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詩經疏義會通 : 卷二十 - Chinese Text Project
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まきじゅう[View] [Edit] [History]

1 欽定きんていよん全書ぜんしょ
2 詩經しきょう疏義㑹通卷つうかんじゅう  もと しゅこう遷 せん魯頌よんよん
3 魯少皥之墟在禹貢じょしゅうこうむはねなりおう以封しゅうこう長子ちょうしはく禽今かさねけい東平とうへい沂宻うみとうしゅうそく其地也輯錄かさねけいいま兖州東平とうへいいま東平とうへいしゅううみしゅういまやすしうみしゅう宻州こん髙宻けんあずか沂州なみ隷山ひがしなりおう以周公有こうゆうだいくんろう於天たまものはく禽以天子てんし禮樂れいがく魯于乎有頌以ためびょうらく其後また作詩さくし以羙其君またいい以其みなしょう羙頌禱之いいふう而謂頌輯ろくおう曰魯頌皆以羙其君于宗廟そうびょうあずか其詩よう燕樂えんらく此頌へんきゅうせつみな以為はくじゅう九世孫僖公申之詩輯錄あな曰從しゅうおおやけすうためじゅうきゅうせいこんしょこうどく閟宫いちへんため僖公うたぐみみおっと以其僭如此然夫子ふうしなおろくこれしゃ盖其からだかた列國れっこくふう而所しゃ乃當ことていまもるたけこうまたゆう頌羙じゅう二國風歌咏當時之事者甚多のりなおじゅん於天天子てんし頌則宗廟そうびょうちゅう成功せいこうつげ神明しんめいしゃわか其所ことまたみなゆう先王せんおう禮樂れいがく教化きょうかのこ祭祀さいしつばめいんおさむ閟宫攘外えびすみな禮樂れいがく教化きょうかのこのり其文うたぐわかなお上聲じょうせい也况夫子ふうし魯人またやすとく而削哉然いん其實而著而其是非ぜひ得失とくしつゆう不可ふか揜者また春秋しゅんじゅうほう春秋しゅんじゅうほう直書じきしょ其事而善わる輯錄こうもと曰亦如存淫亂いんらん使きさきゆう其非みみいい其言とうある曰魯無風むふうなん也先儒以ためおう襃周こうこれ於先だい廵守ひね其詩而其へんだいれつ於大おだいしょく以宋魯無ふう其或しか輯錄春秋しゅんじゅうさい大國たいこくみなゆうへんふうそう魯獨無風むふうゆう頌鄭うんそう王者おうじゃこう魯聖じんこう天子てんし廵狩ひね其詩所以ゆえんれいあるいい夫子ふうしゆうしょいみな而削のりひだりしょ當時とうじ列國れっこく大夫たいふ及吴季子としこかんしゅうらくみな曰魯ふうしゃ其說とくどおり魯之醜惡しゅうあく如文きょうこと夫子ふうしそん于齊ふう槩可
4 駉駉はんさかえ牡馬ぼばかのう滿みつるはんざいさかえはんこれかのうじょうあずかはんうすげん駉者かのうあきらあずかはんゆう户橘はんゆうすめらぎゆうちからはんゆう以車彭彭かのうしきろうはんおもえ疆思斯臧
5 也駉駉腹みきこえちょうみきいいわきちょうだい邑外いい郊郊がいいいまきまきがいいい野外やがいいいはやし林外りんがいいい輯錄でん坰逺驪馬しろまたが曰驈輯錄疏郭墣曰跨髀間也然そくまたがしゃしょまたがよりどころしょ黄白こうはく曰皇じゅんくろ曰驪騂曰彭彭もり以之しゃそく彭彭しかおもえ疆言其思ふかこう無窮むきゅう也臧ぜん也○此詩げん僖公まきもりゆかり其立しん此言僖公まきもりよう序說じょせつ也但ぜんうんきゅうせつ以魯頌よんへんみなため僖公こんしょこうどく閟宫ため僖公うたぐみみ如此そく僖公二字似當以魯侯二字易之羙之曰思疆則おもえ斯臧矣たてしん逺者げん不為ふためいち而為ゆう乆之はかりごと也馬しげるいき一日能然其可以計近功乎まもるぶんこう秉心ふさがふち而騋めすさん千亦此意也といこくくんとみ數馬かずま以對詩人しじん以之頌羙其君如此輯錄吕佚叔曰うらない賢君けんくん誠心せいしん以行善政ぜんせい其效みなわか此非どくまき而已どおりしゃく曰羙ぶんこううまそくげん其騋而牝しゃゆうさんせんこれしゅ羙僖こううまそくげん其駉而牡しゃゆうじゅう六種之毛色盖各極其盛而言皆以見其國之殷富也
6 ○駉駉牡馬ぼばざい坰之うすげん駉者ゆうおとふるとりゆう悲反ゆう騂有騏以しゃ伾伾丕反おもえ無期むきおもえ斯才かのうぜん西にしはん
7 也倉しろざつ曰騅黄白こうはくざつ曰駓あか曰騂青黑あおぐろ曰騏伾伾ゆう力也りきや輯錄伾伾とうなみえきよじ悲反無期むきなお疆也ざいざい力也りきやうまゆうざいりょくそく其盛たけし可知かち
8 ○駉駉牡馬ぼばざい坰之うすげん駉者ゆうかわはんゆう駱有駵おととめゆう雒以しゃ繹繹かのう弋灼はんおもえかのう弋灼はんおもえ斯作
9 也青驪驎曰驒しょくゆう深淺しんせんむら駁如魚鱗ぎょりんいまれんぜに驄也白馬はくばくろ鬛曰駱赤身あかみくろ鬛曰駵黑しろ鬛曰雒おとらく繹繹ぜっ貌斁いやゆういや斁則不能ふのうゆうさく奮起ふんき奮起ふんきなおげん興起こうき○駉駉牡馬ぼばざい坰之うすげん駉者ゆうおといんゆうおと遐叶ひろしはんゆうおとゆうぎょ以車袪袪起居ききょはんおもえよこしまかのうさちたんおもえ斯徂也隂しろざつ曰駰隂淺黑色こくしょくこんどろ驄也彤白ざつ曰騢彤赤也ごう閑去ごえ曰驔毫在骭而白也はくや輯錄あな曰骭あしずね盖膝下之したのめい二目白曰魚似魚目也袪袪彊健也徂行也けん而能行馬ぎょうまとげ其性也○おもえよこしましゃしん正也まさやしんいち正則せいそくやしなえ必以どう枉其せい而害其天矣凡思逺者ある委曲いきょくふと而不てき於理詩人しじん以此おわり孔子こうし曰詩さんひゃく一言ひとこと以蔽曰思よこしま盖詩げん羙惡不同ふどうあるすすむある懲皆ゆう以使じんとく其情せいただし輯錄朱子しゅし曰如せい風雅ふうが頌等以起じん善心ぜんしん如變風刺ふうしいんとう以使人知じんち戒懼じん讀好そこかたこれすすむわか讀不こうそこ便びん知得ちとく此心不可ふか如此所以ゆえん讀詩しゃ便びんおもえよこしま也盖こうよう如此また所謂いわゆるとくじょうせいせいしゃじょうせいおもえせいよこしま此乃做時文じぶん相似そうじしか其明しろ簡切どおり上下じょうげゆうわか此言しゃ特稱とくしょう以為とうさんひゃくへんよし以其ようため乎此也學しゃまことのう深味ふかみ其言而審於念慮ねんりょあいだ必使所思しょし而不正則せいそく日用にちよう云為うんい莫非天理てんり流行りゅうこう此借おもえよこしま一語以明詩之用曰昔ためしゃ未必みひつ此也孔子こうし讀詩いたり此而ゆうあい於其こころ焉是以取斷章だんしょううんなんじ此可以論全體ぜんたい不可ふか以說此句
10 よんしょうしょうはち反覆はんぷく頌羙輯錄かい頥曰げん駉則ごとあきらどう充實じゅうじつ如一也言ゆうそくごとあきら其名しょくいち也言坰亦ごとあきらどう其地ゆうつねしょ宫有つねしょくはつやまいみんきょ而妨民田たみだ也於しゃ曰彭彭言其盛也伾伾則もり而有りょく繹繹そくもり而不ぜっ袪祛そくもり强健きょうけんみな彭彭而推ごと也於曰斯臧言其善也斯ざいそくざいりょう而非駑斯さくそくもり而方たけし斯徂そくりょくけん而致逺皆斯臧而推ごと也於おもえ曰無疆言其立しん逺也無期むきそく逺之無窮むきゅう斁則逺之やめよこしまそく逺而のうせいみな疆而推言ゆうかば必反ゆう駜駜かれじょうなわしょうはん夙夜ざいおおやけざい公明こうめいあきらかのう謨郎はんさぎさぎ于下かのうたんつづみのどのどとりもとはんよいげんまい于胥たのしおとらく
