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「トランスジェンダー問題」は、シスジェンダー問題である|じんぶん堂
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「トランスジェンダー問題もんだい」は、シスジェンダー問題もんだいである

記事きじ明石書店あかししょてん

『トランスジェンダー問題――議論は正義のために』(明石書店)と原書『The Transgender Issue: An Argument for Justice』
『トランスジェンダー問題もんだい――議論ぎろん正義せいぎのために』(明石書店あかししょてん)と原書げんしょ『The Transgender Issue: An Argument for Justice』

「トランスジェンダー問題もんだい」をろんじるまえ

トランスジェンダーが解放かいほうされれば、わたしたちの社会しゃかいすべてのひとせいがよりいものとなるだろう。

 そんな宣言せんげんからはじまる本書ほんしょは、トランス排除はいじょてき首相しゅしょう誕生たんじょうするような英国えいこくで、トランス女性じょせいであるライターのショーン・フェイによってかれた。トランスジェンダーたちのかかえる問題もんだいぜん7しょうろんじられている。わずかいちねん邦訳ほうやくかなったのは、日本にっぽん読者どくしゃにもいままさに必要ひつよういちさつだからだ。

 そう。トランスの存在そんざいは、この世界せかいゆたかにする。だからこのほん1人ひとりでもおおくのひとまれてほしい。けれども、事前じぜんにいくつか注意ちゅうい必要ひつようだろう。

 たとえば「著者ちょしゃは、すでに性器せいき手術しゅじゅつをしたの?」ときたくなったあなた。他者たしゃのプライベートゾーンがさきになる侵略しんりゃくてき発想はっそうはまさしくセクシストてきであり、そうした疑問ぎもんこたえるのはこのほん主旨しゅしではないため、すすめるのをやめたほうがよかろう(だい2しょう)。

 たとえば「オンラインじょうのトランス差別さべつはげしいみたいだけど、どう対抗たいこうしたらいい?」と熱心ねっしんなあなた。ありがとう。けれどもトランスジェンダーにとって差別さべつてきでない時代じだいなんて、そもそもいにひとしい。トランスの人々ひとびとは、シスの人々ひとびとによって都合つごうよくつくられたこのなかで、つねにすでに生活せいかつしてきた。まずそんな現実げんじつがある。「昨今さっこんの」「ネットじょうに」だけトランスの人々ひとびと生息せいそくしているわけではないため、勝手かって実情じつじょう矮小わいしょうしてはならない。そうしたくらましへの応答おうとうは、トランスの人権じんけんをまともにりあわない右派うは政権せいけんや、フェミニストのかたるトランスヘイターのおもうツボである。『トランスジェンダー問題もんだい』はまさにそんな惨状さんじょうをひっくりかえすために、あえてこのタイトルをけているほんなのだ。いいじゃないか、ここからはトランスたちのしたいはなし、すべきはなしをしていこう。

 たとえば「日本にっぽんにトランスジェンダー差別さべつなんてある?」と本書ほんしょ意義いぎにピンとこないあなた。えなくとも、差別さべつはあるのだ。英国えいこくにおけるトランス差別さべつ悲惨ひさんさは、そのまま日本にっぽん連想れんそうせざるをえない。せい被害ひがいにあったトランスの労働ろうどうしゃによる裁判さいばんっているか(だい3しょう)。刑務所けいむしょ放置ほうち隔離かくりをされるトランスの人々ひとびとや、勾留こうりゅうセンターにいてトランス差別さべつてき祖国そこくされるかもしれない難民なんみんかんがえたことがあるか(だい5しょう)。メディアに面白おもしろおかしく身体しんたいあばかれる「おわらい」あるいは「同情どうじょう」はいつまでゆるされるのか。国際こくさいてき人権じんけん侵害しんがいとみなされている「特例とくれいほう」を改善かいぜんすべきだとおもっているか。日本にっぽん動向どうこうについては、訳者やくしゃ高井たかいによる「訳者やくしゃ解題かいだい」にくわしい。

