| 人名 = 察度
| 各国語表記 =
| 君主号 = [[琉球国王|琉球国中山王]]
| 画像 =
| 画像サイズ =
| 継承者 = [[武寧]]
| 継承形式 = [[王世子]]
| 配偶者1 = 眞鍋樽([[勝連城|勝連按司二世]]の娘 )
| 配偶者2 =
| 配偶者3 =
| 母親 = 天女(伝説)
}}
'''察度'''(さっと、[[1321年]]([[至治 (元)|至治]]元年) - [[1395年]][[11月17日]]([[洪武]]28年[[10月5日 (旧暦)|10月5日]]))は[[古琉球|琉球]]の国王の一人。三国統一以前で初代[[中山王国|中山王]]を名乗る。現在の[[宜野湾市]]の出身だという。[[宜野湾市]]の偉人の一人。神号は、'''大真物'''(うふまもの)。
== 概要 ==
伝承では[[浦添市|浦添]][[間切]][[大謝名|謝名]]の[[奥間大親]]と伝説上の天女である[[飛衣]](羽衣)の子とされる。生まれた家は極めて貧しかったが、当時強勢を誇っていた[[勝連按司]]の娘を娶ったことにより家運を起こした。30歳中山南北二山(南部のとき南山、浦添北部の[[英祖王統]]を滅ぼ北山)との軋轢が甚だしい中、[[察度王統牧港]]を建にてる。そ日本の時、[[英祖王統]]の金蔵商船より鉄塊を空け買い取り、全て武器や農具民に必要な鉄農具を購入するため与えて農民に使っ助けたこといわれから、浦添按司としている人望を集めた<ref>伊波、10P</ref>。
[[英祖王統]]の[[西威]]崩御後、その信望の厚さから推され、[[1350年]]に中山王となった。即位後は、南北二山に対峙するため、経済的基礎を固めるための大改革を行う。貿易館や公倉となる御物城を設置し、[[ルソン|ルソン島]]、[[ジャワ|ジャワ島]]、[[スマトラ]]など東南アジアと貿易し、明や高麗とも交易を開始した。
[[1372 年]]、 明から[[楊載 ( 明)|楊載]]を招諭 使として 琉球に 送られ、それに 応じ、 弟の[[ 泰期]]を[[ 朝貢]]の 使者として 送り、 表を 奉り 臣を 称し、 貢物を 献上している。このようにして 明との 交流が 開始されたが、[[ 北山国]] 及び[[ 南山国]]も 明に 使節を 送り、 中山・ 山南・ 山北の 王位に 冊封されている。[[ 英祖王統]]の 残党勢力といえる[[ 読谷山]]按司、[[ 山北王国]]( 北山王国ともいう)、[[ 山南王国]]( 南山王国とも 言う)の 間で 争いは 絶えなかったが、 冊封体制の 中での 三山時代が 確定されることとなった。 ▼
▲[[1372 年]]、 明からの[[洪武帝]]が[[楊載 ( 明)|楊載]]を招諭 使として 琉球に送られ、使わす。それに 応じ、 弟の[[ 泰期]]を[[ 朝貢]]の 使者として 送り、 表を 奉り 臣を 称し、 貢物を 献上している <ref>岡本(2010)p.23、吉成、高梨、池田(2015)p.86、上里(2018)p.61</ref>。このようにして 明との 交流が 開始されたが、[[ 北山王国|北山]] 及び[[ 南山王国|南山]]も 明に 使節を 送り、 中山・ 山南・ 山北の 王位にとして冊封されている。 このとき、[[ 英祖王統]]の 残党勢力といえる[[ 読谷山]]按司、[[ 山北王国]]( 北山王国ともいう)、[[ 山南王国]]( 南山王国とも 言う)の 間で 争いは 絶えなかったが、 冊封体制の 中での 三山時代が 確定されることとなった。
なお[[ 朝鮮半島]]の『[[ 高麗史]]』、『[[ 李朝実録]]』などによれば、[[ 高麗]]へ[[1389 年]]に 玉之を 朝貢の 使者として 送り、 高麗に 代わった[[ 李氏朝鮮]]へも 同じく[[1392 年]]から 朝貢の 使者を 送っている。[[1394 年]]には、 朝鮮へ 逃亡したという 山南王子[[ 承察度]]の 送還を 求めたことが 知られる。 ▼
▲なお[[ 朝鮮半島]]の『[[ 高麗史]]』、『[[ 李朝実録]]』などによれば、 [[高麗]]へ[[1389 年]]に 玉之を察度王が通交(朝鮮側からは「朝貢」としている)の 使者として 送り玉之を遣わし、 高麗に 代わった[[ 李氏朝鮮]]へも 同じく[[1392 年]]から 朝貢の使者を 送っている。 この際、[[倭寇]]に捕らえられて来た朝鮮人を本国に送還するとともに幾許かの進物(硫黄、材木、胡椒、ベッコウなど)を献じたとある。また[[1394 年]]には、 朝鮮へ 逃亡したという 山南王子[[ 承察度]]の 送還を 求めたことが 知られる。
また同時期には宮古・八重山からの入貢もこの時期行われるようになった。[[1390年]]、宮古の[[与那覇勢頭豊見親]]は島内統一の際の後見を期待して入貢している。
なお彼の治世に、[[北元]]3代皇帝[[トグス・テムル]]の次男{{仮リンク|ディボヌ|zh|地保奴}}(地保奴)が明の[[朱元璋|洪武帝]]によって琉球に配流されたことが、『[[明史]]』<ref>{{cite wikisource | title=明史/卷327 | author=張廷玉等 | wslanguage=zh | show-language=yes }}</ref>や『[[球陽|球陽記事]]』<ref>{{cite wikisource | title=球陽記事/卷之一 | author=蔡溫、尚文思、鄭秉哲等 | wslanguage=zh | show-language=yes }}</ref>に記されている(ディボヌのその後は、伝わっていない)。
== 系譜 ==
*父 :[[奥間大親]]
*母 :天女(伝説*弁財天の化身)
*姉 :名前不伝
*弟:[[泰期]](小禄城主、後に[[天願城|天願按司]])
*弟 [[泰期]]
*妃 勝連弟:天久按司の娘
*弟:安谷屋思加那志
*妃:眞鍋樽([[勝連城|勝連按司二世]]の娘)
**次男:崎山子([[崎山里主]])
**長女:天茶添按司加那志
* 子孫
* 京阿波根實基(虞氏)
* 名護親方程順則(實基の子孫)
== 脚注 ==
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
*[[伊波普猷]] 沖縄よ何処へ 1928年
{{reflist}}
* 岡本弘道『琉球王国海上交渉史研究』榕樹書林、2010、ISBN 978-4-89805-142-9
* 吉成直樹、高梨修、池田栄史『琉球史を問い直す 古琉球時代論』、森話社、2015、ISBN 978-4-86405-078-4
* 上里隆史『海の王国・琉球 海域アジア大交易時代の実像』ボーダーインク、2018、ISBN 978-4-89982-339-1
== 関連項目 ==
*[[琉球国王の一覧]]
*[[羽衣伝説]]
*[[三五郎亹]]
== 外部リンク ==
* {{Kotobank}}
{{琉球国王}}
{{DEFAULTSORT:さつと}}
[[Category:琉球の君主]]
[[Category:1321年生]]
[[Category:1395年没]]
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