11 きょう也駜馬肥うまごやしきょう詩意しい正道せいどうつばめいんこと羙其じんこれじょう也但ためおこり而疊よう駜字あずかざいおおやけしょう呼應こおうみみあかりあかりべんべんそくざつそく不亂ふらんどうつばめいん而先以夙夜明よあけあかり勤勞きんろう以其あまりひまためらくみみ羣飛貌鷺さぎまいしゃ所持しょじあるすわあるふく如鷺しも也咽あずかふちどうごえ深長しんちょう也或曰鷺またきょう以振さぎためきょうそくさぎゆびうすすきげん胥相也醉而起まい相樂さがら也此つばめいん而頌禱之
12 ゆう駜有駜駜かれじょうおす夙夜ざいおおやけざいおおやけ飲酒いんしゅさぎさぎ于飛のどのどよいげん于胥らく
13 きょう也鷺于飛まいしゃ振作しんさくさぎ如飛也もう曰臣有餘ゆうよけい而君有餘ゆうよめぐみ曰夙よるざいおおやけざいおおやけ飲酒いんしゅ疏云しんれいちょうちょう莫夕不當ふとうつねざいくんしょこんあいだひま無事ぶじ而夙よるざいおおやけしん有餘ゆうよけい也君于臣つばめ享有きょうゆうすうこん無事ぶじそくあずかこれ飲酒いんしゅくん有餘ゆうよめぐみ也愚いい飲酒いんしゅ而曰ざい公則まさのり雖非つばめとおるただしまた逸樂いつらくわたし
14 ゆう駜有駜駜かれじょうよびけんはん夙夜ざいおおやけざいおおやけつばめ自今じこん以始嵗其ゆうかのうはねやめはん君子くんしゆうこく孫子まごこかのうすすむさとはん于胥らく兮興也青驪曰駽今てつ驄也載そく也有やゆうゆうねん也穀ぜん也或曰禄也詒のこ去聲きょしょう也頌禱之政事せいじ餘得よとくためつばめいんらく矣而のう致豐ねん以養民有みんゆう善道ぜんどう以詒そくまたつぎ此而ため燕樂えんらく也集でん以為頌禱そくねがいこれ盖有唐風とうふう蟋蟀こおろぎこうらくあらぞうしゃくもと曰馬雖起きょうまた以富盛者じょうしゃごと也在公明こうめいあかりしゃごとじょうつきしょく也在こう飲酒いんしゅなで以恩也載つばめそくまたげん夙夜しょごとおもんみ燕樂えんらくみみうえごとらくまいようぶし而后おもんみ頌禱也
15 ゆうさんしょうしょうきゅう一章燕方盛二章燕將畢三章因燕飲而進頌禱之詞おもえたのしおとらくはんたんみずうすさい其芹其斤はん魯侯もどとめげんかん其旂かのう其斤はん其旂笩笩かばがいはん鸞聲噦噦よび㑹反しょうだいしたがえこう于邁
16 其事以起きょう也思𤼵かたり也泮すい泮宫みず也諸こうまなべきょうしゃ宫謂泮宫其東西南せいなんかた有水ありみずがた如半璧以其半于辟廱故曰泮すい而宫また以名也芹水菜みずな輯錄本草ほんぞう曰水斳一名水英可作菹味甘もどいたり此在泮水魯侯ひね其事而就ようさいせりかん旂為相應そうおうかたり笩笩飛揚ひよう也噦噦和也此いん於泮宫而頌禱此章げん其方いたりはじめ鸞旂もり而觀しゃしゅ
17 おもえらく泮水うすさい其藻魯侯もどとめ其馬蹻蹻きょひょうはん其馬蹻蹻其音あきらあきらかのう之繞しんにょうはんいろわらい匪怒きょう
18 其事以起きょう此與あきらのりうけたまわくびあきらこれ以為きょう蹻蹻もりてい以音ためとくおん輔氏以為しゅうでんのこ此一句愚謂其音昭昭即色笑之聲音也二語相貫是以朱子略之いろ顔色かおいろけんやめ誨人ざい泮宫也于此章そくすんでいたりとき聲音こわねわらい貌接 じん
19 おもえらく泮水うすさい其茆かのうきゅうたん魯侯もどとめざい泮飲しゅすんでいん㫖酒ながすずなんろうかのう魯吼はんじゅんかれ長道ながみちかのうほえはんこごめ此羣みにく
20 其事以起きょう也茆おとしげる鳬葵也葉だい如手あか圎而すべり江南えなじんいい蓴菜じゅんさいしゃ輯錄本草ほんぞうちゅう蓴菜じゅんさいさん四月后通名絲蓴味甜體軟霜降以后名塊蓴味苦體澁長道ながみちなおだい道也みちや屈服くっぷくみにくしゅ遵道而行屈服くっぷく羣衆輔氏曰羣みにく雖言大衆たいしゅう而淮えびすやめつつめざい其中矣愚いい淮夷ため魯國大患たいかん此願其有以馴ふく此其𤼵はしかたり此章以下いかみな頌禱此章かたため飲酒いんしゅとき而進其祝頌如此きよしきよし魯侯敬明もりあき其徳けいまき威儀いぎ維民のりまことぶんまこと武昭たけあきかりおとかくれつ靡有不孝ふこうもとめこうたん
21 內明其徳がいまき其儀そく以為民法みんぽう矣而表裏ひょうりこうおっといち于敬也昭明しょうめい也假與格よかくどうれつしゅうこう公也きみや以烈しょうそく文武ぶんぶとく可知かち其備矣魯ほうしんゆう文武ぶんぶとく以昭かくのりのうつきおっとつぎじゅつ之孝ゆきたか而福自我じが致矣此正以起よんしょう盖周こう魯公みなゆうせい淮夷こうこんよく致其ぶくやめ以服淮夷まことぶんまことたけ不能ふのう也○此章ごとおさむやめ以敬かた以為ほう于下みんしかたかし謹慎きんしん畏縮いしゅくいい文武ぶんぶ兼備けんび威徳いとく並行へいこうしかかつあやか祖宗そそう祖宗そそうぶくやめ故人こじんなんふくしゃみな以已ためほう魯侯盖未のうしかしゅくねがい
22 あきらあきら魯侯克明こくめい其徳すんでさく泮宫淮夷攸服かのうがまきたはん矯矯虎臣こしんざい泮獻くびはんきょうかべはんかのうよしとい如臯すえかのうえびすしゅうはんざい泮獻しゅう也矯矯武貌馘しょかくしゃひだりみみかく鬬也くだ而鬭そくくび以其聞也よしぜん也問訊囚也囚しょとりこしゃ盖古しゃ出兵しゅっぺい受成於學なりしゃじょうぐんはかりごと及其はん也釋奠於がく而以訊馘つげ輯錄王制おうせいちゅう曰釋さい奠幣れい先師せんし也訊くび所生しょせいだんみみしゃ詩人しじんいん魯侯ざい泮而ねがい其有こううえあきらきよしきよしいんけいまき而為おこり此章あかりあかりいん明徳めいとく而為おこり以徳ふくじん魯侯未必みひつゆう是也これやしゅくねがいしか輯錄まがなか曰占しゃけんがくやしなえざいざい此飲しゅざい此受なりざい此獻こうざい此則學校がっこうこれせい不為ふためしつらえゆう於風
23 濟濟せいせいれいはん多士たし克廣かつひろとくこころ桓桓于征狄厯反かれ東南とうなんかのうこころはん烝烝すめらぎすめらぎおとばなしあげつげ于訩おときょうざい泮獻こう也廣推而だい也徳こころ善意ぜんい克廣かつひろとくしんおもぶんつげ于訩而言そうおこり于褊きゅう宏大こうだいひろし廣則ひろのりところそう狄猶逷也東南とうなんいい淮夷也烝烝皇すめらぎもり也不あげ肅也つげ于訩かつ而和そうこう此連あきら以將げん所以ゆえんおわり矯矯虎臣こしん
24 すみゆみ其觩おともとむたば其搜いろとめはんえびすしゃあな博徒ばくとかのう弋灼はんすんでかつ淮夷あなよしぎゃくかのうむべあしはんしきかたしかなお淮夷そつかのうかくはん也觩ゆみけん貌五十矢為束或曰百矢也搜矢疾聲也博廣大也無斁言競勸也きおいつとむぎゃくたがえいのち也盖のうしんかた其謀なおのり淮夷おわりのう備弓矢車やぐるま以克淮夷そくぜん且順矣今也但しんかた其謀迷不だつのり必矣○征伐せいばつみちようたけざいした𤼵はかりごとざいうえ智勇ちゆうけんすみ成功せいこう二章亦皆祝願之意也
