■ 緊急 きんきゅう 基金 ききん による車 くるま いす作製 さくせい プロジェクト報告 ほうこく その2 【最終 さいしゅう 版 ばん 】 2007年 とし 8月 つき 14日 にち
■緊急 きんきゅう 基金 ききん による車 くるま いす作製 さくせい プロジェクト報告 ほうこく その2
■緊急 きんきゅう 基金 ききん による車 くるま いす作製 さくせい プロジェクト報告 ほうこく
■地震 じしん 救援 きゅうえん 活動 かつどう 報告 ほうこく
■ 地震 じしん 緊急 きんきゅう 救援 きゅうえん 基金 ききん ご協力 きょうりょく へのお礼 れい とお願 ねが い
■12月 パキスタン報告 ほうこく 会 かい の様子 ようす
■12月 パキスタン報告 ほうこく 会 かい のお知 し らせ
■11月20日 にち のパキスタン報告 ほうこく 会 かい 延期 えんき のお知 し らせ
■緊急 きんきゅう 救援 きゅうえん 基金 ききん 報告 ほうこく 送金 そうきん 状 じょう 況 きょう 2006年 とし 12月 つき 12日 にち
■ パキスタン報告 ほうこく
2005/11/24 シャフィック(ライフILセンター)発信 はっしん
2005/11/05 シャフィック(ライフILセンター)発信 はっしん
2005/10/31 シャフィック(ライフILセンター)発信 はっしん
2005/10/25 シャフィック(ライフILセンター)発信 はっしん
2005/10/13 21:00 シャフィック(ライフILセンター)発信 はっしん
パキスタン 地震 じしん 緊急 きんきゅう 救援 きゅうえん 基金 ききん への
ご協力 きょうりょく をお願 ねが いします
2005年 ねん 10月 がつ 12日 にち
10月8日 にち パキスタン北部 ほくぶ を襲 おそ った地震 じしん の被害 ひがい は予想 よそう を超 こ えて広 ひろ がっているようです。パキスタンのライフILセンターでは所長 しょちょう のシャフィックなど職員 しょくいん が毛布 もうふ や救援 きゅうえん 物資 ぶっし を持 も って、一昨日 おととい より現地 げんち に入 はい っています。
一 いち 昨夜 さくや 、シャフィックはトラックで救援 きゅうえん 物資 ぶっし を12時 じ 間 あいだ かけて現地 げんち の山間 さんかん 部 ぶ まで持 も ちこんで、今日 きょう 3時 じ にイスラマバードに帰還 きかん しました。携帯 けいたい 電話 でんわ でのやりとりでは彼 かれ が「Oh
my god! Oh my god!」と繰 く り返 かえ す声 こえ がきかれたようです。今日 きょう の電話 でんわ のやりとりによると、現地 げんち では、子供 こども の死体 したい を犬 いぬ が食 た べている情景 じょうけい をあちこちで見 み かけたそうです。地震 じしん による倒壊 とうかい で脊髄 せきずい 損傷 そんしょう になって新 あら たな障害 しょうがい 者 しゃ が大勢 おおぜい 生 う まれています。生 い き延 の びることに全力 ぜんりょく が注 そそ がれており、現在 げんざい 、中古 ちゅうこ の毛布 もうふ 、テント、食料 しょくりょう 品 ひん などが緊急 きんきゅう に求 もと められています。シャフィックはこれからラフォールに帰 かえ り、必要 ひつよう とされる資材 しざい を集 あつ めてその足 あし でまた現地 げんち 入 い りする予定 よてい です。シャフィックからの続報 ぞくほう は写真 しゃしん 入 い りではいる予定 よてい です。 DPIアジア太平洋 たいへいよう ブロックでも募金 ぼきん 活動 かつどう を開始 かいし することになっています。
現地 げんち での支援 しえん 窓口 まどぐち はシャフィックの運営 うんえい するライフILセンターとし、日本 にっぽん 側 がわ の支援 しえん 体制 たいせい はJILを事務 じむ 局 きょく としDPIが協力 きょうりょく するというかたちをとります。最 さい 優先 ゆうせん の課題 かだい として、食料 しょくりょう 品 ひん やテントを買 か うための現金 げんきん が必要 ひつよう です。 そのための振込 ふりこみ 口座 こうざ をつくりましたので、各 かく 団体 だんたい におかれましては会員 かいいん にメールや会報 かいほう などで協力 きょうりょく の呼 よ びかけをお願 ねが いいたします。目標 もくひょう 金額 きんがく を100万 まん 円 えん と設定 せってい して募金 ぼきん 活動 かつどう を行 おこな います。援助 えんじょ 物資 ぶっし の送付 そうふ については、パキスタンの事情 じじょう により時間 じかん がかかる等 とう の理由 りゆう から、とりあえず当面 とうめん は資金 しきん の援助 えんじょ に絞 しぼ って活動 かつどう することとしました。どうしても送 おく りたい物資 ぶっし があるということであれば、DPIかJIL事務 じむ 局 きょく まで御 ご 相談 そうだん 下 くだ さいませ。
支援 しえん 金 きん は下記 かき の口座 こうざ にお振 ふ り込 こ み下 くだ さい。
多摩 たま 信用金庫 しんようきんこ 京王 けいおう 八王子 はちおうじ 支店 してん 普通 ふつう 0217827
パキスタン地震 じしん 緊急 きんきゅう 救援 きゅうえん 基金 ききん 代表 だいひょう 中西 なかにし 正司 せいじ
*2006年 ねん 1月 がつ 10日 とおか より、『多摩 たま 信用 しんよう 中央金庫 ちゅうおうきんこ 』→『多摩 たま 信用金庫 しんようきんこ 』 と変更 へんこう になりました
詳 くわ しい内容 ないよう のお問 と い合 あ わせは下記 かき にお願 ねが いします。
【連絡 れんらく 先 さき 】 DPI日本 にっぽん 会議 かいぎ 三澤 みさわ 了 りょう
〒101-0054 東京 とうきょう 都 と 千代田 ちよだ 区 く 神田 かんだ 錦 にしき 町 まち 3-11-8 武蔵野 むさしの ビル5F
TEL:03-5282-3730 FAX:03-5282-0017
【事務 じむ 局 きょく 】 全国 ぜんこく 自立 じりつ 生活 せいかつ センター協議 きょうぎ 会 かい (JIL)
〒192-0046 東京 とうきょう 都 と 八王子 はちおうじ 市 し 明神 みょうじん 町 まち 4-11-11 シルクヒルズ大塚 おおつか 1F
TEL:0426-60-7747 FAX:0426-60-7746
* なるべく早 はや く第 だい 1回 かい 送金 そうきん をしたいと思 おも いますので、それまでに基金 ききん に振 ふ り込 こ みの可能 かのう な個人 こじん ・団体 だんたい は是非 ぜひ ともお振 ふ り込 こ み願 ねが います。緊急 きんきゅう 救援 きゅうえん 金 きん は早 はや ければ早 はや いほど効果 こうか があります。各 かく 団体 だんたい のご協力 きょうりょく ・支援 しえん をお願 ねが いいたします。
■ 12月 パキスタン報告 ほうこく 会 かい のお知 し らせ
パキスタン地震 じしん 緊急 きんきゅう 救援 きゅうえん 基金 ききん 報告 ほうこく 会 かい
10月8日 にち に発生 はっせい したパキスタン北部 ほくぶ を襲 おそ った地震 じしん 。私 わたし たちは、被災 ひさい 直後 ちょくご から障害 しょうがい を持 も つ被災 ひさい 者 しゃ の救援 きゅうえん 活動 かつどう を開始 かいし した、パキスタンのライフケアILセンター(障害 しょうがい 者 しゃ 団体 だんたい )を通 つう じて物資 ぶっし ・240万 まん 円 えん 以上 いじょう の義援金 ぎえんきん を送 おく るなどの支援 しえん をしてきました。日本 にっぽん 国内 こくない で支援 しえん に協力 きょうりょく してくださった皆 みな 様 さま に対 たい して、11月20日 にち にライフケアILセンターの所長 しょちょう であるシャフィクさんが来日 らいにち して報告 ほうこく 会 かい を行 おこな う予定 よてい でしたが、現地 げんち での支援 しえん を優先 ゆうせん したいということで延期 えんき されていました。その報告 ほうこく 会 かい を行 おこな うことが決定 けってい しました。
被災 ひさい から2ヶ月 かげつ 、現地 げんち では、地震 じしん 被害 ひがい によって新 あら たに障害 しょうがい を持 も つことになってしまった人 ひと たちが増 ふ えているということです。今後 こんご のサポートがますます重要 じゅうよう になってくるところだと思 おも います。お時間 じかん のある方 ほう はぜひ、足 あし をお運 はこ びください。
