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立岩真也「生殖技術論・3――公平という視点」
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生殖せいしょく技術ぎじゅつろん・3

公平こうへいという視点してん

立岩たていわ しん 1993/11/00
『Sociology Today』4(社会しゃかい意識いしき行動こうどう研究けんきゅうかい


 ※この論文ろんぶんは、のちに立岩たていわ私的してき所有しょゆうろんだいしょう一部いちぶ使つかわれました。んでいただければありがたいです。

■1.序論じょろんなに問題もんだいにされているか

 本稿ほんこうは,体外たいがい受精じゅせい代理だいりははといった生殖せいしょく技術ぎじゅつ利用りようについて考察こうさつする一連いちれん論考ろんこうのうち,ひとつのまとまりをなす4ほん論文ろんぶんさん番目ばんめ位置いちする。それらは,技術ぎじゅつてき事柄ことがら社会しゃかいてき応用おうよう事実じじつ関係かんけいにはくわしくれない。技術ぎじゅつ利用りよう擁護ようごあるいは許容きょよう批判ひはんというてんしぼり,さらに,受精卵じゅせいらんあつかい,家族かぞく関係かんけいまれる/まれない問題もんだいとう主題しゅだいべつにして,この問題もんだい自己じこ所有しょゆう自己じこ決定けってい主張しゅちょうとそれにたいする反論はんろんとらえ,ここにあらわれるしょ論点ろんてん吟味ぎんみするという方向ほうこう検討けんとうする。(1) これでは問題もんだいとすべき細部さいぶ消去しょうきょされてしまうとおもわれるかもしれない。しかもこのかぎられた主題しゅだいのためにすくなくともよっつの文章ぶんしょうかれる。なぜか。論文ろんぶん2(立岩たていわ[1993b])にべたことをかえす。
 だいいちに,論点ろんてん分節ぶんせつ反論はんろん可能かのうせいまえながらのかく論点ろんてん吟味ぎんみ十分じゅうぶんになされていないとかんがえるからである。だいに,技術ぎじゅつ利用りよう批判ひはんてきもの自身じしん自己じこ決定けってい立場たちばをとっていること,さらに自己じこ所有しょゆう自己じこ決定けってい問題もんだいはこの主題しゅだいかぎらずわたしたち社会しゃかいにおいてわれるべき重要じゅうようせいつこと,とすれば,こうした視角しかくからかんがえをめておくことに意味いみがあるとかんがえるからである。これと関係かんけいして,だいさんに,わたし生殖せいしょく技術ぎじゅつ応用おうようたいする批判ひはんあるいは懐疑かいぎるべきものがある,そしてそれは生殖せいしょく技術ぎじゅつ問題もんだいまらない射程しゃていつとかんがえているからである。それを明確めいかくにしていく作業さぎょう必要ひつようであり,そのためにも,論点ろんてん整理せいりし,そのことによって懐疑かいぎ核心かくしんせまっていく作業さぎょう必要ひつようだとかんがえる。
 論文ろんぶん1(立岩たていわ[1993a])では,技術ぎじゅつ現況げんきょう簡単かんたん紹介しょうかいしたのち,この主題しゅだい所有しょゆう決定けってい問題もんだいとしてとらえられることをべ,なに検討けんとうすべきかを指摘してきした。べたことを簡単かんたんかえっておこう。「わたしのものはわたしのもの」という私的してき所有しょゆう自己じこ決定けってい観念かんねんはそれ以上いじょう根拠こんきょづけられないものとしてある。そこでこの規範きはんから帰結きけつする結果けっかによってこれを正当せいとうする主張しゅちょうがある。まず,(自己じこ決定けってい対置たいちされるものが一元いちげんてき決定けっていなのだとすれば)決定けってい多様たようせいによる危険きけん分散ぶんさんという主張しゅちょうがあった。ただこの論点ろんてんはここではいてよい。 A:(自己じこ行為こういたいする)自己じこ決定けっていは,そのもの行為こうい有効ゆうこうすために有利ゆうりだという主張しゅちょうがある。ひと自己じこのために有利ゆうりになるように行動こうどうしようとするから,それを前提ぜんていしてシステムをんだほうがより有効ゆうこう行為こういすことができる。たとえば,労働ろうどう強制きょうせいしたり無理むり配分はいぶん平等びょうどう追求ついきゅうしたら,十分じゅうぶん行為こういることができないだろうし,またどこかにこうした欲求よっきゅう支配しはいされるじょうやみ市場いちば)がしょうずることはけられないはずだとう。しかし,これは当人とうにんが「しみ」できる部分ぶぶんについてだけえる。所与しょよとしてあたえられているもの,そこから派生はせいする部分ぶぶんについてはてはまらない。
 B:つぎ正当せいとう言説げんせつは,自己じこ決定けってい自己じこ有利ゆうりだというだけのこと,自己じこみずかおこなうことは自己じこ有利ゆうりなことのはずだという,おそろしく単純たんじゅんな,しかしあいだちがっているともえないことをう。そして,これを拡張かくちょうし,たとえば,市場いちばは,各々おのおの各々おのおの手持てもちのものを処分しょぶんするであり,各々おのおのはそれによって利益りえきており,市場いちばはそうしたものたちだけによって構成こうせいされているから,市場いちばはそこに参加さんかするものすべてに利益りえきをもたらすとう。だが,これは,所有しょゆう初期しょきわないものとして前提ぜんていするかぎりにおいてのみ妥当だとう言明げんめいである。
 C:幸福こうふく総量そうりょう功利こうり主義しゅぎという基準きじゅんをとった場合ばあいには,わたし所与しょよとしてあたえられているもののわたしへの帰属きぞく正当せいとうされえない。
 A・B・Cとも,わたし身体しんたいわたしへの帰属きぞく正当せいとうできない。この問題もんだいをどうかんがえるか,これを課題かだいとしてのこしたまま,わたしたちはいったん,自己じこ所有しょゆう自己じこ決定けってい一般いっぱん承認しょうにんされている原理げんりとしてあるという場所ばしょからの考察こうさつはじめたのだった。そして論文ろんぶん2で,自己じこ決定けってい前提ぜんていとしての情報じょうほう提供ていきょう問題もんだい検討けんとうしたのち自己じこ決定けっていはんする強制きょうせいとして技術ぎじゅつ利用りようがなされているという指摘してき検討けんとうし,この主張しゅちょうによって否定ひていできるのは現実げんじつ総体そうたいのかなり限定げんていされた部分ぶぶんでしかないという結論けつろんた。
 うえたように,配分はいぶん初期しょき問題もんだいのこっている。さらに,身体しんたい自己じこ所有しょゆうみとめたとしても,それ以外いがいざい配分はいぶん公平こうへい配分はいぶんし,そのうえ自己じこ決定けってい承認しょうにんするなら,それ以後いごはBの条件じょうけんたされる。Aの論点ろんてんもこの場合ばあいにはさほど問題もんだいにはならない。このように,公平こうへいという視点してんをとることができる。この原則げんそくから,現実げんじつおこなわれていることがこの原則げんそくはんしているとする主張しゅちょうがありうるし,実際じっさいにしばしばなされている。個々ここ所有しょゆうするざい状態じょうたいによって,だれもが享受きょうじゅすべきものをることができないひとがいる,あるいはだれもがけるべきものをけることができないひとがいるとうのである。本稿ほんこうはこうした主張しゅちょう検討けんとうする。まず,生殖せいしょく技術ぎじゅつ現況げんきょうあるいは可能かのうせいについて,こうした論点ろんてん提示ていじしている文章ぶんしょうをいくつか引用いんようする。おおくの論者ろんしゃがこのことを指摘してきしていることがわかる。

