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神社じんじゃ仏閣ぶっかく巡めぐりでいただいた現代げんだいの御朱印ごしゅいん、貴重きちょうな江戸えど時代じだいの納おさめ経けい帳ちょうや戦前せんぜんの御朱印ごしゅいん、御朱印ごしゅいんの歴史れきしの考察こうさつなど
本日ほんじつのランキング詳細しょうさい
2015/06/28
勅みことのり祭さい社しゃの御朱印ごしゅいん一覧いちらん
天皇陛下てんのうへいかの勅使ちょくしをお迎むかえして執とり行おこなわれる祭祀さいしを勅みことのり祭さいといい、例祭れいさいなど恒例こうれいとして勅みことのり祭さいが行おこなわれる神社じんじゃを勅みことのり祭さい社しゃという。ただし伊勢神宮いせじんぐうは別格べっかくとされ、勅みことのり祭さい社しゃには含ふくまれない。現在げんざい、勅みことのり祭さい社しゃは全国ぜんこくに16社しゃある。これら勅みことのり祭さい社しゃと、戦前せんぜんに勅みことのり祭さい社しゃとされていた朝鮮ちょうせん神宮じんぐうの御朱印ごしゅいんを紹介しょうかいする。
初はじめての御朱印ごしゅいん拝受はいじゅから30年ねん
本ほん日ひあたり、平成へいせい元年がんねんに初はじめて御朱印ごしゅいんをいただいてから丸まる30年ねんを迎むかえました。平成へいせい元年がんねん4月がつ13日にち頃ごろにいただいた四国しこく1番ばん霊れい山寺やまでらの御朱印ごしゅいん。これが人生じんせいで初はじめていただいた御朱印ごしゅいんになります。四国しこく八はち十じゅう八はちヶ所かしょでは御朱印ごしゅいんに日付ひづけを入いれないため、正確せいかくな日付ひづけを思おもい出だす
東京とうきょう五ご社しゃ初詣はつもうで(平成へいせい30年ねん元旦がんたん)
平成へいせい30年ねん元旦がんたん早朝そうちょうに東京とうきょう五ご社しゃを初詣はつもうで巡拝じゅんぱい、御朱印ごしゅいんをいただいた記録きろく。平成へいせい26年ねんの巡拝じゅんぱいの反省はんせいの上うえに効率こうりつのよい巡拝じゅんぱいを目指めざし、約やく5時じ間あいだで満願まんがんしました。
金きむ神社じんじゃ Premium金きんDayの金かね文字もじ御朱印ごしゅいん
岐阜ぎふ市しの金きむ〔こがね〕神社じんじゃでは、平成へいせい29年ねんから毎月まいつき最終さいしゅう金曜日きんようびのプレミアムフライデーを"Premium金きんDay(プレミアムこがねデイ)"として、金きむ文字もじの御朱印ごしゅいんを授与じゅよしています。行列ぎょうれつができるほどの人気にんきということでメディアにも取とり上あげられました。月つき
二に十じゅう二に社しゃの御朱印ごしゅいん一覧いちらん
二に十じゅう二に社しゃは、平安へいあん時代じだい中期ちゅうきから中世ちゅうせい、国家こっかの重おも大事だいじや天変地異てんぺんちいにあたって奉幣ほうへいを受うけるなど、朝廷ちょうていから特別とくべつの崇敬すうけいを受うけた二に十じゅう二にの神社じんじゃです。室町むろまち時代じだいに二に十じゅう二に社しゃへの奉幣ほうへいは絶たえますが、明治めいじの社格しゃかく制度せいどにおいてもその伝統でんとうは尊重そんちょうされ、別格べっかくとされた伊勢神宮いせじんぐう以外いがいはす
明治めいじ4年ねんの官かん国幣社こくへいしゃ一覧いちらん
神社じんじゃの社しゃ号ごう標しるべや由緒ゆいしょ書しょなどに見みられる「官かん幣ぬさ大社たいしゃ」「県けん社しゃ」「村社そんしゃ」など、一般いっぱんに旧きゅう社格しゃかくと称しょうされる近代きんだい社格しゃかく制度せいどによる社格しゃかくは、明治めいじ4年ねん(1871)5月がつ14日にちの太政官だじょうかん布告ふこく「官かん社しゃ以下いか定額ていがく・神かみ 官かん職制しょくせい等とう規則きそく」によって基本きほんが定さだめられました。この布告ふこくでは、神社じんじゃ