新宿 しんじゅく 名古屋 なごや 西宮 にしのみや
新宿 しんじゅく
■日時 にちじ 2005年 ねん 12月7日 にち (水 みず )
14:00〜16:00(13:30より受付 うけつけ )
■会場 かいじょう 新宿 しんじゅく 区立 くりつ 障害 しょうがい 者 しゃ 福祉 ふくし センター 第 だい 一 いち ・第 だい 二 に 会議 かいぎ 室 しつ
新宿 しんじゅく 区 く 戸山 とやま 1-22-2
【TEL】03-3232-3711 【FAX】03-3232-3344
<問合 といあわ せ先 さき >
DPI日本 にっぽん 会議 かいぎ
TEL:03-5282-3730 FAX:03-5282-0017
全国 ぜんこく 自立 じりつ 生活 せいかつ センター協議 きょうぎ 会 かい (JIL)
TEL:0426-60-7747 FAX:0426-60-7746
* ちらしはこちら から
名古屋 なごや
■日時 にちじ 2005年 ねん 12月9日 にち (金 かね )
14:00〜15:30(13:30開場 かいじょう )
■会場 かいじょう カトリック恵方 えほう 町 まち 教会 きょうかい ホール
名古屋 なごや 市 し 昭和 しょうわ 区 く 恵方 えほう 町 まち 2-15
(AJU自立 じりつ の家 いえ 隣 とな り)
<問合 といあわ せ先 さき >
AJU自立 じりつ の家 いえ
TEL:052-841-5554 FAX:052-841-2221
* 8日 にち (木 き )pm16:30名古屋 なごや 市 し 栄 さかえ にて街頭 がいとう 募金 ぼきん (予定 よてい )
西宮 にしのみや
■日時 にちじ 2005年 ねん 10日 とおか (土 ど )14:00〜16:30
■会場 かいじょう 西宮 にしのみや 市役所 しやくしょ 東 ひがし 館 かん 8階 かい ホール
<問合 といあわ せ先 さき >
メインストリーム協会 きょうかい
TEL;0798-34-4955 FAX:0798-34-4604
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■ 11月20日 にち のパキスタン報告 ほうこく 会 かい 延期 えんき のお知 し らせ
11月20日 にち のパキスタン報告 ほうこく 会 かい
延期 えんき のお知 し らせ
関係 かんけい 者 しゃ の皆様 みなさま
いつもお世話 せわ になっております。
パキスタン救援 きゅうえん 基金 ききん へのご協力 きょうりょく ありがとうございます。
先日 せんじつ 、パキスタン救援 きゅうえん 基金 ききん の報告 ほうこく 会 かい を11月 がつ 20日 はつか に行 おこな うご案内 あんない をさせていただいたのですが11/14から来日 らいにち する予定 よてい だったライフ自立 じりつ 生活 せいかつ センターのシャフィックさんが今回 こんかい 来日 らいにち しないことになり、報告 ほうこく 会 かい も延期 えんき とさせていただきたいと思 おも います。
すでにご参加 さんか のご連絡 れんらく をいただいている方 ほう もある状況 じょうきょう での急 きゅう な変更 へんこう となってしまい申 もう し訳 わけ ありません。
「地震 じしん で家 いえ を失 うしな い雪 ゆき の寒 さむ さの中 なか で凍 こご えている人 ひと や、脊損になって困 こま っている障害 しょうがい 者 しゃ などを助 たす けるのが優先 ゆうせん だ」と、迷 まよ った末 すえ に本人 ほんにん が決 き めたようです。昨夜 さくや 、シャフィクから届 とど いたメールを下記 かき に掲載 けいさい します。
皆 みな さまにはご迷惑 めいわく をおかけしましたが「自分 じぶん たちの仲間 なかま を大切 たいせつ にする」彼 かれ の気持 きもち を尊重 そんちょう したいと思 おも います。「12月 じゅうにがつ には救援 きゅうえん に行 い きたくても積雪 せきせつ が多 おお くて行 い けなくなり、時間 じかん にも余裕 よゆう ができるだろうから、その時 とき には直 す ぐにも日本 にっぽん に行 い き、皆 みな さんに支援 しえん のお礼 れい と今回 こんかい のお詫 わ びをしたい。」と言 い っていました。
12月の来日 らいにち が決 き まりましたら再度 さいど 報告 ほうこく 会 かい を開催 かいさい し基金 ききん の使途 しと や活動 かつどう 状 じょう 況 きょう について皆様 みなさま にご報告 ほうこく させていただきたいと思 おも います。
ご迷惑 めいわく をおかけしますが、今後 こんご ともよろしくお願 ねが い致 いた します。
(以下 いか 、シャフィックからのメール)
すいません。
日本 にっぽん に行 い くことができなくなりました。
このことで、たくさんの人 ひと に私 わたし の悪 わる い印象 いんしょう を与 あた えてしまいました。
今日 きょう 、私 わたし たちは、地震 じしん によって脊椎 せきつい 損傷 そんしょう になった14人 にん の障害 しょうがい 者 しゃ を見 み つけました。
そして彼 かれ らは何 なん のケアもされずに取 と り残 のこ されていました。
私 わたし たちは、彼 かれ らのケアをしなくてはなりません。
私 わたし は、働 はたら くためにここに残 のこ り、日本 にっぽん に行 い かないことを決 き めました。
約束 やくそく を破 やぶ ってしまいました。本当 ほんとう にすいません。
これは、14人 にん の新 あたら しい人生 じんせい に関 かか わることです。
私 わたし には責任 せきにん があります。
雪 ゆき はすでに、北部 ほくぶ 地域 ちいき で降 ふ り始 はじ めています。
今月 こんげつ 15日 にち 、私 わたし たちはカシミールでモバイルCIL(巡回 じゅんかい CIL)をはじめます。
その地域 ちいき は、急速 きゅうそく に寒 さむ くなってきています。
摂氏 せっし 2℃の地域 ちいき で何 なに が私 わたし たちに起 お こるか分 わ かりません。
私 わたし たちは、テントに泊 と まらなくてはいけません。
でも私 わたし たちは、行 い かなくてはいけないと思 おも っています。
私 わたし は、Mazafarabadで200人 にん 以上 いじょう の障害 しょうがい 者 しゃ を救 すく ったと聞 き いています。
私 わたし は、自分 じぶん の仲間 なかま を救 すく うためにベストを尽 つ くしたいと思 おも います。
私 わたし も一方 いっぽう では、日本 にっぽん に行 い って友達 ともだち に会 あ って、たくさんの興味 きょうみ のあることをディスカッションしたりしたいと思 おも っています。
でも一方 いっぽう では、死 し にかけている障害 しょうがい 者 しゃ に私 わたし の全 すべ てのエネルギーを捧 ささ げなくてはいけないと思 おも っています。
状況 じょうきょう は、危険 きけん で、もしかしたら私 わたし は死 し ぬかもしれません。でも今 いま これは、必要 ひつよう とされていることです。
私 わたし は、被災 ひさい 者 しゃ がたいへんな状況 じょうきょう のに中途半端 ちゅうとはんぱ な関 かか わりになりたくないです。
私 わたし たちのために皆 みな さんがして下 くだ さったことは、全 すべ てすばらしい事 こと だとわかっています。
なぜならあなたたちのおかげで、私 わたし たちは活動 かつどう できるのです。
私 わたし を本当 ほんとう に理解 りかい できるのは、あなたたちだけだと思 おも います。
すいません。本当 ほんとう にごめんなさい。
ばかなシャフィックより
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■ 地震 じしん 緊急 きんきゅう 救援 きゅうえん 基金 ききん ご協力 きょうりょく へのお礼 れい とお願 ねが い
地震 じしん 緊急 きんきゅう 救援 きゅうえん 基金 ききん ご協力 きょうりょく へのお礼 れい とお願 ねが い
2006年 ねん 2月 がつ 17日 にち
