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「ジョン・ヘンリー・ニューマン」の版間の差分 - Wikipedia

「ジョン・ヘンリー・ニューマン」のはんあいだ差分さぶん

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1ぎょう:
{{Infobox Christian leader
[[ファイル:John Henry Newman by Sir John Everett Millais, 1st Bt.jpg|thumb|180px|ジョン・ヘンリー・ニューマン([[ジョン・エヴァレット・ミレー]]さく)]]
|背景はいけいしょく=cardinal
'''ジョン・ヘンリー・ニューマン'''(John Henry Newman, [[1801ねん]][[2がつ21にち]] - [[1890ねん]][[8がつ11にち]])は、[[19世紀せいき]][[イングランド]]の[[神学しんがくしゃ]]で、[[イングランド国教こっきょうかい]]の[[司祭しさい]]から[[カトリック教会きょうかい|カトリック]]に改宗かいしゅうして[[枢機卿すうききょう]]となった人物じんぶつである。2010ねん9がつに[[れつぶく]]され、[[ぶくしゃ]]と認定にんていされた。
|敬称けいしょう接頭せっとう=
|名前なまえ=ジョン・ヘンリー・ニューマン
|敬称けいしょう接尾せつび=
|称号しょうごう=[[枢機卿すうききょう]]
|紋章もんしょう=Coat of arms of John Henry Newman.svg
|画像がぞう=John Henry Newman by Sir John Everett Millais, 1st Bt.jpg
|画像がぞうサイズ=
|画像がぞう説明せつめい=ジョン・ヘンリー・ニューマン([[ジョン・エヴァレット・ミレー]]さく
|教会きょうかい=
|管区かんく=
|首都しゅと大司教だいしきょう管区かんく=
|だい主教しゅきょう=
|司教しきょう=
|主教しゅきょう=
|着座ちゃくざ=
|離任りにん=
|前任ぜんにん=
|後任こうにん=
|反対はんたいしゃ=
|じょかい=
|司祭しさいじょかい=
|司祭しさい叙任じょにん=
|司祭しさいじょきよし=
|きよしべつ=
|司教しきょうじょかい=
|主教しゅきょう叙任じょにん=
|主教しゅきょうじょきよし=
|枢機卿すうききょう任命にんめい=[[1879ねん]][[5がつ12にち]]
|格付かくづけ=
|著作ちょさく=
|伝道でんどう=
|その役職やくしょく=
|座右ざゆうめい=
<!---個人こじん情報じょうほう--->
|本名ほんみょう=
|別名べつめい=
|生年月日せいねんがっぴ=[[1801ねん]][[2がつ21にち]]
|出生しゅっしょう={{GBR}}<br />[[ロンドン]]
|ぼつ年月日ねんがっぴ=[[1890ねん]][[8がつ11にち]]
|死没しぼつ={{GBR}}<br />エッジバストン
|墓所はかしょ=
|墓所はかしょ座標ざひょう=
|国籍こくせき=
|教派きょうは=
|居住きょじゅう=
|両親りょうしん=
|配偶はいぐうしゃ=
|子供こども=
|職業しょくぎょう=
|専門せんもんしょく=
|出身しゅっしんこう=
|署名しょめい=
|公式こうしきサイト=
<!---聖人せいじん情報じょうほう--->
|記念きねん=[[10がつ9にち]](カトリック教会きょうかい)<br>[[8がつ11にち]](イングランド国教こっきょうかい
|崇敬すうけい教派きょうは=カトリック教会きょうかい<br>イングランド国教こっきょうかい
|聖人せいじん称号しょうごう=[[聖人せいじん]]
|れつぶく=[[2010ねん]][[9がつ19にち]]
|れつ福地ふくち={{GBR}}<br />コフトン・パーク
|れつぶく決定けっていしゃ=[[ベネディクト16せい (ローマ教皇きょうこう)|ベネディクト16せい]]
|列聖れっせい=[[2019ねん]][[10がつ13にち]]
|列聖れっせい={{VAT}}<br />[[サン・ピエトロ広場ひろば]]
|列聖れっせい決定けっていしゃ=[[フランシスコ (ローマ教皇きょうこう)|フランシスコ]]
|象徴しょうちょう=
|守護しゅご対象たいしょう=
|主要しゅよう聖地せいち=
|崇敬すうけい対象たいしょう除外じょがい=
<!---その--->
|教皇きょうこうめい=
}}
'''ジョン・ヘンリー・ニューマン'''(John Henry Newman, [[1801ねん]][[2がつ21にち]] - [[1890ねん]][[8がつ11にち]])は、[[19世紀せいき]][[イングランド]]の[[神学しんがくしゃ]]で、[[イングランド国教こっきょうかい]]の[[司祭しさい]]から[[カトリック教会きょうかい|カトリック]]に改宗かいしゅうして[[枢機卿すうききょう]]となった人物じんぶつである。2010ねん9がつに[[れつぶく]]され[[ぶくしゃ]]、2019ねん10がつ、[[聖人せいじん]]と認定にんていされた。
 
