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太平御覽 : 偏霸部一 - Chinese Text Project
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へん霸部いち

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しょくりゅう

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1 しょくりゅう備:
しょくこころざし》曰:さきぬしせいりゅういみな備,げんとく,涿郡じんかんけいみかど中山なかやまやすしおうまさるこれ也。勝子かつこさだもとかり六年封涿縣陸城亭侯,すわ酎金しつこういん焉。てんりゃく》:備本臨邑こうささえぞくさきぬしゆうちちひろせいつかまつしゅうぐん舉孝れんかんいたりひがしぐん范令。さきぬししょうはは販履せきためぎょうしゃ東南とうなんかくませじょうゆうくわじゅうえだかしゃくあまりはるかのぞむ重重じゅうじゅう如小しゃぶた往來おうらいしゃみなかい此樹非凡ひぼんあるいいとう貴人きじんかんすすむ春秋しゅんじゅう》曰:涿人じょううん:此家必出貴人きじん也。さきぬし少時しょうじあずかむねちゅうしょ於樹おどけげん:「われ必當じょう此羽葆蓋しゃ。」叔父おじけいいい曰:「なんじ勿妄めつわれもん矣。」ねんじゅうはは使行學ぎょうがくあずかどうそうりゅういさおしかりょう西にし公孫こうそん瓚俱事故じこ九江太守同郡盧植,とくしかちちもとおこりつねきゅうさきぬしあずかとくしかひとしもとおこりつま曰:各自かくじ一家いっかなにのうつねなんじ耶!「おこり曰:」われむね中有ちゅうう此兒,非常ひじょうじん也。「而瓚ふかあずかせんあるじしょうとも。瓚年ちょうさきぬし兄事けいじさきぬし甚樂讀書どくしょいぬ音樂おんがくよし衣服いふく身長しんちょうななしゃくすんたれひじひざ,顧自其耳。しょうかたりごとぜん下人げにん喜怒きどかたち于色,こう交結ごう俠,年少ねんしょうそう中山ちゅうざん大商だいしょうちょうひらめそうとう貲累千金せんきん。販馬周旋しゅうせん於涿ぐん而異,乃多あずかこれきんさきぬしよし得用とくようあい眾。

2 しょくりゅう備:
れいみかどまつはばおこりしゅうぐんかく舉義へいさきぬしりつ其屬したがえこうじょう鄒靖討賊有功ゆうこうじょやすじょう大將軍だいしょうぐんなんしんじょうまい丹陽たんよう募兵ぼへいさきおもあずか俱行,いたり邳遇ぞく力戰りきせん有功ゆうこうじょみつすすむふくかんきさきためだかからじょう,遷為れいためぞくしょやぶ,往奔公孫こうそん瓚,おもてためべつ司馬しば使つかいためあおしゅう刺史しし楷拒冀州まき袁紹。かず有功ゆうこうまもり平原へいげんれいりょう平原へいげんしょうぐんみんりゅう平素へいそけいさきぬしはじ為之ためゆき使つかいきゃくとげきゃくにんとげ而去。其得人心じんしん如此。

3 しょくりゅう備:
袁紹おさむ公孫こうそん瓚,さきおもあずか楷東たむろひとし。曹公せいじょしゅうじょしゅうまきとうけん使つかいつげきゅう于楷,楷與さきしゅ俱救どきさきしゅゆうへいせん余人よにんけん以丹へいよんせんにんえきさきぬしさきぬしとげ楷歸けんけんひょうさきしゅためしゅう刺史ししたむろしょう沛。けんびょういいべつ糜竺曰:「りゅう不能ふのうやす此州。」けん,竺帥しゅうじんむかえさきぬしさきぬし敢當。した邳陳とういいさきしゅ曰:「こんかんしつしのげおそうみ內傾くつがえたてこうりつごとざい於今かれしゅういんとみ戶口とぐちひゃくまんよくこごめ使くんなで臨州ごと。」北海ほっかいしょうあなとおるいいさきしゅ曰:「今日きょうこと百姓ひゃくしょう與能よのう天與てんよ,悔不可ふかおい。」さきぬしとげりょうじょしゅう。袁術らいおさむさきぬしこばめ於盱眙、淮陰。曹公表こうひょうさきしゅため鎮東將軍しょうぐんふうむべしろていこうこれさいけんやす元年がんねん也。さきおもあずかじゅつしょう持經じきょうがつりょぬのじょうきょかさね邳。守將しゅしょう曹豹はんあいだむかえぬのぬのとりこさきしゅ妻子さいしさきぬしもとめ於布,ぬのかえ其妻

