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パキスタン地震緊急救援基金へのご協力をお願いします
緊急きんきゅう基金ききんによるくるまいす作製さくせいプロジェクト報告ほうこく その2 【最終さいしゅうばん 2007とし8つき14にち
緊急きんきゅう基金ききんによるくるまいす作製さくせいプロジェクト報告ほうこく その2

緊急きんきゅう基金ききんによるくるまいす作製さくせいプロジェクト報告ほうこく
 
地震じしん救援きゅうえん活動かつどう報告ほうこく
地震じしん緊急きんきゅう救援きゅうえん基金ききん協力きょうりょくへのおれいとおねが
12月 パキスタン報告ほうこくかい様子ようす

12月 パキスタン報告ほうこくかいのおらせ 
11月20にちのパキスタン報告ほうこくかい延期えんきのおらせ 
緊急きんきゅう救援きゅうえん基金ききん報告ほうこく 送金そうきんじょうきょう 2006とし12つき12にち
パキスタン報告ほうこく
  2005/11/24      シャフィック(ライフILセンター)発信はっしん
  2005/11/05      シャフィック(ライフILセンター)発信はっしん
  2005/10/31      シャフィック(ライフILセンター)発信はっしん
  2005/10/25      シャフィック(ライフILセンター)発信はっしん
  2005/10/13 21:00 シャフィック(ライフILセンター)発信はっしん

パキスタン地震じしん緊急きんきゅう救援きゅうえん基金ききんへの
協力きょうりょくをおねがいします
2005ねん10がつ12にち

 10月8にちパキスタン北部ほくぶおそった地震じしん被害ひがい予想よそうえてひろがっているようです。パキスタンのライフILセンターでは所長しょちょうのシャフィックなど職員しょくいん毛布もうふ救援きゅうえん物資ぶっしって、一昨日おとといより現地げんちはいっています。

 いち昨夜さくや、シャフィックはトラックで救援きゅうえん物資ぶっしを12あいだかけて現地げんち山間さんかんまでちこんで、今日きょう3にイスラマバードに帰還きかんしました。携帯けいたい電話でんわでのやりとりではかれが「Oh my god! Oh my god!」とかえこえがきかれたようです。今日きょう電話でんわのやりとりによると、現地げんちでは、子供こども死体したいいぬべている情景じょうけいをあちこちでかけたそうです。地震じしんによる倒壊とうかい脊髄せきずい損傷そんしょうになってあらたな障害しょうがいしゃ大勢おおぜいまれています。びることに全力ぜんりょくそそがれており、現在げんざい中古ちゅうこ毛布もうふ、テント、食料しょくりょうひんなどが緊急きんきゅうもとめられています。シャフィックはこれからラフォールにかえり、必要ひつようとされる資材しざいあつめてそのあしでまた現地げんちりする予定よていです。シャフィックからの続報ぞくほう写真しゃしんりではいる予定よていです。DPIアジア太平洋たいへいようブロックでも募金ぼきん活動かつどう開始かいしすることになっています。

 現地げんちでの支援しえん窓口まどぐちはシャフィックの運営うんえいするライフILセンターとし、日本にっぽんがわ支援しえん体制たいせいはJILを事務じむきょくとしDPIが協力きょうりょくするというかたちをとります。さい優先ゆうせん課題かだいとして、食料しょくりょうひんやテントをうための現金げんきん必要ひつようです。そのための振込ふりこみ口座こうざをつくりましたので、かく団体だんたいにおかれましては会員かいいんにメールや会報かいほうなどで協力きょうりょくびかけをおねがいいたします。目標もくひょう金額きんがくを100まんえん設定せっていして募金ぼきん活動かつどうおこないます。援助えんじょ物資ぶっし送付そうふについては、パキスタンの事情じじょうにより時間じかんがかかるとう理由りゆうから、とりあえず当面とうめん資金しきん援助えんじょしぼって活動かつどうすることとしました。どうしてもおくりたい物資ぶっしがあるということであれば、DPIかJIL事務じむきょくまで相談そうだんくださいませ。

支援しえんきん下記かき口座こうざにおください。


多摩たま信用金庫しんようきんこ 京王けいおう八王子はちおうじ支店してん 普通ふつう 0217827
パキスタン地震じしん緊急きんきゅう救援きゅうえん基金ききん 代表だいひょう 中西なかにし正司せいじ

*2006ねん1がつ10日とおかより、『多摩たま信用しんよう中央金庫ちゅうおうきんこ』→多摩たま信用金庫しんようきんこ変更へんこうになりました


くわしい内容ないようのおわせは下記かきにおねがいします。

連絡れんらくさき】 DPI日本にっぽん会議かいぎ 三澤みさわ りょう 
       〒101-0054 東京とうきょう千代田ちよだ神田かんだにしきまち3-11-8 武蔵野むさしのビル5F 
       TEL:03-5282-3730  FAX:03-5282-0017

事務じむきょく】 全国ぜんこく自立じりつ生活せいかつセンター協議きょうぎかい(JIL)
       〒192-0046 東京とうきょう八王子はちおうじ明神みょうじんまち4-11-11 シルクヒルズ大塚おおつか1F
       TEL:0426-60-7747 FAX:0426-60-7746


なるべくはやだい1かい送金そうきんをしたいとおもいますので、それまでに基金ききんみの可能かのう個人こじん団体だんたい是非ぜひともおねがいます。緊急きんきゅう救援きゅうえんきんはやければはやいほど効果こうかがあります。かく団体だんたいのご協力きょうりょく支援しえんをおねがいいたします。





12月 パキスタン報告ほうこくかいのおらせ
パキスタン地震じしん緊急きんきゅう救援きゅうえん基金ききん報告ほうこくかい

10月8にち発生はっせいしたパキスタン北部ほくぶおそった地震じしんわたしたちは、被災ひさい直後ちょくごから障害しょうがい被災ひさいしゃ救援きゅうえん活動かつどう開始かいしした、パキスタンのライフケアILセンター(障害しょうがいしゃ団体だんたい)をつうじて物資ぶっし・240まんえん以上いじょう義援金ぎえんきんおくるなどの支援しえんをしてきました。日本にっぽん国内こくない支援しえん協力きょうりょくしてくださったみなさまたいして、11月20にちにライフケアILセンターの所長しょちょうであるシャフィクさんが来日らいにちして報告ほうこくかいおこな予定よていでしたが、現地げんちでの支援しえん優先ゆうせんしたいということで延期えんきされていました。その報告ほうこくかいおこなうことが決定けっていしました。

