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那須 上侍塚古墳・下侍塚古墳 栃木県埋蔵文化財センター
イメージ 栃木県埋蔵文化財センター Tochigi Archaeological Reserch Center
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いにしえのとちぎ発見はっけんどき土器どきわくくプロジェクト さむらいづか調査ちょうさちゅう

那須なす うえさむらいづか古墳こふんしもさむらいづか古墳こふん

那須なす地域ちいき栃木とちぎけん大田原おおたわらにある遺跡いせきうえさむらいづか古墳こふんしもさむらいづか古墳こふん那須なす国造くにのみやつこ調査ちょうさ紹介しょうかいします。

うえさむらいづか古墳こふんしもさむらいづか古墳こふん調査ちょうさ速報そくほうは、こちらのページでおらせします。

現地げんち説明せつめいかい発掘はっくつ体験たいけん教室きょうしつのおらせは、こちらのページ掲載けいさいしています。



うえさむらいづか古墳こふんしもさむらいづか古墳こふん過去かこ調査ちょうさ写真しゃしん

うえさむらいづか古墳こふんしたさむらいづか古墳こふんはん世紀せいき以上いじょうまえのカラー写真しゃしんや、1975(昭和しょうわ50)ねんしもさむらいづか古墳こふん調査ちょうさ写真しゃしんを、うえさむらいづか古墳こふんしもさむらいづか古墳こふん 写真しゃしんかんのページで紹介しょうかいしています。

うえさむらいづか古墳こふんしもさむらいづか古墳こふん 写真しゃしんかん移動いどうする

更新こうしん れい4(2022)ねん8がつ3にちみず

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うえさむらいづか古墳こふんしもさむらいづか古墳こふん説明せつめいかい資料しりょう速報そくほう資料しりょう

うえさむらいづか古墳こふんしたさむらいづか古墳こふん調査ちょうさ説明せつめいした配布はいふ資料しりょうとうです。奈良なら文化財ぶんかざい研究所けんきゅうじょ運営うんえいする「全国ぜんこく遺跡いせき報告ほうこく総覧そうらん」(外部がいぶリンク)に、pdf形式けいしき掲載けいさいしています。

れい5(2023)年度ねんど説明せつめいかい資料しりょう

うえさむらいづか古墳こふん 現地げんち説明せつめいかい資料しりょうれい5(2023)ねん11月11にち
だい2かい現地げんち説明せつめいかい資料しりょうです。うえさむらいづか古墳こふんりょうくびれ様子ようすふんいただき確認かくにんできた江戸えど時代じだい調査ちょうさあなについて紹介しょうかいしています。
うえさむらいづか古墳こふん 現地げんち説明せつめいかい資料しりょう外部がいぶリンク)


うえしもさむらいづか古墳こふん 現地げんち説明せつめいかい資料しりょうれい5(2023)ねん9がつ23にち
だい1かい現地げんち説明せつめいかい資料しりょうです。うえさむらいづか古墳こふんりょうくびれ様子ようすしたさむらいづか古墳こふん地中ちちゅうレーダー探査たんさ成果せいかなどを紹介しょうかいしています。
うえしもさむらいづか古墳こふん 現地げんち説明せつめいかい資料しりょう外部がいぶリンク)

れい4(2022)年度ねんど説明せつめいかい資料しりょう特集とくしゅう展示てんじ資料しりょう

うえさむらいづか古墳こふん 現地げんち説明せつめいかい資料しりょうれい5(2023)ねん3がつ4にち
だい3かい現地げんち説明せつめいかい資料しりょうです。墳丘ふんきゅう西側にしがわの葺石の様子ようす前方ぜんぽう南側みなみがわしゅうみぞについて紹介しょうかいしています。
うえさむらいづか古墳こふん 現地げんち説明せつめいかい資料しりょう外部がいぶリンク)


うえさむらいづか古墳こふん 現地げんち説明せつめいかい資料しりょうれい5(2023)ねん1がつ28にち
だい2かい現地げんち説明せつめいかい資料しりょうです。うえさむらいづか古墳こふんの葺石と古墳こふん築造ちくぞうまえきゅう地表ちひょう江戸えど時代じだい古墳こふん整備せいびかかわるそうなどを紹介しょうかいしています。
うえさむらいづか古墳こふん 現地げんち説明せつめいかい資料しりょう外部がいぶリンク)