25 ○翩彼吁驕はんしゅう于泮りんしょくわがくわしかばねふるとりはんなつけわがこうおときゅうながはんかれ淮夷らいけんじ其琛敕金はんもとかめぞうだいまいないみなみきんきょう也鴞惡聲あくせいとり也黮くわじつ也憬覺悟かくご也琛たから也元かめじゃくすん輯錄史記しきかめ千嵗滿尺二寸輔氏曰凡貢物龜為前列故先及之まいないのこ去聲きょしょう也南きん荆揚金也きんや此章まえ四句興後四句如行葦首章之例みみずく鴞惡とり也而なつけわが以好おん淮夷あくるい也而らいけんじ所有しょゆうそくわるためぜん矣盖しょうげんさく泮宫而獲淮夷そく以文とく受伊祜ろくしょうななしょうげんよう征伐せいばつ而獲淮夷そく武徳ぶとく受伊祜此あきらまたそうゆいみなしゅくねがい
26 泮水はちしょうしょうはちいちしょうはじめらいしょうすんでいたりさんしょう飲酒いんしゅ而致しゅくよんしょうしゅく其為ほう於民以申こごめ此羣みにくこれしょう以後いごせん以馴ふく淮夷ためしゅく而終こごめ此羣みにくこれ也輯ろくえびすにわよし曰蘇こう以為泮宫僖公いんきゅう而修以不於春あきいたる于克淮夷そくまた以為うたぐ朱子しゅしさんしょう以下いか以為頌禱盖以ため僖公そん也竊いい春秋しゅんじゅうけい也魯頌亦けい也今さいわいゆう魯頌以補春秋しゅんじゅう闕誦其詩しゃなおなにうたぐこれゆう哉増しゃくもと曰前二章道其所已然後五章祝其所未然
27 ふではん宫有侐况域はんじつまいまい赫赫かくかくきょうおとはじめ其徳かい上帝じょうていかのうおとくまわざわい無害むがいわたるがつおそかのうひねかいたんせいきさききびくだこれひゃくぶくかのう筆力ひつりょくはんきびきびおもちょくりゅうはんおとろくかのうろくちょくはんうえ微力びりょくはん稺菽むぎかのう訖力はん奄有こくかのう于逼はん俾民稼穡ゆうきびゆうきびゆういねゆうもとめもとはん奄有纘禹いとぐちぞう吕反
28 也閟ふか閟也宫廟也侐せい静也しずや此句あずか於穆きよしびょう同意どういじつじつ鞏固きょうこ也枚まい礱宻也なおげんせい宻也どき盖修詩人しじんえい其事以為頌禱而推ほんきさききびなま而下及于僖公みみ輯錄あな疏作しゃはた羙僖こうついじゅつ逺祖上陳かみじんきょう嫄后きびいたり于太おう文武ふみたけ爰及なりおう封建ほうけんやめ魯公受賜いのちげん其所以有魯之ゆかりかいよこしま也依なお眷顧けんこ也說せいみんへんさきしゅ曰稙しゅ曰稺輯錄疏重穋稙稺生じゅく早晚そうばん異稱いしょうこくめい奄有こくふう於邰也たねうえ百穀以功胙土是天降百穀為后稷之福也いとぐちぎょう也禹洪水こうずいすんでひらきさききび播種はしゅひゃくこくきょうみん稼穡そく此疆なんじかい而厥こうつぎ禹矣しかみず雖平なん以為みんよう哉民こくゆび邰言そく以天げんきびとめふう于邰而教 稼穡そく徧乎天下でんか也身おや稼穡而獲ふうゆう邰之きょうみん稼穡而能まましだい禹之こう此章せんげんきさききび
29 きさききびまごじつ維大おとおうきょ岐之じつはじめ翦商いたり文武ぶんぶ纘大おういとぐち致天とどけ于牧かのうじょうあずかはんおそれ上帝じょうてい臨女おとなんじあつしかいたんしょうたびかつ咸厥こうかのうきょはんおう叔父おじ扶雨はんけんしか元子もとこかのうはん俾侯于魯だいけいしか宇為しゅうしつ扶雨はん也翦だんおとたん也大おう豳徙きょ岐陽四方之民咸歸往之于是而王迹始著盖有翦商之漸矣此言大王だいおう ぞうしゃくもと曰漸いい其國而漸 よし其民しかとどけごく也猶げん窮極きゅうきょく也虞おもんばか也無おそれ上帝じょうてい臨女なお大明だいめいうん上帝じょうてい臨女なんじこころ此言たけおう而文おうざい其中あつし治之はるゆき也咸どう也言輔佐ほさしんどうゆう其功而周こうまたあずか焉也あつししょうたびなおげんてき紂之也此ごとたけおうしょしん而周こうざい其中おうしげるおう叔父おじしゅう公也きみや元子もとこ魯公はく禽也けいひらけ宇居也此述なりおうすずふうつげいのち○此章げん大王だいおう文武ぶんぶつぎ成業せいぎょうはく禽以ちち而受ふう魯之所以ゆえんゆうこくしゃ如此
30 ○乃命魯公俾侯于東すず山川やまかわ土田つちたつけいさおしゅうこうまごそうこう之子ゆきこかのうすすむさとはんりゅう旂承まつかのうようさとはん六轡耳耳春秋匪解おとたゆかのう訖力はんとおるまつ忒皇皇后こうごうみかど皇祖こうそきさききびとおる以騂犧きょよろしむなしなんたんきょうよろしうし竒牛なんたんくだぶくすんでおおあきらうつりとうなんたんしゅうこう皇祖こうそまた其福おんなおとなんじ
31 也附いさおなおぞくじょう也小こく不能ふのうたち天子てんし而附于大國たいこくわか顓臾るいうえあきらすんでつげしゅうこう以封はく禽之此乃げん其命魯公而封也莊こう之子ゆきこ其一閔公其一僖公知此是僖公者閔公在位不乆未有可頌此必是僖公也輯錄閔公めい唘方史記しきうんめいひらき在位ざいいねん僖公在位ざいいさんじゅうさんねんみみみみやわしたがえ春秋しゅんじゅう錯舉よん也忒也成おう以周公有こうゆう大功たいこう於王しついのち魯公以夏せい孟春もうしゅん郊祀上帝じょうていはい以后きび天子てんし冬至とうじさいてん魯諸こう也不敢純よう天子てんしれいようなつ正月しょうがつ冬至とうじはじめ正月しょうがつ嵗之はじめ牲用騂牡皇祖こうそいい羣公尊稱そんしょうきさききび皇祖こうそ總稱そうしょう諸公しょこうまた皇祖こうそ皇祖こうそ通稱つうしょう也帝あずかきさききびくだこれぶくしゅうこう皇祖こうそまたくだこれぶくくだぶくいい此章以後いごみなげん僖公致敬郊廟而神くだこれぶくこく人稱にんしょうねがい如此也此章げん魯公受封子孫しそんとく以主さい而僖こうまたぜん於致さい如此そくかくしん受福乃其必然ひつぜん
32 あき而載嘗夏而楅衡かのう户郎はんしろおす騂剛犧尊はたはたななひつじはんもううす交反がわ吏反かのうとうはん籩豆大房おおふさ此下とうだっ一句如鐘鼓喤喤之類萬舞洋洋孝孫有慶かのう袪羊はん俾爾おき而昌俾爾夀而臧保かれ東方とうほう魯邦つね虧不くずしふるえあが三夀作朋如岡如陵
33 也嘗秋祭あきまつりめい楅衡ほどこせ於牛かく所以ゆえんとめさわ也周れいふうじんうん凡祭かざり其牛牲設其楅衡是也秋はた嘗而なつ楅衡其牛げん夙戒也あずかけい其事曰夙戒也しろおすしゅうこう牲也騂剛魯公牲也しろおすいん牲也しゅう公有こうゆうおうあや敢與文武ぶんぶどう魯公そくしょいやよう騂剛めい正則せいそくごと不順ふじゅん此魯所以ゆえんめん于僣也輯ろく疏說ぶん曰剛とく也何はくぜん曰用しろしゃ于先だい也用騂者敢自于時おうこれせい犧尊うし於尊はら也或曰尊さくうしがた鑿其以受しゅ輯錄しゃ曰犧みこともりしゅそくはたはた而盛羙もう炰周れいふうじん祭祀さいし有毛ありげ炰之ぶたちゅううん㢘反上聲じょうせい其毛而炰爓以燎之也或うんちゅう瀹肉胾切にく也羮だい羮鉶おとけい羮也だい羮大いにしえ羮湆おと肉汁にくじゅう不和ふわ去聲きょしょうもり平聲ひょうしょうこれ以登其質也輯錄おおやけしょく大夫たいふれいうんだいあつもの不和ふわちゅう不和ふわしおさいまたとく牲饋しょくれい鉶羮肉汁にくじゅうゆうさいしゃ也盛鉶器曰鉶羮大ぼうはんたいまないた足下あしもとゆうおとじき如堂ぼうぼうまないただいはんからだ萬舞名震騰驚動也輯錄曺氏曰不虧如日常にちじょうみつるくずし如山つねかたふるえ如地つねせいあが如水にょすいつねたいら三夀未詳鄭氏曰三卿也或曰願公夀與岡陵等而為三也ていせつゆう俾爾おきあきら以下いかみな𤼵こうまご冇慶いちおき而昌盛大せいだい也夀而臧ゆう乆也以盛だいゆう乆之ぶく保有ほゆう其邦またとくしゃきゅうこれしんちょう為之ためゆき輔則盛大せいだいゆう乆而いよいよ無窮むきゅう矣此あきらうけたまわうえあきらせん以致さい受福げん
