「夜よる更ふかしの社会しゃかい史し」書評しょひょう　時代じだいに規定きていされた個人こじん的てきな営いとなみ

評者ひょうしゃ：藤野ふじの裕子ゆうこ／朝あさ⽇新聞しんぶん掲載けいさい：2024年ねん03月がつ30日にち

夜よる更ふかしの社会しゃかい史し安眠あんみんと不眠ふみんの日本にっぽん近きん現代げんだい著者ちょしゃ：出版しゅっぱん社しゃ：吉川弘文館よしかわこうぶんかんジャンル：健康けんこう・家庭かてい医学いがく

ISBN: 9784642039314
発売はつばい⽇： 2024/02/02
サイズ: ２２ｃｍせんちめーとる／２５６ｐ

「夜よる更ふかしの社会しゃかい史し」　［編へん］近森ちかもり高明こうめい、右田みぎた裕ひろし規ぶんまわし

　夜よるにぐっすり眠ねむるために、夕方ゆうがた以降いこうはカフェインを摂と（と）らないようにしている。だが時々ときどき思おもう。なぜそこまでして日にち中ちゅうに覚醒かくせいし、夜よるに熟睡じゅくすいしようとするのか。これは私わたしの欲望よくぼうなのか。それとも社会しゃかいの要請ようせいなのか。考かんがえると眠ねむれなくなる。
　睡眠すいみんは生理せいり的てきで個人こじん的てきな営いとなみである一方いっぽう、時代じだい状況じょうきょうに規定きていされた文化ぶんか的てきな行為こういだと本書ほんしょは説とく。明治めいじから現在げんざいまでの睡眠すいみんをめぐる変化へんかを、11本ほんの論考ろんこうがダイナミックに描えがき出だす。前ぜん近代きんだいの社会しゃかい史し研究けんきゅうの成果せいかをふまえている点てんも特徴とくちょう的てきだ。
　本書ほんしょが強調きょうちょうするのは、産業さんぎょうの発達はったつが人ひとびとの働はたらき方かたと睡眠すいみんを変かえたことだ。労働ろうどう力りょくを再さい生産せいさんするために、安眠あんみんが重視じゅうしされるようになった。８時じ間あいだ睡眠すいみんが規範きはんとなり、人ひとびとの眠ねむり方かたを標準ひょうじゅん化かする育児いくじ書しょ・健康けんこう法ほうなどが出版しゅっぱんされた。不眠ふみんは深刻しんこくな悩なやみとなり、凡庸ぼんような規範きはんから逸脱いつだつした証あかしとして、ロマン化かされもした。
　さらには、娯楽ごらく産業さんぎょうの発達はったつがネオンの輝かがやく眠ねむらない都市としを生うみ出だす。夜間やかんに街まちを歩あるき回まわり、享楽きょうらくにひたる人ひとびとの欲望よくぼうをかき立たてた。他方たほうで、眠ねむらずに働はたらくことも重要じゅうようになる。近世きんせいの農村のうそん部ぶには共同きょうどうで夜よなべをする作業場さぎょうばがあったが、近代きんだいになると、都市としや工場こうじょうが夜業やぎょうの中心ちゅうしん地ちとなる。
　戦時せんじ下かには、生産せいさん力りょくを高たかめることを目的もくてきに、軍ぐんや厚生省こうせいしょうなどの指導しどうのもと、カフェイン、ビタミンＢ剤ざいに加くわえ、ヒロポン（覚醒剤かくせいざい）が組織そしき的てきに配給はいきゅうされた。
　１９６０年代ねんだい以降いこう、ヒロポンは廃すたれたが、人ひとびとはドリンク剤ざいやコーヒーに傾斜けいしゃするようになった。受験じゅけん競争きょうそうが激化げきかするなか睡眠すいみん学習がくしゅうが試こころみられたことも、現在げんざいの育児いくじ書しょが子こどもの効率こうりつ的てきな寝ねかしつけを説とくのも、時代じだいの反映はんえいといえる。
　どうやら、早はやく寝ねようが夜よる更ふかししようが、睡眠すいみんをめぐる自みずからの欲望よくぼうには、社会しゃかいの要請ようせいが染しみついているらしい。だがその歴史れきし的てきな経緯けいいを知しれば、睡眠すいみん言説げんせつに無自覚むじかくに振ふり回まわされずにすみそうだ。これぞ社会しゃかい史しの持もつ力ちからである。
　　　　◇
ちかもり・たかあき　１９７４年ねん生うまれ。慶応大けいおうだい教授きょうじゅ▽みぎた・ひろき　１９７３年ねん生うまれ。山口大やまぐちだい准じゅん教授きょうじゅ。