(Translated by https://www.hiragana.jp/)
瀬戸山晃一
HOME > WHO >

瀬戸山せとやま 晃一こういち

せとやま・こういち


瀬戸山せとやま 晃一こういち(せとやま こういち)

大学だいがく研究けんきゅうしゃ総覧そうらん http://www.dma.jim.osaka-u.ac.jp/view?l=ja&u=4556
個人こじんホームページ  http://ksetoyama.com/index.html
けんホームページ  http://ksetoyama.com/gpgd2010/
公共こうきょうけんにおける科学かがく技術ぎじゅつ教育きょういく研究けんきゅう拠点きょてん http://stips.jp/
リーディング大学院だいがくいんちょういきプログラム http://www.cbi.osaka-u.ac.jp/staff/

研究けんきゅう業績ぎょうせき

 *以下いかはたいへんふる情報じょうほうです。上記じょうきかくページをごらんください。

◆1996  「医療いりょう倫理りんりにおけるパターナリズムの射程しゃてい
 文部省もんぶしょう平成へいせい年度ねんど科学かがく研究けんきゅう助成じょせいきん総合そうごう研究けんきゅう(A)『応用おうよう倫理りんりがくあらたな展開てんかい――倫理りんりがくにおけるマクロてき視点してんとミクロてき視点してん総合そうごうをめざして』132ぺーじ以下いか。(課題かだい番号ばんごう06301005、研究けんきゅう成果せいか報告ほうこくしょ1996ねん)所収しょしゅう研究けんきゅう代表だいひょうしゃ佐藤さとうかんくに教授きょうじゅ
◆1996  「ほう介入かいにゅう正統せいとうしょ原理げんり
 松村まつむら和徳かずのり住吉すみよし雅美まさみへん法学ほうがく最前線さいぜんせんまどしゃ1996ねん,59ぺーじ以下いか
◆199706 「現代げんだいほうにおけるパターナリズムの概念がいねん──その現代げんだいてき変遷へんせん法理ほうりろんてき含意がんい
 『阪大はんだい法学ほうがくだい47かんだい2ごう(1997ねん6がつごう)233ぺーじ以下いか
◆1998   「自己じこ決定けっていけんとパターナリズム──インフォームド・コンセントと「がん告知こくち問題もんだい中心ちゅうしんに」
 竹下たけしたけん角田つのだたけし編著へんちょ『マルチ・リーガル・カルチャー──ほう文化ぶんかへのアプローチ』あきらよう書房しょぼう1998ねん、72ぺーじ以下いか
◆20010930 「法的ほうてきパターナリズムと人間にんげん合理ごうりせいいち)──行動こうどう心理しんりがくてきほう経済けいざいがく」のはんはんパターナリズムろん」 『阪大はんだい法学ほうがく』51-3(213):589-613 ※おく抜刷ぬきずり
◆2001130 「法的ほうてきパターナリズムと人間にんげん合理ごうりせいかん)──行動こうどう心理しんりがくてきほう経済けいざいがく」のはんはんパターナリズムろん」 『阪大はんだい法学ほうがく』51-4(214):753-775 ※おく抜刷ぬきずり
◆20020320 「遺伝子いでんし情報じょうほう異質いしつろん批判ひはんてき検討けんとう遺伝子いでんし情報じょうほう特殊とくしゅせい医療いりょう情報じょうほうとの区別くべつ可能かのうせい――たして遺伝子いでんし情報じょうほう独自どくじ特質とくしつゆうしているのか?」
 『医療いりょう生命せいめい倫理りんり社会しゃかい』Vol.1 No.2
 http://www.med.osaka-u.ac.jp/pub/eth/OJ1-2/setoyama.htm
 http://www.med.osaka-u.ac.jp/pub/eth/OJ1-2/index.html
 cf.遺伝子いでんし

翻訳ほんやく

ともやく:Richard A. Epstein, TAKINGS, Harvard U.P., 1985.
  松浦まつうら好治こうじ 監訳かんやく木鐸ぼくたくしゃ2000ねんだいしょう・8しょう担当たんとう)。
ともやく:Will Kimlicka, MULTICULTURAL CITIZENSHIP, Oxford U.P., 1995.
   角田つのだたけしこれ石山いしやま文彦ふみひこ へんやくあきらよう書房しょぼう1998ねん (だいしょうどもやく)。

●その

修士しゅうし論文ろんぶん現代げんだいにおけるパターナリズムろん射程しゃてい」(1994ねん
卒業そつぎょう論文ろんぶん「リベラリズムとパターナリズム」(1992ねん
◆「パターナリズムと自己じこ決定けっていけん」(成城大学せいじょうだいがく法学ほうがくろんほう学生がくせい紀要きようだいごう1992ねん

◆「自己じこ生命せいめい処分しょぶんについて」(1991年度ねんどだい12かい成城大学せいじょうだいがく学長がくちょう懸賞けんしょう論文ろんぶん最優秀さいゆうしゅうしょう
しょう
◆「安楽あんらくとその立法りっぽうについて」(成城大学せいじょうだいがく法学ほうがくろんほう学生がくせい紀要きようだいごう1990ねん

 
--------------------------------------------------------------------------------

瀬戸山せとやま晃一こういち 199706 「現代げんだいほうにおけるパターナリズムの概念がいねん──その現代げんだいてき変遷へんせん法理ほうりろんてき含意がんい
 『阪大はんだい法学ほうがく』47-2:233-261
 紹介しょうかい作成さくせいといさわ吉彦よしひこ

はじめに―問題もんだい所在しょざい本稿ほんこう目的もくてき方法ほうほうろん限定げんてい

ほうは、どこまで我々われわれ自己じこ決定けってい自由じゆう正統せいとう制約せいやくるのか」233

本稿ほんこうでは、自己じこ決定けってい自由じゆう自律じりつ人間にんげん存在そんざいにとってきわめて重要じゅうよう価値かちとし、ほうによってその自己じこ決定けってい行使こうし自由じゆう)を制約せいやくする場合ばあいには、当該とうがいほう規制きせい主体しゅたいがわ)に目的もくてき動機どうきとしていかなるものを正統せいとう根拠こんきょとしえるかという挙証きょしょう責任せきにんし、自己じこ決定けっていおよぼす影響えいきょう危害きがい)の視角しかくから批判ひはんてき考察こうさつしていこうとする知的ちてき伝統でんとうなか検討けんとうすすめる・・・えいべいのリベラリズムの伝統でんとうてき方法ほうほうろんぞくするものであり・・・」233‐234