@「貧困ひんこんそう,マイノリティの成員せいいんは,IVF−ETでるためしばしば必要ひつようなんかいものこころみに通常つうじょう必要ひつようとされる3〜5まんドルをっていない。しかもられるのは「幸運こううんな」カップルにかぎられる。だい多数たすう失敗しっぱいわるのである。」(Henifin[1988:5](2))
A「はい女性じょせいからべつ女性じょせい移植いしょくすることが日常にちじょうてき可能かのうになれば(実験じっけんてきにはすでおこなわれている),だいさん世界せかい女性じょせいによりゆたかな西洋せいようじんどもをませるみちひらかれることになる。」(Corea[1987:43])
B「…だいさん世界せかい女性じょせい白人はくじんの,西洋せいようじん安価あんか種畜しゅちくbreedersとして使つかわれている(すくなくともある代理だいりはは斡旋あっせん業者ぎょうしゃ現在げんざいこの国家こっかあいだ移送いそう具体ぐたいてき計画けいかくしている)」(Corea[1990:326])
C「なりたいなら「代理だいりはは」になる「自由じゆう」な選択せんたくあたえられるべきだという議論ぎろんく。だがそれはなに意味いみするか。ある調査ちょうさでは「代理だいりははになった女性じょせいの40%が失業しつぎょうしゃまたは生活せいかつ保護ほごけているひとだった。…人種じんしゅ差別さべつ主義しゅぎしゃはい洗浄せんじょう代理だいりははという方法ほうほう支持しじするのは,メキシコや中央ちゅうおうアメリカ出身しゅっしん女性じょせい白人はくじんきたアメリカの女性じょせいからのたまごによってつくられたはい懐妊かいにんするのに好適こうてきだということなのである。」(Spallone[1989:81](3))
D「代理だいりははばれる女性じょせいによって供給きょうきゅうおこなわれる。しかし,この市場いちばもっと支配しはいてき存在そんざい代理だいりははのブローカー/ビジネス・マンである。かれは,実際じっさい女性じょせい周旋しゅうせんしゃなのだ。
 代理だいりははは,女性じょせい経済けいざいてき生存せいぞんのための選択肢せんたくしとして正当せいとうされ,必要ひつよう女性じょせい仕事しごととしてえがかれてきた。女性じょせい仕事しごととされる仕事しごと賃金ちんぎん地位ちいひく危険きけんせいたかいものであることは世界せかいてき事実じじつだ。賃金ちんぎん均等きんとうほうにもかかわらず,女性じょせい男性だんせいあいだ賃金ちんぎん格差かくさ世界せかいてきなものであり,さらに拡大かくだいしている。……女性じょせい経済けいざいてき尊厳そんげん生存せいぞんをあらゆるところで否定ひていされているというこの文脈ぶんみゃくにおいて,はじめて子宮しきゅうわたすことが女性じょせい経済けいざいてき選択肢せんたくしとしてあらわれる。」(Institute on Women and Technology[1990:323])
E「ねん以上いじょうもまえに,フェミストは…有色ゆうしょく人種じんしゅ女性じょせいは「純粋じゅんすい代理だいりはは標的ひょうてきにされると警告けいこくした。そして代理だいりははブローカーは,「契約けいやくするおんなたちをあつめにだいさん世界せかいく」と,はっきりみとめている。そこならたかくなっている経費けいひをもっとやすくできるだろうし,おんなはたらかせるのももっとらくだろうとっている。」(Raymond[1991=1991:154])
F「代理だいりはは現実げんじつ核心かくしんは,それらが階級かいきゅう差別さべつ主義しゅぎしゃのものでありせい差別さべつ主義しゅぎしゃのものであること,すなわち,まずしい女性じょせい搾取さくしゅすることにより白人はくじん男性だんせい血縁けつえんじょうのつながりのある手段しゅだんであるということである。それらは「切実せつじつに」ほっするものにただあかぼう提供ていきょうするだけだと宣伝せんでんされるのだが,実際じっさいには経済けいざいてき公平こうへい正義せいぎかんする原則げんそくてき観念かんねん破壊はかいするものであり,我々われわれ平等びょうどうそして本来ほんらい値段ねだんのつけられない人間にんげん生命せいめい価値かちへの傾倒けいとう土台どだい浸食しんしょくするものである。」(Annas[1990:43])
G「…たか費用ひようがかかるため,それを利用りようできるのは一部いちぶ人々ひとびとかぎられ,公平こうへい技術ぎじゅつ使用しよう不可能ふかのうである。さらに,代理だいりはは契約けいやくにみられるように,高額こうがく所得しょとくしゃてい所得しょとくしゃ代理だいりははとして利用りようするというあらたな搾取さくしゅ関係かんけい可能かのうせいもある。」(五條ごじょう[1991:51)
H「現代げんだい代理だいりはは制度せいど一番いちばん問題もんだいてんは,それが商業しょうぎょうによって代理だいりはは彼女かのじょ助力じょりょくもとめる人間にんげん両方りょうほう搾取さくしゅ助長じょちょうしているということである。依頼いらいしゃ助力じょりょく対価たいかとして法外ほうがい金額きんがく要求ようきゅうされる可能かのうせいがある。また,代理だいりはは自身じしん貧困ひんこんあるいは失業しつぎょうのためにこの役割やくわり強制きょうせいされることも事実じじつなのである。だれしもが貧困ひんこん搾取さくしゅかの選択せんたくでは後者こうしゃえらぶのが普通ふつうである。」(難波なんば[1992:148])
I「出産しゅっさんしても不利ふりにならずにはたらつづける条件じょうけんがもっとととのっていたら,女性じょせいたちは凍結とうけつ受精卵じゅせいらんによる出産しゅっさんなどに,そんなにしんをひかれはしない。」(駒野こまの[1989:123])

