、そのあいだ工場こうじょう準備じゅんびをしてくれと、えらくいそいでるんです。これについてもOKをしました。
 それから別府べっぷって、はじめて先生せんせいい、はなしをうかがいました。「慈善じぜんではない」ということを、先生せんせいはしきりにくちにされました。最初さいしょ段階だんかい赤字あかじになるかもれないけど、それは初期しょき投資とうしであるとかんがえました。身障者しんしょうしゃ自立じりつをたすけるんだ、それで両立りょうりつさせなきゃいけないんだというかんがえで、中村なかむら先生せんせい一致いっちしました。
 わたしは、それより10ねんまえからうちの工場こうじょう身障者しんしょうしゃ使つかっていましたからね、収入しゅうにゅうてんでも健常けんじょうしゃとハンデをつけないわけです。肉体にくたいてき機能きのうのハンデをおぎなってやらねばならないけど、仕事しごとをやるからには1人前にんまえあつかいにしようということでやってきました。そういうてんでも中村なかむら先生せんせいとまったく意見いけん一致いっちしました。
 ずっとのちになってからのことですが、太陽たいよういえとしては苦労くろうおおときに、即座そくざ工場こうじょうしてくれて、じつすくいかったんだとわれました。わたしは早川はやかわさんののちっかけたようなものですけど、中村なかむら先生せんせいかんがえておられたのはスケールのおおきいことでしたね。身障者しんしょうしゃ対策たいさくだけでなく、問題もんだいでも、うかがっていて迫力はくりょくかんじましたし、共鳴きょうめいしました。


太陽たいよう新聞しんぶん 昭和しょうわ50ねん10がつ 中村なかむらひろし 手仕事てしごとからコンベアしき近代きんだい産業さんぎょうへ (p.227)
 熟練じゅくれんした身障者しんしょうしゃ一般いっぱん社会しゃかい就職しゅうしょくさせようと努力どりょくし、昭和しょうわ41 ねん?42ねんの2年間ねんかん関係かんけいしゃ努力どりょくにより、46めい就職しゅうしょくしていった。
 しかし、結果けっか惨敗ざんぱいであった。あれだけ太陽たいよういえなかでは優秀ゆうしゅうであったくるまイス労働ろうどうしゃも、就職しゅうしょくたって慎重しんちょうわせしたのにもかかわらず、しとねそうをつくってかえってきた。
 わたしはその痛手いたでからなおるために、身障者しんしょうしゃ社会しゃかい復帰ふっきよりも太陽たいよういえ自身じしん授産じゅさんじょうこう賃金ちんぎん工場こうじょうとし、従来じゅうらい手仕事てしごとをやめ、コンベア方式ほうしき近代きんだい産業さんぎょう誘致ゆうちすることを決意けついした。


福祉ふくし工場こうじょうへの期待きたい  朝日新聞あさひしんぶん昭和しょうわ46ねん4がつ26にち (pp.230-232)
 厚生省こうせいしょうは10月18にちになって、重度じゅうど身障者しんしょうしゃのための「福祉ふくし工場こうじょう」を大分おおいた静岡しずおか広島ひろしまの3けん新設しんせつすることをめた。これは前年ぜんねんまつから厚生こうせい大臣だいじん諮問しもん機関きかんである身体しんたい障害しょうがいしゃ福祉ふくし審議しんぎかいが「福祉ふくし工場こうじょう建設けんせつ促進そくしん答申とうしんしたことが直接ちょくせつのきっかけとなったものである。
 大分おおいたけん別府べっぷの「太陽たいよういえ」、静岡しずおかけん天竜てんりゅうわたしとう社会しゃかい福祉ふくし法人ほうじん天竜厚生会てんりゅうこうせいかい」、広島ひろしまけん高田たかだぐん吉田よしだまち社会しゃかい福祉ふくし法人ほうじんきよし国会こっかい」にそれぞれ建設けんせつされることになり、社会しゃかい福祉ふくし施設しせつ整備せいび補助ほじょきん分配ぶんぱいめた。これにより、「太陽たいよういえ」に46年度ねんどには、くにやく4,000まんえんけんやく2,000まんえん合計ごうけい6,000まんえんされることになった。
 「朝日新聞あさひしんぶん」はこれよりまえの、4がつ時点じてん厚生省こうせいしょうなどが「福祉ふくし工場こうじょう建設けんせつ協議きょうぎをしている段階だんかいで、この問題もんだいを「社説しゃせつ」にげ、”「太陽たいよういえ」は「福祉ふくし工場こうじょう」のモデルである”と、その存在そんざい意義いぎたからかにしるしている。

