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ストーリー・オブ・マイ・ワイフ : 映画評論・批評 - 映画.com

劇場げきじょう公開こうかい 2022ねん8がつ12にち

  • 予告編よこくへん

ストーリー・オブ・マイ・ワイフ : 映画えいが評論ひょうろん批評ひひょう

2022ねん8がつ9にち更新こうしん

2022ねん8がつ12にちより新宿しんじゅくピカデリー、シネスイッチ銀座ぎんざ、ユーロスペースほかにてロードショー

あまりに高価こうか代償だいしょういる、人生じんせい残酷ざんこくなレッスン

ハンガリーの作家さっかミラン・フストによる原作げんさくは、あるしゅとても自虐じぎゃくてきおとこ物語ものがたりえる。うで自信じしんのある船長せんちょうが、自分じぶんとはまったく相容あいいれない世界せかい女性じょせいつまにし、なん自尊心じそんしんくだかれ、それでも彼女かのじょあいするがゆえにつづける。男性だんせい観客かんきゃく目線めせんからすればれがたい侮辱ぶじょく女性じょせい立場たちばからても、なぜそこまでしてふたりは一緒いっしょにいるのか、とくびかしげたくなる。

だが、ほんさくをたんに悲恋ひれん物語ものがたりとしてではなく、おもどおりにならない人生じんせいのメタファーとしてると、納得なっとくしやすいにちがいない。そもそも主人公しゅじんこうヤコブの単純たんじゅん明快めいかいなキャラクターや、瞬時しゅんじにふたりが結婚けっこんめる筋立すじだ自体じたい寓話ぐうわてきだ。イルディコー・エニェディ監督かんとく(「わたしの20世紀せいき」「しんからだ」)はこの原作げんさく映画えいがするにあたって、ななつのしょうだての構成こうせいにし、教訓きょうくんたんのような普遍ふへんせいたせている。

ときは1920ねん、マルタ共和きょうわこくなが航海こうかい体調たいちょうがすぐれない船長せんちょうのヤコブ(ハイス・ナバー)は、「つまをもつといい」という仲間なかまのアドバイスをき、りくもどったとたん、カフェで「最初さいしょはいってきた女性じょせい」に求婚きゅうこんする。洗練せんれんされ、ミステリアスなフランスじん女性じょせいリジー(レア・セドゥ)は、なにやらわか男性だんせいめていたようだったが、ヤコブの言葉ことばれ、すぐにふたりの結婚けっこん生活せいかつはじまる。やがてヤコブは、つま自分じぶん裏切うらぎっているのではないかという疑念ぎねんかれていく。

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マルタからパリ、ハンブルグと移動いどうしながら展開てんかいするふたりのことなる世界せかい気持きもちのすれちがいを、エニェディは緻密ちみつ照明しょうめい設計せっけい官能かんのうてき映像えいぞう、それぞれのまち個性こせいかも美術びじゅつセットを駆使くしして表現ひょうげんする一方いっぽう、ひりひりするような心理しんりてき演出えんしゅつにおいても際立きわだたせる。

たとえば、ついにいかりを爆発ばくはつさせるヤコブと、それをややかにめ、なおさらかれ気持きもちをあやつろうとするリジーとの対峙たいじのシーンは秀逸しゅういつだ。いかりではひと気持きもちをうごかせないことをしめすかのように、リジーは机上きじょうにあるインクのびんをゆっくりとえんほううごかし、言葉ことばうしなったヤコブのまえでそれをわざとゆかにぶちまけてみせる。

リジーにふんするセドゥの複雑ふくざつかげをたたえた眼差まなざし、一見いっけんしょう動物どうぶつのように防御ぼうぎょ必要ひつようとするような存在そんざいかんが、このがたいキャラクターを「ファム・ファタル」というもんがたからすくっている。

うみおとこあらし自然しぜん脅威きょうい対処たいしょできても、りく人間にんげん世界せかいおきてはわからない。かれにとってリジーは自分じぶんともっともとおいものの象徴しょうちょうであり、その世界せかいあしれたが最後さいご無傷むきずではもどれないのだ。

かれはリジーとついにてなかった架空かくう息子むすこかたりかけるようにう。「人生じんせいじゃれにちた変化へんか連続れんぞくにすぎない。この永遠えいえんつづつらなりにをゆだね、感謝かんしゃすること。かつてのわたしのようにさからってはならない」

人生じんせいのレッスンの代償だいしょうはあまりに高価こうかであることを、ほんさく残酷ざんこくなほどにしめしている。

佐藤さとうひさ理子さとこ

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