 実態じったいはどのようなものなのか。いくつかの報告ほうこくからおおよそのところを紹介しょうかいする。
 まず体外たいがい受精じゅせいについて。日本にっぽんでの費用ひようは,いちサイクル(検査けんさ排卵はいらん誘発ゆうはつ入院にゅういん採卵さいらん体外たいがい受精じゅせいはい移植いしょく退院たいいん)50〜100まんえん柘植つげ[1991:25]),米国べいこくではひくめにみても5せんドルだという(Raymond[1991=1991:152])。1かい成功せいこうすることはおおくはないから,大抵たいてい場合ばあいには,そのすうばいかかる。そして結局けっきょくそれが失敗しっぱいわった場合ばあいにも,はらったぶんかえってくるわけではない。
 つぎ代理だいりはは契約けいやく場合ばあい米国べいこくでは依頼いらいしゃ斡旋あっせん業者ぎょうしゃに2まんせんドル程度ていど支払しはらい,代理だいりははがわ報酬ほうしゅうとして1まんドル程度ていど保険ほけんりょう医療いりょうとう経費けいひるとされる(Ince[1984=1986:86],Charo[1990:89,91])。また,フランスでの代理だいりはは報酬ほうしゅうは5まんフランとわれる(新倉にいくら[1989:79-80])。どのようなひと代理だいりはは依頼いらいしまたけるのか。合衆国がっしゅうこく議会ぎかい技術ぎじゅつアセスメントきょく(OTA)の1988ねん報告ほうこくによれば,代理だいりはは契約けいやくのぞもの圧倒的あっとうてき多数たすう白人はくじん結婚けっこんした30だい後半こうはんから40だい前半ぜんはんのカップルであり,一般いっぱんらしきがよく高学歴こうがくれきである。やく64%の世帯せたい収入しゅうにゅうとしまんドルをえ,やく28%は3〜5まんドルのあいだである。すくなくとも37%が大学だいがく卒業そつぎょうしており,54%が大学院だいがくいんかよっていた。他方たほう代理だいりはは契約けいやくおうずる女性じょせいの88%はヒスパニックでない白人はくじんだった。彼女かのじょらをやと人達ひとたちより学歴がくれきひく家計かけい安定あんていしていない。大学だいがくとおったものは35%,大学院だいがくいんとおったものは4%だけである。30%は3〜5まんドルの年収ねんしゅうがあるが,66%は3まんドル未満みまんしか収入しゅうにゅうがない。(4)

■2.めるものしか利用りようできない?