== 経歴けいれき ==
[[ロンドン]]にまれる。[[オックスフォード]]で[[イングランド国教こっきょうかい]]の[[司祭しさい]]をつとめていたが、[[イタリア]]旅行りょこうから帰国きこくの[[1845ねん]]にカトリック教会きょうかい改宗かいしゅう最終さいしゅうてきには[[枢機卿すうききょう]]になった。

当時とうじ[[オックスフォおっくすふぉド大学どだいがく]]では宗教しゅうきょうかんしてはげしい論争ろんそうひろげられており([[オクスフォード運動うんどう]])、[[フランス革命かくめい]]の影響えいきょうけた[[啓蒙けいもう思想しそう]]にたいし、保守ほしゅ反発はんぱつしていた。ニューマンもその一人ひとりであったが、[[神学しんがく]]の研究けんきゅうすすめているうち、カトリック教会きょうかいかれるようになり、改宗かいしゅうするにいたった。[[だい1バチカンこう会議かいぎ]]のさいにも、ニューマンは[[教皇きょうこう不可ふか謬説]]を全面ぜんめんてき擁護ようごた。
 
ニューマンの基本きほんてき主張しゅちょうは、[[イングランド国教こっきょうかい]]は、初代しょだい教会きょうかい以来いらい使徒しとてき伝統でんとう継承けいしょうするものであり、ローマ・カトリック教会きょうかいとプロテスタント教会きょうかい中道ちゅうどうあゆ唯一ゆいいつ真正しんせいなる教会きょうかいであるというてんにあった。[[カトリック教会きょうかい|ローマ・カトリック教会きょうかい]]ももちろん伝統でんとうてき教会きょうかいだが、中世ちゅうせい以降いこう、さまざまな迷信めいしん腐敗ふはいうちにあり、過度かど教皇きょうこう絶対ぜったい主義しゅぎによって古代こだい教会きょうかい以来いらい権威けんい継承けいしょうする資格しかくうしなってしまった。プロテスタント諸派しょはは、宗教しゅうきょう改革かいかくという歴史れきしてき事業じぎょう着手ちゃくしゅしたにもかかわらず、古代こだい教会きょうかいからの使徒しとてき継承けいしょうせい放棄ほうきしたために、やはり真正しんせいなる教会きょうかいとしての資格しかくうしなっている。そのてん、[[イングランド国教こっきょうかい]]は、宗教しゅうきょう改革かいかく経験けいけんしつつも、古代こだいからの使徒しとせいまさしくいでいる。このようなニューマンの理解りかいは、おそらくかれがローマ・カトリック教会きょうかいうたてかいし、[[枢機卿すうききょう]]となったのちにでさえもわることはなかったであろう。<ref>{{Cite book|title=Sosetsu kirisutokyoshi. 3 kin gendai hen.|url=https://www.worldcat.org/oclc/676106628|publisher=Nihon Kirisuto Kyodan Shuppankyoku|date=2007.8|isbn=978-4-8184-0633-9|oclc=676106628|others=Sasagu Arai, Akira Demura, Teruo Kuribayashi, Renta Nishihara, Makoto Mizutani, けんじ 荒井あらい}}</ref> しかしながら、当時とうじのイングランド国教こっきょうかい自身じしん国家こっかいなりにおちいっていることを批判ひはんして[[オックスフォード運動うんどう]]を展開てんかいした。
 
[[神学しんがく]]の研究けんきゅう具体ぐたいてきにはキリストたんせいろんなど)をすすめているうち、カトリック教会きょうかいかれるようになり、改宗かいしゅうするにいたった。[[だい1バチカンこう会議かいぎ]]のさいにも、ニューマンは[[教皇きょうこう不可ふか謬説]]を全面ぜんめんてき擁護ようごした。
 
[[せい公会こうかい]]において信徒しんと役割やくわり重視じゅうしされていたのにたいし、[[カトリック教会きょうかい]]における信徒しんと地位ちいひくさと教育きょういくのなさに愕然がくぜんとしたニューマンは、「教会きょうかい聖職せいしょくしゃ信徒しんととの共同きょうどうたいである」との信念しんねんから、信徒しんとたいする尊敬そんけい理解りかいしめし、教育きょういくのある信徒しんと重要じゅうようせいをことあるごとにいた。こうしたニューマンのかんがえは[[だい2バチカンこう会議かいぎ]]の理念りねん先駆せんくともるものであったが、当時とうじおおくの非難ひなん批判ひはんった<ref name="itonaga">[http://www.mr826.net:8080/psi/blog/archives/2010/11/25 新福しんぷくしゃニューマンと信徒しんと地位ちい養成ようせい問題もんだい折々おりおりおも糸永いとなが真一しんいち司教しきょうのカトリック時評じひょう)] {{ja icon}}</ref>。
 