4 しょくりゅう備:
さきおもかえしょう沛,ふくあいへいとくまん餘人よにんぬのあくおさむさきぬしさきぬし敗走はいそう曹公。曹公厚遇こうぐう,以為しゅうまき。曹公すけさきおもかこえぬの於下おした邳,なまとりこぬのふくとく妻子さいししたがえ曹公かえもとひょうさきしゅためひだり將軍しょうぐんれいいよいよおもそくどう輿こしにゅうのり同席どうせき。袁術よくけいじょしゅうきた就袁紹,曹公せんしゅとくしゅれいみち招要げきじゅついたりじゅつ病死びょうし。曹公從容しょうよういいさきしゅ曰:「天下てんか英雄えいゆうおもんみ使くんあずかみさおみみ本初ほんしょ不足ふそく數也かずや。」さきぬしかたしょくしつ匕箸。

5 しょくりゅう備:
さきぬしよりどころ邳,乃殺みさおじょしゅう刺史しししゃ胄,とめせきもり邳,かえしょう沛。曹公東征とうせいさきぬしはい績。曹公つきおさむ其眾,とりこさきしゅ妻子さいし,并擒せき以歸。

6 しょくりゅう備:
さきおもはしあおしゅうあおしゅう刺史しし袁譚,さきぬししげるざい也,はたむかえさきぬしさきぬしずいたんいた平原へいげんたんはせ使しろ紹。紹遣はた道路どうろ奉迎ほうげいひゃくあずかせんあるじしょうせきはねほろびさきぬし。曹公曹仁しょうげきさきぬしさきおもかえ紹軍,かげよくはなれ紹,乃說紹南れん荊州まきりゅうひょう。紹遣さき主將しゅしょうほんへいいたりなんじみなみさきおも糜竺、まごあずかりゅうおもて相聞そうもんおもて郊迎,以上いじょうまろうどまち

7 しょくりゅう備:
さきぬしざい荊州すうねん,嘗於ひょうすわおこりいたり廁,髀里にくせい慨然がいぜん流涕りゅうていかえすわおもてかいとえ,備曰:「平常へいじょう不離ふりくら髀肉ひにくみなけしこんふく,髀里にくせい日月じつげつわかはせろうしょういたり矣,而功ぎょうけん以悲みみ。」いちにちじょ庶謂さきしゅ曰:「しょかずら孔明こうめい龍也たつや將軍しょうぐんあによく乎?」さきぬし曰:「あずか俱來。」庶曰:「此人就見,不可ふかこごめ致也。むべ枉駕おうが顧之。」ゆかりさきおもとげまいあきらいおり,凡三,これよしへいじん曰:「かんしつかたぶけ頹,奸臣かんしん竊命。とくりょうりょくよく大義たいぎ於天而智じゅつあさみじかとげよう猖蹶,しかこころざしゆかりやめきみためけいしょう安出やすいで?」あきら曰:「ただしたくやめらいごう杰并おこりまたがしゅうれんぐんしゃ不可ふかかちけい曹操そうそう於袁紹,のりめいほろ而眾寡,みさおとげのうかつ紹,以弱ためきょうおもんみてんそもそもまた人事じんじこんみさおやめようひゃくまんこれ眾,はさみ天子てんし而令諸侯しょこう,此誠不可ふかあずかそうほこさき也。まごけんよりどころゆう江東こうとうやめれきさんだいくにけん而民けんのう為之ためゆきよう,此可あずかため援而不可ふか也。荊州きたよりどころかんこうつき南海なんかいひがしれんくれかい西通にしどおりともえしょく,此用武之たけゆきこく也,而其ぬし不能ふのうもり,殆天所以ゆえん將軍しょうぐん也。えきしゅう隘塞,沃野よくや千里せんりてん高祖こうそいん以成みかどぎょうりゅうあきら暗弱あんじゃくちょう魯在きたにんいん國富こくふ不知ふち恤,智能ちのうおもえあきらくん將軍しょうぐんすんで帝室ていしつ胄,信義のぶよしちょ四海しかい總攬そうらん英雄えいゆうおもえけん如渴,わかまたがゆう荊、えき其巖阻,西和せいわしょえびすみなみなでえびすえつゆいこうまごけん,內修政事せいじ天下でんかゆうへんのりいのちじょうはたはた荊州ぐん以向あてらく將軍しょうぐんりつえきしゅう眾于しんがわ,百姓孰不簞食壺漿以迎將軍者乎?まこと如是にょぜのり霸業なりかんしつきょう矣。」さきぬし曰:「よし!」於是あずかあきらじょう好日こうじつみつせきはねちょうえつさきぬしかい曰:「ゆう孔明こうめい,如魚有水ありみず也。すなお諸君しょくん勿復ごと。」

