[その日ひの天気てんきとか関係かんけい性せいとかの前置まえおき]
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そこまでに至いたる経緯けいいをもう忘わすれてしまったのだけれど、彼かれが宝石ほうせきなら持もってると言いうので、なら見みてやろうという事ことになった。彼かれが部屋へやの片隅かたすみにある棚たなの下したから2番目ばんめの段だんにある、両手りょうてこぶしほどの木き箱ばこが何なん個こも積せきまれたエリアの真まん中なかからひとつ抜ぬき出だして持もってきた。
正直しょうじき、実じつはこの箱はこからダイヤのエンゲージ・リングが出でてくることを期待きたいしていなかったわけでもない。彼かれはロマンチストとは程遠ほどとおかったけど、宝石ほうせきを持もっているという一いち面めんが新あらたな切きり口くちを私わたしに提示ていじし、その先さきを想像そうぞうさせていた。ミロのヴィーナスの失うしなわれた腕うでのように、それは観衆かんしゅうの理想りそうや願望がんぼうを映うつし出だす鏡かがみである。それに私わたし達たちはもう1年ねん半はんになるし、もうすぐ若者わかものというネームプレートが使つかえなくなる年頃としごろなのだから、意識いしきせずとも考かんがえてしまうというものだ。
一方いっぽうで彼かれの仕草しぐさはそんなことをおくびにも出でさないほどそっけなく、私わたしの前まえのテーブルにいつものコーヒーを置おくかのような音おとで木き箱ばこを据すえた。ことん、という無む音程おんていの効果こうか音おんがヴィーナスの指先ゆびさきで不協和音ふきょうわおんを奏かなでた。
そして箱はこが開ひらかれて打うちのめされる。やはり彼かれは彼かれで、私わたしの知しらないロマンチストなどではなかった。ヴィーナスの復元ふくげん予想よそう図ずがいつも期待きたい外はずれであるように。しかしこれは予想よそうではなく現実げんじつだった。期待きたい外はずれの予想よそうは鼻はなで笑わらえばそれで終おわりだが、期待きたい外はずれの現実げんじつにはそうもいかない。この宝石ほうせき箱はこにありがちな繊細せんさいな毛けが揃そろったポリエステルの布地ぬのじの上うえには、親指おやゆびより少すこし大おおきい程度ていどの宝石ほうせき──そう、ただの宝石ほうせき──が並ならんでいた。装飾そうしょく品ひんとして加工かこうされる前まえの、いわば生なまの状態じょうたいの宝石ほうせきだ。
しかも、全すべてが透すき通とおっている緑色みどりいろ、高校こうこうの修学旅行しゅうがくりょこうで見みた沖縄おきなわの海うみのようなグリーンだった……エメラルドだ。
Permalink | 記事きじへの反応はんのう(0) | 09:56
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