きがいをあたえる身障者しんしょうしゃ福祉ふくし工場こうじょうを’

 身体しんたい障害しょうがいしゃのためにあたらしいかた施設しせつをつくろうとして、厚生こうせい大蔵おおくら両者りょうしゃ協議きょうぎをつづけている。重度じゅうど身体しんたい障害しょうがいしゃ健康けんこう管理かんりなどの日常にちじょう生活せいかつ世話せわをうけながらはたらける「福祉ふくし工場こうじょう」が、それである。46年度ねんど社会しゃかい福祉ふくし施設しせつ整備せいび一部いちぶ建設けんせつされる予定よていだが、設置せっちされるところは、とりあえず広島ひろしまなど2、3ヶ所かしょにしぼられるようだ。
 18さい以上いじょう身体しんたい障害しょうがいしゃは、全国ぜんこくやく105まんにん推定すいていされているが、就業しゅうぎょうしゃやく40まんにん、そのうち常時じょうじ雇用こようされているものは28%にすぎない。なかにははたらきたくてもはたらけない人達ひとたちもいるが、はたら能力のうりょく意志いしがあってもはたらけない人達ひとたちすくなくない。くるまいす、松葉まつばづえなどを常用じょうようしている重度じゅうど身体しんたい障害しょうがいしゃ場合ばあいは、なおさらである。障害しょうがいおもいと、えず医学いがくてき管理かんりけなければならない。工場こうじょうでも、建設けんせつ機械きかい特別とくべつ設備せつびがなければはたらけないし、改造かいぞうするには多額たがくのカネがかかる。重度じゅうど身障者しんしょうしゃ仕事しごとあたえ、自活じかつさせることをねらいとした授産じゅさん施設しせつはあっても、ここでは内職ないしょく程度ていどしかできない。こうした事情じじょうで、各種かくしゅのリハビリテーションをけ、社会しゃかい復帰ふっきできる状態じょうたいにあるにもかかわらず、適当てきとう職場しょくばてない人達ひとたち大勢おおぜいいるのである。
 「身体しんたい障害しょうがいしゃは、すべてのめん独立どくりつした人間にんげんとして、積極せっきょくてき社会しゃかい生活せいかつ参加さんかしなければなりません」――別府べっぷにある社会しゃかい福祉ふくし法人ほうじん太陽たいよういえ」には、このような掲示けいじがある。5ねんまえ身体しんたい障害しょうがいしゃ職業しょくぎょうてき医学いがくてき心理しんり社会しゃかいサービスをおこない、十分じゅうぶん経済けいざいてき基盤きばんあたえることを目的もくてきとして設立せつりつされたこの施設しせつは、理事りじちょう熱意ねついおおくの人達ひとたち善意ぜんいによって、おおきく発展はってんした。現在げんざいではやく200にんだい世帯せたいとなり、のうせいまひ、せきずい損傷そんしょうなどによる身障者しんしょうしゃがヤグラゴタツ、スチール・メジャー、プラスチック・モデル、注射ちゅうしゃはりなどをつくっている。
 ここで最近さいきんあたらしい6かいけん住宅じゅうたくづき工場こうじょう完成かんせいした。くるまいすのままでも出入でいりできるドア、上下じょうげできるスロープがある。下半身かはんしんまひしゃのために足踏あしぶしき工作こうさく機械きかい手動しゅどうしきえられ、不自由ふじゆうひとのためにはくち吸引きゅういんりょくでスイッチがはいるようになっている。この新館しんかん落成らくせいしきで、入所にゅうしょしゃ代表だいひょうが「真心まごころのこもった製品せいひんをつくりたい」とあいさつしたが、その表情ひょうじょうにはくらさがまったくなかった。太陽たいよういえは「福祉ふくし工場こうじょう」のモデルである。
 身体しんたい障害しょうがいしゃ残存ざんそん機能きのうかし、できるだけすみやかに社会しゃかい復帰ふっきさせるには、はたらきやすく、生活せいかつしやすい環境かんきょうあたえることが必要ひつようである。わがくに社会しゃかい福祉ふくし事業じぎょうは、あまりに過保護かほごだ。身体しんたい障害しょうがいしゃたいする同情どうじょう保護ほごは、かえって身障者しんしょうしゃ自立じりつしんをそこなうものである。「福祉ふくし工場こうじょう」は、身障者しんしょうしゃきがいをもたせる施設しせつとしなければならない。
 しかし、くにあたらしい施設しせつとして制度せいどする以上いじょう政府せいふ基盤きばん十分じゅうぶん整備せいびすべきである。一部いちぶ民間みんかん福祉ふくし工場こうじょう」が軌道きどうにのりはじめたといっても、そのちからには限界げんかいがある。すくなくとも、工場こうじょう設備せつび建設けんせつ費用ひよう入所にゅうしょしゃ健康けんこう管理かんりなどの日常にちじょう生活せいかつ世話せわをする費用ひようについては、くにおよび地方ちほう公共こうきょう団体だんたい必要ひつよう財政ざいせい措置そちをとる必要ひつようがあろう。住居じゅうきょについても、特別とくべつ配慮はいりょをすることがのぞましい。
 また、この施設しせつ運営うんえいは、社会しゃかい福祉ふくし施設しせつよりもむずかしい。工場こうじょう部門ぶもんで、堅実けんじつ運営うんえいおこなわれないと、成立なりたたないからだ。重度じゅうど身体しんたい障害しょうがいしゃ作業さぎょうできる仕事しごとすくなくない。こうきょうときに、人手ひとで不足ふそく深刻しんこく業種ぎょうしゅ委託いたく加工かこう契約けいやくむすぶことはできるだろう。だが、きょうになるとすぐ打切うちきられるおそれがある。事業じぎょう種目しゅもく決定けってい受注じゅちゅうなどについて慎重しんちょうでなければならない。社会しゃかい福祉ふくしだけでなく、経営けいえいめんにも能力のうりょくをもつひとを、どうして確保かくほするかが問題もんだいである。
 「福祉ふくし工場こうじょう」は、たんなるおもいつきであわてて設置せっちすべきものではない。身体しんたい障害しょうがいしゃはこのところ、先天的せんてんてき障害しょうがいよりも、疾病しっぺい交通こうつう事故じこ業務ぎょうむじょう災害さいがいなどによるものがふえる傾向けいこうにある。これらの人達ひとたち福祉ふくしをはかるのはくに責務せきむだ。政府せいふは、問題もんだいてんをよく整理せいりしたうえ、この施設しせつ実際じっさい身障者しんしょうしゃ福祉ふくし役立やくだつものとするために、必要ひつよう対策たいさくをとるべきである。民間みんかん企業きぎょう協力きょうりょく不可欠ふかけつだ。産業さんぎょうかいがその目的もくてき理解りかいして、積極せっきょくてき協力きょうりょくすることをのぞみたい。