トランスジェンダーは一筋縄ひとすじなわではない

 たりまえはなしをするようだが、トランスの人々ひとびと多種たしゅ多様たようである。もしトランスのひとおもかべてみて、資本しほん主義しゅぎ成功せいこうしたようにみえるごく一部いちぶのトランス女性じょせいのセレブや、パレードをりしきる裕福ゆうふくなトランス当事とうじしゃしかてこないのだとしたら、階級かいきゅう人種じんしゅ障害しょうがい問題もんだいりにしている。そうした目立めだつトランスのひとでさえ、システムをつくっているシスの人々ひとびとから「きちんとしている」「くちう」とみなされなければひょう舞台ぶたいにはてない。だい3しょうの「階級かいきゅう闘争とうそう」でフェイ自身じしんべているように、こうしてものをけるあたえられていること自体じたいがきわめて特権とっけんてき立場たちばであり、ある一人ひとりがトランスの代表だいひょうしゃであるかのようにみなすのは不正確ふせいかくなのだ。このわたし文章ぶんしょう同様どうようである。

 なかには、唯一ゆいいつっているトランス当事とうじしゃとして、トランスのセックスワーカーをおもかべるひともいるかもしれない。だからこそ、だい4しょうでフェイは「セックスワーク」に焦点しょうてんをおく。トランスのセックスワーカーはポルノや映画えいがでの描写びょうしゃからられる機会きかいおおく、ある意味いみでは一番いちばん可視かしされているにもかかわらず、トランスのアクティヴィズムから簡単かんたん見落みおとされるからだ。よわ立場たちばかれがちなトランス当事とうじしゃおもうときに、セックスワークきではかたれない。セックスワークに従事じゅうじする人々ひとびとこえすくいあげた本章ほんしょうは、まだ類書るいしょすくない日本にっぽんにおいて必読ひつどくだ。

 社会しゃかいてきよわ立場たちばにおかれるものほど、権力けんりょく対峙たいじさせられ、理不尽りふじんさをおもるはめになる。この意味いみがわかるだろうか。身近みぢかれいげよう。トランスのなかには、男女だんじょけのきびしい学校がっこう登校とうこうになったり退学たいがくしたり、戸籍こせき都合つごう結婚けっこんできなかったり、高額こうがく医療いりょう全額ぜんがく自費じひはらったり、せい暴力ぼうりょく告発こくはつしてもしんじてもらえなかったりするものがたくさんいる。あなたがわるい、とおもまされる。きているだけマシだ、と希望きぼううしなっていく。それらがかさなる。一方いっぽうで、巨大きょだいかべるがない。

 しかし、トランスのこうむ境遇きょうぐうはほかのおおくの人々ひとびとにとってもかさなりうため、「トランスジェンダーの」問題もんだいろんじることは、社会しゃかい全体ぜんたい改善かいぜんへとつながっていくはずである。身近みぢかこまりごとでせいいっぱいになるトランスのひとにとって、社会しゃかい全体ぜんたい見通みとおしてえていけるかもしれないという希望きぼうは、なかなかいだけないものだ。そんな希望きぼうは、とおい絵空事えそらごとにしかえていなかったからだ。ずっとそうだった。そうしたトランスたちのあきらめをいたいほどっているからこそ、フェイが「希望きぼう」をかてに、本書ほんしょをとおして言葉ことばあたえる意義いぎははかりしれない。どうか「結論けつろん」までんでみてほしい。

 視野しやひろげて、だい5しょうのテーマはずばり「国家こっか」である。警察けいさつ刑務所けいむしょなどの国家こっか権力けんりょく一般いっぱん悪者わるものまるものとして配置はいちされているが、しかし弱者じゃくしゃがより一層いっそう抑圧よくあつされたり、暴力ぼうりょくきたときにさらにおおきな暴力ぼうりょくふうじたりする機能きのうをもっているため、フェイはそうした国家こっか権力けんりょくうたがいをなげかける。トランス女性じょせい女性じょせい刑務所けいむしょ男性だんせい刑務所けいむしょのどちらにれるべきか、あるいは「トランス刑務所けいむしょ」を新設しんせつすべきか。そんな一部いちぶ事例じれい是非ぜひうまえに、はたしてその前提ぜんていただしいのだろうか。『トランスジェンダー問題もんだい』は、社会しゃかい正義せいぎかんがえるチャンスをくれる。

