難 むずか しい専門 せんもん 用語 ようご は少 すく な目 め に、音 おと の調整 ちょうせい の仕事 しごと について、また一般 いっぱん の映画 えいが ファンがより良 よ い音 おと と環境 かんきょう で映画 えいが を楽 たの しむための秘訣 ひけつ や工夫 くふう をわかりやすく語 かた っていただくコーナーで、時 とき にはゲストとの対談 たいだん も。
今回 こんかい は、セイゲンさんと交流 こうりゅう のあった音楽家 おんがくか 、加藤 かとう 和彦 かずひこ さんのドキュメンタリー「トノバン 音楽家 おんがくか 加藤 かとう 和彦 かずひこ とその時代 じだい 」の公開 こうかい を記念 きねん し、「SUKITA 刻 きざ まれたアーティストたちの一瞬 いっしゅん 」(18)、「音響 おんきょう ハウス Melody-Go-Round 」(20)などを手掛 てが け、セイゲンさんと旧知 きゅうち の仲 なか であり、今 いま 作 さく 「トノバン」で音声 おんせい マスタリングをセイゲンさんに依頼 いらい した相原 あいはら 裕美 ひろみ 監督 かんとく との対談 たいだん をお届 とど けします。
卓越 たくえつ したセンスと才能 さいのう で現在 げんざい も多 おお くのミュージシャンのリスペクトされ続 つづ ける加藤 かとう 和彦 かずひこ さん(C)「トノバン」製作 せいさく 委員 いいん 会 かい 映画 えいが は、「帰 かえ って来 き たヨッパライ 」「あの素晴 すば らしい愛 あい をもう一度 いちど 」などで知 し られ、日本 にっぽん のポピュラー音楽 おんがく 史 し に残 のこ る数々 かずかず の名曲 めいきょく を生 う んだ加藤 かとう さんと、サディスティック・ミカ・バンドで活動 かつどう した高橋 たかはし 幸宏 ゆきひろ さんの加藤 かとう さんへの想 おも いから企画 きかく が立 た ち上 あ がり、日本 にっぽん 初 はつ のミリオンヒットを生 う んだザ・フォーク・クルセダーズ結成 けっせい 秘話 ひわ 、サディスティック・ミカ・バンドの海外 かいがい 公演 こうえん やレコーディング風景 ふうけい などを交 まじ え、生前 せいぜん の加藤 かとう さんをよく知 し る人々 ひとびと が思 おも い出 で を語 かた る貴重 きちょう 映像 えいぞう 、高野 たかの 寛 ひろし 、高田 たかだ 漣 さざなみ 、坂本 さかもと 美雨 みう らによって新 あら たにレコーディングされた「あの素晴 すばら しい愛 あい をもう一度 いちど ~2024Ver.」などを収録 しゅうろく したドキュメント。
1960年代 ねんだい から90年代 ねんだい 、日本 にっぽん の音楽 おんがく 史 し を変 か えた不世出 ふせいしゅつ の音楽家 おんがくか として知 し られる加藤 かとう さんは、70年代 ねんだい 後半 こうはん にはYMO結成 けっせい 前 まえ の若 わか き日 ひ の高橋 たかはし 幸宏 ゆきひろ さん、坂本 さかもと 龍一 りゅういち さんらを起用 きよう してアルバム制作 せいさく を行 おこな うなど、才能 さいのう あふれるミュージシャンを発掘 はっくつ する目利 めき きとしても名高 なだか い。そんな音楽 おんがく 史 し の後半 こうはん (1987~2009)を体験 たいけん してきたセイゲンさんと相原 あいはら 監督 かんとく が当時 とうじ を振 ふ り返 かえ りながら、加藤 かとう さんの思 おも い出 で を語 かた ります。
相原 あいはら 監督 かんとく (
以下 いか 相原 あいはら ):2019
年 ねん 製作 せいさく の「
音響 おんきょう ハウス Melody-Go-Round」に
幸宏 ゆきひろ さんが
出演 しゅつえん してくださって、
初号 しょごう 試写 ししゃ の
後 のち の
打 う ち
上 あ げ
時 じ に、
幸宏 ゆきひろ さんがいろんな
話 はなし の
中 なか で「
加藤 かとう 和彦 かずひこ さんはもっと
評価 ひょうか されてもいいんじゃないかな?」と
仰 おっしゃ って、それをなんとなく