立石たていし 一真かずまさ回想かいそう 中村なかむらひろし出会であった(p.236)
 中村なかむら先生せんせいとわたしの出会であいは、昭和しょうわ46ねん9がつ19にち橋本はしもと登美とみ三郎さぶろう先生せんせい紹介しょうかいで、秋山あきやまちえさんと2人ふたりしつ本社ほんしゃ来訪らいほうのときであった。そのとき先生せんせいは、福祉ふくし工場こうじょう建設けんせつ計画けいかくねつっぽくかたって、その工場こうじょう入居にゅうきょし、55にん重度じゅうど身障者しんしょうしゃをつかって近代きんだい産業さんぎょう方式ほうしきえつけてくれと懇願こんがんした。
 ずいぶん突然とつぜんことであったが、わたしはこの仕事しごとはわがしゃやしろけんにもことなので、その事業じぎょう協力きょうりょくすることにした。


秋山あきやま ちえ回想かいそう 京都きょうと御室おむろく (pp.236-237)
 なんとしてもあたらしい工場こうじょうをつくりたい。ソニーなんかちょっとはなしても、けんもほろろで駄目だめなのよね。立石たていし社長しゃちょうならいいだろうと橋本はしもと先生せんせいがおっしゃったので、大阪おおさか空港くうこう中村なかむら先生せんせいって、京都きょうとしつったのよ。・・・中略ちゅうりゃく・・・あさ9時半じはんから立石たていし社長しゃちょうって、縷々るる説明せつめいして、今日きょうは”うん”とっていただかなかったら、かえりません、とったの。よるの8ごろになって、一緒いっしょ夕食ゆうしょくしましょうよということになって、とうとう返事へんじいただいたんです。


