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コンセプトを自分の武器にして「ここではないどこか」へいく方法|じんぶん堂
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コンセプトを自分じぶん武器ぶきにして「ここではないどこか」へいく方法ほうほう

記事きじ:WAVE出版しゅっぱん

先の読めない時代を進むための指針「コンセプト・センス」
さきめない時代じだいすすむための指針ししん「コンセプト・センス」

「ここではないどこか」とは、どこなのか。

 このほんは、「企画きかくほん」です。「斬新ざんしんなアイデアをしたい」「チームでのきょうそうをスムーズにまえすすめたい」「上司じょうし取引とりひきさき承認しょうにんりたい」、そして「なかいまよりくしたい」――企画きかくたずさわるひとならいちはよぎるこれらのおもいにこたえるためのほんです。

 だからとって、あたらしい商品しょうひんやサービスをすことを仕事しごとにしている、いわゆる「プランナー」「クリエイター」といった企画きかくしょくほうのみにけたほんではなく、ひろく「くわだて」をするすべてのひととどけたいほんでもあります。

 ひとはどうしてくわだてるのでしょうか? 人間にんげんは「現状げんじょうえたくて、くわだてる」し、それはなぜかというと「ここではないどこか」をしんのどこかで希求ききゅうするものだから。企画きかくそのものを仕事しごとにしていなくても、たとえば、

今年ことし年末年始ねんまつねんしは、いつもとちがやすみのすごしかたをしたいなあ」とか
「このままだとおいできなさそうなあのを、どうにかかせられないか」とか
「なんだか仕事しごともパッとしないし、キャリアをガラッとえたいけどどうしよう」とか。

現状げんじょう延長線えんちょうせんじょうではない未来みらい〟をなんとか実現じつげんできないかとかんがえるそのしんはまさに、くわだてをはじめている。「ここではないどこか」をのぞむとき、ひとくわだてのくちっているわけです。

世界はコンセプトであふれている。
世界せかいはコンセプトであふれている。

 ただ、厄介やっかいなのは「どうなったらそのくわだてが成功せいこうなのかが、じつ曖昧あいまいである」ことがとてもおおいということ。「なにかもっとあたらしく」とか、「このままじゃイヤだからどうにかしたい」とか、はっきりしていないけれど「とりあえず現状げんじょう延長線えんちょうせんじょうはイヤだ」という気分きぶんが、最初さいしょよこたわっているということです。まさに、「ここではないどこか」の、「どこか」とはどこなのか? まずそこから見通みとおすことが、くわだての最初さいしょにして最大さいだいのポイントなのです。そこで、コンセプトです。

「そもそも“い”とはなにか」から、なおす。

 そのむかし狩猟しゅりょうつづけていた人類じんるいはあるときから地球ちきゅうじょうのさまざまな場所ばしょで「農耕のうこう」とそれにともなった「定住ていじゅう生活せいかつ」「国家こっか」「資本しほん」といった社会しゃかい運営うんえいのコンセプトを形作かたちづくっていきました。その結果けっか、「ものってくるのではなく自分じぶんたちでつくるもの」「しいときだけではなく、365にちいつでもなにかしらやることがあるのが仕事しごとというもの」「獲物えものわせて移動いどうつづけるのではなく、まず国家こっかまいがありそこでものそだてる」など、それまでとはまったくことなるあたらしい認知にんちが、社会しゃかいにおけるたくさんの「あたらしい約束やくそく」としてまれました。

 結果けっか、「とうてきがうまいひとがかっこいい」というそれまでのひとひと尺度しゃくどから、「いねらさずに安定あんていてきそだてる方法ほうほうっているひとがかっこいい」へ、さらに「稲作いなさく組織そしきてき成功せいこうさせるために、ひと集団しゅうだん統率とうそつしたり、ルールを構築こうちくできるひとが、かっこいい」へと、尺度しゃくど転換てんかんされたはずです。それにともない、資源しげんひと時間じかんなにとうじるかといった決定けっていもまったくちがうものになっていき、最終さいしゅうてきには「狩猟しゅりょう社会しゃかい」から「農耕のうこう社会しゃかい」にだい転換てんかんしていったといえます。

 有名ゆうめいなビジネス寓話ぐうわでもあるように、「自動車じどうしゃがない時代じだい人々ひとびとに、“どんなものしいか” といても、“はやはしうましい” としかこたえようがない」わけで、既存きそん現実げんじつであるうま性能せいのうをどうにかするのではなく、「自動車じどうしゃというあたらしいコンセプト」をまずは認知にんちレベルで着想ちゃくそうすることが必要ひつようなのです。

「どうしたらもっとくなるか?」ではなく、
「そもそも、いとはなになのか?」からさい定義ていぎする。

さそのものをあたらしく定義ていぎできた企画きかく” は、その時点じてんでオリジナルになれる可能かのうせいきわめてたかいということなのです。

「認知を起点に現実を変える」ためには、コンセプトが必要。
認知にんち起点きてん現実げんじつえる」ためには、コンセプトが必要ひつよう

コンセプトはあそびをみ、そしてやさしさにつながる。

 コンセプトの最大さいだい効果こうかを「あそべる」ようになることだと本書ほんしょでは定義ていぎしました。くわだてをおこなうそのしんあそびがてると、かかわる人々ひとびとかたくなさをきほぐし、「そういうのもありかもね!」と、あたらしさをれることが可能かのうになります。

 そう、あそびは、やさしさになるんです。

 そして、これからの時代じだいもとめられるのは、そんな「やさしいコンセプト」だとおもうのです。「これじゃなきゃダメ」とか「ほかのどれも全然ぜんぜんクソだ!」と主張しゅちょうするような、他者たしゃ蹴落けおとしきんでんがためのコンセプトではなく、おおくのひとくるしんだりなやんだり、そのバイアスのせいで対立たいりつ構造こうぞうおちいってしまっているようなこれまでのふる約束やくそく破棄はきし、 つぎ地平ちへい社会しゃかいれてく、 あそびとやさしさをびたコンセプトがきです。

 残念ざんねんながら、やさしさとはぎゃくの「分断ぶんだん」という言葉ことばも、にすることがえています。「そんなの自分じぶんには関係かんけいないだろ」をいかにえるか。そこには「コンセプトによるちから結集けっしゅう」が必要ひつようです。こんビジネスにおける「売上うりあげ追求ついきゅう」が、どうにもそれだけではうまく機能きのうしなくなっているのは、売上うりあげ追求ついきゅう他者たしゃとの対立たいりつ前提ぜんていふくんでしまうから。戦後せんご復興ふっこうげ、世界せかいだい経済けいざい大国たいこくになったあたりから、もしかしたらお金儲かねもう以外いがいのコンセプトを社会しゃかい単位たんいつけられずにくるしんでいるのが、このくに現実げんじつなのかもしれません。「うしなわれた 30 ねん」って、なにうしなわれたのかといえば「コンセプトを起点きてんにものをかんがえて行動こうどうするマインド」とすらおもってます。

 自分じぶん審美しんびをもって、 なにを〝い〟とするかを、うこと。そんなつよくて後世こうせいのこるコンセプトをつくることも、 すべてはわたしたちの「ここではないどこかへ」という違和感いわかんがスタートなのではないでしょうか。

コンセプトをコンパスに、遊びをもって企てをする。
コンセプトをコンパスに、あそびをもってくわだてをする。

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