[[1991ねん]]にはその業績ぎょうせきとなえて[[尊者そんじゃ]]として認定にんていされており、[[2010ねん]]9がつの[[教皇きょうこう]][[ベネディクト16せい (ローマ教皇きょうこう)|ベネディクト16せい]]の英国えいこく公式こうしき訪問ほうもん<ref>[[ヘンリー8せい (イングランドおう)|ヘンリー8せい]]がローマ教会きょうかいたもとかって以来いらい教皇きょうこう英国えいこく公式こうしき訪問ほうもんしたのはこれがはじめて。[[ヨハネ・パウロ2せい (ローマ教皇きょうこう)|ヨハネ・パウロ2せい]]の英国えいこく訪問ほうもん非公式ひこうしき訪問ほうもん。</ref>のさいに[[れつぶく]]された<ref>[http://www.bbc.co.uk/news/10403660 Pope's Coventry visit moved to Birmingham] 24 June 2010 BBC News</ref>。教皇きょうこうベネディクト16せいれつぶくしき説教せっきょうにおいて、ニューマンの信徒しんと教育きょういくろんについて指摘してきしている<ref name="itonaga" />。
 
[[2019ねん]]7がつ1にち、ジョン・ヘンリー・ニューマン枢機卿すうききょうふくむ5めいぶくしゃの[[列聖れっせい]]が決定けっていした。教皇きょうこう[[フランシスコ (ローマ教皇きょうこう)|フランシスコ]]は、5めいぶくしゃ列聖れっせいしきを10月13にちおこなうことを発表はっぴょうした<ref>[https://www.vaticannews.va/ja/church/news/2019-07/canonizzazione-nuovi-santi-13-ottobre.html?fbclid=IwAR1-O3K6YWlMwQxi7lmDm65uPUlJafixoSQ877NZuIAvOA9HQM_IvL5_stM 今年ことし10がつに、ニューマン枢機卿すうききょうら、5にん列聖れっせいしき Vatican News(2019ねん7がつ1にち)]</ref>。
 
2019ねん10がつ13にち、バチカン・サン・ピエトロ広場ひろばぶくしゃ4にんとも列聖れっせいされた<ref>[https://www.vaticannews.va/ja/church/news/2019-10/canonizzazioni-cinque-nuovi-santi-20191013.html ニューマン枢機卿すうききょうら5にん列聖れっせいしき、バチカンで Vatican News(2019ねん10がつ13にち)]</ref>
== 著書ちょしょ ==
{{wikisource author|John Henry Newman|ジョン・ヘンリー・ニューマン}}
=== 国教こっきょうかい時代じだい ===
* ''Arians of the Fourth Century'' (1833ねん
39 ⟶ 119ぎょう:
* ''Letter to Dr. Pusey'' (1865ねん
* ''The Dream of Gerontius'' (1865ねん) - これをテクストとして、[[エドワード・エルガー]]が[[オラトリオ]]『[[ゲロンティアスのゆめ]]』を作曲さっきょくした(1900ねん初演しょえん)。
* ''An Essay in Aid of a Grammar of Assent'' (1870ねん<ref>[http://www.gutenberg.org/files/34022/34022-h/34022-h.html An Essay in Aid of a Grammar of Assent](同意どうい文法ぶんぽうがくなる補助ほじょ)- [[プロジェクト・グーテンベルク]]</ref>
* ''Sermons Preached on Various Occasions'' (1874ねん
* ''Letter to the Duke of Norfolk'' (1875ねん
48 ⟶ 128ぎょう:
* ''Development of Religious Error'' (1885ねん
* ''[[:en:Grammar of Assent|Grammar of Assent]]''
 
=== 日本語にほんごやく ===
*『ニューマン枢機卿すうききょう黙想もくそういのり』 長倉ながくら禮子あやこやく解説かいせつ、[[知泉ちせんしょかん]]、2013ねん
*『聖母せいぼマリア だいのエバ』 日本にっぽんニューマン協会きょうかいへんやくきょうともしゃ、2013ねん
*『しんしんかたりかける ニューマン説教せっきょうせん日本にっぽんニューマン協会きょうかいやく、[[中央ちゅうおう出版しゅっぱんしゃ]]、1991ねん
*『大学だいがくなにまなぶか』[[ピーター・ミルワード]]へん田中たなか秀人ひでとやく、[[大修館書店たいしゅうかんしょてん]]、1983ねん
 
== 評伝ひょうでん研究けんきゅう ==
*オーウェン・チャドウィック『ニューマン』 川中かわなかなほやく、コンパクト評伝ひょうでんシリーズ:[[きょうぶんかん]]、1995ねん
*長倉ながくら禮子あやこ『ジョン・ヘンリ・ニューマンの文学ぶんがく思想しそう』[[知泉ちせんしょかん]]、2011ねん
*[[川中かわなかなほ]]『J・H・ニューマン研究けんきゅうきょうともしゃ、2015ねん 
 
== 脚注きゃくちゅう ==
59 ⟶ 150ぎょう:
{{Normdaten}}
 
{{デフォルトソート:にゆまん しよん へんり}}
[[Category:19世紀せいきのカトリック聖職せいしょくしゃ]]
[[Category:19世紀せいきイングランドの神学しんがくしゃ]]
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