「しかし、高度こうど発達はったつし、専門せんもんすすんでいる現代げんだい社会しゃかい福祉ふくし国家こっかにおいては、刑法けいほうじょうのいわゆる「被害ひがいしゃなき犯罪はんざい」や、私法しほうじょう契約けいやく自由じゆうたいする様々さまざま法的ほうてき規制きせい制約せいやくなどの、かならずしも他者たしゃ危害きがいおよぼさないほう規定きていほう制度せいどほう政策せいさくなどミルの「危害きがい原理げんり」ではその正統せいとうせいかならずしも充分じゅうぶん説明せつめい不可能ふかのうおもわれるほう現象げんしょう多数たすう存在そんざいしている」
従来じゅうらい議論ぎろんにおいては、これらの危害きがい原理げんりでは、その正当せいとうせい充分じゅうぶん証明しょうめいしえないほう自由じゆうへの介入かいにゅうを、社会しゃかい全体ぜんたい道徳どうとく秩序ちつじょ維持いじといった「モラリズム」てき原理げんりによって説明せつめいされてきた。しかし、社会しゃかい人々ひとびとあいだに「尊厳そんげん」と「自由じゆう主義しゅぎてき価値かち体系たいけい」が定着ていちゃくし、社会しゃかい多数たすう共有きょうゆうする実定じってい道徳どうとくしつけにたいし、批判ひはんてき風潮ふうちょう醸成じょうせいされていくなかで、モラリズム以外いがいのリベラリズムの立場たちばからも許容きょよう可能かのう制約せいやく原理げんり模索もさくされることになる。そこでその正統せいとうせい説明せつめい原理げんりとして注目ちゅうもくされ登場とうじょうする自由じゆう制約せいやく原理げんりが、本人ほんにん自己じこ決定けってい他者たしゃにではなく「本人ほんにん自身じしん利益りえき」にあたえる影響えいきょう法的ほうてき介入かいにゅう説明せつめい根拠こんきょとする「パターナリズム」である」234−235

本稿ほんこう考察こうさつ対象たいしょうとするのはパターナリズムの概念がいねん現代げんだいてき変遷へんせんとその含意がんいさい検討けんとうである」235

「なぜなら、のちべるように、パターナリズムの定義ていぎとその是非ぜひ峻別しゅんべつし、パターナリズムの射程しゃてい範囲はんい明確めいかくにし、パターナリズムの概念がいねん価値かち中立ちゅうりつてきとらえることによって、はじめてパターナリズムの可能かのうせい限界げんかい考察こうさつ学問がくもんじょう可能かのうとなるとかんがえるからである」235

@(中村なかむら教授きょうじゅ論文ろんぶんから10ねん経過けいかしているが)「日本にっぽんにおいてその研究けんきゅう成果せいか含意がんいについての考察こうさつ」が不十分ふじゅうぶんであり、
A日本にっぽんでは「あたまから否定ひていされるべきものとして『パターナリズム』がとらえられ」、分析ぶんせき概念がいねんとして適切てきせつ把握はあくされておらず、
BAのようにすで価値かち判断はんだんふくまれて理解りかいされているため、「パターナリズムの射程しゃてい範囲はんい確定かくてい曖昧あいまいとなり、パターナリズムの必要ひつようせいとその意義いぎならびにその機能きのう問題もんだいせい学問がくもんじょう客観きゃっかんてき分析ぶんせき考察こうさつし、認識にんしきすることがさまたげられているとつよかんじているからである」236

だいしょう 日本にっぽんにおける「パターナリズム」のとらえられかた特質とくしつ
(モラリズムに対抗たいこうする原理げんりとして)「この文脈ぶんみゃくにおいては一般いっぱんにパターナリズムは、既存きそんほう規定きていほう制度せいどほう政策せいさく説明せつめい正当せいとうせい原理げんりとしてとらえられ」、
(リベラリズム(リバタニアリズム)からは)「・・・その文脈ぶんみゃくにおいては、パターナリズムが非難ひなんされるべき、しき用語ようごとしてもちいられている」237
(さらに医療いりょう分野ぶんやでは)「・・・パターナリズムは患者かんじゃ自己じこ決定けっていやインフォームド・コンセント(中略ちゅうりゃく)や自律じりつ蹂躙じゅうりんする、時代遅じだいおくれのふるき、しき医師いしの「独善どくぜんてき専断せんだんてき権威けんい主義しゅぎてき態度たいど非難ひなんする文脈ぶんみゃくで、根絶こんぜつされるべき「おまかせ医療いりょう」の代名詞だいめいしとしてもちいられ、悪玉あくだまのレッテルがられ、とらえられている」238
 等々とうとう・・・238


一方いっぽうで、「パターナリズム」の用語ようごは、現代げんだい福祉ふくし国家こっか行政ぎょうせい国家こっかにおける「過剰かじょう法規ほうきせい」や「余計よけいほう介入かいにゅう」を批判ひはんする常套じょうとう文句もんくとして否定ひていてき含意がんいめて「専断せんだんてき権威けんい主義しゅぎ」「家父かふちょう主義しゅぎ」「おおきなお世話せわ」「余計よけいなお節介せっかい」「善意ぜんいしつけ」などとほぼ互換ごかん可能かのう同意どうい表現ひょうげんとして非難ひなんてきもちいられ、他方たほうでは様々さまざまほう現象げんしょう説明せつめいする正当せいとう根拠こんきょ原理げんりとして「正当せいとうされるもの」としてろんじられているという相反あいはんする文脈ぶんみゃくもちいられているということができる」238

だいしょう えいべいにおけるパターナリズム概念がいねん現代げんだいてき展開てんかい
(1)目的もくてき動機どうき根拠こんきょ―パターナリズムの理念りねん
すべての論者ろんしゃのパターナリズムのしょ定義ていぎ共通きょうつうする要素ようそは、その介入かいにゅうけるもの自己じこ決定けってい選択せんたく、それにもとづく行動こうどう行為こういの「他者たしゃ」や「社会しゃかい道徳どうとく」ではなく、「本人ほんにん自身じしん」にあたえる影響えいきょう問題もんだいとし、「ほう介入かいにゅうけるもの自身じしんのため」というあいてき善行ぜんこうてき動機どうきづけをほう介入かいにゅう目的もくてきとしていることである。これはパターナリズムの概念がいねんにおいて、いかなる定義ていぎにおいてもかすことの出来できない核心かくしんてき要素ようそであるので、「パターナリズムの理念りねん」とぶこととする」241→「ケア」
 →実際じっさいに「本人ほんにんのため」になるかどうかはさだかではない。