2005年 ねん 10月 がつ におきましたパキスタン地震 じしん につきましては、救援 きゅうえん 基金 ききん を呼 よ びかけさせていただきましたところ、たくさんの方々 かたがた かたからのご厚意 こうい をいただきたいへん感謝 かんしゃ いたしております。
ご協力 きょうりょく いただきました皆様 みなさま お一人 ひとり お一 いち 人 にん にお礼 れい を申 もう し上 あ げたいところですが銀行 ぎんこう では、個人 こじん 情報 じょうほう 保護 ほご の観点 かんてん から振込 ふりこ み名義 めいぎ 以外 いがい の情報 じょうほう が、私 わたし どもには非 ひ 通知 つうち となっており、お礼 れい や活動 かつどう 状 じょう 況 きょう の報告 ほうこく ができないという状況 じょうきょう です。
今後 こんご も地震 じしん 救援 きゅうえん 基金 ききん の適正 てきせい かつ有効 ゆうこう な活用 かつよう を行 おこな い随時 ずいじ 、当会 とうかい のホームページを通 とお して報告 ほうこく をさせていただきたいと思 おも います。
この地震 じしん 救援 きゅうえん 基金 ききん にご協力 きょうりょく いただいた方 ほう をご存知 ぞんじ の方 ほう は、ぜひこのホームページをお知 し らせいただけますようお願 ねが いいたします。
現地 げんち では、現在 げんざい 、食料 しょくりょう やテントなど緊急 きんきゅう 救援 きゅうえん 物資 ぶっし の配布 はいふ などの取 と り組 く みの段階 だんかい を過 す ぎ、今後 こんご は、地震 じしん による負傷 ふしょう 者 しゃ や障害 しょうがい を持 も った人 ひと たちへのの長期 ちょうき 的 てき な支援 しえん が必要 ひつよう となってきております。
現在 げんざい 、現地 げんち の支援 しえん 団体 だんたい であるマイルストンから2005年 ねん 12月 がつ 末 まつ までの事業 じぎょう 報告 ほうこく と会計 かいけい 報告 ほうこく をあげてもらい、皆様 みなさま からいただいた救援 きゅうえん 基金 ききん をどのように有効 ゆうこう に使 つか うことができるか、今後 こんご の事業 じぎょう 計画 けいかく について詰 つ めているところです。
近日 きんじつ 中 ちゅう にホームページなどを通 つう じで現地 げんち の活動 かつどう 状 じょう 況 きょう 、会計 かいけい 報告 ほうこく をさせていただきたいと思 おも っております。
領収 りょうしゅう 書 しょ が、ご入用 いりよう の方 ほう は、直接 ちょくせつ 事務 じむ 局 きょく jil@d1.dion.ne.jp まで(〒、住所 じゅうしょ 、お名前 なまえ 、お振込 ふりこ み日 び を)ご連絡 れんらく ください。
ご支援 しえん 、ご協力 きょうりょく いただきました皆様 みなさま に深 ふか く感謝 かんしゃ いたします。
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■緊急 きんきゅう 救援 きゅうえん 基金 ききん 報告 ほうこく
緊急 きんきゅう 救援 きゅうえん 基金 ききん 経過 けいか 報告 ほうこく
2006年 ねん 5月 がつ 30日 にち
現在 げんざい 、パキスタンの被災 ひさい 地 ち では、まだまだ復興 ふっこう に向 む けた支援 しえん が必要 ひつよう とされています。
現地 げんち ではマイルストンとライフ自立 じりつ 生活 せいかつ センターの2団体 だんたい が支援 しえん 活動 かつどう を継続 けいぞく しており、
彼 かれ らの被災 ひさい 地 ち 支援 しえん プロジェクトに対 たい し、今年度 こんねんど 、国際 こくさい 機関 きかん からの助成 じょせい が予定 よてい されています。
現地 げんち の2団体 だんたい とJILは、連携 れんけい をとりながらプロジェクトの計画 けいかく をすすめています。
どの支援 しえん の部分 ぶぶん に、それぞれ助成 じょせい 金 きん とJIL地震 じしん 基金 ききん を充 あ てるか、重複 じゅうふく する部分 ぶぶん がないように調整 ちょうせい 中 ちゅう です。
今年度 こんねんど の10月 がつ まで被災 ひさい 地 ち 支援 しえん プロジェクトへの助成 じょせい 金 きん が入 はい らないことが明 あき らかになっているため、今回 こんかい は、未 いま だに圧倒的 あっとうてき に不足 ふそく している車椅子 くるまいす の作成 さくせい 費用 ひよう に使途 しと を限定 げんてい し、50万 まん 円 えん 送金 そうきん いたしました。
報告 ほうこく はこちら
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(1)合計 ごうけい 額 がく 2006/3/10(金 かね )現在 げんざい
(2)送金 そうきん 状 じょう 況 きょう *送金 そうきん 額 がく は振込 ふりこ み時 じ の手数料 てすうりょう を含 ふく みます
送金 そうきん 日 び
送金 そうきん 額 がく
第 だい 11回 かい 送金 そうきん
2006年 ねん 12月12日 にち (火 ひ )
¥1,106,500
第 だい 10回 かい 送金 そうきん
2006年 ねん 9月 がつ 27日 にち (水 みず )
¥1,006,500
第 だい 9回 かい 送金 そうきん
2006年 ねん 8月 がつ 31日 にち (木 き )
¥1, 006,500
第 だい 8回 かい 送金 そうきん
2006年 ねん 5月 がつ 30日 にち (火 ひ )
¥506,500
第 だい 7回 かい 送金 そうきん
11月14日 ひ (月 つき )
¥458,604
第 だい 6回 かい 送金 そうきん
10月 つき 31日 ひ (月 つき )
¥284,547
第 だい 5回 かい 送金 そうきん
10月 つき 26日 ひ (水 みず )
¥150,000
第 だい 4回 かい 送金 そうきん
10月 つき 21日 ひ (金 かね )
¥277,000
第 だい 3回 かい 送金 そうきん
10月 つき 19日 ひ (水 みず )
¥461,991
第 だい 2回 かい 送金 そうきん
10月 つき 17日 ひ (月 つき )
¥717,561
第 だい 1回 かい 送金 そうきん
10月 つき 14日 ひ (金 かね )
¥116,000
ご協力 きょうりょく いただいた皆様 みなさま へ心 しん よりお礼 れい 申 もう し上 あ げます
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■ パキスタン報告 ほうこく
●11/24 シャフィック(ライフILセンター)発信 はっしん
バラコット訪問 ほうもん 報告 ほうこく
Azad Kashmirやパキスタン北部 ほくぶ と別 べつ の地域 ちいき を訪問 ほうもん 後 ご 、シャフィック氏 し やアシャール氏 し 、アリハッサン氏 し 、ハミッド氏 し 、土佐 とさ 氏 し 、ジャスミン氏 し 、ザヒッド氏 し 、リズワン氏 し を含 ふく むマイルストンのメンバーでバラコットを訪問 ほうもん しました。障害 しょうがい 者 しゃ が自分 じぶん のためにも社会 しゃかい のためにも、よりよい生活 せいかつ ができるよう研修 けんしゅう を受 う け、車椅子 くるまいす を手 て に入 い れられるように、障害 しょうがい 者 しゃ の状況 じょうきょう を調 しら べに行 い きました。
ラホールからバラコットへ夜間 やかん に移動 いどう を始 はじ めました。自分 じぶん たちのための食料 しょくりょう やストーブ、卵 たまご 、パン、バターなどの日 ひ 用品 ようひん を持 も っていきました。そこには滞在 たいざい できる家 いえ もホテルもなく、人々 ひとびと はみな家 か がなく、大 だい 地震 じしん による被害 ひがい で建物 たてもの は全 すべ て倒壊 とうかい し、電気 でんき や下水道 げすいどう のシステムは全 まった く機能 きのう していませんでした。
まずイスラマバードへ着 つ き、現地 げんち で配布 はいふ するためにテントを10購入 こうにゅう しました。それから、いまや墓場 はかば と化 か したバラコットへ向 む かいました。
