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朝日新聞デジタル:三宅一生・プリーツプリーズの20年 ひだが作る普遍の美 - ビューティー - ファッション&スタイル
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2012ねん11月29にち1144ふん
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三宅みやけ一生かずお・プリーツプリーズの20ねん ひだがつく普遍ふへんよし

写真:三宅一生拡大三宅みやけ一生かずお

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写真:誕生以来、糸も製法もまったく変わらない。手作業が不可欠だ=岩崎寛氏撮影拡大誕生たんじょう以来いらいいと製法せいほうもまったくわらない。手作業てさぎょう不可欠ふかけつだ=岩崎いわさきひろし撮影さつえい

写真:1997年、サンブル族が暮らすケニア・トゥルカナ地方で。「あまりに自然でもともと何を着ていたかわからなくなるほどだった」=高木由利子氏撮影拡大1997ねん、サンブルぞくらすケニア・トゥルカナ地方ちほうで。「あまりに自然しぜんでもともとなにていたかわからなくなるほどだった」=高木たかぎ由利子ゆりこ撮影さつえい

 まれた無数むすうのひだにより、いまだかつてない表情ひょうじょう着心地きごこちあたえられたふく三宅みやけ一生かずお(74)がした「プリーツプリーズ」が今年ことし誕生たんじょうから20ねんむかえた。国内こくない繊維せんい産業さんぎょういきあつめた素材そざい技術ぎじゅつ独自どくじ発想はっそう行動こうどうする女性じょせいのためにつくられた時代じだいせい世界中せかいじゅうあいされ、これまでに27カ国かこくで435まんまいれたという。

 「こんなペラペラのふくれないだろうと、最初さいしょ社内しゃないしんじてくれなかった」と三宅みやけわらう。「ますますはたら女性じょせいえる時代じだい活動かつどうてきふくこそが必要ひつようだ」との信念しんねんで1993ねんすまで、3ねんようしたという。

 60年代ねんだいからパリで修行しゅぎょうした三宅みやけには、立体りったいてきからだつきをした西洋せいようじんによる洋服ようふくづくりには、どこまでいってもかなわないという苦悩くのうがあった。平面へいめんてきからだ日本人にっぽんじんとしてふくふかかんがえるうちにたどりついたのが、和服わふくにもつうじる「いちまいぬの」という概念がいねん普及ふきゅうばんの「プリーツプリーズ」だ。

 ふくづくりの部分ぶぶんてき技術ぎじゅつぎなかったプリーツを、衣服いふく全体ぜんたいほどこす。ポリエステル100%のハイテク素材そざい採用さいようし、とれないひだを実現じつげん完成かんせいひんの2.5ばいから3ばいおおきさに生地きじり、あらかじめったのちにひだ加工かこうをつける方法ほうほう従来じゅうらいにはなかった。

 できあがったプリーツプリーズは伸縮しんしゅくせいすぐれ、新鮮しんせん着心地きごこちからだふくに「あいだ(ま)」があって「どんな体形たいけいひとうつくしくえる」(ジャーナリストの佐藤さとう和子かずこ)。洗濯せんたく簡単かんたんちいさくまるめてあるけ、アイロンけもいらない。日常にちじょうからあらたまったまで対応たいおうする幅広はばひろさもわせた「あたらしい女性じょせいふく」だった。

 京都きょうと服飾ふくしょく文化ぶんか研究けんきゅう財団ざいだん深井ふかい晃子あきこ・チーフキュレーターは「ながふく歴史れきしなかでも画期的かっきてきなプロダクト。ほかのデザイナーの作品さくひんには見当みあたらないものだ」と評価ひょうかする。バブル豪華ごうかふく、90年代ねんだい前半ぜんはんのグランジルックとつづいたしのつよふくから、「ひと本位ほんい」へのがえりをしめした作品さくひんでもあった。

 「ファッション」とは一線いっせんかく普遍ふへんてき衣服いふくもとめてきた三宅みやけは、今年ことし10がつした書籍しょせき『プリーツプリーズ』のなかで、「(このふくで)やっとデザイナーになれた」といた。コピー商品しょうひん相次あいついだ90年代ねんだい熱狂ねっきょうったが、2013ねんはるなつは20周年しゅうねんいわう「カーニバル」をテーマにするなど、デザインの更新こうしんつづいている。

■プリーツプリーズと三宅みやけ一生かずおあゆ

1991ねん イッセイミヤケの秋冬あきふゆパリ・コレクションで「プリーツプリーズ」の原型げんけい発表はっぴょう。ウィリアム・フォーサイス&フランクフルト・バレエだん衣装いしょうとなる

93ねん ブランドがスタート。パリ・コレのフィナーレに登場とうじょう=[1](フィリップ・ブラジル撮影さつえい

95ねん パリ・コレの招待しょうたいじょう横尾よこお忠則ただのりのアートワークを採用さいよう

96ねん ふくにアーティストの作品さくひんをプリントするシリーズが森村もりむらやすしあきらからはじまる。のち荒木あらきけいおもんみらが登場とうじょう

98ねん いちまいぬのというかんがかたから、つつじょうのニットをいてつくふく「A−POC(エイポック)」を開始かいし

99ねん フランシス・ジャコベッティがプロモーション写真しゃしん撮影さつえい開始かいし

2000ねん 東京とうきょう三宅みやけ一生かずおてん

05ねん 佐藤さとうたく広告こうこくデザインを開始かいし=[2](吉永よしながきょうあきら撮影さつえい

10ねん がみのようにたためるふく「132 5.」を発表はっぴょう

12ねん 陽気ようきはなやかな世界せかいかん表現ひょうげんしたという香水こうすい発表はっぴょう=[3]

    ◇

■「ボーダレスなふく

 写真しゃしん高木たかぎ由利子ゆりこは95ねんから4ねんをかけて、120ちゃくのプリーツプリーズをひとつのスーツケースにめてケニアやインド、中国ちゅうごくなどをたびし、現地げんちてもらうこころみにんだ。「人間にんげんふく関係かんけい」をかんがえるライフワークの一環いっかんだったという。

 ふくあしけて生活せいかつしているひとたちのたたずまいに、違和感いわかんなくんでいるようにえた。「年齢ねんれい性別せいべつ国籍こくせきえる、ボーダーレスなふくだとかんじた」とはなす。(中島なかじまこう太郎たろう

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