(2)正当せいとうせい価値かち判断はんだん定義ていぎ正当せいとうろん峻別しゅんべつ
いちきゅうなな年代ねんだいのパターナリズムの様々さまざま議論ぎろんをふまえたうえはち年代ねんだいにパターナリズムの体系たいけいしょあらわしたJ・クライニグやD・バンデビアは、ハートやドゥオーキンが定義ていぎ正当せいとう要素ようそふくめ、パターナリズムという言葉ことばが、すで価値かち判断はんだん付与ふよされてもちいられていることを批判ひはんする」242
近年きんねんえいべいのパターナリズムろんはこのように定義ていぎ正当せいとうろん分離ぶんり峻別しゅんべつしていっているところにひとつの主要しゅよう特徴とくちょうがあるといえる」242
「ハートのように正当せいとうされる利他りたてき介入かいにゅうのみをパターナリズムとしたり、ぎゃく正当せいとうされない利他りたてき介入かいにゅうのみをパターナリズムとすると正当せいとうろん先取さきどりして定義ていぎちこむことになり、各々おのおの論者ろんしゃによって正当せいとう範囲はんいことなっているため、パターナリズムの事例じれい範囲はんい曖昧あいまいにしてしまうと同時どうじに、正当せいとうろん客観きゃっかんてき分析ぶんせき阻害そがいし、パターナリズムの議論ぎろんいたずら混乱こんらんさせてしまうことになる」242

(3)介入かいにゅうしゃの「自己じこ決定けってい能力のうりょく」と「意思いし不一致ふいっち」―よわいパターナリズム―
「・・・能力のうりょく前提ぜんていにすることは、それらが定義ていぎさいそなわっているか確定かくていできていなければならない。しかし、どれだけの判断はんだん能力のうりょくがあれば、その判断はんだん有効ゆうこうであるとみなすのか、あるいは、どれだけの自己じこ決定けってい阻害そがい要因よういんみとめられれば、その「自己じこ決定けってい」を「任意にんいてきでない」とみなすのかという問題もんだい確定かくていは、異論いろん余地よちなく容易ようい一義的いちぎてき客観きゃっかんてき認定にんていできるものではなく、論者ろんしゃによって同意どうい能力のうりょく線引せんひきの閾値がことなる道徳どうとくてきにコントロバーシャルな意見いけんかれる問題もんだいであり・・・」243

はじめはパターナリズムにこととなえていた自律じりつてきものが、恒常こうじょうてきなパターナリズムによって受動じゅどうてき他力本願たりきほんがんてき依存いぞんする他律たりつてき存在そんざいへと家畜かちく幼児ようじされ、そのパターナリズムにもとづくほう介入かいにゅう次第しだい同意どうい承諾しょうだくするようになった場合ばあい、このような場合ばあいにこそパターナリズムのしん問題もんだいせいひとつがあるにもかかわらずパターナリズムではないということになってしまいパターナリズムの問題もんだいせいとその批判ひはんてき考察こうさつ余地よちおおかくしてしまうことになり問題もんだいであるようにおもわれる」244

(4)手段しゅだん方法ほうほう強制きょうせいてき情報じょうほう操作そうさとしてのパターナリズム―
「このよう自己じこ決定けってい絶対ぜったいし、本人ほんにん自身じしんのために自己じこ決定けっていのぞんでいないものや、他者たしゃ決定けってい他律たりつてきゆだねる決定けっていおこなっているものたいし、その意思いし無視むしし、自己じこ決定けっていけることはまぎれもなくパターナリズムにならないことになる。したがって、だいいちしょうでみたような、パターナリズムとインフォームド・コンセントを対立たいりつしたものとしてとらえ、パターナリズムは自己じこ決定けっていつね否定ひていするものであるとのいちめんてき認識にんしき図式ずしき見直みなおされる必要ひつようがあるとおもわれる」246


(5)態様たいよう形態けいたい危害きがい原理げんりとの区別くべつ可能かのうせい
高度こうど複雑ふくざつした現代げんだい社会しゃかいは、現代げんだいほう多様たよう変容へんようみ、「ほう射程しゃてい範囲はんい限界げんかい」の問題もんだいも、自由じゆうたいする法的ほうてき強制きょうせいだけでなく、ほうによる規制きせい制約せいやく制限せいげん干渉かんしょう介入かいにゅう操縦そうじゅう(manipulation)・配慮はいりょ保護ほご後見こうけんといったほう現象げんしょう多様たよう側面そくめん形態けいたい視野しやおさめつつ検討けんとうすすめることが不可欠ふかけつである」248

(6)危害きがい内容ないよう―モラリズムとの区別くべつ可能かのうせい
「これにたいしC・L・テンは、「決定けってい」の側面そくめんと「帰結きけつ」の側面そくめん区別くべつし、デブリンは帰結きけつ側面そくめんしか考慮こうりょしていないのでパターナリズムとモラリズムを混同こんどうしていると批判ひはんし、「決定けってい」の側面そくめんにおいてパターナリズムは任意にんいてきでない決定けっていから本人ほんにん保護ほごするという動機どうきにもとづいており、共有きょうゆうされた社会しゃかい道徳どうとく保護ほご維持いじ自体じたい目的もくてきとするモラリズムとは区別くべつ可能かのうであるとしている」248−249

※ファインバーグ
 「リーガル・モラリズム」→「本来ほんらいてき不道徳ふどうとくであること」をもって根拠こんきょとする
「モラリズムてきリーガル・パターナリズム」→「行為こういしゃ自身じしんたいする道徳どうとくてき危害きがいみずからの道徳どうとくてき退廃たいはい堕落だらく)を防止ぼうしすること」
便益べんえき付与ふよてきリーガル・パターナリズム」→「・・・根拠こんきょ本人ほんにん道徳どうとくてき特性とくせい改善かいぜん向上こうじょう完成かんせい道徳どうとくてきな・・・」249