34 おおやけしゃせんじょうなわしょうはんかのうかみりょうはんしゅえいみどりかがとうはんほこおもちょくりゅうはんゆみかのうしゅうと𢎞はんおおやけさんまんかい胄朱綅いき㢘反かのういきりょうはん烝徒ぞうぞうえびす狄是膺荆舒是懲則莫我敢承俾爾あきら而熾俾爾夀而とみかのうかたはんかみだいかのうがま寐反夀胥與ためし俾爾あきら而大かのうとくけいはん俾爾耆而もぐさわれ盖反かのうはん萬有千嵗眉夀無有害かのうひまいこいはん
35 也千乗大國之賦也成方十里出革車一乗はちひゃく家出いえでしゃいちじょうかぶとさんにんひだりゆみみぎほこちゅうじん步卒ほそつななじゅう二人將重車者二十五人千乗之地則三百十六里有竒おと縱横じゅうおうとうとくさんひゃくいちじゅうろくさとはんしゅえい所以ゆえんかざりほこしゅえい以朱為之ためゆきかか于矛うえ勾也みどりかが所以ゆえんやくゆみ以繩まとい使つかいゆみたい正也まさや二矛夷矛酋矛也えびすほこちょう二丈四尺酋矛長二丈じゅうゆみ備折壊也徒步とほそつさんまん舉成數也かずやしゃせん乗法じょうほう當用とうようじゅうまんにん而為歩卒ほそつしゃななまんせんにんしか大國たいこくてき滿まん千乗苟盡用之是舉國而行也故其用之大國三軍而已おおやけしゃ千乗國賦之常數公徒三萬則出軍之定數三軍さんぐんためしゃさんひゃくななじゅうじょうさんまんななせんひゃくにん其為步卒ほそつまんなな千人舉其中而以成數言故曰三萬也三軍さんぐんそうかぶといちせんいちひゃくじゅうにんはたじゅうくるましゃきゅうせんさんひゃくななじゅうにんどもいちまんひゃくにんあまりまんななせん人為じんい步卒ほそつかい胄貝かざり胄也しゅ綅所以綴也綅綫也以しゅ綫綴かい而飾胄也ぞうぞうしゅ也戎西戎せいじゅう狄北狄膺とう也荆すわえ别號舒其與國よこく也懲もぐさうけたまわ禦也僖公嘗從ひとし桓公かんこうすわえ以此羙之くるましゅもり器械きかいしらげこう有功ゆうこう此羙其已然いぜんこと而祝其昌だい夀考也夀胥與ためしよししょうおう曰夀こうしゃしょうあずかため公用こうよう也蘇曰願其夀而相あずかためし其才りょく以為ようおうせつゆう盖以さん夀作ともれいあきら而熾そくもり且大矣夀而富そく乆而またもり矣如而又とくかみだいしん以為もちいのっとまたはた盛大せいだいゆう乆而いよいよ無窮むきゅう也此此章羙其こう而祝以福如
36 泰山たいざんいわおいわおかのうさかな杴反魯邦しょ詹奄ゆうかめこうむとげあら大東おおひがしいたる于海くにかのうぼくこうはん淮夷どう莫不りつしたがえ魯侯こう
37 泰山たいざん魯之もち也詹與瞻同あずかしょう邑翼つばさ四方しほうごく同意どうい輯錄あな泰山たいざんざいひとし魯之かい其陽そく魯其隂則ひとし二國皆以為望也かめこうむ山名やまな輯錄曰郡こくこころざし泰山たいざんこおりひろしけんゆう龜山かめやま䝉隂けんゆうこうむやまざい西南せいなんあら奄也大東だいとう極東きょくとう海邦かいほう近海きんかいくに此與あきらまた反覆はんぷく其詞せん擴充かくじゅう土宇つちうためしゅく乃受ぶく最大さいだいしゃ以𤼵うえあきらかれ東方とうほう魯邦つね盖必のう使國勢こくせい尊嚴そんげんあし以攝人心じんしんおさむ衆望しゅうぼう而內がい逺近不服ふふくしかこう乃為魯侯こう也可ねがい哉輯ろく曺氏曰淮えびすどうのり淮南ワイナンえびすざい魯之みなみしゃどうらい㑹盟莫敢りつ循而じゅんしたがえ保有ほゆう鳬繹かのう弋灼はんとげあらじょたくかのういたるかくはんいたり海邦かいほう淮夷蠻貊かのう莫博はん及彼南夷みなみえびす莫不りつしたがえ莫敢だく魯侯わか
38 也鳬繹二山名やまな輯錄まがなか曰禹みつぎじょしゅう嶧陽きり此繹そく嶧陽也羅地理ちり攷異鳬山ざい兖州鄒縣東南とうなんさん十里嶧山一名鄒山在鄒縣南二十二里たくきょ也謂じょこく也諾おうわかじゅん也○泰山たいざんかめこうむ鳬繹魯之所有しょゆう其餘そくこくひがし南勢なんせいしょうれんぞくおとしょく服從ふくじゅうくにのうもり土宇つちうこうふう疆而つき東南とうなん諸國しょこくまたみな于魯莫不こころえつまことふく此尤詩人しじん所願しょがん
39 てんすず公純きんいとかのうはてたんまゆ夀保魯居常きょじょうあずかもとふくしゅうこう宇魯こうつばめれいつま夀母かのう滿みつるはんむべ大夫たいふ庶士鉏里 はん邦國ほうこくゆうかのうはねやめはんすんで受祉かみ
40 也常あるさく嘗在薛之つくりもと許田きょだ也魯あさおとうしお宿やど邑也あさ止宿ししゅく邑在天子てんし郊孔曰常魯南ひなもと魯西ひなもりあずか曰許田近たぢかていていえき未知みちいなみな魯之おかせ於諸こう而未ふくしゃ魯人以是ねがい僖公也令つまれい善之よしゆきつまごえきょう也夀はは夀考ははなりふう也閔こう八嵗被弑必是未娶其母叔姜亦應未老輯錄なりふうそうこうわらわ叔姜そうこう夫人ふじんあいきょう此言れいつま夀母またこうため僖公うたぐ也有やゆうつねゆう也兒落更せいほそしゃまた夀徴也すんでねがい其享夀考以復おかせ疆矣またねがい其燕やす喜樂きらくゆう以宜其室家臣かしん庶而其國而且福益ふくます夀益かた也此あきら盖以まえすうしょう約言やくげんさき以純嘏二字總言其福云
41 徂來そらい松新まつしんはじめかしわかのう逋莫はんだんおとたんこれまちらくはんひろじゃくかのうじゃくやくはんまつおとかくゆうかのうななやくはんみちあなせきかのうつねやくはんしんびょう奕奕かのう弋灼はん奚斯所作しょさあなおとまん且碩同上どうじょう萬民ばんみんわか
42 徂来そらいしんはじめ山名やまな輯錄地理ちり攷異徂来そらいまた曰尤ざい衮州いぬいふうけんしんはじめやまざい汶陽けん八尺曰尋舄大貌路寢正寢也新廟僖公所修之廟此或いいきょう嫄廟あるいい閔公びょうまたある以為僖公びょうただし曰姜嫄廟そく不當ふとう及大おう以下いか曰閔こうびょうそく不當ふとう及周こう皇祖こうそ以上いじょう曰僖こうびょうそくせいためこうしゅく頌之僖固薨也朱子しゅしはつせつ以為魯之羣廟矣而しゅうこう皇祖こうそ以上いじょうまたゆうみかどあずかきびそくまたうたぐただし以為僖公しょ修之のぶゆきびょう也然いんさい羣公而推本所ほんじょらいのりいい羣廟しか奚斯公子こうしぎょ也作しゃきょう䕶屬おとしょくこう章程しょうていきょうしゃ指令しれい也䕶しゃ監視かんし也屬こうそくづけ以事章程しょうていそくこう其工也曼長せきだい也萬民是若順萬民之望也輔氏曰此あきらほん所以ゆえんさく頌者ごと而取ほう于殷武之たけゆきまつあきら文勢ぶんせい相似そうじ
43 閟宫きゅうしょうしょうしょうじゅうなな內第よんしょうぬげいち二章章八句二章章十句一章いっしょうせんげんきさききび以見魯人しょしょうげん先王せんおう創業そうぎょうしゅうこう輔之以見魯國所由しょゆうはじめさんしょうげん僖公つぎ魯公じょのうおさむ郊廟まつり以致ぶくよんしょう羙其祭祀さいし而祝其受ぶくしょう羙其武功ぶこう而祝其受ぶくろくしょうななしょう以土宇充斥為僖公最大さいだいぶくはちしょう以諸ぶく畢至ため僖公全備ぜんびぶく九章乃言作廟則述今日所以頌之之由也
