(Translated by https://www.hiragana.jp/)
【美術家・百瀬文さん特別寄稿】なめらかになりたかった人(百瀬 文) | 群像 | 講談社(1/2)
2024.05.28
# エッセイ

美術家びじゅつか百瀬ももせあやさん特別とくべつ寄稿きこう】なめらかになりたかったひと

群像ぐんぞうがつごうほん名刺めいし
わたしの欲望よくぼう違和感いわかんは、ほかのだれかとかちうことはできるのだろうか――。
アーティストの百瀬ももせあやさんのはつエッセイしゅう『なめらかなひと』を刊行かんこうします。
注目ちゅうもく作家さっかによるはつエッセイしゅうの「ほん名刺めいし」(群像ぐんぞう2024ねん6がつごう掲載けいさい)をおとどけします。
百瀬文著『なめらかな人』百瀬ももせあやちょ『なめらかなひと

成熟せいじゅくこばんでみたい

 美術家びじゅつかほんすとなると、じゃあそれは作品さくひんろんなのですか、とかれることがおおいとおもう。このほんなになのかとうと、わたしが人生じんせいはじめて出版しゅっぱんすることになったエッセイしゅうなのだが、普段ふだんつくっている作品さくひんのことについてはほとんどいていない。作品さくひんをつくるまなざしと、日々ひびきるまなざしは、いつだってわたしのからだうえかさなりっている。あるいは、そんな無防備むぼうび状態じょうたいで、見知みしらぬ他者たしゃつね関係かんけいしあいながらここにっていること、その不思議ふしぎさについていているのだとおもう。

 成熟せいじゅくこばんでみたい、という気持きもちがあった。未熟みじゅくどもであることを、自分じぶん理想りそうどおりに感情かんじょうはうまくうごいてくれないことを、あるいはそのうしろめたさ自体じたい肯定こうていしてみたかった。

 この『なめらかなひと』というエッセイしゅうだいいちかいでは、同名どうめいのタイトルでVIO脱毛だつもうはなしいている。わたしはべつだれかに欲望よくぼうのまなざしでられたくて陰毛いんもうをツルツルに脱毛だつもうしたわけではなかった。だい性徴せいちょうむかえるまえどものからだ、まだ分化ぶんかなものとしてのどものからだを、股間こかんのところにだけもどしたかったのだ。日々ひびたるんでいく、成熟せいじゅくしたおんなのかたちをした自分じぶんからだと、どものころからだのキメラとして、自分じぶんからだつくなおしたかった。わたしはなんらかのかたちで、すべてのものが成熟せいじゅくかっていかなければいけないということ、その可逆かぎゃくてきななにか自体じたいあらがいたかったのだろうとおもう。

 おもせば、自分じぶんからだはいつもプレイグラウンドとしてそこにあった。それはだだっぴろ広場ひろばのような場所ばしょで、得体えたいれない他者たしゃがおずおずと、あるいは無遠慮ぶえんりょあしれようとするところでもあった。わたしはそれをうえからぼんやりながめていた。同時どうじどもの姿すがたかれらと一緒いっしょあそんでもいた。なんとなく好奇心こうきしんだれかのはだれてみたり、ただのない秘密ひみつをきいたこともあった。かれらとはとくなにわせをしたわけでもない。未来みらい約束やくそくをしたわけでもない。自分じぶんのことが、各駅かくえき停車ていしゃしかとままらないえきみたいにおもえた。ぽつんと、なにかそこにふと理由りゆうつけたくなったひとだけが、一人ひとりりるのだ。ひとひと関係かんけいは、なに最初さいしょから名前なまえがあってそこにあるわけではないんだな、とおもった。

関連かんれん記事きじ