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りゃく輯本/卷首かんしゅ

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目錄もくろく りゃく輯本卷首かんしゅ さんこく
ろう中京ちゅうきょうちょうさかな豢撰 富平とみひらちょうほういち
まきだいいち

じょ

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むかしとくすんでおとろえ,禹域ぶんくずれたけはつあと譙虛,ちゅう原之はらのしゅうゆういちじゅうつかさ隸、、冀、兗、じょあお、荊、あげ、雍、りょう、并、かそけしょく兩國りょうごくしゅう僅有しょくえきしゅうよう、荊、交、こうよんしゅう雖土二王におうおわりこと霸業而數ゆうしょううん鍾當三國之中史事尚榷,ためさいようしかおう沈《しょよんじゅうはちかんつげなり雖先,而語實錄じつろくためいみなせつふみどおり》。あな衍、まごもり衍有《尚書しょうしょじゅうよんかん,《かん春秋しゅんじゅうきゅうかんもりゆうたかし春秋しゅんじゅうさんじゅうかん,《あきどうことはちかんためしょ較後,流傳りゅうでんまたしょうきょう兆魚豢即身見聞,私撰しせんりゃく》,有紀ゆうきこころざしつてほぼどうはんしょ》。ちんひさしくにこころざし盛行せいこうそう裴松ちゅう三國志さんごくし》,引證いんしょう諸家しょか,豢書ためこう記載きさいゆうあしとうとしゃ:曹魏ゆうこく歷年れきねん雖短,而官せい學術がくじゅつ典禮てんれいへんりょうかんきゅうひらくすすむからこれさき中書ちゅうしょ秘書ひしょあらためおけれいかん,綜領ようけんじゅうおさむ衡奏ごと上聞じょうぶんしょくたかし臺閣たいかく,此內官制かんせい不同ふどうしゃいちせい、鎮、みやこただしみつる馭數しゅうせんだん迥異,單車たんしゃ開府かいふおけ僚,げんどうはんこく,此外官制かんせい不同ふどうしゃ

ひがしかんけいがくぶん古今ここんたかしはいがくはじめなおつぎむねそうおいのきかたひとしほろび於其ずい經籍けいせきこころざしうんひとしほろび於魏。春秋しゅんじゅうおおやけひつじ黜為うりもち,其他しょけいどう式微しきび,此學術がくじゅつ不同ふどうしゃさん郊致さいはいせんきさきろくむね,禋祀ようおう肅議。たけみかど大喪たいそうしつらえ奏樂そうがくそうしょれいこころざし》,たけ以正がつくずれぶんみかどなながつしつらえ伎樂ぎがくひゃくおどけ以喪はいらくあかりみかど臨御りんぎょけんびょうしょうこころざしみかど》,けいはつ元年がんねんふとし祖廟そびょうきたため祧,左文さぶん帝廟ていびょうみぎなずらえあきらみかどびょうごう曰烈典禮てんれい不同ふどうしゃよんわかおっとごえきょう覃敷鞮象逖,聞倭おう入貢にゅうこうめいでん卑彌呼ひみこやまと人事じんじ,《こころざしさいしょうしかりゃくこんゆう佚文いつぶんしょうこころざししょりゃく大秦たいしんどお聞,けんしょ屬國ぞっこくじょしょあまえいしょいたりたかし職方しょくかたじつしょう裨海,此四裔記載不同者五。凡此しょはしちんひさしくにこころざし》,文略ぶんりゃくごと簡,莫睹ばら,豢《しょ》備有かくこころざしこん散佚さんいつ,而《ぎょう》、《中外ちゅうがい》、《かんれいこころざしなおそんすうじょうとく窺一。《儒宗》、《清介せいすけ》、《西戎せいじゅうかくつてよりゆき裴注詳錄しょうろく,藉知當時とうじ習尚,ことかた傳聞でんぶん

