「オルガ」書評しょひょう　人生じんせいの「対たい位い旋律せんりつ」学問がくもんもまた

評者ひょうしゃ：石川いしかわ健治けんじ／朝あさ⽇新聞しんぶん掲載けいさい：2020年ねん07月がつ04日にち

オルガ（ＣＲＥＳＴＢＯＯＫＳ）著者ちょしゃ：ベルンハルト・シュリンク出版しゅっぱん社しゃ：新潮社しんちょうしゃジャンル：欧米おうべいの小説しょうせつ・文学ぶんがく

ISBN: 9784105901653
発売はつばい⽇： 2020/04/24
サイズ: ２０ｃｍせんちめーとる／２２９ｐ

オルガ　［著ちょ］ベルンハルト・シュリンク

　著者ちょしゃシュリンクは憲法けんぽう学者がくしゃ。ナッシュ均衡きんこうに言及げんきゅうする仮借かしゃなき理論りろん家かとして登場とうじょうしたが、一転いってんして刑法けいほう解釈かいしゃく学がくを思おもわせる硬質こうしつの憲法けんぽう教科書きょうかしょで一世いっせいを風靡ふうび（ふうび）した後のち映画えいが化かもされた『朗読ろうどく者しゃ』で世界せかい的てきなベストセラー作家さっかの仲間入なかまいりを果はたした。
　本ほん作さくの主人公しゅじんこうは三人称さんにんしょう単数たんすう（「この子こ（ズィー）」）で登場とうじょうする。困難こんなんを抱かかえた生活せいかつ世界せかいの描写びょうしゃを通つうじてその輪郭りんかくが次第しだいに明瞭めいりょうになり、漸やや（ようや）く固有こゆう名めいオルガを獲得かくとくする。ドイツ人じんでありながらスラブ系けいの名前なまえ。シュレジエンやポンメルン、メーメル川がわといった舞台ぶたい装置そうちとともに、彼女かのじょの運命うんめいを予よ示しめせするものだ。
　同様どうように三人称さんにんしょう単数たんすうから浮うかび上あがるのは、対照たいしょう的てきに恵めぐまれた境遇きょうぐうを生いきるヘルベルト。武張ぶばった名前なまえだ。祖国そこくドイツに誇ほこりを抱いだく彼かれは、オルガに恋こいをするが、彼女かのじょは教師きょうしとしての自立じりつを望のぞむ。植民しょくみん地ち南西なんせいアフリカに向むかった彼かれは、当地とうちでヘレロ族ぞくの反乱はんらんに直面ちょくめんし、虐殺ぎゃくさつに加担かたんすることになる。
　二人ふたりの仲なかは進すすまない。親おや称しょうの二人称ににんしょうで問とうオルガに我々われわれドイツ人じんで応こたえるヘルベルト。こうなれば当然とうぜん、第だい一いち次じ大戦たいせんが彼かれらを翻弄ほんろうする展開てんかいになりそうだが、そうはしないのが作家さっかの力量りきりょう。思おもいもよらず北極ほっきょく海上かいじょうで彼かれの消息しょうそくは途絶とだえた。
　空むなしく何なん通つうも手紙てがみを書かくオルガ。諦あきらめたかにみえた彼女かのじょは、彼かれとの間あいだにできたアイクに愛情あいじょうを注そそぐも、物もの換がわり星ほし移うつり、彼かれはナチスに入党にゅうとうする。二に度どの大戦たいせんで二ふたつの故郷こきょうを喪失そうしつしただけでなく、「耳みみ」が聴きこえなくなり教師きょうしも解雇かいこされた、難民なんみんのオルガ。そこまで物語ものがたりを辿たど（たど）ってきて漸ようやく、ここに一人称いちにんしょうの語かたり手てがいたことが判明はんめいする。年としの離はなれた男女だんじょの不思議ふしぎな愛情あいじょう。『朗読ろうどく者しゃ』以来いらいの主題しゅだいだ。不慮ふりょの死しを遂とげたオルガの人生じんせいの痕跡こんせきを、アイクの娘むすめと共ともに辿たどる「ぼく（イッヒ）」。彼かれらがついに見みつけたものは……。
　記号きごう論ろん的てきな含意がんいをもつオルガの「調子外ちょうしはずれ」と、そこから聴きこえる人生じんせいの「対たい位い旋律せんりつ（コントラプンクト）」。結尾けつび部ぶの暗示あんじに、シュリンクの学問がくもんもかくやと私わたしは思おもわず膝ひざを打うった。
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Bernhard Schlink　1944年ねん生うまれ。ドイツの小説しょうせつ家か、法律ほうりつ家か。著書ちょしょに『朗読ろうどく者しゃ』『階段かいだんを下おりる女おんな』など。

石川いしかわ健治けんじ（イシカワケンジ）東京大学とうきょうだいがく教授きょうじゅ（憲法けんぽう学がく）

1962年ねん生うまれ。東京大学とうきょうだいがく法学部ほうがくぶ卒業そつぎょう。著書ちょしょに『自由じゆうと特権とっけんの距離きょり　カール・シュミット「制度せいど体たい保障ほしょう」論ろん・再考さいこう』、編著へんちょに『学問がくもん／政治せいじ／憲法けんぽう　連環れんかんと緊張きんちょう』、共編きょうへん著ちょに『憲法けんぽう判例はんれい百ひゃく選せんⅠ・Ⅱ（第だい6版はん）』など。2019年ねん4月がつより書評しょひょう委員いいん。