44 きゅうせつはちしょうしょうしょうじゅうなないちしょうじゅういちしょうさんじゅうはちしょうしょうはちしょうしょう十句多寡不均雜亂無次盖不知第四章有脱句而然今正其誤出師すいしそう凱必於學泮水せん以馴ふく淮夷げん致祭受福必於宗廟そうびょう閟宫そう享受きょうじゅぶくろくげん魯頌よんへんじゅうよんしょうひゃくよんじゅうさん輯錄おう曰周頌之やくやく所以ゆえんためげん盛徳せいとく也魯頌之侈侈所以ゆえんため夸徳不足ふそく
45 しょう頌四
46 ちぎりためしゅん而封於商でんじゅう四世而湯有天下其後三宗迭興しょいっ舉中そうだいつちのえ髙宗たけちょう及祖きのえ為三ためぞうむね以大かぶとため大宗たいそうあずかだいつちのえたけちょうごうため三宗漢孔氏謂祖甲即大甲蔡氏非之未知孰是及紂無道むどうためたけおうしょめつふう其庶けいほろけい於宋おさむ禮樂れいがく以奉しょう其地ざい禹貢じょしゅう泗濵西にし及豫しゅうめいおとはじめ豬之輯錄しかみやびさくはじめしょ其後せいおとろえしょう禮樂れいがく以放しつななせいいたり戴公大夫たいふせいこうはじめとくしょうじゅうへん於周大師だいし以祀其先おういたる孔子こうしへん而又ほろび其七篇然其存者亦多闕文疑義今不敢强通也輯錄あな曰正こうはじめなまあなちちよしみあなちちよしみ生木なまききんちちきんちちせいはつちちはつちちせいぼう叔防叔遷魯為ぼう大夫たいふめいぼう叔生はくなつはく夏生なつお叔梁紇叔はり紇生なかあまそくせいこうはじめ孔子こうし七世之祖周用六代之樂故有商頌商都しょうと亳宋しょう邱皆ざいこんおうてん亳州かい輯錄おうてんいまあらためかえりとくしゅう𨽻河南かなん亳州こん亳縣ぞくじき𨽻おおとりよう頴州曺氏曰契ふうしょう今上きんじょう雒商是也これやいたり凡八遷徙きょ亳從先王せんおうきょみかど嚳嘗也湯じゅうきゅうせいいたりばんかのえ其間また遷後きょ河南かなん亳殷そく後世こうせいあるしょうしょうあるしょういんあるけんしょういんしょう
47 於宜はんあずかおとあまりあずかおけわがおとももつづみそう簡簡衎我れつ也猗歎辭おけひね輯錄おう曰陳鞉與しょ曰下かん鞉鼓盖虞なつ以来いらい舊物きゅうぶつ常用じょうよう簡簡和大かずひろ也衎だんはんらく也烈也記曰商じんなおこえ臭味しゅうみ未成みせいおととろけ其聲におい未成みせいひつじよう灌也あじ未成みせいひつじよう牲也滌蕩しゃどう而𤼵これらく所以ゆえんどう其和而散于外也らくさんわかあなはんしかこう出迎でむかえ輯錄郊特牲陳曰牲ころせそくゆう臭味しゅうみうん臭味しゅうみ未成みせい滌蕩せん播之いんじんさきもとめしょ凡聲そく是也これやいちせつせん以鼓げん盖鼓しゃしゅおんおもさきごとまたれい註云鞉所以ゆえんぶし樂樂らくらくゆかり鞉而なるどくしょう鞉鼓ある以此也きゅうせつ以此ためまつなるらくはじめ而置すんで乃奏げんじょ
48 まごそうかりおとかく綏我おもえなり鞉鼓ふちふちかのう於巾はん嘒嘒かんごえすんで且平わがかおるごえおとがらす赫湯まごかのうおもえりんはんきよしきよし厥聲
49 まごおもまつこれおう也假與格よかくどうげん奏樂そうがく以格于祖こう也綏やす也思なりしょうてい曰安わが所思しょし而成ひといい神明しんめいらいかく也禮まつりよしへん曰齊おと齋下さいげどうこれにちおもえ其居しょ上聲じょうせいおもえ其笑おもえ其志意思いし其所たのし五教ごきょうはんおもえ其所嗜きょしょそく其地而言笑げんしょうそく其人而言みな在外ざいがい也志らく嗜則ざい內矣おもえいよいよふかひとしさんにち乃見其所ため去聲きょしょうひとししゃ所為しょいひとししゃゆびしょさい先祖せんぞげん如齊以禮なりそくわがためなり而齊そく所為しょいひとししゃまつりにち入室にゅうしつ僾然必有乎其入室にゅうしつ致祭彷見其在神位しんい周旋しゅうせん肅然しゅくぜん必有聞乎其容ごえ出入でいりこも饌疑其動作どうさゆうごえ户而聽愾しか必有聞乎其歎息たんそくこえこも畢闔户真わか聞其𤼵これ於聲也盖ひとしこれおもえ以漸而深さい見聞けんぶんまた以漸而著也祭義之よしゆきぶんとめ此輯ろくなん曰馬うん僾然げん其貌肅然しゅくぜんげん其容愾然げん其氣也輔うんすんで曰必ゆうまた曰僾しか肅然しゅくぜん愾然盖誠不可ふか揜也此之いいおもえなり以上いじょうていせつ曰其しょ見聞けんぶんほんゆう也生於思みみ此二せつきん盖齊而思まつり而如ゆう見聞けんぶんそくなり此人矣鄭ちゅう頗有ぬげあやまこん正之まさゆきていちゅうほんうんやすわがしん所思しょし而成ふちふちふか逺也嘒嘒せいあきらつづみためしゅおん主管しゅかんそくらく小者こもの舉此二者則餘樂在其中矣かおるだまかおる也堂じょうますらくいしかおる也穆きよし羙也赫有光輝こうき貌升かん其音なん諧而はちおとなかかおるゆうなん諧今しゃ作樂さくらくだかみ而堂らくあずか堂上どうじょうかおるこえしょう諧如此赫赫然まごなんじらくいい甚羙矣極其稱賛しょうさん
50 いさおゆう斁萬舞有奕我有嘉客亦不夷懌庸鏞通輯錄大鐘おおがね曰鏞斁斁しかもり也奕奕然ゆう次序じじょ也盖じょう文言もんごん鞉鼓かん籥作於堂其聲堂上どうじょうたまかおるあいだつりんしゃいたり於此そくきゅうけんじこれのち羣小まつ一獻いっこんさい社稷しゃしょく五祀三獻望祀山川五獻祭先公七獻大享先王九獻鐘鼓しょうこ交作萬舞陳於庭而祀事畢矣まつりすすむ畢時らくもりさく如楚いばらげん鐘鼓しょうこすんで戒鼓がねおくしかばねまた其一ちょうよしみきゃく先代せんだい後来こうらい助祭じょさいしゃ也夷悦也えつやまたえびす懌乎げんみなえつ懌也先代せんだい後来こうらいさく祼將よろし感慨かんがい而難えつこん其悦懌如此則らくかんじじん可知かち輯錄かい頥曰まごそうかり綏我おもえなりはじめ焉人かたいんらく以致其感かくこう也於赫湯まごきよしきよし厥聲終焉しゅうえんらくふく囚人しゅうじん而成其和ごえ羙也いたり于鏞斁斁しか而盛也萬まい奕奕しかゆう次序じじょ也則とくかそけゆう以感乎神而嘉賔在またえびす懌者矣獨言ひとりごとよしみきゃくしゃみことざいむかしさき民有みんゆうさくゆたかきょう朝夕ちょうせき執事しつじゆうつとむ
51 つとむけい也言恭敬きょうけい道古どうこじん所行しょぎょう以行くんさく不可ふか忘也まつりすすむ畢而おもえ古人こじんけい盖恐れいぎょうすんで乆而あるゆう愆也ごとゆう始終しじゅうけい間斷かんだん于此閔馬ちち曰先聖王せいおうでんきょうなお敢專敢專あきら其有らいしょう曰自ふる曰在むかしむかし曰先みんふるまた推在むかしざいむかしまた推先みん如湯けい禹之祇舜きょう堯之欽愈推之而其でんいよいよ逺也
52 顧予烝嘗まごはた
53 はたたてまつ也言其尚顧我烝嘗哉此まごこれしょたてまつしゃ致其丁寧ていねい庶㡬其顧かみ歆非るい曰此まごところすすむ也則まごあいだ精神せいしんしょうかん其享必然ひつぜん
54 いちしょうじゅう
55 閔馬ちち外傳がいでん魯語せいこうはじめこうしょうめい頌以ためくびめい頌頌羙者其輯みだれ云云うんぬんざいむかし以下いか四句輯成也亂樂之卒章也篇章既成撮其大㫖以為亂そく此詩也
56 嗟嗟れつゆう秩斯祜こうたんさるすず疆及なんじ斯所也烈也秩つねさる重也しげやなんじ主祭しゅさいきみ盖自しゃゆび也斯しょなおげん此處ここ也○此亦まつなるらくげん嗟嗟れつゆう秩秩無窮むきゅうぶく以申すず於無疆是以及於爾いまおうこれしょ而修其祭祀さいし如下しょうん輔氏子孫しそんとく以奉祭祀さいし先祖せんぞしゃみな先祖せんぞぶくゆう以錫子孫しそん也愚いい此一節與雝詩篇末同意