また記載きさいまで於陳とめおう奐時,《ふみどおりいいごととめあかりみかどこと事實じじつ。其書そう太平たいへい御覽ごらん》、こうまごふみりゃく》、しょうつねつづけ漢書かんしょ》,ちょう引,いたりもと郝經《つづけ漢書かんしょ》,けんしゃはちろく而無《りゃく諸志しょし佚文いつぶんうたぐみなみそう,其書つてあきらちんひとしすず纂《せんかく類書るいしょ》引《りゃくすうじょうしょ,而陳自序じじょうん讀書どくしょちゅう宿やどうけたまわはなつくりもとめほんある其所引《りゃくとく永樂えいらく大典たいてんちゅうまた可知かち。惜《大典たいてん原書げんしょひさやめ散佚さんいつしたがえ稽核。こん輯為《りゃくじゅうかん,雖斷簡殘へんのうふくりゅう昫、薛居せい新舊しんきゅうもろ,而遺文いぶんようしょううけたまわ祚《くにこころざし》,かけ,彙采なりしょあしこうきょう北江ほっこうくん謨諸こころざし,儻亦けんもとむ乙部おとべしゃこれしょはい乎?うつし稿こうすんで竟,ふとしくら君惠きみえのうすけわが校正こうせいさいさらとしじょある有未ゆみけい佚來あきら

甲子きのえねなつちょうほういち識。

凡例はんれい

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いち、《りゃくいちしょ名稱めいしょう卷數かんすう諸家しょか互異。《ずいこころざし》「さかな豢《てんりゃくはちじゅうきゅうかん」;《きゅうからこころざし》「《てんりゃくじゅうかん,《りゃくさんじゅうはちかん」;《しんからこころざし》「《りゃくじゅうかん」;ていきこりつうこころざし》、こうまごふみりゃくみなうんりゃくじゅうかん;《太平たいへい御覽ごらん書目しょもくゆうぎょ豢《てんりゃく》,ゆうきゅうこころざし》;《せつ新語しんご》、裴松三國志さんごくしちゅう》暨《初學しょがく》、《きたどうしょみなりゃく》、《てんりゃく》互見。あきらそうはじめずいこころざし考證こうしょう》以《りゃく》、《てんりゃくためしょこう其致誤ゆかりぶた於唐以後いごあん唐人とうじんおかえつちょせきちゅう、鄴都、江南こうなんさん國典こくてんりゃくじゅうかん後人こうじんあるあやまさんこくためしょくいん以《さん國典こくてんりゃくいいそくりゃく》,僅如あきらせつはじめあやま於明じん也。《初學しょがくきゅうかん引魚豢《てんりゃく神馬しんめしゃかわしらげいちじょう,《御覽ごらん書目しょもくまた於魚豢《りゃく》、《てんりゃく以《さん國典こくてんりゃく》,其明しょうりゅうともいくふみどおりゆうりゃくてんりゃく》,よりどころ也。へんそくじょうめい曰「りゃく輯本」。

いち、輯本引《りゃく》,以裴ちゅうためぬし,裴注しょ引各じょうもろしょどう引者,さいさいいれ。其各しょしょ引,ゆうあずか裴氏ちゅうしょうりゃく異同いどうしゃ,仍注あきら本條ほんじょうした

いち、輯本しょ引原ひきはらぶんゆう語氣ごき截斷せつだん猝難かい悉者,そく於本じょうあんりゃくためちゅうあかり,俾讀しゃえき於解さく

いち、《りゃく本文ほんぶんじょ裴注がいゆうこころざしあらわ有可ゆかしょうしゃ,如《賈詡でん》,裴松引《りゃくぶんみかどとく詡之たい云云うんぬん,詡對そくほんつてぞくてきゆう所思しょしはち,此等文義ふみよしあきらあかりそく以《こころざししょ引補いれ陰文いんぶん白地しろじ以示區別くべつ