 被災ひさいから2ヶ月かげつ現地げんちでは、地震じしん被害ひがいによってあらたに障害しょうがいつことになってしまったひとたちがえているということです。今後こんごのサポートがますます重要じゅうようになってくるところだとおもいます。お時間じかんのあるほうはぜひ、あしをおはこびください。

新宿しんじゅく 名古屋なごや 西宮にしのみや


 
新宿しんじゅく

 ■日時にちじ 2005ねん12月7にちみず) 
      14:00〜16:00(13:30より受付うけつけ

 ■会場かいじょう 新宿しんじゅく区立くりつ障害しょうがいしゃ福祉ふくしセンター だいいちだい会議かいぎしつ 
       新宿しんじゅく戸山とやま1-22-2 
       【TEL】03-3232-3711 【FAX】03-3232-3344

  <問合といあわさき
  DPI日本にっぽん会議かいぎ
  TEL:03-5282-3730  FAX:03-5282-0017
  
  全国ぜんこく自立じりつ生活せいかつセンター協議きょうぎかい(JIL)
  TEL:0426-60-7747 FAX:0426-60-7746

  *ちらしはこちらから
 

 名古屋なごや

 ■日時にちじ 2005ねん12月9にちかね) 
      14:00〜15:30(13:30開場かいじょう

 ■会場かいじょう カトリック恵方えほうまち教会きょうかいホール
       名古屋なごや昭和しょうわ恵方えほうまち2-15
       (AJU自立じりついえ となり)
       
  <問合といあわさき
   AJU自立じりついえ
   TEL:052-841-5554 FAX:052-841-2221

   8にち)pm16:30名古屋なごやさかえにて街頭がいとう募金ぼきん予定よてい)
 

 西宮にしのみや

 ■日時にちじ 2005ねん10日とおか)14:00〜16:30

 ■会場かいじょう 西宮にしのみや市役所しやくしょひがしかんかいホール

  <問合といあわさき
  メインストリーム協会きょうかい 
   TEL;0798-34-4955 FAX:0798-34-4604

 
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11月20にちのパキスタン報告ほうこくかい延期えんきのおらせ
11月20にちのパキスタン報告ほうこくかい
延期えんきのおらせ


関係かんけいしゃ皆様みなさま

 いつもお世話せわになっております。
 パキスタン救援きゅうえん基金ききんへのご協力きょうりょくありがとうございます。
 先日せんじつ、パキスタン救援きゅうえん基金ききん報告ほうこくかいを11がつ20日はつかおこなうご案内あんないをさせていただいたのですが11/14から来日らいにちする予定よていだったライフ自立じりつ生活せいかつセンターのシャフィックさんが今回こんかい来日らいにちしないことになり、報告ほうこくかい延期えんきとさせていただきたいとおもいます。
 すでにご参加さんかのご連絡れんらくをいただいているほうもある状況じょうきょうでのきゅう変更へんこうとなってしまいもうわけありません。
 「地震じしんいえうしなゆきさむさのなかこごえているひとや、脊損になってこまっている障害しょうがいしゃなどをたすけるのが優先ゆうせんだ」と、まよったすえ本人ほんにんめたようです。昨夜さくや、シャフィクからとどいたメールを下記かき掲載けいさいします。
 みなさまにはご迷惑めいわくをおかけしましたが「自分じぶんたちの仲間なかま大切たいせつにする」かれ気持きもち尊重そんちょうしたいとおもいます。「12月じゅうにがつには救援きゅうえんきたくても積雪せきせつおおくてけなくなり、時間じかんにも余裕よゆうができるだろうから、そのときにはぐにも日本にっぽんき、みなさんに支援しえんのおれい今回こんかいのおびをしたい。」とっていました。
 12月の来日らいにちまりましたら再度さいど報告ほうこくかい開催かいさい基金ききん使途しと活動かつどうじょうきょうについて皆様みなさまにご報告ほうこくさせていただきたいとおもいます。
 ご迷惑めいわくをおかけしますが、今後こんごともよろしくおねがいたします。

以下いか、シャフィックからのメール)


すいません。
日本にっぽんくことができなくなりました。
このことで、たくさんのひとわたしわる印象いんしょうあたえてしまいました。

今日きょうわたしたちは、地震じしんによって脊椎せきつい損傷そんしょうになった14にん障害しょうがいしゃつけました。
そしてかれらはなんのケアもされずにのこされていました。
わたしたちは、かれらのケアをしなくてはなりません。
わたしは、はたらくためにここにのこり、日本にっぽんかないことをめました。
約束やくそくやぶってしまいました。本当ほんとうにすいません。
これは、14にんあたらしい人生じんせいかかわることです。
わたしには責任せきにんがあります。

ゆきはすでに、北部ほくぶ地域ちいきはじめています。
今月こんげつ15にちわたしたちはカシミールでモバイルCIL(巡回じゅんかいCIL)をはじめます。
その地域ちいきは、急速きゅうそくさむくなってきています。
摂氏せっし2℃の地域ちいきなにわたしたちにこるかかりません。
わたしたちは、テントにまらなくてはいけません。
でもわたしたちは、かなくてはいけないとおもっています。
わたしは、Mazafarabadで200にん以上いじょう障害しょうがいしゃすくったといています。
わたしは、自分じぶん仲間なかますくうためにベストをくしたいとおもいます。

わたし一方いっぽうでは、日本にっぽんって友達ともだちって、たくさんの興味きょうみのあることをディスカッションしたりしたいとおもっています。
でも一方いっぽうでは、にかけている障害しょうがいしゃわたしすべてのエネルギーをささげなくてはいけないとおもっています。
状況じょうきょうは、危険きけんで、もしかしたらわたしぬかもしれません。でもいまこれは、必要ひつようとされていることです。

わたしは、被災ひさいしゃがたいへんな状況じょうきょうのに中途半端ちゅうとはんぱかかわりになりたくないです。
わたしたちのためにみなさんがしてくださったことは、すべてすばらしいことだとわかっています。

なぜならあなたたちのおかげで、わたしたちは活動かつどうできるのです。
わたし本当ほんとう理解りかいできるのは、あなたたちだけだとおもいます。
すいません。本当ほんとうにごめんなさい。


ばかなシャフィックより

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地震じしん緊急きんきゅう救援きゅうえん基金ききん協力きょうりょくへのおれいとおねが

