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立岩真也「「自立」?、なにそれ?――知ってることは力になる・9」
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「「自立じりつ」?、なにそれ? 「自立じりつ生活せいかつ運動うんどう

ってることはちからになる・9―

立岩たていわしん 1999 『こちら”ちくま”』14
発行はっこう自立じりつ支援しえんセンター・ちくま


 今回こんかい温故知新おんこちしんへん・その1。ときにはこういうのをやってみようかとおもいます。
 そこで、「自立じりつえい]independence」?、なにそれ?、です。引用いんようひとつ。5月ごがつ15にちに『福祉ふくし社会しゃかい事典じてん』なるものが弘文こうぶんどうという出版しゅっぱんしゃから刊行かんこうされ(15,000えん)、そのいくつかの項目こうもく担当たんとうしたのですが、その1項目こうもく制限せいげん字数じすう1600作文さくぶんです。いかにもかた文章ぶんしょうですが、いいたいことははっきりしています。わたし自身じしんには、「自立じりつ」というかたり誤解ごかいまねきやすいし、そう使つかいたくない気持きもちもあります。しかし、この言葉ことば旗印はたじるしかかげられてきた歴史れきしがあり、その意義いぎもしっかりとありますから、それを確認かくにんしておくことは必要ひつようだとおもう。そういう確認かくにん作業さぎょうとともにこの言葉ことばはこれからも使つかわれていくのでしょう。
 「この言葉ことば意味いみするものは単一たんいつでなく、このこと自体じたい重要じゅうようであり、また複数ふくすう意味いみをもつこの言葉ことばが、そのいずれを意味いみするのかがよくわからないように、あるいは複数ふくすう意味いみ同時どうじにもつ曖昧あいまいかたりとして使つかわれていることの意味いみ重要じゅうようである。
 まず、自立じりつ安定あんていした職業しょくぎょうくこと、経済けいざいてき他人たにん依存いぞんせずにらすこととして、すなわち「職業しょくぎょう自立じりつ」「経済けいざいてき自立じりつ」として理解りかいされる。そして、公的こうてき扶助ふじょ福祉ふくしサービスの目標もくひょうは、この意味いみでの自立じりつ達成たっせいされ、社会しゃかいてき支援しえん自体じたい不要ふようになることとされる。たとえば生活せいかつ保護ほご目的もくてきは「自立じりつ助長じょちょう」にあるとわれる。このとき、このかたり古典こてんてき意味合いみあいでの「自助じじょ」(self-help) と互換ごかんてきである。この意味いみ自立じりつ自助じじょ自体じたいだいいちてき価値かち付与ふよし、をそれに従属じゅうぞくさせることがしはしばなされてきた。まず、近代きんだい社会しゃかい事業じぎょう発生はっせい存在そんざいし、底流ていりゅう存在そんざいつづけてきたのがこうした構造こうぞうである。さらに福祉ふくし国家こっか批判ひはんしそれをえるとしょうする主張しゅちょうなかで、福祉ふくし政策せいさくめ「自己じこ責任せきにん」の原則げんそくることで、福祉ふくし政策せいさくによって衰退すいたいしつつある自立じりつ自助じじょ精神せいしん再建さいけんし、財政ざいせい危機きき解消かいしょう経済けいざい活性かっせいできるなどとかたられるときにも、おな意味いみ自立じりつかたりもちいられている。
 つぎ自立じりつとは「身辺しんぺん自立じりつ」、「日常にちじょう生活せいかつ動作どうさ」の自立じりつ(「ADL自立じりつ」)を意味いみする。日常にちじょうとして理解りかいされ、日常にちじょうにおいておこなわれるリハビリテーションで目指めざされるのがこれである。これは職業しょくぎょう自立じりつ前提ぜんていともされるのだが、同時どうじに、経済けいざいてき自立じりつ不可能ふかのうだが日常にちじょう生活せいかつ動作どうさにおいて自立じりつできる範囲はんいがあるとされるときもあり、この場合ばあいにはしばしば、この日常にちじょう生活せいかつ動作どうさにおける自立じりつ経済けいざいてき自立じりつ不可能ふかのうだいする価値かちとされることになる。
