物語ものがたり」のおもさ、「しん」のために―安房あわ直子なおこ『きつねのまど』・太宰だざいおさむはしれメロス』をれいにして―

書誌しょし事項じこう

タイトル別名べつめい
  • 「 モノガタリ 」 ノ オモサ 、 「 ココロ 」 ノ タメニ : アワ ナオコ 『 キツネ ノ マド 』 ・ ダザイチ 『 ハシレ メロス 』 オ レイ ニ シテ
  • Weight of “the Story”, for “the Heart”: AWA Naoko’s “the Window of Fox ” and DAZAI Osamu’s “Run, Melos ” as Examples

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説明せつめい

本稿ほんこう拙稿せっこう「〈全体ぜんたい〉の構築こうちく」(『日本にっぽん文学ぶんがくだい 62かんだいごういちさんはち 2-12ぺーじ)、おなじく拙稿せっこうつづけ主体しゅたい〉の構築こうちく魯迅ろじんの『故郷こきょう再々さいさい ろん―」(『国語こくご教育きょういく思想しそう研究けんきゅうだいはちごういちよん・五広島大学教養学部難波博孝研究室19-30ぺーじおよび「世界せかいぞう転換てんかん、〈近代きんだい小説しょうせつ〉をむため に―続々ぞくぞく主体しゅたい〉の構築こうちく―」(『日本にっぽん文学ぶんがくだい 63かんだいごういちよんはち 2-14ぺーじ)のさらにぞく稿こうわばその実践じっせんへんである。現在げんざい文学ぶんがくさく ひんまれるためには、ポスト・ポストモダンの世界せかいかん認識にんしき、〈だいさんこうかたり〉ろん要請ようせいされなければならない。『きつねのまど』と『はし れメロス』の双方そうほうは、ともに「物語ものがたり」をかたる〈かた自身じしんおのれかたり物語ものがたりおもさをとらえることができず、しかも、そのことに自意識じいしきてずにいる。すなわち、文学ぶんがく研究けんきゅうでも文学ぶんがく教育きょういくでもこの作品さくひんもと ほんてきな〈かた〉とかたられている出来事できごととの相関そうかん問題もんだいがあるとげん わざるをない。それはもともと「物語ものがたり」とか「小説しょうせつ」とか、その 根源こんげんてきなことがかんがえられてこなかったからだ。物語ものがたりとは因果いんが関係かんけいることだが、その「よし」と「はて」との相関そうかん必然ひつぜんせい、すなわちメ タプロットがとらえられていないままかたかたわっている。そ のため、「しん」を見失みうしなっていることを浮上ふじょうさせている。文学ぶんがく作品さくひん制度せいどがそれをうしなわせているのである。それは〈他者たしゃ〉の問題もんだい欠落けつらくそとならない。末尾まつびにはハンナ・アーレントの『イェルサレムのアイヒマン』(大久保おおくぼ和郎かずおやく新装しんそうばんいちきゅうきゅうよんみすず書房しょぼう)を対比たいひさせた。

収録しゅうろく刊行かんこうぶつ

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