地震じしん緊急きんきゅう救援きゅうえん基金ききん協力きょうりょくへのおれいとおねが
2006ねん2がつ17にち

2005ねん10がつにおきましたパキスタン地震じしんにつきましては、救援きゅうえん基金ききんびかけさせていただきましたところ、たくさんの方々かたがたかたからのご厚意こういをいただきたいへん感謝かんしゃいたしております。

協力きょうりょくいただきました皆様みなさま一人ひとりいちにんにおれいもうげたいところですが銀行ぎんこうでは、個人こじん情報じょうほう保護ほご観点かんてんから振込ふりこ名義めいぎ以外いがい情報じょうほうが、わたしどもには通知つうちとなっており、おれい活動かつどうじょうきょう報告ほうこくができないという状況じょうきょうです。

今後こんご地震じしん救援きゅうえん基金ききん適正てきせいかつ有効ゆうこう活用かつようおこな随時ずいじ当会とうかいのホームページをとおして報告ほうこくをさせていただきたいとおもいます。

この地震じしん救援きゅうえん基金ききんにご協力きょうりょくいただいたほうをご存知ぞんじほうは、ぜひこのホームページをおらせいただけますようおねがいいたします。

現地げんちでは、現在げんざい食料しょくりょうやテントなど緊急きんきゅう救援きゅうえん物資ぶっし配布はいふなどのみの段階だんかいぎ、今後こんごは、地震じしんによる負傷ふしょうしゃ障害しょうがいったひとたちへのの長期ちょうきてき支援しえん必要ひつようとなってきております。

現在げんざい現地げんち支援しえん団体だんたいであるマイルストンから2005ねん12がつまつまでの事業じぎょう報告ほうこく会計かいけい報告ほうこくをあげてもらい、皆様みなさまからいただいた救援きゅうえん基金ききんをどのように有効ゆうこう使つかうことができるか、今後こんご事業じぎょう計画けいかくについてめているところです。

近日きんじつちゅうにホームページなどをつうじで現地げんち活動かつどうじょうきょう会計かいけい報告ほうこくをさせていただきたいとおもっております。

領収りょうしゅうしょが、ご入用いりようほうは、直接ちょくせつ事務じむきょく jil@d1.dion.ne.jp まで(〒、住所じゅうしょ、お名前なまえ、お振込ふりこを)ご連絡れんらくください。

支援しえん、ご協力きょうりょくいただきました皆様みなさまふか感謝かんしゃいたします。

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緊急きんきゅう救援きゅうえん基金ききん報告ほうこく
緊急きんきゅう救援きゅうえん基金ききん 経過けいか報告ほうこく
2006ねん5がつ30にち

 現在げんざい、パキスタンの被災ひさいでは、まだまだ復興ふっこうけた支援しえん必要ひつようとされています。
 現地げんちではマイルストンとライフ自立じりつ生活せいかつセンターの2団体だんたい支援しえん活動かつどう継続けいぞくしており、 かれらの被災ひさい支援しえんプロジェクトにたいし、今年度こんねんど国際こくさい機関きかんからの助成じょせい予定よていされています。

 現地げんちの2団体だんたいとJILは、連携れんけいをとりながらプロジェクトの計画けいかくをすすめています。
どの支援しえん部分ぶぶんに、それぞれ助成じょせいきんとJIL地震じしん基金ききんてるか、重複じゅうふくする部分ぶぶんがないように調整ちょうせいちゅうです。

 今年度こんねんどの10がつまで被災ひさい支援しえんプロジェクトへの助成じょせいきんはいらないことがあきらかになっているため、今回こんかいは、いまだに圧倒的あっとうてき不足ふそくしている車椅子くるまいす作成さくせい費用ひよう使途しと限定げんていし、50まんえん送金そうきんいたしました。

報告ほうこくこちら
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(1)合計ごうけいがく 2006/3/10(かね現在げんざい
合計ごうけいがく
\6,835,691



(2)送金そうきんじょうきょう  *送金そうきんがく振込ふりこ手数料てすうりょうふくみます  

送金そうきん 送金そうきんがく
だい11かい送金そうきん 2006ねん12月12にち ¥1,106,500
だい10かい送金そうきん 2006ねん9がつ27にちみず ¥1,006,500
だいかい送金そうきん 2006ねん8がつ31にち ¥1,006,500
だいかい送金そうきん 2006ねん5がつ30にち ¥506,500
だいかい送金そうきん 11月14つき ¥458,604
だいかい送金そうきん 10つき31つき ¥284,547
だいかい送金そうきん 10つき26みず ¥150,000
だいかい送金そうきん 10つき21かね ¥277,000
だいかい送金そうきん 10つき19みず ¥461,991
だいかい送金そうきん 10つき17つき ¥717,561
だいかい送金そうきん 10つき14かね ¥116,000

協力きょうりょくいただいた皆様みなさましんよりおれいもうげます
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パキスタン報告ほうこく


 ●11/24 シャフィック(ライフILセンター)発信はっしん

バラコット訪問ほうもん報告ほうこく

 Azad Kashmirやパキスタン北部ほくぶべつ地域ちいき訪問ほうもん、シャフィックやアシャール、アリハッサン、ハミッド土佐とさ、ジャスミン、ザヒッド、リズワンふくむマイルストンのメンバーでバラコットを訪問ほうもんしました。障害しょうがいしゃ自分じぶんのためにも社会しゃかいのためにも、よりよい生活せいかつができるよう研修けんしゅうけ、車椅子くるまいすれられるように、障害しょうがいしゃ状況じょうきょう調しらべにきました。

 ラホールからバラコットへ夜間やかん移動いどうはじめました。自分じぶんたちのための食料しょくりょうやストーブ、たまご、パン、バターなどの用品ようひんっていきました。そこには滞在たいざいできるいえもホテルもなく、人々ひとびとはみながなく、だい地震じしんによる被害ひがい建物たてものすべ倒壊とうかいし、電気でんき下水道げすいどうのシステムはまった機能きのうしていませんでした。
まずイスラマバードへき、現地げんち配布はいふするためにテントを10購入こうにゅうしました。それから、いまや墓場はかばしたバラコットへかいました。

 6あいだかけてバラコットへ移動いどうすると、1人ひとりどもがふらふらとあちこちあるまわっていました。マイルストンのメンバーがどうしたのかたずねてみると、そのはなしました。「地震じしんのせいで、ぼくの生活せいかつはめちゃくちゃになった。いもうとおとうととおかあさんがんでしまった。地震じしんがおきたとき、ぼくは学校がっこうにいて、あっという建物たてものたおれて、ともだちがたくさんんだ。いえかえりついたら、そこはレンガだらけでむちゃくちゃだった。おかあさんのひざであさごはんをべたいえは、かげもかたちもなくなってた。そして、おかあさんといもうとおとうとは、がれきにうずもれてた。もうどこにもがないよ。」
この無垢むくどもの状況じょうきょうに、マイルストンのメンバーはなみだながしました。この少年しょうねんなぐさめ、どんな状況じょうきょうでもきていく勇気ゆうきあたえました。