6時 じ 間 あいだ かけてバラコットへ移動 いどう すると、1人 ひとり の子 こ どもがふらふらとあちこち歩 ある き回 まわ っていました。マイルストンのメンバーがどうしたのかたずねてみると、その子 こ は話 はな しました。「地震 じしん のせいで、ぼくの生活 せいかつ はめちゃくちゃになった。妹 いもうと と弟 おとうと とお母 かあ さんが死 し んでしまった。地震 じしん がおきたとき、ぼくは学校 がっこう にいて、あっという間 ま に建物 たてもの が倒 たお れて、友 とも だちがたくさん死 し んだ。家 いえ に帰 かえ りついたら、そこはレンガだらけでむちゃくちゃだった。お母 かあ さんのひざで朝 あさ ごはんを食 た べた家 いえ は、影 かげ もかたちもなくなってた。そして、お母 かあ さんと妹 いもうと と弟 おとうと は、がれきに埋 うず もれてた。もうどこにも行 い き場 ば がないよ。」
この無垢 むく な子 こ どもの状況 じょうきょう に、マイルストンのメンバーは涙 なみだ を流 なが しました。この少年 しょうねん を慰 なぐさ め、どんな状況 じょうきょう でも生 い きていく勇気 ゆうき を与 あた えました。
それから、一同 いちどう は破壊 はかい された地 ち 、バラコットへ向 む かいました。
ここが、にぎやかで国内外 こくないがい の旅行 りょこう 者 しゃ に美 うつく しいリゾート地 ち で有名 ゆうめい だったバラコットだなんて、非常 ひじょう に悲 かな しいことに、誰 だれ も信 しん じることができませんでした。バラコットは山々 やまやま に囲 かこ まれ、特 とく に川 かわ を流 なが れる水音 みずおと は人々 ひとびと を魅了 みりょう し、その音 おと はどんな音楽 おんがく にも劣 おと らないといえました。しかし、今 いま や目 め を疑 うたが うばかりに美 うつく しい渓谷 けいこく は墓地 ぼち となり、壊 こわ れた家屋 かおく やホテルだらけの荒地 あれち となり、にぎやかな市場 いちば も全 すべ てなくなってしまいました。
生 い き延 の びた人々 ひとびと は、心理 しんり 的 てき トラウマから立 た ち直 なお っていないため、涙 なみだ を流 なが すことすらできませんでした。みな、家 いえ を、愛 あい する人 ひと を、仕事 しごと を、喪失 そうしつ 感 かん 自体 じたい を失 うしな っていたのです。
マイルストンのメンバーはまっすぐ軍隊 ぐんたい が駐在 ちゅうざい しているところへ行 い きました。パキスタンの軍隊 ぐんたい は現地 げんち でよく活動 かつどう しています。他 た のたくさんの団体 だんたい がキャンプをはり、救援 きゅうえん 物資 ぶっし を配 くば っていました。マイルストンのメンバーは、訪問 ほうもん の目的 もくてき を軍 ぐん へ説明 せつめい しました。軍 ぐん の人 ひと は、国内 こくない にこのような障害 しょうがい 者 しゃ の団体 だんたい があって障害 しょうがい 者 しゃ を助 たす けるためにやってきたということを知 し って少 すこ し驚 おどろ きました。現地 げんち では、みなテントで生活 せいかつ しています。軍隊 ぐんたい と他 た の団体 だんたい はテント村 むら をつくっいて、あるアラブの会社 かいしゃ が水 みず を供給 きょうきゅう しています。軍 ぐん の兵士 へいし がマイルストンのメンバーにテントをはることを許可 きょか してくれました。他 た の人 ひと たちは、障害 しょうがい 者 しゃ がここまでやってきているのを見 み て驚 おどろ いていました。つぎつぎに人々 ひとびと は訪 おとず れ、嘆 なげ きと哀 かな しみを分 わ かち合 あ いました。人々 ひとびと は深 ふか い喪失 そうしつ 感 かん に襲 おそ われていました。直面 ちょくめん した地震 じしん による破壊 はかい と喪失 そうしつ が表情 ひょうじょう にハッキリとあらわれていました。マイルストンのメンバーは悲 かな しみを共有 きょうゆう し、喪失 そうしつ 感 かん を受 う け入 い れ、どんな状況 じょうきょう でも生 い きていくよう元気 げんき づけました。
夜 よる になり、吹 ふ き抜 ぬ けの谷 たに で冷 つめ たい風 ふう が吹 ふ きすさぶ極寒 ごっかん の中 なか 、食事 しょくじ をつくりました。ジャガイモと卵 たまご をゆで、みなでわけあって食 た べました。食事 しょくじ のあと、軍 ぐん の人 ひと がマイルストンのメンバーを軍 ぐん のキャンプへ招待 しょうたい しました。ミーティングをひらき、マイルストンのメンバーは、現地 げんち での軍隊 ぐんたい の仕事 しごと と新 あら たに障害 しょうがい をもった人 ひと たちのことについて尋 たず ねました。今回 こんかい の地震 じしん でたくさんの人 ひと が障害 しょうがい をもち、ほとんどはイスラマバードやRawalpindiやラホールへ移 うつ され、ここにはほとんどいないかもしれないが捜索 そうさく しなくてはならないと軍 ぐん の人 ひと は話 はな しました。マイルストンメンバーは兵士 へいし たちと夜 よる を過 す ごし、情報 じょうほう を得 え 、このあたりでどのように障害 しょうがい 者 しゃ をさがすことができるかを計画 けいかく しました。ディスカッションをしたあと、自分 じぶん たちのテントへ戻 もど って眠 ねむ りました。
朝 あさ 早 はや く起床 きしょう し、凍 こお るように冷 つめ たい川 かわ の水 みず で顔 かお を洗 あら いました。そして、テント村 むら 全体 ぜんたい をまわり、自立 じりつ 生活 せいかつ の知識 ちしき と情報 じょうほう を提供 ていきょう しました。その間 あいだ に、サービスがないため死体 したい のように横 よこ たわった障害 しょうがい のある人々 ひとびと と出会 であ いました。障害 しょうがい についての何 なん の情報 じょうほう もなく、自信 じしん をもって新 あたら しい生活 せいかつ をすることを誰 だれ も教 おし える人 ひと はいませんでした。障害 しょうがい のことや自立 じりつ 生活 せいかつ の概念 がいねん について教 おし えてくれたマイルストンのメンバーは、彼 かれ らにとって天使 てんし といっても過言 かごん ではない存在 そんざい でした。障害 しょうがい 者 しゃ にはNISE(国立 こくりつ 特殊 とくしゅ 教育 きょういく 施設 しせつ )やAl-Shifa病院 びょういん へ行 い くように教 おし え、一 いち 日 にち 中 ちゅう 、現地 げんち の人 ひと のピアカウンセリングとエンパワメントに忙 いそが しくしていました。
Shahid将校 しょうこう がマイルストンメンバーを夜 よる のミーティングに招 まね きました。ここでは、作業 さぎょう を分担 ぶんたん し終了 しゅうりょう した作業 さぎょう を確認 かくにん し、翌日 よくじつ の予定 よてい を話 はな し合 あ うために、毎日 まいにち 午後 ごご 7時 じ にすべての団体 だんたい が参加 さんか してミーティングをひらくことを説明 せつめい しました。メンバーはミーティングに参加 さんか し、自己 じこ 紹介 しょうかい をしたあと、障害 しょうがい 者 しゃ をみつけたら、いつでもいいから教 おし えてほしいと話 はな しました。
情報 じょうほう 共有 きょうゆう をしたあと、自分 じぶん たちなりの役割 やくわり があり、ここでできることがあるという自信 じしん を少 すこ しもち、テントへ戻 もど りました。食事 しょくじ をつくり、打 う ち震 ふる えるような寒 さむ さの中 なか 、再 ふたた びテントで眠 ねむ りました。
午前 ごぜん 中 ちゅう 、障害 しょうがい 者 しゃ の状況 じょうきょう を知 し るためにMuzaffarabadを訪 おとず れることをきめました。午後 ごご にGarhi
Habib-ullah市 し へ到着 とうちゃく しました。家々 いえいえ は完全 かんぜん に破壊 はかい され、市場 いちば は壊滅 かいめつ 状態 じょうたい で、非常 ひじょう に多 おお くの人 ひと が命 いのち を落 お とし、怪我 けが をしました。みな地震 じしん によって家族 かぞく や財産 ざいさん を失 うしな い、手 て や脚 あし を失 しつ くした人 ひと もいれば、脊損のように重傷 じゅうしょう を負 お った人 ひと もいる、と現地 げんち の人 ひと は言 い いました。重傷 じゅうしょう の人 ひと はイスラマバードとRawalpindiの病院 びょういん へ運 はこ ばれたことがわかりました。