いち、《りゃくかくつて先後せんご次序じじょかくしょちょうこん以諸じん時代じだいためじょ,其引ひがしかんまえ事實じじつしゃ於卷まつ以備參考さんこう

いちからりくひさしこうむ小名しょうみょうろく》引魏しょ人事じんじじつ以裴ちゅうこうみなりゃく文也ふみやそうしょうつねつづけ漢書かんしょ所載しょさいしょ人事じんじじつあずかこころざしことしゃうたぐみなさいりゃく》,而蕭《しょちゅうあかり引用いんよう書名しょめい臆斷おくだんこん以《音義おんぎちゅうちゅうあかり書名しょめいしゃためだん,其《音義おんぎまきちゅうれつ裴松引《りゃくしも邳相曹豹云云うんぬん今本いまもと此注,しょうつね所見しょけんりゃくそとまたゆうあしほんこころざし》,しょう於今ほん也。

いち、《りゃくこころざしでんかくじょあきら考證こうしょうしょ引者,こんこうこころざしまきじゅうもと攸傳》ちゅうゆう《袁紹でん》,かんじゅう《荀彧でんちゅうゆう《禰衡でん》,かんじゅうさん《裴潛でんちゅうゆううんなつほうげんでん》,其裴ちゅう暨各しょしめぎつたえめい,而首尾しゅび文義ふみよし完備かんびぎょきゅうつてしゃ,如《ひねおもえおうしょく》、うえでんこんそんよんじょう《楊修ちょうただしでん》、《かんとげでん》、《ちんみやでん》、《ちょうたけしでん》、《ちぇ此傳不全ふぜんもと攸婁けいでん》、《閻行でん》、《りゅうつよしつて》、《公孫こうそんふちでん》、ふちでん不全ふぜん而有いちだん必有でん也。《郝昭でん》、《おうつばらしげる欽阮瑀陳琳路いきしょ人傳ひとづて》、此傳ゆうでんまついちだんよりどころはじめやすしがお斐令邵傳》、《でん》、《おうぞうでん》、つてくびゆう脫字だつじちょうとくでん》、《うまあがうまちょうつて》,而《ちょうあきらでん》佚有いちだんみなため確證かくしょうかく標本ひょうほんでんめい也。

