淡海たんかいニュータウンにおけるサンドイッチマンの身体しんたいてき実践じっせん

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書誌しょし事項じこう

タイトル別名べつめい
  • Bodily Practice of Sandwich-Man in Danhai New Town

説明せつめい

<p>研究けんきゅう背景はいけい目的もくてき</p><p>1980年代ねんだいなかばから台湾たいわん急速きゅうそく都市とし開発かいはつむかえ、新築しんちくマンションが台北たいぺいをはじめかく大都市だいとしあらわれてきた。どう時期じき環境かんきょう問題もんだい都市とし景観けいかんたいする意識いしきたかまり、電柱でんちゅう街路がいろじゅ広告こうこくることが禁止きんしされた。宣伝せんでんよう看板かんばんかかげるサンドイッチマンはこの過程かてい新築しんちくマンションの宣伝せんでんのためおお利用りようされた。1980年代ねんだいまつ居住きょじゅうけんもとめる社会しゃかい運動うんどうへの対応たいおうとして、政府せいふ淡海たんかいニュータウンの建設けんせつ計画けいかく公表こうひょうした。その結果けっか淡海たんかいニュータウンはこの10ねん台湾たいわんもっと開発かいはつすすんでいる地域ちいきひとつとなるとともに、増大ぞうだいする住宅じゅうたく宣伝せんでん需要じゅようによりおおくのサンドイッチマンが集中しゅうちゅうするところとなった。サンドイッチマンが存在そんざいつづけることは都市とし開発かいはつ持続じぞくせいをも意味いみする。ところが従来じゅうらいのサンドイッチマンにかんする研究けんきゅうは、いずれも都市とし開発かいはつとの関連かんれんについてべたものではない。ほん報告ほうこく淡海たんかいニュータウンのサンドイッチマンを対象たいしょうに、その労働ろうどう実態じったい多様たよう身体しんたいてき実践じっせん検討けんとうつうじて、サンドイッチマンの主体性しゅたいせいあきらかにすることをこころみる。</p><p> 台湾たいわんのサンドイッチマン1980年代ねんだいさかいに、サンドイッチマンによる宣伝せんでん広告こうこくおおきな変化へんかがあったとかんがえられる。1980年代ねんだいなかば、活発かっぱつしつつあった台湾たいわん住宅じゅうたく市場いちば戒厳かいげんれい解除かいじょにより一気いっき拡大かくだいし、民間みんかん部門ぶもん大量たいりょう住宅じゅうたく供給きょうきゅうされはじめた。くわえて、環境かんきょう問題もんだい衛生えいせい問題もんだいへの関心かんしんたかまっていた台湾たいわん社会しゃかいでは、1970年代ねんだい初頭しょとうから関連かんれんする法律ほうりつ整備せいびされ、路上ろじょう広告こうこくやチラシは無人むじん管理かんりであれば不法ふほう廃棄はいきぶつみとめられるようになった。そのため住宅じゅうたく宣伝せんでんおこな広告こうこく会社かいしゃはサンドイッチマンをやとい、路上ろじょう宣伝せんでん広告こうこくおこなうようになった。その、サンドイッチマンがかかげる広告こうこく内容ないようおも新築しんちく物件ぶっけんかんするものとなった。台湾たいわんのサンドイッチマンは、不動産ふどうさん広告こうこくをめぐる一連いちれん下請したう構造こうぞうさい下層かそう位置付いちづけられる。デベロッパーは新築しんちく宣伝せんでん任務にんむ販売はんばい会社かいしゃまかせ、販売はんばい会社かいしゃはさらにそれを広告こうこく代理だいりてん委託いたくする。そして広告こうこく代理だいりてん末端まったん宣伝せんでん業務ぎょうむにサンドイッチマンをもちいるのである。そして広告こうこく代理だいりてん末端まったん宣伝せんでん業務ぎょうむにサンドイッチマンをもちいるのである。こうした構造こうぞうかれたサンドイッチマンのおおくは労災ろうさい補償ほしょうなどがとぼしい派遣はけん社員しゃいんであり、労働ろうどうしゃとしての立場たちばはきわめて脆弱ぜいじゃくである。経済けいざいてきマイノリティをつよ批判ひはんする傾向けいこうがある台湾たいわん社会しゃかいにおいては、サンドイッチマンにたいして不潔ふけつ怠惰たいだなどの汚名おめいせられている。