ショパンの24の前奏ぜんそう曲きょく作品さくひん28の第だい15番ばん変へんニ長調ちょうちょうは「雨垂あまだれ（の前奏ぜんそう曲きょく）」と呼よばれている。小型こがたの国語こくご辞典じてん、例たとえば『岩波いわなみ国語こくご辞典じてん』第だい八はち版はんは「アマダレ」を「軒のきからしたたり落おちる雨あめのしずく」と説明せつめいしているし、中型ちゅうがたの国語こくご辞典じてん、例たとえば『広辞苑こうじえん』第だい七なな版はんは「軒先のきさきなどから落おちる雨あめのしずく。あましずく」と説明せつめいしている。『日本にっぽん国語こくご大だい辞典じてん』の見出みだし「あまだれ」には次つぎのように記しるされている。

あまだれ【雨あめ垂たれ】〔名な〕（「あまたれ」とも）（1）軒先のきさきや木きの枝えだなどから、雨あめのしずくがしたたり落おちること。また、そのしずく。あましずく。あましだり。あまだり。＊太平たいへい記き〔14C後ご〕七なな・千剣破城軍事「作つくり双そう（なら）べたる役所やくしょの軒のきに継つぎ樋とい（つぎどひ）を懸かけて、雨あめふれば、霤（アマダレ）を少すこしも余あまさず、舟ふねにうけ入いれ」＊文明ぶんめい本節ほんぶし用よう集しゅう〔室町むろまち中ちゅう〕「霤 アマダレ シタタリ 玉だま篇へん云うん雨う屋や水流すいりゅう下か」＊玉たま塵ちり抄しょう〔1563〕二に四よん「雨あめのふってあまだれのきれずしてさがるを紳しんのさがったにたとえて云うんぞ雨あまだれは白しろほとに玉たまと云うんたぞ」＊日にち葡辞書しょ〔1603～04〕「Amadare （アマダレ）、または、amatare （アマタレ）〈訳わけ〉軒端のきばから落おちるしたたり」＊雑俳ざっぱい・柳やなぎ多留たる-二に四よん〔1791〕「雨あまだれは首くびを仕つかまつ廻まわりて通とおり抜ぬけ」（筆者ひっしゃ注ちゅう：以下いかに（2）（3）2つの語義ごぎが示しめされているが略りゃくす）

そして「語かたり誌し」欄らんには「あまだり（雨あめ垂たれ）」の「語かたり誌し」を参照さんしょうするように指示しじがある。「あまだり」の「語かたり誌し」欄らんには次つぎのようにある。

平安へいあん時代じだいは「あましただり」または「あましだり」であったが、挙例きょれいの「水鏡みずかがみ」「宇治うじ拾遺しゅうい」「園えん太たい暦れき」に見みられる通とおり、鎌倉かまくら時代じだいになると、「あまだり」が、それに取とって代かわる。しかしその後ご、本来ほんらい四よん段だんに活用かつようしていた自動詞じどうし「たる（垂たれ）」が、室町むろまち時代じだい中期ちゅうき以後いご、下した二に段だん化かし、一般いっぱん化かするのに伴ともなって、さらに、「あまだれ」に変化へんかした。

「シタタル」という動詞どうし、「シタタリ」という名詞めいしは現代げんだい日本語にほんごでも使つかうが、これは〈下したに垂たれる〉という語義ごぎの語かたりとみるのが自然しぜんなので、「シタタル」の語かたり構成こうせいは「シタ＋タル」ということになる。「シタ」と「タル」とが複ふく合あわした時ときに「タ」が連続れんぞくしているので、連濁れんだくという現象げんしょうがおこって、「シタダル」と二に番目ばんめの「タ」が濁音だくおん化かしていただろうと推測すいそくされている。そうであれば名詞めいし「シタタリ」も「シタダリ」という形かたちになっていた可能かのう性せいがたかい。

「アメ（雨あめ）」は「アマグモ（雨雲あまぐも）」「アマガサ（雨傘あまがさ）」「アマガエル（雨蛙あまがえる）」のように、複合語ふくごうごをつくる時ときには「アマ」という形かたちになる。そうすると〈雨あめのしたたり〉は「アマシタダリ」となる。「アマシタダリ」は「タ」と「ダ」（もともとは「タ」）とが連続れんぞくしているので「タ」が発音はつおんされなくなると「アマシダリ」という形かたちになる。これが「語かたり誌し」欄らんのいうところの「平安へいあん時代じだいは「あましただり」または「あましだり」」である。もともとは「シタタリ」であったのだが、「シダリ」が「シタタリ（シタダリ）」からうまれていることがわからなくなると、さらに形かたちが変かわっていきやすい。「アマシダリ」が〈雨あめのしずく〉であることは言語げんご使用しよう者しゃにはわかっているのだから、〈雨あめが垂たれる〉という語義ごぎにひきつけて、「シ」をさらにはずし、「アメ（雨あめ）」に四よん段だん活用かつよう動詞どうし「タル」の連用形れんようけい「タリ」がついた「アマダリ」という形かたちになる。そして「タル」が下した二に段だん活用かつようをするようになると連用形れんようけいが「タレ」となり、「アマダレ」という形かたちに変かわったというのが「語かたり誌し」欄らんの説明せつめいだ。