だい3しょう 価値かち中立ちゅうりつてきひろ概念がいねん定義ていぎとその法理ほうりろんじょう含意がんい
(1)えいべいにおけるパターナリズム概念がいねん定義ていぎ特徴とくちょう
近年きんねんのパターナリズムの特徴とくちょう典型てんけいてきあらわしているふたつの定義ていぎ
J・クライニグ(クライニッヒ)
「・・・個人こじん主義しゅぎてき観点かんてんから自由じゆう主義しゅぎてき伝統でんとうなか位置いちづけたうえで、「 ― 」・・・」249
 →もっぱら「分析ぶんせき概念がいねん」として

J・カルトジェン(John Kultgen)
「・・・ケアの観点かんてんからパターナリズムをとらがえし・・・「ある行為こういがパレンタリズムてきであるのは、それがかれ[干渉かんしょうしゃ]の同意どういとは関係かんけいなく、かれ利益りえきのためのかれせいへの干渉かんしょうとなっている場合ばあいである」([ ]ない引用いんようしゃ)と非常ひじょうゆるやかに定義ていぎしている」250

→「すなわち、行為こういしゃ客体かくたい影響えいきょうあたえることのできるものすべてとし、客体かくたいにパレンタリズムによって直接ちょくせつ間接かんせつ影響えいきょうけうるすべてのものふくめ、目的もくてき客体かくたい危害きがい防止ぼうし利益りえき増進ぞうしんとし、手段しゅだん強制きょうせいあざむき、情報じょうほう開示かいじなど客体かくたい利益りえき影響えいきょうあたえるものすべてをふくむようひろくパターナリズムをとらえている。そして福祉ふくし政策せいさく国家こっか安全あんぜん保障ほしょうまで、国家こっかによるパレンタリズムが具体ぐたいてき問題もんだいとなる領域りょういきとして考察こうさつしている」250

「・・・そして、パターナリズムの概念がいねん定義ていぎ正当せいとう完全かんぜん分離ぶんりし・・・正当せいとうろんにおいてはじめてそのパターナリズムの定義ていぎ該当がいとうする介入かいにゅう行為こうい規範きはんてき評価ひょうか価値かち判断はんだん)が考察こうさつされるようになってきている」251

(2)価値かち中立ちゅうりつてきひろ概念がいねん定義ていぎほう理論りろんじょう含意がんい
「・・・価値かちてきにニュートラルにひろ分析ぶんせき概念がいねんとしてとらえることは、(T)パターナリズムの問題もんだいせい隠蔽いんぺいされてしまい、(U)パターナリズムの正当せいとう範囲はんい拡大かくだいされるのではないか。あるいは(V)正当せいとうされないまでも、パターナリズムの適用てきよう範囲はんい拡大かくだいし、ほう現象げんしょうほとんどのものがパターナリズムの事例じれいとみなされてしまい、たとえば、福祉ふくし立法りっぽうなどは、分配ぶんぱいてき正義せいぎ実質じっしつてき平等びょうどう社会しゃかいけんなどの概念がいねん説明せつめい可能かのうであり、わざわざパターナリズムをさなくともいのではないか、という反論はんろん予想よそうされる」252


(T)については・・・
   →むしろ意義いぎ問題もんだいせい可視かしするための準備じゅんび作業さぎょうである
(U)については・・・
  →概念がいねん定義ていぎ正当せいとう要件ようけん区別くべつしていないことからくる疑問ぎもんである
(V)については・・・
  →「・・・したがって、福祉ふくし立法りっぽうをパターナリズムの事例じれいとしてとらえ、その是非ぜひ考察こうさつすることは、正義せいぎ平等びょうどう権利けんり問題もんだいとしてとらえることを排除はいじょするものではない。むしろ、正義せいぎ平等びょうどう権利けんり観点かんてんから考察こうさつされている事例じれいを、パターナリズムということなったアングルからのさい検討けんとう可能かのうにし議論ぎろんふかめるところにパターナリズムろんひとつの実践じっせんてき意義いぎがあるとおもわれる。現実げんじつ様々さまざま具体ぐたいてきほう規制きせいは、危害きがい原理げんり、パターナリズム、モラリズムの交錯こうさくとしてとらえられる」253

おわりに―暫定ざんていてきまとめ―
「・・・パターナリズムと自己じこ決定けってい論理ろんり必然ひつぜんてき対立たいりつするものとしてとらえる理解りかい再考さいこう余地よちがあることや・・・」254

「パターナリズムは、リベラリズムにとって正当せいとうされるものとされないものがあるとされ、その正当せいとう範囲はんいおなじリベラリズムに立脚りっきゃくする論者ろんしゃにおいても意見いけんかれる限界げんかいゾーンである。おそらくそれは、自発じはつてき奴隷どれい契約けいやく自殺じさつの「自己じこ決定けってい」などのように「自己じこ決定けってい自由じゆう」は、自由じゆう放棄ほうき自己じこ決定けってい存立そんりつ基盤きばん可逆かぎゃくてきあるいは修復しゅうふく不可能ふかのうなまでに侵害しんがいしてしまう可能かのうせいゆうしており、そこには「自由じゆうみずか阻害そがい放棄ほうきすることになる自己じこ決定けってい自由じゆうをどこまでリベラリズム許容きょようしえるのか?」という理論りろんないてきアポリアが存在そんざいしているからであるようにおもわれる。このいにこたえるひとつのアプローチとして、パターナリズムろん意義いぎるとかんがえる」254

「・・・また不合理ふごうり選択せんたくをする存在そんざいである・・・。このようなリベラリズムが前提ぜんていとする人格じんかくぞうからはずれて、自己じこ危害きがいこしてしまう自己じこ決定けっていおこなものや、自己じこ決定けってい自体じたいなんらかの内的ないてき外的がいてき影響えいきょうによって任意にんいてき自発じはつてきとはなされない場合ばあいをいかにあつかうべきであるのかという問題もんだいふかくかかわっているのがパターナリズムの是非ぜひ問題もんだいである」255

 
--------------------------------------------------------------------------------

瀬戸山せとやま 晃一こういち 2001 「法的ほうてきパターナリズムと人間にんげん合理ごうりせい(T)──行動こうどう心理しんりがくてきほう経済けいざいがく」のはんはんパターナリズムろん」、『阪大はんだい法学ほうがく』51(3)
 紹介しょうかい作成さくせいといさわ吉彦よしひこ