うえさむらいづか古墳こふん 現地げんち説明せつめいかい資料しりょうれい4(2022)ねん12月3にち
だい1かい現地げんち説明せつめいかい資料しりょうです。うえさむらいづか古墳こふん後方こうほう北側きたがわ東西とうざいくびれ前方ぜんぽう南東なんとう部分ぶぶん調査ちょうさと、地中ちちゅうレーダー探査たんさ結果けっかなどを紹介しょうかいしています。
うえさむらいづか古墳こふん 現地げんち説明せつめいかい資料しりょう外部がいぶリンク)


れい4年度ねんど特集とくしゅう展示てんじ 水戸みと光圀みつくにによる”修理しゅうり”330周年しゅうねん記念きねん さむらいづか古墳こふん栃木とちぎ前方ぜんぽう方墳ほうふん
れい5(2023)ねん1がつ15にち)から同年どうねん2がつ26にち開催かいさい特集とくしゅう展示てんじ資料しりょうです。
さむらいづか古墳こふん 特集とくしゅう展示てんじ資料しりょう

れい3(2021)年度ねんど説明せつめいかい資料しりょう速報そくほう資料しりょう



うえさむらいづか古墳こふん 発掘はっくつ調査ちょうさ速報そくほうれい4(2022)ねん3がつ16にち
だい2かい説明せつめい資料しりょうです。うえさむらいづか古墳こふんきた西にし南側みなみがわ部分ぶぶん調査ちょうさと、地中ちちゅうレーダ探査たんさ電磁でんじ探査たんさ紹介しょうかいしています。
うえさむらいづか古墳こふん 発掘はっくつ調査ちょうさ速報そくほう外部がいぶリンク)


うえさむらいづか古墳こふん 現地げんち説明せつめいかい資料しりょうれい3(2021)ねん12月11にち
だい1かい説明せつめい資料しりょうです。うえさむらいづか古墳こふん東側ひがしがわ部分ぶぶん調査ちょうさと、江戸えど時代じだい調査ちょうさかかわる文書ぶんしょなどを紹介しょうかいしています。
うえさむらいづか古墳こふん 現地げんち説明せつめいかい資料しりょう外部がいぶリンク)
更新こうしん れい6(2024)ねん3がつ12にち
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■いにしえのとちぎ発見はっけんどき土器どきわくくプロジェクト

うえさむらいづかしもさむらいづか古墳こふん周辺しゅうへん調査ちょうさ

 栃木とちぎけんは「栃木とちぎけん文化財ぶんかざい保存ほぞん活用かつよう大綱たいこう」を策定さくてい重点じゅうてん項目こうもくひとつとして、重要じゅうよう遺跡いせき調査ちょうさ研究けんきゅう活用かつようかかげました。
 これにもとづいて、県内けんないに8500かしょえる遺跡いせきなかから、元禄げんろく5(1692)ねん徳川とくがわ光圀みつくに発掘はっくつしたことでられるりょう古墳こふんえらび、れい3(2021)年度ねんどから調査ちょうさ開始かいししました。
侍塚位置図
西上空からの写真
那珂川なかがわ西側にしがわ段丘だんきゅうに、那須なす最大さいだい古墳こふんであるうえさむらいづかと、番目ばんめおおきいしもさむらいづかつくられました。どちらも前方ぜんぽう方墳ほうふんで、県内けんないおおかたちです。
うえ地図ちず写真しゃしんは、選択せんたくすると拡大かくだいします)
上侍塚西上空

 うえさむらいづか古墳こふん

 元禄げんろく5(1692)ねん発掘はっくつ以後いご調査ちょうさおこなっていない古墳こふんです。今回こんかいがはじめての精密せいみつ測量そくりょうとなります。  西にし上空じょうくうからみたうえさむらいづか古墳こふん
(2021ねん6がつ撮影さつえい

しもさむらいづか古墳こふん

昭和しょうわ50(1975)ねん周囲しゅういほり斜面しゃめんいたいし(葺石=ふきいし)、つぼがた土器どきなどが調査ちょうさされました。しかし、盛土もりつち部分ぶぶん調査ちょうさされていません。 下侍塚北東
北東ほくとうからみたしもさむらいづか古墳こふん(2021ねん5がつ
下侍塚東クビレ部南
1975ねん調査ちょうさ ひがしクビレ 下侍塚西裾葺石
1975ねん調査ちょうさ 後方こうほうひがしすその葺石