</p><p> 広告こうこく看板かんばんとサンドイッチマンの身体しんたい矛盾むじゅんした関係かんけい</p><p>広告こうこく代理だいりてん最大さいだい宣伝せんでん効果こうか実現じつげんするために淡海たんかいニュータウンで各種かくしゅ広告こうこく手段しゅだんもちいている。私有地しゆうちでの大型おおがた広告こうこくキャンバスや道路どうろはし宣伝せんでんカーなどは常時じょうじられるものである。一方いっぽう週末しゅうまつになるとサンドイッチマンが掲示けいじする広告こうこく看板かんばん淡海たんかいニュータウンの路上ろじょうあらわれ、広告こうこく空間くうかん完成かんせいさせる。しかし、サンドイッチマンなしでは広告こうこく看板かんばん独自どくじ路上ろじょう存在そんざいすることもできない。広告こうこく看板かんばん都市とし景観けいかんにとって目障めざわりな存在そんざい法律ほうりつじょう廃棄はいきぶつ)として認識にんしきされるとすれば、サンドイッチマンの身体しんたいの「移動いどうりょく」は景観けいかんうつくしさを維持いじする「秩序ちつじょ」の可能かのうせいである。一方いっぽう、サンドイッチマンが広告こうこく看板かんばんって交差点こうさてんあらわれることは、都市とし景観けいかんみだすことを意味いみする。サンドイッチマンは環境かんきょう清潔せいけつたも責任せきにん一方いっぽうで、マイノリティにたいする社会しゃかいてきスティグマをも背負せおっている。いずれにせよ、サンドイッチマンの身体しんたい社会しゃかいてき視点してんによってされた社会しゃかいてき身体しんたいであり、外部がいぶ色眼鏡いろめがねとおしてまなざされる対象たいしょうである。</p><p> 淡海たんかいニュータウンのサンドイッチマンがもちいる実践じっせんさく</p><p>仕事しごとちゅうのサンドイッチマンはきられる多様たよう存在そんざいであり、行動こうどうこす主体しゅたいであるとかんがえられる。そこでは、サンドイッチマンという仕事しごと意味いみや、個人こじんがどのようにそれをめるかは、個人こじん信念しんねん態度たいど、さらにはライフストーリーによってことなっている。発表はっぴょうしゃは、この多様たよう行動こうどうを 1)広告こうこく空間くうかんとの交渉こうしょうと、2)労働ろうどう身体しんたい転化てんか種類しゅるいけて検討けんとうしたい。</p><p>広告こうこく空間くうかんとの交渉こうしょうについて、サンドイッチマンの行動こうどう目的もくてきは、既存きそん広告こうこく空間くうかんこわすことではない。雇用こようぬし規範きはんにできるだけ準拠じゅんきょしながら、広告こうこく空間くうかん交渉こうしょうし、そこに積極せっきょくてき曖昧あいまいさをさがすことで自分じぶん自身じしん労働ろうどうをより快適かいてきにしようとする。一方いっぽうで、かれらは資本しほん主義しゅぎによる労働ろうどうりょく搾取さくしゅと、サンドイッチマンという仕事しごと特殊とくしゅせい逆用ぎゃくようして、労働ろうどうりょくとして商品しょうひんされた空虚くうきょ身体しんたいを、自己じこ価値かち自己じこ目的もくてき実践じっせんへと翻訳ほんやくしてきた。そこでは、資本しほん主義しゅぎてき労働ろうどう市場いちばによって均質きんしつにコードされたサンドイッチマンが、資本しほん主義しゅぎてき労働ろうどう翻訳ほんやくする主体性しゅたいせいをもわせっていることをしめしている。</p>

収録しゅうろく刊行かんこうぶつ

詳細しょうさい情報じょうほう 詳細しょうさい情報じょうほうについて

  • CRID
    1390581334682902528
  • DOI
    10.14866/ajg.2024s.0_169
  • 本文ほんぶん言語げんごコード
    ja
  • データソース種別しゅべつ
    • JaLC
  • 抄録しょうろくライセンスフラグ
    使用しよう不可ふか

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