●オムロン太陽たいよう電機でんき 設立せつりつ決定けってい (p. 237)
 この結果けっか太陽たいよういえしん会社かいしゃ「オムロン太陽たいよう電機でんき株式会社かぶしきがいしゃ」が設立せつりつされることになった。
 資本しほんきんは、500まんえんで、立石たていし電機でんきが300まんえん出資しゅっしし、200まんえんを「太陽たいよういえ」としん従業じゅうぎょういん出資しゅっしすることになった。かぶは、1くち500えんで「太陽たいよういえがわの200まんえんのうち、130まんえん中村なかむら畑田はただ和男かずお秋山あきやまちえ橋本はしもと登美とみ三郎さぶろう夫妻ふさいけてち、のこり70まんえん身障者しんしょうしゃしん従業じゅうぎょういんで『太陽たいようかい』を結成けっせいし、代表だいひょう株式かぶしきけの責任せきにんしゃとなり、集団しゅうだんかぶかたちをとった。個人こじん出資しゅっしによる混乱こんらんやトラブルをさけるためである。
 身障者しんしょうしゃ株主かぶぬしになり、「太陽たいよういえ」と民間みんかん企業きぎょう共同きょうどう出資しゅっしして「福祉ふくし工場こうじょう」が発足ほっそくしたのははじめてのことでかく方面ほうめんから注目ちゅうもくびた。つくるものは電磁でんじコイルや継電器けいでんきである。
 このしん会社かいしゃ操業そうぎょうはじめたのは、よく47ねんの4がつ8にちからである。


昭和しょうわ46ねん12月11にち大分おおいた合同ごうどう新聞しんぶん 中村なかむらひろし オムロン太陽たいよう電機でんき設立せつりつおもいをかたる (p.238)
 身障者しんしょうしゃ経営けいえい参加さんかさせ、完全かんぜん自立じりつをはかるという理想りそうかかげて、2ねんほどまえから計画けいかくすすめていた。企業きぎょう協力きょうりょく必要ひつようで、その選定せんてい協力きょうりょく要請ようせいには苦労くろうしたが、しん会社かいしゃ事業じぎょう内容ないように、@公害こうがいがないA身障者しんしょうしゃ仕事しごととしていているB経営けいえいがしっかりした一流いちりゅう企業きぎょうというてんかんがえて、おおくのひと協力きょうりょくもとめて実現じつげんした。会社かいしゃ軌道きどうれば、増資ぞうしなどのさい身障者しんしょうしゃにできるだけおおくのかぶたせて、身障者しんしょうしゃ経営けいえいする会社かいしゃとしてそだててきたい。


中村なかむら ひろし 健康けんこうしゃけない生産せいさん目指めざすために (pp.238-239)
社会しゃかい福祉ふくし発達はったつ歴史れきしをたどってみると、キリストきょう仏教ぶっきょうなどのあわれなものをいつくしむ宗教しゅうきょうてき慈愛じあいにもとをはっしている。まったかみふつにすがる他力本願たりきほんがんである。最近さいきんのエレクトロニクスを中心ちゅうしんとした工学こうがく進歩しんぽは、まさに革命かくめいであり、なかのしくみが過去かこにはかんがえられないスピードで激変げきへんしつつある。
 つき人間にんげんける時代じだいである。身障者しんしょうしゃ編物あみもの時計とけいやテレビの修理しゅうりなどの手仕事てしごと授産じゅさん過程かていおしえる時代じだいではない。一時いちじてきにうまく就職しゅうしょくしても身障者しんしょうしゃ家庭かてい婦人ふじんは、予備よび労働ろうどうりょくかんがえている不心得ふこころえ事業じぎょうおお不景気ふけいきになるとられた事例じれいすくなくない。結局けっきょくおおくの身障者しんしょうしゃをあまねくすくうには、たんなる仕事しごとではなくなが作業さぎょうのコンベアーのうえ如何いかにすれば健康けんこうしゃけない生産せいさんを あげるかにかかっている。(『大分おおいた社会しゃかい福祉ふくし』――社会しゃかい福祉ふくしにサイエンスを――昭和しょうわ46ねん1がつ10日とおか


