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三國史記/卷48 - 维基文库,自由的图书馆 とべ转到内容ないよう

さん國史こくし/まき48

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 列傳れつでん だいなな さん國史こくし
まきよんじゅうはち 列傳れつでん だいはち むかいいさお ひじりさとし じつ兮 勿稽 ひゃくゆい先生せんせい けんくん 金生きんせい りつきょ 孝女こうじょおん 薛氏おんな みやこわたる
列傳れつでん だいきゅう 

むかいいさお

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むかいいさお熊川くまがわしゅういたせき鄕人也。ちちめいぜんはんよし天資てんし溫良おんりょう,鄕里推其ぎょうははそくしつ其名。むかいいさおまた以孝じゅんためしょしょう天寶てんぽうじゅうよんねんおつねんあらみんひだる疫癘えきれい父母ちちははかつえ且病,ははまたはつようみなはま於死。こうとく日夜にちやかいころもつきまことやす慰,而無以為やしなえ,乃刲髀肉ひにく以食また吮母ようみな致之平安へいあん。鄕司ほうしゅうしゅうほう於王。おうきょうたまものさんひゃく斛、たくいち口分田くもで若干じゃっかんいのち有司ゆうし立石たていしおさむごと,以標いたりいまにんごう其地うんこうさと[1]

ひじりさとし

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ひじりさとし,菁州じんしつ其氏ぞくらく世間せけんめいかんごうため居士こじとめ一利いちりけん法定寺ほうじょうじこう養母ようぼ,以老びょうなん於蔬しょくわりまたにく以食。及死,至誠しせいため佛事ぶつじこも大臣だいじんかくけいしんじ飡周もととう,聞之國王こくおう熊川くまがわしゅうむかいいさお故事こじしょう近縣きんけん[2]さんひゃくせき

ろん曰:そう祁《とうしょうん:「ぜん乎,かんいよいよこれろん也!曰:『父母ちちははやまし,烹藥えさ,以是ためこう未聞みもん毁支からだしゃ也。苟不きずよしのり聖賢せいけんさきしゅ而為不幸ふこういん而且のり毁傷めつぜっつみゆう矣,やす旌其もん,以表これ?』雖然,ちまた陋,ゆう學術がくじゅつれい義之よしゆきのう忘身以及其親,於誠しんまたあししょうしゃれつ焉。」のりわかこうとくしゃまたしょしゃ乎!

じつ

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じつ兮,だいしゃじゅんとく之子ゆきこ也。せい剛直ごうちょく不可ふかこごめ以非眞平まっぴらおうじゅうさんねんためじょう舍人とねり時下じか舍人とねりめずらしつつみ,其為じん便びん[3]ためおうしょ嬖。雖與じつ兮同りょう,臨事互相是非ぜひじつ兮守ただし苟且。ちんつつみ嫉恨,屢讒於王曰:「じつ兮無智慧ちえきもきゅう喜怒きど,雖大おうげん其意そくいきどお不能ふのうやめわか懲艾,其將ためみだれ,盍黜退まち屈服くっぷく,而後ようばん也。」おうしかこれ,謫官泠林。あるいいじつ兮曰:「きみかんがえ,以忠誠ちゅうせいおおやけざい,聞於こんため[3]しん讒毁,とお宦於ちくみねそとあらへきまたやめ乎?なに直言ちょくげん自辨じべん?」じつ兮答曰:「むかしこごめげんじきためすわえ擯黜,盡忠じんちゅうためしん極刑きょっけい故知こち佞臣ねいしん[4]おも忠士ちゅうし斥,ふるまたしか也,なんそく悲乎?」とげ不言ふげん而往,さくちょう歌見うたみ