はじめに
あらたなしん潮流ちょうりゅうとして・・・
「・・・人間にんげん行動こうどう合理ごうりせい概念がいねんをめぐって展開てんかいされている・・・。「行動こうどう心理しんりがくてきほう経済けいざいがく』(Behavioral Law Economics)」である」34

法的ほうてきパターナリズム(Legal Paternalism)とは、法的ほうてき規制きせい介入かいにゅう正統せいとうせい根拠こんきょとして、規制きせいされるしゃ自身じしんひろ意味いみでの利益りえき保護ほご増進ぞうしん意図いとするものを理論りろんないし原理げんりをいう。したがってパターナリズムは、社会しゃかい道徳どうとくはんする行為こうい法的ほうてき禁止きんし道徳どうとく強制きょうせい主義しゅぎ(Legal Moralism))や、第三者だいさんしゃ社会しゃかい全体ぜんたいへの危害きがい防止ぼうし目的もくてきとする法的ほうてき規制きせい介入かいにゅう危害きがい防止ぼうし原理げんり(Harm Principle))から区別くべつされるものである」34

他方たほう、「ほう経済けいざいがく」あるいは「ほう経済けいざい分析ぶんせき」とばれる潮流ちょうりゅうも、パターナリズムの議論ぎろん隆盛りゅうせいしはじめるのとほぼどう時期じきいちきゅうななねんにミクロ経済けいざいがく法学ほうがく応用おうようした・・・。そこにおける問題もんだい意識いしきは、しゅとして自由じゆう市場いちばへの政府せいふ法的ほうてき規制きせい介入かいにゅう法的ほうてき判断はんだん効率こうりつせいをミクロ経済けいざいがく分析ぶんせきツールとすることによって批判ひはんてき検証けんしょうするというものであった」34

いちきゅうろく年代ねんだいからなな年代ねんだいにかけてのアメリカは、政府せいふ福祉ふくし国家こっかてきほう介入かいにゅうが、ジョン・ロールズ(John Rawls)の格差かくさ原理げんり代表だいひょうされる福祉ふくし国家こっかがたリベラリズムによって理論りろんてき正当せいとうられる一方いっぽうで、そのような市場いちば個人こじん私的してき領域りょういきへのほうたいする批判ひはんてき視座しざが、自由じゆう至上しじょう主義しゅぎ(リバタニアニズム)や、ほう経済けいざいがくなどによって強化きょうかされた時代じだいであったとえよう。パターナリズムの議論ぎろん出発しゅっぱつてん当時とうじのこのような知的ちてき雰囲気ふんいき無関係むかんけいではなかったであろう。すなわち、パターナリスティックなほう規制きせい介入かいにゅう増大ぞうだいしていくなかで、それらを批判ひはんてき検討けんとうしていこうとする問題もんだい意識いしきがパターナリズムろん根底こんていにはあったとえる」35

本稿ほんこうでは、パターナリズムろんほう経済けいざい分析ぶんせきべつながれにってしん理由りゆうは、それぞれが照準しょうじゅんとするしゅたる対象たいしょう領域りょういきがずれているためではなく、じつ両者りょうしゃって人間にんげん行動こうどうモデルにかんする基本きほん前提ぜんてい想定そうてい相違そういにあることをりにしていく」35

行動こうどう心理しんりがくてきほう経済けいざいがく」→「現実げんじつ人間にんげん一般いっぱんゆうする様々さまざま合理ごうりせい阻害そがい要因よういん」に着目ちゃくもく36

だい1せつ ほう経済けいざい学理がくりろんにおける人間像にんげんぞうとパターナリズム
「すなわち、ひとみずからの満足まんぞく人生じんせい目的もくてきなどの自己じこ利益りえき最大さいだいこころみる合理ごうりじんとらえられている。そして、その合理ごうりてき最大さいだいは、意識いしきてき計算けいさん限定げんていされるものではなく、精神せいしん状態じょうたいがどうであれ、合理ごうりてき選択せんたくモデルに一致いっちしているかぎり、行為こうい合理ごうりてきなされるものであるとする。つまり、意識いしきてきであれ無意識むいしきてきであれ、またそのひとゆうする目的もくてきなにであれ、その内容ないようわず、その目的もくてき最大限さいだいげん達成たっせいするために選択せんたくしていれば、合理ごうりてきとみなされるのである(合理ごうりてき選択せんたくモデル)」37
→(ちゅう11で)「またそのさい自己じこ利益りえきは、たんなる利己りこてきであることと混同こんどうされてはならなく、他人たにん幸福こうふく不幸ふこうみずからの満足まんぞく構成こうせいするものとして包含ほうがんできる射程しゃていゆうした概念がいねんであると説明せつめいしている」54

「ところがほう経済けいざいがくにおいては、(パターナリズムの対象たいしょうとなるような −ひざわちゅう上述じょうじゅつのように行為こうい自体じたい実質じっしつてき内容ないよう目的もくてきわず、またたとえ個人こじん特異とくいせいから合理ごうりせい逸脱いつだつする行為こうい意思いし決定けっていおこな場合ばあいがあっても、それは全体ぜんたいなか相殺そうさいされるアトランダムな例外れいがい誤差ごさにすぎず、合理ごうりせい仮説かせつ修正しゅうせいするまでにはおよばないものとしてかんがえられている」38

だい2せつ 行動こうどう心理しんりがくてきほう経済けいざいがく」の誕生たんじょう
※38−40を参照さんしょう
※サンステイン

だい3せつ 行動こうどう心理しんりがくてきほう経済けいざいがく」の問題もんだい意識いしきはんはんパターナリズム
すべての人間にんげんは・・・みずからの効用こうよう最大さいだいし、最適さいてきりょう情報じょうほうあつめるものとしてモデルされるとし、ほう経済けいざいがく仕事しごとは、市場いちば市場いちばにおけるそういった効用こうよう合理ごうりてき最大さいだい行動こうどう法的ほうてき含意がんい決定けっていすることであるとする。行動こうどう心理しんりがくてきほう経済けいざいがく」の議論ぎろん出発しゅっぱつてんは、ほう経済けいざいがく立脚りっきゃくするこのような人間にんげん行動こうどうかんする合理ごうりせいモデルにたいする懐疑かいぎにある」41→「これまでの」れいとしてアマルティア・セン「合理ごうりてきおろもの(rational fool)」

