※今回 こんかい のコラムは本 ほん 作 さく のネタバレとなる記述 きじゅつ があります。未見 みけん の方 ほう は、ご注意 ちゅうい ください。
ドキュメンタリー映画 えいが 「パトリシア・ハイスミスに恋 こい して 」を観 み ました。今 いま よりはるかに同性愛 どうせいあい が差別 さべつ されていた時代 じだい 、才能 さいのう あるレズビアンの作家 さっか が、なぜ「その人 ひと 」になり、どう生 い き、どんな小説 しょうせつ を書 か き、どんな相手 あいて とどんな恋愛 れんあい をしたかが語 かた られます。
パトリシア・ハイスミス (1921~1995)は人殺 ひとごろ しの話 はなし や恐 おそ ろしい話 はなし 、おもしろくて不気味 ぶきみ な話 はなし や悲 かな しい話 はなし をたくさん書 か き、その長篇 ちょうへん のほとんどが映画 えいが になり、何 なん 本 ほん かは映画 えいが 史 し に残 のこ る傑作 けっさく になったそうです。彼女 かのじょ の人生 じんせい について少 すこ しだけ知 し った僕 ぼく は、それらの映画 えいが にも興味 きょうみ がわき、配信 はいしん で「見知 みし らぬ乗客 じょうきゃく 」と「リプリー 」を観 み て、「太陽 たいよう がいっぱい 」と「キャロル 」も観 み かえしました。
パトリシアは産 う まれたとき、産 う みの母 はは から望 のぞ まれなかった子 こ でした。テキサスの祖父母 そふぼ の家 いえ で育 そだ てられ、6歳 さい になってニューヨークにいた母 はは にやっと引 ひ き取 と られます。
「見知 みし らぬ乗客 じょうきゃく 」 写真 しゃしん 提供 ていきょう :アマナイメージズ成人 せいじん して漫画 まんが の編集 へんしゅう や原作 げんさく の仕事 しごと をしていましたが、29歳 さい で発表 はっぴょう した長篇 ちょうへん 小説 しょうせつ 第 だい 一 いち 作 さく 「見知 みし らぬ乗客 じょうきゃく 」が、アルフレッド・ヒッチコック の目 め にとまり1951年 ねん に映画 えいが 化 か 。これは巨匠 きょしょう のモノクロ時代 じだい の代表 だいひょう 作 さく の一本 いっぽん になったとのこと。
主人公 しゅじんこう は長距離 ちょうきょり 移動 いどう の列車 れっしゃ に乗 の っていて、たまたま隣 となり の席 せき に座 すわ った見 み ず知 し らずの変 へん な男 おとこ から話 はな しかけられます。「あなた、奥 おく さんに死 し んでほしいって思 おも ってるでしょ」 図星 ずぼし でした。主人公 しゅじんこう の妻 つま は、ひどい女 おんな だったのです。
変 へん な男 おとこ はふつうの顔 かお で続 つづ けます。「じつは僕 ぼく は父 ちち に死 し んでほしいんですよ。あなたの奥 おく さんを僕 ぼく が殺 ころ しますから、あなた僕 ぼく の父 ちち を殺 ころ しませんか」 主人公 しゅじんこう は冗談 じょうだん だろうと思 おも って列車 れっしゃ を降 お りますが、やがて妻 つま が本当 ほんとう に殺 ころ されてしまう。そして変 へん な男 おとこ は主人公 しゅじんこう に、つきまとい始 はじ めます。「早 はや く父 ちち を殺 ころ してください。約束 やくそく は守 まも ってくださいね」そんな約束 やくそく 、した覚 おぼ えはねぇよ……。
ヒッチコック監督 かんとく はサスペンス映画 えいが のセオリーをいくつも発明 はつめい した偉大 いだい な職人 しょくにん ですが、「見知 みし らぬ乗客 じょうきゃく 」はパトリシアの原作 げんさく のアイデアというかプロットがすごいのだと思 おも います。僕 ぼく が特 とく におもしろかったのは、交換 こうかん 殺人 さつじん をもちかける男 おとこ の存在 そんざい 感 かん です。彼 かれ は主人公 しゅじんこう の心 しん の中 なか にある、消 け してしまいたい「悪 あく 」が実体 じったい 化 か した姿 すがた なのでしょう。
