(Translated by https://www.hiragana.jp/)
「房州堀」の版間の差分 - Wikipedia
削除さくじょされた内容ないよう 追加ついかされた内容ないよう
編集へんしゅう要約ようやくなし
m Wikidataboxの追加ついか
 
1ぎょう:
{{Wikidatabox|item=Q11496685}}
'''房州ぼうしゅうほり'''(ぼうしゅうぼり)とは、[[近世きんせい]][[博多はかた]]([[筑前ちくぜんこく]]・[[那珂なかぐん (福岡ふくおかけん)|那珂なかぐん]])のみなみえんかくしていた[[ほり]]の名称めいしょうとしてもっともよくられるものである。なお、「房州ぼうしゅう」とは「安房あわこく」ので、臼杵うすきあきらつづけ後述こうじゅつ)の受領じゅりょうめい安房あわもり」にちなむとされる。
[[File:Fukuoka and hakata.png|thumb|寛永かんえいごろまでの福岡ふくおか博多はかた推定すいてい)]]
 
==概要がいよう==
[[File:博多南はかたみなみえんほり(近世きんせい実測じっそくによる).png|thumb|博多南はかたみなみえんほり]]
近世きんせい博多はかたは[[たまきほり都市とし]]であり、きたえんうみひがし西にしかわ、そしてみなみえんほりによってかくされていた。ほり石堂川いしどうがわからはちそこがわ那珂川なかがわ支流しりゅう)にいたる、はばやく20~30m、ながやく900mの規模きぼのもので、1699ねんのものと推定すいていされる<ref>小林こばやししげるほか『福岡平野ふくおかへいや環境かんきょう遺跡いせき立地りっち環境かんきょうとしての遺跡いせきとの共存きょうぞんのために―』(九州大学きゅうしゅうだいがく出版しゅっぱんかい、1998ねん)pp.246-7</ref>精密せいみつ実測じっそく<ref>福岡ふくおかけん編纂へんさん資料しりょう651「福岡ふくおか城下じょうか絵図えず」(福岡ふくおか県立けんりつ図書館としょかん)</ref>によってその形状けいじょうることができる。その築造ちくぞう時期じき築造ちくぞうしゃは、近世きんせい地誌ちし言及げんきゅうされるものの、いち史料しりょうはなく、また発掘はっくつ調査ちょうさ結果けっか築造ちくぞう時期じき断定だんていするにいたってはいない<ref>木島きしま孝之たかゆき房州ぼうしゅうほり戦国せんごく産物さんぶつか Ⅱ」『中世ちゅうせい城郭じょうかく研究けんきゅう』11ごう中世ちゅうせい城郭じょうかく研究けんきゅうかい、1997ねん)pp.156-7</ref>。