勿稽

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勿稽,奈解あま今時いまどきじん也。いえひらたほろためじん倜儻,しょうゆうたけしこころざしとき八浦上國同謀伐阿羅國,おもね使らい,請救。あまこん使つかいおうまご捺音,りつきんぐんろくぐん往救,とげはいはちこくへいやく也,勿稽ゆう大功たいこう,以見憎みにく於王まご其功。あるいい勿稽曰:「こう莫大ばくだい,而不ろく,怨乎?」曰:「なに怨之ゆう?」ある曰:「盍聞於王?」勿稽曰:「矜功求名ぐみょう志士しししょ不為ふため也。ただしとう勵志,以待而已。」さんねんほねうら、柒浦、古史こしうらさん國人くにびとらいおさむ竭火じょうおうりつへいすくえ大敗たいはいさん國之くにゆき,勿稽すうじゅうきゅう,及其論功ろんこうまた所得しょとく。乃語其婦曰:「嘗聞ためしんみち危則致命ちめい,臨難そく[5]前日ぜんじつ浦上うらかみ竭火これやくいい危且なん矣,而不能ふのう以致いのち忘身,聞於じんはたなに面目めんぼく以出あさ乎?」とげかみ携琴,いれ彘山,かえし[6]

ひゃくゆい先生せんせい

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ひゃくゆい先生せんせい不知ふちなんもとじんきょおおかみ山下やましたいえ極貧ごくひんころも百結若懸鶉,じんごうため東里とうりひゃくゆい先生せんせい。嘗慕さかえけいためじん,以琴したがえ,凡喜怒きど悲歡不平ふへいことみな以琴宣之のぶゆきとしはたくれとなりさとうすあわ,其妻聞杵ごえ曰:「ひとみなゆうあわうすわがどく焉,なに以卒とし?」先生せんせい仰天ぎょうてん嘆曰:「おっと死生しせいゆういのち富貴ふうき在天ざいてん。其來也不可ふかこばめ,其往也不可ふかおいなんじなんきず乎?われためなんじさくきねごえ以慰。」乃鼓きんさくきねごえせいでんめいためうすらく

劒君

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劒君,かたきぶんだいしゃ之子ゆきこためすなりょうみや舍人とねりけんぶくよんじゅうよんきゅうねんちょうあきはちがつ,隕霜ころせしょこく明年みょうねんはるなつだいかつえみん賣子うりこ而食。於時,宮中きゅうちゅうしょ舍人とねりどうはかりごととう唱翳くらこくぶん,劒君どく受。しょ舍人とねり曰:「衆人しゅうじんみな受,きみどく却之,なに也?わかいやしょう,請更。」劒君わらい曰:「ぼくへんめい於近ろう修行しゅぎょう於風がつにわ,苟非其義,雖千きん不動ふどうしん焉。」大日だいにち飡之ためはなろうごうきんろううんなんじ。劒君至近しきんろうもん舍人とねりひとし密議みつぎころせ此人,必有げんとげ召之。劒君謀殺ぼうさつきんろう曰:「今日きょうこれふくしょう。」ろうとい,劒君不言ふげんさいさんもん,乃略言りゃくげん其由。ろう曰:「えびす不言ふげん於有?」劒君曰:「かしこおのれ使つかい衆人しゅうじんいれざいじょうしょにん也。」「しかのり盍逃乎?」曰:「かれきょくわがじき,而反逃,丈夫じょうふ也。」とげ往。しょ舍人とねりおけしゅしゃみつ以藥おけしょく,劒君而强しょく,乃死。君子くんし曰:「劒君其所,いいけい泰山たいざん鴻毛こうもうしゃ也。」