これからもとも

 だい6しょうではLGBTの連帯れんたいだい7しょうではトランスとともにあるフェミニズムが主題しゅだいとなる。LGBTとは「レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー」の頭文字かしらもじであり、性的せいてきマイノリティの総称そうしょうをさす。LGBTといっしょくたにされる当事とうじしゃのなかにも、なぜちがいがあるにもかかわらずほか属性ぞくせいといっしょにされるのかわからないというひとはいる。だが、差別さべつするがわはLGBTの区別くべつもうけずにおなじようなやりかた抑圧よくあつしてくる。より未来みらいのために、LGBTの連帯れんたい必要ひつよう場面ばめんはあるのだ。フェイが「LGBT」とびかけるとき、そこには「ともたたか仲間なかま」としての熱量ねつりょうかんじられる。

 また、当事とうじしゃ繊細せんさい事情じじょう考慮こうりょすれば、「同性愛どうせいあいしゃなのかトランスジェンダーなのかわからない」というせいへの違和感いわかんを、本人ほんにん家族かぞくでさえいだくことがある。意外いがいられていないことだが、性別せいべつ移行いこうをとおして性的せいてき指向しこう変化へんかまれるトランスのひともいる。だから、LGBTにおけるゆるやかなつながり、そして差別さべつ対抗たいこうへの強固きょうこ連帯れんたいてておけないものなのだ。

 フェミニズムがテーマとなるだい7しょうは、フェイの実話じつわからはじまる。おんなだけのフェスティバルにトランス女性じょせいのフェイがばれたさい一部いちぶのひとたちが「本物ほんもの女性じょせいあたえられるはずだったうばわれている」と主張しゅちょうして、フェイの解任かいにんもとめる署名しょめいをおこなったというのだ。フェミニストてきからトランス女性じょせい排除はいじょするこころみは、1970年代ねんだいにもきており、いまはじまったことではない。だが、トランス排除はいじょ主張しゅちょうさけばれるなかでも、多数たすうのフェミニストたちはトランスととも運動うんどうをしてきた。ある属性ぞくせい女性じょせい排除はいじょするフェミニズムは、人種じんしゅ差別さべつてんからも批判ひはんされている。「白人はくじんの、中産ちゅうさん階級かいきゅうのシスジェンダーの女性じょせいたち」がフェミニズムを占有せんゆうしてきた英国えいこく反省はんせいは、日本にっぽんにおいてもおおいにかされるべきだ。

 さて日本にっぽんはなしをすれば、一部いちぶ女子大じょしだい戸籍こせきが「女性じょせい」でない女性じょせい入学にゅうがく可能かのうにすると発表はっぴょうされたさい、トランス女性じょせいへのバッシングがきた。なにが火付ひつやくだったのだろう。戸籍こせきが「女性じょせい」であるトランス男性だんせいやノンバイナリー、戸籍こせき変更へんこうのトランス女性じょせいはすでに在学ざいがくしている可能かのうせいがあったというのに。トランスインクルーシブなフェミニズムは、代々だいだいつづいてきた。トランスがフェミニズムを必要ひつようとするだけでなく、フェミニズムこそがトランスの存在そんざい必要ひつようとすることだってある。いまだ言語げんご不十分ふじゅうぶんだとしても、その潜在せんざい可能かのうせいにフェミニストたちはづいてきたのではないか。

 本書ほんしょでは多岐たきにわたる「トランスジェンダー問題もんだい」がろんじられている。読者どくしゃは、トランスの人々ひとびとける不平等ふびょうどうは、ほかのマイノリティ集団しゅうだんとよくているとづくだろう。トランスのかかえる問題もんだいは、トランスだけの課題かだいではない。もちろん、トランスの存在そんざい自体じたいがトラブルとなっているわけでもない。そしてまた、問題もんだいしたり仕組しくみを運用うんようしたりしているひとおおくは、トランスではない、シスジェンダーの人々ひとびとである。だから枠組わくぐみをえるために、いっしょにかんがえ、行動こうどうしてほしい。原書げんしょとそっくりなあか表紙ひょうし目印めじるしだ。

 

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