思 おも い
出 だ したんです。
僕 ぼく ももともとは音楽 おんがく 業界 ぎょうかい で働 はたら いていたので、もちろん加藤 かとう さんのことを多少 たしょう は知 し っていましたが、それほど詳 くわ しくはなく、仕事 しごと もしたことはなくて。それでCDを買 か ったり、本 ほん を読 よ んだりして、すごい方 ほう だなあと改 あらた めて認識 にんしき しました。それで2020年 ねん の春 はる 頃 ごろ から映画 えいが にしようと考 かんが え、いろんな方々 かたがた に会 あ って話 はなし を聞 き いたり、紹介 しょうかい していただきました。
僕 ぼく は今 いま 64歳 さい で、小学生 しょうがくせい の頃 ころ 「帰 かえ って来 き たヨッパライ 」がラジオやテレビで流 なが れていました。そしてサディスティック・ミカ・バンドもリアルタイムで聞 き いて、20歳 さい 前後 ぜんこう ではヨーロッパ三 さん 部 ぶ 作 さく (『パパ・ヘミングウェイ』『うたかたのオペラ』『ベル エキセントリック』)もYMOとともに気 き になっていました。でも、すべて音楽 おんがく 的 てき に全 まった く違 ちが うので、加藤 かとう さんの具体 ぐたい 的 てき な人間像 にんげんぞう のイメージが当時 とうじ は湧 わ かなくて。この映画 えいが を撮 と り始 はじ めて、多面 ためん 的 てき な加藤 かとう 和彦 かずひこ という音楽家 おんがくか を知 し っていった感 かん じです。
セイゲンさんは加藤 かとう さんといろいろと仕事 しごと をされていたんですよね。
サディスティック・ミカ・バンド (C)「トノバン」製作 せいさく 委員 いいん 会 かい オノ セイゲン (
以下 いか オノ):
本人 ほんにん と
初 はじ めてお
会 あ いしたのは1987
年 ねん 秋 あき です。この
映画 えいが はそれ
以前 いぜん の
時代 じだい についてですね。
僕 ぼく がコム デ ギャルソンのショーに
急遽 きゅうきょ 1
曲 きょく 付 つ け
足 た すことになり、
偶然 ぐうぜん パリに
居 い た
ジョン・ルーリー (ラウンジ・リザースのリーダー、「
パリ・テキサス 」で
役者 やくしゃ )と
録音 ろくおん していた
時 とき でした。
加藤 かとう さんは
別 べつ の
大 おお きい
部屋 へや でストリングス(
弦楽 げんがく )のダビングをしていて、フランス
人 じん の
友人 ゆうじん がコーディネーターで
紹介 しょうかい してくれたのです。
加藤 かとう さんが
僕 ぼく なんかのことを
知 し っていてくれたのが、すごく
嬉 うれ しかったのを
覚 おぼ えています。
安井 やすい かずみさんとご
一緒 いっしょ でパリがよく
似合 にあ うご
夫妻 ふさい でした。
この映画 えいが のために資料 しりょう を整理 せいり していたら1993年 ねん にいただいたサイン入 い り全 ぜん CDの束 たば がありました。仕事 しごと をするようになったのは、2001年 ねん のある日 ひ 、加藤 かとう さんが紀ノ国屋 きのくにや のワインとチーズを持 も って、僕 ぼく のスタジオにふらっとやって来 き て「セイゲン、モスクワにキャビア食 ぐ いに行 い かない? マスタリングも録音 ろくおん もやってもらおうか」と、その仕事 しごと はモスクワ交響 こうきょう 楽団 がくだん とポリショイ歌劇 かげき 団 だん の厳選 げんせん メンバーによる80人 にん のオーケストラの一発 いっぱつ 録音 ろくおん で、市川 いちかわ 猿之助 えんのすけ (3代目 だいめ )さん総 そう 指揮 しき のスーパー歌舞伎 かぶき の音楽 おんがく でした。空港 くうこう からVIP待遇 たいぐう で税関 ぜいかん もノーチェックでそこから驚 おどろ きましたよ。そして2002年 ねん 「次 つぎ は、アコギのすごいやつがあるから、セイゲン頼 たの むぞ」って。それがザ・フォーク・クルセダーズの再 さい 結成 けっせい アルバム「戦争 せんそう と平和 へいわ 」の件 けん でした。
