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映画「銀河鉄道の父」主演・役所広司さんインタビュー 「賢治とは親子を超えた運命的な出会いだった」|好書好日
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映画えいが銀河ぎんが鉄道てつどうちち主演しゅえん役所広司やくしょこうじさんインタビュー 「賢治けんじとは親子おやこえた運命うんめいてき出会であいだった」

役所広司やくしょこうじさん=junko撮影さつえい

ただかなしいだけのはなしではない

――まずは原作げんさくんだ感想かんそうおしえてください。

 ぼく宮沢みやざわ賢治けんじさんの作品さくひんは、『銀河ぎんが鉄道てつどうよる』や『あめニモマケズ』くらいしからなかったんですけど、今回こんかい原作げんさく賢治けんじ父親ちちおやである政次郎まさじろう視点してんえがかれているということもあって、「ファンのひとがこの小説しょうせつんだら、賢治けんじ作品さくひんがよりふかしんにささるんじゃないか」「賢治けんじきなひとにはたまらないんじゃないかな」とおもいながらんでいました。

 賢治けんじいもうとのトシ、2人ふたりどもがおやである自分じぶんたちよりもさきんでしまいますが、作者さくしゃ門井かどい先生せんせいはただかなしいだけのはなしいていないんですよね。宮沢みやざわいちにん一人ひとり人間にんげんてきだし、とくにこの政次郎まさじろうはユーモアも欠点けってんもあるひとなので、コメディーの要素ようそもあっていろいろななみかんじながらとてもみやすい小説しょうせつだなとおもいました。

――公式こうしきサイトのコメントで「原作げんさくかれている一文いちぶんがかりにえんじてゆこうとおもいました」とおっしゃっていましたが、それはどんなことだったのですか?

 賢治けんじ田舎いなかにいる親父おやじのことをおも場面ばめんがあるんですけど、「厳格げんかくかんじでいるんだけど、みょうすきだらけのおとうさんだからちょっと心配しんぱいだ」みたいなことがいてあったんです。ぼくはこの一文いちぶん全体ぜんたいとおした政次郎まさじろう基本きほんだろうなとおもい、そこをがかりにしてえんじていけばいいのかなとかんじました。

――賢治けんじおさなころ赤痢せきりになったさいに「たかがどもじゃない、賢治けんじだじゃぁっ!」とって周囲しゅうい反対はんたいっていで看病かんびょうをするなど、自分じぶんどものためにあんなにもあつくなれる父親ちちおやというのは、当時とうじめずらしかったのではないでしょうか?

 看病かんびょうするということはよごれたものにれなければいけないので、一家いっかあるじがやることじゃないとあの時代じだいわれたそうですね。でも、政次郎まさじろうはそういうことも率先そっせんしてやった。そういう意味いみうと、明治めいじまれの男性だんせいとしてはあるしゅわったひとだったんじゃないかとおもいます。

(C)2022「銀河ぎんが鉄道てつどうちち製作せいさく委員いいんかい

――政次郎まさじろう厳格げんかく父親ちちおやでいようとつとめますが、「賢治けんじのためなら」とついあまやかしていますね。

 ぼくは、政次郎まさじろう賢治けんじ親子おやこという関係かんけいえた、運命うんめいてき出会であいだったのではないかとおもうんです。政次郎まさじろうも、かつて自分じぶんどもだったころは父親ちちおやにうんときびしくそだてられたので、自分じぶんはできなかったことを賢治けんじには「自由じゆうにやらせてあげたい」という気持きもちがあって、ちちとして「もっときびしくそだてなきゃいけない」というおもいの狭間はざまなやんだのでしょうけど、やっぱり賢治けんじびとあそんだり、おはなしつくったりしている姿すがたて、うらやましくもあり、面白おもしろかったんだとおもいますよ。子供こどもたちやつまとの会話かいわよう所要しょようしょ政次郎まさじろうえらそうにしていますけど「きっとこのひと賢治けんじ援助えんじょするんだろうな」とおもいながらえんじていました。

しんうつくしいどもたちがほこらしかった

――たびたび資金しきん援助えんじょしたり、「自分じぶんができなかったことを自由じゆうにやらせてあげたい」とおもったりするのは、賢治けんじ長男ちょうなんであったことも理由りゆうのひとつだったとおもわれますか?

 それもあるでしょうが、それよりも大切たいせつなのは、どもたちがしんのキレイな、魅力みりょくてき人間にんげんそだったことだとおもいます。農業のうぎょうにしても人造じんぞう宝石ほうせきにしても、賢治けんじがやりたいことというのは、まずしいひとたちがもう出稼でかせぎにかなくてもいいように、むすめりにさなくてもいいようにとおもって真剣しんけんかんがえているからなんですよ。そういうしんやさしい人間にんげんだし、いもうとのトシも、結核けっかくわずらってくるしい最中さいちゅうでも家族かぞくのことを気遣きづかやさしさをっています。

 それは、母親ははおやのイチが「人間にんげんっていうのはひとやくつためにきているんだよ」といったことをどもたちに教育きょういくしてきたからなんですよね。この2人ふたりはそのおしえをまもって、うつくしいしんひとそだった。それは政次郎まさじろうにとってもすごくまぶしかっただろうし、ほこらしかったんじゃないでしょうか。

――「家業かぎょうがない」「学校がっこうめたい」「人造じんぞう宝石ほうせきはじめたい」など突拍子とっぴょうしもないことをいいだしたり、奇天烈きてれつ言動げんどうかえしたりする賢治けんじまわされることがおおかったですが、菅田すげたはたあきら)さんとのシーンで印象いんしょうのこっていることは?