57 すんできよしかのうこうたん賚我おもえなりかのうおとつねまたゆうかのうおとろうすんで戒既ひらたかのうおとつくり中庸ちゅうようさくそういましたがえこれかりおとかく無言むごんかのうおとのぼるどき靡有そうかのうおとあきら綏我まゆ夀黄耇無疆
58 酤酒輯錄酤有かのうあやま賚與也思成義なりよし見上みかみへん羮味調しらべ節也せつや輯錄曺氏曰鉶羮也戒夙戒也夙戒なおうんもとてい盖言けい其事而備ゆう道也みちやひらたなお和也かずやげんあじひとし調ちょう儀禮ぎれい祭祀さいしつばめとおるはじめまいげん羮定おとてい輯錄きょう飲酒いんしゅれいきょうしゃれいつばめあやだいおおやけしょく大夫たいふれいしょうろう饋食れいとうへんちゅうじょうなおじゅく盖以羮熟ためぶししかぎょうれいていそく戒平いいようさきやめ戒之かたよう時又ときまた平之ひらの中庸ちゅうようさくそうただしあずかうえへんよしどう盖古ごえそうぞく相近すけちかぞくごえうたてひら而為鬷耳そうかりあずかうえへんどうのり奏樂そうがく以格しん也或いいれつ不言ふげんらくそくしょ奏者そうしゃなんぶつ耶○ぞうしゃく吴師どう中庸ちゅうようそうかり無言むごん章句しょうくそう進也しんやしん而感かく神明しんめいごく其誠けいゆう言說げんせつ而人也烈鬷假でん中庸ちゅうようさくそういいあずかうえへん同義どうぎ按上へんまごそうかり傳言でんごん奏樂そうがく以格于烈そくそう字義じぎ不同ふどう無言むごんそう肅敬而齊一也かずや肅敬そくしずか無言むごんひとし一則定是無爭統而言之皆敬也げん其載きよし酤而すんであずかわが以思なりざいみこと也酒ざいみこと而神そくくだのりやめかり於未灌之ぜん及進羮而肅敬いたりそくまたやすわが以眉夀黄耇之ぶくくだりれい而盡其敬そくしんくだぶくまたしか也福此いちせつ見物けんぶつあし以格しん而敬あし以致つきぶつつきこころざし如此始終しじゅう效驗こうけんいち而足也
59 やくいのりささえはん錯衡かのう户郎はんはち鸞鶬鶬ななひつじはん以假おとかく以享かのうきょりょうはんわが受命じゅめい溥將てんくだかん豐年とよとしみのるみのるらいかりおとかくらいきょうかのうきょりょうはんくだぶく
60 やく軝錯衡八鸞見采芑篇鶬見載見篇輯錄どおりしゃく曰采芑作はち鸞瑲瑲烝みんかん奕作八鸞鏘鏘此詩作鶬鶬載見曰鞗革有鶬字雖不同皆言其聲也げん助祭じょさい諸侯しょこうじょうしゃ以假以享于祖宗之むねゆきびょうくだかみ曰假けんじしん曰享そくじょうぶんきよし酤進羮之ごと溥廣はただい也穰みのる也言わが受命じゅめいすんで廣大こうだい而天くだ以豐ねんきびきび使つかいとく以祭也假而祖こうかりとおる而祖こうらいきょうそくくだぶく疆矣諸侯しょこう助祭じょさい如此はぎわが受天貺可以供まつ事故じこ爾来じらいあずかわがかくとおるこれさいそくのう致其かくとおるとめなん此福いい甚大じんだい矣盖すんでこう於助さい諸侯しょこうまた推今ぶく而以ため豐年ほうねんしょたまもの也○此詩さん疆申すず疆則前日ぜんじつぶく及於こん耇無疆則今日きょうぶく及於みなげん其乆也降ぶく疆則いんかんかく祖宗そそうえき而見今日きょうぶく甚大じんだいみみぶくだいしゃまたいい疆矣
61 顧予烝嘗まごはた
62 せつまえへん
63 れついちしょうじゅう
64 天命てんめい𤣥とりくだ而生しょうたくいんすすきすすきみかどいのちたけせいいきかれ四方しほう
65 也𤣥とり鳦也春分しゅんぶん𤣥とりくだ髙辛ゆうおとたかしおんな簡狄いのり于郊禖鳦遺たまご簡狄吞之而生ちぎり後世こうせいとげためゆうしょう以有天下でんかごと史記しきたくきょ也殷地名ちめいすすきすすきだいげんふうしょう而為大國たいこくふるなおむかし也帝上帝じょうてい也武以其ゆう武徳ぶとくごうついじゅつしょうげんてんまたげんみかどてんそくみかど也互ぶんみみ正治しょうじ平聲ひょうしょう也域ふうさかい也○此亦祭祀さいし宗廟そうびょうらく而追じょ商人しょうにん所由しょゆうせい以及其有天下でんかはついちせつげんちぎりあずかなる先後せんご受命じゅめいおうぎょう以漸而成以明商家しょうか興起こうき
66 ほういのち厥后奄有きゅうゆうかのうはねやめはんしょうせんきさき受命じゅめいかのうようさとはんざいたけちょう孫子まごこかのうすすむさとはん
67 ほういのち厥后四方諸侯無不受命也いのちしゃ天子てんしいのちきゅうゆう九州きゅうしゅう此二句是覆說正域彼四方一句たけちょう髙宗也言しょうせんきさき受天いのち危殆きたいいまたけちょう孫子まごこなおよりゆき其福いちせつげん諸侯しょこう受命じゅめい而天不歸ふきしょう如此祖宗そそう受命じゅめい甚固矣是以子孫しそんえいひさし受福而無きゅう也所いいさききさきしゃ盖兼ちぎりあずかなるごと受命じゅめい殆又以申じょうぶん天命てんめいみかどいのちみみ 此上二節說先王以下三節皆說今嗣王以發在武丁孫子一句
68 たけちょう孫子まごこたけおう靡不しょうおとますりゅうじゅうじょうなわはんあかしだいせきこころざしはんうけたまわ
69 たけおうごう而其後世こうせいまた自稱じしょう也龍旂諸こうしょけん交龍旂也だい糦黍きび也承たてまつ也○ことたけちょう孫子まごここんかさねごうしゃ其武しょかち天下てんかこと無難ぶなん舉者於是諸侯しょこうたてまつきびきび以来いらい助祭じょさいいちせつげん嗣王かつあやか先王せんおう而有以致助祭じょさいしん威徳いとく逺加まつことあかり備如此福ざいたけちょう孫子まごこ
70 くに畿千里維民所止肇域彼四海かのうとら洧反とめきょはじめひらきひらけそく開闢かいびゃく前言ぜんげんせいいきわかいん固有こゆう而治以見なり以力也此ごとはじめいきそくおもんみ嗣守疆而また擴充かくじゅう以見おうたけ靡不勝也かつやげんおう畿之內民これしょとめ千里而其封域則極乎四海之廣也いちせつげんおう畿雖ゆうせい疆域そく無限むげん居中きょちゅう而能せいがい如此ぶくざいたけちょう孫子まごこ
71 四海しかいらいかりおと格下かくしたどうかりいのりいのりけいいん維河いん受命じゅめい咸宜かのううしなんたんひゃくろくなにおとかのう如字
72 かり與格よかくどういのりいのり衆多しゅうたらいかくいのりいのりそくだい糦是うけたまわこれ諸侯しょこうざい其中矣けいいん維河よししょうある曰景山名やまなしょうしょ也見いんたけそつあきら春秋しゅんじゅうでんまた曰商ゆうけい亳之いのち是也これやいんあずかしたへんはば隕義どう盖言しゅう也河大河たいが也言景山かげやま四周皆大河也何任平聲ひょうしょう也春あき傳作でんさくさききさきこんおう受命じゅめい咸宜よろしなに此百禄也以終受命不殆之意 此いちせつげん人心じんしんきょくしゃしゅりょうよし山河さんが鞏固きょうこ而致然然しかじか山河さんが所以ゆえんあらため其舊しゃ以天いのちがえ於今みみ居中きょちゅうせいがい其所以然しゃ如此ぶくざいたけちょう孫子まごこ也此與じょういちせつ相應そうおう
