まずは、ぼく野球やきゅうきらいになりかけたはなしからはじめさせてください。

 幸運こううんにもプロ野球やきゅう選手せんしゅになれて、きなものを仕事しごとにできて、それなりに1ぐん結果けっかのこせて。りた野球やきゅう人生じんせいおくらせてもらいました。

 でも、結果けっかてき現役げんえき最終さいしゅうねんだった2020ねんぼくはあんなにきだったはずの野球やきゅうきらいになりかけていました。調子ちょうしがよくても、結果けっかのこしても使つかってもらえない。1ぐんがるのはわか選手せんしゅばかり。プロ9ねん、31さいになったぼくも「これがプロの世界せかいだ」と理解りかいしていたはずでした。

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 それでも、あきちかづくにつれて野球やきゅう仕事しごとでなくなる危機ききかん恐怖きょうふかん支配しはいされていきました。11月2にち巨人きょじん戦力せんりょくがい通告つうこくけたときは、あたましろになりました。12球団きゅうだん合同ごうどうトライアウトをけても、NPB球団きゅうだんからのオファーはゼロ。ぼく現役げんえき引退いんたい決意けついしました。

現役げんえき時代じだい筆者ひっしゃ田原たはらまこと ©時事通信社じじつうしんしゃ

もとプロ野球やきゅう選手せんしゅ就職しゅうしょく活動かつどう

 最初さいしょあたまかんだのは家族かぞくのこと。ぼくにはつま息子むすこむすめ家族かぞくがいます。現役げんえき時代じだい家族かぞくとの時間じかんれなかったので、半年はんとしちかくは仕事しごともせずに家族かぞくサービスの時間じかんにあてました。一緒いっしょものったり、むすめ幼稚園ようちえんおくむかえをしたり、息子むすこ学校がっこう行事ぎょうじ参加さんかしたり。

 それはそれでたのしかったのですが、さすがに仕事しごとをしないと家族かぞくやしなえません。でも、引退いんたいめたころからぼくあたま渦巻うずまいていた感情かんじょうがありました。

――野球やきゅうからはなれる時間じかんがほしい。

 まるで時間じかんまったかのように、ぼくのなかで野球やきゅうへの嫌悪けんおかんえていませんでした。指導しどうしゃ仕事しごとさが選択肢せんたくしもありましたが、野球やきゅうたいしてわる感情かんじょういたままわかひとおしえることはできないとおもいました。

 とりあえず、アルバイトをはじめました。ワクチン接種せっしゅ会場かいじょう誘導ゆうどうがかりでした。「問診もんしんけて、つぎ注射ちゅうしゃになります」などと、ワクチン接種せっしゅするひと案内あんないするわけです。

 バイトをしゅう4にちこなしながら、いたにハローワークにかよいました。あさからひるまで仕事しごと検索けんさくをかけて、職員しょくいんほうにも相談そうだんさせてもらいました。

 ぼく聖心せいしんウルスラ学園がくえん高校こうこうから社会しゃかいじんクラブチームの倉敷くらしきオーシャンズ(現在げんざい企業きぎょう登録とうろく)でプレーし、巨人きょじん入団にゅうだんしています。これまで就職しゅうしょく活動かつどうをした経験けいけん一切いっさいありません。ただ、社会しゃかいじん時代じだい三菱みつびし工場こうじょうはたらいていたので、「まずは工場こうじょうはたらくのがいいかな?」とかんがえました。

 さまざまな仕事しごとについて精通せいつうし、アドバイスをくださるハローワーク職員しょくいんほうには感銘かんめいけました。こんなじんがいるから社会しゃかいまわるのだなとわかりましたし、納得なっとくのいく仕事しごとえら大切たいせつさをまなべました。

 そのなかでぼくはたらきたいとかんがえたのが、給湯きゅうとう製造せいぞうする工場こうじょうでした。

 いざ面接めんせつけにいくと、面接めんせつかん履歴りれきしょの「読売よみうり巨人軍きょじんぐん」というぼく前歴ぜんれきて「えっ?」とこえげました。

巨人きょじん選手せんしゅだったんですか?」

「はい、9ねんほどいました」

 その仕事しごとはなしそっちのけで、巨人きょじん話題わだいつづきました。すんなりと面接めんせつをクリアし、「あぁ、プロ野球やきゅう選手せんしゅってすごい職業しょくぎょうだったんだな」と実感じっかんしました。

 工場こうじょうあさ8始業しぎょうし、休憩きゅうけいはさんで17まではたらきます。ときには残業ざんぎょうをするもありました。三菱みつびし工場こうじょうはたらいていたときにネジをめる作業さぎょう得意とくいにしていたので、「いいね、はやいね」とめてもらえました。

 普通ふつうひとよりからだおおきかったこともあり、年下としした職場しょくば仲間なかまから「なにかやってたんですか?」とかれました。野球やきゅうをやっていたとこたえると、くさ野球やきゅうさそわれました。

 はじめてくさ野球やきゅうをやったとき、みんなから「めっちゃすごくない?」とおどろかれました。「一応いちおう、プロでやってたんだ」とつたえると、そのうわさ職場しょくばひろまっていきました。

 でも、すべてのひと野球やきゅうきなわけではありません。ぼく経歴けいれきではなく、自分じぶん仕事しごとぶりでまわりにみとめてもらいたいとかんがえていました。

 プロ野球やきゅう選手せんしゅころからまなじゅつ、やってまなじゅつについていたので、仕事しごとはやおぼえられました。工場こうじょうは7つほどのラインにかれているのですが、先輩せんぱい仕事しごとながら「これとこれは一緒いっしょだな」などとおぼえて、どのラインにはいっても仕事しごとができるようになりました。

 そのうち、「やすみがたから田原たはらさんはこのラインにはいって」「ひとりないからこっちはいって」と重宝ちょうほうしてもらえるようになりました。工場こうじょうちょうからは「あんたにやすまれるとこまる」とわれました。きょじんでも工場こうじょうでも、ぼくわらず「便利べんり」として自分じぶん居場所いばしょつけられたのです。

 本当ほんとうにいい職場しょくばでした。ぼくよりひとまわ以上いじょう年上としうえほうが、「昨日きのう日本にっぽんシリーズのあの場面ばめん、どうやった?」などと野球やきゅう話題わだいってくださいました。ぼく自分じぶんなりのかんがえをはなすと、「やっぱり視点してんちがうねぇ」とめてくれました。

 こんな日常にちじょう会話かいわをしているうちに、ぼくはどんどん野球やきゅうがしたくなってきました。いつしか、野球やきゅうへの嫌悪けんおかんがあとかたもなくえていたのです。