8 しょくりゅう備:
じゅうねん,曹公きたせい烏丸からすまさきぬしせつひょうかさねもとおもて不能ふのうよう。及曹こうみなみせいかいひょう琮代りつ使つかい請降。さきぬしたむろ樊城,とげはた其眾じょうしょかずらあきらせつおさむ琮,荊州ゆうさきぬし曰:「荊州臨亡,たくわが以孤,背信はいしんすみなんめん目見まみりゅう荊州乎!われにん也。」琮左右さゆう及荊しゅうじんさきぬしいたとう,眾且じゅうまん輜重しちょうすうせん輛,にちぎょうじゅうあまりさとあるいいさきしゅ曰:「むべはやぎょうりょうこん雖擁だい眾,かぶとしゃしょうわか曹公へいいたりなに以拒?」さきぬし曰:「おっとずみ大事だいじしゃ以人為本ためもとこんひとわれなににん棄去!」,曹公また以江りょうゆうぐんおそれさきしゅよりどころ,乃釋輜重しちょうけいぐんいたじょう。聞先ぬしやめ,曹公はたせいせん急追きゅうついいちにちいち夜行やこうさんひゃくあまりさと,及於とう長坂ながさかさきぬし妻子さいしあずかしょかずらあきらちょうちょうくもとうすうじゅうはししょかずらあきらゆい於孫けんけんしゅう瑜等すけあずか曹公せん於赤かべ大破たいは,焚其ふねせんぐん推先ぬしため荊州まき公安こうあん

9 しょくりゅう備:
えきしゅうまきりゅうあきら內懷恐懼きょうく法正のりまさむかえさきぬしさきぬしとめしょかずらあきらせきはねとうよりどころ荊州,はた步卒ほそつすうまんにんいれえきしゅうあきら推先ぬしぎょうだい司馬しばりょう隸校じょうさきしゅ推璋ゆき鎮西ちんぜい大將軍だいしょうぐんえきしゅうまきあきら敕關戍諸はた文書ぶんしょ勿復せきどおりさきぬしさきぬしだいいかしんかこえ成都せいとすうじゅうにちあきらしょくちゅう殷盛いんせい豐樂ほうらくさきぬしおけしゅ大饗おわい士卒しそつしょく城中じょうちゅう金銀きんぎん分與ぶんよ將士しょうしかえ其穀帛。さきぬしふくりょうえきしゅうまきぐんみことさきしゅためかんちゅうおうかえ治成はるしげ

10 しょくりゅう備:
ぶんみかどしょう尊號そんごう傳聞でんぶんかんみかどがいさきぬし乃發制服せいふくつい謚曰こう皇帝こうていきさき建立こんりゅう禮儀れいぎうえ尊號そんごうそく皇帝こうてい於成あきらたけ元年がんねんなつよんがつ大赦たいしゃあらためねん永安えいあんさんねんさきぬしびょうあつしたく於丞しょうあきらなつよんがつさきぬし殂於永安えいあんみやねんろくじゅうさん五月ごがつあずさみや永安えいあんかえ成都せいと,謚昭れつ皇帝こうていあきはちがつそうめぐみりょう