パトリシアはニューヨークのアンダーグラウンドなレズビアン・バーで遊 あそ び、有名 ゆうめい になってからはヨーロッパのあちこちにも住 す んで、たくさんの女性 じょせい と恋 こい をします。
同棲 どうせい していたある女性 じょせい 作家 さっか は語 かた ります。「あの子 こ は綺麗 きれい だったのに自信 じしん がなくて、作家 さっか として成功 せいこう してるのに自分 じぶん を特別 とくべつ な存在 そんざい だとは思 おも ってなかった。そこが好 す きだった」 そして、こうも語 かた ります。「あの子 こ は執筆 しっぴつ するとき朝 あさ からお酒 さけ を飲 の んでいた。けっきょく一緒 いっしょ に暮 く らしていくことはできなかった」
「太陽 たいよう がいっぱい」 (C)1960 STUDIOCANAL - Titanus S.P.A all rights reserved 34歳 さい のとき(1955年 ねん )に書 か いた長篇 ちょうへん 小説 しょうせつ 『才能 さいのう があるリプリー 氏 し 』を、ルネ・クレマン 監督 かんとく が1960年 ねん に撮 と って世界中 せかいじゅう で大 だい ヒットしたのが「太陽 たいよう がいっぱい 」です。アラン・ドロン 演 えん じる貧乏 びんぼう な若者 わかもの リプリー は、大金持 おおがねも ちのドラ息子 むすこ の友 とも だちというかコバンザメというか使 つか いっ走 はし りをしてたんですが、金持 かねも ち息子 むすこ を殺害 さつがい し、いろんな嘘 うそ をつきまくって容疑 ようぎ を逃 のが れるどころか被害 ひがい 者 しゃ の境遇 きょうぐう をそっくりいただきます。
タイトル通 どお りのギラギラした自然 しぜん 光 こう と若 わか いアラン・ドロン がどこからどう見 み ても美 うつく しく、昔 むかし の洋画 ようが ベスト100みたいなのに必 かなら ず入 はい る名作 めいさく です。日本 にっぽん でも大 だい ヒットしたそうなので、いま70~80代 だい になられた当時 とうじ のギャルたちが、悪人 あくにん を演 えん じたドロンの美貌 びぼう にきゃあきゃあ言 い ったのでしょう。
ただ、1999年 ねん にマット・デイモン 主演 しゅえん で同 おな じ原作 げんさく を再 さい 映画 えいが 化 か した「リプリー 」を観 み た僕 ぼく は、「太陽 たいよう がいっぱい 」を少々 しょうしょう ものたりなく感 かん じました。絶世 ぜっせい の美男 びなん 子 こ ドロンだから仕方 しかた ないんですが、リプリー が最初 さいしょ からイケメンすぎるんですよ。「リプリー 」のリプリー はブサイクです。そしてイケメン金持 かねも ちの友 とも だちを殺 ころ した瞬間 しゅんかん からどんどんイケメンになっていくんです。つまり、とても不気味 ぶきみ です。
「パトリシア・ハイスミスに恋 こい して 」で使 つか われた過去 かこ のインタビューで、パトリシアは「子 こ どものころから頭 あたま の中 なか に、不気味 ぶきみ なアイデアはたくさんあった」と語 かた ります。そして「私 わたし は人 ひと を愛 あい することができない人間 にんげん なのかもしれない」とも。
「見知 みし らぬ乗客 じょうきゃく 」が心 しん の中 なか の悪 あく から生 う まれた主人公 しゅじんこう の分身 ぶんしん だったのなら、「太陽 たいよう がいっぱい 」は立場 たちば が入 い れ替 か わる物語 ものがたり で、「リプリー 」はそれに加 くわ えて変身 へんしん の物語 ものがたり です。もう一人 ひとり の自分 じぶん も入 い れ替 か わりも変身 へんしん も、同性愛 どうせいあい 的 てき なモチーフです。「見知 みし らぬ乗客 じょうきゃく 」の変 へん な男 おとこ は主人公 しゅじんこう の妻 つま を殺 ころ し、主人公 しゅじんこう に自分 じぶん の父 ちち を殺 ころ させるべく粘着 ねんちゃく しながら、ふと「僕 ぼく は君 きみ に好意 こうい をもっている」と言 い います。