それからMuzaffarabad市 し へ着 つ きました。ここもまた大 おお きな被害 ひがい にあっていて、バラコットと同 おな じ状況 じょうきょう でした。人々 ひとびと は家 いえ がなく、たくさんの障害 しょうがい 者 しゃ がいました。テントで生活 せいかつ をしていて、テントの中 なか で悲 かな しみをわかち合 あ いました。たくさんの人 ひと が脊損になり、他 た の障害 しょうがい 者 しゃ と一緒 いっしょ にイスラマバードへ運 はこ ばれたことが、話 はなし をする中 なか でわかりました。背骨 せぼね を傷 いた め、医者 いしゃ から動 うご かず休 やす むように言 い われたの女性 じょせい が数 すう 人 にん いました。マイルストンのメンバーは、褥 しとね 瘡 かさ について教 おし え、背骨 せぼね に気 き をつけるよう教 おし えました。
Muzaffarabad市 し で得 え た情報 じょうほう からイスラマバードへ行 い くことに決 き め、少 すこ しの時間 じかん も無駄 むだ にすることなく夕方 ゆうがた には出発 しゅっぱつ しました。夜 よる になってイスラマバードへたどり着 つ き、障害 しょうがい 者 しゃ と会 あ うために別 べつ のキャンプの人 ひと たちに連絡 れんらく をとりました。翌朝 よくあさ 早 はや く、キャンプへ訪問 ほうもん を始 はじ めました。まず、市場 いちば へ行 い って、NISE(国立 こくりつ 特殊 とくしゅ 教育 きょういく 施設 しせつ )にいる子 こ どもたちのために果物 くだもの を買 か いました。
この救援 きゅうえん キャンプはSusan Hirshbergがまとめていました。メンバーはいろいろな状態 じょうたい の子 こ どもたちと会 あ いました。これまでの3回 かい の訪問 ほうもん で車 くるま イスや杖 つえ 、日 にち 用品 ようひん を子 こ どもたちに配 くば っていたので、そこにいた人 ひと たちは、みなマイルストンのメンバーに気付 きづ きました。
Hirshberg氏 し は、近々 ちかぢか Attockで設置 せっち する新 あたら しい救援 きゅうえん キャンプに、ピアカウンセリングと自立 じりつ 生活 せいかつ の支援 しえん が必要 ひつよう だと言 い いました。それから、メンバーは地元 じもと の人 ひと たちで運営 うんえい している救援 きゅうえん キャンプを訪 たず ねました。そこでは被災 ひさい 者 しゃ と会 あ い、ショックをとりのぞき、自信 じしん をもって自立 じりつ した生活 せいかつ ができるようエンパワーしました。被災 ひさい 者 しゃ に安心 あんしん できる環境 かんきょう を提供 ていきょう している現地 げんち での運営 うんえい 努力 どりょく をメンバーは立派 りっぱ だと思 おも いました。
キャンプを訪 たず ねた後 のち 、メロディ救援 きゅうえん キャンプにたくさんの脊損の人 ひと たちが収容 しゅうよう されているという話 はなし を聞 き き、少 すこ しの時間 じかん も無駄 むだ にせず移動 いどう し、脊損の人 ひと たちと会 あ いました。みな、脊損についての自覚 じかく と知識 ちしき がないため、ひどい状態 じょうたい でした。
メンバーは、そこにいた障害 しょうがい 者 しゃ たちと障害 しょうがい について役立 やくだ つ知識 ちしき や情報 じょうほう を伝 つた えました。そして、障害 しょうがい を受 う け入 い れ、自信 じしん をもって生活 せいかつ し、自分 じぶん たちの権利 けんり のためにたたかうよう励 はげ ましました。
脊損がどんなものか話 はなし を聞 き いてから、新 あたら しく障害 しょうがい をもった人 ひと たちはとてもリラックスしました。彼 かれ らが一番 いちばん 困 こま っていたのはトイレ問題 もんだい でした。ピアカウンセリングを通 とお してエンパワーし、それぞれの出身 しゅっしん 地 ち に戻 もど ったとき差別 さべつ のない社会 しゃかい をつくるためたたかうよう刺激 しげき しました。褥 しとね 瘡 かさ にならないよう、手術 しゅじゅつ 用 よう の手袋 てぶくろ をいくつか購入 こうにゅう し手袋 てぶくろ の中 なか を空気 くうき でいっぱいにし、脊損の人 ひと たちの足 あし の下 した におきました。
夜 よる になり、ラホールのAl-Hijaz病院 びょういん で治療 ちりょう を受 う けている脊損の人 ひと たち15人 にん の対応 たいおう をするため、戻 もど ることを決 き めました。
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●11/5 シャフィック(ライフILセンター)発信 はっしん
2005年 ねん 10月 がつ 8日 にち の地震 じしん は、パキスタン全土 ぜんど 、特 とく にAzad
Kashimir と北部 ほくぶ 地域 ちいき を破壊 はかい しました。たくさんの美 うつく しい緑 みどり の渓谷 けいこく は、墓地 ぼち と化 か しました。
家 いえ 、学校 がっこう 、公共 こうきょう の建物 たてもの は跡形 あとかた もなくなりました。ほとんどの人々 ひとびと は死 し に、そして生 い き残 のこ った人々 ひとびと も毎日 まいにち 死 し んでいっています。ある者 もの は頚 けい 損 そん になり、ある者 もの は脚 あし や手 て を失 うしな いました。そして多 おお くの人々 ひとびと は家族 かぞく を失 うしな いました。
10月11日 にち に、マイルストンは、すでに壊滅 かいめつ したAzad
Kashmir を訪 おとず れ、必要 ひつよう な日 ひ 用品 ようひん や薬 くすり を配 くば りました。2回 かい 目 め の訪問 ほうもん では、Abbotabad,
Thandyani, Pattan, Kalan , Pattan Khurd 村 むら を含 ふく む北部 ほくぶ 地域 ちいき
を訪問 ほうもん しました。そして日 にち 用品 ようひん や薬 くすり を被災 ひさい 者 しゃ に配布 はいふ しました。3回 かい 目 め の訪問 ほうもん は、新 あら たに障害 しょうがい 者 しゃ になった子供 こども 、女性 じょせい 、男性 だんせい を訪問 ほうもん してほしいと世界銀行 せかいぎんこう からマイルストンのメンバーに連絡 れんらく があり、イスラマバードへ向 む かいました。10月25日 にち にマイルストンのメンバー(Shafiq,
Akmal, Ashar)は、特別 とくべつ 教 きょう 育 そだて 国立 こくりつ 研究所 けんきゅうじょ を訪問 ほうもん し、地震 じしん で 新 あら たに障害 しょうがい をもった治療 ちりょう 中 ちゅう の子 こ どもや大人 おとな に会 あ いました。マイルストンメンバーは、被災 ひさい 者 しゃ を元気 げんき づけエンパワーしました。そして人生 じんせい と向 む かい合 あ うことと、これからの人生 じんせい がどれだけたいへんなものになるかも分 わ からなけれども受 う け入 い れることを教 おし えました。
世界銀行 せかいぎんこう のテクニカルアドバイザーSusanは、マイルストンのメンバーに5つの車 くるま いすとクラッチを緊急 きんきゅう に必要 ひつよう とする被災 ひさい 者 しゃ に用意 ようい するよう頼 たの みました。なぜなら研究所 けんきゅうじょ にある車 くるま いすは被災 ひさい 者 しゃ には合 あ わなかったからです。
マイルストンのメンバーは、家 いえ をなくした人 ひと たちを助 たす けるという思 おも いで一 いち 杯 はい になっていました。彼 かれ らは、よりよい人生 じんせい への希望 きぼう も夢 ゆめ も全 すべ て失 うしな い、打 う ち砕 くだ かれていました。目 め はあるけれども虚空 こくう を見 み つめ、脚 あし はあるけれども進 すす むべき道 みち を失 しつ くし、行 い くあてもなく、悩 なや みを打 う ち明 あ ける相手 あいて もいません。
被災 ひさい 者 しゃ を助 たす けるために、ラホールに戻 もど り、脚 あし を失 うしな った被災 ひさい 者 しゃ に配布 はいふ するために5台 だい の車 くるま いすとクラッチを準備 じゅんび しました。イスラマバードからの1名 めい を含 ふく む6名 めい のメンバー(Mr.
Asim, Mr. Ashar, Mr. At if, Mr. Hamid, Ms.