※このアプローチの意義いぎとして・・・
(1)「実証じっしょうてき考察こうさつ(positive task)」→「ほう内容ないよう効果こうか説明せつめい
(2)「処方しょほうてき考察こうさつ(prescriptive task)」→「社会しゃかいてきのぞましくない行動こうどう抑制よくせいするなどの特定とくてい目的もくてき達成たっせいするためにほうがいかに利用りようできる」
(3)「規範きはんてき考察こうさつ(normative task)」→「ほうシステムの目的もくてき検討けんとう
 →このみっつのうちで「パターナリズム」がさい評価ひょうかされるのは、「規範きはんてき考察こうさつ」において。42

※しかし、「これははんはんパターナリズムであって、パターナリズムの積極せっきょくてき擁護ようごではないとしている。なぜなら、限定げんていてき合理ごうりせいはパターナリスティックなほう介入かいにゅうしゃのみならず、国家こっか政府せいふなどの介入かいにゅうしゃにも同様どうようてはまるとかんがえられているからである」43


だい4せつ 行動こうどう心理しんりがく洞察どうさつ―バイアスと合理ごうりせいからの乖離かいり
「サンステインらは、伝統でんとうてきほう経済けいざいがく」の合理ごうりせい想定そうていであるホモ・エコノミクス(中略ちゅうりゃく)としての仮想かそうてき人間にんげん行動こうどうモデルにたいし、ほうにおける現実げんじつきる人間にんげん(real people)の行動こうどう含意がんい探求たんきゅうしようとする」44
 →そのうえで、「限定げんていてき合理ごうりせい」「限定げんていてき意志いしりょく」「限定げんていてき自己じこ理解りかい」のみっつの人間にんげん行動こうどうモデルに分類ぶんるいする。

(1)限定げんていてき合理ごうりせい(Bounded Rationality)
「つまり、我々われわれおおかれすくなかれ不完全ふかんぜん計算けいさん能力のうりょく記憶きおくしかゆうしていないということである。したがって現実げんじつ判断はんだんは、標準ひょうじゅんてき経済けいざいがくモデル想定そうていするようなバイアスから自由じゆう合理ごうりてき人間にんげんというシナリオからはシステマティックに乖離かいりしており、また現実げんじつ決定けっていはしばしば期待きたい効用こうよう理論りろん公準こうじゅんしたがっていない場合ばあい多々たたある」44

※そのうえで、法律ほうりつじょう考慮こうりょあたいするバイアスとして・・・
(A)極端きょくたん回避かいひ嫌悪けんお性向せいこう(Extremeness Aversion)
「これははしてきえば、人々ひとびと一般いっぱん極端きょくたんきら傾向けいこうがあるというものである」45

(B)あと知恵ちえバイアス(Hindsight Bias)
「これは、人々ひとびとは、いったんある出来事できごとしょうじると、それが実際じっさいにはたまたま偶然ぐうぜんしょうじたものであったとしても、必然ひつぜんてきこるべくしてしょうじたものであるとおもみがちであるというバイアスである」45

(C)楽観らっかん性向せいこうてきバイアス(Optimistic Bias=Overoptimism)
「たとえ統計とうけいてきデータや正確せいかく事実じじつ認識にんしき十分じゅうぶんゆうしていたとしても、過小かしょう評価ひょうかしがちであるというバイアスである」46

(D)現状げんじょう維持いじ志向しこうがた(Status Quo Bias)
「つまり、ある特定とくてい現状げんじょう人々ひとびと判断はんだん決定的けっていてき影響えいきょうあたえるという意味いみ合理ごうりてき判断はんだん制限せいげんするバイアスとされるのである」46

(E)自己じこ本位ほんいてき利己りこ主義しゅぎてき性向せいこう(Self‐Serving bias)
「つまり、人々ひとびともの自分じぶん評価ひょうかする以上いじょう自分じぶん評価ひょうかあたいするとかんがえがちである」46

(F)喪失そうしつ嫌悪けんおがた(Loss Aversion)
「これは、人間にんげん一般いっぱん現在げんざい所有しょゆうしているものをうしなうことをきらうという経験けいけんてき洞察どうさつである」47

(G)利用りよう可能かのうせいヒューリスティック(Availability Heuristics)
「・・・すなわち、最近さいきんみみにした出来事できごとは、たとえそれがたいした問題もんだいでなくとも法的ほうてき対応たいおう人々ひとびと要求ようきゅうしがちであり、また人種じんしゅ関係かんけいする犯罪はんざい環境かんきょう問題もんだいのように目立めだ事件じけんたいしては、法的ほうてき介入かいにゅう実際じっさい効果こうかてきかどうかにかかわらずもとめられやすいのにたいし、まらないものは実際じっさいには法的ほうてき対応たいおう必要ひつようであったとしても無視むしされがちであるという現象げんしょうむものである」47

(H)アンカーへの依存いぞんせい(Anchoring)
「これは、しばしば人々ひとびとは、はじめの価値かち(initial value)やアンカー(anchor)にもとづいて可能かのうせい判断はんだんしてしまいがちであるという経験けいけんてき洞察どうさつである」48

(I)前例ぜんれい依存いぞんせい(Case−based decisions)
「ありうるべきほか代替だいたいあん便益べんえき費用ひよう計算けいさんすることがむずかしい(判断はんだんコストがたかい)場合ばあいには、一般いっぱん人々ひとびとはその事例じれい自体じたい関連かんれんする費用ひよう便益べんえき考察こうさつすることなく、過去かこ事例じれいからの推論すいろんによってその複雑ふくざつせい単純たんじゅんしがちである」48


(J)精神せいしんてき金銭きんせん計算けいさん(Mental Accounting)
「これは、人々ひとびと日々ひび生活せいかつなか予算よさん管理かんりするにあたって、生活せいかつ充当じゅうとうよう学費がくひよう退職たいしょくよう旅行りょこうようといったように予算よさんけ、それぞれのなか金銭きんせん判断はんだんをするのが一般いっぱんてきである経験けいけんてき洞察どうさつ概念がいねんした用語ようごである」48

