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立岩真也「どういうふうに喧嘩をするのか、その方法論もあったほうがよい――何がおもしろうて読むか書くか 第3回」
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どういうふうに喧嘩けんかをするのか、その方法ほうほうろんもあったほうがよい

なにがおもしろうてむかくか だいかい

立岩たていわ しん 2017/10/25
『Chio』3 別冊べっさつ「Chio通信つうしん
http://www.japama.jp/cgi-bin/event.cgi#4
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『私的所有論  第2版』表紙

表紙ひょうし写真しゃしんクリックで紹介しょうかいぺーじへ]

説明せつめい
 『ちいさい・おおきい・よわい・つよい』は116ごうから単行たんこうほん仕立したてになった。116ごう浜田はまだ寿ことぶき美男よしおさんの『おやになるまでの時間じかん』。ほんぺーじ別途べっとつくるが、まずは注文ちゅうもん[amazon][kinokuniya]
 わたしはその別冊べっさつ『Chio通信つうしん』に短文たんぶんせることになっている。この『Chio通信つうしん』は『ちいさい・おおきい・よわい・つよい』を定期ていき講読こうどくするとそのおまけ(特典とくてん)としてついてくるという趣向しゅこうのもの。以下いか広告こうこくがあった。
http://karaimo.exblog.jp/26367357/

だい03ごうのおらせ:https://twitter.com/japama_official/status/923752263700553728


 「ものをく、ことについてこうということにとりあえずしたのだが、そのまえに、んでいる時期じきがあった。わたし場合ばあい時期じき時期じきとがかれている。学者がくしゃというと、いちにちちゅうなにかんでいるひとおもわれているのかもしれないが、わたし場合ばあいちがう。つとさき関係かんけい様々さまざま仕事しごと以外いがいは、いているといちにちわり、いちねんわる。そうしてもうじゅう以上いじょうってしまった。ものをむ、ひとからまなぶというのが仕事しごとのはずなのだから、とてもよいことではないが、時間じかんがないのだから、仕方しかたがない。
 そのまえじゅうねんぐらい、わたしはただの文学ぶんがく少年しょうねんだった。いや、文学ぶんがく以前いぜんに、そこらにあるものをんでいた。田舎いなかには学校がっこう図書としょしつ公民館こうみんかん図書としょしつぐらいしかなかった。いえにあった、祖母そぼがたぶんぎりでっていた『いえひかり』という農協のうきょうのけっこうあつ月刊げっかんとか、はは化粧けしょうひんったのでおくられていた『はな椿つばき』という、これはぺらぺらの資生堂しせいどうのPRとか、なぜかいくつかはあった『らしの手帖てちょう』とか、なんでも。みっちがおとうとはそういう傾向けいこうではまったくなかったし、いまでもそうだ。おやどもへのたいかたはなにもかわらなかったとおもう。どうしてそういう傾向けいこうちがいがしょうじたのかまるでわからない。そんなものだとおもう。
 それはやがて文字もじあつか仕事しごとにつくことに関係かんけいはしただろう。その仕事しごといたこともふくめ、ものをんのだがよかったかどうか、わからない。ただひとつ、文字もじむことにかぎらないが、のまわりの世界せかいべつのものがある、とる・かんじるというのはおおくの場合ばあいによいことだとおもう。それも「次善じぜんさく」、というようなもので、本当ほんとうは、いまいる世界せかい幸福こうふくなのがよいのかもしれない。しかしわたしたちがんでいるのはこのであり、そのこのにはなかなかつらいところもある。そこでべつの、ということだ。
 わたしは、そんなにしんくはなかったとおもうが、まず圧倒的あっとうてき退屈たいくつだった。そして、前回ぜんかいいたが、学校がっこうはつまらないし、つぎに、まちがっているとおもわれた。というか、これはまちがっている、とおもえるというのは、ときにとても大切たいせつなことだとおもう。それはたんなる逃避とうひでもあったかもしれない。だがまず、たんなる逃避とうひのなにがわるい、ということはある。わるくはない。ただ、げているだけだとてきはそのままだから、くやしい、ということはある。これはまちがっている、とおもえるなら、それにたいして具体ぐたいてきたたかうまでにいたらなくても、よいことだ。
 そういう気分きぶんになれるためには、いまなら『ち・お』とかがよいのかもしれない。この雑誌ざっしはたぶん、どもよう雑誌ざっしではないのだろうが、それでかまわないとおもう。というか、どもようほんは、かなりよくできたものであっても、やはりども(よう)の世界せかいのもので、あまりそこからはなれるということにならないかもしれない。と、いまおもった。
 大人おとなになって、東京とうきょうてきて、周囲しゅうい様子ようすいてわかったことだが、たとえば東京とうきょう中央ちゅうおうせん沿いの住宅じゅうたくがいなんかにんでいるようなどもは、『ナルニアこく物語ものがたり』であるとか、『指輪ゆびわ物語ものがたり』であるとか、そういうものをおやってきて、んでいたようだ。いまなら『ハリー・ポッター』みたいなものだろうか。わたしは、なんと、『ナルニアこく物語ものがたり』という物語ものがたりがあること自体じたい大人おとなになるまでまったくらなかった(そしていまんでない)。きっとおもしろいとおもう。むとよいとおもう。ただそういうものをむと、なんか、「あい大切たいせつだ」、みたいなことになるんだろうか。それもよいだろう。ただ、「大人おとな(たち)はこういうもん」、といったもののほうが、とはわないが、そういうものもよいようにおもえ
 つまりは、[…]」


UP:2017 REV:
立岩たていわ しん  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇身体しんたい現代げんだい歴史れきし
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