Fahmina, Mr. Zahid)は、時間 じかん を無駄 むだ にすることなく、被災 ひさい した人々 ひとびと の人生 じんせい に新 あら たな命 いのち を吹 ふ き込 こ むべく使命 しめい をもって、夜 よる 12時 じ に出発 しゅっぱつ しました。
空気 くうき は冷 ひ えていましたが、私 わたし たちの思 おも いは熱 あつ かったのです。
メンバーは被災 ひさい 者 しゃ への車椅子 くるまいす の配布 はいふ とエンパワーのために早朝 そうちょう にイスラマバードに到着 とうちゃく し、特別 とくべつ 教育 きょういく 国立 こくりつ 研究所 けんきゅうじょ を訪問 ほうもん しました。最初 さいしょ に医者 いしゃ とスーザンに会 あ い、そして被災 ひさい 者 しゃ に会 あ いました。被災 ひさい 者 しゃ は、障害 しょうがい 者 しゃ が簡単 かんたん に動 うご けることを少 すこ しも想像 そうぞう できなかったので、ライフストンのメンバーを見 み て、とても勇気 ゆうき づけられました。ラフォーレからエンパワーのためにやってきたことを知 し ったとき、彼 かれ らは人生 じんせい に新 あら たな生命 せいめい が吹 ふ き込 こ まれたようでした。
メンバーは、被災 ひさい 者 しゃ 一 いち 人 にん 一 いち 人 にん を訪問 ほうもん し、エンパワーし、障害 しょうがい を受容 じゅよう して生 い きてゆくよう教 おし えました。人生 じんせい は脚 あし や手 て が全 すべ てではない、人生 じんせい とは生 い きてこそだ、こういった言葉 ことば にそこにいた人々 ひとびと たち微笑 ほほえ み、相談 そうだん 相手 あいて になってくれたことをメンバーへ感謝 かんしゃ しました。
そして、メンバーは車 くるま いすを必要 ひつよう としている人 ひと のところに行 い きました。彼 かれ らは、車 くるま いすは持 も っていましたが身体 しんたい には合 あ わず、簡単 かんたん には使 つか えなかったため、車 くるま いすよりもベッドや母親 ははおや の膝 ひざ の上 うえ のほうがましだと思 おも っていました。
マイルストンメンバーは、主 おも に子供 こども の被災 ひさい 者 しゃ に車 くるま いすを配 くば りました。使 つか いやすい車 くるま イスは、おもちゃのように簡単 かんたん に使 つか うことができました。車 くるま いすをつかうことで、生 い き生 い きとした表情 ひょうじょう になり、笑顔 えがお を取 と り戻 もど しました。自由 じゆう に動 うご けるように、まるで誰 だれ かが子 こ どもたちに魔法 まほう をかけたようでした。今 いま や、子供 こども たちは自由 じゆう に空 そら を飛 と びまわる鳥 とり のようでした。
子 こ どもたちの笑顔 えがお をみて、メンバーは救援 きゅうえん 活動 かつどう を続 つづ けることに対 たい して熱心 ねっしん さが増 ま し、なんとなく満 み たされた気持 きも ちになりました。車 くるま いすを配布 はいふ したあとに、脊損になった16歳 さい の少女 しょうじょ が特別 とくべつ 教育 きょういく 国立 こくりつ 研究所 けんきゅうじょ の隣 となり にある
Al-Shifa国際 こくさい 病院 びょういん
に入院 にゅういん していることがわかりました。マイルストンのメンバーは病院 びょういん へ急 いそ ぎ、この少女 しょうじょ と会 あ いました。
彼女 かのじょ の状況 じょうきょう はまったくひどいものでした。食 た べることも話 はな すこともやめてしまっていました。まるで死人 しにん のように生 い きることに全 まった く興味 きょうみ を失 うしな ってしまっています、と母親 ははおや は言 い いました。しかし、マイルストンのメンバーが、生 い きていくことに役立 やくだ つ経験 けいけん と知識 ちしき を教 おし えると、彼女 かのじょ の気持 きも ちはずっと楽 らく になりました。日常 にちじょう 生活 せいかつ についての知識 ちしき や情報 じょうほう 、例 たと えばトイレやお風呂 ふろ 、食事 しょくじ の方法 ほうほう など、誰 だれ も教 おし えなかった基本 きほん 的 てき な情報 じょうほう を教 おし えました。聞 き いているうちに、彼女 かのじょ の表情 ひょうじょう はいきいきとしてきて、人生 じんせい を取 と り戻 もど しているようでした。そして、ちゃんと食事 しょくじ をし、他 た の人 ひと たちのように生 い きることを約束 やくそく しました。彼女 かのじょ は脊損という障害 しょうがい とともに生 い きるという現実 げんじつ を受 う け入 い れつつありました。
Al-Shifa国際 こくさい 病院 びょういん にいた医師 いし に、脊損になった女性 じょせい がこの病院 びょういん にあと4人 にん いるので、彼女 かのじょ たちにも是非 ぜひ 会 あ ってほしいと言 い われ、すぐに会 あ いに行 い きました。皆 みな 、さっきの少女 しょうじょ と同 おな じ不安 ふあん を抱 かか えていました。食事 しょくじ をすることへも生 い きることへも興味 きょうみ がありませんでした。そして、脊髄 せきずい 損傷 そんしょう の知識 ちしき もまったくありませんでした。しかし、マイルストンのメンバーが脊損について教 おし えると問題 もんだい は解決 かいけつ されました。また、経験 けいけん を共有 きょうゆう することで、それぞれが自分 じぶん らしく生 い きることができるようになりました。
その場 ば にいた1人 ひとり の女性 じょせい の変化 へんか は、とても励 はげ まされるものでした。最初 さいしょ 、マイルストンのメンバーが部屋 へや に入 はい ったとき、彼女 かのじょ は泣 な いていました。ところが、話 はなし を聞 き き、マイルストンのメンバーが車 くるま いすで移動 いどう し仕事 しごと をしている様子 ようす をみるうちに、微笑 ほほえ んで「今 いま 、私 わたし は幸 しあわ せです。人生 じんせい へ向 む かい合 あ う準備 じゅんび ができました。」と言 い いました。これは奇跡 きせき としか言 い いようがありません。濡 ぬ れた目 め が微笑 びしょう へと変 か わったこの瞬間 しゅんかん を決 けっ して忘 わす れることはないでしょう。そのときIftarの時間 じかん になったので、内務省 ないむしょう とCapital
Development Authorityが病院 びょういん としてつかっているJinnahスタジアムを訪 おとず れることにし、Iftarのためにホテルへ移動 いどう しました。
スタジアムで会 あ った医師 いし がとても協力 きょうりょく 的 てき で、大変 たいへん 勇気 ゆうき づけられました。訪問 ほうもん の目的 もくてき を告 つ げると、マイルストンの活動 かつどう にとても感銘 かんめい を受 う け、賞賛 しょうさん してくれました。医師 いし には42年間 ねんかん
脊損の母親 ははおや がいて、自立 じりつ 生活 せいかつ について
深 ふか い知識 ちしき と理解 りかい があり、被災 ひさい 者 しゃ を訪問 ほうもん することを許可 きょか してくれました。被災 ひさい 者 しゃ は自分 じぶん たちに役立 やくだ つ知識 ちしき をとても喜 よろこ びました。
地震 じしん の時 とき 、子 こ どもたちは学校 がっこう でどんなふうだったか経験 けいけん を語 かた り合 あ いました。学校 がっこう から出 で てくることができなかったり、重 おも たい瓦礫 がれき の下 した に閉 と じ込 こ められ2日 にち 後 ご に発見 はっけん され救出 きゅうしゅつ された、などです。多 おお くの子 こ どもたちは脚 あし や手 て を失 しつ くしていました。ほとんどの子 こ が頭 あたま を怪我 けが していて、ある小 ちい さな女 おんな の子 こ は話 はな すことができなくなっていました。マイルストンのメンバーは子 こ どもたち一 いち 人 にん 一人 ひとり に対応 たいおう し、笑顔 えがお を取 と り戻 もど しました。そして、どんな状況 じょうきょう にでも向 む き合 あ えるよう勇気 ゆうき づけました。
頭 あたま を怪我 けが した女 おんな の子 こ の誕生 たんじょう 日 び を歌 うた を歌 うた っておいしました。たくさんの親 おや は悲 かな しみを共有 きょうゆう し合 あ いました。マイルストンのメンバーは話 はなし を聞 き き、必要 ひつよう な知識 ちしき を伝 つた えました。皆 みな 、とてもリラックスし、マイルストンのメンバーとたくさんの時間 じかん を過 す ごし、知識 ちしき に感謝 かんしゃ し、どんな社会 しゃかい の態度 たいど にも恐 おそ れず自立 じりつ 生活 せいかつ を送 おく ることを約束 やくそく しました。そして、強 つよ い心 しん を持 も ち、笑顔 えがお で車 くるま いすの生活 せいかつ することを約束 やくそく しました。全 すべ て神 しん によって創造 そうぞう され、全 すべ てはうまくできているからです。これが私 わたし たちの努力 どりょく の成果 せいか です。そして、次 つぎ のステップへの始 はじ まりです。
一番 いちばん 最初 さいしょ のステップはシェルターや食料 しょくりょう や薬 くすり の支援 しえん を短期間 たんきかん 行 い ったことです。
次 つぎ のステップは長期 ちょうき 的 てき になります。リハビリするよう働 はたら きかけること、つまり今 いま まで私 わたし たちが行 おこな ってきた活動 かつどう です。
被災 ひさい 地 ち のカシミールへ7回 かい 訪問 ほうもん し、脊損者 しゃ に会 あ いにイスラマバードの複数 ふくすう の病院 びょういん や野戦 やせん 病院 びょういん へ8回 かい 訪問 ほうもん しました。
先週 せんしゅう から雪 ゆき が降 ふ り始 はじ め、この11月はもっとも忙 いそが しい月 つき になります。
ここで、非常 ひじょう に緊急 きんきゅう で重要 じゅうよう な問題 もんだい があります。今 いま までに、地震 じしん が起 お こる前 まえ から障害 しょうがい があり、自力 じりき で病院 びょういん やリハビリテーションセンターへたどり着 つ いた人 ひと に、私 わたし たちはまだ2人 にん しか出会 であ っていません。彼 かれ ら以外 いがい の、もともと障害 しょうがい のあった人 ひと たちは今 いま どこにいるのでしょう。
みな死 し んでしまったのでしょうか?
