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== 経歴 ==
[[ロンドン]]に生まれる。[[オックスフォード]]で[[イングランド国教会]]の[[司祭]]を務めていたが、[[イタリア]]旅行から帰国後の[[1845年]]にカトリック教会に改宗、最終的には[[枢機卿]]になった。
当時[[オックスフォード大学]]では宗教に関して激しい論争が繰り広げられており([[オックスフォード運動]])、[[フランス革命]]の影響を受けた[[啓蒙思想]]に対し、保守派は反発していた。ニューマンもその一人であったが、[[神学]]の研究を進めているうち、カトリック教会に惹かれるようになり、改宗するに至った。[[第1バチカン公会議]]の際にも、ニューマンは[[教皇不可謬説]]を全面的に擁護した。
ニューマンの基本的主張は、[[イングランド国教会]]は、初代教会以来の使徒的伝統を継承するものであり、ローマ・カトリック教会とプロテスタント教会の中道を歩む唯一の真正なる教会であるという点にあった。[[カトリック教会|ローマ・カトリック教会]]ももちろん伝統的な教会だが、中世以降、さまざまな迷信、腐敗の内にあり、過度な教皇絶対主義によって古代教会以来の権威を継承する資格を失ってしまった。プロテスタント諸派は、宗教改革という歴史的事業に着手したにもかかわらず、古代教会からの使徒的継承性を放棄したために、やはり真正なる教会としての資格を失っている。その点、[[イングランド国教会]]は、宗教改革を経験しつつも、古代からの使徒性を正しく受け継いでいる。このようなニューマンの理解は、おそらく彼がローマ・カトリック教会に転会し、[[枢機卿]]となった後にでさえも変わることはなかったであろう。<ref>{{Cite book|title=Sosetsu kirisutokyoshi. 3 kin gendai hen.|url=https://www.worldcat.org/oclc/676106628|publisher=Nihon Kirisuto Kyodan Shuppankyoku|date=2007.8|isbn=978-4-8184-0633-9|oclc=676106628|others=Sasagu Arai, Akira Demura, Teruo Kuribayashi, Renta Nishihara, Makoto Mizutani, 献 荒井}}</ref> しかしながら、当時のイングランド国教会自身が国家の言いなりに陥っていることを批判して[[オックスフォード運動]]を展開した。
[[神学]]の研究(具体的にはキリスト単性論など)を進めているうち、カトリック教会に惹かれるようになり、改宗するに至った。[[第1バチカン公会議]]の際にも、ニューマンは[[教皇不可謬説]]を全面的に擁護した。
[[聖公会]]において信徒の役割が重視されていたのに対し、[[カトリック教会]]における信徒の地位の低さと教育のなさに愕然としたニューマンは、「教会は聖職者と信徒との共同体である」との信念から、信徒に対する尊敬と理解を示し、教育のある信徒の重要性をことあるごとに説いた。こうしたニューマンの考えは[[第2バチカン公会議]]の理念の先駆とも言い得るものであったが、当時は多くの非難・批判に遭った<ref name="itonaga">[http://www.mr826.net:8080/psi/blog/archives/2010/11/25 新福者ニューマンと信徒の地位・養成問題(折々の想い 糸永真一司教のカトリック時評)] {{ja icon}}</ref>。
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