加藤 かとう 和彦 かずひこ さんのサインの入 はい ったアルバム「マルタの鷹 たか 」写真 しゃしん :オノセイゲン提供 ていきょう それまでは相原 あいはら 監督 かんとく と同 おな じく1リスナーです。この映画 えいが を通 つう じて加藤 かとう 和彦 かずひこ さんという天才 てんさい が広 ひろ く若 わか い人 ひと に知 し られたらいいな、と思 おも います。相原 あいはら 監督 かんとく の目線 めせん は新鮮 しんせん なんです。まったくの俯瞰 ふかん ですから。加藤 かとう さんって新 しん 発明 はつめい みたいなことを毎回 まいかい 試 ため していくアーティストで、スタイルがどんどん変 か わっていくのをうまくまとめましたね。
ベルリンは、70年代 ねんだい にデヴィッド・ボウイの「LOW」で有名 ゆうめい になった、ハンザ・トン・スタジオで録音 ろくおん していて、当時 とうじ 、西側 にしがわ のアーティストが一番 いちばん 行 い きたいスタジオだった。第 だい 2次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 後 ご のベルリンの壁 かべ の横 よこ にあってホール(今 いま はないらしい)は連合 れんごう 軍 ぐん の将校 しょうこう クラブだったのです。東側 ひがしがわ の体制 たいせい を感 かん じられるということで、多 おお くのミュージシャンがエッヂなものをつくるために通 とお ったのです。
相原 あいはら :もともとは
ブライアン・イーノ がベルリンに
住 す んでいたんだよね。
加藤 かとう さんはボウイのようなグラムロックに
惹 ひ かれてサディスティック・ミカ・バンドを
作 つく ったわけだから、「LOW」の
影響 えいきょう はあったのかもしれないね。
セイゲンさんがパリで加藤 かとう さんに会 あ ったときは、87年 ねん にリリースした「マルタの鷹 たか 」というアルバムのレコーディングで滞在 たいざい されていたようです。フランスのシャトースタジオは、田舎 いなか のスタジオで電圧 でんあつ も不安定 ふあんてい で、シャワーもお湯 ゆ が出 で ない、楽器 がっき も届 とど いてないという感 かん じだったみたいですね。「ポリス 」とかも使 つか っていたからいいだろうと思 おも ったらしいんですが、響 ひび きのために場所 ばしょ が広 ひろ くて大 おお きいだけで他 た は何 なに もないから設備 せつび の面 めん でえらい苦労 くろう したみたいです。
オノ:さすがドキュメンタリー監督 かんとく の調査 ちょうさ ・取材 しゅざい 力 りょく ! その後 ご シャトースタジオでミックスしたんですね、きっと。相原 あいはら 監督 かんとく の時代 じだい 考証 こうしょう と記録 きろく としてのレコードがトリガーとなって、これで87年 ねん の秋 あき のパリが見 み えた(笑)。
相原 あいはら :「
帰 かえ って来 き たヨッパライ」のようなフォーク、そしてサディスティック・ミカ・バンド、ヨーロッパ3
部 ぶ 作 さく 、
加藤 かとう さんの
音 おと の
作 つく り
方 かた の
変遷 へんせん でセイゲンさんは
気 き になったことはありますか?
ザ・フォーク・クルセダーズ (C)「トノバン」製作 せいさく 委員 いいん 会 かい オノ:それは響 ひび きへのこだわりですね。それは楽器 がっき の音 おと だけじゃなくて。楽器 がっき をどこに置 お くかで初期 しょき 反射 はんしゃ 音 おん が変 か わります。そういったことを加藤 かとう さんと一緒 いっしょ にやっていたのが、ザ・フォーク・クルセダーズ再 さい 結成 けっせい の時 とき 。ようやくベルリン三 さん 部 ぶ 作 さく を聞 き いて、これはハンザでの収録 しゅうろく だとか、すぐにわかりましたね。ハンザは82年 ねん から僕 ぼく も4、5回 かい 行 い きましたので。
相原 あいはら :そんな風 ふう に音 おと を聞 き いていただけでわかるものなんですか?