 技術ぎじゅつ利用りようしようとするがわ所有しょゆうするざい均衡きんこう起因きいんする不平等ふびょうどう指摘してきされる。当然とうぜんのこと,他者たしゃしがるざいおおものほうがそのしゃざい獲得かくとくする機会きかいめぐまれている。こうして,需要じゅようがわ格差かくさ選別せんべつしょうじることが必定ひつじょうである。ここで問題もんだいになるのは,かなりの費用ひようとそしてなにより時間じかんようする体外たいがい受精じゅせいと,代理だいりははを「雇用こよう」することによる経費けいひがかかる代理だいりはは契約けいやく場合ばあいである。たとえば,裕福ゆうふくそうだけが体外たいがい受精じゅせいおこなうことができるといった指摘してきがなされる。
 こうした議論ぎろんでは,ここで譲渡じょうとされる対象たいしょうが,譲渡じょうとけるひとにとってこのましいものであることが前提ぜんていになっていることを確認かくにんせねばならない。譲渡じょうと利用りようできてしかるべきだとすれば,それが実現じつげんされていないことが問題もんだいなのだとえるが,そうではなく,本来ほんらいのぞましくないのであれば,そこでこの議論ぎろんわる。したがって,ここでは,利用りようされてよいという前提ぜんていることになる。
 ならば,それが一般いっぱんてき価値かちあるものだとするなら,それをおおくのひとわたるようにすればよいではないかという議論ぎろんがあるだろう。自己じこ決定けってい原理げんり公平こうへい原理げんりたしかに対立たいりつする場面ばめんがあるが,公平こうへい原理げんり強調きょうちょうするものも,自己じこ決定けってい総体そうたい問題もんだいにするわけではない。むしろ,これを積極せっきょくてき擁護ようごし,これが実質じっしつてき困難こんなんになっていることを非難ひなんする。資源しげん資源しげん接近せっきんする可能かのうせい平等びょうどう保障ほしょうし,そのうえでの決定けってい自己じこにまかせる。これこそが実質じっしつてき自己じこ決定けっていえるのではないか,このような主張しゅちょう当然とうぜん可能かのうなはずだ。
 A:まず,贈与ぞうよ売買ばいばいみとめずそのままにしておくほう公平こうへいだとえるのか。にんという状態じょうたいにあることに当事とうじしゃたち責任せきにんがない。生殖せいしょく技術ぎじゅつ応用おうようによって,そうした状態じょうたいにあって子供こどもちたいおおくのひと子供こどもつこともできるかもしれない。とすれば,譲渡じょうと禁止きんしすることは現状げんじょう維持いじにしかならず,かえって不平等ふびょうどうである,社会しゃかいてき公正こうせいでないと批判ひはんすることもできる。こうして,平等びょうどう原理げんりから技術ぎじゅつ制限せいげん不当ふとううこと,この技術ぎじゅつそのものはむしろ平等びょうどう達成たっせいする,すくなくとも平等びょうどう原理げんりによりかなったものだとうことも十分じゅうぶん可能かのうである。
 B:売買ばいばいにおける格差かくさがよく指摘してきされる。金銭きんせん介在かいざいすることによって不平等ふびょうどうしょうずるのはあきらかだ。しかし,贈与ぞうよとしてなされることが不平等ふびょうどうまないかどうかはわからない。贈与ぞうよにおいても,相対そうたいてき供与きょうよけやすい地位ちいがあるだろう。贈与ぞうよおこなおうとする動機どうきかならずしも対象たいしょう限定げんていせず人類じんるい全体ぜんたいたいしておよぶものではないからだ。たとえば,腎臓じんぞう移植いしょく家族かぞく親族しんぞくあいだかぎられるとすれば,移植いしょくけられるのはそうした家族かぞく親族しんぞくがいる場合ばあいかぎられる。とすると,売買ばいばい場合ばあいして贈与ぞうよほう有利ゆうりだとはかならずしもえない。自発じはつてき行為こういによってはることがより困難こんなんであるかもしれない。とすればかえって金銭きんせん介在かいざいさせたほうがよい場合ばあいがあるかもしれない。これに反論はんろんがないわけではない。たとえば,Titmuss[1972]で,血液けつえき提供ていきょう方法ほうほうとして無償むしょう贈与ぞうよほう有効ゆうこうだったことが指摘してきされており,Rothman[1988:9-10]がこれを紹介しょうかいして,社会しゃかい政策せいさく商品しょうひん支持しじすることは利他りたてき行為こういおこな権利けんり贈与ぞうよする権利けんりさまたげるとべている。たしかに,血液けつえき提供ていきょうのような比較ひかくてき負担ふたんすくない場合ばあいには,多分たぶん,それをろうとするよりもむしろ他者たしゃのためにそれを提供ていきょうしようとする動機どうきほうおおきい,あるいは前者ぜんしゃ動機どうきひとより後者こうしゃ動機どうきひとほうおおい。骨髄こつづいまではおそらくこのことはえるだろう。しかし出産しゅっさんとなるとどうか。長期ちょうきてきおおきな負担ふたんがかかるものについては有償ゆうしょうほう有効ゆうこうかもしれない。
 A・Bをみとめたとしてもなお,経済けいざいてき格差かくさによってこの技術ぎじゅつ接近せっきんできないひとるという現実げんじつたしかにのこる。だが,だとすれば,公的こうてき医療いりょう保険ほけん制度せいどなかれるなりして,その不平等ふびょうどう軽減けいげんし,すべてのひとがこれを利用りようできるようにすればよいではないかという主張しゅちょうる。もしかり贈与ぞうよによるよりも対価たいか支払しはらわれるほうが,それをやすいのだとすれば,それに対価たいかはらい,その対価たいかはらうことができるかできないかという問題もんだいなのだとすれば,ざいさい分配ぶんぱいさくによってだれもが技術ぎじゅつ利用りようできるようにするなら,それが一番いちばん公平こうへいではないか。また私的してき保険ほけんも,一時いちじ集中しゅうちゅうてき出費しゅっぴをいくらかは軽減けいげんすることができよう。実際じっさい,オーストラリアでは体外たいがい受精じゅせい必要ひつよう医療いりょうさんぶん公費こうひ負担ふたんであり,イギリスでも私的してき保険ほけんがきき,公費こうひサービスの範囲はんいない無料むりょう実施じっししているいち機関きかんがあるとわれる(青木あおき[1989:212])。さらに,検査けんさ・「治療ちりょう」に時間じかんがかかるとう問題もんだいについても,たとえば育児いくじ休暇きゅうかをとることができるのとおなじように制度せいど整備せいびするなら,ある程度ていど解決かいけつ可能かのうかもしれない。