山岳 さんがく 地帯 ちたい の壊 こわ れた家 いえ の中 なか で、いまだに助 たす けを待 ま っているのでしょうか?
いまだに家族 かぞく が隠 かく しているのでしょうか?
もしくは、生 い き延 の びて家族 かぞく が世話 せわ をしているのでしょうか?しかし、もし生 い き延 の びていたとしても、何 なん 百 ひゃく 万 まん という人々 ひとびと が家 いえ をなくしテントで暮 く らしているのに障害 しょうがい 者 しゃ が野外 やがい のテントにいないということは……どうしてでしょう?壊 こわ れた家 いえ の中 なか で、いまだに死 し を待 ま っているのでしょうか?
こういった懸念 けねん を明 あき らかにしていくつもりです。
新 あら たに障害 しょうがい を持 も った人 ひと のためにもっともっと車 くるま いすがあれば、と心 しん から思 おも います。それぞれが出身 しゅっしん 地 ち へ戻 もど ったとき、政府 せいふ へ建物 たてもの のバリアフリー化 か を求 もと めたり、統合 とうごう 教育 きょういく を求 もと めるデモをすることができるからです。私 わたし たちはこの大 おお きすぎる目標 もくひょう のちょっとしたベースづくりをしたいと思 おも っています。そして、不利 ふり な立場 たちば から有利 ゆうり なものを獲得 かくとく できると信 しん じています。
私 わたし たちが、どうしてこういう信念 しんねん をもつことができるのでしょうか?それは皆 みな さんの大 おお きな援助 えんじょ と努力 どりょく があるからです。皆 みな さんの障害 しょうがい 者 しゃ へ対 たい する暖 あたた かな姿勢 しせい 。皆 みな さんが私 わたし たちへ費 つい やしてくれたたくさんの時間 じかん と送 おく ってくれた尊 とうと いお金 かね 。
私 わたし には、個人 こじん 的 てき に、皆 みな さんからの寄付 きふ に対 たい する報告 ほうこく と問 と い合 あ わせへの責任 せきにん があり、皆 みな さんからの信頼 しんらい への責任 せきにん があります。本当 ほんとう にありがとうございます。
シャフィック
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●10/31 シャフィック(ライフILセンター)発信 はっしん
親愛 しんあい なる友人 ゆうじん の皆様 みなさま へ
現地 げんち では、より迅速 じんそく な救援 きゅうえん 活動 かつどう が必要 ひつよう とされています。
胸 むね が痛 いた むことに、とてもひどい状況 じょうきょう です。
昨日 きのう から雪 ゆき が降 ふ り始 はじ めました。
政府 せいふ は100万 まん 人 にん 分 ぶん のテントを支給 しきゅう することを約束 やくそく しました。
現在 げんざい 、ほとんどの人 ひと がテントを確保 かくほ できていません。
想像 そうぞう してみて下 くだ さい。もしテントがあれば…
気温 きおん −15℃、10フィートの雪 ゆき の中 なか 、生 い きのびることができるでしょう。
死 し 、ただ死 し だけが彼 かれ らを待 ま ち受 う けています。
私 わたし たちにできることといえば…
Hari pur とMuzaffarabadの病院 びょういん にいる子 こ どもたちを救 すく うことだけです。
シャフィック
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●10/25 シャフィック(ライフILセンター)発信 はっしん
お元気 げんき ですか?
今日 きょう 、日本 にっぽん の友人 ゆうじん からテントと衣服 いふく を受 う け取 と りました。適切 てきせつ なところに送 おく るつもりです。
私 わたし はあの日 ひ 、眠 ねむ っていましたが家 いえ が揺 ゆ れているのに気 き づき目 め がさめました。天井 てんじょう 扇風機 せんぷうき が電気 でんき なしで動 うご き始 はじ めました。地震 じしん の音 おと は、まるでヘリコプターが飛 と んでいるような音 おと でした。それは、運命 うんめい の日 ひ でした。みんな悲 かな しくて泣 な いていました。私 わたし は、マイルストンのメンバーに電話 でんわ をかけ始 はじ めました。Asimの家 いえ は完全 かんぜん に壊 こわ れました。Akmalの携帯 けいたい は通 つう じませんでした。ただありがたいことにAshar
と Hamid(Atif)と他 た の友人 ゆうじん たちは無事 ぶじ でした。テレビのニュースでは、かなり強 つよ い地震 じしん であることを伝 つた えていました。ただ被害 ひがい 状況 じょうきょう は公表 こうひょう されなかったので、みんな心配 しんぱい になりました。
たくさんの人 ひと たちが亡 な くなりました。イスラマバードの被害 ひがい は世界中 せかいじゅう に伝 つた わりました。私 わたし は急遽 きゅうきょ マイルストーンのミーティングを行 おこな いました。マイルストーンのメンバーは、地震 じしん の被災 ひさい 者 しゃ のために命 いのち をささげる覚悟 かくご ができていました。私 わたし たちには、資金 しきん がありませんでした。でも意思 いし あるところに道 みち は開 あ けます。私 わたし たちは、1軒 けん 1軒 けん 毛布 もうふ と食 た べ物 もの を提供 ていきょう していただけないか尋 たず ねてまわりました。夜 よる までに私 わたし たちは、毛布 もうふ と暖 あたた かい衣服 いふく と食 た べ物 もの でトラックを一 いち 杯 はい にしました。姉妹 しまい 団体 だんたい の一 ひと つが Bagh
AzadKashmir の近 ちか くにあるSesarという村 むら から連絡 れんらく して来 き ました。私 わたし たちは、Kashmir 方面 ほうめん へ出発 しゅっぱつ しました。私 わたし たちは車 くるま いすをトラックに積 つ んで、後 うし ろに乗 の りました。マイルストンは、いつも福祉 ふくし 事業 じぎょう の先端 せんたん で活動 かつどう をする革新 かくしん 的 てき な団体 だんたい として知 し られています。Sheela
Buttでは壊滅 かいめつ した状況 じょうきょう が当 あ たり前 まえ のようになっていました。倒壊 とうかい した家 いえ にいた犬 いぬ は、子供 こども の身体 しんたい を食 く いちぎっていました。壊滅 かいめつ した村 むら の一方 いっぽう では嵐 あらし のように雨 あめ が降 ふ っていました。私 わたし たちは、もうこのような危険 きけん な状況 じょうきょう では家 いえ に帰 かえ れないかもしれないと考 かんが え始 はじ めていました。でも神様 かみさま は私 わたし たちにもう少 すこ し、人生 じんせい を与 あた えてくれたようです。それで私 わたし たちは、雨 あめ の中 なか 自分 じぶん たちの使命 しめい に向 む かって動 うご き始 はじ めました。私 わたし たちは、食 た べ物 もの と毛布 もうふ を必要 ひつよう な人 ひと たちに配 くば りましたが、雨 あめ や寒 さむ さをしのぐテントは持 も ってきていませんでした。みんな落胆 らくたん していました。でも障害 しょうがい 者 しゃ が支援 しえん に来 き たのに気 き づいて驚 おどろ いていました。
私 わたし たちは、壊 こわ れた家 いえ の下敷 したじ きになっている障害 しょうがい 者 しゃ たちを元気 げんき 付 つ けていました。地震 じしん が起 お きたときみんな家 か から走 はし り出 で てきましたが、障害 しょうがい 者 しゃ の友人 ゆうじん たちは生 い き埋 う めになっていました。誰 だれ も彼 かれ らを助 たす けることができず、彼 かれ ら自身 じしん も脱出 だっしゅつ することができませんでした。多分 たぶん 、死 し ぬという貴重 きちょう な瞬間 しゅんかん を無駄 むだ にしたくなかったので、出 で て来 こ ようとしなかったのでしょう。彼 かれ らは、生 い き延 の びてつらい生活 せいかつ を繰 く り返 かえ すよりも死 し んだ方 ほう がましだと思 おも ったのかもしれません。あるお婆 ばあ さんの息子 むすこ もまた、壊 こわ れた家 いえ の下敷 したじ きになっていました。そして私 わたし にむかって「私 わたし の息子 むすこ はあなたのように車 くるま いすは持 も っていない」と言 い いました。死 し んでしまったら車椅子 くるまいす は必要 ひつよう ないかもしれませんが、MuzaffarabadやBalakotや