金生きんせい

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金生きんせい父母ちちははほろ不知ふち其世けいなま於景くもねんよう能書のうがき平生ひらおおさむげいねん踰八じゅうなおみさおひつ不休ふきゅう隸書れいしょぎょう草皆くさかい入神にゅうしんいたりいま往往おうおうゆう眞蹟しんせき學者がくしゃでんたからたかしやすしちゅう學士がくしひろし灌隨しんたてまつ使つかいにゅうそうたて於汴きょうとき翰林かんりんまちみことのり楊球、かわたてまつみかどみことのりいたりかんしょむらがひろし灌以金生きんせいゆきくさいちかんしめせこれ二人ふたりだい駭曰:「今日きょうとくおうみぎぐん手書しゅしょ。」ひろし灌曰:「,此乃しんじん金生きんせい所書ところがき也。」にんわらい曰:「天下てんかじょみぎぐん,焉有みょうひつ如此哉?」ひろし灌屢ごとおわり不信ふしん


またゆう姚克いちしゃつかまついたりさむらいちゅうけんさむらいしょ學士がくし筆力ひつりょく遒勁,とくおうりつさらほう。雖不及生,またひん也。

りつきょ

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りつしんじん所出しょしゅつほろ其族けいなま而善畵,嘗於すめらぎりゅうてらかべ畵老まつたいみきうろこしわ枝葉えだはばんこごめがらすとんび燕雀えんじゃく往往おうおうもち飛入とびいり。及到,蹭蹬而落。としひさしょくくら寺僧じそう丹靑たんせいとりすずめふくいたりまた慶州けいしゅう芬皇てら觀音かんのん菩薩ぼさつすすむしゅうだんぞくてら維摩ぞうみな筆蹟ひっせきせいでんためしん畵。

孝女こうじょおん

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孝女こうじょおんかん歧部百姓連權女子也。せい至孝しこうしょうちちどくよう其母。としさんじゅうなおしたがえじんじょうしょう不離ふり左右さゆう,而無以為やしなえあるやといさくあるくだり乞,とくしょく以飼ひさしかち困憊こんぱい,就富請賣ため婢,とくまいじゅうせききゅうぎょうやく於其くれそくさくしょくやしなえこれ如是にょぜさんよんにち,其母いい女子じょし曰:「こうしょく麤而あまこんのりしょく雖好,あじ如昔,而肝こころわか以刀とげこれしゃなん耶?」女子じょし以實つげはは曰:「以我使つかいなんじため婢,如死これそく也。」乃放ごえだい哭,女子じょしまた哭,あいかん行路こうろときこうむねろうゆうこれかえり父母ちちはは,輸家あわひゃくせき及衣ぶつまたつぐなえ買主かいぬし以從りょうろういくせんにんかくあわいちせきためおく大王だいおう聞之,またたまもの租五ひゃくせきいえいちふくじょせいやく。以粟おそれゆう剽竊ひょうせつしゃいのち所司しょしへいばんもり標榜ひょうぼう其里曰孝養こうようぼう,仍奉ひょう於唐しつこうむねだい三宰相舒發翰仁慶子,しょうたちおういい雖當よう便びん老成ろうせいそく以其けい憲康のりやすおうおんなつま

