(Translated by https://www.hiragana.jp/)
立岩真也:北海道立羽幌病院での事件について
*敬語表現をとるなど、質問文はこちらですこし変えさせていただいています。
*加筆・修正の可能性があります。
*掲載されるようなことがあったら、その記事(におけるコメント部分)を掲載します。↓
*掲載されませんでした。(2006.8)
*基本的には、昨年NHKの取材に対してお送りしたコメントに加えて言うべきことはありません。また、このところのものでは、『朝日新聞』に掲載されたインタビューや『通販生活』に掲載されるはずの意見があって、毎度、同じことを話したり、書いたりしています。また、射水での事件について書いた文章もあるにはあります。(これは筑摩書房の『Webちくま』※に連載している文章の一部ですが、事件の性格に鑑み、いましばらく当方のHPにも掲載させていただきます。)
記事にする場合には、それらの中から適宜使っていただいてかまいません。ただ、ものごとを言うときの順番とか構図とかそういうものがありますので、その点、すこし、ご注意ください。ただこの主題については、各々の論点・主張を個別に取り出していただいても、支障はあまりないのではないかと思います。
※http://www.chikumashobo.co.jp/new-chikuma/index.html
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> @不起訴になる(なった)として)、羽幌病院の問題とその処分決定をどうとらえるか。
まず、自発呼吸がなかった人に呼吸器をつけて、はずしたら死に至るのは当然で、とりはずしと死亡との因果関係が薄いから不起訴というのはよくわからない。
そして、(今年になって明らかになった――実際には全然明らかになっていないが――射水での事件も同じだが)どんな状態の人に何がなぜなされたのかわからない。起訴/不起訴にかかわらず、そのことは明らかにされるべきだ(べきだった)。
あと数時間の命だったということだが、それなら、呼吸器をつけたまま、その数時間を待てばよいではないか。
医師の不起訴を求める運動もあったと聞く。きっとまじめで熱心な医師なのだろう。しかしその人が、呼吸器をはずしたその理由が結局わからない。わからないというか、その人がどのぐらい強い信念としてもっていたのかは知らないが、その考えは間違っていると思う。
その人は「脳死」と説明し*、「家族の負担」を考えたという**。
脳死状態という説明は誤った説明だったのだが、脳死状態だったとすれば、あるいはそれに近い状態でも、本人の苦痛はない。
そして、家族に負担がかかることを死を早める理由にするのは、やはりよくないだろう。(ただ、今回の場合は、あと数時間で、ということなのであれば、格別の負担があったわけでもない。やはりよくわからない。)
そしてそれは、その人がよい人であっても、言った方がよいと思う。その人に「悪意」があったなどとはまったく思わない。しかし「善意」で行ったことなのに起訴されそうになってかわいそう、といった話で終わらせられ、さらに、起訴されたり刑罰が科せられたりすることのないように法律を作ろう、変えよう、という流れになるのはよくない。
はずした人本人を責めようというのではない。ただ、いったい何があったのか、なぜそういうことを、その人は、また私たちはしてしまうのか、そのことがさきに問われるべきことだ。そうしたことが射水での事件(の報道)でも羽幌での事件(の報道)でも明らかになっていない。そんな状態のまま、起訴が取り下げられ、何が起こったかは明らかにならないなら残念だ。
*『毎日新聞』2005年04月27日
「道立羽幌病院の呼吸器外し:殺人容疑で書類送検へ 医師の殺意、立証可能−−道警判断」
「調べでは、病院側は昨年2月14日午後、食事をのどに詰まらせ、心肺停止状態となった男性患者に人工呼吸器を装着した。その後、女性医師は「脳死状態で回復の見込みはない」と家族に人工呼吸器を外すことを提案。翌15日午前、人工呼吸器を外して男性患者を死亡させた疑いが持たれている。」
**『毎日新聞』2005年04月27日
「道立羽幌病院の呼吸器外し:殺人容疑で書類送検へ 医師の殺意、立証可能−−道警判断」
「[…]女性医師は調べに対し、「家族の負担も考えて(呼吸器外しを)相談した。合意は得ていた」と供述したという。」
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> A羽幌病院や富山県・射水市民病院などの問題が公になると、「延命治療中止のガイドライン作り」「尊厳死法制化」を求める声も高まることがあるが、これらをどのようにみているか。
どうしたらよいのか、いけないのか、それはなぜなのかを議論するというのなら、それもよいだろう。しかし、今の流れは、よいことをしているのに、罰せられる可能性があるから、罰せられないようにしようという方向のものだ。それはおかしい。今回の事件で、してよいことがされたと考えられない。「ルール作り」をしたい人は、なぜ、死を早めることが認められるべきなのか、その理由をはっきり言ってほしい。*
*『毎日新聞』2006年06月04日
「北海道・道立羽幌病院の呼吸器外し:女性医師不起訴強まる 「死亡との因果関係薄い」」
「[…]◇捜査の行方
「同地検の捜査が長期化した背景の一つに、延命治療中止の是非を示した公的な指針やルールが存在しないことがある。
厚生労働省は医療現場の混乱を避け、終末期医療への国民的関心の高まりに応えるためにルール作りを進めている。
射水市民病院の呼吸器外し問題が発覚したことで、今回の事件が類似ケースとして注目を集めるようになった。検察幹部は「遺族や国民が納得できる処理をしたい」と話している。」
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> B尊厳死法制化とは別に、厚生労働省の研究班や専門学会で、終末期医療のガイドライン作りも進められているが、「ガイドライン」は必要だと思うか。その理由は何か。
Aと同じ。現行の法よりも死を早めることが許容されるべきだと考える人たちは、そのわけをきちんと言ってほしい。この数か月、射水市民病院での事件の関連で、早めてよいという主張がたくさんされているが、メディアは日本尊厳死協会のみなさん他の主張がおおいに宣伝される場となったわけだが、しかしそれらのすべてで、納得できる理由は示されていない。
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> C「延命治療の中止」問題について議論するとき、注意しなければならないこと。
ABと同じ。射水の事件にしても羽幌の事件にしても、あんなことをしてよかったんだろうかという方向でなく、よいことにしてしまった上で、法的にも認めてしまおうといった流れの話になっている。それはよくないと思う。
脳死の問題のときにはそれなりの議論があったし、今もある。いま問題になっているのは、一つに遷延性意識障害(いわゆる植物状態)だが、この状態は脳死の状態よりさらに微妙な状態だ。であるのに、たいへん安直に話が進んでしまっているところがある。それはよくないと思う。
「停止」が周囲の負担・都合でなされてならないことにはついては認めてもらえるだろう。すると「停止」は本人にとってよいという理由でなされることになる。それが本人にとってよいことである理由をきちんと言ってほしい。本人にとってよいといったことはそうそうはない。この事件の場合についても言えないはずだ。
◆cf.2005/05/18 立岩 真也
道立羽幌病院での事件についてのコメント
NHK旭川放送局の取材に