「太陽 たいよう がいっぱい 」にはそういう場面 ばめん はありません。日本 にっぽん で公開 こうかい されたとき淀川 よどがわ 長治 ながはる さんただ一人 ひとり が「これは同性愛 どうせいあい の映画 えいが ですよ。そういうことがわからない人 ひと には、この映画 えいが の本当 ほんとう の面白 おもしろ さはわかりません」と言 い いましたが、その意見 いけん はほとんどの人 ひと から無視 むし されたんだそうです。日本 にっぽん で原作 げんさく 者 しゃ パトリシアの性 せい 指向 しこう のことも知 し られてなかったでしょう。
一方 いっぽう マット・デイモン のリプリー は、金持 かねも ちの友 とも だち(ジュード・ロウ 。ドロンに負 ま けないイケメン)をめっちゃ性的 せいてき な目 め で眺 なが めます。恋 こい とは「あの人 ひと そのものになりたい」感情 かんじょう だという描写 びょうしゃ を僕 ぼく はリアルだなあと思 おも うんですが、その「リプリー 」も20年 ねん 前 まえ の映画 えいが です。いまのハリウッドだとポリコレの自主 じしゅ 規制 きせい があるからね、殺人 さつじん 動機 どうき と不気味 ぶきみ さの裏側 うらがわ に同性 どうせい への性 せい の欲望 よくぼう があるというのは、差別 さべつ 的 てき だとされて撮 と りにくいかもしれません。
「見知 みし らぬ乗客 じょうきゃく 」の変 へん な男 おとこ はサイコパス味 あじ のひとつとして主人公 しゅじんこう に一目惚 ひとめぼ れして執着 しゅうちゃく するわけで、その時代 じだい のメジャーな映画 えいが では、同性愛 どうせいあい 者 しゃ っぽい狂的 きょうてき な悪役 あくやく や犯人 はんにん というキャラクター類型 るいけい は常識 じょうしき だったのでしょう。逆 ぎゃく に「太陽 たいよう がいっぱい 」でゲイ表現 ひょうげん が隠 かく されてしまったのだとすれば、それもその時代 じだい の常識 じょうしき 的 てき な判断 はんだん だったのかもしれません。リプリー は悪人 あくにん とはいえ、売 う り出 だ し中 ちゅう のスターが演 えん じる主人公 しゅじんこう ですから。
それらは差別 さべつ の上 うえ になりたってる「常識 じょうしき 」です。常識 じょうしき というのは時代 じだい の感性 かんせい で変 か わるものです。
「キャロル 」は人妻 ひとづま と、彼氏 かれし がいる若 わか い女 おんな とが一目惚 ひとめぼ れから女 おんな 同士 どうし の不倫 ふりん の恋 こい をし、それぞれの人生 じんせい をかけて愛 あい しあう物語 ものがたり です。パトリシアの没後 ぼつご 20年 ねん たって2015年 ねん やっと映画 えいが 化 か されました。じつは原作 げんさく は『見知 みし らぬ乗客 じょうきゃく 』より前 まえ に書 か かれていたのです。これをパトリシアは人気 にんき 作家 さっか になってから(1952年 ねん )別 べつ のペンネームで覆面 ふくめん 作家 さっか として発表 はっぴょう してます。
「キャロル」 (C)NUMBER 9 FILMS (CAROL) LIMITED / CHANNEL FOUR TELEVISION CORPORATION 2014 ALL RIGHTS RESERVED つまり当時 とうじ は、同性愛 どうせいあい であることをいちおう世間 せけん には隠 かく して生 い きてる女性 じょせい が、ゲイっぽい男 おとこ が人 ひと を殺 ころ すサスペンスを書 か くのは許 ゆる されても、レズビアンの愛 あい (そして、女 おんな が男性 だんせい 社会 しゃかい を裏切 うらぎ って自分 じぶん の人生 じんせい を生 い きて、幸 しあわ せになること)を堂々 どうどう と書 か くのは許 ゆる されなかったのでしょう。映画 えいが 「パトリシア・ハイスミスに恋 こい して 」の中 なか でパトリシアの元 もと 恋人 こいびと は、それは家族 かぞく への配慮 はいりょ もあったのだろうと想像 そうぞう します。パトリシアが6歳 さい まで育 そだ ったテキサスの家 いえ は田舎 いなか で、親戚 しんせき たちはみなガチガチの保守 ほしゅ 派 は なのでした。
