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【大相撲の不思議】関取の四股名から「川」が消えたって知ってた!?(岡村 直樹) | 現代ビジネス | 講談社(2/3)


大相撲おおずもう不思議ふしぎ関取せきとり四股しこめいから「かわ」がえたってってた!?

大相撲おおずもう象徴しょうちょうする日本にっぽんかわ衰退すいたい
岡村おかむら 直樹なおき プロフィール

放浪ほうろう横綱よこづな男女だんじょ川登かわのぼりさん

作家さっか宮本みやもと徳蔵とくぞうは、そのちょ力士りきし漂泊ひょうはく』(講談社こうだんしゃ文芸ぶんげい文庫ぶんこ/ちくま学芸がくげい文庫ぶんこ)において、モンゴルを源流げんりゅうとし、西にしひがしにと伝播でんぱしていった相撲すもう放浪ほうろうげい本質ほんしつつ、とだんじている。そして、放浪ほうろうせい体現たいげんしている力士りきしとして、「かわ」の四股しこめいかんした最後さいご横綱よこづなだい34だい横綱よこづな男女だんじょ川登かわのぼりさんをあげている。

 

双葉ふたばさんたるべからざるいきおいで69の白星しろぼしかさねていた昭和しょうわ10年代ねんだい西方せいほう横綱よこづなっていた力士りきしだ。茨城いばらきけん筑波つくばぐん菅間すがまむらげんつくば)の出身しゅっしん出身しゅっしんからわかるように、筑波つくばさんみなもととしてなが男女だんじょがわ(みなのがわ)にあやかっての四股しこめいである。

男女だんじょかわ四股しこめいとした男女だんじょかわは、かれ故郷こきょうである茨城いばらきけん筑波つくばさんみなもと

男女だんじょかわ桜川さくらがわあいするちいさなかわだが、男女だんじょかわは193センチの大男おおおとこだった。たいする双葉ふたばさんは179センチ。呼吸こきゅうをはかって両者りょうしゃうが、双葉ふたばさん一発いっぱつはつきをかますだけで土俵際どひょうぎわ棒立ぼうだちとなって、巨漢きょかんはあえなく土俵どひょうってしまう。とうてい横綱よこづな同士どうし対戦たいせんとはおもえぬ相撲すもうぶりなのである。こんな凡戦が4年間ねんかんもつづき、双葉ふたばさんやく終始しゅうししたのだった。

193センチのきょかんながら、双葉ふたばさんやくわっただい34だい横綱よこづな男女だんじょかわ引退いんたいは、数奇すうき運命うんめいをたどった

引退いんたい廃業はいぎょうして本名ほんみょう坂田さかたきょうろうもどるや、政界せいかいってようとした。ぐん知名度ちめいどかすべく、衆議院しゅうぎいん町会ちょうかい議員ぎいんなどに立候補りっこうほするも、いずれも落選らくせん横綱よこづなりながら、早大そうだいよるあいだせきき、本場所ほんばしょがはねると会計かいけいがく聴講ちょうこう直行ちょっこうした経験けいけんかれは、今度こんど実業じつぎょうかいでの大成たいせいをもくろむ。

しかし、これまたおもうにまかせず、つぎには私立しりつ探偵たんてい事務所じむしょひらく。あの大男おおおとこが、尾行びこうみに従事じゅうじしたという。宮本みやもとによれば、「かれ深層しんそう意識いしきには、人目ひとめたない、ちっぽけな人間にんげん変身へんしんしたいとの願望がんぼうみついていたにちがいない」となる。ちつづく失敗しっぱいにもりず、悪漢あっかんづらをわれて三流さんりゅうアクション映画えいが出演しゅつえん演技えんぎりょくなんてほどもないのである。たちどころにおはらばことなる。

母親ははおや死後しごは、放浪ほうろうせいまかせた。あげく街頭がいとうだおれとなり、老人ろうじんホームにられた。かつての贔屓ひいき(ひいき)の世話せわで、東京とうきょう近郊きんこうかわぎょ料理りょうりやとわれる。客寄きゃくよせをねた下足げそくばんであった。だが、身体しんたいはすでに病魔びょうまにむしばまれていた。そして、もと横綱よこづな門番もんばん小屋こや生涯しょうがいじた。看取みと家族かぞくはなく、まったくの無一物むいちもつだった、という。をあげて高度こうど経済けいざい成長せいちょう謳歌おうかしていた昭和しょうわ46(1971)ねんのことであった。

現役げんえき時代じだい無敵むてきほこり、引退いんたい相撲すもう協会きょうかい時津風ときつかぜ理事りじちょうとしておおきな足跡あしあとをしるした双葉ふたばさんくらべ、男女だんじょかわのそれはてんほどのひらきがある。

どんな名声めいせいようと、きょまんとみもうと、ひとはあのにはなにってけない。最期さいごは、たたみいちまいあれば充分じゅうぶん達観たっかんできるひとまれだろう。門番もんばん小屋こやせっていた男女だんじょかわは、いかなるおもいで最期さいごむかえたのだろうか。

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