いちさかな氏原うじはら書志しょしでんとうぶんほん整齊せいせい,迨經散佚さんいつとげいたり破碎はさい輯載あかりじょうすう,俾便ひろもとめ敢強ため分析ぶんせき

いち、裴注《くにこころざし》,かく本分ほんぶんまき不同ふどう輯於かくじょうしたちゅうあかり卷數かんすうしゅうとしたがえかんほん

いちりゃく文段ぶんだんちゅうあかり出處しゅっしょ,俾易けん查,まいまきだいまたためちゅうあかりあいだゆうだんまつちゅうけん查題そくえきぶんあかつき

目次もくじ

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卷首かんしゅ じょ 凡例はんれい 目次もくじ  ぎょ豢傳
まき一紀かずのり ふとしはちじょう ぶんみかどじゅうきゅうじょう あきらみかどじゅうじょう しょうみかどかおるいちじょう
まきこころざし ぎょうこころざしじゅうじょう 中外ちゅうがいかんこころざしさんじゅういちじょう れいこころざしじゅうじょう 地理ちりこころざしいちじょう
まき三傳さんでん たけせん卞后四條しじょう 卞秉 秉子らん もり夫人ふじんいちじょう 文昭ふみあき甄后三條さんじょう 文德ふみのりかくきさきじょう あきら悼毛きさきいちじょう 明元あけもとかくきさきかくしばいちじょう
まきよんつて にんじょうおうあきら三條さんじょう ひねおもえおうしょくじょう 楊修ちょうただしでん 鄧王おきちょうおうみきじょう
まきつて ただしたくろくじょう 公孫こうそん五條ごじょう 鮮于輔閻やわら 楊秋いちじょう ちょうじょう かんとげでん 袁紹でん四條しじょう 袁術いちじょう ちんみやでん ちょうたけしでん だんいちじょう
まきろくつて きむしょういちじょう ちょう三條さんじょう ちょうじょう あなとおるいちじょう あたりゆずるいちじょう はじめけんいちじょう 邴原じょう 平原ひらはら禰衡でん ちぇ琰許攸婁けいでん 荀彧四條しじょう 賈詡いちじょう あわびいちじょう りゅういさおいちじょう 阮[亻叕]いちじょう
まきななつて おうただしいちじょう ちょういちじょう ちょうつばめいちじょう 閻行でん ちょうじょう りゅうつよしつて 公孫こうそんふちでん ほどいちじょう ちょうりょういちじょう じょあきらいちじょう 龐悳じょう ちょうじょう 臧霸じょう とおるいちじょう 郝昭でん
まきはちつて 鍾繇四條しじょう はな三條さんじょう おうあきらじょう ひねぐん三條さんじょう じょじょう でん おうぞうでん からし四條しじょう 楊阜いちじょう 高堂こうどうたかしいちじょう こうやわらいちじょう うまひとしじょう 王思おうしひろしいちじょう
まききゅうつて おうつばらいちじょう しげる欽阮瑀三條さんじょう ちんじょう みちいきでん りゅうじょう ただし五條ごじょう
まきじゅうつて 曹爽つて鄧颺ひのと謐畢軌李しょう桓範なん晏傳
まきじゅういちつて なつほうあつし楙 じょう なつほうふかし霸 じょう なつほうげん三條さんじょう なつこういちじょう ゆたかちょう緝許まことでん
まきじゅうつて 賈逵まこと楊沛でん
まきじゅうさんつて のり四條しじょう もりいか 五條ごじょう はじめやすしいちじょう くらいちじょう すめらぎはじめたかしいちじょう かお裴令きつね邵傳
まきじゅうよんつて じょぶくいむみきよしちょうすんでじょう ゆうすわえはりいちじょう ちょうげんじょう 裴潛三條さんじょう かんせんろうでん
まきじゅうつて おう淩令きつね五條ごじょう 毌丘儉三條さんじょう しょかずらいちじょう ちょうとくでん こげさき扈累かんひんでん
まきじゅうろくつて 儒宗でんただしぐう 賈洪 邯鄲かんたんあつし 薛夏 隗禧 りん らくしょう
まきじゅうななつて 清介せいすけでんつねはやし三條さんじょう よししげる 沐並 ときなえ
まきじゅうはちつて じゅんかたでんあぶら習 おうおさむ一條いちじょう 龐淯じょう ぶんいちじょう なり公英きみひで かくけん たんかた
まきじゅうきゅうつて いさむ俠傳まごまろうどせき しゅく公道こうどうじょう 楊阿わか あわび
まきじゅうつて 知足ちそくでんいちじょう かんやすしじょう 遊說ゆうぜいでんななじょう 苛吏でん王思おうしいちじょう りゅうるいさんじょう 佞倖でんはたあきらいちつて あなかつら
まきじゅういちつて 烏丸からすま三條さんじょう おっとあまり四條しじょう ひがし沃沮いちじょう こうじょう 濊國いちじょう 朝鮮ちょうせん三條さんじょう たつかんじょう 倭人わじん四條しじょう 挹婁いちじょう 南蠻なんばん三條さんじょう
まきじゅうつて 西戎せいじゅうでん羌 貲虜 ねぎ茈羌 白馬はくば 黃牛あめうし羌 西域せいいき南道みなみどう鄯善よん屬國ぞっこく 于寘よん屬國ぞっこく 大月おおつきよん屬國ぞっこく 臨兒こく くるまはなれこく ばんえつこく 中道ちゅうどう焉耆さん屬國ぞっこく かめさん屬國ぞっこく 疏勒じゅう屬國ぞっこく 迤西だいあて安息あんそくじょうささえがらす四國しこく 大秦たいしんこく きた新道しんどうしゃ後部こうぶ屬國ぞっこく がらすまご かんきょ がらすべつこく やなぎこく いわおこく 奄蔡 よびとく けんこん ひのとれい 渾窳 こごめ ひのとれい へだたこん あたらしはじむ うまずね たんじん
まきじゅうさんつて りゅうあきらいちじょう りゅうななじょう りゅうぜんじょう しょかずらあきら四條しじょう せきはねいちじょう うまあがうまちょうつて はじめたちいちじょう さるでん もとやすしいちじょう そう仲子なかこいちじょう のべじょう きょういちじょう
まきじゅうよんつて まごけんいちじょう まごけんじょう まごいちじょう まごいちじょう ひろししゅうでん りょうぐういちじょう ちょうあきらでんいちじょう
まきじゅう附錄ふろく おおやけすなきよしいちじょう おういちじょう のべあついちじょう そういちじょう けんいちじょう かんいちじょう みかど堯以じゅういちじょう 補遺ほい ぶんみかどいちじょう りゅうひょういちじょう 鍾毓いちじょう おうつばらいちじょう おっとあまりじょう