 また,とくつよ批判ひはんされているのが代理だいりはは斡旋あっせん機関きかんとくにそこから利潤りじゅんをあげている企業きぎょうである。しかし,よほど幸運こううんであるか,個人こじん広告こうこくしてひとさがせすることができる十分じゅうぶん資金しきんっているのでなければ,個人こじんてき契約けいやくしゃることはむずかしい。この技術ぎじゅつへの接近せっきん可能かのうせいひろげるという意味いみでは,なんらかの機関きかんがあったほう契約けいやくおうずるひとつけることが容易よういだろう。とすると,こうした媒介ばいかい行為こういから利益りえきること自体じたい問題もんだいせいべつわねばならない。もし各自かくじ利用りようできる資源しげん公平こうへい確保かくほされるなら,ある程度ていど利益りえきげる機関きかん存在そんざいは,技術ぎじゅつへの接近せっきん公平こうへいせい確保かくほというてんから,有用ゆうようだとされることになるかもしれない。利益りえきぎていることが問題もんだいなのだろうか。しかし過剰かじょう利益りえきげているとうその根拠こんきょはどこにもとめられるのか。また,適正てきせい媒介ばいかい活動かつどうおこな機関きかん成立せいりつしえないものなのか。
 ここでざいさい分配ぶんぱい主張しゅちょうすることは,ようとすることに他者たしゃざい税金ぜいきん保険ほけんりょう)が使用しようされてよいのだと主張しゅちょうすることである。すべてはすべてのもの平等びょうどう配分はいぶんされるべきであるという議論ぎろんをするならば,それはそれで一貫いっかんしている。しかし,この技術ぎじゅつについてとく平等びょうどうせい特別とくべつ追求ついきゅうされるべきだと主張しゅちょうするなら,つことがとく重要じゅうよう事柄ことがらであり,公的こうてき支給しきゅう引出ひきだすべき権利けんりとしてみとめられてよいのだとうことになる。にんは「病気びょうき」ではないのだから,生殖せいしょく技術ぎじゅつ適用てきよう医療いりょう行為こういではないという主張しゅちょうもある。しかし,わたしたち社会しゃかい狭義きょうぎ医療いりょうだけにかぎらず,種々しゅじゅ公的こうてき援助えんじょおこなっているのであり,それらがみとめられるとすれば,これもまた――医療いりょう保険ほけんなかふくめるかどうかはともかく――公的こうてき援助えんじょみとめられてよいと余地よちはある。
 この主題しゅだい権利けんりがどのような権利けんりなのかについては議論ぎろんがある。本格ほんかくてき検討けんとうべつ稿こうゆだねることにするが,簡単かんたんれておこう。論者ろんしゃによっては,これは他者たしゃにその実現じつげん要求ようきゅうできる「積極せっきょくてき権利けんり」ではなく,その実現じつげん他者たしゃによりさまたげられないという「消極しょうきょくてき権利けんり」だとし,技術ぎじゅつ利用りよう制限せいげんする主張しゅちょうおこなう(Capron & Radin[1990],Jonas[1992])。またたとえば,代理だいりはは自体じたい禁止きんしする根拠こんきょがないというだけで積極せっきょくてき推奨すいしょうする理由りゆうはないのだから,商業しょうぎょうてき代理だいりははきんずることによって,この技術ぎじゅつ接近せっきんできないものてきたとしても,それはそれで問題もんだいとするにはあたらないという主張しゅちょうがなされる(Macklin[1990:148])。しかし,商業しょうぎょうてき代理だいりはは禁止きんしうえの3にん論者ろんしゃともおな立場たちばっている)にかんしては,(無償むしょう場合ばあいより技術ぎじゅつ利用りようへの接近せっきん容易よういかもしれない)金銭きんせん介在かいざい自体じたい問題もんだいせい自体じたい独立どくりつ必要ひつようがある。消極しょうきょくてき権利けんりだとしても,それだけでは金銭きんせん介在かいざい禁止きんしできないからである。また,消極しょうきょくてき権利けんりだから,その契約けいやく国家こっか保護ほごする義務ぎむはないとする主張しゅちょう(Capron& Radin[1990:70-72])についても,Robertson[1990:36-38]が指摘してきするように,一般いっぱん国家こっか消極しょうきょくてき権利けんり場合ばあいでも契約けいやく履行りこう保護ほごするのだから,これも消極しょうきょくてき権利けんり云々うんぬん独立どくりつわねばならない。消極しょうきょくてき権利けんりであるとする立場たちばからみちびかれないのは,公的こうてき保険ほけん制度せいど組込くみこむといったざいさい分配ぶんぱい場合ばあいかぎられることはあきらかである。そのうえで,どうしてとうとすることが消極しょうきょくてき権利けんりだとえるのかをいうる。このてん明確めいかくではない。つことがおおくのひとにとって基本きほんてき重要じゅうよう事柄ことがらだとかんがえられているとするなら,個々ここざい多寡たかによってることができないものてくるのは不当ふとうだと主張しゅちょうすることも十分じゅうぶん可能かのうではないか。
 では,さき引用いんようしたような批判ひはんしゃたちはどのような位置いちにいることになるのか。批判ひはんしゃは,費用ひよう高額こうがくであるがゆえに,その技術ぎじゅつ利用りようできるひととできないひととのあいだ格差かくさてくることを指摘してきしている。ではそのものは,各自かくじ所有しょゆうするざい格差かくさのゆえに格差かくさしょうじうるものの利用りようは,そのことのゆえに禁止きんしすべきだという,一般いっぱん承認しょうにんされがたい論理ろんりるのだろうか。この論理ろんりからは,通常つうじょう医療いりょうとく高度こうど医療いりょう,また教育きょういく等々とうとうすべてが禁止きんしされる。そうでないなら,積極せっきょくてき権利けんりとしてかんがえているということになる。だからこそ,それが達成たっせいされない現状げんじょう問題もんだいにされることになるからである。このような帰結きけつになってしまう。以上いじょうのようにかんがえるなら,この論点ろんてんは,生殖せいしょく技術ぎじゅつのありかた基本きほんてき批判ひはんしうるものではなく,むしろ利用りよう現在げんざいのありかた不備ふび指摘してきするものとるしかない。これに同意どういせず,それでもなおこの技術ぎじゅつ根本こんぽんてき不公平ふこうへいなものだと主張しゅちょうするためには,この技術ぎじゅつ応用おうようたいするざいさい分配ぶんぱい原理げんりてき不可能ふかのうであることをわねばならないのだが,このことは論証ろんしょうされてはいない,わたしかんがえる範囲はんいでも見当みあたらない。しかも,さい分配ぶんぱいおこなわず(おこなえず)市場いちば原理げんりにまかせたとしてもなお,技術ぎじゅつまった使用しようしないこと,贈与ぞうよとしての提供ていきょうしかみとめないことよりも,この技術ぎじゅつ接近せっきんできるひとほうおおく,より公平こうへいちかいという主張しゅちょう可能かのうなのだ。

