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いにしえのとちぎ発見どき土器わく湧くプロジェクト 侍塚調査中
■那須 上侍塚古墳・下侍塚古墳
那須地域の栃木県大田原市にある遺跡、上侍塚古墳・下侍塚古墳・那須国造碑の調査を紹介します。
■上侍塚古墳・下侍塚古墳の調査速報は、こちらのページでお知らせします。
■現地説明会・発掘体験教室のお知らせは、こちらのページに掲載しています。
■上侍塚古墳・下侍塚古墳の過去の調査・写真
更新日 令和4(2022)年8月3日(水)
■上侍塚古墳・下侍塚古墳の説明会資料・速報資料
上侍塚古墳と下侍塚古墳の調査を説明した配布資料等です。奈良文化財研究所が運営する「全国遺跡報告総覧」(外部リンク)に、pdf形式で掲載しています。
令和5(2023)年度の説明会資料
『
上侍塚古墳 現地説明会資料』
令和5(2023)
年11月11
日(
土)
第2
回現地説明会資料です。
上侍塚古墳の
両くびれ
部の
様子と
墳頂で
確認できた
江戸時代の
調査坑について
紹介しています。
上侍塚古墳 現地説明会資料(
外部リンク)
『
上・
下侍塚古墳 現地説明会資料』
令和5(2023)
年9
月23
日(
土)
第1
回現地説明会資料です。
上侍塚古墳の
両くびれ
部の
様子と
下侍塚古墳の
地中レーダー
探査の
成果などを
紹介しています。
上・下侍塚古墳 現地説明会資料(
外部リンク)
令和4(2022)年度の説明会資料・特集展示資料
『
上侍塚古墳 現地説明会資料』
令和5(2023)
年3
月4
日(
土)
第3
回現地説明会資料です。
墳丘西側の葺石の
様子と
前方部南側の
周溝について
紹介しています。
上侍塚古墳 現地説明会資料(
外部リンク)
『
上侍塚古墳 現地説明会資料』
令和5(2023)
年1
月28
日(
土)
第2
回現地説明会資料です。
上侍塚古墳の葺石と
古墳築造前の
旧地表、
江戸時代の
古墳整備に
関わる
土層などを
紹介しています。
上侍塚古墳 現地説明会資料(
外部リンク)
『
上侍塚古墳 現地説明会資料』
令和4(2022)
年12月3
日(
土)
第1
回現地説明会資料です。
上侍塚古墳の
後方部北側と
東西くびれ
部、
前方部南東部分の
調査と、
地中レーダー
探査の
結果などを
紹介しています。
上侍塚古墳 現地説明会資料(
外部リンク)
『
令和4
年度特集展示 水戸光圀による”
御修理”330
周年記念 侍塚古墳と
栃木の
前方後方墳』
令和5(2023)
年1
月15
日(
日)から
同年2
月26
日(
日)
開催の
特集展示資料です。
侍塚古墳 特集展示資料
令和3(2021)年度の説明会資料・速報資料
『
上侍塚古墳 発掘調査速報』
令和4(2022)
年3
月16
日
第2
回説明資料です。
上侍塚古墳の
北・
西・
南側部分の
調査と、
地中レーダ
探査・
電磁探査を
紹介しています。
上侍塚古墳 発掘調査速報(
外部リンク)
『
上侍塚古墳 現地説明会資料』
令和3(2021)
年12月11
日
第1
回説明資料です。
上侍塚古墳の
東側部分の
調査と、
江戸時代の
調査に
関わる
文書などを
紹介しています。
上侍塚古墳 現地説明会資料(
外部リンク)
更新日 令和6(2024)年3月12日(火)
■いにしえのとちぎ発見どき土器わく湧くプロジェクト
上侍塚・下侍塚古墳と周辺の調査
栃木県は「栃木県文化財保存活用大綱」を策定、重点項目の一つとして、重要な遺跡の調査研究と活用を掲げました。
これに基づいて、県内に8500か所を超える遺跡の中から、元禄5(1692)年に徳川光圀が発掘したことで知られる両古墳を選び、令和3(2021)年度から調査を開始しました。
那珂川の西側の段丘に、那須で最大の古墳である上侍塚と、二番目に大きい下侍塚が造られました。どちらも前方後方墳で、県内に多い形です。
(上の地図と写真は、選択すると拡大します)
上侍塚古墳