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ぶんこころ雕龍》曰:だいさんゆうでん互出。《あき》、《りゃくぞく,《こうひょう》、《ろくこれるいあるげきこうなんせいある疏闊寡要。

ずいしょ經籍けいせきこころざしざつへん:《てんりゃくはちじゅうきゅうかんろうちゅうさかな豢撰。

きゅうとうしょ經籍けいせきこころざし正史せいしるい:《りゃくさんじゅうはちかんさかな豢撰。しんからこころざしどう ざつるい:《てんりゃくじゅうかんさかな豢撰。

とうしょ藝文げいぶんこころざし》:《りゃくじゅうかんさかな豢撰。

りゅうともいくふみどおり題目だいもくへん》:さかな豢、姚察ちょはり巨細きょさい畢載,かぶらるい甚多,而俱榜之以略,こうめいせめ,奚其爽歟! 《しょういいへん》:さかな豢、まごもりとうぼつくれしょくごうおくりなよびけん、備姓めい, 外篇がいへんろん古今ここん正史せいし》:きょうちょうさかな豢私せんりゃく》,ことどめあきらみかど

ていきこりつうこころざし》:《りゃくじゅうかんさかな豢撰。

こうまごふみりゃく》曰:たかしべついえ,《武本たけもと紀年きねんれきかんおう沈《しょよんじゅうはちかんかげ澹《じゅうかんぎょ豢《りゃくじゅうかんはり祚《こくみつるじゅうかんなんつねさむらいろん三國志さんごくしきゅうかん;《まつでんかんずいほろび。五家蓋可與陳壽《こころざし參考さんこう而互しゃまた一時いちじ記載きさい雋也,而魚豢《てんりゃくとくためゆう筆力ひつりょく。 また曰:ざつだいだん瓌緻掇其すうあし以知諸公しょこう兢秀しゃさかな豢《りゃくうん安國やすくにゆたかもとむねまこと阮德如、[亻叕]。荀文わか彧。[1]云云うんぬんべつしょう輯本ほんでんまた韋昭《くれしょ》、たまきわたるくれ》、ちょう勃《くれろく》,かたりりゃくほうただし爽乎,よう隳乎,まもりいくこくせいことぞく矣。さかな豢而かくしょいちことあに佚於後人こうじんしゃ,嗟夫。