オノ:もちろんですよ。80年代 ねんだい っていまほどサンプリングもできなかったし。この楽器 がっき を使 つか うなら、このスタジオ、これだったらどこのホールみたいな感 かん じで決 き めて、あとはマイクをどこに置 お くか……そうやって音 おと を作 つく っていた。アナログですが当 あ たり前 まえ のことを真面目 まじめ に掘 ほ り下 さ げて僕 ぼく と加藤 かとう さんはやっていました。
しかも音 おと は早 はや く決 き められないとだめで。でも決 き めた後 のち に出 で た音 おと に対 たい してガラッと変更 へんこう が入 はい ったりも。アーティストに抽象 ちゅうしょう 的 てき に言 い われた音 おと 、音色 ねいろ を具現 ぐげん 化 か するのがエンジニアの仕事 しごと ですから。音 おと 作 づく りってどこか料理 りょうり みたいなんです。
――セイゲンさんは
坂本 さかもと 龍一 りゅういち さんはじめ
様々 さまざま なアーティストと
仕事 しごと をされていますが、
加藤 かとう 和彦 かずひこ さんならではの
特異 とくい 点 てん はどんなところでしたか?
現場 げんば でのエピソードなどあれば
教 おし えてください。
オノ:
僕 ぼく なんかが
知 し っている
加藤 かとう さんはほんの
一部分 いちぶぶん でしかありません。「
帰 かえ って来 き たヨッパライ」
教科書 きょうかしょ にも
載 の る「あの
素晴 すば らしい
愛 あい をもう
一度 いちど 」「
悲 かな しくてやりきれない」などの
作曲 さっきょく 者 しゃ 、そしてザ・フォーク・クルセダーズですね。
映画 えいが に
出 で てくるミカバンドの「
黒船 くろふね 」やBBCでの
活躍 かつやく なんか、
実 じつ は
相原 あいはら 監督 かんとく からこの
映画 えいが の
制作 せいさく 準備 じゅんび 過程 かてい で
教 おし えられたといいますか。
自分 じぶん が
録音 ろくおん に
携 たずさ わっていた
数 すう 年間 ねんかん のその
現場 げんば のことしか
知 し りません。
坂本 さかもと 龍一 りゅういち さんは友人 ゆうじん でしたが、YMOのアルバムは一 いち 枚 まい も持 も っていません。買 か わないでもいつもラジオで流 なが れてましたよね。たまたま82~85年 ねん とcommmonsになってからの録音 ろくおん 現場 げんば やその頃 ころ だけは仕事 しごと もプライベートでお世話 せわ になったといいますか。番組 ばんぐみ 編成 へんせい や音楽 おんがく ライターさんはある意味 いみ 、研究 けんきゅう 者 しゃ ですから全部 ぜんぶ の作品 さくひん を聞 き いてますよね。僕 ぼく にはそんな時間 じかん ないんです、当時 とうじ のスタジオに住 す みこみですから(笑)。
僕 ぼく が関 かか わったのは、ザ・フォーク・クルセダーズとスーパー歌舞伎 かぶき でした。アコースティックギターが本当 ほんとう に上手 うま かった。すごいアコギをいっぱい持 も っててね。
相原 あいはら :セイゲンさんがマスタリングしたサディスティック・ミカ・バンドの「サイクリング・ブギ」のギターも上手 うま かったよね。
オノ:現場 げんば ではね、録音 ろくおん が楽 たの しいんですよ。坂本 さかもと さんもそうだったけど、うまくいかないとスタッフにイライラしたり、あと自分 じぶん がやりたいことをやらせてもらわないときっと怒 おこ るタイプ(笑)。
僕 ぼく がちょっと後悔 こうかい してるのは、大 だい 先輩 せんぱい だから友達 ともだち みたいにはしゃべれないですよね。加藤 かとう さんは躁 そう うつを患 わずら ってらっしゃったのですが、僕 ぼく と会 あ っているときはいつも超 ちょう ハッピーで、レコーディング大好 だいす きなんですよ。音 おと のことや食 た べ物 もの のことを話 はな してくれました。映画 えいが にもその話題 わだい が出 で てきますが超 ちょう グルメで。