 もうほとんどですね。菅田すげたくんとのシーンは面白おもしろくもあり、ていても本当ほんとう感動かんどうてきなところもあってどれも印象いんしょうのこっています。なかでも、賢治けんじ突然とつぜん人造じんぞう宝石ほうせきをやりたい」とはなしをするシーンでは、「このはこのままいくと詐欺さぎになるんじゃないか?」というほどの雄弁ゆうべんさで、政次郎まさじろうが「そのためのおかねはどうするの?」っていたら「おねがいします!」ってってきたりしてね(笑)。

(C)2022「銀河ぎんが鉄道てつどうちち製作せいさく委員いいんかい

 ほかにも後半こうはんほうで「自分じぶん家庭かていっていないからどもができない。だから自分じぶんどもは文学ぶんがくなんだ」とった賢治けんじたいして、「じゃあおれにとってはまごだな」と政次郎まさじろうかえすシーンはとてもきです。

政次郎まさじろう成長せいちょう物語ものがたりでもある

――家族かぞくえがいたほんさくですが、「」についてもかんがえさせられました。なかでも、政次郎まさじろうちちであり、賢治けんじにとっての祖父そふである喜助きすけ田中たなか泯)がいたるまでのシーンはむねふるえました。

 ぼくもあのシーンはとてもしんのこっています。おたが白髪はくはつえようが、いくつになってもおやにとってはどもだし、どもにとってはおや。そのおや年老としおいて、自分じぶんのこともからなくなってしまうのはとてもつらいことですよね。

 喜助きすけのち自分じぶん政次郎まさじろう)と順番じゅんばんくはずだったのが、宮沢みやざわでは順不同じゅんふどうになってしまいましたが、不慮ふりょ事故じこ病気びょうきなど、おやよりもさきってしまうことはだれにでもこる可能かのうせいがあります。なので、この映画えいがて「ちょっとおや電話でんわでもしてみようか」とおもってくれたらうれしいですね。

――ほんさくで「ちち」と「息子むすこ両方りょうほう立場たちばえんじられましたが、ちち息子むすこ関係かんけいせいについてあらためてかんがえたことはありましたか。

 いまむかしわらないものはあるでしょうね。だけど、この政次郎まさじろうさんは立派りっぱひとだったとおもいますよ。本心ほんしんでは質屋しちやという家業かぎょうきらっていたのだろうけど、まちにも貢献こうけんをしたし「親父おやじえたい」という気持きもちもどこかにあったでしょうしね。

 門井かどい先生せんせいおっしゃっていましたが、これは宮沢みやざわ賢治けんじ成長せいちょう物語ものがたりであって、ちち政次郎まさじろう成長せいちょう物語ものがたりでもあるんです。どもっておや成長せいちょうさせてくれるなということはぼく自身じしんかんじていて、どもがおやにさせてくれる、おやとして成長せいちょうさせてくれることはまれた瞬間しゅんかんからはじまっているとおもいます。それに、政次郎まさじろう賢治けんじのためにいえ代々だいだい宗旨しゅうしえてしまったひとですからね。それほどまで息子むすこのために自分じぶん出来できることを最後さいごまでやりげたのは、かれのことが相当そうとうきだったのではないでしょうか。

(C)2022「銀河ぎんが鉄道てつどうちち製作せいさく委員いいんかい

ほんから先輩せんぱいかたやたたずまいをまな

――役所やくしょさんは普段ふだん読書どくしょはされますか?

 たとえばいまさくのように、原作げんさくがあってそれを映画えいがしようというおはなしがあると、そのほんえんじる人物じんぶつ関係かんけいするほんむことがおおいですね。あとはいろいろなひとのエッセイをみます。森繁もりしげ久彌ひさやさんや市川いちかわ雷蔵らいぞうさん、三船みふね敏郎としおさんといったかたたちはどういうひとだったのかということがかれているほんて、先輩せんぱいたちのかたやたたずまいをまなんだり「役者やくしゃ仕事しごとってこういうものなんだ」とおしえてもらったりしています。

 あとは、映画えいが監督かんとくほんみますね。いまだに小津おつあん二郎じろうさんのファンがおおくいらっしゃるということをくと、小津おつさんは一体いったいどういうふうにして映画えいがっていたのか、かつての日本にっぽん映画えいがかいはどういうシステムだったのかということに興味きょうみがあります。

――当時とうじ映画えいがかいはどんなかんじだったのでしょう。

 やっぱりゆたかですよね。そのころはテレビがないですから、映画えいが産業さんぎょうもうなぎのぼりで、つくればたったし、映画えいがかんにおきゃくさんが大勢おおぜいるような時代じだい。だから映画えいが時間じかん予算よさんをかけて、そしてあたらしい人材じんざいそだてた贅沢ぜいたく時代じだいだったんだろうなとおもいます。

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