■3.まずしいもの搾取さくしゅされる?

 もうひとつの指摘してきは,売却ばいきゃくしゃ譲渡じょうとしゃそくしてのものである。売買ばいばいとく有償ゆうしょうでの代理だいりはは契約けいやくについて問題もんだいにされるのは,困窮こんきゅうしゃ譲渡じょうとするがわにまわるだろうということである。
 これはその行為こうい自由じゆう行為こういではなくいられたものだとする批判ひはん連続れんぞくしている。ただ,論文ろんぶん2で検討けんとうした強制きょうせいについての議論ぎろんは,譲渡じょうとしん自由じゆう譲渡じょうととはえないのではないかというものだったが,ここでは,かりにそれが自由じゆう行動こうどうであり,自己じこ決定けってい原理げんりにかなっているとえるとしても,問題もんだいがないとはされない。そのもの所有しょゆうしているざいすくないために,そのざいるために,自身じしんつものを譲渡ゆずりわたせねばならない。ここでは個々ここ配分はいぶんされているざい初期しょき状況じょうきょう問題もんだいにされるのである。周知しゅうちのようにこれはせい商品しょうひんについてよく問題もんだいにされることである。生殖せいしょく技術ぎじゅつについてもこうした議論ぎろんおおい。こと代理だいりはは契約けいやく場合ばあいが,その負担ふたんおおきいゆえに,おおきな問題もんだいになる。たとえば代理だいりははになるもの貧困ひんこんそうかたよっているという批判ひはんがある。さらにこれは「南北なんぼく問題もんだい」としてとらえられる。これも,だいさん世界せかい女性じょせい臓器ぞうき提供ていきょうしゃ問題もんだい指摘してきされるのとおなじである。
 これはもっともな指摘してきのようにおもえる。しかし,なにこげじゅんした批判ひはんなのか,なに問題もんだいにしているのか。すこくわしくほうがよいとおもう。
 まず社会しゃかいひろ存在そんざいする不公平ふこうへいそれ自体じたい問題もんだいだとうのだろうか。すべてのものが,本来ほんらいなら譲渡じょうと交換こうかんされてはならないものだとうなら,そしてそれに正当せいとう理由りゆうされるなら,それはそれで,完全かんぜん自給自足じきゅうじそく,あるいは商品しょうひん世界せかい廃棄はいきといった代替だいたいあん実現じつげん可能かのうせいはともかく,論理ろんりとしては成立せいりつする。たとえば,すべての行為こうい自発じはつてきおこなわれねばならないとすれば,そして商品しょうひんとして提供ていきょうすることになに強制きょうせいてき部分ぶぶん不平等ふびょうどうにつながっていく契機けいきがあるのだとすれば,それを根拠こんきょ批判ひはんし,商品しょうひんという範疇はんちゅう否定ひていすべきことを主張しゅちょうすることはできる。また役割やくわり分化ぶんか,あるいは固定こていしょうずることをもって批判ひはんすることもできる。だが,こうして,たとえば譲渡じょうとしたくないものを譲渡ゆずりわたせねばきていけないその悲惨ひさん一般いっぱん問題もんだいにされねばならないのだとすれば,その批判ひはんは,やはりざい平等びょうどう布置ふちそれ自体じたいけられるべきではないか。ここで,これだけを禁止きんしすることは,ひとつの生活せいかつのありかたうばうことでしかなく,格差かくさ縮小しゅくしょうにはむすびつかないのではないか。
 しかし,ここではとく生殖せいしょくかかわるいくつかの事柄ことがらされている。べついがはっせられる。これはなぜか。とくに「だいさん世界せかい」との関係かんけいにおいて,この「労働ろうどう」がやすわれることの問題もんだいせい指摘してきされる。しかし,国家こっかあいだ物価ぶっか賃金ちんぎん格差かくさ全般ぜんぱんみとめられないとする立場たちばるのでないから,この指摘してきたいしてもまったおなじことがえる。
 では,社会しゃかいてき不公平ふこうへい集約しゅうやくてきあらわれとしてこの問題もんだいがあるということだろうか。わたしたち生活せいかつのために様々さまざまのことをせねばならず,あるものにとっては,ある仕事しごと唯一ゆいいつられる仕事しごとであるのかもしれない。そうした仕事しごととして,代理だいりおもやあるいは売春ばいしゅんおこなわれることがあるかもしれない。これにたいしては,まず事実じじつとしてそういう状況じょうきょうになっているのかという問題もんだいがあろう。そして,かりにそのような状況じょうきょうであるとしても,やはりそのものの譲渡じょうと固有こゆう問題もんだいであるとえて,はじめてそれをしょうじさせている状況じょうきょう問題もんだいしうるはずだ。だから,ここでもまずわれるべきは,なぜこの譲渡じょうと問題もんだいなのかである。
 格差かくさ拡大かくだい問題もんだいにしてもおなじだとかんがえる。交換こうかんにより,その初期しょき条件じょうけんにおいて有利ゆうりなものは,より有利ゆうり位置いちめることができ,仕方しかたなく交換こうかんおうじねばならないものぐるみられていく。たとえば,専門せんもんてき訓練くんれん専門せんもんしょくにつき相対そうたいてきたか賃金ちんぎん地位ちいている女性じょせい代理だいりはは契約けいやくによってち,妊娠にんしん期間きかん仕事しごと継続けいぞくすることによってみずからの賃金ちんぎん地位ちい確保かくほたかめていくことができるのにたいして,そもそもそのようなにいることのできない女性じょせい提供ていきょうできるものは自身じしん肉体にくたいしかなく,たとえば代理だいりはは契約けいやくおうずることになる。こうして一定いってい期間きかんある程度ていど賃金ちんぎんをその仕事しごとによってられたとしても,結局けっきょくのところ彼女かのじょおおくをることはできず,貧困ひんこんのうちにとどめられるだろうとう。これにたいしても,まず実際じっさい格差かくさ拡大かくだいさせているとえるかどうか。かりえるとしよう。だが,ほかにもそうした格差かくさ形成けいせいさせるような関係かんけいはそこここに見出みいだされる。とすれば,これをとく問題もんだいにするのはなぜか。いままでこの領域りょういきはこうした原則げんそく支配しはいされていなかったというのは理由りゆうにならない。格差かくさ拡大かくだいさせるような関係かんけいがいくつも以前いぜんからあるときに,あたらしいものだけをみとめないという理由りゆうはないからである。