 それから、一同いちどう破壊はかいされた、バラコットへかいました。
 ここが、にぎやかで国内外こくないがい旅行りょこうしゃうつくしいリゾート有名ゆうめいだったバラコットだなんて、非常ひじょうかなしいことに、だれしんじることができませんでした。バラコットは山々やまやまかこまれ、とくかわながれる水音みずおと人々ひとびと魅了みりょうし、そのおとはどんな音楽おんがくにもおとらないといえました。しかし、いまうたがうばかりにうつくしい渓谷けいこく墓地ぼちとなり、こわれた家屋かおくやホテルだらけの荒地あれちとなり、にぎやかな市場いちばすべてなくなってしまいました。
 びた人々ひとびとは、心理しんりてきトラウマからなおっていないため、なみだながすことすらできませんでした。みな、いえを、あいするひとを、仕事しごとを、喪失そうしつかん自体じたいうしなっていたのです。
 マイルストンのメンバーはまっすぐ軍隊ぐんたい駐在ちゅうざいしているところへきました。パキスタンの軍隊ぐんたい現地げんちでよく活動かつどうしています。のたくさんの団体だんたいがキャンプをはり、救援きゅうえん物資ぶっしくばっていました。マイルストンのメンバーは、訪問ほうもん目的もくてきぐん説明せつめいしました。ぐんひとは、国内こくないにこのような障害しょうがいしゃ団体だんたいがあって障害しょうがいしゃたすけるためにやってきたということをってすこおどろきました。現地げんちでは、みなテントで生活せいかつしています。軍隊ぐんたい団体だんたいはテントむらをつくっいて、あるアラブの会社かいしゃみず供給きょうきゅうしています。ぐん兵士へいしがマイルストンのメンバーにテントをはることを許可きょかしてくれました。ひとたちは、障害しょうがいしゃがここまでやってきているのをおどろいていました。つぎつぎに人々ひとびとおとずれ、なげきとかなしみをかちいました。人々ひとびとふか喪失そうしつかんおそわれていました。直面ちょくめんした地震じしんによる破壊はかい喪失そうしつ表情ひょうじょうにハッキリとあらわれていました。マイルストンのメンバーはかなしみを共有きょうゆうし、喪失そうしつかんれ、どんな状況じょうきょうでもきていくよう元気げんきづけました。
 よるになり、けのたにつめたいふうきすさぶ極寒ごっかんなか食事しょくじをつくりました。ジャガイモとたまごをゆで、みなでわけあってべました。食事しょくじのあと、ぐんひとがマイルストンのメンバーをぐんのキャンプへ招待しょうたいしました。ミーティングをひらき、マイルストンのメンバーは、現地げんちでの軍隊ぐんたい仕事しごとあらたに障害しょうがいをもったひとたちのことについてたずねました。今回こんかい地震じしんでたくさんのひと障害しょうがいをもち、ほとんどはイスラマバードやRawalpindiやラホールへうつされ、ここにはほとんどいないかもしれないが捜索そうさくしなくてはならないとぐんひとはなしました。マイルストンメンバーは兵士へいしたちとよるごし、情報じょうほう、このあたりでどのように障害しょうがいしゃをさがすことができるかを計画けいかくしました。ディスカッションをしたあと、自分じぶんたちのテントへもどってねむりました。
 あさはや起床きしょうし、こおるようにつめたいかわみずかおあらいました。そして、テントむら全体ぜんたいをまわり、自立じりつ生活せいかつ知識ちしき情報じょうほう提供ていきょうしました。そのあいだに、サービスがないため死体したいのようによこたわった障害しょうがいのある人々ひとびと出会であいました。障害しょうがいについてのなん情報じょうほうもなく、自信じしんをもってあたらしい生活せいかつをすることをだれおしえるひとはいませんでした。障害しょうがいのことや自立じりつ生活せいかつ概念がいねんについておしえてくれたマイルストンのメンバーは、かれらにとって天使てんしといっても過言かごんではない存在そんざいでした。障害しょうがいしゃにはNISE(国立こくりつ特殊とくしゅ教育きょういく施設しせつ)やAl-Shifa病院びょういんくようにおしえ、いちにちちゅう現地げんちひとのピアカウンセリングとエンパワメントにいそがしくしていました。
 Shahid将校しょうこうがマイルストンメンバーをよるのミーティングにまねきました。ここでは、作業さぎょう分担ぶんたん終了しゅうりょうした作業さぎょう確認かくにんし、翌日よくじつ予定よていはなうために、毎日まいにち午後ごごにすべての団体だんたい参加さんかしてミーティングをひらくことを説明せつめいしました。メンバーはミーティングに参加さんかし、自己じこ紹介しょうかいをしたあと、障害しょうがいしゃをみつけたら、いつでもいいからおしえてほしいとはなしました。
 情報じょうほう共有きょうゆうをしたあと、自分じぶんたちなりの役割やくわりがあり、ここでできることがあるという自信じしんすこしもち、テントへもどりました。食事しょくじをつくり、ふるえるようなさむさのなかふたたびテントでねむりました。
 午前ごぜんちゅう障害しょうがいしゃ状況じょうきょうるためにMuzaffarabadをおとずれることをきめました。午後ごごにGarhi Habib-ullah到着とうちゃくしました。家々いえいえ完全かんぜん破壊はかいされ、市場いちば壊滅かいめつ状態じょうたいで、非常ひじょうおおくのひといのちとし、怪我けがをしました。みな地震じしんによって家族かぞく財産ざいさんうしない、あししつくしたひともいれば、脊損のように重傷じゅうしょうったひともいる、と現地げんちひといました。重傷じゅうしょうひとはイスラマバードとRawalpindiの病院びょういんはこばれたことがわかりました。
 それからMuzaffarabadきました。ここもまたおおきな被害ひがいにあっていて、バラコットとおな状況じょうきょうでした。人々ひとびといえがなく、たくさんの障害しょうがいしゃがいました。テントで生活せいかつをしていて、テントのなかかなしみをわかちいました。たくさんのひとが脊損になり、障害しょうがいしゃ一緒いっしょにイスラマバードへはこばれたことが、はなしをするなかでわかりました。背骨せぼねいため、医者いしゃからうごかずやすむようにわれたの女性じょせいすうにんいました。マイルストンのメンバーは、しとねかさについておしえ、背骨せぼねをつけるようおしえました。