73 𤣥とりいちしょうじゅう此詩首尾しゅびみな以天いのち為重ためしげいい先王せんおういん天命てんめい而得天下でんかゆう以詒子孫しそんぶくおういん天命てんめい而不しつ乎地天下てんか諸侯しょこうみなかしこたけし而助さいしゃそく先王せんおうしょ詒之ぶく
74 濬哲維商ちょう𤼵其祥洪水こうずいすすきすすき禹敷下土方しもひじかた絶句ぜっくすわえてんとい禹降しょう下土方しもひじかた盖用此語そと大國たいこく疆幅隕おといんすんでちょうゆういきようはんほうすすむみかど立子たつこなましょう
75 也濬おとたかしふかあきら去聲きょしょうちょう乆也かた四方也外大國逺諸侯也幅猶言邉幅也隕讀作員謂周也はば隕即疆境よしゆう娀契はは也將だい也○げんしょう世世よよゆう濬哲きみちぎりせい於古もり後来こうらいかしこせいつぎいい有明ありあけ徳之のりゆきくん受命じゅめいさち𤼵也乆矣方禹治洪水こうずい以外いがい大國たいこくため中國ちゅうごくさかいどう而幅隕廣だいときゆう娀氏はじめだいみかどりつ其女之子ゆきこ而造しょうしつ也盖ちぎり於是はじめためしゅんてのひらぬの五教于四方而商之受命實基於此輔氏曰此洪水こうずいすすきすすき以下いかみなさるちょう𤼵其祥いちいい𤣥とりせいしょうげんちぎり生者しょうじゃてんしょいのち也帝立子たつこなましょうげんちぎりみやつこしょうしゃまたてんしょいのち也商受命じゅめいやめざいからおそれさいのり天意てんい栽培さいばい也乆矣○此章推其もとはじめ而言也
76 ○𤣥おう桓撥かのう必烈はん受小國是こくぜたちかのうえつはん受大國是こくぜたちりつくつえつとげすんではつかのうかたがつたんそういきあきらはん烈烈れつれつ海外かいがいゆう
77 也𤣥おうちぎり也𤣥しゃふかほろこれたたえある曰以𤣥とりくだ而生也王しゃついみことこれごうげんついみこと不言ふげんおいおう盖追おうれいはじめ于周且湯祖父そふぬしみずのえぬしみずのと嘗稱曰王おうしゃみずのえみずのと而獨おうちぎり此特於祭祀さいしさい以美ごうしょうみみあきらしょうためたけおうただし其例也桓武かんむばちたちどおり也受小國しょうこく大國たいこくしょたちげん其無しょむべゆう武勇ぶゆうのう治之はるゆき徳則とくのりとくこくかかわしょうだい政治せいじみなぎょうとめなんしゃりつ循履れいこしはつおう也言ちぎりのう循禮えつとげ其民そくすんではつ以應またのう循禮而行不正ふせいみんおうげん𤣥おう徳盛とくもり而身おさむとく人心じんしん如此あいちぎりまご也截整齊せいせい也至而商えきだい四方諸侯歸之截然整齊矣烈烈れつれつこうだい也鄭曰相とうなつきさきうけたまわちぎりこれぎょうにゅうためおうかんはくちょう諸侯しょこう威武いぶ甚矣いいしょう擴充かくじゅう如此いい有徳うとくそう矣然於契そくたてこうゆう難易なんい頌美しょう畧不どう其後なな十里起豈嘗中衰也與此章げんしょうおうぎょう興起こうき於𤣥おう奮𤼵於相其勢ゆう不可ふか遏者矣
78 みかどいのちたがえいたり于湯ひとしくだおそせいけい兮反あきらかりおとかく遲遲ちち上帝じょうてい祇帝いのちしき于九かこえ
79 也湯ひとしこれよししょう曰至而王ぎょうなりあずか天命てんめい㑹也くだなおなま遲遲ちち乆也祇おとささえけい式法しきほう也九かこえ九州きゅうしゅう也○しょう先祖せんぞすんで有明ありあけとく先祖せんぞゆびちぎりあずか相上あいあげごと明徳めいとくそく以濬あきらげん天命てんめい嘗去以至于湯なま也應而降適當てきとう其時其聖けいまたにち躋升以至あきらかり于天乆而いきおもんみ上帝じょうていけいいいひじりたかしのりわか常人じょうじんけい而已日新にっしん又新またしんじょうあずかてんごうおもんみみかどけい其心悠久ゆうきゅう而又せん一如此皆不敢以天命自恃而然是即所謂聖人之敬也みかどいのち以為ほう九州きゅうしゅうすんでとう此時而得天人てんにん㑹合これまたゆう此敬以致天人てんにん交與みょうしゃみな一日之積宜受天命而立人極也此見成湯起為天子之故
80 ○受小だまおともとむだいたまためこくつづりちょうまもるはんおとりゅうなにおとてんきゅうきおい絿おともとむつよしやわらじきせいゆうゆうひゃくろくよしはん
81 也小だまだいたまよししょうある曰小こく大國たいこくしょにえたま也鄭曰小だま鎮圭じゃくゆう二寸大球大圭三尺也皆天子之所執也輯錄玉藻たまもうんしゃく天子てんし以球だまちゅうだま也春かんてんみずうんおう搢大けい鎮圭ちゅうだいけいほおもと無文むもん鎮圭瑑四鎮之やましたこく諸侯しょこう也綴なおゆい也旒たれしゃ也言ため天子てんし而為諸侯しょこうしょ係屬けいぞくおとしょく如旗縿おとため旒所つづりちょちょう入聲にっしょうはたせいはばため縿旒そくぞく此言つづり旒猶まきおもね所謂いわゆる四方為綱易所謂拘係之又從維之皆以喻其固結而不散也なにきおいきょう絿緩也優ゆうひろし裕之ひろゆき遒聚也てんきゅうそく以綴旒言ひゃくろくそく以天きゅうげん輔氏曰湯ため諸侯しょこうしょ附屬ふぞく如此みな上天じょうてんきゅう美之みゆきいのち使しか也而しょ以然しゃよし其有中正ちゅうせい徳行とっこうひろし裕之ひろゆきせいのう聚此ひゃくろくみみいい此與あきらみなげんなり受福此章げん其以中和ちゅうわとく而受ぶくあきらげん其以武勇ぶゆうとく而受ぶく
82 ○受小どもおときょうかのうきょいさむはんだいきょうためこく駿しゅんおとたかし莫邦はんかのう莫孔はんなにてんりゅうかのううしいさむはんじきそう其勇ふるえ不動ふどうかのういさおそうはんやつばんはん小勇しょうゆうはんひゃくろくそうあなはん
83 也小どもだいとも駿しゅん厖之よししょうある曰小こく大國たいこくしょ共之ともゆきみつぎ也鄭曰共上聲じょうせいどう也猶しょうだまだいたま也蘇曰共珙通あい珙之だま也傳曰駿だい也厖あつ輯錄いむ曰受小國しょうこく大國たいこくきょうみつぎおもんみうすこれ所以ゆえんだいあつ天下でんかただし曰齊詩作しさく駿しゅん駹謂輔氏曰此とうしたがえ駿しゅん駹之以喻其能じょう諸侯しょこうりゅうちょう也敷そう其勇なおげん大進たいしん其武こう也戁おそれ竦懼也此與丄章文勢ぶんせいどうみなしゅう其效けん而探其故のうしょう大任たいにん如此かたてんこれしょちょう而致然然しかじかよう武之たけゆきぎわしょうどう其心そく餒矣おもんみ義之よしゆきいさみ不可ふか遏是以武こうなり而總ひゃくろくたけおう斾有䖍秉鉞おとえつ如火烈烈れつれつそく莫我敢曷漢書かんしょさく遏阿かずらはんかのうおもね竭反つとゆうさんひこばえ五葛反叶五竭反莫遂莫達かのうえつはん九有有截韋顧既伐かのうぼうえつはんこんわれなつ
84 也武おう𤣥とりたたえたけ此又しょうおう盖湯其本ごうたけたけおうそく尊稱そんしょう而别ごう也又たたえれつまた此意䖍敬也言きょうぎょうてん討也曷遏どおりある曰曷誰何すいか也苞ほん也蘖つくりせいもえひこばえ也言一本いっぽんせいさんひこばえ本則ほんそくなつ桀蘖そく韋也顧也こんわれ也皆桀之とう也鄭曰韋彭姓顧昆われおのれせいげんすんで受命じゅめい此承じょう三章帝命及天休天寵言斾秉鉞以せい不義ふぎ桀與三蘖皆不能遂其惡王者おうじゃじょざん戢暴如此而天截然せつぜんしょう矣初韋次顧次こんわれ乃伐なつ當時とうじようじょ如此ようじょ必先翦其羽翼うよく而後じょ其本也輔曰四章言政事五章六章言武功