 こうして,やはり,譲渡じょうと売却ばいきゃく一般いっぱんではなく,生殖せいしょくかかわる場面ばめんでの売買ばいばいが,またたとえばせい商品しょうひん臓器ぞうき売却ばいきゃく特別とくべつ問題もんだいにされるべきだとすれば,それはなぜなのかといういがのこる。なぜ,商品しょうひんされるものとはべつに,それらの譲渡じょうと問題もんだいなのかといういにこたえねばならない。自分じぶんいえまえはたけ出来できたキャベツを貧困ひんこんゆえに売却ばいきゃくすることはさほど問題もんだいではないが,せい臓器ぞうき子宮しきゅう提供ていきょうすることはそうではない。これはどういうことなのか。譲渡じょうとなに問題もんだいになっているのか。
 まず,本来ほんらいだれもがひとしくわねばならない負担ふたんなのに,その負担ふたん特定とくていひとにかかることが問題もんだいになっているのではないだろう。では,それを特定とくていひとが(貧困ひんこんゆえに)せねばならないから,まずしいものにとって否応いやおうのない強制きょうせいとしてあるから,問題もんだいなのだろうか。
 しかし,自発じはつてきに,よろこんでその行為こうい参加さんかするひとすくなくともそのように人達ひとたちはいる。こうした場合ばあいには問題もんだいはないとするのか。立場たちばわかれるかもしれない。問題もんだいはないのだと立場たちばもあろう。だがそうだとすれば,それは,金銭きんせんかいする譲渡じょうとすくなくともすべてを問題もんだいにすることはできないということである。
 さらに,のような事態じたいをどうかんがえるか。わたしたちおおかれすくなかれいや仕事しごとをその対価たいかゆえにける。そしてそれは,ともかくも当人とうにんけたことのだから,仕方しかたのないこととされる。譲渡じょうとするものはそれによってるものがあるだろう。だから譲渡じょうとするのである。譲渡じょうとするものは大切たいせつなものであるかもしれない。ある条件じょうけんがあれば,譲渡じょうとする必要ひつようがなかっただろう。しかし,そのもの譲渡じょうとによってられるものによりおおきな価値かちみとめた。一般いっぱんわたしたちは,こうした場合ばあいいことであるとはかんがえないとしても,仕方しかたのないこととしてみとめている。これもまた自発じはつてき譲渡じょうとであるとかんがえている。代理だいりはは契約けいやく場合ばあいにしても基本きほんてきにこのような条件じょうけんたしてはいる,すくなくともたされなくてはならないとはかんがえられている。とすれば,結局けっきょくのところすべてをみとめるざるをないことになるのではないか。しかし,生殖せいしょく技術ぎじゅつ応用おうようのありかた疑念ぎねんをいだくひとは,譲渡じょうと禁止きんしすべきだと主張しゅちょうするかどうかはべつとしても,このような帰結きけつをそのままれることをためらうだろう。とすればさきしたいはまだこたえられてはいない。
 とすると,そこに金銭きんせん介在かいざいすること自体じたい問題もんだいとされているということではないか。とすれば,とく生活せいかつこまっていなくても,それをになわねばならない緊急きんきゅう事情じじょうがなくとも,それが金銭きんせん目的もくてきとするものであるなら問題もんだいだということになる。たとえば,代理だいりはは契約けいやくが「あかぼう売却ばいきゃく baby-selling 」として批判ひはんされる。このようにるものかどうかはここでは検討けんとうしない。ただなにかを売却ばいきゃくしているのではあろう。それが問題もんだいになっている。そして,金持かねもちがあかぼうってもやはりそれは(むしろ貧乏人びんぼうにんがやむにやまれずるよりもなおいっそう)非難ひなん対象たいしょうになるだろう。つまり,「本来ほんらい商品しょうひんされるべきでない」という判断はんだんがまずあり,それを前提ぜんていにして「そうしたものを商品しょうひんせねばならないことの悲惨ひさん」が問題もんだいされているとかんがえるしかない。そしてそれは,さきべたように,やむなく商品しょうひんおうじねばならないという当人とうにん意識いしき定位ていいしたものであるとはかんがえられない。かえせば,だいいち当事とうじしゃがいやいやおうじているとはかぎらないから,だいに,いやいややっていることのすべてをきんずるべきであるとわたしたち通常つうじょうかんがえていないからである。Iのような言明げんめいじつはここにいてかんがえるべきなのだ。今度こんどは,技術ぎじゅつ使用しようせねばつことができないわけではないのに,ある事情じじょう技術ぎじゅつ利用りようすることがいられる。しかし,いられているとかんがえないひと場合ばあいにはどうか(cf.橋爪はしづめ[1990])。そうした場合ばあいにもなにかしら抵抗ていこうかんじるひとがいるとすれば,その抵抗ていこうかんはどこにはっするのか。
 せい商品しょうひんでも,とくに「だいさん世界せかい」との関係かんけいで,貧困ひんこんによる強制きょうせい問題もんだいにされるが,そういう視角しかくとらえられない「自発じはつてき」な商品しょうひんという現象げんしょうあらわれてきたときに,商品しょうひん自体じたいがなぜ問題もんだいなのかにこたえることをせまられる。おなじことを,わたし論理ろんり問題もんだいとしてべてきた(せい生殖せいしょく双方そうほう問題もんだいしうる根拠こんきょおなじであるとうのではない)。ではその「本来ほんらい商品しょうひんされるべきではない」ことはどのようにえるのか。かえすが,それは,第一義だいいちぎてきには不公平ふこうへい発生はっせいさせるからではない。公平こうへい問題もんだい無視むししてよいと主張しゅちょうしているのではない。商品しょうひん問題もんだいされるのなら,それをになわねばならない状況じょうきょうかれることの悲惨ひさん問題もんだいにされる。生殖せいしょくにかかわる身体しんたいてき器官きかん身体しんたいてき過程かてい商品しょうひんされたときに,その商品しょうひん提供ていきょうするがわかれやすいのは貧窮ひんきゅうのうちにある人々ひとびとであるのは間違まちがいない。しかし,その悲惨ひさんは,本来ほんらい商品しょうひんされてはならないということを前提ぜんていとした悲惨ひさんなのである。