あきらそうはじめずい經籍けいせきこころざし考證こうしょう》曰:《りゃく有紀ゆうきこころざし列傳れつでん是正ぜせいからだ。《文選ぶんせんけいぶく殿どのちゅう引《りゃく文紀ふみのり》;以下いか節錄せつろく初學しょがくてん》引《ぎょうこころざし》;《こころざしちゅうげんりゃく》佞倖へんゆうせつでん、儒宗でんじゅんかたでん、苛吏でん清介せいすけでんいさむ俠傳,賈逵、まこと、楊沛さん人為じんいいちかん,以徐ぶくいむみきよしちょうすんでゆうすわえりょう習、ちょうげん、裴潛、かんせんろうじゅうにんどもまき;《せつ文學ぶんがくへんちゅうみなだいりゃく西戎せいじゅうでん》;《太平たいへい御覽ごらん人事じんじ》、《寰宇》引莎しゃ國事こくじのりみなさく西域せいいきでん》,豢之論贊ろんさんしょう曰「」,裴注引其,而《西域せいいきでんゆうこう。《ふみどおりざつせつへんちゅう引豢敘遼ひがし公孫こうそんはいため天意てんいすうおうかくれたたえほん於魚豢。 また曰:《てんりゃくはちじゅうきゅうかん,《きゅうからこころざしじゅうかん按魚豢《りゃく》祗記曹,以魏めいわかてんりゃく所載しょさいおもんみ裴松くにこころざしちゅうあきらふところこう漢書かんしょちゅうせん引漢まつさん國事こくじいたり史記しきさくかくれはたつたえ》,以下いか節錄せつろく初學しょがく》、《文部もんぶ》,《藝文げいぶん類聚るいじゅうれい》、《しょくかん》、《雜文ざつぶん》、《とり》,《きたどうしょ帝王ていおう》、《せいじゅつ》、《しつらえかん》,《文選ぶんせん》、《ちゅうべつ》,《太平たいへい御覽ごらん》、《兵部ひょうぶ》、《人事じんじ》、《禮儀れいぎ》、《らく》、《ふくあきら》、《工藝こうげい》、《布帛ふはく》、《資產しさん》、《しし》、《くすりみな引之,此類こう體裁ていさいまたざつあずかりゃくだんだいためしょしゃいちため正史せいしいちためざつ。《ずいしょ》闕著《りゃく》。《しんとうしょこころざし》闕者《てんりゃく》,おもんみきゅうとうしょこころざし兼載けんさいこれ明人あきとぞく太平たいへいこうあやま以唐おかえつさん國典こくてんりゃくおかえつてんりゃく》乃關ちゅう、鄴都、江南こうなんしょくさんこく也。ごうさかな豢。きんくい大宗たいそうもろしかうたぐまたあやま以《りゃく》、《てんりゃくためいちしょ

くい駿しゅんもろしかうたぐ》曰:《から書志しょし藝文げいぶんしょうぎょ豢《りゃくゆうじゅうかんなみ不言ふげんゆうてんりゃく》,《ずいこころざしのり并《りゃく》,また三國志さんごくしちゅう引《りゃく》,また引《てんりゃく》,そくいちしょ也,《太平たいへい御覽ごらんちょくしょうてんりゃく》焉。

ほうやすしさんこく藝文げいぶんこころざし》曰:ずいこころざしりゃく而有《てんりゃく》,くい并《てんりゃく》忘之よう其,ごうしょ為一ためいちのりかくろん也。裴注及《御覽ごらん》引此しょ甚多,史記しきさくかくれ》、前後ぜんご漢書かんしょちゅうみな屢引輯之ひさし褒然なりちつ

ぎょ豢傳

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さかな豢,きょうちょうにんあかりみかどつかまつためろうちゅうずいしょ經籍けいせきこころざし》、《ふみどおり正史せいしへん》。さんひゃくせきほんかん五官左右中郎將之屬,隸光祿ろくくん所謂いわゆるさんしょろう也,以郡こくこうれんあずかろうはたちゅうろうみなちょく宿やど殿どのもんたたえ戟郎。えつ縵堂日記にっき》。こう祿ろくくんさんしょなおおけ其職,殿中でんちゅう宿衛しゅくえいそく殿中でんちゅう將軍しょうぐんつうてん》。ろう中之なかのしょくあずかひがしかん矣。はつふとしちゅういのち尚書しょうしょまもる覬、繆襲草創そうそうつてるいなりまたいのちさむらいちゅう韋誕、おう璩、祕書ひしょかんおう沈、大將軍だいしょうぐん從事じゅうじちゅうろう阮籍つかさみぎちょうまご該、つかさ隸校じょうでんげんとうふくどもせんじょう