「ちょっとあそこに連 つ れてってください」って、いいお店 みせ をおねだりしたかったな。(そうしたら)うるさい後輩 こうはい だなあ(笑)なんて思 おも って、うつの解消 かいしょう 、ちょっと気晴 きば らしになれたかもしれない。
プリンスホテルで開催 かいさい された「加藤 かとう さんを送 おく る会 かい 」では、ホテルの総 そう 料理 りょうり 長 ちょう も理解 りかい してくれて、生前 せいぜん の加藤 かとう さんが愛 あい した岐阜 ぎふ や関西 かんさい の料理人 りょうりにん も集 あつ まったんですよね。ホテルの厨房 ちゅうぼう に料理人 りょうりにん が10数 すう 人 にん 入 はい るっていうことが異例 いれい 中 ちゅう の異例 いれい 。食 た べ物 もの と音楽 おんがく こそが地球 ちきゅう をハッピーにするっていう考 かんが えは僕 ぼく も持 も っています。
――
今日 きょう は
加藤 かとう 和彦 かずひこ さんのマネージャーだった
内田 うちだ 宣政 のぶまさ さんも
来 き てくださっています。
内田 うちだ さん:加藤 かとう さんは料理 りょうり も音楽 おんがく も同 おな じレベルで考 かんが えていましたね。河口湖 かわぐちこ のスタジオで合宿 がっしゅく レコーディングがあった日 ひ に、加藤 かとう さんが自分 じぶん で料理 りょうり を作 つく ると言 い って、コックコートを着 き て朝 あさ からシーフードカレーと、マトンのカレーなどいろいろと仕込 しこ んでいましたね。喜 よろこ んでもらうことが好 す きな人 ひと でした。
安井 やすい かずみ さんはフランスが大好 だいす きで、朝食 ちょうしょく はカフェオレとクロワッサンなんだけど。加藤 かとう さんはイギリスびいきだったから本当 ほんとう は紅茶 こうちゃ が好 す きだったようで。でも安井 やすい さんと一緒 いっしょ に暮 く らしている時 とき は全部 ぜんぶ カフェオレにしていたっていう。そういう優 やさ しさもあるって聞 き きました。
カップ焼 や きそばなんかを食 た べるときも、オイスターソースだったかナンプラーだったかな? 味 あじ 変 へん して美味 おい しくするんですね。そういうところから、クリエイティブでしたね。
左 ひだり が元 もと マネージャーの内田 うちだ さん――この映画 えいが では多 おお くの方々 かたがた が加藤 かとう さんの思 おも い出 で を語 かた っています。監督 かんとく が受 う け取 と った加藤 かとう さんの才能 さいのう はどのようなものだと感 かん じましたか?
相原 あいはら :カップ
麺 めん の
話 はなし にしてもナンプラーとか
入 い れちゃう
革新 かくしん 性 せい 。それは
音楽 おんがく でも
一緒 いっしょ だと
思 おも うんです。
既存 きそん のものに
何 なに かを
足 た してみたり、
新 あたら しいことをやってどんどん
脱皮 だっぴ して、さらに
新 あたら しいものを
作 つく り
出 だ す
力 ちから ですね。
日本 にっぽん で
初 はじ めてレゲエのレコードをいっぱい
買 か った
人 ひと だったり、
日本 にっぽん でボサノバをちゃんとやろうと
試 こころ みたアルバム「ガーディニア」の
時 とき には、
坂本 さかもと 龍一 りゅういち さんに、
参考 さんこう になるような
大量 たいりょう のレコードを
渡 わた してアレンジを
頼 たの んで。
坂本 さかもと さんも
中南米 ちゅうなんべい 音楽 おんがく のリズムは、
加藤 かとう さんに
結構 けっこう 教 おそ わったと
言 い っていましたね。
――相原 あいはら 監督 かんとく はこの映画 えいが 製作 せいさく でご苦労 くろう はありましたか?