 Muzaffarabad情報じょうほうからイスラマバードへくことにめ、すこしの時間じかん無駄むだにすることなく夕方ゆうがたには出発しゅっぱつしました。よるになってイスラマバードへたどりき、障害しょうがいしゃうためにべつのキャンプのひとたちに連絡れんらくをとりました。翌朝よくあさはやく、キャンプへ訪問ほうもんはじめました。まず、市場いちばって、NISE(国立こくりつ特殊とくしゅ教育きょういく施設しせつ)にいるどもたちのために果物くだものいました。
 この救援きゅうえんキャンプはSusan Hirshbergがまとめていました。メンバーはいろいろな状態じょうたいどもたちといました。これまでの3かい訪問ほうもんくるまイスやつえにち用品ようひんどもたちにくばっていたので、そこにいたひとたちは、みなマイルストンのメンバーに気付きづきました。
 Hirshbergは、近々ちかぢかAttockで設置せっちするあたらしい救援きゅうえんキャンプに、ピアカウンセリングと自立じりつ生活せいかつ支援しえん必要ひつようだといました。それから、メンバーは地元じもとひとたちで運営うんえいしている救援きゅうえんキャンプをたずねました。そこでは被災ひさいしゃい、ショックをとりのぞき、自信じしんをもって自立じりつした生活せいかつができるようエンパワーしました。被災ひさいしゃ安心あんしんできる環境かんきょう提供ていきょうしている現地げんちでの運営うんえい努力どりょくをメンバーは立派りっぱだとおもいました。
 キャンプをたずねたのち、メロディ救援きゅうえんキャンプにたくさんの脊損のひとたちが収容しゅうようされているというはなしき、すこしの時間じかん無駄むだにせず移動いどうし、脊損のひとたちといました。みな、脊損についての自覚じかく知識ちしきがないため、ひどい状態じょうたいでした。
メンバーは、そこにいた障害しょうがいしゃたちと障害しょうがいについて役立やくだ知識ちしき情報じょうほうつたえました。そして、障害しょうがいれ、自信じしんをもって生活せいかつし、自分じぶんたちの権利けんりのためにたたかうようはげましました。
 脊損がどんなものかはなしいてから、あたらしく障害しょうがいをもったひとたちはとてもリラックスしました。かれらが一番いちばんこまっていたのはトイレ問題もんだいでした。ピアカウンセリングをとおしてエンパワーし、それぞれの出身しゅっしんもどったとき差別さべつのない社会しゃかいをつくるためたたかうよう刺激しげきしました。しとねかさにならないよう、手術しゅじゅつよう手袋てぶくろをいくつか購入こうにゅう手袋てぶくろなか空気くうきでいっぱいにし、脊損のひとたちのあししたにおきました。
 よるになり、ラホールのAl-Hijaz病院びょういん治療ちりょうけている脊損のひとたち15にん対応たいおうをするため、もどることをめました。
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 ●11/5 シャフィック(ライフILセンター)発信はっしん

 2005ねん10がつ8にち地震じしんは、パキスタン全土ぜんどとくにAzad Kashimir と北部ほくぶ地域ちいき破壊はかいしました。たくさんのうつくしいみどり渓谷けいこくは、墓地ぼちしました。

 いえ学校がっこう公共こうきょう建物たてもの跡形あとかたもなくなりました。ほとんどの人々ひとびとに、そしてのこった人々ひとびと毎日まいにちんでいっています。あるものけいそんになり、あるものあしうしないました。そしておおくの人々ひとびと家族かぞくうしないました。

 10月11にちに、マイルストンは、すでに壊滅かいめつしたAzad Kashmir をおとずれ、必要ひつよう用品ようひんくすりくばりました。2かい訪問ほうもんでは、Abbotabad, Thandyani, Pattan, Kalan , Pattan Khurd むらふく北部ほくぶ地域ちいき訪問ほうもんしました。そしてにち用品ようひんくすり被災ひさいしゃ配布はいふしました。3かい訪問ほうもんは、あらたに障害しょうがいしゃになった子供こども女性じょせい男性だんせい訪問ほうもんしてほしいと世界銀行せかいぎんこうからマイルストンのメンバーに連絡れんらくがあり、イスラマバードへかいました。10月25にちにマイルストンのメンバー(Shafiq, Akmal, Ashar)は、特別とくべつきょう そだて国立こくりつ研究所けんきゅうじょ訪問ほうもんし、地震じしんで あらたに障害しょうがいをもった治療ちりょうちゅうどもや大人おとないました。マイルストンメンバーは、被災ひさいしゃ元気げんきづけエンパワーしました。そして人生じんせいかいうことと、これからの人生じんせいがどれだけたいへんなものになるかもからなけれどもれることをおしえました。
 世界銀行せかいぎんこうのテクニカルアドバイザーSusanは、マイルストンのメンバーに5つのくるまいすとクラッチを緊急きんきゅう必要ひつようとする被災ひさいしゃ用意よういするようたのみました。なぜなら研究所けんきゅうじょにあるくるまいすは被災ひさいしゃにはわなかったからです。
 マイルストンのメンバーは、いえをなくしたひとたちをたすけるというおもいでいちはいになっていました。かれらは、よりよい人生じんせいへの希望きぼうゆめすべうしない、くだかれていました。はあるけれども虚空こくうつめ、あしはあるけれどもすすむべきみちしつくし、くあてもなく、なやみをける相手あいてもいません。
 被災ひさいしゃたすけるために、ラホールにもどり、あしうしなった被災ひさいしゃ配布はいふするために5だいくるまいすとクラッチを準備じゅんびしました。イスラマバードからの1めいふくむ6めいのメンバー(Mr. Asim, Mr. Ashar, Mr. At if, Mr. Hamid, Ms. Fahmina, Mr. Zahid)は、時間じかん無駄むだにすることなく、被災ひさいした人々ひとびと人生じんせいあらたないのちむべく使命しめいをもって、よる12出発しゅっぱつしました。
 空気くうきえていましたが、わたしたちのおもいはあつかったのです。