元禄5(1692)年の発掘以後、調査を行っていない古墳です。今回がはじめての精密な測量となります。
西上空からみた上侍塚古墳
(2021年6月撮影)
下侍塚古墳
昭和50(1975)年に周囲の堀、斜面に置いた石(葺石=ふきいし)、壺形土器などが調査されました。しかし、盛土部分は調査されていません。
北東からみた
下侍塚古墳(2021
年5
月)
1975
年の
調査 東クビレ
部
1975
年の
調査 後方部東裾の葺石
1975年調査写真提供:大田原市教育委員会
両古墳の正確な大きさと形、造られた時期差、光圀による修復状況を調べるため、墳丘や周囲の堀を発掘することが必要です。地中レーダーで内部を探査した結果も加えて、今後の調査内容を検討します。
更新日 令和3(2021)年9月10日(金)
■上侍塚・下侍塚古墳と周辺の航空レーザ測量図
遺跡 那須最大級の前方後方墳 2基
所在地 栃木県大田原市湯津上
時期 古墳時代 前期(約1,650年前)
計測日 令和3(2021)年6月18日
作成範囲 南北2km・東西1.2km
計測密度 1㎡ あたり16点以上
実施 栃木県教育委員会
航空機からレーザ光で地面の高さを測り、三次元測量を行いました。赤色立体図(左)では、高い所は明るく、低い所は暗く、急傾斜が赤く示されます。
どちらの古墳も、後方部の墳頂部がやや窪んでいることが分かります。上侍塚古墳は、周囲にわずかに低い場所がみられ、墳丘にも不自然に窪んだ部分があることが分かりました。下侍塚古墳の周囲の堀がくぼんでいる様子と、北東(右上)の古墳8箇所がよくわかります。那珂川の段丘の崖からの距離は、古墳によってさまざまです。
更新日 令和3(2021)年8月19日(木)
■『那須記第1編』掲載の侍塚出土品絵図
『那須記第1編』は『那須記』を編纂した大金重貞の末裔(10代後)の久左衛門が、原作に校正を加え、明治25(1892)年に金港堂から刊行されました。次に紹介する『湯津神村車塚御修理』や『葬礼私考』に掲載されていない絵図もあり、興味深い資料です。
『那須記第1編』は、
国立国会図書館デジタルコレクションでデータが
公開されており、
掲載した
図はその
中からの
抜粋です。
分かりやすい
資料ですので、
入ってみてはいかがでしょうか。
『
那須記』について
詳しく
知りたい
方は、
栃木県史通史編(
中世)をごらんください。
『那須記第1編』(
外部リンク)をごらんください。
更新日 令和6(2024)年3月29日(金)
■栗田寛『葬礼私考』(1876)の侍塚出土品絵図
水戸藩士の栗田寛が慶応二年(1866)に作成して、明治九年(1876)に京都の北野神社から刊行された『葬礼私考 附録』に掲載された、上侍塚・下侍塚古墳の出土品絵図です。元禄五年(1692)に水戸から派遣された絵師が描いた出土品の彩色絵図、またはその写図が水戸藩に当時は保管されていて、それを元に掲載したものと見られます。
京都府立 京都学・歴彩館の提供と許可により画像を掲載しています。
『
葬礼私考』と『
葬礼私考 附録』は、
国立国会図書館デジタルコレクションでデータが
公開されています(モノクロ
画像)。
『葬礼私考』 『葬礼私考 附録』(
外部リンク)をごらんください。
更新日 令和3(2021)年6月21日(月)
■元禄四年・五年(1691年・1692年)の調査記録『湯津神村車塚御修理』
侍塚古墳(車塚古墳)で行われた、日本で最初の遺跡発掘調査の記録です。徳川光圀(水戸黄門)の指示により、儒学者の佐々介三郎宗淳(助さん)と、小口村名主の大金重貞が、那須国造碑(7世紀末)・上侍塚古墳と下侍塚古墳(4世紀後半)を調査しました。画像を開くと、現代語の説明がついています。調査・記録方法の手本がない時代の努力が伝わってきます。
原史料は 那珂川町 大金重晴家所蔵・栃木県立文書館寄託
この史料に関する詳しい研究や、釈文(書き起こした文字)については
斎藤忠・大和久震平著『那須国造碑・侍塚古墳の研究-出土品・関係文書-』吉川弘文館(1986年)をごらんください。
更新日 令和3(2021)年7月2日(金)