仲代なかだい達矢たつや　「役者やくしゃ」を生いきる

実じつに濃密のうみつな９０分ふんだった。日本にっぽんを代表だいひょうする名優めいゆう、仲代なかだい達矢たつや氏しと、彼かれが主催しゅさいする「無名むめい塾じゅく」で、演劇えんげきを学まなぶ若者わかものたちを追おった、ドキュメンタリーである。
本ほん作さくは、仲代なかだい達矢たつや氏しが、セリフを覚おぼえる「作法さほう」を映うつすところから始はじまる。仲代なかだい氏しは筆ふでペンで台本だいほんを紙かみに書かき写うつしている。自分じぶんのセリフは濃こい墨すみで描えがき、相手あいて役やくのセリフは薄墨うすずみで描えがいてゆく。一言ひとこともおろそかにはしない。
黙々もくもくと筆ふでペンでセリフを描えがく。そうする事ことによって、自分じぶんの体からだに「セリフを入いれてゆく」のである。
このシーン。私わたしは涙なみだが出しゅっそうになった。
仲代なかだい達矢たつや氏しほどの名優めいゆうが、セリフを覚おぼえるために、コツコツと台本だいほんを書かき写うつしているのである。私わたしは自分じぶんの生活せいかつを省かえりみて、自分じぶんを恥はじた。
このシーンを撮影さつえいする事ことを、よく許可きょかしたものだと、感嘆かんたんした。
厳きびしい芸能げいのう、演劇えんげき、の世界せかいで、役者やくしゃの人生じんせいを歩あゆんできた仲代なかだい達矢たつや氏しは、紛まぎれもなくプロ中ちゅうのプロなのだ。そんな人ひとだからこそ、舞台ぶたいに臨のぞむ準備じゅんびの様子ようす、舞台裏ぶたいうらでの影かげの努力どりょくは、決けっして見みせたがらないだろう、と思おもっていた。
なぜなら、それは「い訳いわけ」「弁解べんかい」に直結ちょっけつするからだ。
プロがプロたる所以ゆえんは「結果けっかを出だす」という事ことに尽つきる。
「結果けっかが出だせない」者しゃはプロとは言いえない。そこに「い訳いわけ」「弁解べんかい」は許ゆるされない。
野球やきゅう選手せんしゅならば、結果けっかとは勝かち星ぼしであったり、打率だりつ、ホームランの「数字すうじ」で現あらわれる。役者やくしゃならば、舞台ぶたいを最後さいごまで演えんじきり、そして観客かんきゃくを感動かんどうさせる事こと。
「お金かねを払はらってでも、この人ひとの演技えんぎを見みたい」と、客きゃくを呼よんでこれる人ひと。下賎げせんない方いかただが、「銭ぜにが取とれてこそ」プロの役者やくしゃなのである。
そこにい訳いわけは通用つうようしない。舞台ぶたいでしくじった、セリフを忘わすれた、体調たいちょう不良ふりょう、または怪我けがで公演こうえんに穴あなを空あけたりしたら……。
「でも、私わたしは私わたしなりに頑張がんばったんです！！」という言葉ことばが、もし、許ゆるされてしまうのならば、それは本人ほんにんと観客かんきゃくが「しょせん、アマチュアだから」と認みとめてしまっていることに他たならない。（ちなみに、その最もっとも顕著けんちょな例れいがAKBグループという、”ビジネスモデル”である。少女しょうじょたちが頑張がんばっている舞台裏ぶたいうらの様子ようす、メイキングこそ、実じつに美味おいしい「商品しょうひん価値かち」がある事ことを見出みいだした秋元あきもと康やすし氏しの先見せんけんの明あかりには、その部分ぶぶんについて頭あたまがさがる）
仲代なかだい達矢たつや氏しは、本ほん作さくにおいて「頑張がんばっている」舞台裏ぶたいうらの自分じぶん、素もとの姿すがたを、まさに晒さらしけ出だした。
なぜ、それが映像えいぞう化かできたのだろう？
そこには当然とうぜん、本ほん作さくの監督かんとくとの、篤あつい信頼しんらい関係かんけいが築きずけたからだろう。
そして何なにより、
「自分じぶんは老おいたのだ」
という重おもい現実げんじつを、仲代なかだい達矢たつや氏しは感かんじているのだ。
だから今いままで、おおっぴらには見みせなかった、舞台ぶたい製作せいさくの裏側うらがわ、その隅々すみずみまで、演劇えんげき人じんとしての魂たましいを、後世こうせいに伝つたえたい、残のこしておきたい、そう思おもったのだろう。