85 むかし在中ざいちゅうゆうふるえ且業まこと天子てんしかのうすすむさとはんくだ于卿鉏里はんじつ維阿衡かのう户郎はんじつひだりおとたすくみぎおとまたしょうおう
86 也葉ふるえ懼業危也承じょうぶん而言むかしざいのりぜん乎此矣此字ゆびなりげんあにいい前世ぜんせいちゅうおとろえあずかまこと天子てんしゆびまこと信也しんやなお後世こうせいげんしんぬしくだげんてんたまものそく賚弼よしきょうすなわちいん也言いたり於湯とくいん而有天下でんか輯錄所謂いわゆる五百年必有王者興其間必有名世者為之輔佐也おもね衡伊いんかんごうげんじつ維阿衡又げんじつ左右さゆうしょうおう其歸じゅう於伊いんこう如此輯錄おもね衡言しょ倚而ひら
87 ちょうはつ七章一章八句四章章七句一章九句一章六句くびあきらせんげんちぎりしょうけんげんちぎりあずかあいさんしょうよんしょうしょうげんなり興起こうき六章言其征伐次第七章言其得輔佐之功
88 じょ以此ためだい禘之盖祭其祖所出しょしゅつ而以其祖はい也蘇曰犬禘之さいしょ及者逺故其詩厯言しょうせんきさきまた及其きょういん盖與去聲きょしょうまつり於禘しゃ也商しょ曰兹だいとおる于先おうしか其從あずかとおるこればんかのえれい也豈其起於商歟今按大禘不及羣びょうおも此言しょう及湯そく此宜ため祫祭しかけい明文めいぶん不可ふかこうよん祫不ひね毁廟おもだい祫則あい羣昭羣穆やめ毁未毁之ぬし而祭此及しょう丄則ためだい祫之逹反かれいんたけ奮伐荆楚冞めんぶんまわしはんにゅう其阻裒がまこうはん荆之たびゆう截其しょまごいとぐちぞう吕反
89 也撻やまし輯錄曺氏曰言其兵神速しんそくいんたけいんおう武也たけや冞冒おかせはん也謂はんけん而入裒聚也叛則以亂裒而聚之所以ゆえん致其らい而平まごいい髙宗○きゅうせつ以此ためまつ髙宗らく盖自ばんかのえぼつ而殷どうおとろえすわえじん叛之髙宗撻然ようたけ以伐其國にゅう其險阻以致其しゅつきひら其地使截然せつぜんひとし一皆髙宗之功也以功くんいとぐちいとぐちしゃこうたれ於後しゃえき曰髙むねおにかた三年克之盖謂此歟聞之さき君子くんし梧岡おう曰髙むねおにかた朱子しゅし以為荆楚盖荆すわえこうおに而然いたり戰國せんごくさいなおなんじけんしょこごめげん九歌可見也
90 ○維女おとなんじ荆楚きょこく南鄉なんごうむかしゆうなりかれみかどはん羌莫敢不らいとおるかのうきょりょうはん莫敢らいおう曰商つね
91 也氐羌夷狄いてきこくざい西方にしかたとおるけんじ也世おとげん曰王さんじゅうねん曰世あらふくきみせい輯錄あきかんだい行人こうじんあな曰謂其父つぎ及嗣おう即位そくい来朝らいちょう曰既克之かつゆきのりつげ曰爾雖逺またきょわれこくみなみみみむかしなり雖氐羌之逺猶莫敢来朝らいちょう曰此しょうつねれい也况なんじ荆楚曷敢いたり輔氏曰此げん荆楚すんでらいこう慰安いあん而戒敕之如此いい此舉逺者以戒ちかしゃ當然とうぜん
92 天命てんめいおとしつらえ于禹績嵗ごとらい辟勿てきちょくかわはん稼穡匪解おとたゆかのう訖力はん
93 也多辟諸こう也来辟来おう也適謫通○げん天命てんめい諸侯しょこうかく建都けんと邑于禹所治之はるゆき而皆以嵗ごとらいいたり于商以祈おう譴曰稼穡敢解也庶以免とがめ矣言荆楚すんでひら而諸こう畏服いふく
94 天命てんめいくだかんしたあずか濫叶しも民有みんゆうげんかのうごうはん僭不濫不敢怠遑命于下こくかのうえつ逼反封建ほうけん厥福かのう筆力ひつりょくはん
95 也監いむたけし也僭しょう也濫けい也遑ひまふうだい也○げん天命てんめいくだかん不在ふざい乎他みな在民ざいみん視聽しちょうそくみんまたゆうげんてん視聽しちょう在民ざいみんそく聰明そうめいあかりかしこみな自我じがみん矣非かしこおもんみしょう僭刑濫而敢怠遑則天命てんめい以天而大けん其福此髙むね所以ゆえん受命じゅめい中興ちゅうこうかしこたかしざい於畏みんおおやけ賞罰しょうばつつとむ政事せいじかしこみん以盡かしこてんじつ如此そくとくてん而得みん矣不僭濫執中也ちゅうやだる遑持けい也命于下こくそく所以ゆえんだいけん其福也上天じょうてんぶく顧有だい於祚以國しゃ乎○此章乃髙むね所以ゆえん中興ちゅうこう凡荆すわえにわ諸侯しょこう畏服いふく功業こうぎょう顯著けんちょぶく祚之乆長みな僭濫だる遑以致之みみ苟不つとむ此而ただ威力いりょくこれなおのりみん碞即てんあらわ其可かしこ而已
96 しょう邑翼つばさ四方之極赫赫厥聲濯濯厥靈夀考且寧以保我後生かのうくわけいはん
97 也商邑王也翼つばさせい敕貌きょくひょう也赫赫顯もり也濯濯光明也あきやげん髙宗ちゅうあずかこれもり如此せい敕明もりみな中興ちゅうこう氣象きしょうげん夀考且寧うんしゃ盖髙宗之むねゆきとおるこく五十有九年我後生謂後嗣子孫也いん道中どうちゅうおとろえ國勢こくせいくずおれ四方しほう慢易而弗にわしゃ乆矣及髙むね厲而都邑とゆう尊嚴そんげんふくためみんごくこえ大著たいちょ逺弗而又厯年ほどこせさわ於民乆人こころ天命てんめい鞏固きょうこ子孫しそん世世せぜ治安ちあん中興ちゅうこうこう所以ゆえん不可ふか及也○しょうしゅう中興ちゅうこうこう于詩しゃ髙宗せんおう是也これやせんおうせいおとろえ于暮ねんちょうもろいのりちち黄鳥こうちょうしょ怨刺よろしあるゆういちつていたりかそけおうだい壊周わだちとげひがし髙宗そくようでんせつ而閒聖人せいじんまなべ始終しじゅういちとくよしみやすしいんくにさい且有きのえ保惠やすえ庶民しょみんあなど鰥寡いんさいみやつこ如此二王之功業詎不逺哉
98 のぼるかれ景山かげやまかのうしょ旃反まつかしわ丸丸まるまるかのうえびすいんはんだんおとたん遷方斲のぼるかくはん䖍松桷おとかくゆうれんたんたび有閑ゆうかんかのうえびすはんなりあなやすかのう於連はん
99 也景山名やまなしょうしょ也丸まる直也なおや遷徙だん髠之也遷徙之使らい方正ほうせい也虔また截也正之まさゆき以繩すみしかこうそぎ以斧きんまたひとしこれ以刀のこ此言じょ梴長貌旅しゅ也閑閑然而大也寢びょうちゅう也安所以ゆえんやす髙宗かみ也此盖特ため百世不遷之廟不在三昭三穆之數此廟ざいしゅうためしつ既成きせいはじめ祔而さいこれ輯錄髙宗七世親盡而立廟此詩其作於帝乙之世乎しか此章あずか閟宫これそつあきら文意ぶんいりゃくどうしょうなんいい此章げんさくびょう閟宫ごとおさむびょう文意ぶんいりゃくゆうどうしゃ輔氏曰當閟宫取ほう于此也いん六章三章章六句二章章七句一章五句一章いっしょうたたえすわえこうしょうじゅつ戒楚さんしょうげん諸侯しょこうらいふくよんしょうほん中興ちゅうこうしょう極言きょくげん中興ちゅうこうもり且長ろくしょうそくげん今日きょうさくびょう以祭如此ためぞうしゃくもと曰髙むね中興ちゅうこうこう必惟荆楚だいさく頌者おもんみげん此以いんふく治者ちしゃざい蠻夷ばんい猾夏聖人せいじんしょよんえびすらいおう盛徳せいとくしょ及也いちしょうすわえ而楚じんふくしょうすわえすんでふく而可つぎなりさんしょう諸侯しょこうみなしたがえ四章為治有道而天降之福五章中興之盛卒章廟成而祭也
100 しょうへんじゅうろくしょういちひゃくじゅうよん
101 詩經しきょう疏義㑹通卷つうかんじゅう
URN: ctp:ws409269

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