1975ねん調査ちょうさ写真しゃしん提供ていきょう大田原おおたわら教育きょういく委員いいんかい

 りょう古墳こふん正確せいかくおおきさとかたちつくられた時期じき光圀みつくにによる修復しゅうふくじょうきょう調しらべるため、墳丘ふんきゅう周囲しゅういほり発掘はっくつすることが必要ひつようです。地中ちちゅうレーダーで内部ないぶ探査たんさした結果けっかくわえて、今後こんご調査ちょうさ内容ないよう検討けんとうします。
更新こうしん れい3(2021)ねん9がつ10日とおかかね
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うえさむらいづかしもさむらいづか古墳こふん周辺しゅうへん航空こうくうレーザ測量そくりょう

遺跡いせき    那須なす最大さいだいきゅう前方ぜんぽう方墳ほうふん 2
所在地しょざいち   栃木とちぎけん大田原おおたわら湯津上ゆづかみ
時期じき    古墳こふん時代じだい 前期ぜんきやく1,650ねんまえ
計測けいそく   れい3(2021)ねん6がつ18にち
作成さくせい範囲はんい  南北なんぼく2km・東西とうざい1.2km
計測けいそく密度みつど  1㎡ あたり16てん以上いじょう
実施じっし    栃木とちぎけん教育きょういく委員いいんかい
kamisamurai_laser shimosamurai_laser landscape_laser
うえさむらいづか古墳こふん航空こうくうレーザ測量そくりょう しもさむらいづか古墳こふん航空こうくうレーザ測量そくりょう りょう古墳こふん周辺しゅうへん航空こうくうレーザ測量そくりょう
 航空機こうくうきからレーザこう地面じめんたかさをはかり、さん次元じげん測量そくりょうおこないました。赤色あかいろ立体りったいひだり)では、たかところあかるく、ひくところくらく、きゅう傾斜けいしゃあかしめされます。
 どちらの古墳こふんも、後方こうほうふんいただきがややくぼんでいることがかります。うえさむらいづか古墳こふんは、周囲しゅういにわずかにひく場所ばしょがみられ、墳丘ふんきゅうにも不自然ふしぜんくぼんだ部分ぶぶんがあることがかりました。したさむらいづか古墳こふん周囲しゅういほりがくぼんでいる様子ようすと、北東ほくとう右上みぎうえ)の古墳こふん8箇所かしょがよくわかります。那珂川なかがわ段丘だんきゅうがけからの距離きょりは、古墳こふんによってさまざまです。
更新こうしん れい3(2021)ねん8がつ19にち
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■『須記だい1へん掲載けいさいさむらいづか出土しゅつどひん絵図えず

須記だい1へん』は『須記』を編纂へんさんした大金おおかね重貞しげさだ末裔まつえい(10代)の久左衛門きゅうざえもんが、原作げんさく校正こうせいくわえ、明治めいじ25(1892)ねん金港きんこうどうから刊行かんこうされました。つぎ紹介しょうかいする『神村かむら車塚くるまづか修理しゅうり』や『葬礼そうれいわたしこう』に掲載けいさいされていない絵図えずもあり、興味深きょうみぶか資料しりょうです。

 
hyoushi kamizuka_kagami shimozuka_kagami
須記だい1へん表紙ひょうし うえさむらいづか古墳こふんかがみかんだま・釧 しもさむらいづか古墳こふんかがみ
shimozuka_takatuki shimozuka_tubo kami-shimo_katnayajiri
しもさむらいづか古墳こふん土師器はじきだかはいよろいいた大刀たち しもさむらいづか古墳こふん土師器はじきつぼ うえさむらいづか古墳こふんの鏃・しもさむらいづか古墳こふん大刀たち
須記だい1へんは、国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクションでデータが公開こうかいされており、掲載けいさいしたはそのなかからの抜粋ばっすいです。かりやすい資料しりょうですので、はいってみてはいかがでしょうか。 『須記』についてくわしくりたいほうは、栃木とちぎけん通史つうしへん中世ちゅうせい)をごらんください。
須記だい1へん外部がいぶリンク)をごらんください。
更新こうしん れい6(2024)ねん3がつ29にちかね
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栗田くりたひろし葬礼そうれいわたしこう』(1876)のさむらいづか出土しゅつどひん絵図えず

