「前略おふくろ様」「北の国から」「やすらぎの郷」などを生み出した倉本が長年にわたって構想し、「どうしても書いておきたかった」と語る渾身のドラマを、若松監督のメガホンで映画化。人々の前から姿を消した天才画家が秘めてきた想い、美と芸術への執念、そして忘れられない過去が明らかになる時、至高の美と愛の全貌がキャンバスに描きだされる。
孤高の画家・津山竜次を本木が演じ、中井らに加えて、菅野恵、萩原聖人、村田雄浩、佐野史郎、田中健、三船美佳、津嘉山正種も共演。日本映画界の豪華キャストが集結している。
世界的な画家・田村修三(石坂)の展覧会で大事件が起きた。展示作品のひとつが贋作だとわかったのだ。この絵を描いたのは一体、誰なのか? 連日、報道が加熱する中、北海道・小樽で女の死体が発見される。このふたつの事件の間に浮かび上がった男。それは、かつて新進気鋭の天才画家と呼ばれるも、ある事件を機に人々の前から姿を消した津山竜次(本木)だった。
かつての竜次の恋人で、現在は田村の妻・安奈(小泉)は小樽へ向かう。もう会うことはないと思っていた竜次と再会する安奈、竜次に長年仕える謎のフィクサー・スイケン(中井)、贋作事件を追う美術鑑定の権威・清家(仲村)、全身刺青の女・牡丹(清水)、竜次を慕うバーテンダー・アザミ(菅野)……それぞれのドラマが、“真の美”を求め続ける竜次の想いと交錯していく。
コメントは、以下の通り。
60年前から抱えこんできた僕にとっての大きなテーマがある。美術品の贋作というテーマである。美術作品の価値というものは社会的権威によって保証される。だがその価値基準は元々極めて主観的なものである。だから世の中には贋作が絶えない。過去に日本にもそういう事件があった。重要文化財として認定されていた一つの美術品が贋作と判明し国の指定から外されたのである。美とは何なのか。権威とは何なのか。これは、そうした矛盾に立ち向かった一人の天才画家の悲劇である。
老いてなお
創作に
情熱を
燃やす
脚本家、
倉本聰さんの
今回のテーマは「
美とは
何か?」
この映画化にあたり僕にとって、いつにも増して大きなチャレンジとなりました。
「美とは何か?」皆さん其々の美を見つけて頂きたいと思います。
初の倉本作品にして、黙する孤高の画家という難役に踠き苦しみましたが、40年来の同志である小泉さんとの共演にはリアルな感慨もあり、熟練の若松監督と中井さんの支えによって、不思議なアンサンブルが生まれました。観る者を突いてくる美への教訓、追憶という哀しいぬくもり、倉本先生が語る世界の奥深さを皆さまと共有できれば嬉しく思います。
美とはなにか。本物とはなにか。
倉本聰さんが
今、
私たちに
投げかけたテーマに
姿勢を
正されるような
思いだった。
その矜持を私はきちんと受け取り、そして演じることができたのか今は自信がない。
けれど、成熟した大人の映画が、この日本に誕生したことを心から祝福したい気持ちです。
倉本作品に呼んでいただく時、いつも思うのです。私の本質を全て知られ、見透かされ、キャスティングされていると。というわけで、今回は謎多きフィクサーと相成りました。作品のテーマは、美。美ほど、観念的なものは無い。でも、人はそれにランクをつけ、金銭という数字をつける。資本主義経済の観点からすれば、至極当たり前のことなのかもしれないが・・美とは、美の価値とは、何なのか・・今回の映画は、それをじっくり考えさせられる。
“今”は無意味なものが情報として拡散し、メディアも又、右往左往、なにより金が総てと思い込まされ、否応なく人々は区別されていく、それが“今”です。
本当に美しい、本物の自分らしさを求めていた人間も、やがて生きている、生きていかなければならない“今”に?みこまれ、その“今”は昔からの自然の流れを思えて安心してしまう。私が演じるのは“今”だと思うのです。“今”は未来を思い遣ることは出来るのか?
“今”が未来に重なる時はないのでしょうか。
私は
純粋に
倉本聰作品のファンとして
倉本先生の
新しい
作品を
大スクリーンで
観られる
喜びに
心が
躍っています。
今でも
自分が
先生が
描いた
1人の
女性を
演じたなんて
信じられないくらいです。“
牡丹”と
云う
名前の
如く
咲いた
花のまま
朽ち
落ちる
悲しい
女性。
愛を
込めて
演じました。
【菅野恵/アザミ役】
美しさとは何か。世間の評価によらず、美しいものをただ美しいと見つめることはどうしてこんなに難しいのでしょうか。恩師・倉本先生が長年温めてきた作品に携われたこと、素晴らしいキャストの皆様・スタッフの皆様とご一緒できたことに感謝しつつ、1人でも多くの方に届きますように!と心から願うばかりです。ぜひ劇場で、この作品の美しさをご堪能ください。