 メンバーは被災ひさいしゃへの車椅子くるまいす配布はいふとエンパワーのために早朝そうちょうにイスラマバードに到着とうちゃくし、特別とくべつ教育きょういく国立こくりつ研究所けんきゅうじょ訪問ほうもんしました。最初さいしょ医者いしゃとスーザンにい、そして被災ひさいしゃいました。被災ひさいしゃは、障害しょうがいしゃ簡単かんたんうごけることをすこしも想像そうぞうできなかったので、ライフストンのメンバーをて、とても勇気ゆうきづけられました。ラフォーレからエンパワーのためにやってきたことをったとき、かれらは人生じんせいあらたな生命せいめいまれたようでした。
メンバーは、被災ひさいしゃいちにんいちにん訪問ほうもんし、エンパワーし、障害しょうがい受容じゅようしてきてゆくようおしえました。人生じんせいあしすべてではない、人生じんせいとはきてこそだ、こういった言葉ことばにそこにいた人々ひとびとたち微笑ほほえみ、相談そうだん相手あいてになってくれたことをメンバーへ感謝かんしゃしました。
 そして、メンバーはくるまいすを必要ひつようとしているひとのところにきました。かれらは、くるまいすはっていましたが身体しんたいにはわず、簡単かんたんには使つかえなかったため、くるまいすよりもベッドや母親ははおやひざうえのほうがましだとおもっていました。
マイルストンメンバーは、おも子供こども被災ひさいしゃくるまいすをくばりました。使つかいやすいくるまイスは、おもちゃのように簡単かんたん使つかうことができました。くるまいすをつかうことで、きとした表情ひょうじょうになり、笑顔えがおもどしました。自由じゆううごけるように、まるでだれかがどもたちに魔法まほうをかけたようでした。いまや、子供こどもたちは自由じゆうそらびまわるとりのようでした。
どもたちの笑顔えがおをみて、メンバーは救援きゅうえん活動かつどうつづけることにたいして熱心ねっしんさがし、なんとなくたされた気持きもちになりました。くるまいすを配布はいふしたあとに、脊損になった16さい少女しょうじょ特別とくべつ教育きょういく国立こくりつ研究所けんきゅうじょとなりにある Al-Shifa国際こくさい病院びょういん
入院にゅういんしていることがわかりました。マイルストンのメンバーは病院びょういんいそぎ、この少女しょうじょいました。
 彼女かのじょ状況じょうきょうはまったくひどいものでした。べることもはなすこともやめてしまっていました。まるで死人しにんのようにきることにまった興味きょうみうしなってしまっています、と母親ははおやいました。しかし、マイルストンのメンバーが、きていくことに役立やくだ経験けいけん知識ちしきおしえると、彼女かのじょ気持きもちはずっとらくになりました。日常にちじょう生活せいかつについての知識ちしき情報じょうほうたとえばトイレやお風呂ふろ食事しょくじ方法ほうほうなど、だれおしえなかった基本きほんてき情報じょうほうおしえました。いているうちに、彼女かのじょ表情ひょうじょうはいきいきとしてきて、人生じんせいもどしているようでした。そして、ちゃんと食事しょくじをし、ひとたちのようにきることを約束やくそくしました。彼女かのじょは脊損という障害しょうがいとともにきるという現実げんじつれつつありました。

 Al-Shifa国際こくさい病院びょういんにいた医師いしに、脊損になった女性じょせいがこの病院びょういんにあと4にんいるので、彼女かのじょたちにも是非ぜひってほしいとわれ、すぐにいにきました。みな、さっきの少女しょうじょおな不安ふあんかかえていました。食事しょくじをすることへもきることへも興味きょうみがありませんでした。そして、脊髄せきずい損傷そんしょう知識ちしきもまったくありませんでした。しかし、マイルストンのメンバーが脊損についておしえると問題もんだい解決かいけつされました。また、経験けいけん共有きょうゆうすることで、それぞれが自分じぶんらしくきることができるようになりました。
 そのにいた1人ひとり女性じょせい変化へんかは、とてもはげまされるものでした。最初さいしょ、マイルストンのメンバーが部屋へやはいったとき、彼女かのじょいていました。ところが、はなしき、マイルストンのメンバーがくるまいすで移動いどう仕事しごとをしている様子ようすをみるうちに、微笑ほほえんで「いまわたししあわせです。人生じんせいかい準備じゅんびができました。」といました。これは奇跡きせきとしかいようがありません。れた微笑びしょうへとわったこの瞬間しゅんかんけっしてわすれることはないでしょう。そのときIftarの時間じかんになったので、内務省ないむしょうとCapital Development Authorityが病院びょういんとしてつかっているJinnahスタジアムをおとずれることにし、Iftarのためにホテルへ移動いどうしました。

 スタジアムでった医師いしがとても協力きょうりょくてきで、大変たいへん勇気ゆうきづけられました。訪問ほうもん目的もくてきげると、マイルストンの活動かつどうにとても感銘かんめいけ、賞賛しょうさんしてくれました。医師いしには42年間ねんかん 脊損の母親ははおやがいて、自立じりつ生活せいかつについて
ふか知識ちしき理解りかいがあり、被災ひさいしゃ訪問ほうもんすることを許可きょかしてくれました。被災ひさいしゃ自分じぶんたちに役立やくだ知識ちしきをとてもよろこびました。
 地震じしんときどもたちは学校がっこうでどんなふうだったか経験けいけんかたいました。学校がっこうからてくることができなかったり、おもたい瓦礫がれきしためられ2にち発見はっけんされ救出きゅうしゅつされた、などです。おおくのどもたちはあししつくしていました。ほとんどのあたま怪我けがしていて、あるちいさなおんなはなすことができなくなっていました。マイルストンのメンバーはどもたちいちにん一人ひとり対応たいおうし、笑顔えがおもどしました。そして、どんな状況じょうきょうにでもえるよう勇気ゆうきづけました。
 あたま怪我けがしたおんな誕生たんじょううたうたっておいしました。たくさんのおやかなしみを共有きょうゆういました。マイルストンのメンバーははなしき、必要ひつよう知識ちしきつたえました。みな、とてもリラックスし、マイルストンのメンバーとたくさんの時間じかんごし、知識ちしき感謝かんしゃし、どんな社会しゃかい態度たいどにもおそれず自立じりつ生活せいかつおくることを約束やくそくしました。そして、つよしんち、笑顔えがおくるまいすの生活せいかつすることを約束やくそくしました。すべしんによって創造そうぞうされ、すべてはうまくできているからです。これがわたしたちの努力どりょく成果せいかです。そして、つぎのステップへのはじまりです。