ところが、この謎 なぞ の作家 さっか が書 か いたレズビアン小説 しょうせつ が、映画 えいが 化 か されまくってたパトリシア・ハイスミス 著 ちょ のサスペンスのベストセラーと同 おな じくらい(それ以上 いじょう に?)売 う れてしまう。そういう小説 しょうせつ を読 よ みたかった人 ひと が当時 とうじ も山 やま のようにいたのです。そしてそういう小説 しょうせつ は他 た になかった。パトリシアが書 か くものは、どうやって発表 はっぴょう したって多 おお くの人 ひと の心 しん をつかんでしまったにちがいありません。
パトリシアの元 もと 恋人 こいびと は「パットの母親 ははおや は、ひどい女 おんな だった」と証言 しょうげん します。パトリシア自身 じしん は「私 わたし は母 はは が大好 だいす きだった」と語 かた りますが、6歳 さい 以降 いこう ずっとその母 はは から否定 ひてい されて生 い きてきたことも語 かた ります。
(C)CourtesyFamilyArchives いっしょに暮 く らせなかった幼児 ようじ 期 き に希求 ききゅう していた、大好 だいす きな母 はは という存在 そんざい から「おまえは女 おんな として、まともじゃない」「まともになりなさい」と言 い われる。思春期 ししゅんき になっても、そう言 い われ続 つづ ける。でも「まとも」ってなんだろう。異性 いせい を好 す きになることだろうか。大好 だいす きな母 かあ さんが命令 めいれい するようにスカート履 は いて女 おんな の子 こ っぽいしぐさをして男 おとこ とデートすることだろうか。でも私 わたし の欲望 よくぼう はそれをこばむ。私 わたし はまともじゃないのだろうか。
「見知 みし らぬ乗客 じょうきゃく 」や『才能 さいのう があるリプリー 氏 し 』は男 おとこ と男 おとこ の血 ち なまぐさい話 はなし で、女 おんな は脇役 わきやく です(道具 どうぐ のように、殺 ころ されたり当 あ て馬 うま に使 つか われたりします)。「キャロル 」は女 おんな と女 おんな が愛 あい しあう話 はなし で、女 おんな たちは人殺 ひとごろ しはしません。でも僕 ぼく は「パトリシア・ハイスミスに恋 こい して 」を観 み て、パトリシアの人生 じんせい を少 すこ しだけ知 し って、前者 ぜんしゃ と後者 こうしゃ が全然 ぜんぜん ちがう物語 ものがたり だとは思 おも えなくなったのです。
▼ロマンスとは「まともじゃなく生 い きる」ということ
パトリシア・ハイスミス は「まともって何 なに だろう?」と問 と い続 つづ けた作家 さっか なのだと思 おも います。「キャロル 」の女 おんな たちも、リプリー も「見知 みし らぬ乗客 じょうきゃく 」の犯人 はんにん も、みんな同 おな じようにパトリシアが変身 へんしん した姿 すがた です。もしかしたらパトリシアがそう生 い きたかもしれない人生 じんせい を、フィクションの中 なか で替 か わりに生 い きてくれる分身 ぶんしん です。
リプリー は人殺 ひとごろ しの才能 さいのう があったわけではありません。「太陽 たいよう がいっぱい 」でも「リプリー 」でも殺人 さつじん は衝動 しょうどう 的 てき だし不器用 ぶきよう です。ただ彼 かれ は、人 ひと を殺 ころ したり嘘 うそ をついたりした後 のち に「悪 わる いことをしてしまった……」とクヨクヨ落 お ち込 こ む罪悪 ざいあく 感 かん や道徳心 どうとくしん が決定的 けっていてき に欠如 けつじょ している。その「欠 か けている」ということこそがリプリー の「才能 さいのう 」です。自分 じぶん の真摯 しんし な欲望 よくぼう のための悪 あく を悪 あく だと思 おも わない才能 さいのう 、なぜ「まともじゃないこと」をしたら「いけない」のかが本当 ほんとう にわからないという才能 さいのう なのです。