11 しょくりゅう備:
華陽かようこくこころざし》曰:かんまつ大亂たいらん杰并おこりわかただしたくりょぬの袁、かんうまちょう楊、りゅうひょうけんしゅうただしぐん,眾動まんけい叱咤しったあいだみないいかんかかと,桓、ぶんえき邁。而魏たけ神武じんむ肆略,戡屠蕩盡とうじん。於時さきおもめいほろ眾鮮,而能りゅうきょうおおとり舉,かりつばさ荊楚,ばんはりえきたてもとたねかんあずかこれかなえ峙。英才えいさいいのち,孰克如是にょぜ

りゅうぜん

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1 りゅうぜん:
しょくこころざし》曰:きさきぬしいみなぜんこう嗣,さきぬし也。けんやすじゅうよんねんさきぬしためかんちゅうおうたてためおう太子たいしそく尊號そんごうため皇太子こうたいしさきぬし殂於永安えいあんみやきさきぬしかさね於成ねんじゅうななこれさいはつよんねん也。けい耀ろくねんなつだいきょう眾,いのちせい西にし將軍しょうぐん鄧艾すうどう并攻。ようこう祿ろく大夫たいふ譙周さく奉書ほうしょ於艾。こうしゅ輿こし櫬自ばくまいるいもんもぐさかいばく焚櫬,のべ請相いんうけたまわせいはいしゅため驃騎將軍しょうぐんしょかこえもり悉被しゅ敕,しかこう降下こうかもぐさ使しゅとめ其故みや往造焉。きさきぬし乃舉東遷とうせん在位ざいい凡四じゅうねんすんでいたり洛陽らくようさくいのちため安樂あんらくけんおおやけしょくまんたまものきぬまんひき奴婢ぬひひゃくにんきさき司馬しばぶんおうあずかきさきぬしえん為之ためゆき作樂さくらしょくつくりじんみなかん愴,而後ぬしわらい自若じじゃくおういい賈充曰:「ひと無情むじょう乃至ないし於是!雖使しょかずらあきらざいまた不能ふのう輔之,きょうきょう維耶?」たかし曰:「如是にょぜ殿下でんかなんよし并之?」他日たじつおうといぜん曰:「頗思しょく?」ぜん曰:「此間らくおもえしょく也。」しょく秘書ひしょれい郄正聞之,もとめぜん曰:「おうふくとえげん先人せんじん墳墓ふんぼとおざい隴、しょく,乃心西にし悲,にちおもえ,』いん閉其。」かいおうふくとえぜん以此こたえおう曰:「なに乃似郄正かたり耶!」ぜんおどろき曰:「此實如尊いのち。」左右さゆうみなだいわらいきさき薨於洛陽らくよう

2 りゅうぜん:
りゃく》曰:はじめ,備在しょう沛,不意ふい曹公そついたりさこ遽棄ぞく,奔荊しゅうきさきぬしねんすうさい,匿竄,ずいじん西入にしいりかんちゅうためじんしょうり。及建やすじゅうろくねんせきちゅうやぶみだれ,扶風じんりゅうくく亂入らんにゅうかんちゅう買得かいどくぜんもん其良家子いえことげやしなえためあずかめとなまいちはじめぜんあずかちちしょうしつ,識其ちちげんとく舍人とねりゆうせい簡者,及備とくえきしゅう而簡ため將軍しょうぐん。備遣簡到かんちゅうしゃていぜん乃詣簡,簡相けん訊,ことみなけん。簡喜,以語ちょう魯,魯乃あらい沐送まいえきしゅう。備乃りつため太子たいしはじめ備以しょかずらあきらため太子たいしふとしでん,及禪りつ,以亮ため丞相じょうしょう諸事しょじいいあきら曰:「政由まさよしかずらまつりそく寡人。」あきらまた以禪閑于せいとげそう內外。

URN: ctp:taiping-yulan/117