折り込まれた無数のひだにより、いまだかつてない表情と着心地を与えられた服。三宅一生(74)が生み出した「プリーツプリーズ」が今年、誕生から20年を迎えた。国内繊維産業の粋を集めた素材と技術、独自の発想、行動する女性のためにつくられた時代性。世界中で愛され、これまでに27カ国で435万枚が売れたという。
「こんなペラペラの服は売れないだろうと、最初は社内が信じてくれなかった」と三宅は笑う。「ますます働く女性が増える時代。活動的な服こそが必要だ」との信念で1993年に世に出すまで、3年を要したという。
60年代からパリで修行した三宅には、立体的な体つきをした西洋人による洋服作りには、どこまでいってもかなわないという苦悩があった。平面的な体の日本人として服を深く考えるうちにたどりついたのが、和服にも通じる「一枚の布」という概念と普及版の「プリーツプリーズ」だ。
服作りの部分的技術に過ぎなかったプリーツを、衣服全体に施す。ポリエステル100%のハイテク素材を採用し、とれないひだを実現。完成品の2.5倍から3倍の大きさに生地を切り、あらかじめ縫った後にひだ加工をつける方法も従来にはなかった。
できあがったプリーツプリーズは伸縮性に優れ、新鮮な着心地。体と服に「間(ま)」があって「どんな体形の人も美しく見える」(ジャーナリストの佐藤和子氏)。洗濯も簡単。小さく丸めて持ち歩け、アイロン掛けもいらない。日常から改まった場まで対応する幅広さも持ち合わせた「新しい女性服」だった。
京都服飾文化研究財団の深井晃子・チーフキュレーターは「長い服の歴史の中でも画期的なプロダクト。ほかのデザイナーの作品には見当たらないものだ」と評価する。バブル期の豪華な服、90年代前半のグランジルックと続いた押し出しの強い服から、「着る人本位」への立ち返りを示した作品でもあった。
「ファッション」とは一線を画す普遍的な衣服を追い求めてきた三宅は、今年10月に出した書籍『プリーツプリーズ』の中で、「(この服で)やっとデザイナーになれた」と書いた。コピー商品が相次いだ90年代の熱狂は去ったが、2013年春夏は20周年を祝う「カーニバル」をテーマにするなど、デザインの更新が続いている。
■プリーツプリーズと三宅一生の歩み
1991年 イッセイミヤケの秋冬パリ・コレクションで「プリーツプリーズ」の原型を発表。ウィリアム・フォーサイス&フランクフルト・バレエ団の衣装となる
93年 ブランドがスタート。パリ・コレのフィナーレに登場=[1](フィリップ・ブラジル氏撮影)
95年 パリ・コレの招待状で横尾忠則氏のアートワークを採用
96年 服にアーティストの作品をプリントするシリーズが森村泰昌氏から始まる。後に荒木経惟氏らが登場
98年 一枚の布という考え方から、筒状のニットを切り抜いて作る服「A−POC(エイポック)」を開始
99年 フランシス・ジャコベッティ氏がプロモーション写真の撮影を開始
2000年 東京で三宅一生展
05年 佐藤卓氏が広告デザインを開始=[2](吉永恭章氏撮影)
10年 折り紙のようにたためる服「132 5.」を発表
12年 陽気で華やかな世界観を表現したという香水を発表=[3]
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■「ボーダレスな服」
写真家の高木由利子氏は95年から4年をかけて、120着のプリーツプリーズを一つのスーツケースに詰めてケニアやインド、中国などを旅し、現地で着てもらう試みに取り組んだ。「人間と服の関係」を考えるライフワークの一環だったという。
服は地に足を付けて生活している人たちのたたずまいに、違和感なく溶け込んでいるように見えた。「年齢や性別、国籍を超える、ボーダーレスな服だと感じた」と話す。(中島耕太郎)