其後おう沈獨就其ぎょう,勒成《しょよんじゅうはちかん。其書ためいみなこと實錄じつろくどおり正史せいしへん》。豢撰《りゃくじゅうかんよりどころしんとうしょこころざし》。ゆうみかどこころざしつてしょく兩國りょうこくあいだまた記錄きろくどおりいい豢書ごととめあかりみかどこうりゃく有司ゆうしせんおうけいおうたたえ,而懿そつ於齊おさいおう嘉平かへいねんそつ高貴こうきごうこうせいもとねんまたちょうおうみきそつ司馬しばぶんおう西にしせいごととうひねとめおう景元かげもとねん,其書とめあかりみかど,《どおりゆうあやままたすすむしょ》,祕書ひしょかん賈謐てのひら國史こくし朝廷ちょうていりつすすむしょきりだん中書ちゅうしょかん荀勗よく以魏せいはじめおこり著作ちょさくろうおう瓚欲以魏嘉平かへいねんおこりめぐみみかどりつ,謐上請從たいはじめためだんことさん,謐重執奏しっそうこととげ施行しこう,《どおり》殆因つとむ而致誤歟。

豢嘗といひだりでん》、ひとし、魯、かんよんいえ》,於同ぐん隗禧,またあずかけいひろのうただしぐうどうぐん賈洪、河東かわとうらくしょう天水てんすい薛夏、ちんとめりん、潁川邯鄲かんたんじゅんしょ往還おうかん本書ほんしょ《儒宗でん》。韋誕ためおおとり臚,嘗答おうつばら、阮瑀諸人もろびともん於豢,本書ほんしょおうつばらしょ人傳ひとづて迨詔おさむまつこと,豢有郊天はいとおるとう。《りゃくれいこころざし》:ひだりでん》、《もうぎょうやめひさしおう以貴戚方倡異せつ,而豢といぎょう隗禧,けん習齊、魯、かんさんいえ》,ちんたかしもみかんのこせつこうまゆみへん》引魚豢《佞倖でん曰,豢說まゆみ云云うんぬんあずか曹子けんごう豢亦習《かん》也。豢亦こん文學ぶんがくとげ時流じりゅうしゃ也。其傳桓範、まさるしょ人事じんじ直筆ちょくひつ不為ふため司馬しばいみな

豢卒とうざいふとしやすし以後いごうえ距泰はじめ禪讓ぜんじょうはつほし踰二紀而未委質新朝,とめ此也。

ろん曰:司馬しば遷著《ふとしおおやけひゃくさんじゅうへん,其後りゅうむかいはんあや父子ふし、馮商、馮衍諸人もろびと績成《漢書かんしょ》,西京にしぎょうざいもり矣哉。さかな豢生とうつかまつ著作ちょさくわたしなり國史こくしいい獨步どっぽいち矣。すすむ以後いご西河にしかわひさしりゅう、馮翊しゃしき敦煌とんこうりゅう昞《はたおさむ》、《りょうしょ先後せんごしるべろくみな豢之遺風いふう也。《りゃく諸家しょか評論ひょうろん,頗有異同いどうあまり讀其佚文いつぶん,臚舉大概たいがいしょう輯本敘詞うん

こう

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  1. 彧 此字げん作為さくい大字だいじいましたがえりゃく》及前文ぜんぶんあらためため小字こあざ注文ちゅうもん