相原 あいはら :なかなかアーカイブが揃 そろ わなかったのが大変 たいへん でしたね。
オノ:この
映画 えいが が
完成 かんせい した
後 のち に「
黒船 くろふね 」のアナログ・マスターテープが
見 み つかったりね(笑)。アナログテープはやっぱり
音色 ねいろ が
素晴 すば らしいです。
相原 あいはら :
映画 えいが はそれぞれの
曲 きょく のイントロぐらいしか
使 つか っていませんから。この
映画 えいが は、
簡単 かんたん に
言 い うと
加藤 かとう 和彦 かずひこ の
入門 にゅうもん 編 へん ですね。
オノ:そうなんだよ。
映画 えいが を
見 み て
気 き になった
方 ほう は、2CD
作品 さくひん 集 しゅう 「The Works Of TONOBAN ~
加藤 かとう 和彦 かずひこ 作品 さくひん 集 しゅう ~」をいいオーディオ・システムで
聴 き いてみてください。
相原 あいはら :今 いま 、復刻 ふっこく している本 ほん を読 よ んでもらったり、トリビュートライブなどに触 ふ れていただいて加藤 かとう さんの再 さい 評価 ひょうか に繋 つな がればいいなと僕 ぼく は思 おも ってます。
写真 しゃしん :オノセイゲン提供 ていきょう ▼音 おと の良 よ さにこだわり、音 おと の良 よ い映画 えいが 館 かん に期待 きたい
――加藤 かとう さんの音楽 おんがく を忠実 ちゅうじつ に再現 さいげん したい思 おも いもあり、今回 こんかい のマスタリングはセイゲンさんに依頼 いらい されたのですか?
相原 あいはら :こだわらないとこんな気難 きむずか しいおっさんに頼 たの みませんよ(笑)。セイゲンさんは加藤 かとう さんとお付 つ き合 あ いがあったし、完成 かんせい された音 おと をどうやって良 よ くするか……って考 かんが えると、セイゲンさんは日本 にっぽん で一番 いちばん だと思 おも うんです。
オノ:それはありがとう(笑)。アナログテープからのアーカイブは僕 ぼく が最後 さいご の世代 せだい です。今 いま の人 ひと はデジタルでないと難 むずか しいみたい。
相原 あいはら :僕 ぼく も2年間 ねんかん ぐらいスタジオでエンジニアをやっていたので、どういう音 おと が良 よ いのか、誰 だれ にお願 ねが いするべきかはわかるんです。だから今回 こんかい は、あのセリフの(音 おと の)処理 しょり を逆 ぎゃく にセイゲンさんからやらされたんです。僕 ぼく が監督 かんとく なのに(笑)。
オノ:そうそう、相原 あいはら 監督 かんとく は伝統 でんとう のJVC青山 あおやま スタジオ(現 げん ビクタースタジオ)の録音 ろくおん エンジニア出身 しゅっしん ですからね! いい音 おと のこだわりはプライオリティです。逆 ぎゃく にセリフの編集 へんしゅう は僕 ぼく には難 むずか しい。キングクリムゾンの「Live in Japanの」ミキシングをしていたときアシスタントしてくれたよね。
ビル・ブラッフォードはブースでずーっと練習 れんしゅう してて、ロバート・フリップはずーっとミキシングを細 こま かく聞 き いてて、エイドリアン・ブリュー とトニー・レヴィンはなんだったっけ? そんな僕 ぼく が忘 わす れてたその時 とき の201スタの様子 ようす を細 こま かく覚 おぼ えていて、ああ、そうだった! と思 おも い出 だ した。ドキュメンタリー監督 かんとく の素養 そよう 。今日 きょう は対談 たいだん でいろいろ記憶 きおく と記録 きろく の照合 しょうごう ができたね。
(C)「トノバン」製作 せいさく 委員 いいん 会 かい ――最近 さいきん は、音 おと にこだわる映画 えいが 館 かん が増 ふ えてきました。
相原 あいはら :いい傾向 けいこう だと思 おも います。ドルビーアトモスなど、コントロールはされていますが、ひとつ問題 もんだい は、スピーカーの音質 おんしつ まではやれていないこと。レベルは合 あ わせているけど、もともとのスピーカーの音質 おんしつ が良 よ くないと、レベルを合 あ わせてもダメなんです。そこまでできれば一番 いちばん いいですよね。
