【訃報ふほう】アナウンサー・押阪忍しのぶさんが逝去せいきょ 『東洋とうようの魔女まじょ』実況じっきょうで感動かんどう届とどける By - grape編集へんしゅう部ぶ 公開こうかい:2024-07-09 更新こうしん:2024-07-09 アナウンサー訃報ふほう Share Post LINE はてな コメント 写真しゃしん提供ていきょう:SOPromotion 2024年ねん7月がつ8日にち、芸能げいのう事務所じむしょである株式会社かぶしきがいしゃエス・オー・プロモーションがウェブサイトを更新こうしん。 同社どうしゃの取締役とりしまりやく会長かいちょうであり、フリーアナウンサーの押阪忍しのぶさんが、同年どうねん6月がつ29日にちに亡なくなったことを報告ほうこくしました。89歳さいでした。 1958年ねん、現げん・テレビ朝日てれびあさひへ第だい1期生きせいとして入社にゅうしゃし、1965年ねんに民放みんぽうテレビ初はつのフリーアナウンサーとなった、押阪さん。 フリー転身てんしん後ごもバラエティ番組ばんぐみ『ベルトクイズQ&Q』(TBS系けい)を始はじめ数すう多おおくのテレビ番組ばんぐみやラジオ番組ばんぐみに出演しゅつえんし、昭和しょうわを代表だいひょうするアナウンサーの1人ひとりとして、長ながきにわたって日本にっぽんをけん引いんしてきました。 また、grapeでは2016年ねんより『残のこしておきたい日本語にほんご』をテーマに、コラム『美うつくしいことば』を連載れんさい。若者わかものに向むけて、言葉ことばの大切たいせつさを伝つたえてきました。 写真しゃしん提供ていきょう:SOPromotion 押阪さんの妻つまは、同おなじくフリーアナウンサーの栗原くりはらアヤ子あやこさん。そして息子むすこの押阪雅彦まさひこさんは株式会社かぶしきがいしゃエス・オー・プロモーションの代表だいひょうを務つとめつつ、『DJ OSSHY』として『高齢こうれい者しゃディスコ』の企画きかくを行おこなうなど、音楽おんがく業界ぎょうかいでも活躍かつやくしています。 過去かこには、トーク番組ばんぐみ『徹子てつこの部屋へや』(テレビ朝日てれびあさひ系けい)に一家いっかそろって出演しゅつえんし、タレントの黒柳くろやなぎ徹子てつこさんとさまざまな話はなしを繰くり広ひろげました。 『徹子てつこの部屋へや』に出演しゅつえん そのときに気きづいた黒柳くろやなぎ徹子てつこさんの優やさしい気遣きづかい 押阪さんの活躍かつやくで特とくに有名ゆうめいなのは、1964年ねんに開催かいさいされた東京とうきょうオリンピックでの、女子じょしバレーボールの試合しあい実況じっきょう。 き取きとりやすい声こえと迫力はくりょくの伝つたわる実況じっきょうによって、その素晴すばらしい試合しあいは全国ぜんこくの人ひとへと届とどき、熱戦ねっせんの末すえに見事みごと金きんメダルを獲得かくとくした日本にっぽん代表だいひょうは『東洋とうようの魔女まじょ』と呼よばれるようになりました。 当時とうじについて、押阪さんは連載れんさいで「魔女まじょたちの奮闘ふんとうぶりは、鮮烈せんれつにまぶたに焼やき付ついている」と思おもい出でをつづっています。 東洋とうようの魔女まじょ 歓喜かんき、感動かんどうの金きんメダル アナウンサー押阪忍にんの『美うつくしいことば』 写真しゃしん提供ていきょう:SOPromotion たくさんの人ひとに感動かんどうと笑顔えがおを届とどけてきた、押阪さん。訃報ふほうに対たいし、ネットからは「押阪さんの声こえが大好だいすきでした」「自分じぶんの中なかで『アナウンサー』といえばこの方ほうだ」といった声こえが上あがっています。 65年ねん以上いじょうにわたって活躍かつやくし、生涯しょうがいの大半たいはんを『アナウンサー人生じんせい』に捧ささげてきたその姿すがたは、多おおくの後輩こうはいアナに、『アナウンサーとして大切たいせつなもの』を教おしえてくれたことでしょう。 押阪さんのご冥福めいふくをお祈いのりいたします。 [文ぶん・構成こうせい/grape編集へんしゅう部ぶ] Share Post LINE はてな コメント
2024年 7月 8日 、芸能 事務所 である株式会社 エス・オー・プロモーションがウェブサイトを更新 。
1958年 、現 ・テレビ朝日 へ第 1期生 として入社 し、1965年 に民放 テレビ初 のフリーアナウンサーとなった、押阪さん。
フリー転身 後 もバラエティ番組 『ベルトクイズQ&Q』(TBS系 )を始 め数 多 くのテレビ番組 やラジオ番組 に出演 し、昭和 を代表 するアナウンサーの1人 として、長 きにわたって日本 をけん引 してきました。
また、grapeでは2016年 より『残 しておきたい日本語 』をテーマに、コラム『美 しいことば』を連載 。若者 に向 けて、言葉 の大切 さを伝 えてきました。
押阪さんの妻 は、同 じくフリーアナウンサーの栗原 アヤ子 さん。そして息子 の押阪雅彦 さんは株式会社 エス・オー・プロモーションの代表 を務 めつつ、『DJ OSSHY』として『高齢 者 ディスコ』の企画 を行 うなど、音楽 業界 でも活躍 しています。
『徹子 の部屋 』に出演 そのときに気 づいた黒柳 徹子 さんの優 しい気遣 い
押阪さんの活躍 で特 に有名 なのは、1964年 に開催 された東京 オリンピックでの、女子 バレーボールの試合 実況 。
き取 りやすい声 と迫力 の伝 わる実況 によって、その素晴 らしい試合 は全国 の人 へと届 き、熱戦 の末 に見事 金 メダルを獲得 した日本 代表 は『東洋 の魔女 』と呼 ばれるようになりました。
たくさんの人 に感動 と笑顔 を届 けてきた、押阪さん。訃報 に対 し、ネットからは「押阪さんの声 が大好 きでした」「自分 の中 で『アナウンサー』といえばこの方 だ」といった声 が上 がっています。
65年 以上 にわたって活躍 し、生涯 の大半 を『アナウンサー人生 』に捧 げてきたその姿 は、多 くの後輩 アナに、『アナウンサーとして大切 なもの』を教 えてくれたことでしょう。
押阪さんのご冥福 をお祈 りいたします。
[文 ・構成 /grape編集 部 ]