現代 げんだい のリベラルな人 ひと たちの間 あいだ では、もう同性愛 どうせいあい は「してはいけないこと」ではありません。しかし「キャロル 」の原作 げんさく が書 か かれた時代 じだい には、殺人 さつじん と同 おな じぐらい「まともじゃないこと」でした。ばれたら病院 びょういん に入 い れられたりしていました。保守 ほしゅ 的 てき な田舎 いなか では同性愛 どうせいあい 者 しゃ はリンチされて殺 ころ されたりすることもあったわけですから、殺人 さつじん より悪 わる いことだったのでしょう。
(C)CourtesyFamilyArchives 殺人 さつじん をしてクヨクヨしないのは、平和 へいわ な社会 しゃかい では「まともじゃない」のでしょうけれど、ずっと戦争 せんそう をしている社会 しゃかい ではどうでしょう。常識 じょうしき というのは時代 じだい によって社会 しゃかい によって変 か わるものなのです(もちろん、本当 ほんとう の戦争 せんそう での殺人 さつじん は命令 めいれい されてお国 くに のために殺 ころ すのですからダメな殺人 さつじん だと僕 ぼく は思 おも います。フィクションである、リプリー のアナーキーな「クヨクヨしなさ」とは全然 ぜんぜん ちがいます)。
「キャロル 」は、異性愛者 いせいあいしゃ をもふくめた抑圧 よくあつ されてて苦 くる しんでいる現代 げんだい の平和 へいわ な社会 しゃかい の女性 じょせい たち全員 ぜんいん を、まちがいなくエンパワメントするすばらしい映画 えいが です。そして近年 きんねん 多 おお く製作 せいさく されてる結論 けつろん から逆算 ぎゃくさん して作 つく られたフェミニズム映画 えいが とは一味 いちみ ちがいます。それは原作 げんさく が「正 ただ しさ」を目指 めざ したわけではなく、理屈 りくつ っぽくないメロドラマとして、純粋 じゅんすい なロマンスとして書 か かれているからです。ロマンスとは「まともじゃなく生 い きる」ということなのです。
リプリー たち「異常 いじょう 者 しゃ 」の物語 ものがたり も一種 いっしゅ のロマンです。母 はは から傷 きず つけられ、恋人 こいびと と別 わか れるたびに、自分 じぶん は人 ひと を(レズビアン同士 どうし であっても)ちゃんと愛 あい することができない人間 にんげん なのではと悲 かな しんでいたパトリシア。しかし彼女 かのじょ はロマンスを書 か くことで、真摯 しんし に愛 あい することを選 えら べた「キャロル 」の女 おんな たちを創造 そうぞう し、不思議 ふしぎ な魅力 みりょく のあるリプリー という悪人 あくにん も創造 そうぞう したのです。
リプリー は死刑 しけい にならずに生 い き延 の び、パトリシアはその後 ご のリプリー がまたやらかす犯罪 はんざい 事件 じけん のことも創作 そうさく し続 つづ け、それらもまた映画 えいが 化 か され、デニス・ホッパー やジョン・マルコビッチ といった名優 めいゆう が中年 ちゅうねん 以降 いこう のリプリー を演 えん じました。
パトリシアは「キャロル 」の原作 げんさく を、1990年 ねん になって自分 じぶん が書 か いたとカミングアウトし、パトリシア・ハイスミス 名義 めいぎ で再 さい 出版 しゅっぱん します。亡 な くなる5年 ねん 前 まえ のことでした。
※
付記 ふき 「
キャロル 」については、
例 れい によって
拙著 せっちょ 『あなたの
恋 こい がでてくる
映画 えいが 』にも
長文 ちょうぶん を
書 か いてます。ぜひ、あわせてお
読 よ みください。