実際じっさい、仲代なかだい氏しは持病じびょうの喘息ぜんそくがあり、稽古けいこ中ちゅうも酸素さんそ吸入きゅうにゅうのチューブをつけているのだ。
老おいた自分じぶんに鞭打むちうってでも、次つぎの世代せだい、次つぎの演劇えんげき人じんを育そだてていきたい、その切実せつじつな思おもいが伝つたわってくる。
本ほん作さくは仲代なかだい達矢たつや氏しが惚ほれ込こんでいる演劇えんげき作品さくひん「授業じゅぎょう」。
その製作せいさく過程かていを丹念たんねんに記録きろくしてゆく。
この「授業じゅぎょう」という舞台ぶたいは、仲代なかだい氏しが奥様おくさま、宮崎みやざき恭子きょうこさんと共ともに、フランスで鑑賞かんしょうし、大変たいへん感銘かんめいを受うけた、思おもい入いれのある作品さくひんであるそうだ。
その奥様おくさまは１９９６年ねんに亡なくなられていた事ことは、うかつにも私わたしは知しらなかった。
もともと「無名むめい塾じゅく」という、俳優はいゆう養成ようせいの私塾しじゅくを作つくろう、と言いい出だしたのは、奥様おくさま、恭子きょうこさんであったという。
本ほん作さくの後半こうはん、この無名むめい塾じゅくのオーディション映像えいぞうが記録きろくされる。入塾にゅうじゅくを希望きぼうする若者わかものたちを前まえに仲代なかだい氏しは言いう。
「ここに入はいったら、三さん年間ねんかんは演劇えんげき漬づけ、舞台ぶたい漬づけになってもらいます」
そして「プロの俳優はいゆう」としてやってゆけるよう、俳優はいゆう・役者やくしゃの「技能ぎのう・技術ぎじゅつ」を身みにつけてゆくのである。
仲代なかだい氏しは「技わざ」（わざ）という言葉ことばにこだわる。それこそ、大工だいくさんや料理人りょうりにんとしての「職人しょくにん技わざ」を身みにつけるように、俳優はいゆうも演技えんぎの「職人しょくにん技わざ」「テクニック」を身みにつける必要ひつようがあると、仲代なかだい氏しは考かんがえる。「無名むめい塾じゅく」で演技えんぎの基礎きそ、舞台ぶたい芸術げいじゅつの基礎きそをしっかり身みにつければ、世よの中なかに一人ひとりで役者やくしゃ人生じんせいを漕こぎ出だす折おりに、その後押あとおしになるのではないか、そういう親心おやごころを感かんじるのである。
どんな「芸事げいごと」も、やはり「基礎きそ・基本きほん」がしっかりしているからこそ、応用おうようが利きくのである。世界せかい的てき指揮しき者しゃの小澤おざわ征爾せいじ氏しがいい例れいである。小澤おざわ氏しは師匠ししょうである斎藤さいとう秀雄ひでお氏しから「お前まえは日本にっぽんで生うまれたのだから、世界せかいで勝負しょうぶするのなら、まず、徹底的てっていてきに基本きほんを身みにつけろ」と言いわれ、音楽おんがく、指揮しき法ほうの研鑽けんさんを重かさねた。そしてヨーロッパに渡わたり、指揮しき者しゃコンクールで優勝ゆうしょうし、その突出とっしゅつした才能さいのうが、カラヤンやバーンスタインという、音楽おんがく界かいの「雲くもの上うえの人ひとたち」から認みとめられ、愛弟子まなでしとなってゆくのである。
芸術げいじゅつの高たかみを目指めざすのであれば、相当そうとうな覚悟かくごがいる。才能さいのうなど持もっていて当あたり前まえだし、その上うえで、豊富ほうふな練習れんしゅう量りょうと、向上こうじょう意欲いよく、さらには「運うん」も必要ひつようだ。
その道みちでスターとなる、脚光きゃっこうをあびる人間にんげんには「運うん」が欠かかせないのだ。
これら総合そうごう的てきな「人間にんげん力りょく」を磨みがく事ことによって現あらわれてくるのが、世間せけん一般いっぱんの人ひとが言いう、いわゆる「オーラ」に他たならない。
仲代なかだい達矢たつや氏しは、舞台ぶたいに登場とうじょうする、ただそれだけで、観客かんきゃくから、どよめきと拍手はくしゅが起おきる。
紛まぎれもない、その「オーラ」が生うまれる秘密ひみつは、映画えいが冒頭ぼうとう、丹念たんねんに、たんねんに、台本だいほんを書かき写うつす、その努力どりょくの日々ひび、一いち日にち、いちにち、にあるのだ、と気付きづかされるのである。