■4.結論けつろん課題かだい

 こうして確認かくにんされたのは,だいいちに,めるものしか利用りようできないという指摘してきはこの技術ぎじゅつたいする根本こんぽんてき批判ひはんにはならず,むしろその適用てきよう拡大かくだいもとめるものとなること,またこの問題もんだいすくなくとも原則げんそくてきには解決かいけつ不可能ふかのう問題もんだいではないということだった。だいに,まずしいものもっぱ譲渡じょうとするがわまわるという指摘してきにしても,じつは(公平こうへい自体じたい最初さいしょ問題もんだいではないということ,譲渡じょうと自体じたいに,しかも譲渡じょうと売買ばいばい一般いっぱんではなくこの技術ぎじゅつかかわる譲渡じょうとたいしてとくに,否定ひていてき価値かちあたえられてはじめて譲渡ゆずりわたせざるをないことが問題もんだいになるということだった。また,「いられている」とときにもまた商品しょうひん問題もんだいだとときにも,問題もんだいにされているのは強制きょうせいされているという当事とうじしゃ意識いしき自体じたいではないことだった。とすると,この技術ぎじゅつ応用おうよう商品しょうひんたいする疑念ぎねん中核ちゅうかくが,こうした当人とうにん意識いしき水準すいじゅんとはまたべつの,どのような場所ばしょにあるのかをさらにかんがえねばならない。つぎに,それがあきらかになったとして,本人ほんにん意思いしえて技術ぎじゅつ制限せいげん可能かのうかどうかを検討けんとうせねばならない。
 このことに,さき引用いんようしたような論者ろんしゃ言及げんきゅうしていないというのではない(たとえばF)が,あえて本稿ほんこうではその部分ぶぶんにはれなかった。自明じめいのこととしてませられる,一言ひとことってませられる問題もんだいではないとおもうからだ。これが論文ろんぶん4(立岩たていわ[1993C]) の考察こうさつ主題しゅだいになる。確実かくじつにここに見出みいだされる契機けいきは,ひとつに(自発じはつてきにであれ,「しぶしぶ」であれ)「なんらかの対価たいか金銭きんせんとはかぎらない)のために譲渡じょうとする」ということだとおもう。このこと自体じたいわたしたちはまず問題もんだいにしており,しかるのちに,それが人々ひとびとざいのありかた規定きていされてなされていること,なさざるをないそうがいることをにしているのではないか。このことをめぐって考察こうさつおこなう。個々ここ技術ぎじゅつ応用おうようのありかたについて,意図いとてき無視むししてきた論点ろんてんとく問題もんだい)をふくめ,った検討けんとうはいるのは,その論文ろんぶんのち作業さぎょうになる。

ちゅう
(1) 技術ぎじゅつとその利用りよう概要がいようについてはすで関連かんれんしょがあり,それ以上いじょう情報じょうほう提供ていきょうする用意よういいまはない。ただ,情報じょうほう提供ていきょうりょうすで十分じゅうぶん水準すいじゅんたっしているとかんがえているのではなく,わたしもいくつかの具体ぐたいてき主題しゅだいかんする報告ほうこく今後こんごおこな予定よてい現在げんざい代理だいりははについての報道ほうどう論説ろんせつ収集しゅうしゅうちゅうとう)。請求せいきゅうがあれば,現時点げんじてんでの資料しりょう文献ぶんけんリスト,論文ろんぶん1・2・4,送付そうふする(→181 三鷹みたか上連雀かみれんじゃく4-2-19,tel & fax:0422-45-2947)。なお本稿ほんこう庭野にわの平和へいわ財団ざいだん研究けんきゅう助成じょせい(1993ねん)をおこなわれている研究けんきゅう一部いちぶをなす。
(2) とく医療いりょう十分じゅうぶんけられないためににんりつたか貧困ひんこんそう・マイノリティにとっては,にん予防よぼうさくがより現実げんじつてき解決かいけつさくだという文脈ぶんみゃくなかでの文章ぶんしょう。IVF−ET=体外たいがい授精じゅせいはい移植いしょく一般いっぱん体外たいがい受精じゅせいときにははい移植いしょく過程かていふくんでのことがおおい。なお,この部分ぶぶん著者ちょしゃ参照さんしょうもとめているのは Hollinger[1985]。
(3) だいぶんはWinlade[1981]をいている。だいさんぶんはCorea[1985]の代理だいりはは斡旋あっせんぎょうへのインタヴューをけての記述きじゅつはい洗浄せんじょうEmbryo flushing は,ここでは依頼いらいしゃがわ女性じょせいはい子宮しきゅうからす(あらす)こと。これを第三者だいさんしゃ子宮しきゅうもどして出産しゅっさんする。依頼いらいした男女だんじょ遺伝子いでんしぐ。通常つうじょう代理だいりはは出産しゅっさん区別くべつし「代理だいり出産しゅっさんはら)」ともばれる。ただ,体外たいがい受精じゅせいもちいるのが普通ふつう。AEもこの方法ほうほうについての言及げんきゅうである。
(4) Charo[1990]。OTAの調査ちょうさ報告ほうこくふくめ1980年代ねんだい発表はっぴょうされたむっつの調査ちょうさ結果けっかがまとめられている(pp.90-91にひょうがある)。ただOTAの報告ほうこく以外いがい調査ちょうさ項目こうもくおおくない。

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REV: 20161031
『Sociology Today』  ◇立岩たていわ しん
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