(2)限定げんていてき意志いしりょく(Bounded Willpower)
「これは現実げんじつ人間にんげんは、ある行動こうどうをとることが、自己じこ長期ちょうきてき利益りえきはんすることになることを十分じゅうぶん承知しょうちしたじょうでもなお、しばしばその行動こうどうをとってしまうという人間にんげん洞察どうさつである」49
→タバコ、ダイエットにはしること、クーリング・オフ制度せいどがあること等々とうとう

(3)限定げんていてき自己じこ利益りえき(Bounded Self‐interest)
→51−52を参照さんしょう
「・・・相互そうごてき公正こうせい要求ようきゅうし・・・」50
「この意味いみ行動こうどう心理しんりがくてきほう経済けいざいがく」における人間にんげんは、伝統でんとうてき経済けいざい理論りろん想定そうていする自己じこ利益りえき最大さいだいという仮想かそうてき人間にんげんモデルよりもくもわるくも行動こうどうする存在そんざいであるとする」50

みっつの限定げんていせい(バウンズ)のカテゴリーで通常つうじょうパターナリズムとの関連かんれんでより頻繁ひんぱん問題もんだいとなるとおもわれるものは、むしろ限定げんていてき合理ごうりせい限定げんていてき意志いしりょくであろう」51

 
--------------------------------------------------------------------------------

瀬戸山せとやま晃一こういち法的ほうてきパターナリズムと人間にんげん合理ごうりせい(U・かん):行動こうどう心理しんりがくてきほう経済けいざいがく」のはんはんパターナリズムろん」、『阪大はんだい法学ほうがく』51(4)、2001

だい5せつ 法理ほうりろんじょう含意がんい―パターナリズムと人間にんげん合理ごうりせい
(1)ファインバーグの任意にんいせい基準きじゅんろんとの相違そうい任意にんいてき合理ごうりせい逸脱いつだつ
 →「つよい―」と「よわい―」を区別くべつしたファインバーグ(Joel Feinberg)のパターナリズムろんとの相違そうい

「・・・ファインバーグがその「任意にんいせい」を阻害そがいする要因よういんとしてげているものは、自己じこ決定けってい行為こういしゃ判断はんだんしゃ無知むちあやまった情報じょうほう)、他者たしゃからの強迫きょうはく強制きょうせい、アルコールなどの薬物やくぶつ影響えいきょうけている状態じょうたい精神せいしんてき錯乱さくらん状態じょうたいなどである」56
「したがって、このような状況じょうきょうは、伝統でんとうてきほう経済けいざいがく合理ごうりせいモデルに修正しゅうせいくわえずに説明せつめい可能かのうで、従来じゅうらい分析ぶんせき枠組わくぐみのなか任意にんいせい回復かいふくする処方箋しょほうせんみちびすことができる。なぜなら、人間にんげん合理ごうりてきであるがゆえに、外部がいぶてき強迫きょうはくくっして自己じこ利害りがいそこなうとかっているもうにも同意どういするのであり、また合理ごうりてき判断はんだんするからこそ、あやまった情報じょうほうのもとでは、じつ自己じこ不利益ふりえきになる行動こうどうを、あやまって自己じこ利益りえきになるとおもんでとってしまうとかんがえられるからである。したがって、そのよう外部がいぶせい内部ないぶしてやれば、合理ごうりせいモデルに修正しゅうせいくわえる必要ひつようはないといえる」57

他方たほう行動こうどう心理しんりがくてきほう経済けいざいがく」が問題もんだいにしているのは、前節ぜんせつでみたようにたとえば情報じょうほうただしくかつ十分じゅうぶんあたえられたとしても、その認知にんち解釈かいしゃく評価ひょうか様々さまざまなバイアスによってゆがめられるという場合ばあいのように、現実げんじつ人間にんげん一般いっぱんゆうする認知にんち能力のうりょく情報処理じょうほうしょり能力のうりょく限界げんかいむバイアスや意志いしりょくよわさ、あるいは利己りこしんよりも公正こうせいさにしたが傾向けいこうや、社会しゃかい規範きはんなどを内面ないめんしているがゆえに標準ひょうじゅんてきな「ほう経済けいざいがく」がうところの自己じこ利益りえきにあえてはんする行為こういをとる傾向けいこうなどであって、これらは個人こじんかれた特殊とくしゅ状況じょうきょうかならずしも依存いぞんせず、任意にんいてきであってもまぬかれない心理しんりてき内部ないぶ要因よういんであるといえる」57

「・・・そこで問題もんだいとされているものは「任意にんいてき合理ごうりせい逸脱いつだつ」であるといえよう」58

(2)規範きはんてき意義いぎ ―はんはんパターナリズム―
「パターナリズムをドグマてき否定ひていすることを不可能ふかのうにさせ、法的ほうてきにパターナリスティックな配慮はいりょ必要ひつよう状況じょうきょうはいかなる場合ばあいであるのかという問題もんだいかんがえる土俵どひょう理論りろんレベルであたえ、よりおおくの個別こべつ事例じれいにおいてパターナリズムの是非ぜひ経験けいけんてき検証けんしょうしていくみち開拓かいたくしてくれるとえよう」60

「・・・ただちにパターナリズムてき介入かいにゅう正当せいとうされるとはせず、その本人ほんにんよりも介入かいにゅうする政府せいふ行政ぎょうせい政策せいさく決定けっていしゃほうがよりよくバイアスからまぬかれている場合ばあいかぎ介入かいにゅう正当せいとうし、そのさいどちらがよりよくそのバイアスからまぬかれて客観きゃっかんてき判断はんだんができるのかということは、経験けいけんてき実証じっしょうレベルの問題もんだいであるとしている」

(3)経験けいけん主義しゅぎアプローチとパターナリズム―ベター・ジャッジ―
「このような行動こうどう心理しんりがくてきほう経済けいざいがく」のアプローチは、ある見方みかたをすれば、ある任意にんい状況じょうきょうにおいて、自己じこ決定けってい主体しゅたいが、本人ほんにん自身じしん利益りえき便益べんえき計算けいさんにおいてどれだけバイアスからまぬかれ、合理ごうりてき関連かんれん情報じょうほう認知にんち判断はんだん最善さいぜん判断はんだんしゃ(ベスト・ジャッジ)であるとみなすことができるのか、あるいはパターナリスティックな介入かいにゅうおこな政府せいふ国家こっか本人ほんにん利益りえき増進ぞうしんするような判断はんだんをバイアスからまぬかれよりおこなえるのかという、めればどちらがベター・ジャッジであるのかという問題もんだいにパターナリズム正当せいとうろんすべてが収斂しゅうれんされてしまう可能かのうせいがある」61