 一番いちばん最初さいしょのステップはシェルターや食料しょくりょうくすり支援しえん短期間たんきかんったことです。
 つぎのステップは長期ちょうきてきになります。リハビリするようはたらきかけること、つまりいままでわたしたちがおこなってきた活動かつどうです。
 被災ひさいのカシミールへ7かい訪問ほうもんし、脊損しゃいにイスラマバードの複数ふくすう病院びょういん野戦やせん病院びょういんへ8かい訪問ほうもんしました。
 先週せんしゅうからゆきはじめ、この11月はもっともいそがしいつきになります。

 ここで、非常ひじょう緊急きんきゅう重要じゅうよう問題もんだいがあります。いままでに、地震じしんこるまえから障害しょうがいがあり、自力じりき病院びょういんやリハビリテーションセンターへたどりいたひとに、わたしたちはまだ2にんしか出会であっていません。かれ以外いがいの、もともと障害しょうがいのあったひとたちはいまどこにいるのでしょう。
 みなんでしまったのでしょうか?
 山岳さんがく地帯ちたいこわれたいえなかで、いまだにたすけをっているのでしょうか?
 いまだに家族かぞくかくしているのでしょうか?
 もしくは、びて家族かぞく世話せわをしているのでしょうか?しかし、もしびていたとしても、なんひゃくまんという人々ひとびといえをなくしテントでらしているのに障害しょうがいしゃ野外やがいのテントにいないということは……どうしてでしょう?こわれたいえなかで、いまだにっているのでしょうか?
 こういった懸念けねんあきらかにしていくつもりです。
 あらたに障害しょうがいったひとのためにもっともっとくるまいすがあれば、としんからおもいます。それぞれが出身しゅっしんもどったとき、政府せいふ建物たてもののバリアフリーもとめたり、統合とうごう教育きょういくもとめるデモをすることができるからです。わたしたちはこのおおきすぎる目標もくひょうのちょっとしたベースづくりをしたいとおもっています。そして、不利ふり立場たちばから有利ゆうりなものを獲得かくとくできるとしんじています。
 わたしたちが、どうしてこういう信念しんねんをもつことができるのでしょうか?それはみなさんのおおきな援助えんじょ努力どりょくがあるからです。みなさんの障害しょうがいしゃたいするあたたかな姿勢しせいみなさんがわたしたちへついやしてくれたたくさんの時間じかんおくってくれたとうといおかね
 わたしには、個人こじんてきに、みなさんからの寄付きふたいする報告ほうこくわせへの責任せきにんがあり、みなさんからの信頼しんらいへの責任せきにんがあります。本当ほんとうにありがとうございます。

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 ●10/31 シャフィック(ライフILセンター)発信はっしん

親愛しんあいなる友人ゆうじん皆様みなさま

現地げんちでは、より迅速じんそく救援きゅうえん活動かつどう必要ひつようとされています。
むねいたむことに、とてもひどい状況じょうきょうです。

昨日きのうからゆきはじめました。
政府せいふは100まんにんぶんのテントを支給しきゅうすることを約束やくそくしました。
現在げんざい、ほとんどのひとがテントを確保かくほできていません。
想像そうぞうしてみてください。もしテントがあれば…
気温きおん−15℃、10フィートのゆきなかきのびることができるでしょう。

、ただだけがかれらをけています。

わたしたちにできることといえば…
Hari pur とMuzaffarabadの病院びょういんにいるどもたちをすくうことだけです。

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 ●10/25 シャフィック(ライフILセンター)発信はっしん

 お元気げんきですか?
 今日きょう日本にっぽん友人ゆうじんからテントと衣服いふくりました。適切てきせつなところにおくるつもりです。

 わたしはあのねむっていましたがいえれているのにづきがさめました。天井てんじょう扇風機せんぷうき電気でんきなしでうごはじめました。地震じしんおとは、まるでヘリコプターがんでいるようなおとでした。それは、運命うんめいでした。みんなかなしくていていました。わたしは、マイルストンのメンバーに電話でんわをかけはじめました。Asimのいえ完全かんぜんこわれました。Akmalの携帯けいたいつうじませんでした。ただありがたいことにAshar と Hamid(Atif)と友人ゆうじんたちは無事ぶじでした。テレビのニュースでは、かなりつよ地震じしんであることをつたえていました。ただ被害ひがい状況じょうきょう公表こうひょうされなかったので、みんな心配しんぱいになりました。

 たくさんのひとたちがくなりました。イスラマバードの被害ひがい世界中せかいじゅうつたわりました。わたし急遽きゅうきょマイルストーンのミーティングをおこないました。マイルストーンのメンバーは、地震じしん被災ひさいしゃのためにいのちをささげる覚悟かくごができていました。わたしたちには、資金しきんがありませんでした。でも意思いしあるところにみちけます。わたしたちは、1けんけん毛布もうふもの提供ていきょうしていただけないかたずねてまわりました。よるまでにわたしたちは、毛布もうふあたたかい衣服いふくものでトラックをいちはいにしました。姉妹しまい団体だんたいひとつが Bagh AzadKashmir のちかくにあるSesarというむらから連絡れんらくしてました。わたしたちは、Kashmir 方面ほうめん出発しゅっぱつしました。わたしたちはくるまいすをトラックにんで、うしろにりました。マイルストンは、いつも福祉ふくし事業じぎょう先端せんたん活動かつどうをする革新かくしんてき団体だんたいとしてられています。Sheela Buttでは壊滅かいめつした状況じょうきょうたりまえのようになっていました。倒壊とうかいしたいえにいたいぬは、子供こども身体しんたいいちぎっていました。壊滅かいめつしたむら一方いっぽうではあらしのようにあめっていました。わたしたちは、もうこのような危険きけん状況じょうきょうではいえかえれないかもしれないとかんがはじめていました。でも神様かみさまわたしたちにもうすこし、人生じんせいあたえてくれたようです。それでわたしたちは、あめなか自分じぶんたちの使命しめいかってうごはじめました。わたしたちは、もの毛布もうふ必要ひつようひとたちにくばりましたが、あめさむさをしのぐテントはってきていませんでした。みんな落胆らくたんしていました。でも障害しょうがいしゃ支援しえんたのにづいておどろいていました。