Baghにいる地震 じしん の犠牲 ぎせい 者 しゃ たちが生 い きていくには必要 ひつよう なものです。
今 いま や何 なん 万 まん もの人々 ひとびと が障害 しょうがい をもっています。腕 うで や脚 あし を失 うしな ったり、多 おお くの人 ひと が脊椎 せきつい 損傷 そんしょう になっています。こういった人 ひと たちを放 はな っていてはならないし、障害 しょうがい があっても幸 しあわ せに生 い きていけるよう手助 てだす けをしなくてはなりません。障害 しょうがい があることは別 べつ に変 へん なことではなく、社会 しゃかい で特異 とくい な存在 そんざい というわけではないし、自分 じぶん たちの権利 けんり を知 し ることは基本 きほん 的 てき 人権 じんけん だということを伝 つた える必要 ひつよう があります。
とても胸 むね が痛 いた む思 おも いでLahoreに戻 もど ってきました。途中 とちゅう 、誰 だれ も言葉 ことば を発 はっ する人 ひと はいませんでした。助 たす けを必要 ひつよう としている仲間 なかま たちのために、また戻 もど ってくることを皆 みな 考 かんが えていました。
翌日 よくじつ 、被災 ひさい 地 ち に再 ふたた び行 い くことを決 き め、まだ救助 きゅうじょ 隊 たい がたどりついていないというPattan
Kalan と Pattan Khurdという地域 ちいき を目指 めざ すことになりました。まず、Abbottabadで毛布 もうふ 500枚 まい と薬 くすり 3500人 にん 分 ぶん 、ミルク800パック、数 かぞ え切 き れないほどのラスクをトラックへ積 つ みました。Pattan
Kalanへ向 む かう途中 とちゅう 、Thundyaniから Pattan Khurd
に着 つ きました。Muzaffarabadでは壊滅 かいめつ した状況 じょうきょう が一目 いちもく でわかりました。死体 したい の匂 にお いが漂 ただよ い、いたるところで家屋 かおく が倒壊 とうかい していました。子 こ どもや高齢 こうれい 者 しゃ 、あらゆる人々 ひとびと が助 たす けを求 もと めて道端 みちばた に列 れつ をなしていました。誰 だれ を最初 さいしょ に助 たす けるべきか、誰 だれ もわからない状況 じょうきょう でした。私 わたし たちは、若 わか い人 ひと たちは自分 じぶん たちでなんとかできるだろうと判断 はんだん し、子 こ どもと女性 じょせい に物資 ぶっし を配 くば ることにしました。しかし、ある女性 じょせい は死 し んだ子 こ どもを膝 ひざ に抱 いだ き、「私 わたし よりもまずこの子 こ に食 た べ物 もの を」と言 い い、援助 えんじょ を拒 こば みました。
家々 いえいえ は墓場 はかば と化 か し、みな家 か をなくし、打 う ちひしがれていました。軍隊 ぐんたい は救援 きゅうえん をいそいでいました。私 わたし たちは、彼 かれ らを直視 ちょくし することができませんでした。
今 いま 私 わたし たちは、障害 しょうがい をもった人 ひと たち向 む けのカウンセリングのためのプランを作成 さくせい 中 ちゅう です。私 わたし たちの本当 ほんとう の責任 せきにん は、新 あら たな障害 しょうがい 者 しゃ をエンパワメントするプログラムをおこなうことです。次 つぎ に、今後 こんご の街 まち の復旧 ふっきゅう 作業 さぎょう をすすめる過程 かてい で、バリアフリー化 か をはかるよう政府 せいふ に提案 ていあん していくことです。
今後 こんご も報告 ほうこく を続 つづ けます。
シャフィック
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●10/13 21:00 シャフィック(ライフILセンター)発信 はっしん
ラ・ホールで寄付 きふ を募 つの り500人 にん 分 ぶん の食料 しょくりょう 、10000人 にん 分 ぶん の医薬品 いやくひん 、150人 にん 分 ぶん の衣料 いりょう 、55人 にん 分 ぶん の毛布 もうふ 、500人 にん 分 ぶん のミルクと保存 ほぞん 食料 しょくりょう が集 あつ まった支援 しえん 物資 ぶっし をライフILセンターのメンバー9名 めい とマイルストーンの5名 めい はこれらの食料 しょくりょう 品 ひん 、医薬品 いやくひん 、中古 ちゅうこ 衣料 いりょう 、毛布 もうふ 、暖 あたた かい肩掛 かたか け、子供 こども 用 よう 食料 しょくりょう などを最 もっと も被害 ひがい の大 おお きかったDHEER KOTに届 とど けてきました。DHEER KOT という村 むら は12000フィート(約 やく 3700メートル)の高 たか さにあり、そこに行 い くのに7時 じ 間 あいだ かかりました。驚 おどろ いたことに、その町 まち の住人 じゅうにん 5500人 にん は1人 ひとり 残 のこ らず死亡 しぼう していたのです。その次 つぎ の山 やま に向 む かいました。そのときには豪雨 ごうう が降 ふ り始 はじ め、非常 ひじょう に危険 きけん な状態 じょうたい でした。BAGH という地域 ちいき では、わずか5000人 にん が生 い き残 のこ り、その他 た のほとんどの人 ひと たちは死 し んでいました。ここではおそらく5000人 にん の人 ひと たちが死亡 しぼう したようです。そこでは、医薬品 いやくひん も無 な く、交通 こうつう 手段 しゅだん もないので、その町 まち から出 で られず、多 おお くのものが知的 ちてき 障害 しょうがい を持 も ち、食料 しょくりょう もなかったのが死亡 しぼう 原因 げんいん と見 み られます。その場所 ばしょ は高 たか い山 やま の上 うえ にあり、雨 あめ のためヘリコプターも到達 とうたつ できませんでした。我々 われわれ は生存 せいぞん 者 しゃ を探 さが しまわりました。しかし、多 おお くの家 いえ は家族 かぞく の墓場 はかば と化 か していました。わたしの側 がわ には倒壊 とうかい した家 いえ があり、数 すう 匹 ひき の犬 いぬ が人間 にんげん の赤 あか ん坊 ぼう を食 た べていました。私 わたし は石 いし を投 な げて犬 いぬ を追 お い払 はら いましたが、そのうち一 いち 匹 ひき が赤 あか ん坊 ぼう の腕 うで を口 くち にくわえて、走 はし っていきました。
日本 にっぽん から障害 しょうがい 者 しゃ に対 たい して支援 しえん を得 え られるのであれば……でも現地 げんち にはもはや障害 しょうがい 者 しゃ は存在 そんざい せず、我々 われわれ の仲間 なかま も死 し んでいます。そこにはもはや障害 しょうがい 者 しゃ はおりません。もし、テント、毛布 もうふ 、薬 くすり 、この3点 てん があればまだ生 い き延 の びられる人 ひと たちがいます。雨 あめ がよく降 ふ っているので水 みず はいりません。私 わたし たちは、BHAD地区 ちく に住 す む3000名 めい を支援 しえん するという目標 もくひょう を立 た てました。
私 わたし たちは品物 しなもの を集 あつ めており、市民 しみん も協力 きょうりょく してくれています。
私 わたし たちは今 いま 、最大 さいだい の試練 しれん に直面 ちょくめん していますが、ベストを尽 つ くしています。
我々 われわれ のこの第 だい 1歩 ほ が成功 せいこう すれば、彼 かれ らは生 い き延 の びられるでしょう。それは私 わたし たちの人生 じんせい にとっても大 おお きな実績 じっせき となるでしょう。しかし、雪 ゆき が降 ふ り始 はじ めるので我々 われわれ には一 いち 週間 しゅうかん しか時間 じかん がなく考 かんが えている時間 じかん はありません。ここ4日間 にちかん は寝 ね ていません。私 わたし にはできないかも…。私 わたし のためにお祈 いの り下 くだ さい。ありがとう。明日 あした と明後日 みょうごにち には品物 しなもの を集 あつ めなければなりません。
私 わたし はとても疲 つか れました。もう家 いえ に帰 かえ らないと…。きっとよく眠 ねむ れることでしょう。
関心 かんしん を持 も って頂 いただ いてありがとうございます。我々 われわれ には何 なに かができると信 しん じています。
皆 みな さんに神 かみ のご加護 かご がありますように。
シャフィック
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