染川そめかわ とおる田島たじま製作所せいさくしょ別府べっぷ工場こうじょうちょう会社かいしゃとしてみとめてほしいとつたえる (pp.240-241)
 労災ろうさい年金ねんきんけてるものゆたかでしたが、労災ろうさい年金ねんきんけていないものくるしかったです。どうにもやれないくらいでした。授産じゅさんじょうでやっていたのではとても駄目だめです。そこで自分じぶんたちで「会社かいしゃ」をつくろうというはなしをしたんです。10にんくらいでしたかねえ。
 中村なかむら先生せんせい社長しゃちょうになってもらい、田島たじま製作所せいさくしょ巻尺まきじゃくをつくってるのを、独立どくりつ採算さいさんせいでぼくらにやらせてくださいとったんです。収益しゅうえきげて太陽たいよういえ家賃やちんはらうから、「会社かいしゃ」としてみとめてください、とったわけです。
 中村なかむら先生せんせい書類しょるいをつくってしました。そしたら、「おまえたち、くびになったり、病気びょうきにかかったりしたら、どうするんだ」とわれる。「えなかったら、わんでやります」とくるしまぎれにったんですが、「おまえらはあますぎるぞ」とおこられました。これは福祉ふくし工場こうじょうまれるまえです。先生せんせいは、内部ないぶからがってるものをうまくつかまれたのだとおもいます。従業じゅうぎょういんかぶたせるのなども、無関係むかんけいではありません。


●オムロン電機でんき太陽たいよう すべ順調じゅんちょう (pp.242-243)
 「オムロン太陽たいよう電機でんき」は従業じゅうぎょういん50にんでスタートし、立石たていし社長しゃちょうは2ねんや3ねん赤字あかじ覚悟かくごしていたが、初年度しょねんどから黒字くろじで、従業じゅうぎょういん賃金ちんぎん年末ねんまつにはつき3まんえんから6まんえんにアップし、平均へいきん35,000えんになり、独身どくしんしゃなら食費しょくひ住宅じゅうたくいてやく2まんえんのこるほどになった。12月15にちには月給げっきゅうの2、3ばいのボーナスが支給しきゅうされ、平均へいきん7まんえんわたすことができた。
中村なかむらは、かたっている。
 「立石たていし電機でんき工場こうじょうをつくるとき、冷暖房れいだんぼうをいれなさい、といってきた。わたしはもうかるかもうからぬかわからぬ会社かいしゃにそんなものはいらない、とこたえた。立石たていし電機でんき週休しゅうきゅう2にちだろうが、わたしたちは土曜日どようびはたらいた。従業じゅうぎょういん始業しぎょう30ふんまえ、7時半じはんには仕事しごとはじめ、立石たていしさんの冒険ぼうけんしんこたえようとした。太陽たいよういえ身障者しんしょうしゃはたら工場こうじょうは、一般いっぱん企業きぎょうよりも生産せいさん効率こうりつがいいといわれている。身障者しんしょうしゃ健康けんこう人間にんげんよりも忍耐にんたいりょくがあり、持久じきゅうりょくがある。なが作業さぎょうにはめっぽうつよい。肉体にくたいてき機能きのうけているところを機具きぐ改善かいぜんしたり、ロボットをいれたり、マイクロエレクトロニクスの技術ぎじゅつちからりておぎなえば、いい工場こうじょうができる」
 10ねんの58ねん3がつ売上うりあげだかは11おく2,500まんえんび、税引ぜいびき利益りえき766まんえん配当はいとう15%の成績せいせきげるまでになった。
 中村なかむら従業じゅうぎょういんたちに、「貯金ちょきんをせよ。あそぶことより、まず貯金ちょきんこころがけ、それから結婚けっこんかんがえよ」とった。


職業しょくぎょう厚生こうせい研究けんきゅうかい 「太陽たいよういえ」にて (p.244)
 5月17にちの18にちに、全国ぜんこく重度じゅうど障害しょうがいしゃ授産じゅさん施設しせつ代表だいひょう全国ぜんこく身障者しんしょうしゃ授産じゅさん施設しせつ協議きょうぎかい会長かいちょう 高木たかぎ政信まさのぶ)が60にんほど、「太陽たいよういえ」にあつまって職業しょくぎょう厚生こうせい研究けんきゅうかいひらいた。
 分科ぶんかかいは3つにかれておこなわれ、@福祉ふくし工場こうじょうでは最低さいてい賃金ちんぎんせい定年ていねんせいもうけるべきだA工場こうじょう運営うんえい施設しせつ独自どくじおこなうべきか B入所にゅうしょ選考せんこう方法ほうほう C脳性のうせいマヒや脳卒中のうそっちゅうによる障害しょうがいしゃ職業しょくぎょう適性てきせい重度じゅうど身体しんたい障害しょうがいしゃ増加ぞうかにともなう保護ほご施設しせつ充実じゅうじつ、などについてはないをおこなった。




UP: 20220907 [いわ 弘泰ひろやす] REV:
障害しょうがいしゃ労働ろうどう 組織そしき
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