 わたしたちは、こわれたいえ下敷したじきになっている障害しょうがいしゃたちを元気げんきけていました。地震じしんきたときみんなからはしてきましたが、障害しょうがいしゃ友人ゆうじんたちはめになっていました。だれかれらをたすけることができず、かれ自身じしん脱出だっしゅつすることができませんでした。多分たぶんぬという貴重きちょう瞬間しゅんかん無駄むだにしたくなかったので、ようとしなかったのでしょう。かれらは、びてつらい生活せいかつかえすよりもんだほうがましだとおもったのかもしれません。あるおばあさんの息子むすこもまた、こわれたいえ下敷したじきになっていました。そしてわたしにむかって「わたし息子むすこはあなたのようにくるまいすはっていない」といました。んでしまったら車椅子くるまいす必要ひつようないかもしれませんが、MuzaffarabadやBalakotや Baghにいる地震じしん犠牲ぎせいしゃたちがきていくには必要ひつようなものです。

 いまなんまんもの人々ひとびと障害しょうがいをもっています。うであしうしなったり、おおくのひと脊椎せきつい損傷そんしょうになっています。こういったひとたちをはなっていてはならないし、障害しょうがいがあってもしあわせにきていけるよう手助てだすけをしなくてはなりません。障害しょうがいがあることはべつへんなことではなく、社会しゃかい特異とくい存在そんざいというわけではないし、自分じぶんたちの権利けんりることは基本きほんてき人権じんけんだということをつたえる必要ひつようがあります。

 とてもむねいたおもいでLahoreにもどってきました。途中とちゅうだれ言葉ことばはっするひとはいませんでした。たすけを必要ひつようとしている仲間なかまたちのために、またもどってくることをみなかんがえていました。

 翌日よくじつ被災ひさいふたたくことをめ、まだ救助きゅうじょたいがたどりついていないというPattan Kalan と Pattan Khurdという地域ちいき目指めざすことになりました。まず、Abbottabadで毛布もうふ500まいくすり3500にんぶん、ミルク800パック、かぞれないほどのラスクをトラックへみました。Pattan Kalanへかう途中とちゅう、Thundyaniから Pattan Khurd にきました。Muzaffarabadでは壊滅かいめつした状況じょうきょう一目いちもくでわかりました。死体したいにおいがただよい、いたるところで家屋かおく倒壊とうかいしていました。どもや高齢こうれいしゃ、あらゆる人々ひとびとたすけをもとめて道端みちばたれつをなしていました。だれ最初さいしょたすけるべきか、だれもわからない状況じょうきょうでした。わたしたちは、わかひとたちは自分じぶんたちでなんとかできるだろうと判断はんだんし、どもと女性じょせい物資ぶっしくばることにしました。しかし、ある女性じょせいんだどもをひざいだき、「わたしよりもまずこのものを」とい、援助えんじょこばみました。

 家々いえいえ墓場はかばし、みなをなくし、ちひしがれていました。軍隊ぐんたい救援きゅうえんをいそいでいました。わたしたちは、かれらを直視ちょくしすることができませんでした。

 いまわたしたちは、障害しょうがいをもったひとたちけのカウンセリングのためのプランを作成さくせいちゅうです。わたしたちの本当ほんとう責任せきにんは、あらたな障害しょうがいしゃをエンパワメントするプログラムをおこなうことです。つぎに、今後こんごまち復旧ふっきゅう作業さぎょうをすすめる過程かていで、バリアフリーをはかるよう政府せいふ提案ていあんしていくことです。
今後こんご報告ほうこくつづけます。

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 ●10/13 21:00 シャフィック(ライフILセンター)発信はっしん

 ラ・ホールで寄付きふつのり500にんぶん食料しょくりょう、10000にんぶん医薬品いやくひん、150にんぶん衣料いりょう、55にんぶん毛布もうふ、500にんぶんのミルクと保存ほぞん食料しょくりょうあつまった支援しえん物資ぶっしをライフILセンターのメンバー9めいとマイルストーンの5めいはこれらの食料しょくりょうひん医薬品いやくひん中古ちゅうこ衣料いりょう毛布もうふあたたかい肩掛かたかけ、子供こどもよう食料しょくりょうなどをもっと被害ひがいおおきかったDHEER KOTにとどけてきました。DHEER KOT というむらは12000フィート(やく3700メートル)のたかさにあり、そこにくのに7あいだかかりました。おどろいたことに、そのまち住人じゅうにん5500にん1人ひとりのこらず死亡しぼうしていたのです。そのつぎやまかいました。そのときには豪雨ごううはじめ、非常ひじょう危険きけん状態じょうたいでした。BAGH という地域ちいきでは、わずか5000にんのこり、そののほとんどのひとたちはんでいました。ここではおそらく5000にんひとたちが死亡しぼうしたようです。そこでは、医薬品いやくひんく、交通こうつう手段しゅだんもないので、そのまちからられず、おおくのものが知的ちてき障害しょうがいち、食料しょくりょうもなかったのが死亡しぼう原因げんいんられます。その場所ばしょたかやまうえにあり、あめのためヘリコプターも到達とうたつできませんでした。我々われわれ生存せいぞんしゃさがしまわりました。しかし、おおくのいえ家族かぞく墓場はかばしていました。わたしのがわには倒壊とうかいしたいえがあり、すうひきいぬ人間にんげんあかぼうべていました。わたしいしげていぬはらいましたが、そのうちいちひきあかぼううでくちにくわえて、はしっていきました。

 日本にっぽんから障害しょうがいしゃたいして支援しえんられるのであれば……でも現地げんちにはもはや障害しょうがいしゃ存在そんざいせず、我々われわれ仲間なかまんでいます。そこにはもはや障害しょうがいしゃはおりません。もし、テント、毛布もうふくすり、この3てんがあればまだびられるひとたちがいます。あめがよくっているのでみずはいりません。わたしたちは、BHAD地区ちくむ3000めい支援しえんするという目標もくひょうてました。

 わたしたちは品物しなものあつめており、市民しみん協力きょうりょくしてくれています。
 わたしたちはいま最大さいだい試練しれん直面ちょくめんしていますが、ベストをくしています。
 我々われわれのこのだい1成功せいこうすれば、かれらはびられるでしょう。それはわたしたちの人生じんせいにとってもおおきな実績じっせきとなるでしょう。しかし、ゆきはじめるので我々われわれにはいち週間しゅうかんしか時間じかんがなくかんがえている時間じかんはありません。ここ4日間にちかんていません。わたしにはできないかも…。わたしのためにおいのください。ありがとう。明日あした明後日みょうごにちには品物しなものあつめなければなりません。

 わたしはとてもつかれました。もういえかえらないと…。きっとよくねむれることでしょう。
関心かんしんっていただいてありがとうございます。我々われわれにはなにかができるとしんじています。
みなさんにかみのご加護かごがありますように。

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