松山まつやま八はち社しゃ八幡はちまん(由緒ゆいしょと御朱印ごしゅいん)
松山まつやま八はち社しゃ八幡やはたは、松山まつやま城じょう周辺しゅうへんに鎮座ちんざする八はち社しゃの八幡宮はちまんぐうで、加藤かとう嘉明よしあきによって定さだめられたとされる。かつて松山まつやま地方ちほうは春秋しゅんじゅうの社日しゃにちの八はち社しゃ八幡はちまん参まいりが盛さかんに行おこなわれていた。松山まつやま八はち社しゃ八幡はちまんと各かく神社じんじゃの由緒ゆいしょ(歴史れきし)、御朱印ごしゅいんの紹介しょうかい。あわせて道前みちまえ地方ちほう(西条さいじょう市し西部せいぶ)の川中かわなか八はち社しゃ八幡やはたも紹介しょうかいする。
自じ玉手たまて祭さい来らい酒さけ解かい神社じんじゃ
自じ玉手たまて祭さい来らい酒さけ解かい神社じんじゃ(たまでよりまつりきたるさかとけじんじゃ)正式せいしき名称めいしょう:自じ玉手たまて祭さい来らい酒さけ解かい神社じんじゃ通称つうしょう:酒さけ解かい神社じんじゃ旧称きゅうしょう:天王てんのう社しゃ(天神てんじん八王子はちおうじ社しゃ・山崎やまざき天王てんのう社しゃ・山崎やまざき八王子はちおうじ社しゃ・牛頭ごず天王てんのう社しゃ・八王子はちおうじ天王てんのう社しゃ等とう)御祭おまつり神しん:大山おおやま祇神(酒さけ解かい神しん)/相しょう殿どの:素す盞嗚尊みこと創建そうけん年代ねんだい:不ふ詳しょう
西国さいこく16番ばん 清水寺きよみずでら〈文政ぶんせい8年ねん〉
文政ぶんせい8年ねん『神社じんじゃ仏閣ぶっかく順じゅん拝はい帳ちょう』西国さいこく16番ばん 音羽山おとはさん 清水寺きよみずでら山城やましろ国こく 洛らく東ひがし 清水しみず門前もんぜ六波羅蜜ろくはらみつ寺てらを参拝さんぱいした太郎助たろすけは、そのまま続つづけて清水寺きよみずでらに参拝さんぱいしています。六波羅蜜ろくはらみつ寺てらから清水寺きよみずでらの仁王門におうもんまでは徒歩とほ10分ふんあまりの距離きょりです。
「江戸えど七なな氷川ひかわ」考こう
「江戸えど七なな氷川ひかわ」は江戸えどにある七なな所しょの氷川ひかわ明神みょうじんである。赤坂あかさか氷川神社ひかわじんじゃなど各かく神社じんじゃの紹介しょうかいでよく言及げんきゅうされるのだが、実際じっさいには正確せいかくな情報じょうほうがほとんどなく、七なな社しゃも確定かくていしていない。そこで典拠てんきょとなる『望海ぼうかい毎ごと談だん』の記述きじゅつを考察こうさつし、七なな所しょの氷川ひかわ明神みょうじんを検討けんとうする。
隅田川すみだがわ七福神しちふくじん 開ひらけ祀まつ二に百ひゃく年ねん(平成へいせい30年ねん)
隅田川すみだがわ七福神しちふくじんは、大田おおた南畝なんぽら江戸えどの文人ぶんじん墨客ぼっかくたちが正月しょうがつの楽たのしみとして始はじめた七福神しちふくじん巡めぐりです。平成へいせい30年ねんは隅田川すみだがわ七福神しちふくじんが開ひらかれてから200年ねんということで、約やく10年ねんぶり2度目どめの巡拝じゅんぱいをしました。三さん囲かこえ神社じんじゃ・向島むこうじま百ひゃく花園はなぞの・白しろ鬚ひげ神社じんじゃ・多聞たもん寺てらの4ヶ所かしょでは200年ねん記念きねんの御朱印ごしゅいんを授与じゅよしていました。
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