ここまでを整理せいりすると「アマシタタリ・アマシタダリ」→「アマシダリ」→「アマダリ」→「アマダレ」ということで、「アマダレ」という語形ごけいになるまでに幾いくつかの語形ごけい変化へんかを経へていることになる。この、時間じかん軸じくに沿そった語形ごけい変化へんかを小型こがた、中型ちゅうがたの国語こくご辞典じてんは記述きじゅつしない。小型こがたや中型ちゅうがたの国語こくご辞典じてんが一ひとつ一ひとつの語かたりの史的してき変遷へんせんを記述きじゅつすることは難むずかしいので、これは当然とうぜんのことといってよい。

さてそこで、であるが、「ヨダレ」の「タレ」は何なにだろうとふと思おもった。「ヨダレ」ももともとは「ヨダリ」という語形ごけいだった。『日本にっぽん国語こくご大だい辞典じてん』には見出みだし「よだり」がある。

よだり【洟はな・涎よだれ】〔名な〕（1）流ながれ垂たれる鼻汁はなしるや涙なみだ。＊日本書紀にほんしょき〔720〕神代かみよ上じょう（兼方かねたか本ほん訓くん）「亦また唾つば（つはき）を以もって白和しらわ幣ぬさ（しらにきて）と為ため（し）、洟はな（ヨタリ）を以もって青あお和かず幣ぬさ（あをにきて）と為ため（す）」＊大だい唐から西域せいいき記き長ちょう寛ひろし元年がんねん点てん〔1163〕三さん「我わが無学むがくを顧かえりみるに、其それ洟はな（ヨダリ）唾つば（つはき）の猶なおし」＊観かん智さとし院本いんぽん類聚るいじゅう名義めいぎ抄しょう〔1241〕「洟はな ススハナ ヨタリ ナミタ」（2）「よだれ（涎よだれ）」に同おなじ。＊石山いしやま寺本てらもと瑜伽ゆが師し地ち論ろん平安へいあん初期しょき点てん〔850頃ごろ〕二に三さん「涎よだれ液えき（ヨタリ）纏まといひいりて、転うたた咽喉いんこうに入はいる」＊新撰しんせん字じ鏡きょう〔898～901頃ごろ〕「唌 与太よた利り 又また豆まめ波は志こころざし留とめ」＊十じゅう巻かん本ほん和名わみょう類聚るいじゅう抄しょう〔934頃ごろ〕二に「津つ頥 病びょう源げん論ろん云うん津つ頥〈与あずか多利たり〉小児しょうに多た涎よだれ唾つば流出りゅうしゅつ於頥下か也」

よだれ【涎よだれ】〔名な〕（「よだり」の変化へんかした語かたり）不ふ随意ずいい的てきに唾液だえきが口くちから流ながれ出でるもの。唾液だえきの分泌ぶんぴつ過多かたによるものと、口くち輪わ筋すじの収縮しゅうしゅく不全ふぜんまたは嚥下えんか（えんか）障害しょうがいによるものがある。＊文明ぶんめい本節ほんぶし用よう集しゅう〔室町むろまち中ちゅう〕「涎よだれ ヨダレ」＊日にち葡辞書しょ〔1603～04〕「Yodare （ヨダレ）〈訳わけ〉涎よだれ」＊評判ひょうばん記き・難波なんば物語ものがたり〔1655〕「しさいらしくつぶやくひげ口こうの、よだれ見みぐるし」＊俳諧はいかい・俳諧はいかい一いち葉よう集しゅう〔1827〕於四友とも亭てい興行こうぎょう「てうちてうち真砂まさごの鶴づるの子こを思おもふ〈似に春はる〉 涎よだれの糸いとに撥ばちかよふらむ〈芭蕉ばしょう〉」＊吾輩わがはいは猫ねこである〔1905～06〕〈夏目なつめ漱石そうせき〉一いち一いち「独どく仙せん君くんの山羊やぎ髯ひげを伝つてはって垂涎すいぜん（ヨダレ）が一筋ひとすじ長々ながながと流ながれて」

「ヨダレ」には室町むろまち期き以降いこうの使用しよう例れいしかあげられておらず、「ヨダリ」→「ヨダレ」は確実かくじつであろう。「アマダレ」が〈雨あめのしたたり〉であるならば、「ヨダレ」は〈ヨのしたたり〉ということになりそうであるが、この「ヨ」がわからない。同どう系統けいとうの言語げんごが指摘してきさていない日本語にほんごにおいては、語源ごげんは日本語にほんごの語彙ごい体系たいけい内ないで考かんがえるしかない。当然とうぜんすぐに行いき詰づまる。ショパンから始はじまって、ヨダレで終おわる。筆者ひっしゃは語かたりに美醜びしゅうなしとつねづね思おもっている。「トンカツ」という語かたりが油あぶらっぽいということはない。