「このようなパターナリズムのによる社会しゃかい支配しはいてき価値かちしつけをけるためには、規制きせい正当せいとうにあたり、パターナリスティックな規制きせい主体しゅたい規制きせい客体かくたいより、その規制きせい客体かくたい利益りえき判断はんだんかんし、よりよくバイアスからまぬかれているという経験けいけんてき事実じじつだけでは十分じゅうぶんではなく(傍点ぼうてんひざわ)、規制きせい客体かくたいあいだ価値かちかんちがい(ばらつき)がどれだけおおきくみられる事例じれいであるのか、また規制きせい主体しゅたいである行為こういしゃ自身じしん規制きせいしゃである政府せいふとの距離きょり関係かんけいのコンテクストを正当せいとう判断はんだんさいには十分じゅうぶん考慮こうりょしなければならないとかんがえる」62

「リベラリズムにおけるパターナリズム正当せいとうろんにおいては、たとえ国家こっか市民しみんよりもその客観きゃっかんてき利益りえきについての判断はんだんをよりおこなえるとしても、市民しみん自己じこ決定けってい否定ひていして代理だいり決定けっていする国親くにちかてき役目やくめ国家こっかになうべきなのかという問題もんだい意識いしきがある。さらえば、リベラリズムのパターナリズムろんにおける究極きゅうきょくいには、外部がいぶから客観きゃっかんてきにみて本人ほんにん自身じしんのためにならないとおもわれるような自己じこ決定けってい、あるいは本人ほんにん自由じゆう阻害そがいしてしまう自己じこ決定けっていをどこまで許容きょようすべきなのか、うがったいいかたをすれば、そこにはいわば「あやまる」自己じこ決定けっていをそれが第三者だいさんしゃ危害きがいおよぼさないかぎり、どこまでみとめるべきであるのかという、自由じゆう内在ないざいするアポリアにたいする真摯しんし問題もんだい意識いしき存在そんざいしているといえる」62

(4)法理ほうりろんじょう学問がくもんてき意義いぎ―パターナリズムろん考察こうさつ射程しゃてい拡大かくだい
「つまり、パターナリズムが問題もんだいとされるのは通常つうじょうほう想定そうていするほうになである行為こういしゃ合理ごうりてき判断はんだん能力のうりょく様々さまざま要因よういんによってうしなわれる一部いちぶ例外れいがいてき状況じょうきょうほうがいかに取扱とりあつかうべきかという法律ほうりつがく全体ぜんたいからするとマージナルな議論ぎろん領域りょういき限定げんていされていたようにおもわれる。このことは、パターナリズムの議論ぎろんまれたアメリカの法学ほうがくアカデミズム一般いっぱんにおいてもえることである」63

「それはリベラリズム一般いっぱんにあってもその自由じゆう行使こうし基礎きそとなる自己じこ決定けってい能力のうりょくそなえた人間にんげん通常つうじょう想定そうていされており・・・」63

「・・・「自律じりつ」という視角しかくから自律じりつ実現じつげんあるいは補完ほかんするものとしてパターナリズムの議論ぎろん活発かっぱつ展開てんかいされるようになってきており、日本にっぽんほう哲学てつがくなどの議論ぎろんにおいてもそれらの影響えいきょうけてパターナリズムろん展開てんかいされてきている」64

「・・・そのかぎりでパターナリズムの議論ぎろん個人こじん価値かちかん個別こべつせい任意にんいせい阻害そがいなどの特殊とくしゅ状況じょうきょうえた問題もんだいとして、つまり一般いっぱんてき重要じゅうようせいをもった議論ぎろんとして展開てんかいすることを可能かのうならしめるものとおもわれる」64

行動こうどう心理しんりがくてきほう経済けいざいがく」の洞察どうさつゆうする実際じっさい法政ほうせいさくじょうひとつの潜在せんざいてき意義いぎは、ほうのこのようなカテゴリー見直みなおしとその細分さいぶん分析ぶんせき道具どうぐあたえるてんであるとかんがえる」65


(5)人間にんげん合理ごうりせいとパターナリズム ―バイアス矯正きょうせいとしてのパターナリズム―
・リベラリズムの見地けんちからの含意がんい
「・・・つまり、ある個人こじんが、みずからの判断はんだん決定けってい行動こうどうみずからの利益りえきそこない、他人たにんからは合理ごうりてきでないとうことを十分じゅうぶん承知しょうちじょうでも、本人ほんにん信条しんじょう価値かちかんからえてそのような行動こうどう場合ばあいには、自律じりつせい重要じゅうよう価値かちくリベラリズムの立場たちばからは、その行動こうどうたいするパターナリスティックな法的ほうてき規制きせいみとめることがむずかしいであろう。しかし、個人こじん価値かちかん相違そういもとづく特殊とくしゅせいからではなく、だれもが一定いってい程度ていど不可避ふかひてきゆうするバイアスから合理ごうりせい逸脱いつだつ現象げんしょうしょうじているとかんがえられる場合ばあいは、リベラリズムなどの帰結きけつ主義しゅぎにあってはパターナリスティック法的ほうてき介入かいにゅうみとめられるべきなのであろうか?」67

帰結きけつ主義しゅぎアプローチをとらない現代げんだいリベラリズムにあっては、異質いしつ価値かちかんゆうするしょ個人こじん各々おのおの独自どくじ目的もくてき達成たっせいすることにほう干渉かんしょうするべきではないことをその規範きはんてき主張しゅちょうとしている」67

「・・・なぜなら、個人こじん価値かちかんもとづく特殊とくしゅせい一般いっぱんてき性向せいこうとを区別くべつすることは、現実げんじつ問題もんだいとしてはかならずしも容易よういではなく・・・」67

「・・・にん一般いっぱんゆうする合理ごうりてき判断はんだん阻害そがいしているバイアスを矯正きょうせいするためのパターナリスティックほう規制きせいであれば・・・」68


REV:20121115
ほう法学ほうがく  ◇医療いりょうほう  ◇生命せいめい倫理りんりがく](bioethics)  ◇パターナリズム (paternalism)  ◇WHO
TOP HOME (http://www.arsvi.com)