薛氏おんな

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薛氏おんなぐりさと民家みんか女子じょし也。雖寒もんたんぞく,而顔しょく端正たんせいこころざしぎょうおさむせいしゃ歆艶,而不敢犯。眞平まっぴらおう,其父ねんろうばんとうぼうあき於正だにおんな以父おとろえびょうにん遠別えんべつまた恨女とくまち代行だいこう愁悶。すなはり少年しょうねんよしみ,雖貧且窶,而其やしなえこころざしさだ男子だんし也,嘗悅薛氏,而不敢言。聞薛父老ふろう而從ぐんとげ請薛曰:「ぼく雖一懦夫だふ,而嘗以志もとねがい不肖ふしょうだいいむくんやく。」薛氏甚喜,にゅうつげ於父。ちち引見いんけん曰:「聞公ほっだい老人ろうじんこれぎょう勝喜かつよし懼,おもえ所以ゆえんほうわかおおやけ以愚陋見棄みすてねがいこもよう女子じょし,以奉ほうき。」よしみじつ再拜さいはい曰:「敢望也,所願しょがん焉。」於是,よしみじつ退すさ而請。薛氏曰:「婚姻こんいんにんだいりん不可ふか以倉猝。わらわすんで以心もとゆうえきねがいくん赴防。交代こうたい而歸,しかこうぼく日成いるそんれいばん也。」乃取きょうぶんはんかく一片いっぺんうん:「此所以ゆえん為信ためのぶ後日ごじつとうごう。」よしみじつゆういちうまいい薛氏曰:「此,天下てんかりょう必有よういまわがぎょう人為じんいやしなえ請留うけどめ,以為ようみみ。」とげ而行。かい國有こくゆう使つかいじん交代こうたい,淹ろくねんかえちちいいおんな曰:「はじめさんねんためこんすんで踰矣。于他ぞく矣。」薛氏曰:「こう以安おやつよあずかよしみじつやくよしみじつ信之のぶゆき從軍じゅうぐん累年るいねん飢寒きかんからしわかきょうはさまぞくさかいしゃくへい,如近虎口ここうつねおそれ咥,而棄しん食言しょくげんあに人情にんじょう乎?おわり敢從ちちめいじ,請無ふくごと。」其父ろう且耄,以其おんなたけし而無伉儷こうれいよくつよしよめせんやくこん於里じん旣定きてい引其じん。薛氏かたこばめみつ遁去而未はていたり廐,よしみしょとめだいふとしいきりゅうなみだ。於是よしみだいらい形骸けいがい枯槁,衣裳いしょうあい縷,しつじん不知ふちいいため別人べつじんよしみじつ直前ちょくぜん,以破きょうとう,薛氏どくよび泣,ちちはん及室じんしつとげやくにちしょうかいあずかこれ偕老。

みやこわたる

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みやこわたる百濟くだらじん也。雖編戶あみどしょうみん,而頗義理ぎり。其妻美麗びれいまたゆうふしぎょうため時人じじんしょしょうぶた婁王聞之,召都わたる與語よご曰:「凡婦人ふじんとく,雖以貞潔ていけつためさきわかざいかそけ昏無じんしょさそえ巧言こうげんのりのう不動ふどうしんしゃ,鮮矣乎!」たい曰:「ひとじょう不可測ふかそく也,而若しんつましゃ,雖死しゃ也。」おうよくためしとめわたる以事,使つかいいち近臣きんしんかりおう衣服いふくしたがえよる抵其使つかいじんさきほうおうらいいい其婦曰:「わがひさ聞爾このみあずかみやこわたるはくとく來日らいにちにゅうなんじため宮人みやびと此後,しかわれ所有しょゆう也。」とげはたらん曰:「國王こくおう妄語もうごわれ敢不じゅん?請大おう先入せんにゅう[7]しつわれ更衣ころもがえ乃進。」退すさ而雜餙一婢子こもおう知見ちけん欺,だいいか,誣都わたる以罪,矐其りょう眸子ぼうし使つかいじん牽出おけ小船こぶね泛之河上かわかみとげ引其强欲ごうよくいん曰:「こん良人りょうじんやめしつ單獨たんどく一身いっしん不能ふのうきょうためおうあに相違そういこん以月けい渾身こんしん汚穢おあい,請俟他日たじつかおるよく而後らい。」おうしん而許便びん逃至江口えぐち不能ふのうわたりよびてん慟哭どうこくゆるがせ孤舟こしゅうずい而至,じょういたりいずみ城島きじまぐう其夫,草根そうこん以喫,とげあずかどうふねいたり高句麗こうくり䔉山した麗人れいじんあい,丐以衣食いしょくとげ苟活,おわり於羈たび

  1. 原本げんぽんかけこく
  2. 原本げんぽん「柤」
  3. ^ 3.0 3.1 原本げんぽん「倿」
  4. 原本げんぽんある
  5. 原本げんぽんこころざし
  6. 原本げんぽんたん
  7. 原本げんぽんひと