シネコンは環境 かんきょう が整 ととの っているから、本当 ほんとう にあともうちょっとだと思 おも う。単 たん 館 かん 系 けい はいろんな制約 せいやく があるから難 むずか しいかもしれませんが。あとは、オペレーターというか、映写 えいしゃ 技師 ぎし さんと呼 よ べる人 ひと がほぼいないような現状 げんじょう だと思 おも うのです。システム化 か されて逆 ぎゃく にいじれるところが少 すく なくなっているから、一 いち から映像 えいぞう の調整 ちょうせい 、音 おと の調整 ちょうせい ができなくなっている気 き がします。
オノ:いや正 まさ に仰 おおせ る通 とお り! 声 こえ を大 だい にして言 い いたいね。良 よ い音 おと の映画 えいが 館 かん がこれからは重要 じゅうよう 。
今 いま はデジタルですから導入 どうにゅう されている機材 きざい 自体 じたい は、ものすごく進化 しんか していて、オーディオ技術 ぎじゅつ 的 てき にはパソコンでどんな調整 ちょうせい でもあっという間 ま にできます。ただ、スペックとしてできるのと、実際 じっさい それをワークフローとしてやるかは別 べつ の問題 もんだい なんです。映画 えいが 館 かん による差 さ は昔 むかし より凄 すさ まじいですね。メジャーの新作 しんさく や名作 めいさく リストアは、DCP(デジタル・シネマ・パッケージ)自体 じたい の音 おと がいいのは当 あ たり前 まえ 。たまに70年代 ねんだい のコンサート映像 えいぞう 、テレビ記録 きろく 用 よう をDCP化 か してそのままっていう作品 さくひん も調整 ちょうせい でなんとかなっちゃう、やればね。
映画 えいが 用 よう のスピーカーも大型 おおがた 化 か されてきて、そのデジタル調整 ちょうせい さえしっかりやればダビングルームくらいまで近 ちか づけることも可能 かのう です。さらに作品 さくひん ごとに設定 せってい メモリーもできます。まあ、中 なか には隣 となり の映画 えいが の音 おと が漏 も れ聞 き こえてくるとか、セリフがき取 きと りにくいとかいう話 はなし も聞 き きますが……映画 えいが 館 かん には頑張 がんば ってもらいたいですね。1978年 ねん 、音響 おんきょう ハウスでの僕 ぼく の仕事 しごと は、映写 えいしゃ 係 がかり からのスタートでした。
――次 つぎ 作 さく も音楽 おんがく や音 おと に関連 かんれん する作品 さくひん になりそうですか?
相原 あいはら :次 つぎ は「オノ セイゲン マスター・オブ・サウンド」ですかね(笑)。
オノ:録音 ろくおん は裏方 うらかた で映画 えいが にはマニアックすぎるよ。出来上 できあ がったときは、僕 ぼく も追悼 ついとう になっちゃいますね……(笑)。
「トノバン 音楽家 おんがくか 加藤 かとう 和彦 かずひこ とその時代 じだい 」は公開 こうかい 中 ちゅう 。
「The Works Of TONOBAN ~加藤 かとう 和彦 かずひこ 作品 さくひん 集 しゅう ~」 <Information>
オノ セイゲン さんがマスタリングを
手掛 てが けた2CD
作品 さくひん 集 しゅう 「The Works Of TONOBAN ~
加藤 かとう 和彦 かずひこ 作品 さくひん 集 しゅう ~」が
絶賛 ぜっさん 発売 はつばい 中 ちゅう です。セイゲンさんによる
池袋 いけぶくろ ・
新 しん 文芸 ぶんげい 坐 すわ での
企画 きかく 「Seigen Ono presents オーディオルーム
新 しん 文芸 ぶんげい 坐 すわ 」では、6月21
日 にち 、22
日 にち に「
リトル・リチャード:アイ・アム・エヴリシング 」を
極上 ごくじょう の
音響 おんきょう で
上映 じょうえい 。21
日 にち の
上映 じょうえい 後 ご は、
音楽 おんがく 評論 ひょうろん 家 か の
萩原 はぎはら 健太 けんた さんを
迎 むか えてのトークが
行 おこな われます。