水戸みと藩士はんし栗田くりたひろし慶応けいおうねん(1866)に作成さくせいして、明治めいじきゅうねん(1876)に京都きょうと北野きたの神社じんじゃから刊行かんこうされた『葬礼そうれいわたしかんがえ 附録ふろく』に掲載けいさいされた、うえさむらいづかしもさむらいづか古墳こふん出土しゅつどひん絵図えずです。元禄げんろくねん(1692)に水戸みとから派遣はけんされた絵師えしえがいた出土しゅつどひん彩色さいしき絵図えず、またはそのうつし水戸みとはん当時とうじ保管ほかんされていて、それをもと掲載けいさいしたものとられます。
kamizuka_mirror shimozuka_mirror shimozuka_takatsuki
うえさむらいづか古墳こふんかがみ・鏃・釧 しもさむらいづか古墳こふんかがみ しもさむらいづか古墳こふん土師器はじきだかはい
shimozuka_vase
しもさむらいづか古墳こふん土師器はじきつぼ
京都きょうと府立ふりつ 京都きょうとがくれきいろどりかん提供ていきょう許可きょかにより画像がぞう掲載けいさいしています。
葬礼そうれいわたしこう』と『葬礼そうれいわたしかんがえ 附録ふろく』は、国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクションでデータが公開こうかいされています(モノクロ画像がぞう)。
葬礼そうれいわたしこう 葬礼そうれいわたしかんがえ 附録ふろく外部がいぶリンク)をごらんください。
更新こうしん れい3(2021)ねん6がつ21にちつき
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元禄げんろくよんねんねん(1691ねん・1692ねん)の調査ちょうさ記録きろく神村かむら車塚くるまづか修理しゅうり

さむらいづか古墳こふん車塚くるまづか古墳こふん)でおこなわれた、日本にっぽん最初さいしょ遺跡いせき発掘はっくつ調査ちょうさ記録きろくです。徳川とくがわ光圀みつくに水戸黄門みとこうもん)の指示しじにより、儒学じゅがくしゃ佐々ささかいさんろうそうあつしすけさん)と、小口おぐちむら名主なぬし大金おおかね重貞しげさだが、那須なす国造くにのみやつこ(7世紀せいきまつ)・うえさむらいづか古墳こふんしたさむらいづか古墳こふん(4世紀せいき後半こうはん)を調査ちょうさしました。画像がぞうひらくと、現代げんだい説明せつめいがついています。調査ちょうさ記録きろく方法ほうほう手本てほんがない時代じだい努力どりょくつたわってきます。
表紙まえがきp1p2 国造碑p3p4 国造碑p5p6
p1p2表紙ひょうし前書まえが p3p4那須なす国造くにのみやつこくつがえどう p5p6那須なす国造くにのみやつこくつがえどう
下侍塚調査p7p8 上侍塚調査p9p10 下侍塚遺物p11p12p13
p7p8さむらいづか古墳こふん発掘はっくつ調査ちょうさ p9p10じょうさむらいづか古墳こふん発掘はっくつ調査ちょうさ p11-p13さむらいづか古墳こふん出土しゅつどひん
下侍塚遺物p141516 上侍塚遺物p171819 埋戻しp2021
p14-p16さむらいづか古墳こふん出土しゅつどひん p17-p19じょうさむらいづか古墳こふん出土しゅつどひん p20p21出土しゅつどひんれたはこ文章ぶんしょういてもど
はら史料しりょう那珂川なかがわまち 大金おおかね重晴しげはる所蔵しょぞう栃木とちぎ県立けんりつ文書ぶんしょかん寄託きたく
この史料しりょうかんするくわしい研究けんきゅうや、しゃくあやこした文字もじ)については
斎藤さいとうただし大和久おおわくしんたいらちょ那須なす国造くにのみやつこさむらいづか古墳こふん研究けんきゅう出土しゅつどひん関係かんけい文書ぶんしょ-』吉川弘文館よしかわこうぶんかん(1986ねん)をごらんください。
更新こうしん れい3(2021)ねん7がつ2にちかね
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うえさむらいづか古墳こふんしもさむらいづか古墳こふん 写真しゃしんかん移動いどうする

うえさむらいづか古墳こふんしもさむらいづか古墳こふん調査ちょうさ速報そくほう移動いどうする


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