 これらの自立じりつ優先ゆうせんする目標もくひょうとされるとき、そのいずれもが容易よういでないひと自立じりつ困難こんなんひととされ、社会しゃかいてき支援しえん外側そとがわかれることにもなる。これらのいずれでもない自立じりつが、1970年代ねんだいはじまる障害しょうがいしゃ自立じりつ生活せいかつ運動うんどうなか主張しゅちょうされる。自己じこ決定けっていけん行使こうしとしてここで主張しゅちょうされた自立じりつ規定きていするのが一般いっぱんてきである。すなわち、介助かいじょなど種々しゅじゅ手助てだすけが必要ひつようであればそれを利用りようしながら、みずからの人生じんせい生活せいかつのありかたみずからの責任せきにんにおいて決定けっていし、みずからがのぞ生活せいかつ目標もくひょう生活せいかつ様式ようしき選択せんたくしてきることを自立じりつとする。これに「自律じりつ」(autonomy)のかたりをあてることも可能かのうであり、実際じっさいこのかたりもちいられることもある。この理解りかいはまちがってはいない。ただ、より具体ぐたいてきこった事柄ことがらそくすると、自立じりつとは、親元おやもと施設しせつからはなれ、ひとまず一人ひとりらすことそれ自体じたいしていた。それをようするに自己じこ決定けっていする生活せいかつへの移行いこうであるとえばえる。しかし、かれらが理念りねんとしてでなく具体ぐたいてき生活せいかつ仕方しかたをもって自立じりつ生活せいかつ)とんだこと、自己じこ決定けってい自己じこ決定けっていとしての自立じりつ最初さいしょ唯一ゆいいつ原則げんそくとすることにかならずしも同意どういしなかったことは示唆しさてきである。従属じゅうぞく保護ほごからはなれてらすことと、自己じこ決定けってい達成たっせいすべき目標もくひょうとする生活せいかつおくることとは完全かんぜんひとしくはない。この微妙びみょう差異さい重要じゅうようである。かれらはその意義いぎ積極せっきょくてき規定きていせず、なにかより「ただしい」生活せいかつしめそうとはしない。またかれらは、現実げんじつ悲惨ひさんさからはっしその改善かいぜんもとめるのでなく、普通ふつう状態じょうたい普通ふつう実現じつげんすることをあくまで要求ようきゅうし、同時どうじに、普通ふつう普通ふつうとされないことの意味いみうた。たいていの人々ひとびと生活せいかつかくたる目標もくひょうなどないことをわきにおいて、ことが「福祉ふくし」となると、なにかこのましくただしい状態じょうたいとしてたとえば「自立じりつ」をかたってしまうことの奇妙きみょうさの自覚じかくがここにはある。この自立じりつ主張しゅちょうは、施設しせつやすのが福祉ふくしであり、家族かぞくによる保護ほご基本きほんてきのぞましいものとする社会しゃかいにあって、それとことなることを実現じつげんしようとしたてん画期的かっきてきなものだったのだが、もうひとわたしたちがるべきは、自立じりつだの自己じこ決定けっていだのをなにかたいそうなものにまつりあげないというその姿勢しせい意味いみである。[文献ぶんけん 安積あさか純子じゅんこほかなま技法ぎほう――いえ施設しせつらす障害しょうがいしゃ社会しゃかいがく藤原ふじわら書店しょてん増補ぞうほ改訂かいていばん1995ねんていふじたけひろへん自立じりつ生活せいかつ思想しそう展望てんぼう』、ミネルみねるァ書房ぁしょぼう、1993ねん石川いしかわじゅんへん障害しょうがいがくへの招待しょうたい』、明石書店あかししょてん、1999ねん]」
 では「自立じりつ生活せいかつ運動うんどうえい]Independent Living Movement」って?。おな事典じてんのこの項目こうもく字数じすう制限せいげん600!)のだしのところだけ。「障害しょうがいのあるひとたちが、施設しせつなかでの制約せいやくおお生活せいかつではなく、またおや庇護ひご監督かんとくのもとでの生活せいかつではなく、普通ふつうひとらす場所ばしょで、やりたいことをやり、きたいようにきようとすること、また、それを実現じつげんするための運動うんどう。…」もっと具体ぐたいてき説明せつめいは、またいつかいたしましょう。


UP:1999
自立じりつ生活せいかつ運動うんどう  ◇自立じりつ生活せいかつセンター  ◇介助かいじょ介護かいご 2004  ◇介助かいじょ介護かいご  ◇自立じりつ支援しえんセンター・ちくま  ◇立岩たていわ しん
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