自閉症 じへいしょう を抱 かか える息子 むすこ と母親 ははおや が社会 しゃかい の中 なか で生 い きていくさまを温 あたた かく描 えが き、さまざまな人間 にんげん が共存 きょうぞん する社会 しゃかい の在 あ り方 かた を問 と いかけた本 ほん 作 さく 。公開 こうかい 初日 しょにち は、メイン館 かん となるシネスイッチ銀座 ぎんざ の初回 しょかい に約 やく 200人 にん が劇場 げきじょう 前 まえ に並 なら び、長蛇 ちょうだ の列 れつ ができるほどの盛況 せいきょう ぶり。その後 ご も口 くち コミが広 ひろ がり、当初 とうしょ よりも公開 こうかい 規模 きぼ が拡大 かくだい 。現在 げんざい では119スクリーンで公開 こうかい 中 ちゅう だが、今後 こんご もさらなるロングランヒットが期待 きたい されている。
大勢 おおぜい の観客 かんきゃく で埋 う まった場内 じょうない を見渡 みわた した加賀 かが は「実 じつ はご覧 らん になったお客 きゃく さまの前 まえ でこうやってご挨拶 あいさつ するのが初 はじ めてで。すごく恥 は ずかしくて、緊張 きんちょう しております」と感極 かんきわ まった様子 ようす で、「今日 きょう はこの映画 えいが を観 み るためにお時間 じかん をさいてくださったことを感謝 かんしゃ しております」と謝意 しゃい 。続 つづ いて塚地 つかじ が「映画 えいが はいかがだったでしょうか?」と尋 たず ねると、会場 かいじょう からは万雷 ばんらい の拍手 はくしゅ 。その様子 ようす を見 み た塚地 つかじ は「本当 ほんとう に小 ちい さな、小 ちい さな作品 さくひん だったのが、皆 みな さんの口 くち コミのおかげで広 ひろ がっていきました」と語 かた りかけた。
また周囲 しゅうい の反響 はんきょう については「意外 いがい の連続 れんぞく だった」と振 ふ り返 かえ る加賀 かが は、「普段 ふだん 、あまりお付 つ き合 あ いのないお友 とも だちや監督 かんとく などから突然 とつぜん LINEやメールをいただいて。本当 ほんとう にビックリの連続 れんぞく 。今 いま までの人生 じんせい で褒 ほ められることがないので、毎日 まいにち 驚 おどろ いています」としみじみ。塚地 つかじ も三重 みえ 県 けん でロケをした際 さい に、地元 じもと の喫茶店 きっさてん でトイレを借 か りたことがあったというが、「そこのママさんに『あんた梅 うめ の? 梅 うめ の人 ひと よね。テレビで観 み て、映画 えいが 館 かん に行 い きたいと思 おも っていたのよ。(旦那 だんな さんに)お父 とう さん! ほら、加賀 かが まりこ さんの息子 むすこ さんよ!』と言 い われて。ちょっと違 ちが うけど、どうやら加賀 かが さんの息子 むすこ さんだと思 おも われていたようです」とのことで、その反響 はんきょう をじかに感 かん じ取 と っているという。
「こうなったら47都道府県 とどうふけん 、全部 ぜんぶ 行 い きたいよね」と意欲 いよく を見 み せた加賀 かが に、「いいですね」と同意 どうい した塚地 つかじ 。「実 じつ はまだ上映 じょうえい されていない地域 ちいき が秋田 あきた 県 けん と高知 こうち 県 けん らしいんですよ。で、秋田 あきた 県 けん はもちろんのこと、私 わたし 、高知 こうち 県 けん の観光 かんこう 特使 とくし をやっておりまして。なのになぜ? わたしの一族 いちぞく も住 す んでおりますし。ということで、ぜひ高知 こうち でもやっていただきたいなと思 おも っております」とその思 おも いを訴 うった えかけ、会場 かいじょう を沸 わ かせるひと幕 まく もあった。
親子 おやこ の愛情 あいじょう を描 えが き出 だ した本 ほん 作 さく は、“生 う まれてきてくれて、ありがとう”という思 おも いを描 えが き出 だ している。そこで「生 う まれてきてくれてありがとう、という感謝 かんしゃ の言葉 ことば を伝 つた えたい人 ひと は?」という質問 しつもん を受 う けた塚地 つかじ は、ちょうど11月25日 にち で50歳 さい の誕生 たんじょう 日 び を迎 むか えたことを受 う けて、「まさに(主人公 しゅじんこう の)忠 ただし さんと同 おな じ年 ねん になりました。だから母 はは ですね。父 ちち も他界 たかい して、映画 えいが にオーバーラップする自分 じぶん もいますし、母 はは もこの映画 えいが を観 み て泣 な いたらしくて。そういった作品 さくひん に50歳 さい の年 とし にめぐり会 あ えて。自分 じぶん の母 はは に観 み てもらえるのは何 なに かの縁 えん だなと。あとはついでに相方 あいかた ですかね」と笑 わら いながら答 こた えた。
続 つづ く和島 わしま 監督 かんとく は「この映画 えいが のシナリオを書 か いている途中 とちゅう にコロナになって。どんどん人 ひと との距離 きょり が広 ひろ がっていったんですが、自分 じぶん はありがたいことにこの映画 えいが を作 つく る機会 きかい をいただいたので。スタッフや出演 しゅつえん 者 しゃ の皆 みな さんとの絆 きずな を作 つく ることができて。人 ひと とかかわることができました。この映画 えいが が生 う まれてきてくれたことに感謝 かんしゃ ですね」と話 はな した。
そして最後 さいご に加賀 かが が「もちろん、いろんな方 ほう に生 う まれてきてくれてありがとうございますですが、この映画 えいが に関 かん して言 い うと、わたしの連 つ れ合 あ いですね」と明 あ かす。「監督 かんとく からこの映画 えいが の台本 だいほん をいただいて、やるべきかどうか考 かんが えました。わたしの連 つ れ合 あ いには自閉症 じへいしょう の息子 むすこ がいるんですが、その彼 かれ に『もしかしてわたしがこういう映画 えいが に出 で るのは、あなたは嫌 いや じゃない?』と聞 き いたら、『この映画 えいが は自閉症 じへいしょう の子 こ どもを意地悪 いじわる な目 め で見 み る映画 えいが じゃないし、むしろ生 う まれてきてくれてありがとうという感覚 かんかく で作 つく る映画 えいが だから。ぜひやった方 ほう がいい』と言 い ってくれた」とその決意 けつい の後 うし ろ盾 たて となったパートナーについて語 かた る。
そしてさらに加賀 かが は「でもこの映画 えいが の撮影 さつえい は2週間 しゅうかん で。『それでこれだけの量 りょう を撮影 さつえい しないといけないのよ』と言 い ったら、連 つ れ合 あ いが『じゃあその2週間 しゅうかん の間 あいだ 、僕 ぼく があなたを支 ささ えるから。現場 げんば に行 い ってあげるよ』と。男 おとこ としていろいろなことがあったと思 おも いますが、それを乗 の り越 こ えて、毎日 まいにち 付 つ き添 そ ってくれました」と撮影 さつえい の日々 ひび をパートナーに支 ささ えられたと明 あ かす。そして最後 さいご に「心 しん から感謝 かんしゃ しています。連 つ れ合 あ いに生 う まれてきてくれてありがとうと言 い いたいです」と感謝 かんしゃ の念 ねん をにじませた。会場 かいじょう からは大 おお きな拍手 はくしゅ が送 おく られた。(PR)
(C)2021「梅 うめ 切 き らぬバカ」フィルムプロジェクト