「
慰安婦報道問題」「
吉田調書報道問題」「
池上コラム
掲載拒否問題」と
続いた
一連の
朝日新聞の
不祥事は、
昨年11
月14
日の
木村伊量前社長の
引責辞任、さらに
今年1
月6
日の「
信頼回復と
再生のための
行動計画」の
発表によって
一応、
一区切りをつけたかたちになっている。しかし、この
間、
朝日の
紙面には
断続的に
膨大な
量の「ご
説明」「お
詫び」「
反省」が
掲載されているにもかかわらず、なんだか
釈然としない
気持ちが
残るのはなぜだろうか。
冒頭に挙げた3つの問題のうち、池上コラム問題はひとまず横に置き、残る2つの問題、特に東京電力福島第一原子力発電所における事故調査に関する記録、いわゆる吉田調書問題について考えてみたい。この2つはいずれも朝日の誤報、あるいは捏造として指弾されたり議論されたりしているが、両者の本質は大きく異なっている。そして、このことを説明するのに便利な概念が虚報と誤報である。
同じメディアの間違いでも、虚報と誤報では水と油ほどに違う。虚報とは、虚偽の事実を真実であると偽って報じること、あるいは虚偽の事実を持ち込む者にだまされて、それを真実として報じてしまうことであり、最近では「週刊新潮」(新潮社)の「朝日新聞襲撃犯手記事件」(2009年)、「読売新聞のiPS移植報道事件」(12年)などがこれに該当する。これに対して誤報とは、調査報道などに含まれる事実の不正確性、あるいは事実に対する解釈の誤りが一定の許容範囲(記事の誤差について、読者との間に認められる一種の「暗黙の了解」)を超える場合に用いられる用語である。
メディアが虚報を伝えた場合には、速やかな調査、記事の取り消し・削除が必要になり、また関係者に厳しい処分が科せられるのもやむを得ない。しかし、誤報の場合は違う。この場合にも、適切な検証と必要な範囲の訂正は必要であるが、関係者の処分には慎重であるべきで、取り消しなどとんでもない。言うまでもなく、誤報は、お上が発表した情報をそのまま流す場合にはほとんど起こりえない。メディアが主体的に社会問題と向き合い、独自に事実を掘り起こそうとする「調査報道」、それも、隠ぺいされた権力の本質に迫れば迫るほど、誤報の危険もまた増すことになるのである。もし、誤報を虚報と同一視して厳しく取り締まることになったら、誰が職を賭して政治権力や社会権力に迫ろうとするだろうか。メディアの調査報道への意欲はそがれ、ジャーナリズムは際限なく萎縮し、権力の御用機関への道を歩むのではないだろうか。
権力にすり寄る朝日
慰安婦報道のうち、文筆家の吉田清治が日本軍による強制連行を告白した「吉田証言」報道は、虚報性が高いと思う。しかし、吉田調書報道が虚報でないことは明白であり、百歩譲ってもそれは勇み足の誤報である。むしろそれは、日本という国の体制の根幹に存在する暗部に肉薄する、まれに見る優れた調査報道であった。しかし、それゆえにこそ――同じく権力の核心に迫った、かつての沖縄密約報道が徹底的に弾圧されたように――原発再稼働をもくろむ政治・社会権力は、これに捏造のレッテルを貼りつけ、抹殺したかったのであろう。それは、この国でこれまでにも繰り返されてきたことであり、今さら驚かないが、朝日の内部の何者かがこれに呼応し、味噌も糞も一緒にすることで事態をごまかし、同紙が権力者以外は誰も望まない記事の取り消しという“自殺”に至ったことは驚きであり、本当に残念である。
14年11月9日付日刊ゲンダイの連載記事『お笑い朝日新聞 まだ炎上中/井上久男<第7回>前代未聞 誤報と決めつけられた記者が提訴も』では、「『吉田調書』報道の中心となった記者2人」が、「(朝日の)第三者委員会の『報道と人権委員会』に対して、誤報と決めつけられてしまったことにより、人権や名誉が傷つけられたとして審理を申し立てて」いると伝えている。しかし、11月13日付朝日新聞紙面に発表された『朝日新聞社「吉田調書」報道 報道と人権委員会(PRC)の見解全文』を見ても、この申し立てについては触れられていないし、またそれだけではなく、筆者の見る範囲では、朝日は紙面では一切この現場記者の主張に言及していない(他の新聞でも見かけない)。また、「吉田調書は誤報ではなく、事故当時の状況はまぎれもない『撤退』であった」とする、原発問題を調査する弁護士グループの主張についても、朝日は一顧だにしていない。
自らを擁護する声を無視して、朝日は何にすり寄ろうとしているのか。
15年1月、朝日は「信頼回復と再生のための行動計画」を発表し、その中で「調査報道の充実」「多様な言論の尊重」などの方針を打ち出している。しかし、その前に上層部と「何者か」によって仕組まれた「吉田調書取り消し事件」の全貌が明らかにされなければ、「行動計画」に盛り込まれた美辞のすべてが空しく映る。
(文=大石泰彦/青山学院大学法学部教授)